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平和への直言

目次

個人掠奪と国際侵略

 人間社会に於て生活の資料を得るの途は勤労に依るか掠奪に依るかである。太古混沌として動物ながらの時代に在つては所謂弱肉強食で、他人が勤労に依つて得たところを強者が暴力を以て掠奪し、而かも掠奪は力に対する正当の行為と認められて居た。併し掠奪強盗は多くの場合に於て被害者の抵抗に依る力の衝突即ち闘争が伴ふことを免れない。即ち掠奪の目的を達する為めには手段として闘争を行はねばならぬのである。然るに人間が動物の域を脱して人間としての知力と意欲とが発達するに従ひ、生命財産に対する愛護の念が増進すると共に、掠奪闘争は社会の安寧と幸福とを保つ所以にあらざることを覚り、之を罪悪として禁制することとなつた。

 掠奪と闘争を禁ずるの法は、一は道徳的教義に依つて良心的に内省せしむると同時に、一は法律を設けて違背者を肉体的に懲戒することである。即ち教育と懲罰とに依つて内外両面から人間の道徳心を向上せしむるのである。併し人間社会に此種の法制が出来て以来幾万年或は幾十万年の久しきに亘るけれども、石川五右衛門の歌ではないが人間の掠奪癖即ち盗癖は浜の真砂と同様今に至るも其の種子は切れず、世界の監獄は此種の罪人を以て何時も満されて居る。とは云へ現代の文明人に在つては掠奪或は窃盗は人間として恥づべき罪悪であるといふことだけは、常識として何等の疑ひもなく認められる程度にまでは達して居る。併しそれは何処までも道徳の問題であつて、何故掠奪窃盗が悪いかといふことを理論的に或は科学的に説示することは出来ないのである。

 国家の生活も亦個人の生活に於けると同様に自衛と侵略との二つの手段がある。其の何れに依るかは国家の意志である。国家の意志は即ち国民の意志である。而して国民とは特定の地域内に於ける個人の政治的集団であるが故に、個人としての罪悪は国家としても罪悪でなければならぬ訳である。

…………………………………………………………………………………………………………………。

 個人的の掠奪闘争が罪悪として禁止されたのは既に数万年の昔であらうに反し、国家間の侵略や戦争が罪悪と認められたのは極めて最近のことで、その具体的事実となつて現はれたのは、欧州戦争後に出現したる国際聯盟や不戦条約に濫觴(らんしよう)するものである。而かも之とても唯国際間の単なる申合せに過ぎない。

……………………………………………………………………………………………。

 斯くの如く個人道徳に比して国家道徳が著しく遅れて居ることに就いては多くの原因と理由とがある。即ち………………現在の世界は………………………………………、実力ある制裁機関を有しないことが先づ第一の理由である。……………逢はなければ規則を守らないといふことは国家に対しても適用し得る言葉である。(百四十九字削除)

…………………………………………………………………………………………………………………。放任せられる以上、各々の国家は自衛の為めに武力を必要とする。武力の対立が激化する時戦争に結果することは古来の戦争此々皆然りである。

 人間が武道の稽古を志すのは主として自衛の目的である。然るに教養の低き者が武道に上達すると往々にして他人を攻撃して見たくなるものである。それと同様に文化の高からざる国が強大なる武力を擁するに至ると、動もすれば初めは自衛の為めに設けた武力を逆用して侵略に出づることもあり得る。

 縦ひ又侵略にあらずとするも、国際間の利害は甚だ屡相反背して対立する。其の場合是非を裁判して判決を強制する機関なき現代世界に於ては、自他共に服従する権威ある裁判を為すものは唯実力の闘争即ち戦争あるのみである。即ち戦争は国際紛争に対する神の審判として神聖視せられ道徳化されて居る。そこに国家としては一面に戦争を非認しながらも一面に戦争を尊重せねばならぬ所以がある。要するに強制力ある国際裁判機関の実現せざる限り戦争は絶へないといふことは事実の真理である。

死産の侵略定義

 戦争には侵略戦と防衛戦とがある。侵略戦は罪悪であるが防衛戦は正当行為と認められて居る。併しながら実際問題としては多くの場合何処までが侵略戦で何処からが防衛戦であると区分することは殆んど不可能である。(そもそ)も侵略の意義に就いてさへ今日まだ世界共通の定義が決定されて居ない。本年五月国際聯盟軍縮会議の安全保障委員会に於ては侵略国なるものの定義を下記の如く定め仏露並に小国の多くは之に賛成したるも英伊独等の容るる所とならず遂に決定を見るに至らなかつたのである。

 一切の国際紛争に関し関係両当事国間に現存する諸条約を十分考慮に容れ、最初に以下の何れかの行為を犯したる国家は之を侵略国と做す

 (一)宣戦を布告し(二)宣戦を布告せずして武装侵略を遂行し(三)宣戦を布告せずとも他国の領土に船舶乃至航空機を陸海空軍を以て攻撃し(四)他国の海岸又は港湾に対する海軍封鎖を遂行し(五)他国領土の侵入を遂行する目的を以て自国領土内に於て組織されたる武装団隊に対し支持を与へ乃至他国の明示的要求あるも上述団隊に対する援助乃至保護を剥脱するため自国領土内に於て処置を講ずることを拒否する場合如何なる政治的、軍事的乃至経済的性質の考慮も之を以て前項所定の侵略の弁明乃至根拠となすことを許さず

 (昭和八年五月三一日『東京朝日新聞』)

 ケロツグ不戦条約には政策遂行の為めの戦争を否定し居れるも、是れ亦政策なるものの意義に関して何等の解説を与へず甚だ漠然たるものである。クローゼウィッチに依れば「戦争は外交政策の延長なり」と言ひ、政策以外の戦争は無いこととなる。更に又国際間に於ける戦争なるものの定義が頗る曖昧模糊を極めて居る。(八十七字削除)

 斯くの如く侵略の意義は甚だ不明確であるけれども、何れの交戦国と(いへど)も侵略国の焼印を捺されることを極力避けんと力めて居る。欧州戦争は言ふまでもなく、……………戦争に於ても交戦国は双方共に自国を以て天意神命に依る正義の戦であることを内外に宣明して居る。日本や支那に於ては古来「名正しからざれば其の師克たず」と言つて無名の師を忌んで居る。自国の欲望の為めに他国を侵略することは無名の師である。斯くの如き師は内には国民の士気を鼓舞する途でなく、外には世界の同情を博する所以でない。(百四字削除)

 之を以て今の時代は総ての戦争を以て罪悪と断せざるまでも、少くも侵略戦争を恥とする程度にまでは国際道徳が達してゐるのである。

戦争と投機

 軍備縮少は世界の永久平和に達する一道程として国際聯盟の最も重要なる仕事の一つである。聯盟成立以来軍縮会議がジュネーブに開かれること既に十余回、参加諸国は主義として之に反対するもの唯の一国も無きに拘らず、未だに軍縮協定の輪郭だも成立せざる所以は、他国の侵略に対する安全保障の無きが為めである。安全保障とは侵略国に対し実力ある制裁機関の設立に外ならない。併し斯様な機関の設立は尚ほ遠き未来の懸案であつて当面の問題ではない。…………………………………………………………………。

 然る時人間の世界は永久に鉄と血との修羅場でなければならぬのであらうか。それは闘争が人間の本能であるか否かに依つて決する問題である。若し闘争が人間の本能であるとするならば、我等は運命的に神の意思に従つて、世界の人間が唯一人となるまでも闘ひ争はねばならぬのであらう。併し動物と植物とを問はず、如何なる生物と雖も餌と種との目的なくして徒に闘争を楽みとするものはない。人間の闘争も亦食と恋とを得るための手段であるならば、理智を有する人間は文化の進むに従ひ、闘争なくして生き得る途を発見するであらう。素より夫れは遠き遠き我等の子孫の時代である。

 然らば現代に生きる我等の世界が直面せる闘争問題は如何に解決すべきであらう? 戦争の発生する因由は前記の外にも尚ほ種々ある。本来戦争は他の勝負事と同様一種の投機である。投機の歓迎せらるる所以は奇利と興味とである。奇利と興味とを取り去れば投機は自然に消滅するも、奇利と興味との存在する限り法律の厳刑を以てするとも、人間社会から投機を根絶することは恐らく不可能であらう。而して投機は其の規模が大なるに従ひ其の利益と興味も亦大である。戦争は国家の存亡を賭けた人間社会に於ける最大の投機である。然る時戦争の投機には如何なる利益と興味とがあるのであらう。

 観点を替へて戦争に依つて利益を得る者は誰であらうか、戦争に対して興味を感ずる者は誰であるかを考へて見る。先づ(百十七字削除)軍人が戦場の功名心に駈られることは、(十七字削除)士気旺盛の徴であつて決して責むべきでない。

 次に挙くべき者は戦争に依つて巨利を占める軍事関係の資本家であらう。是等の資本家は過去の戦争に於ては所謂戦争成金として莫大の暴富を致したもので、彼等が戦争を欲するのは金儲を職業とする商人としては是自然の心理である。欧州戦争は独逸の兵器製造業者のクルップと英国の夫れのアームストロングとが金儲の為めに仕組んだ人間屠殺劇であると評した人すらある。

 第二に戦争に対して興味を感ずる者は誰であらう。

………………………………………。………………………………………………………………………、野球の選手が対校仕合や国際仕合を望み、美術家が展覧会を望む心理………………………。………………むつかしく言ふよりも寧ろ職務に対する忠実と熱心の為めであると言ふ方が適当かも知れない。優秀の兵器があり、精鋭の軍隊があり、戦争に対する自信が出来れば、………………………………………、……………………腕の力を試して見たくなるのに不思議はない。

 唯恐るべきは戦争に対して夫れ程に興味を有する軍人が政治上に権力を振ふことである。下地は好なり御意は宣しとあつては、如何に道心堅固の人間でも、いつか禁制の果物に手を出すに極つて居る。軍人が政治を左右することは小供がマッチを弄ぶと同様の危険である。欧米の先進国に於て軍人を政治圏外に隔離して居るのは、過去に於て幾たびか此の危険に苦しみたる経験の産物であつて、…………………………………………………………………………………………………………………。独逸の前カイザーは皇帝としてよりも寧ろ大元帥として余りに政治に関心を持ち過ぎたが為めにあの結果に陥つたのである。

 華盛頓条約や倫敦条約に対する海軍の人の不服不満は独り日本の軍人ばかりではなかつた。英国の軍人は米国に比率を与へ過ぎたと言ひ、米国の軍人は日本に比率を与へ過ぎたと不平を言つた。(百五十二字削除)

戦争ファン

 野球其他の競技には必ずファンと称するものがある。之が一面には選手を鼓舞すると共に一面には世間の競技熱を()ふることに於て大なる力を有して居る。戦争といふ大競技にも戦争ファンが無くてはならない。元来ファンなるものは如何なる場合にも興味本位の見物主義であつて、勝敗の責任を分担するものではない。ファンの中最も熱烈なるものが応援団であつて、彼等は選手の勝敗を以て自己の勝敗とまで感ずるものである。

 (五十五字削除)国民大衆は戦へば必ず勝つものと心得、又も戦勝の快味に酔はんが為め戦争を歓迎する者も(すくな)くない。之が即ち戦争ファンである。極端に言へば戦争ファンは軍人の血に依つて自己の快感を貪らんと欲するもので、(四十四字削除)夫れに依つて盛に国民の戦争気分を煽つたり、強硬外交を政府に強要したりする。又その…………ものは甚だ(しばし)好戦部隊の爪牙となり、暴力を以て言論界を迫害し、……………国民の目と耳とから奪ひ去ることすらもやる。

  ………………………………………、………………………………………………朗かな喜色に満ちて居る光景は果して何を物語るものであらうか。戦争ファンの跋扈(ばつこ)する間は国民が平和に目覚めることは困難である。故に戦争ファンの多少に依つて其の国が平和主義であるか、好戦主義であるかの大体を卜知することが出来る。

 (三百三十三字削除)

 だが併し、時代は進み人心は転化した。戦争成金も、戦争ファンも、今では漸く過去のマンモスと化しつつある。欧州戦争中欧州交戦国に於ては戦時利得税として収益の八割九割を国庫に徴収した。素より之は主として経済財政上の理由に依るものであつて深く社会思想に根底するものではなかつた。併し現今の社会思想は当時に比して遥かに進歩して居る。無産者出身の軍人が国家に身命を捧げて戦ふ時、資本家が国難に乗じて暴富を積むことを、一九三〇年代の人間は許すものではあるまい。単に許さぬばかりでなく、軍人は生命すらも犠牲に供して居るる際、資本家は其の財産を国家に献納すべしといふ産業奉還論すら起るかも知れない。(四十六字削除)今後の戦争は産業革命と経済機構の転換とを予約するものである。今にして尚ほ戦争成金を夢みて戦争を歓迎謳歌する資本家や事業家が有りとすれば、世相人心に対する認識不足の甚だしきものであると言はねばならない。

戦争消滅の最捷路

 先般大阪及東京などの主要都市に於て頗る大規模の防空演習が行はれた。之は果して何を国民に教へたものであらう。飛行機が兵器として発達して以来、敵の重要都市に対する空襲は最も有効なる戦術として各国共に其の研究と計画とに努力して居る。空中襲撃は戦闘員と非戦闘員との差別なく、婦人も、子供も、老人も、一律に爆撃の的となるのである。以前の戦争は軍人といふ選手のみに依つて戦はれ、一般国民は戦争ファンとして戦勝の提灯行列に出れば良かつたのであるが、今日の戦争は所謂国民総動員で軍人非軍人の別なく、国民全体の戦争であるといふことは、殆んど世間の常識とまでなつて居る。即ち一般国民は戦争ファンとして興味本位の見物人でなく、選手として敵の攻撃の下に立たねばならなくなつたのである。娘さんも慰問袋の恋文を考へてゐる間にいつ爆撃に見舞はれるかも知れず、軍隊送迎の貴婦人が美服の競争をやつてる間にいつ毒瓦斯にやられるかも知れない。(四百十五字削除)

 非戦闘員の生命財産を保護尊重した戦時国際公法なるものは欧州戦争に依つて殆んど完く破壊し尽された。元来戦争は国家の意思の発動であるから戦争の責任は独り戦闘員ばかりでなく国民全体が負ふべきものである。(三十七字削除)極端に言へば戦争を開始した者は生命に別条なき非戦闘員かも知れないのである。然るに国際公法が非戦闘員に対してのみ特別の保護を与へたことは理論としては甚だ不可解である。斯くの如く戦争をスポーツ視するが故に生命財産の尊重せられる非戦闘員は戦争ファンとなつて戦争熱を煽るのである。

 人間社会から戦争を絶滅することが出来るとせば其の方法如何?。第一に個人の闘争と同様教化に依つて内的に人間の頭を改善することである。第二に超国家機関に依つて犯罪国に対し膺懲の体罰を課することである。第三に戦争に必要なる一切の軍備を各国から撤廃することである。併し是等は尚ほ遠き未来のことであつて現実当面の問題ではない。

 そこで戦争の消滅を可能ならしむる最も捷き途は科学の進歩に伴ふ新兵器の出現と之が活用とに依つて戦争を極端に残虐化し、人間をして真に戦争を恐怖せしむることである。飛行機の出現だけでも戦争ファンに対して大警戒を与へたるもので、戦争成金の夢破れた資本家の自覚と相待つて、戦争の煽動を軽減したことは蓋し鮮少ではないであらう。

 機械の力を以て人間を屠殺する戦争を是認しながら、都市空襲は非人道的だとか、毒瓦斯使用は野蛮的だとか言ふのは、道徳の仮面を被つて自己の安全を欲する公法学者の利己主義と言はれても弁明の道は無いであらう。斯かる不徹底なことを言つてる間は戦争は断じて消滅しない。

「厳重抗議」と「断然一蹴」

 日本は今や…………………………全国に(みなぎ)つて居る。(三十五字削除)対外政策は対支は勿論、対露、対米、対英と強硬一点張りで突き進んで居る。国際聯盟に於て満洲問題に関し四十二対一で世界に孤立した際、時の外務大臣は議会の壇上から「国を挙げて焦土と化すとも辞せず」と叫んで焦土外交の名を世界に(とどろ)かし、(四十五字削除)正に人触るれば人を斬り馬触るれば馬を斬るで、「厳重抗議」と「断然一蹴」とが新聞紙上に現はれる日本外交の常套(じようとう)語となつて居る。之をしも自主的外交となん呼ぶんださうである。

 何時の時代に於ても又何れの国に於ても、国民大衆は常に必ず対外硬論を悦ぶものである。事実の真相を知らず、自己の実力を弁せず、結果に対する責任なき者に取つては、硬論ほど聞ひて気持よく、語つて語り易いものはない。硬論には理論も思慮も分別も要しない、唯国家の体面と威信とを一枚看板として悲憤慷慨(こうがい)すれば国民はヤンヤと喝采するのである。(二十七字削除)独り負嫌ひは江戸つ子ばかりではない。支那の政治家は実力に於て到底日本に抵抗し得ないと知りながらも、対日硬を唱へなければ国民の信望を保つことが出来ないのである。実際の利害よりも面目の感情に捕はれるのが、支那人ばかりでなく東洋民族の通有性である。それが唯心的で難有い点かも知らぬが、斯くの如き国民を有する国に在て外交の協調に当らねばならぬ外交官は不運である。

 近代に於ける我国外交の最初の犠牲者は大老井伊直弼である。時の責任政治家たりし彼は日本を外国の呑噬(どんぜい)より救はんとして国を開き、却つて売国奴の名の下に桜田門外に暗殺され、今尚ほ其の汚名を国民の耳から拭ひ去ることが出来ない。日露講和条約を締結したる全権小村寿太郎氏も亦君命を異域に辱かしめたるものとして一世の非難を集中された。倫敦条約の締結者たる浜口首相、若槻全権、財部大将等が五・一五事件の青年将校によつて国賊扱ひされたのは最近の事である。協調主義の幣原外交を軟弱外交と呼ぶことは今では国民の常識とまでなつて居る。

 ポーツマス条約が失敗でなかつたことを最も好く知つて居た者は時の参謀総長山県元帥であつた。……………………………………………………………………。然るに実情に疎き大衆は硬論の叫ばるるところ翕然(きゆうぜん)として響の如く之に応ずるのである。世の中は矢張り盲目千人である。

 もし夫れ幣原外交に至りては或は軟弱と(ののし)り、或は追随と誹り、之を幣原氏人格の弱点に帰する者すらある。強硬是か、協調非か、それは人々の見解と所信との問題である。時と処とに応じて取捨と賛否とを異にするであらう。唯併し硬論を吐いて大衆を(おだ)てるは易く、正論を説いて国民を導くは難い。四面楚歌の暴風裡に立つて敢然国家の為めと信ずるところに邁進したる幣原外相は寧ろ大勇の人である。(二十七字削除)国際協調を説くことが遥かに大なる勇気と強き愛国心とを要する。

 日本国民の外交観念は主張の貫徹のみあつて互譲の協調はない。(あたか)も外交折衝と軍隊命令とを混同錯視せる観がある。外交使節の出発を送くること恰も出陣の軍隊を送くるが如く、闘志満々最初から喧嘩腰である。十年苦心の地味な協調外交が認められずして「断然一蹴」の決裂外交が歓迎され喝采される。(五十七字削除)対外対内の板挟みとなる今の日本の外交官も亦辛いかなであらう。

平和と戦争反対

 斯くの如き国と今の様な時に於て平和を説いて戦争に反対することは、燃え盛かる火事を消す為めに風下から小便を掛けると同じ程度の間抜けと笑はれるかも知れない。人は言ふ、「日本は今非常時である国論を統一して挙国一致せねばならぬ」と。国論なるものは果して統一され得るや否やは別とし、若し統一されるとせば如何に統一さるべきであらう。…………………………………………………………………………………………。左れば国論も亦国策たる平和主義に統一さるべきものである。然るに今の日本に於ては平和主義が動もすれば非愛国的であると言はれるのも、之も非常時の非常時たる所以であらうか。

 (かつ)ては平和主義の為めに堂々の論陣を張つた多くの新聞紙も(四十五字削除)平和の活字は全国の新聞紙面から抹殺された観がある。

 (八十一字削除)元来平和と…………とは密接不可離といふよりも寧ろ異名同質のものであつて、恰も火と熱との如き関係を有して居る。火を起せば必ず熱を発し、熱極まれば必ず火を発すると同様、平和を保つ為めには是非とも……………せねばならず、……………すれば平和は自然に生まれるのである。火から熱を取り去ることが絶対に出来ないと同様、平和から……………………亦絶対に出来ない。併し火を起す為めに熱が生ずるのと、熱を得んが為めに火を起すのとは結果は同じであつても、意識の上に於ては火を目的とするものと熱を目的とするものとの相違がある。平和………………も之と同じ関係を有して居る。

 平和を目的………………………するものは、目的たる平和が破裂したる場合は……………………解消する訳である。之に反し………目的とするものは従ひ平和が破れても………………消滅しない。(百八十字削除)

 然るに其後僅に二年愈欧州の天地が硝煙に塞さるることとなると、各交戦国の社会党は前年の決議を放棄して戦争を是認し、銃を取つて往年の同志と戦場に対峙するに至つたのである。此時前の決議を飽まで尊重して戦争に反対したる者は英のマクドナルド、仏のジョーレ、独のリ−プクネヒト等の極めて少数者に過ぎなかつたので、第二インターナショナルは天下の物笑ひとなつて消滅したのである。併し之が為めマクドナルドは戦争中…………………友人故旧より絶縁されるの苦境に陥つたが終に主張を曲げなかつたので、戦後其の高潔なる人格と信念の強固とを認められ、今は大英国の首相として活躍して居る。ジョーレは仏国社会党の重鎮として国民多数の尊信を博して居たが、開戦の間際に於て下手人不明の凶漢の為めに巴里の飯屋で暗殺され、戦後議会の決議に依りてパンテオンに国葬された。リープクネヒトは(七十八字削除)同志のローザルクザンブルグ女史と共に暗殺された。

日本対英米露戦

 (百三十一字削除)

 それは必ずしも杞憂ではない。一九三五、六年の於ける海軍軍縮の改定、一九三五年聯盟脱退実現に伴ふ南洋委任統治問題、満洲問題の結末、対日経済の重圧、等、等。そこには戦争の芽をふくべき戦争の種子が蒔かれてある。

 (百七十六字削除)

 日本は今あまりに多くの国際事件を持ち過ぎて居る。言ひ換へれば余りに多くの敵を持ち過ぎて居る。

 国際聯盟の四十二対一の関係は別とし、動もすれば日本と衝突の危険ある国は北に露西亜あり、東に米国あり、西に英国がある。自今日本に対して戦争を為し得る国は、世界国多しと(いえど)も是等三国の外にはない。而して日本は今是等の何れの国との関係も決して円満ではない。露西亜とは………………………睨み合ひ、英国とは貿易問題で(いが)み合ひ、米国とは宿昔の因縁に依つて背を向け合ふて居る。

 日露の衝突は露西亜側に於て極力避けるであらうことは推想に難くない。併し(十九字削除)西部国境の不安が除去さるれば東部に力を集中するであらう。(四十二字削除)露西亜の共産主義は全世界の脅威であり、仇敵である。日露戦へば世界は無論日本に味方するとの楽観論者が相当に多い様である。問屋が若し斯く卸して呉れれば日本の為めに万歳である。

 併しながら国際間の向背は主義よりも、政策よりも利益の問題である。資本主義の大本山たる米国すらも露西亜を承認せんとする今日、共産主義と其の宣伝とに対する世界の恐怖は著しく軽減されて来た。

 (百四十三字削除)

 次に日本は英米と共に、懸値でもなく、己惚(うぬぼれ)でもなく、現代世界の三強国である。但し三大国であるとも三富国であるとも言はない。此の三国の関係は恰も鷸蚌(りつぽう)と漁夫との如く、何れの国も自ら漁夫たらんとして眈々(たんたん)目を光らして居る。若し日本が漁夫たるの地を捨てて米国又は英国と戦争を始めたる場合、他の一国即ち英国又は米国の向背が絶対に勝敗を決するのである。

 之に就いて好戦国民中には英米間の経済競争と国民反感とは遥かに日本に対するよりも強烈で且つ深刻である。即ち米国は日本よりも英国が、又英国は日本よりも米国が、金の敵として一層悪いのである。故に日米戦は、英国は日本を、日英戦は、米国は日本を援けるであらうと自己慰籍に耽つて居る者がある。之も当て事と何とかで、向ふより外づれなかつたら日本の為めに至幸である。

 英国と米国との競争反目の烈しいことは世界に隠れなき事実である。併しそれは何処までも算盤の上での競争であり、体面の上での反目である。(四十七字削除)だから金持喧嘩せずで、英米を戦はしめて日本が漁夫の利を占めることは、今の処殆んど見込はない。

 (五十九字削除)英国に取りても、米国に取りても、日本は誠に気味の悪き存在である。斯の如き情勢の下に於て日本か、米国か、何れか一方を倒さなければならぬ場合に於て英国は、日本か、英国か、何れか一方を倒さなければならぬ場合に於て米国は、果して何れに向つてピストルの筒口を向けるであらう。

 欧州戦争に於てさんざん儲けた揚句遂に軍国主義の独逸を倒した米国の心埋は、日英戦争の場合に於ても日本に対する心理であり、それは又日米戦争の場合に於て英国が日本に対する心理でもあるのであらう。

 英国も、米国も、単独で日本と戦ひ、他に漁夫の利を占めさすことを絶対に好まぬであらう。(九十六字削除)其の場合日本に対する仏国の応援などは問題ではない。若し仏国が日本に与せば独逸は英米に従ふに極つて居る。是れ仏国の自滅である。仏国はイヤでも英米に反くことの出来ない運命にある。

 日本海軍が英米連合艦隊と戦ふとせば、その勢力の比は大体に於て十対三乃至十対三半である。対米六割ですら国防の安全が保てないと言ふ日本海軍従来の主張に照らせば、共の結果は述べる必要はない。英米が単独では決して日本と戦はないといふ所に日本の執るべき策が無くてはならぬ。即ち何れか一方と緊密なる親善関係を保つことを得ば、太平洋の波は日本に取りて常に静かなのである。(百二十字削除)

 (九十六字削除)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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水野 廣徳

ミズノ ヒロノリ
みずの ひろのり 明治から昭和時代にかけて海軍軍人で評論家 1875(明治8)5・21~1945(昭和20)4・3 松山市生れ 第一次世界大戦中の欧米に私費留学。近代戦の悲惨を体験し、愛国的見地から戦争否認の平和主義思想を持つ。新聞、雑誌に発表した評論の民主的主張が問題になり海軍を退職。

掲載作は、1931(昭和6)年11月『改造』に掲載、「水野廣徳著作集6巻」(1995年雄山閣出版刊)所収。検閲による文章削除と伏せ字により一部読解が困難なところがある。当時の出版検閲の激しさが判る。1932(昭和7)年には第二次世界大戦、特に日米航空戦を予測した小説『興亡の此一戦』を刊行、発売禁止になった。

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