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検索結果 全1058作品
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小説 日清戦争異聞(原田重吉の夢) 初出年: 1935年
上 日清(にっしん)戦争が始まった。「支那も昔は聖賢の教ありつる国」で、孔孟(こうもう)の生れた中華であったが、今は暴逆無道の野蛮国であるから、よろしく膺懲(ようちょう)すべしという歌が流行(はや)</r
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小説 一の酉 初出年: 1935年
帯と湯道具を片手に、細紐だけの姿で大鏡に向ひ、櫛(くし)をつかつてゐると、おきよが、ちよつと、しげちやん、あとで話があるんだけど、と云つた、──あらたまつた調子も妙だが、それよりは、平常は当のおしげをはじめ雇人だけではなく、実の妹のおとしや兄の女房のおつねにまでも、笑ひ顔一つ見せずつんとしてすまし込んでゐるのに、さう云ひながら、いかにも親しさうな眼つきでのぞき込んだのが不思議であつた。 「なにさ」──生れつき言葉づかひが悪くて客商売の店には向かぬとよくたしなめられるのだが、
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随筆・エッセイ 大百科事典の完結に際して思い出を語る 初出年: 1934年
一 三歳にして父を喪い、母の手一つで育った私は、恥ずかしながら満足に学校教育を受け得なかった。小学校へは十一歳まで通い、十二歳から学業を廃して家業を助けねばならなかった。しかし生れついた知識欲は年と共に成長し、激しい労働に服しながらも夜学などして一日たりとも研学の志は捨てなかった。二十一歳の時、神戸に出て小学校代用教員になり、独学にて小学校教員の免許を得た。私の奉職した小学校は、五十余の学級を有する学校だけに、参考書が豊富であった。私は、小学校尋正の検定試験に合格してからは特に国語に興味を覚え、他の宿直までも引
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評論・研究 般若心經講義(抄) 初出年: 1934年
序 いつたい佛教の根本思想は何であるかといふことを、最も簡明に説くことは、なかなかむづかしいことではあるが、これを一言にしていへば、「空(くう)」の一字に帰するといつていいと思ふ。だが、その空は、佛教における一種の謎で、いほば公開せる秘密であるといふことができる。 何人(なんぴと)にもわかつてゐる
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小説 変人伝 初出年: 1934年
「勉強しないと、東京の叔父さんのところへやってしまいますよ」 僕が中学生の頃、母は然(そ)う言って驚かすのが常だった。叔父は母の弟だ。父は女学校の先生だけれど、叔父は高等学校の先生だから尚お豪(えら)いことになっていた。しかし父に言わせると、叔父は変りものだった。 「叔父さんは学者でしょうね?」 と僕は母に訊いて見た。 「今に博
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随筆・エッセイ 「改造」の十五年 初出年: 1934年
『改造』を創めてからこの四月で満十五年だ。あれもこれも考えればまるで夢のようだ。廻り燈籠のように舞台がくるくる廻っていることが感ぜられるのみだ。だが、静かに眼を閉じて十五年の足あとをふり返えれば、その間におのずから元気の消長が事績を公平に物語っている。命をかけてした仕事はいつまでたってもカチンと響く生命がこもっているが、食うためにやったような仕事は見るさえ、思い出すさえ恥ずかしくて見るにたえぬ。感激でかいたものは、たといそれが推敲されていないにしても、いつまでもなつかしく読めるように、しようことなしにかいたものには生き恥をのこすほかの何もの
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シナリオ 盤獄の一生 初出年: 1933年
紫色昏昏たり奥秩父の連山 児玉の山林から本庄、境と十一ヵ村に通ずる水道樋がある。 滔々と流れる樋の水。 山道に立って樋を見上げている樵夫二、三憔悴した顔。 水の流れ。 農家の前に老婆と子供。 コトゴトクが疲れ切っている。 T「こんなに山から水を取って」 樋の水滔々と流れる。 T「山林が枯れてしまう」 児玉の山林の遠景。 T「山林が枯れるとおれ達も」 T「山林と一緒に乾干になる」
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小説 のんきな患者 初出年: 1932年
一 吉田は肺が悪い。寒(かん)になつて少し寒い日が来たと思つたら、すぐその翌日から高い熱を出してひどい咳になつてしまつた。胸の臓器を全部押上げて出してしまはうとしてゐるかのやうな咳をする。四五日経つともうすつかり痩せてしまつた。咳もあまりしない。しかしこれは咳が癒つたのではなくて、咳をするための腹の筋肉がすつかり疲れ切つてしまつたからで、彼等が咳をするのを肯(がへ)</rp
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評論・研究 平和への直言 初出年: 1931年
目次 個人掠奪と国際侵略死産の侵略定義戦争と投機戦争ファン戦争消滅の最捷路「厳重抗議」と「断然一蹴」平和と戦争反対日本対英米露戦
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評論・研究 商品としての文学 初出年: 1931年
藝術品はその他の一般的生産物と等しく、自然的素材に人間労働力が加つて初めて出現する。従つてひとたび完成されて社会的関係にいるや否やその他の一般的生産物たる靴、傘、刀剣、自動車等々と何等の区別なく社会の経済関係の歴史的変化に従つて、その社会的性質を規定される。 たとへば米や織物のやうな一般的生産物が、一団体内の分担的労働の産物として生産されるやうな原始社会では、詩人もまた自分自身あるひはごく親近な人々の衝動を代表して詩を製作したので、それも狩猟あるひは農耕の片手間の製作であり、その詩的生産に対して別に報酬も受けず、あるひはきはめて僅かにその他の労働分担を軽減してもらへた
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小説 清貧の書 初出年: 1931年
一 私はもう長い間、一人で住みたいと云ふ事を願つて暮した。古里も、古里の家族達の事も忘れ果てて今なほ私の戸籍の上は、真白いまゝで遠い肉親の記憶の中から薄れかけようとしてゐる。 只ひとり母だけは、跌(つま)づき勝ちな私に度々手紙をくれて叱つて云ふ事は、── おまえは、おかあさんでも、おとこうんがわるうて、くろうしてゐると、ふてくされてみえるが、よう、むねにて
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小説 勝負事 初出年: 1929年
勝負事(しようぶごと)と云ふことが、話題になつた時に、私の友達の一人が、次ぎのやうな話をしました。 「私は子供の時から、勝負事と云ふと、どんな些細な事でも、厳しく戒しめられて来ました。幼年時代には、誰でも一度は、弄(もてあそ)ぶに定(き)まって居<rp
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小説 亜刺比亜人エルアフイ 初出年: 1929年
一 マラソン競走の優勝者、仏蘭西(フランス)領アルジェリイ生れの亜刺比亜(アラビア)人エルアフイは少しばかり跛足(びつこ)を引きなが
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小説 押絵と旅する男 初出年: 1929年
この話が私の夢か私の一時的狂気の幻でなかったなら、あの押絵と旅をしていた男こそ狂人であったに違いない。だが、夢が時として、どこかこの世界と喰いちがった別の世界をチラリとのぞかせてくれるように、また、狂人が、われわれのまったく感じえぬものごとを見たり聞いたりすると同じに、これは私が、不可思議な大気のレンズ仕掛けを通して、一刹那、この世の視野のそとにある別の世界の一隅を、ふと隙見したのであったかもしれない。 いつともしれぬ、ある暖かい薄曇った日のことである。それは、わざわざ魚津へ蜃気楼を見に出掛けた帰り途であった。私がこの話をすると、お前は魚津なんかへ行ったことはないじゃ
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小説 巡査の居る風景 初出年: 1929年
――一九二三年の一つのスケッチ―― 一 甃石(しきいし)には凍つた猫の死骸が牡蠣((かき))の樣にへばりついた。其の上を赤い甘栗屋の廣告が風に千切(ちぎ)れて狂ひながら
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評論・研究 政治的價値と藝術的價値 ――マルクス主義文學理論の再吟味―― 初出年: 1929年
一 コペルニクスは地動説をとなえたが、それを統一的理論によつて説明するためにはニュウトンをまたねばならなかつた。ところが今日の小学生は萬有引力の公式を知つている。だからコペルニクスよりも二十世紀の小学生の方がすぐれている! 石造建築は木造建築よりも進んだ建築である。某々洋食店は石造建築である。法隆寺は木造建築である。だから、某々洋食店の建築は法隆寺の建築よりもすぐれている! これ等の論理には矛盾がない。だがこの論理からひき出された判断は、必らずしも私たちを首肯せしめない。その理由は説明するまでもなく、誰で
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小説 アンドロギュノスの裔(ちすじ) 初出年: 1929年
——曾て、哲人アビュレの故郷なるマドーラの町に、一人の魔法をよく使う女が住んでいた。彼女は自分が男に想いを懸けた時には、その男の髪の毛を或る草と一緒に、何か呪文を唱えながら、三脚台の上で焼くことに依って、どんな男をでも、自分の寝床に誘い込むことが出来た。ところが、或る日のこと、彼女は一人の若者を見初めたので、その魔法を用いたのだが、下婢に欺かれて、若者の髪の毛のつもりで、実は居酒屋の店先にあった羊皮の革袋から毮り取った毛を燃してしまった。すると、夜半に及んで、酒の溢れている革袋が街を横切って、魔女の家の扉口迄飛んで来たと云うことである。 頃日読みさしのアナトール・フラ
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小説 桜の樹の下には 初出年: 1928年
桜の樹の下には屍体が埋まつている! これは信じていいことなんだよ。何故つて、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だつた。しかしいま、やつとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まつている。これは信じていいことだ。 どうして俺が毎晩家へ帰つて来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、選(よ)りに選つてちつぽけな薄つぺらいもの、安全剃刀<
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小説 十姉妹(じゅうしまつ) 初出年: 1928年
田面(たのも)には地図の様な線條が縦横に走つて、旱(ひでり)の空は雨乞(あまごひ)の松火(たいまつ)に却(かへ)</
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評論・研究 誰だ? 花園を荒らす者は! 初出年: 1928年
文藝は、言ふまでもなく広い意味に於ける人間の生活を対象とし、題材とするところに成り立つてゐる。人間生活がないところに文藝はあり得ない。あらゆるイズムに属する文藝が――自然主義の文藝も、象徴主義の文藝も、神秘主義の文藝も、その表現とか様式とか、観点とかその他にはいろいろの差別なり、特徴なりがあるとしても、結局、人生――即ち広い意味の人間生活に、何等かの意味に於いて関心を持つところから生れて来てゐることには、変りはない。或る人に依つては、自己のための藝術が主張される。が、「自己のため」といふことも、窮極するところは、あらゆる人間のためといふことになる。人間は、無人島の中に、たつた一人で生活