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千樫短歌抄

みんなみの嶺岡山の焼くる火のこよひも赤く見えにけるかも  山焼五首

 

夕食(ゆふげ)終へて()に出て見ればあかあかと山焼(やまやけ)の火のひろがりにけり

 

夕山の焼くるあかりに笹の葉の影はうつれり白き障子に

 

山火事の火影(ほかげ)おぼろに宵ふけて家居(いへゐ)かなしも(いも)に恋ひつつ

 

山焼の()かげ明りてあたたかに曇るこの夜をわがひとり寝む

 

真なつ日のひでりの空の蒸し曇り養魚池の波ひかり寂しも  死に行く魚五首

 

汐にがく沸き立つ池の魚のむれ堪へがてぬかも浮びいでつつ

 

養魚池のひでりの水のにごり波むれ浮ぶ魚のうろこの光

 

ひろびろと夕さざ波の立つなべに死魚かたよりて白く光れり

 

さびしくも夕照る池の水かげに生きゐる魚のむれ(あへ)ぐ見ゆ

 

日ざかりのちまたを帰るひもじけど勤めを終へてただちに帰る  向日葵十七首

 

昼ふかくま日照りつくる大通りただに静けし吾れはあゆむに

 

深川の八幡のまつり延びけらし街のかざりを取りゐる真昼

 

米たかき騒ぎひろがれりこの街の祭にはかに延びにけるかも

 

祭のびし街のまひるのものゆゆし大き家々おもて戸ざせる

 

この街の祭のびけりそろひ(ぎぬ)きたる子どもの群れつつ寂し

 

日のさかりこの川口に満ちみつる潮のひかりに眼をあき歩む

 

まひるの潮満ちこころぐし川口の橋のたもとのひまわりの花

 

大きなる(しべ)くろぐろと立てりけりま日にそむける日まはりの花

 

大き花ならび立てども日まはりや疲れにぶりてみな日に向かず

 

満ちみつる潮のひかりのいらだたしまひるの長橋わがわたり行く

 

秋づきて暑きまひるの地上のもの緑はなべて老いたるらしも

 

異国米(いこくまい)たべむとはすれ病みあとのからだかよわき児らを思へり

 

炎天にあゆみ帰れりやすらかなる妻子(つまこ)の顔を見ればかなしも

 

疲れやすき心はもとな日まはりの大きくろ(しべ)眼に仰ぎ見る

 

牛の肉のよき肉買ひて(うま)らに煮子らとたうべむ心だらひに

 

な病みそまづしかりともわが妻子(つまこ)米の飯たべただにすこやかに

 

いきのをに息ざし静めこの幾日(いくひ)ひた仰向きに()()る吾れを

稗の穂十一首

ひたごころ静かになりていねて居りおろそかにせし命なりけり

 

妻はいま家に居ぬらし昼深くひとり目ざめて寝汗をふくも

 

おもてにて遊ぶ子供の声きけば夕かたまけてすずしかるらし

 

うつし世のはかなしごとにほれぼれと遊びしことも過ぎにけらしも

 

うつし身は果無(はかな)きものか横向きになりて()ぬらし今日のうれしさ

 

秋空は晴れわたりたりいささかも(かしら)もたげてわが見つるかも

 

秋さびしもののともしさひと(もと)野稗(のびえ)垂穂(たりほ)(かめ)にさしたり

 

秋の空ふかみゆくらし(かめ)にさす草稗(くさびえ)の穂のさびたる見れば

 

うつたへに心に沁みぬふるさとの秋の青ぞら目にうかびつつ

 

充ちわたる空の青さを思ひつつかすかにわれはねむりけらしも

 

小夜時雨ふりくる音のかそけくもわれふる里に住みつくらむか 時雨五首

 

この頃のあかとき露に門畑(かどはた)の蕎麦の白花かつ黒みけり

 

めづらしきけさの朝けやうつそ身のすこやかにして妻の恋しき

 

はるばると来れる友かわが家のらんぷの下に見らくともしも

 

わが家の(かど)の小みちにこのあした遊べる友をわれは見て居り

 

秋晴れの長狭(ながさ)さく

の遠ひらけひむがしの海よく見ゆるなり 焚火五首

 

秋晴るるこの山の上に一人ゐて松葉かきつめ火を焚きにけり

 

この山の(はざま)の小田に稲刈るはたれにかあらむわが村の人

 

山の上にひとり焚火してあたり居り手をかざしつつ吾が手を見るも

 

ひとり親しく焚火して居り火の中に松毬(まつかさ)が見ゆ燃ゆる松かさ

 

あざやけき春の日和なり枕べに訪ひ来る人らみな汗ばめり  病牀春光録十五首  

 

青山どほり歩き来しとてすがやかに汗ふく人を見るがともしさ

 

窓の障子あけてもらひて春日さす高き梢をわれは見にけり

 

牀の上に吾れ起きてあらむ三月のま昼の風の吹き入るものを

 

えんがはにわが立ち見れば三月の光あかるく木木ぞうごける

 

麻布台(あざぶだい)とほき木立のあたりにはつばさ光りて鳶の(かけ)れる

 

春日てる前の通りのしめり道あゆみ行く人の影のさやけく

 

病よりわが起きしかば春のまひるの土に身をする(とり)を見にけり

 

さしなみのとなりの家の早起の音にくからぬ春の朝なり

 

ま昼どき畳のうへにほうほうと猫の抜毛の白く飛びつつ

 

みなぎらふ光のなかに土ふみてわが歩み来ればわが子らみな来つ

 

幾足かわが歩みけむ持ちて来つる(もたひ)水を飲みにけるかも

 

この墓地に今咲く花のくさぐさを子らは折り来ぬわが休み居れば

 

墓原に咲けるれんげう木瓜(ぼけ)つばきしきみの花も見るべかりけり

 

わが子らとかくて今日歩む垣根みちぺんぺん草の花咲きにけり

 

(ひよう)まじり苗代小田(なわしろをだ)にふる雨のゆゆしくいたく郷土(くに)をし思ほゆ  雷雨二首

雷雨すぎて街のこひしき山の手の若葉がうへに月押してれり

 

                             ──以上・抄出──

 

   雑録 

    

 自分は歌よみ也といふので、如何(いか)なる思想感情をも三十一字に綴るものがある。又歌的熱力さへ(さかん)なれば如何なるものでも溶かして歌にすることが出来るといふものがある。又或歌よみは或画家が或商人の依頼でソロバンの絵を画かされたことをきいて画かきといふものはいやなものだ、ソロバンのやうな俗なものを画かねばならぬのかといはれたさうだ。僕は材料によつてこれは歌的であるとか無いとかといふやうに既成的概念を以てきめてしまふことはいけぬと思ふ。けれども何でも只三十一文字に綴るといふにも賛成出来ぬ。三十一文字に綴るから短歌だといふものではなくもつと根本に或物があると思ふ。歌を作る時は感情の動き方が異つて居る。材料は何でもよい。君がいふ様に短歌の形式の特質とこの感情とがシツクリあつたものでなければならぬと思ふ。形式の特質などといふとすぐに囚はれてゐるといふものがあるであらう。けれども束縛の中に自由があることを知らねばならぬと思ふ。

 

          ──明治四十四年1911五月「アララギ」所載──

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2002/09/25

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古泉 千樫

コイズミ チカシ
こいずみ ちかし 歌人 1886・9・26~1927・8・11 千葉県安房郡に生まれる。正岡子規の風をしたい伊藤左千夫に敬慕師事し、斎藤茂吉、島木赤彦、中村憲吉等と行を倶に大歌誌「アララギ」を支えた。貧と病弱に悩み多くも歌境に清冽のととのいを喪うことなく逝く。

掲載作は、主に1925(大正14)年の歌集『川のほとり』より撰し、1933(昭和8)年の遺歌集『青牛集』より1927(昭和2)年3月31日青山墓地を幾足か最期に歩いた日の「病牀春光録」及び『雑録』の一部を収む。

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