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般若心經講義(抄)

     

 

 いつたい佛教の根本思想は何であるかといふことを、最も簡明に説くことは、なかなかむづかしいことではあるが、これを一言にしていへば、「(くう)」の一字に帰するといつていいと思ふ。だが、その空は、佛教における一種の謎で、いほば公開せる秘密であるといふことができる。

 何人(なんぴと)にもわかつてゐるやうで、しかも誰にも本当営にわかつてゐないのが空である。けだし、その空をば、いろいろの角度から、いろいろの立ち場から、いひあらはしてゐるのが、佛教といふをしへである。

  ところで、その空を『心經』はどう説明してゐるかといふに、「色即是空(しきそくぜくう)」と、「空即是色(くうそくぜしき)」の二つの方面から、これを説いてゐるのである。すなはち、「色は即ち是れ空」とは、空のもつ否定の方面を現はし、「空は即ち是れ色」とは、空のもつ肯定の方面をいひあらはしてゐるのである。したがつて、「空」のなかには、否定と肯定、無と有との二つのものが、いはゆる弁証法的に、統一、綜合されてゐるのであつて、空を理解するについて、まづわれわれのはつきり知つておかねばならぬことである。

 次に空をほんたうに認識するについて、もう一つ大切なことがある。それは「因縁」といふことである。『心經』には因縁について一言も説いてはゐないが、因縁を十分に理解しないと、どうしても空はわからないのであつて、端的にいへば、空と因縁とは、表裏一体の関係にあるのである。申すまでもなく因縁とは、「因縁生起」といふことで、世間のこと、一切はみな悉く因縁の和合によつて生じ起るといふことである。もとよりこのことは、説明を要しない自明の理であるにも(かかは)らず、われわれはこの自明の理にたいして、平素あまりにも無関心でゐるのである。即ち「因」より直接に果が生ずるが如く考へて、因縁和合の上の結果であることに気づかないのである。しかもこれがあらゆる「迷ひ」の根源となつてゐるのである。即ち凡夫の迷ひとは、つまり因縁の理を、如実にさとらないところにある。別言すれば、因縁の真理を知らざることが「迷ひ」であり、因縁の道理を明めることが「悟り」であるといつていい。

 おもふに今日、一部の目覚めたる人を除き、国民大衆の殆どすべては、いまだに虚脱と昏迷の間をさまようて、あらゆる方面において、ほんたうに再出発をしてゐない。色即是空と見直して、空即是色と出直してゐない。所詮、新しい日本の建設にあたつて、最も大切なことは、「空」観の認識と、その実践だと私はおもふ。このたび拙著『般若心經講義』を世に贈る所以(ゆゑん)も、まさしくここにあるのである。この書が、新日本文化の建設について、何らか貢献するところあらば、著者としてはこの上もない欣びである。

  昭和二十二年春

        東京 鷺宮 無窓塾   高神 覚昇

 

第一講 真理(まこと)の智慧

 

   般若波羅蜜多心經

      (一切智に帰命し奉る)

 

 心經の名前

 ここに『般若心經(はんにやしんきやう)』の講義をするに当りまして、最初にはしがきとして、『心經』の經題(なまへ)即ち『般若心經』といふ名前に就いて、お話しておきたいと思ひます。さてこの『般若心經』は、普通には単に、『心經』と申してをりますが、詳しくいへば、『般若波羅蜜多心經(はんにやはらみたしんぎやう)』といふのであります。いつたい、一口にお經と申しましても、昔から八萬四千の法門といはれるくらゐで、佛教の聖典の中には、随分沢山のお經があります。然しその数あるお經の中で、この『心經』ほど、首尾の一貫した、まとまつた、しかも簡単なお經

は他にないのであります。『心經』は全部で、その字数はたつた二百六十字しかありません。尤も、私どもが日頃読誦(どくじゆ)してをります『心經』には「一切」といふ文字がありますから、結局二百六十二字となりますが、すでに弘法大師も、

「文は一紙に欠け、行は則ち十四、謂ふべし、簡にして要、約にして深し」

 といつてゐるやうに、全くこんなに簡単にして明瞭なお經は決して他にないのであります。

 天下第一のお經

 次にまた、その名前のよく知れ渡つてゐるといふ点では、あの『論語』にも匹敵するのであります。そして論語が天下第一の書といはれてゐるやうに、この『心經』もまた昔から天下第一の「經典」といはれてゐるのであります。とにかく、佛教のお經といへば『心經』、『心經』といへば佛教を聯想するといふ程、このお經は、昔からわが日本人とは、極めて縁の深いお經なのであります。

 繪心經のこと

 今日『繪心經(ゑしんぎやう)』といつて、文字の代りに、一々繪で書いた『心經』が伝はつてをりますが、これは、俗に『めくら心經』、または『座頭心經』などとも申しまして、文字の読めない人々のために、特にわざわざ印刷せられたものでありますが、それによつても、古来いかに広く、この『心經』が一般民衆の間に普及し、徹底してをつたかを知ることができるのであります。ところで、今回お話し申し上げようと思ふ『心經』のテキストは、今より丁度一千二百八十余年以前(昭和九年の放送時現在より)、かの三蔵法師で有名な中国の玄奘三蔵(げんじやうさんざう)が翻訳されたもので、今日、現に『心經』の訳本として、だいたい七種類ほどありますが、そのうちで『心經』といへば、ほとんど凡て、この玄奘三蔵の訳した經本を指してゐるのです。ところが、前以て一寸お断りしておかねばならぬ事は、平生(ふだん)、私どもが読誦してゐる『心經』には、『般若波羅蜜多心經』の上に、「摩訶(まか)」の二字があつたり、更にまた、その上に「佛説」といふ字があるといふことです。学問上からいへば、いろいろの議論もありますが、別段その意味に於いては何ら異ることがありませんから、このたびは玄奘三蔵の訳した經本によつて、お經の題号(なまへ)をお話してゆかうと存じます。

 書物の題とその内容

 凡そ「題は一部の惣標(そうへう)」といはれるやうに、書物の題、即ちその名前といふものは、その書物が示さんとする内容を、最もよく表はしてゐるものです。尤も今日、店頭に現はれてゐる書物のうちには、題目と内容とが相応してゐないどころか、まるつきり違つてゐるものも、かなり多くありますが、お經の名前は、だいたいに於いて、よくその内容を表現してゐるとみてよいのです。例へば、經典のうちでも、特に名高いお經に、『華厳經(けごんきやう)』といふお經があります。これは我が国でも、奈良朝の文化の背景となつてゐる有名なお經なのですが、ちやうど『心經』を詳しく『般若波羅蜜多心經』といふやうに、このお經を詳しくいへば、『大方廣佛華厳經(だいはうくわうぶつけごんきやう)』といふのです。さてこのお經は佛陀になられた釈尊の、その自覚(さとり)の世界を最も端的に表現してをるお經ですが、その「大方廣」といふ(ことば)は、真理といふことを象徴した言葉であり、「華厳」とは、花によつて荘厳(しやうごん)されてゐるといふことで、佛陀への道を歩む人、すなはち「菩薩(ぼさつ)」の修行をば、美しい花に(たと)へて、いつたものです。で、つまり人間の子釈尊が、菩薩の道を歩むことによつてまさしく真理の世界へ到達された、さうした佛陀のさとり

を、ありのままに描いたものが、即ちこの『華厳經』なのであります。

 法華經のこと

  ところで、この『華厳經』といつも対称的に考へられるお經は『法華經(ほけきやう)』です。平安朝の文化は、この『法華經』の文化とまでいはれてゐるのですが、この『法華經』は、くはしくいへば『妙法蓮華經(めうほふれんげきやう)』で、これは『華厳經』が「佛」を表現するのに対して、「法」を現はさんとしてゐるのです。しかもその法は、妙法といはれる甚探微妙(じんじんみめう)なる宇宙の真理で、その真理の法はけがれた私たち人間の心のうちに埋もれてをりながらも、少しも汚されてゐないから、之を蓮華(れんげ)に譬へていつたのです。

 いつたい蓮華は清浄(しやうじやう)な高原の陸地には生えないで、却つてどろどろした、汚い泥田のうちから、あの綺麗な乗しい花を開くのです。「汚水(どろみづ)をくぐりて(きよ)き蓮の花」と、古人もいつてゐますが、さうした尊い深い意味を説いてゐるのが、この『法華經』といふお經です。自分の家を出て他所(よそ)へ「()く」その時のこころもちと、わが家へ「還る」その気もち、真理を求めて往くそのすがたと、真理を把み得て還るその姿、若々しい青年の釈尊と、円熟した晩年の釈尊、私はこの『華厳經』と『法華經』とを手にするたびに、いつもさうした感じをまざまざと味はふのです。

 右のやうなわけで、お經の名前は、それ自身お經の内容を表現してゐるものですから、昔から、佛教の聖典を講義する場合には、必ず最初に「題号解釈(だいがうげしやく)」といつて、まづ題号(なまへ)の解釈をする習慣(ならひ)になつてゐます。で、私も便宜上、さういふ約束に従つて、序論として、この『心經』の題号に就いて、(いささ)かお話しておきたいと存じます。

 般若といふこと

 さていま『般若波羅蜜多心經』といふ字の題を、私はかりに、「般若」と、「波羅蜜多」と、「心經」との、三つの語に分析して味はつてゆきたいと存じます。まづ第一に般若といふ文字ですが、この言葉は、昔から、かなり日本人にはなじみ深い(ことば)です。例へば、お能の面には「般若の面」といふ恐ろしい面があります。また謡曲(うたひ)の中には「あらあら恐ろしの般若声」といふ言葉もあります。それからお坊さんの間ではお酒の事を「般若湯(はんにやたう)」といひます。又あの奈良へ行くと「般若坂」といふ坂があり、また般若寺といふお寺もあります。日光へゆくとたしか「般若の瀧」といふ瀧があつたと思ひます。かういふ様に、とにかく般若といふ語は、われわれ日本人には、いろいろの意味に於て、私どもの祖先以来、たいへんに親しまれてきた文字であります。しかし、この般若といふ言葉は、もともと印度の語をそのまま写したもので、梵語(サンスクリット)でいへばプラジュニャー、巴利(パリー)語でいへばパンニャーであります。ところで、そのプラジュニャーまたはパンニャーを翻訳すると、智慧といふことになるのです。智慧が即ち般若です。然し、般若を単に智慧といつただけでは、般若のもつ持ち味が出ませぬから、しひて梵語の音をそのまま写して、「般若」としたのであります。こんな例は、佛教の専門語には沢山ありますが、いつたい一口に智慧といつても、その智慧には、いろいろな智慧があります。「智慧のある馬鹿に親爺は困りはて」といふ川柳がありますが、あの智慧のある馬鹿息子がもつてゐるやうな、そんな智慧は決して、般若の智慧ではありません。元来、佛教ではわれわれ凡夫の智慧をば、佛の智慧と区別して、単に(しき)といつてをります。

 愚痴と智慧

 その識とはつまり迷ひの智慧のことです。愚痴といふ智慧が、この識です。愚痴の痴は(漢字部首の)ヤマイダレに知といふ字ですから、つまり智慧が病気にかかつてゐるわけです。従つて、それはもちろんほんたうの智慧ではありませぬ。いつたいものの道理を、真に(わきま)へないから、いろんな悶え、悩み、即ち煩悩(ぼんなう)が出てくるのですが、愚痴は、つまりものの道理をハッキリ知らないから起るのです。で、人間が佛陀になることを、識を転じて智を得るといつてをりますが、それは結局、迷ひを転じて悟りを開くといふことと同じ意味で、要するにわれわれ迷ひの人間が、悟れる佛陀になるといふことです。ところで、(ここ)にいふ般若の智慧とは、決して愚痴といはれ、識といはれる、人間のもつてるる浅薄(あさはか)な智慧ではないのです。それは知らざるもの、眠れるもの、迷へる人間の智慧ではなくて、知れるもの、目覚めたるもの、悟れる人の智慧です。それは宇宙の真理を体得した、佛陀(覚者)のもてる智慧です。真理の智慧、真理を悟つた智慧、それがとりも直さず般若の智慧であります。

 ものの道理

 さてここで、一言申し添へておきたいことは、真理といふことです。真理とは何ぞや? といふことを、開き直つて研究するとなると、大へん面倒な、むづかしいことになりますし、またそれを学問的に説明してゐる余裕(ゆとり)もありませぬが、一言にして真理とは何かといへば、それはつまり、いつ、どこでも、何人(なんぴと)も、きつと、さう考へねばならぬもの、それが真理です。

 むづかしくいへば、普遍妥当性と思惟必然性とをもつたものが真理です。時の古今、洋の東西を問はず、いつの世、いづれの処にも適応するもの、誰しもさうだと認めねばならぬものが真理です。古今に通じて(あやま)らず、中外に施して(もと)らざる、ものの道理、それが、とりも直さず真理です。西洋の諺に、「真理は時代の娘」といふ言葉がありますが、真理こそ、永遠の若さをもつたものです。真理はまさしくいつの時代にも若鮎のやうに溌剌とした若々しい綺麗な娘です。創造し、活動して、止まぬもの、それが真理です。けだし、永遠に古くして、且つ、永遠に新しいもの、それが真理です。いや、永遠に古いものにして、始めて永遠に新しいものだ、といふことができるのです。真理といへば、真理についてこんな話があります。それはたしか、シルレルのの書いたものだと思ひますが、「蔽はれたザイスの像」といふ話です。

 真埋への思慕

 その昔、知識に餓ゑた一人の青年がありました。彼は真虞理の智慧を求むべく、埃及(ヱヂプト)のザイスといふ所へ行きました。そしてそこで、彼は一所懸命に真理の智慧を探し求めたのでした。しかし、求める真理の智慧ほ容易に(もと)め得られませんでした。ところが、ある日のこと、彼は師匠と二人で、静かな、ある秘密の部屋の中に坐つたのでした。そこには白い(しや)に蔽はれた一個の巨像が、森厳(しんごん)そのもののやうに立つてゐたのです。その時、青年は突然、師匠に(むか)つて、この巨像が何者であるかを尋ねました。

 「真理!」

 それが師匠の答へでした。これを聞いた青年は、おどろき、且つ喜びました。そして、思はず、

 「つね日頃、自分が尋ね索めてゐる真理は、ここに隠されてゐたのか」

 と叫びました。

 その時、師匠は厳かに青年にいひました。

 「神自らが、この蔽ひを、脱がせ給ふまでは、決して、人間の(きよ)からぬ罪の手で、取り去つてはならぬ」

 と。しかし、思ひに悩んだ、その青年は、諦めても、あきらめても、容易にそれを、あきらめきれなかつたのです。

 その夜、深更(しんかう)、ひそかに、彼はかの巨像が立てられてある部屋の中へ忍びこんで行きました。そこには、円天井の高い窓から、蒼白い月の光がさして、白い紗に蔽はれた森厳な巨像は、銀色に照されてゐました。

 幾度も、幾度も、ほんたうにいくたびも、ためらつた後、たうとう彼は意を決して、その蔽ひを、とり去つてみたのです。

 みたものは、果して何であつたでせうか? 翌朝(あくるあさ)、人々は白い紗に蔽はれた巨像の下に、色青ざめて横たはる一人の青年の、冷たい(しかばね)を見出しました。かの青年がみたもの、かの若者が経験したもの、彼の舌は、永遠にそれを語らなかつた。

 「正しからざる方法によつて、真理を尋ね捉へんとしても、それは結局、無駄な骨折りに過ぎない」

 と、最後に詩人は教へてゐます。

 けだし世に、真理を尋ね求める人は極めて多い。しかし、それを探し求め得た人は、また極めて少いのです。私どもほ、決しでかの青年であつてはならないのです。正しからざる方法によつて、ザイスの巨像を見んとした、あの若者であつてはならないのです。私どもは、どこまでも、真理への道を辿る、敬虔な求道者でなくてはなりません。しかも、真面目に、真理を思慕し、探究するものによつてのみ、真理は始めて把握し得られるのです。

 道理と智慧

 話がつい横道へ()れましたが、般若の智慧を、佛教では、実相と観照との二つの方面から説明してをります。実相とは真理の客体で、観照とは真理の主体です。何人(なんぴと)も認めねばならぬ、ものの道理と、それに合致する智慧が、つまりこの実相と観照との二種の般若です。そして、その般若の道理と智慧とを、文字によつて示したものが、即ち文字般若(もじはんにや)です。(いづ)れにしても、これからお話し申上げようとする『心經』ほ、要するに永遠に古くしてしかも永遠に新しい般若の真理を、雄弁に且つ力強く主張してゐるお經なのです。いつ、どこでも、何人(なんぴと)も、必ずさう信ぜねば、不朽の真理を、極めて直截簡明(ちよくさいかんめい)に説いてゐるのが、この『心經』です。般若の哲学、それは決して古い印度の哲学ではありません。般若の宗教、それは断じて、亡びた過去の宗教ではないのです。昔も今も、今日も明日も、いや未来永劫に光り輝く、人生の一大燈明なのであります。

 つまらぬものは一つもない

 ところで、いまこの般若の智慧によつて、この現実のわれわれの世界を眺めまするならば、事々物々、一つとして役に立たぬつまらぬものはないのです。あの「つまらぬといふは小さき智慧袋」といふ一句が、極めて巧みに物語つてゐるやうに、真理への眼が開けたものにとつては、この世界につまらぬものは一つとして存在してゐないのです。「医王の眼には百草みな薬」です。つまらぬといふのは、ものがつまらぬとか、話がつまらぬといふのではなくて、つまり、おのれの智慧袋が小さいからなのです。一度び般若といふ、大きい智慧によつて観照するならば、つまらぬどころか、何れもみな貴い真理の表はれです。ロングフェローの「建築師」といふ詩の中にこんな言葉があります。

 

  世の中に、無用のものや、卑しいものは、一つもない。

  すべてのものは、適所におかれたならば、最上のものとなり、

  殆んど無用の如く見えるものでも、

  他のものに力を与へると共に、その支へともなる。

  私たちの建築に供給するために、時の中には、材料が一杯になつてゐる。

  私たちのもつ今日や明日は、

  私たちの建築の有力な材料である。

 

 と。たしかに味はふべき言葉だと思ひます。

 平凡な一日と貴重な一日

 今日や明日といふ日は、それこそ何でもない平凡な一日

です。しかし、その平凡な一日が集まつて、私どもの人生を作つてゐるのです。したがつて、つまらぬどころか、後にも先にもない貴い一日

です。昨日を背負ひ、明日を(はら)める、尊い永遠の一日です。結局、一日をつまらぬ一日にするか、貴い一日にするか、それはつまり私ども互の心持です。心のもち方です。ものそのものが、つまらぬのではなくて、それを見る、それを受けとる智慧袋が小さいわけです。この『心經』に織りこまれてゐる、般若の智慧によるならば、世の中のもの、皆すべてつまらぬものはないのです。いや、すべては互に裏となり表となり、(かげ)となり、(ひなた)となつて、生かし、生かされつつある貴い存在(もの)なのです。まことに、「つまらぬといふは小さき智慧袋」です。私どもは、少くとも私どもがお互に誰でもが持つてゐる霊性、即ちこの般若の智慧を磨くことによつて、一切のものの生命(いのち)を、より尊く、より立派に活かしてゆかねばうそだと思ひます。

 波羅密多といふこと

 次に波羅蜜多(はらみた)といふことは、般若と同様に、梵語の音そのままを写したものでありまして、原語はパーラミターといふのです。ところで、いまそれを翻訳いたしますと、彼岸に到る、即ち「到彼岸」といふ意味になるのです。しかし今日一口に彼岸といふと、誰でもすぐにあの「暑さ寒さも彼岸まで」といふ春秋二季の彼岸を思ひ起すのです。一年中で一ばんよい時候、春と秋との皇霊祭を彼岸の中日として、その前後三日の間、合せて七日間を彼岸と名づけてをりますが、世間では、時候のよい、暮しよい時が彼岸だと考へてゐます。しかし彼岸の七日間は時候がよいといふので、遊びまはつたり、物見遊山に出かけるときではないのです。お寺参りをするとか、お墓まゐりをするとか、つまり祖先のおまつりをして祖先の御恩を偲んで、それを感謝すると共に、自分の生活を静かに反省して修養すべき時が彼岸です。「けふ彼岸さとりの種を蒔く日かな」で、菩提(さとり)のたねをまく日が彼岸です。いつたい、佛教では、この現実の世界、すなはち迷へる私たちの不自由な世界をば、この岸、即ち「此岸(しがん)」といひます。これに対して、理想の世界、悟れる自由な世界を称して、かの岸、即ち「彼岸(ひがん)」といつてゐます。故に波羅蜜多とは、つまり、此岸より彼岸へ渡る事、つまり人生の目的地(ゴール)へ入ること、ゴール・インすることです。従つて、古来、簡単に之を「()」とも訳してをります。度とは「わたる」といふことで、この岸から向うの岸へ渡ることです。ところで、佛教の理想(さとり)の世界、即ち彼岸とは、つまり佛陀の世界ですから、彼岸へ到達するとか、彼岸へわたるとかいふことは、結局、佛となるといふことです。故に彼岸といふことは、要するに、佛教の理想、目的をいひ表はしたことになるのであります。よく私どもは「佛教とはどんな教か」と質問されることがありますが、その時私は簡単に、「佛教とは佛陀の教だが、その佛陀の教とは、つまり人間が佛になる敦だ」と答へてゐます。佛となる教、成佛の教、それが佛教です。ところでこの比岸から彼岸へ渡る場合に自分独りで渡るか、それとも大勢の人々と一緒に渡るかといふことに於て、自然ここに、「小乗」「大乗」との区別が生じてくるのです、小乗とは小さい乗り物、大乗とは大きい乗り物のことです。早い話が、自転車は一人しか乗れないが、汽車や汽船になると、何百人何千人が一緒に乗つて、目的地へ行く事ができるのです。小乗と大乗との関係も、丁度それと同じことです。少くとも佛教の根本目的は「我等と衆生と、皆共に佛道をを成ぜん」といふことです。「同じく菩提心を(おこ)して、浄土へ往生せん」といふことです。従つて小乗は単数、大乗は複数です。小乗は「私」ですが、大乗は「我等」です。小乗は自利、大乗は自利、利他です。自利とは自覚、利他とは覚他です。自覚は当然覚他にまで発展すべきです。覚他にまで発展しない自覚では、ほんたうの自覚ではありません。従つて小乗より大乗の方が、本当の佛教であり、民主主義(デモクラシー)もつまりは大乗主義であるといふことはいふまでもありません。

 心經の二字に就て

 次に『心經』といふことでありますが、ここで「心」といふのは、真髄とか、核心とか、中心とか、いつたやうな意味で、つまり肝腎(かなめ)といふことです。ところで、いつたい何の核心であるか、何の中心であるか、といふ事に就いては、いろいろと学者の間にも議論がありますが、要するに、この『心經』は、あらゆる大乗佛教聖典の真髄であり、核心だといふのです。

従つて『般若心經』といふ、この簡単なる經典(おきやう)は、ただに『大般若經』一部六百巻の真髄、骨目(こつもく)であるのみならず、それは実に、佛教の数ある經典のうちでも、最も肝腎要の重要なお經だといふことを表はしてゐるのが、この「心經」といふ二字の意味です。

 經といふこと

 それから最後に「經」といふ字でありますが、元来この經とは、梵語のスートラといふ字を翻訳したもので、それは真理に(かな)ひ、衆生(ひとびと)機根(せいしつ)に契ふ、といふところから「契經(かいきやう)」などとも訳されてゐますが、要するに聖人の説いたものが經です。即ち中国では昔から、聖人の説かれたものは、つねに変らぬといふ意味で、「詩經」とか、「書經」などといつてゐるのですが、印度の聖人、すなはち佛陀(ほとけ)が説かれたもの、といふ意味から、翻訳の当時、多くの学者たちが、いろいろ考へた末、「經」と名づけたのであります。

 さとりへの道

 これを要するに、『心經』即ち『般若波羅蜜多心經(はんにやはらみたしんぎやう)』といふお經ほ、「人生の目的地(ゴール)は何処にあるか」「いかにしてわれらは佛陀の世界へ到達すべきか」「佛陀の世界へ到達した心境は、いつたいどんな状態にあるのか」といふことを、極めて簡単明瞭に、説かれたお經であります。かうした意味で、昔から、この『般若心經』をば『智度經』と訳されてゐますが、とにかく、この『心經』は決して抹香(まつかう)臭い、専門の坊さんだけがよむ、時代おくれのお經では断じてありません。ほんたうの真理とは、真理の智慧とは、どんなものであるかを、端的に教へてくれる、永遠に古くして、しかも新しい聖典が、この『心經』です。少くとも真に人生に目覚め、「いかに生くべきか」の道を考へるならば、何人(なんぴと)もまづ一度はどうしてもこの『心經』を手にする必要があります。ほんたうに、私どもの世の中に、こんなに簡単にして要を得た聖典は、断じて他にないと思ひます。私どもは『心經』を契機(きつかけ)として、人生とは何か、われらは、いかに生くべきかの道を、皆さんといつしよに(おもむろ)に味はつてゆきたいと存じます。

第二講 語るより歩む

   観自在菩薩。

   行深般若波羅蜜多時。

   照見五薀皆空度一切苦厄。

      (観自在菩薩、深般若波羅蜜多ヲ行ズル時

       五薀ハ皆空ナリト照見シテ、一切ノ苦厄ヲ度シタマフ。)

 

 般若の哲学

 これから申し上げるところは、「観自在(くわんじざい)菩薩、(じん)般若波羅蜜多ヲ(ぎやう)ずる時、五(うん)は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまふ」といふ一段であります。漢字の数からいへば、タッタ二十五字しかありませぬが、この二十五字が『心經』全体の中心になつてをるのでありまして、二百六十余字の『心經』は、結局、この最初の二十五字をば、或は縦に、或は横に、内から外から、いろいろな方面から、説明したものに他ならぬのであります。

 観音さまはどんな佛か

 さてまづ「観自在菩薩」と申しますのは、即ち観音さまのことです。観音さまは、自由自在に、世音(せおん)すなはち世間の声、大衆の心の叫び、人間の心持を観察せられて、我々の身の悶え、心の悩みを、救ひ給ふ佛でありますから、梵語のアバローキティシュバラといふ原語を訳して、玄奘三蔵は「観自在」といつてゐるのであります。即ち梵語の「アバローキタ」といふ字は観るといふ意味、「イーシュバラ」は、自由又は自在といふ意味です。いつたい私どもが、ものをみるといふ場合には、「見、観、視、察」といふ四つの見方があるときいてゐます。ところで、その中で見といふ字は、肉眼でものをみること、観といふ字は、観音さまの観の字で、心眼でものをみることです。従つて観察するといふことは「心の眼でもつてものをよくみる」といふことでありまして、実はこの観察といふことによつて、私どもはものの本当の相を、ハッキリ知ることができるのです。その昔、宮本武蔵は『五輪書(ごりんしよ)』といふ本のなかで、「見の眼と観の眼」といつてをりますが、武蔵によれば、この観の眼によつてのみ、剣道の極意(ごくい)に達することができるのでありまして、彼は剣道に於て、観の眼、即ち心の眼の修養が、一番大切だといふことを力説してをります。然し、それは単に剣道のみではありません。どの商売でも、どんな学問でも、何につけても、一番大切なのは、この「観の眼」です。心の眼です。有名なカントが、「哲学する」といつてゐるのも、つまりはこの観の眼でみることです。スピノーザが「永遠の相に於いて」ものをみよといふのもそれをいつたものです。私どもは平生、何の気なしに、見てみる、とか、聞いてみる、とかいふことばを使つてをりますが、その見てみる聞いてみるといふ、その「みる」といふのは、つまり心眼のことです。心の眼でものをみることです。「心ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞えず」といふのは、心の眼のないこと、心の耳をもたないことをいつたのです。ですからこの心眼を開けばこそ、私どもは、形のない形が見えるのです。心耳をすませばこそ、声なき声が聞えるのです。俳聖芭蕉のいはゆる

 「見るところ花にあらずといふことなし、おもふところ句にあらざるなし」(吉野紀行)

 といふのはまさしくこの心の眼を開いた世界です。心の耳をすまして聞いた世界です。つまり観察するといふ心持でもつて、大自然に対した藝術の境地であります。ところで、いま観世音は実にこの心の眼を、大きく見開いて、一切を観察すると共に、また心の耳をすまして、一切の音声を聞かれた、いや、現に聞かれつつあるのです。そして慈愛のみ手を一切の人々のまへにさしのべられつつあるのです。

 さてこの観世音菩薩が、「深般若波羅蜜多(じんはんにやはらみた)を行ずる時」といふのは、どんな意味であるかといふに、すでに申し上げておいた如く、それは、観音さまが甚探微妙(じんじんみめう)なる般若の宗教を実践せられたといふことで、観世音は、単に心の眼を見開いて、般若の哲学を認識せられたのみでなく、進んで般若の宗教をば親しく実践されたのです。ところで、この「深」といふ文字ですが、この深といふ字に就いては、昔からいろいろむづかしい解釈もありますが、要するに深は浅の反対で、深遠とか、深妙とかいふ意味です。観音さまの体得せられた、般若の智慧の奥ふかいことを形容したことばだと考へればいいのです。従つてそれは私ども人間のもつてゐるやうな、浅薄な智慧ではなく、もつともつと深遠な智慧、すなはち「一切は空なり」と照見した真理の智慧を指していつたのです。それから、ここでお互がよく注意しておかねばならぬ文字は、「般若波羅蜜多を(ぎやう)ずる」といふ、この「行」といふことばです。これが大へん重要なる意味をもつてゐるのです。敢てゲーテを待つまでもなく、いつたい宗教の生命は「語るよりもむしろ歩むところにある」のです。いや宗教は、語るべきものではなくて、歩むべきものです。しかも、その歩むといふのは、この「行」です。行ずるといふことが、歩むことであり、実践することなのです。いつたい西洋の学問の目的は知るといふことが主眼ですが、東洋の学問の理想は行ふことが重点です。即ち知るは行ふのはじめで、知ることは行はんがためです。しかも行つてみて始めて、ほんたうの智慧ともなるのです。有名な『中庸』といふ本に「博く之を学び、審かに之を問ひ、慎んで之を思ひ、明かに之を弁じ、篤く之を行ふ」といふ文句(ことば)がありますが、けだしこれはよく学問そのものの目的、理想を表はしてゐると思ひます。ところで観自在菩薩が深般若波羅蜜多を行ずるといふことは、つまり般若の智慧を完成されたといふことですが、それは要するに六度の行を実践されたことに外ならぬのです。六度とは六波羅蜜(はらみつ)のことで、布施(ほどこし)持戒(いましめ)忍辱(しのび)精進(はげみ)禅定(おちつき)般若(ちゑ)でありますが、まへの五つは正しい実践であり、般若は正しい認識であります。

 智目と行足

 古来、八宗の祖師といはれるかの有名な龍樹菩薩は、『智度論』といふ書物の中で、「智目行足(ちもくぎやうそく)以て清涼池に到る」といつてをりますが、清涼池とは、清く涼しい池といふ文字ですが、これは迷ひを離れた涅槃(さとり)の世界を(たと)へていつたものです。この涅槃(ねはん)(さとり)へ達するには、どうしても、この智目と行足とが必要なのです。智慧の目と、実行の足、それは清涼池(さとり)への唯一の道なのです。ですから、昔から佛教では、この智目行足といふことを非常に重要視してゐます。ところで、その「智目」といふのが智慧の眼(般若)のことです。つまり正しき認識理論といふことです。次に「行足」とは、実行(五行)です。正しき実践といふことです。いつたい、実行の伴はない理論は、灰色でありますが、同時にまた、理論の伴はぬ、いはゆる筋のたたぬ実践も、また極めて危険です。智目と行足を主張する、佛教の立場は、あくまで正しき理論と実践との高次的な統一を主張するものであります。従つて佛教における哲学と宗教とは、要するに、この智目と行足との関係にあるわけです。故に、本当に、自ら佛教を学び、しかも行ずるものにして、はじめて佛教の真面目(しんめくぼく)を認識し把握することができるのです。かやうなわけで、佛教では一口に、智慧と申しましても、これに三種あるといつてをります。聞慧(もんゑ)と思慧と修慧との三慧(さんゑ)がそれです。即ち第一に聞慧といふのは、耳から聞いた智慧です。きき噛りの智慧です。智慧には違ひありませんが、まだほんたうの智慧とはいへません。次に思慧とは、思ひ考へた智慧です。耳に聞いた智慧を、もう一度、心で思ひ直し、考へ直した智慧です。思索して得た智慧です。すでにいつた如く、カントは、教へてゐる学生に(むか)つて、つねに哲学することの必要を叫びました。

「諸君は哲学を学ぶより、哲学することを学べ。私は諸君に哲撃を教へんとするのではない。哲学することを教へるのだ」

 といつたと、伝へてをりますが、そのいはゆる哲学することによつて得た智慧が、この思慧に当ると思ひます。だから思慧は哲学の領分です。次に修慧とは、実践によつて把握せられた智慧です。自ら行ずることによつて得た智慧です。従つてそれほ宗教の領分です。語るよりも歩むといふのがそれです。その昔、覚鑁(かくばん)上人(興教大師)は、 「若し自分のいふことが、うそいつはりだと思ふならば、自ら修して知れ

 といつてゐますが、その修するといふのが、この修慧です。だから三慧のうちで、この修慧が一番ほんたうの智慧です。

  耳にきき心におもひ身に(しゆ)せば

     いつか菩提(さとり)入相(いりあひ)の鐘

 といふ古歌は、まさしくさとりへの道をうたつたものです。

 かやうに、智慧には三種の区別があるやうに、私どもが平素、お經をよむ場合でも、いや、単にお經のみにかぎつたことでもありませんが、ただ口だけでよむのでほだめです。いはゆる「論語よみの論語知らず」ですから、それを心でよみ、更にそれを身体でよまねばなりません。即ち身読し、色読(しきどく)する必要があるのです。その昔、日蓮上人は、『法華經』を幾度となく色読せられたといつてゐますが、『法華經』を読誦(どくじゆ)し、信仰する人は、是非とも『法華經』を口でよむばかりでなく、心で之をよみ、更に之を身体で実行する、いはゆる「法華の行者」にならねばウソであります。『心經』に於いても、それは同様です。われらは、まさしく『心經』を、心読し、更に之を身読してゆきたいのです。般若の哲学を知るだけでなく、進んで般若の宗教を実践してゆきたいのであります。

 さて、観自在菩薩が、般若の宗教を体験せられたその結果は、どうであつたかといひますと、「五薀はみな空なりと照見せられて、遂に一切(すべて)苦厄(くるしみ)を度せられた」といふのであります。即ち一切の苦といふものを(めつ)して、この世に理想の平和な浄土を建設されたといふのです。従つて、五薀は皆空、即ち一切のものみな空だといふことが、つまり観自在菩薩の体験(さとりの)内容たる般若の真風光であるわけです。ところが(ここ)で面倒な、むづかしい文字は、五薀といふ(ことば)と、空といふことばです。まづ五薀といふ語からお話いたしますと、このことばは、梵語のパンチャ、スカンダーフといふ語を、翻訳したものでありまして、パンチャとは、五つといふ数字です。スカンダーフとは「あつまり」といふ意味であります。

 ですから古来、佛教学者は「薀」といふ字を積集(しやくしふ)の義、即ち、つみあつめるといふ意味に解釈してゐます。しかも、その五つの集つたものは、ジット「静止の状態」にあるのではなくて、みんな始終動いてゐるのです。スカンダーフを梵語学者は、「動いてゐる状態」と翻訳してゐますが、これは非常に面白いと思ひます。

 然らば、その五薀とは、いつたい何であるかといふに、その名前は、この次にお話する所に出てまゐりますが、(しき)(じゆ)と想と行と識とです。ところで、まづ、その色とは「いろ」といふ字でありますが、それは決して、あの「いろ」、「こひ」のエロチックないろではありませぬ。すべて佛教では、形ある物質のことは(しき)といつてをります。丸とか、四角といふ形も色で、之を形色(けいしき)といひます。青いとか、赤いとかいふ色、之を顕色(けんしき)といひます。要するに物質的存在は悉く(しき)であります。次に受と想と行と識とは、物質に対する精神、物にたいする心をいつたものでありまして、今日の心理学上の語でいへば、感情、知覚、意志、意識に当りますから、つまりこれらは、形のない精神の作用(はたらき)を四つにわけたものです。しかもこの精神作用のうちで、識が中心ですから、之を心王といつてゐます。これに対して他の受、想、行は、意識の上の作用(はたらき)ですから、これを心所といつてゐます。何れにしてもそれはわれらの主観的な精神作用を、四種に分類したものです。従つて五薀(ごうん)とは、要するに、形のあるものと、形のないもの、即ち有形の物質と、無形の精神との集合(あつまり)を意味するもので、佛教的にいへば「(しき)」と「(しん)」、つまり色心(しきしん)の二法となるわけです。この場合、「法」とは存在といふ意味です。故に物を中心として、世界の一切を説明せんとする唯物論も、心を中心として、世界の凡てを眺めんとする唯心論も、いづれも偏見で、共に佛教のとらざる所でありまして、主観も客観も、一切の事々物々(じじぶつぶつ)、みな悉く、五薀の集合によつてできてゐるといふのが、佛教の根本的見方でありますから、いはゆる物心一如(ぶつしんいちによ)、又は色心不二の見方が、最も正しい世界覿、人生観である、といふことになるわけであります。

 空といふこと

 次に「空」といふことばでありますが、これがまた実に厄介な語で、わかつた様でわからぬ、わからぬやうでわかつてゐる語であります。只今、皆さんに対つて、私が、かりに、一と一を加へると、いくつになりますか、と問うたとしたら、キット皆さんは「何だ馬鹿馬鹿しい」といつて御立腹になりませう。しかし、いつたい、その一とは何ですか。一と一とを加へると、何故二になるのですか、といふ風に、一歩進んでお尋ねした時、果してどうでありませう?

 私の只今ペンをとつてゐる書斎には、机があり、座ぶとんがあり、インキ壺があり、花瓶などがあります。()れもこれはみな一です。然し、机が一で、花瓶が一でないとはいへないのです。机が一なれば、花瓶も一です。かくいふ私も一です。この私の書斎も一です。東京も一です。日本も一、世界も一です。

だから、改つていま「一とは何ぞや?」といふことになると、非常に厄介になつてくるのです。然し、ここにあるこの花瓶と、寸分違はぬ同じ花瓶は、世界広しと(いへど)も、この花瓶以外には、一つもないのですから、これはタッタ一つの花瓶です。かくの如く世界のものはすべて皆タッタ一つ(オンリー・ワン)の存在です。だから、()しも、この青磁の花瓶と同じ花瓶が、もう一つ外にあつたら、二つになるのですが、事実はないのです。従つて何故に、一と一とを加へると二となるか、といふ極めて簡単なわかりきつた問題でも、かうなると非常にむづかしくなるわけです。あの最も精密なる科学、といはれる数学でさへ、私どもにはすでにわかつたものとして、「何故に」といふことは教へてくれないのです。いや「一とは何か」となると、それを説明し得ないのです。

 私の友人に辻正次といふ数学の博士がをります。私は試みに、辻博士に「一とは何か」と聞いてみたことがあります。ところが、博士の曰く、「数学では、一とはすでにわかつたもの、として計算してゆくのだ」と答へましたが、しかし、たとひ一とはわかつたもの、として計算していつても、やはり一とは何か、といふことを、説明して欲しいのです。一ばん安心してよい数学が、こんな調子であります。(いは)んや、他の科学に於てをや、ナンテ申しますと、天下の科学者から、エライお小言を頂戴することになるかも知れませんが、とにかくわかつたもの、「自明の理」と思つてゐることでも、いざ説明、となると容易に説明し得ないのであります。

 公開せる秘密

 さすがに詩人ゲーテです。一プラス一、それは「公開せる秘密(エッフェントリッヒゲハイムニス)」だといつてゐるのです。私どもは、ただそれを神秘的直観、宗教的直観によつてのみ、知ることができるといつてゐるのですが、公開せる秘密とは、まことにうまいことをいつたものです。宗教的直観によるのだといふ語は、ほんたうに味のある、意味ふかい言葉だと存じます。いつたい、私どもお互ひ人間のもつ、言葉や思想といふものは、完全のやうで実は不完全なものです。思ふこと、いひたいこと、それはなかなか思ふやうに話すことができないものです。最も悲しい世界、最も嬉しい境地といふものは、たうていありのままに、筆や口に、表現できるものではありません。イヤ、筆にはまだ、どうとも書けませうが、言葉では、とても思ひのままを、率直に、他人につたへることはできないのです。

 文殊と維摩の問答  ところで、これに就て想ひ起すことは、あの『維摩經』にある維摩居士(ゆゐまこじ)文殊(もんじゆ)菩薩との問答です。あるとき、維摩が文殊に対して、不二の法門、即ち真理とはどんなものか、と質問したのです。その時、文殊菩薩は、かう答へてゐます。

 「不二の法門は、私どもの言葉では、説くことも、語ることもできないものです。真理は一切のわれわれの言葉を超越してゐます」

 そこで今度は、反対に文殊菩薩が、維摩居士に同じく、不二の法門とは何ぞや? と反問しました。すると、維摩はただ黙つて、何も答へなかつたといふのです。

 「時に維摩、黙然(もくねん)として、言無し」

 と、『維摩經』に書いてをりますが、黙然無言の一句こそ、実に文殊への最も明快な答だつたのです。さすがは智慧の文殊です。

 「善いかな、善い哉、乃至(ないし)、文字語言あることなし。これ真に不二の法門に入る」

 とて、却つて維摩の「黙」を歎称してゐるのです。古来、「維摩の一黙、(こゑ)(らい)の如し」といつてをりますが、この黙の一字こそ、非常に考へさせられる言葉だとおもひます。

 鳴かぬ螢

 「恋にこがれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ螢が身を(こが)す」といひます。泣くに泣かれぬといひますが、この境地が最も悲痛な世界です。涙の出ない涙こそ、悲しみの極みです。敢て真理にかぎらず、凡てのものごとに就いても、不完全な私どもの言葉では、たうていものの「真実」、「実際」を、ありのままに表現することはできないものです。

 一杯の水

 「一杯の飲みたる水の味はひを、問ふ人あらば何とこたへん」です。自分自ら飲んでみなければ、水の味はひもわかりません。うまいか、辛いか、甘いかは自分で飲んでみなければ、その味はわからないのです。「まづ一杯飲んでご覧」といふより方法がありません。あの有名な『起信論』に「唯證相応(ゆゐしようさうおう)」(唯だ證とのみ相応する)といふ文字がありますが、すべてさとりの世界は、たださとり得た人によつてのみ知られるのです。しよせん、さとりの世界のみではなく、一切はたしかに冷なん自知(=難漢字は、温かい乃至熱いの義)です。冷いか暖いかは自分で知るのです。ちやうど、子を持つて、始めて子を持つことの悩み、欣びがわかるやうに、私どもは子をもつて、親の恩を知ると同時に、子の恩をも知ることができるのです。三千世界に子ほど可愛いものがないといふことを知らしてくれたのは、全く子の恩です。自己を忘れて子供を可愛がる。その無我の心持、利他の喜びを、教へてくれたのは、ほんたうに子供のお蔭です。全くうき世のこと、凡て唯證相応です。自ら体験しないと、ほんたうの味が解りません。

 苦労人の世界

 一度も苦労したことのない人には、苦労人のもつ心境は少しもわかりません。入学試験に落第したことのない人には、たうてい落第した人の、悲痛な、やるせない心持がわからう筈はありません。苦労した人のみ、苦労した人を慰め、導き、教へることができるのです。しかも、その慰めは決して言葉ではありません。心持です。気もちです。その態度です。黙つて手を掘る、それでよいのです。甘い言葉や、美しい言葉では、たうてい傷ついた人の心を、救ふことはできないのです。

 ごく親しい仲のよい友達が久し振りで偶然出逢ひます。そんな時には、いろんな、面倒な御無沙汰のおわびや、時候の挨拶などはありません。「ヤア」「ヤア」といひながら、互ひに堅く手を握り合ふ。それでよいのです。眼が口ほどに、いや口以上にものをいふのです。その「ヤア」といふ一言で、平素の御無沙汰やら、時候の挨拶は、みんなスッカリ解消してしまつてゐるのです。

 空の一字

 話がつい横道に外れましたが、『心經』の空といふ一字の(うち)には、実に千萬無量のふかい意味が、ふくまれてゐるのです。有名なアインシュタインも空一元論を唱へてゐます。たしか宗教哲学者オットーも、宗教の極致は空だと説いてゐます。剣聖宮本武蔵も「空の一字を知れ」といつて、門人を誡めてをりますが、空といふ一字のなかには、いろんな複雑な、そして深遠な、哲学も宗教も、悉く織りこまれてゐるのです。しかもその「空」は佛教のエキスです。従つて空といふ文字を説明するとなると、なかなか容易なことではありません。しかもその甚深なる空を、観自在菩薩は、親しく体験せられたのです。そして人生のあらゆる苦悩(なやみ)を克服することによつて、苦悩(くるしみ)のない浄土を、この世に、この地上に建設されたのです。したがつて、私どもも人生の苦悩を越えて、浄土に生れんとするならば、どうしても、観音さまのやうに、空を知らねばなりません。如寅に、空のもつ深い意味を認識しなければなりません。(くう)を掴むことこそ、まさしく人生の勝利者です。けだし、空を本当に知るもの、真に「空に徹するもの」こそ、それはまさしく生身の活きた観音さまです。かかるが故に、私どもは、少くとも、自分の姿に於て、観自在菩薩を見出すと共に、観自在菩薩に於て、自己の本当の姿を見出さねばならぬのであります。空の意味に就いてのくはしい説明は、次の講に改めて申し上げることにいたします。

第三講 色即是空

   舎利子。

   色不異空 空不異色。

   色即是空 空即是色。

   受想行識 亦復如是。

      (舎利子ヨ。

       色ハ空ニ異ナラズ、空ハ色ニ異ナラズ。

       色ハ即チ是レ空ナリ、空ハ即チ是レ色ナリ。

       受想行識モ、亦復タ是クノ如シ。)

 

 空即是色花ざかり

 たしか小笠原長生氏の句だつたと思ひますが、

 「舎利子みよ、空即是色花ざかり」

 といふ句があります。ほんたうにこの一句は、これから申し上げようと思つてゐる『心經』の精神を、たいへん巧みにいひ現はしてゐると存じます。申すまでもなく、これは『心經』が骨を折つて、力強く説いてをる「空」といふことばは、決して空々寂々といふやうな、何物もないのだといふやうな、そんな単純な意味のものではない、といふことを簡単な一句で巧みに、表現(あら)はしてゐるのです。ところが愈々(いよいよ)これから、問題の「空とは何ぞや?」、「空とはどんな意味か」といふ問題を、説明するのでありますが、始めから皆さんに「空」とはこんなものだと説明していつては、却つてわかりにくいし、またさう簡単にたやすく説明できるものではないのですから、その「空」を説明する前に、まづはじめに、「空の背景」となり、「空の根柢」となり、「空の内容」となつてゐるところの「因縁」といふ言葉からお話していつて、そして自然に、空といふ意味を(つか)んでいただくやうにしたい、と思ふのであります。何故かと申しますと、この「因縁」といふ意味を知らないと、どうしても空といふことが把めないのです。ところで、まづ本文の初めにある「舎利子(しやりし)」といふことですが、これは無論、人の名前です。釈尊のお弟子の中でも智慧第一といはれた、あのシャーリプトラ、即ち舎利弗尊者(しやりほつそんじや)のことです。いつたいこの舎利弗は、婆羅門の坊さんであつたのですが、ふとした事が動機(もと)で、佛教に転向した名高い人であります。

 舎利弗の転向

 ある日のこと舎利弗が王舎城(ラージャグリハ)の市中を歩いてゐる時です。偶然にも彼は釈尊のお弟子のアシュバーヂット即ち阿説示(あせつじ)といふお坊さんに出逢つたのです。そしてその阿説示から思ひがけなく、次の如きおどろくべき真理の言葉を聞いたのでした。

 「一切の諸法は、因縁より生ずる、その因縁を如来は説き給ふ

 といふのがそれです。今日の私どもには、何でもない平凡な言葉としか聞えませんが、さすがに舎利弗には、この「因縁」といふ一語(ことば)が、(さなが)空谷(くうこく)跫音(あしおと)の如くに、心の耳に響いたのでした。昔から佛教では、この一句を「法身偈(ほつしんげ)」又は「縁起偈」などといつてゐますが、彼はこの言葉を聞くなり、決然として、永い間、自分の生命(いのち)とも頼んでをつた、婆羅門の教へをふり捨てて、直ちに心友の目連尊者と一緒に、釈尊のみ(もと)に馳せ参じ、遂に佛弟子となつたのであります。「因縁」の語を聞いて佛教に転向したわが舎利弗こそ、実に解空(げくう)第一の人であり、智慧第一の人であつたのです。この智慧第一の舎利弗を対告衆(あひて)として、釈尊は「舎利子よ」と、いはれたのです。そして「(しき)は空に異ならず、空は色に異ならず」とて、空の真理を諄々と説かれていつたのです。

 真理のことば

 因縁! それはまことに平凡な古い語です。しかし、それは、たしかに、平凡ではありますが、どうしても疑ふことのできない宇宙の真理です。今日私どもが思ひあまつて、「何事も因縁だ」と諦めるそのことばの中には、私どもの容易に説明し得ない、深い真理が含まれてゐるのです。

 「因縁を知ることは佛教を知ることだ

 と、古人もいつてゐますが、たしかにそれは真実(ほんと)だと思ひます。釈尊は、実にこの「因縁の原理」「縁起の真理」を体得せられて、遂に佛陀となつたのであります。菩提樹下の成道(じやうだう)といふのはまさしくそれです。げに、わが釈尊をして、真に佛陀たらしめたものは、全くこの因縁の真理なのです。丁度あのニュートンが、地球の引力を発見したやうに、釈尊は、これまで何人(なんぴと)も気づかなかつた「萬物は因縁より生ずる」といふ、この永遠なる「平凡の真理」を始めて発見されたのです。だから、「因縁の真理」は決して釈尊が、新しく創造されたものではありません。釈尊は因縁の創造者ではなくて、実にその発見者なのです。釈尊は、自ら因縁の真理を発見されて、まさしく佛となられました。しかし、ソレと同時に、この因縁の法を「教」として、萬人の前に説き示されたのが佛教です。因縁の教、それが佛教です。真理の教、それが佛教です。釈尊は佛教を信ぜよとはいつてゐません。しかし、因縁の法を信ぜよといつてゐます。しかもこの因縁の真理を信ずるものこそ、まさしく佛教を信ずるものです。従つて、たとひ、二千数百年の昔に、釈尊の肉身は亡くなつても、因縁といふ真理そのものは、因縁といふ法は、法身(ほつしん)の相に於て、永遠不滅なる佛教の真理として、いな、宇宙の真理として、今日に於ても儼然と光つてゐます。いや未来永劫に、いつまでも「不朽の真理」として、光り輝いてゆくのであります。

 ところで、この因縁とはいつたいどんなことかといふに、くはしくいへば「因縁生起」といふことで、つまり因縁とは、「因」と「縁」と「果」の関係をいつた言葉で、因縁のことをまた「縁起」とも申します。即ち「因」とは原因のこと、結果に対する直接の力です。「縁」とは因を(たす)けて、結果を生ぜしめる間接の力です。例へばここに「一粒の(もみ)」があるといたします。この場合、籾は即ち因です。この籾をば、机の上においただけでは、いつまでたつても、一粒の籾でしかありません。キリスト教の聖書(バイブル)のうちに

 一粒の麦、地に落ちて、死なずば、ただ一つにて終らん。死なば多くの実を生ずべし

 とあるやうに、一度び、これを土中に蒔き、それに雨、露、日光、肥料といふやうな、さまざまな縁の力が加はると、一粒の籾は、秋になつて穣々たる稲の穂となるのです。これがつまり因、縁、果の関係であります。ですから、花を開き、実を結ぶ、といふ結果は必ずとの「和合」によつて始めてできるわけです。ところが、私どもは、とかく皮相的の見方に慣れて、凡ての事柄を、悉く単に原因結果の関係に於て見ようとしてゐるのです。しかし、これはどうかと思ひます。複雑極まり無き、一切の物事をば、簡単に、原因と結果といふ形式だけで、解釈しようとすることは、随分無理な話ではないでせうか。さて、この因縁によつてできた、因縁にかつて生じ来つた、あらゆる事物は、いつたいどんな意味があり、どんな性質をもつてをるかと申しますと、それは実に縦にも、横にも、時間的にも、空間的にも、悉く、きつても切れぬ、密接不離な関係にあるのです。一寸みると何の縁もゆかりもない様ですが、ようく調べてみると、何れも実は皆極めて緑の深い関係にあるのです。躓く石も縁の端です。袖ふりあふも他生(たしやう)の縁です。一河の流、一樹の蔭、みなこれ他生の縁です。だが、それは決して理窟や理論ではありませぬ。考へるからさうだ、佛教的にいふからさうだ

、といふのではありません。考へる考へぬの問題ではないのです。佛教的だとか、佛教的でないなどといふ問題ではないのです。これは本当に事実なんです。真実なのです。事実は、真実は、何よりも雄弁です。いま私のゐる部屋には、一箇の円い時計がかかつてゐます。この時計の表面は、ただ長い針と短かい針とが、動いてゐるだけです。しかし、いま、かりに、この時計の裏面を解剖してみるとしたらどうでせうか。そこには、極めて精巧、複雑な機械があつて、これが互ひに結合し、和合して、その表面の針を動かしてゐるのではありませんか。私は現に只今この東京鷺宮の無窓塾の書斎でペンを動かしてゐます。これは勿論、簡単な事実です。しかしこの無窓塾がどこにあるかを考へ、私、及び私の故郷伊勢の国のことなどを考へて、だんだん深く、そして広く考へてゆきますと、(つひ)にはこの一筋の私といふ存在は、全日本はおろか、全世界の凡てに関係し関聨してゐることになるのです。かやうに、一事一物、皆悉く全世界に関聨してゐないものはないのです。ただ、私どもがそれを知らないだけのことなのです。しかし知ると知らざるとに拘らず、一切のものは互ひに無限の関係(つながり)に於て存在してゐるのです。次にまた時間的に申しましても、今日といふ一日は、決して昨日なしにはないのです。明日ときり離して、今日一日だけがあるのではありません。今日ほ単なる今日でなくて、ライプニッツのいふやうに、「昨日を背負ひ、明日を孕んでゐる今日」なのです。とにかく私どもの世の中にある一切の事物は、みな孤立し、固定し、独存してゐるのではなくて、実は、縦にも、横にも、無限の相補的関係、もちつ、もたれつの間柄にあるわけです。即ち無尽の縁起的関係にあるわけです。従つて現在の私どもお互ひは、無限の空間と永遠の時間との交叉点に立つてゐるわけです。

 地下鉄道と船喰虫

 今から丁度百年程前です。ロンドンのテームス河の畔で、一匹の小さい船喰虫が、頻りに材木をかじつてゐました。一寸きくと、それは私どもお互ひとは、何の関係もないやうです。然し一度でも、あの地下鉄を見た人、地下鉄に乗つた人ならば、断じて無関係だとはいへませぬ。何の因縁もないなどとはいへないのです。何故かといふに、いつたい地下鉄道の発明者ブルーネルが、テームス河の、河底を掘り得たことは、何に由来してをるのでせう? 材木をかじる、あの船喰虫にヒントを得たのではありませんか。そして、「人間の力では、とても掘ることができない」とまでいはれた、あのテームス河の河底を、彼は、立派に開鑿(かいさく)してをるではありませんか。地下鉄道と船喰虫! 何の因縁もなささうです。しかし実は、因縁がないどころか、大へん深い因縁があるのです。おもふに、因縁によつてできてゐる一切の事物、五薀の集合

、物と心の和合によつて、成り立つてゐる、私どもの世界には、何一つとして、永遠に、いつまでも、そのままに、存在してゐるものはありません。つねに変化し、流転しつつあるのです。佛陀は「諸行無常」といひました。ヘラクライトスは「萬物流転(パンタ・ライ)」といひました。萬物は皆凡て移り変るものです。何を疑つても、何を否定しても、この事実だけは、何人(なんぴと)も否定できない事実です。咲いた桜に、うかれてゐると、いつのまにやら、世の中は、青葉の世界に変つてゐます。

 一期一会

 もはや、五月(さつき)の空には、あの勇ましい鯉幟(のぼり)が、新緑の風を孕みつつ、へんぽんと勢よく大空を泳いでゐます。自然の変化、人生の推移、少くとも、私どもの世界には、永遠に常住なる存在は、一つもありませぬ。一生たつた一度、「一期一会(いちごいちゑ)」とは、決して茶人の風雅や、さびの気持ではないのです。茶の道は、一期一会の心をもたぬものには、ほんたうに味ははれませんが、人生のことも、やはり同じです。かういふ気持をもたぬものには、人生の尊い味はひをつかむことはできません。まことに一切はつねに変化しつつある存在です。だから、たとひ存在してゐるといつても、それは、仮りの、一時的の存在でしかありません。佛教では、存在してゐるものを「()」といつてゐますが、すべては「仮有(けう)」です。「暫有(ざんう)」です。とにかく、永遠なる存在、つねにある「常有(ぢやうう)の存在」ではありません。あの花を咲かせた桜も、新しい芽を出させた桜も、やがては、また花を散らす桜です。スッカリ枯れ木のやうになつてしまふ桜です。所詮は、「散る桜、のこる桜も散る桜」です。だが、一たび冬が去り、春が来れば、一陽来復、枯れたとみえた桜の梢には、いつの間にやら再び綺麗な美しい花をみせてゐます。かくて年を迎へ、年を送りつつ、たとひ花そのものには、開落はありましても、桜の木そのものは、依然として一本の桜です。

 一休と山伏

 ある日のこと、ある山伏が、一休和尚に向つて、

 「その佛法は何処(いづこ)にありや」

 と、詰問したのです。すると和尚は即座に、

 「胸三寸にあり」

 と答へました。之を聞いた(くだん)の山伏、早速、懐中せる小刀をとり出し、開き直つて、

 「然らば、拝見いたさう」

 と、つめよつたのです。そこは、さすが機知縦横の一休和尚です、すかさず、一首の和歌を以て、これに答へました。

  とし毎にさくや吉野のさくら花

    樹をわりてみよ花のありかを

 これには勢ひこんでゐた山伏も、たうとう参つて、その後遂に和尚の弟子になつたといふことです。

 空なる状態

 まことに、因縁より生ずる一切(すべて)(もの)は、悉く空です。空なる状態にあるのです。まさしく「樹を割りてみよ、花のありかを」です。雪ふりしきる厳冬(まふゆ)のさ中に、花を尋ねても、花はどこにもありませぬ。これがとりも直さず「(しき)即ち是れ(くう)」です。しかし、霞たなびく春が訪れると、いつとはなしに、枯れたとみえる桜の梢には、花がニッコリ微笑んでをります。これが即ち「空即ち是れ色」です。何事によらず、いつまでもあると思ふのも、無論間違ひですが、また空だといつて、何物もないと思ふのももとより誤りです。いかにも「謎」のやうな話ですが、有る様で、なく、無い様で、ある、これが世間の実相(すがた)です。うき世の本当の相です。だが、決してそれは理窟ではありませぬ。佛教だけの理論ではないのです。それは、いつどこでも誰れもが、必ず認めねばならぬ、宇宙の真理です。偽りのない現前社会の事実です。まことにその「()」たるや、「空」に異らざる「有」です。「空」といつても決して「無」ではありません。「有」に異らざる「空」です。空と有とは、所詮、一枚の紙の裏表です。生きつつ死に、死につつ生きてゐるのが、人生の相です。生じては滅し、滅しては生ずるのが、浮世の姿です。しかし、私どもはとかく、()といへば、に囚はれます。空といへば、その空に囚はれ易いのです。故に『心經』では、有に囚はれ、(しき)に執着するものに対しては、「色は空に異ならず」、色がそのまま空だといふのです。また空に囚はれ、虚無に陥るものに対しては、「空は色に異ならず」、「空は即ち是れ色」だといつて、之を誡めてゐるのです。『心經』の、この一節は、実に素晴しい巧みな表現といはざるを得ないのです。けだしわが大乗佛教の原理は、この一句で、十分に尽きてをるといつてもよい位です。誠に「(しき)即ち是れ(くう)」、「空即ち是れ色」です。

 まなこといふこと

 昔のある書物に、「人間の眼を、まなこといふは、真ん中をとる義なり」といつてをりますが、たしかに面白いことだと息ひます。一方だけを見て、他の一方を見ないのでは、「まなこ」とはいへないのです。物の表面だけをみて、その裏にかくれてゐる、本当の(すがた)を見ないことを、「皮相の見」と申しますが、それは未だ、真に「まなこ」の「まなこ」たる所以(ゆゑん)を知らざるものといはねばなりません。今日の社会には、物質だけで、お金だけで何もかも解決できるものだと考へて、お金を「守り本尊」としてゐる人が随分多いのです。お金がものをいふ世の中だと信じてゐる方が沢山あります。だがお金がものいはぬことも世間には存外に多いのです。収入(みいり)の多寡によつて、月給の多少によつて、その人の人格までも、批判してもよいものでせうか。人格は果して金銭以下でせうか。今日の多くの人たちは、各自(めいめい)、お金を使つてゐるやうで、その実、お金に使はれてゐるのではないでせうか。お金を使ふならまだしも、使はれるに至つては、全く沙汰のかぎりといはざるを得ないのです。だが、事実はその通りだから、ほんたうに情ないわけです。「月給の順で先生並ぶなり」といふ川柳がありますが、かうなると先生の席順も寂しいものです。だが果してそれが正当な見方でせうか、終戦後、わが国では食糧飢餓を契機(きつかけ)に、生活不安、思想の動乱の結果、再び新しく「唯物史観」、「経済史観」が、見直されつつあります。しかしパンなくては生きられぬ人間は、パンのみでも生きられぬ存在です。物質だけで、経済だけで、複雑な社会の歴史が、十分に説明し得られるとは考へられません。フォイエルバッハのやうに「社会問題は、結局胃の腑の問題だ」といふ唯物論的な見方にも、もちろん一面の真理があります。それはたしかに一つの見方です。一つの見方としては間違ひではないでせう。しかしそれは決して、全体的な正しい見方、といふことはできないでせう。「(くだ)の穴から天覗く」といふ諺があります。無論、覗いた天も天です。しかし、それはあくまで、天の一部であつて、断じて天の全部ではありません。一部を覗いて、全部だと考へることは、大なる「認識不足」といはざるを得ないのです。「井蛙管見(せいあくわんけん)」として排撃せられるのも、また無理からぬことです。従つて、少くとも唯物史観に囚はれ、「利益社会」だけを以て、社会の凡てだと考へることは、どこまでも偏見です。いや、偏見といふよりも、むしろ恐るべき危険が、そこに伏在してゐると存じます。

 いつたい、ものを深く本質的に、また立体的に考へない人々には、なんといつでも形のない心よりも、形のある物の方が、眼にはよく見えるものです。で、自然と心より物の方が本当の存在のやうに考へるのですが、物だけで、パンだけで一切の問題が解決されると思つたら、それこそ大間違ひです。しかし、さういつたからといつて、私どもは、一切は心からだといつて、精神だけで、人間も社会も、動いてゐるものと、いふのではありません。唯物史観が偏見であつた如く、何もかも心だ、といつて物質生活、経済生活を否定することも、また同じ意味に於て、偏見といはざるを得ないのです。精神だけで以て、思想だけで以て、社会が動いてゐると考へてゐる人は、恐らくないと存じます。「わが抱く思想はすべて金なきに因する如し、秋の風吹く」と、薄命詩人石川啄木は詠んでゐます。経済のみによつてとは、敢て申しませぬが、パンによつて、経済によつて、現実の社会が動いてゐることもまた見逃しえない事実です。「共同社会」の一面には、儼然として「利益社会」の存在することも、ハッキリ知つておかねばなりませぬ。だから、唯物論的な見方も、偏見であるやうに、観念論的な見方も、正しい見方、正見とはいへないのです。意識が存在を決定するやうに、また存在も意識を規定するのです。私は十数年前から、佛教史観といふことを提唱してきました。この言葉は私が始めて造つたといつていいのですが、これは、物と心とを一つのものに対する、二つの見方として、眺めてゆかうといふ、つまり、全体的立場、もちつもたれつといふ因縁の立場、縁起の意味に於てこの二つのものを、一つのものの内容として見てゆかうといふのです。だから、それは縁起史観といつてもよいのです。大へん、話が面倒になりましたが、丁度人間に肉体と精神との二方面があるやうに、人間の社会にも、物質的方面と精神的方面との、二つがある事をハッキリ知つておかねばなりません。したがつて精神を否定する唯物思想もいけなければ、また物質の価値を全て否定したやうな唯心思想もいけないわけです。今日、経済を否定した生活は全く不可能であります。生活に即さない理論は空理、空論です。唯物主義も唯心主義も佛教の立場からいへば、いづれもそれは偏見です。つまり心によつて、始めて物の価値が現はされると共に、物質によつて、また精神の価値が、一層裏づけられるわけです。廊下に落ちてゐる一枚の紙も、勿体ないと感ずる人には、佛法領のものとして、始めて立派にその経済価値が認められるのです。で、問題は、つまり物に対する心構へです。心の持ちやうです。要するに、物質を精神より以上に見るか、精神を物質より優位に見るかです。物が心を支配するか、心が物を統御(コントロール)するかです。金を使ふか金に使はれるかです。けだし(せい)()(ちふ)()といふことは、何れの世、何れの時にも必要です。人間の正しい生活が、正しい見方によつて、規定せられるかぎり、私どもは何人(なんぴと)も、まづ「正しい見方」が何であるかを、ハッキリ知らなくてはなりませぬ。私どもの生活が、たとへ物質的に貧しくとも、せめて私どもは、精神的には富める生活をしたいものです。金持の貧乏人となるか貧乏人の金持となるか、結局、問題はその人の心構への如何(いかん)です。私どもは、少くとも因縁の真理、縁起の哲学を味はふことによつて、貧しくとも富める生活をしたいものです。心にしつかりした拠り所をもつて、心に太陽をもつて、清く、正しく、明るいシッカリした生活を営みたいものです。おもふに、因縁の真理に徹し、般若の空を、真に味はひ得た人こそ、まさしくそれは中道を歩む人です。げに生身(しやうじん)の活きた観音さまは、かかる人々のうちから誕生するのです。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2005/03/07

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高神 覚昇

タカガミ カクショウ
たかがみ かくしょう 仏教学者 1894・10・28~1948・2・26 愛知県に生まれる。1934(昭和9)年友松圓諦と雑誌「真理」により真理運動を起こし佛教の啓蒙運動に終生風格有る講説を怠らなかった。大正大学教授。

掲載作は、1934(昭和9)年4月30日より5月12日まで、愛宕山の東京放送局からラヂオ放送した講義筆録で、同年盛夏第一書房より出版、友松の『法句経講義』と並んで時代の人気をさらい所謂洛陽の紙価を大いに高からしめた。我が国の久しい説経文藝の伝統を受け継ぎ平易に俗耳にさからわない工夫豊かな講説は、この根源経典を解き明かしつつユニークな佛教入門書としても独自の地位を占めている。全十二講のうち「序および第一~三講」を抄出した。

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