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検索結果 全1058作品
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詩 詩集『ひまわりキッチン――あるいは ちょっとペダンチックな原色人間圖鑑』抄 初出年: 2011年
夢明かりの果て ――安西均「この歌は何にまつはりうたいしか」による本歌取りの試み 袋小路に踏み込んで あやうく踏みくだきそうになってしまった思い出。 赤ちょうちん、ドブ板を渡る下駄の音 木洩れる奥居のかすかな天女の香 おまけに、釣瓶井戸辺の少女が、地球に話しかけている。 心の傷口に風がたわむれ </
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随筆・エッセイ ガリラヤのカナ(抄) 初出年: 2011年
第一章 カナで何が起こったか ヨハネ福音書の特異性 ヨハネ福音書は、他のマタイ・マルコ・ルカ各福音書にはない独特のリズムに揺動している。 ヨハネ福音書以外のマタイ・マルコ・ルカ各福音書は共観福音書と呼ばれるが、ヨハネ福音書はそれらとは一線を画したものとされる。 ヨハネ福音書はその思想性・霊性において、共観福音書をしのいでいる。 それはまず、あまりに有名な冒頭から開示される。 「初めに
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短歌 歌集『オリオンの剣』(抄) 初出年: 2011年
オリオンは剣(つるぎ)を持つや寒々と冬の夜空の漆黒ふかく 地層断面 おだやかに星を見上げることもなくただ一心にキーボード叩く みずからを咎むべきことある夜は顔を洗えり幾度となく 埋み火のごとき心よ日曜に日すがら読めり北欧神話 ひたむきに海を見ていた少年期青の深きは忘れ難しも
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評論・研究 自ら問い続ける力を育む文学教育 ―『こころ』『山月記』 初出年: 2011年
教材としての魅力、例えば『こころ』 現代文の授業はとにかく面白い。例えば『こころ』『羅生門』『山月記』などは、どれも生徒の多様な読みを掘り起こす。 今年度の本校の文化祭公開日に、昨年度の卒業生たちが訪ねてきて、口々に「先生の夏目漱石の『こころ』の授業もう一度受けたいよ。」と言いはじめた。大学に入ってから、改めて受け直したいと思うのだそうだ。実はこれは毎年卒業生の恒例の訴えで、前任校でも前々任校でも、卒業時の生徒の寄せ書きや年賀状には、必ず何人かが「『こころ』の授業は忘れられません。後輩のためにも、あの授業は絶対やめな
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詩 プラネット・アースの旗の下に 初出年: 2010年
たとえば 古代ギリシャの彫塑であるなら 顔を欠き 腕を欠いても その背後に隠れている何かを ある時は眼 ある時は耳 ある時は心で 視ることもできるだろう だが 21世紀のいま おそらく この水の惑星は 引き返すことのできない変貌の途上にある それで ぼくたちは眼を閉じるのだ 両手をひろげて立ちすくむのだ  
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詩 少 年 初出年: 2010年
ここから広島の郊外 夏草の残る練兵場 午前八時十五分 少年はこんなに朝早くから 昆虫でも探しにやってきたのだろうか 突然 一条の閃光が少年を貫いた 彼は一本の火柱となった 一瞬 炭素と化した少年は 焦土に大の字に横たわり 空洞の眼を大きく見開いて 天を睨んだ 空洞の口を大きく開いて天に叫んだ 母を呼んだか 兄弟を 友を呼んだか 痛みの叫びか 一本の歯も
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小説 ほたるの恋 初出年: 2010年
第一章 蛍 火 ひとすじの川がある。 誰が名付けたかは知らぬが「思いの川」と呼ばれ、その名の通り多くの人々の思いを抱きながら流れている。 その川の畔に、かつて一軒の家があった。小夜子(さやこ)と日向子(ひなこ)の姉妹が生まれ育った家である。川が大きく曲がって淵になっ
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詩 哀しみなどというものは 初出年: 2010年
哀しみはないのだ 哀しみなどというものは いま 終の間際にあろうとも すっかりの骸に もう野晒しが似あうとしても そのときそれまでの生が はたして生などあったのか もはや憶い出せなどしなくとも そうでなければあのように 吹いてはゆけない 風はすぎる 立ちどまる哀しみなどなくあのように 風はすぎる </p
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評論・研究 全身芸術家・高村光太郎の実像 初出年: 2010年
今回の講演では、「全身芸術家・高村光太郎の実像」という演題で、お話をしたいと思っていますが、私は、ジャーナリストとして活動しているので、詩人でも、研究者でもない。ひとりの市井の読者として対応しているから、高村光太郎について、例えば、詩人として詩作体験を踏まえて何かを語る訳でも、評論家や研究者として、人物論を語る訳でもないということを予めご承知置き願いたい。私の話のポイントは、全身芸術家という聞き慣れないことばにあると思っていますので、このキーワードが、でてきたところは、注意して聞いて下さるとありがたいです。 <
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詩 世界でたった一羽の青い大きな鳥 初出年: 2010年
空が青い大きな鳥でなくて良かった 碧い大きな鳥だとしたら 飛び去っている こんなに汚れた地球を捨てて キッチンで食器を洗う 良い香りの洗剤で 輝く白い皿 グラス 銀色のスプーン 汚れよさようなら 美しい食器たちでワタシは満足 皿からグラスからスプーンから離れた汚れたちは 水と旅をしている <
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詩 時の声が聞こえてくる(抄) 初出年: 2010年
たんぽぽよ たんぽぽの花が 野原を うめつくす 線路は春にうもれて この風景を 越え あの日に つながっていく たんぽぽよ もう帰れない あの春の日にも 咲いていたね はじめてのわかれ 指切りをした ふたりの足もとで 咲いていたね
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詩 津軽・抄 初出年: 2010年
鬼灯(ホズギ) 倉の白壁(スロカベ)サ 秋陽(シ)コ照(アダ)てだ 軒下
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随筆・エッセイ BASIC & FUN 初出年: 2010年
キッチングッズ、器から、文房具、バック、コスメまで MIKI USUIの雑貨ライフ はじめに 職業柄、モノはたくさん持っているほうだと思います。買い集めているというよりは、モノとの出会いが多いので、結局、手に入れる機会が多くなるのでしょう。この本を執筆するにあたって、何をとりあげようかとかなり迷いました。2008年6月末から、ここサンフランシスコで暮らしているのですが、東京の家に残してき
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詩 紺青色の便箋紙 初出年: 2010年
珊瑚礁の海から便りが届いた 自由奔放な雲に託されて あれからあの島も 人間が住めなくなりました 椰子茂る孤島になりました もう 爆弾も落ちて来ませんが 敵味方の屍が寄り添いながら 静かに眠っています 波が一日中子守歌を歌っています 戦争は もう起きないでしょうね 近
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詩 アンモナイトの夢 初出年: 2010年
人工衛星の破片が 降りしきる 生まれたままのすがたで あたしたちは 濡れて歩いた ここちよい冷気が やわらかに吹きつける ときに からみあい せめぎあって すくい上げる仕草で 果てると きらきらした舗装道路は 腔腸動物となって ぬめぬめと切なく波うつ 散るのは 花ばかりではない 衛星も あたしたちも 同じ
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詩 誰のもの 初出年: 2010年
地球はただ1つ 太陽が悲しみ 月が悲しみ 地球が悲しむ 五つの大陸は 誰のもの 人類は地球にいる 大陸の気候風土にあった 海や花や鳥 草や木 山や川 けだものや魚が住み 風の吹くままに地球が動く 人類にたえまなく生命の源を応援しながら なのに地球が病気 だから人類も病気 地球の全部をひとりじめにしないで 分けあえば 太陽が笑い 月が笑い
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詩 広島のクスノキ 初出年: 2010年
目立たない一本のクスノキになって ぼくは平和記念公園の片隅に立っている ケータイを耳にあてて話す娘 デジカメをビルの残骸にむけて構える若い男 キャリーバックを引きずっていく老夫婦 その他大勢の見物客の雑音のうしろで ぼくは静かに呼吸している みじめに戦争に敗れたとき ぼくははじめて元安川の右岸に立った 放射能は草も木も生やさないのか 満干する潮の流れを見つめ </p
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詩 木はさよならを 初出年: 2010年
木は さよならをいわない くりかえしを生と知るこんにちはだけを 不動のままで季節ごとに示してきた 鳥は 切ないほどに木の気持がわかって そこに自分の命を賭けようと思うのだ 木が冬の風のなかで 一本一本のほそい枝先までさらすとき 鳥は自分がつくった巣の造形までも すっかり見られてしまうことに羞恥をおぼえる あれでよかったのだろうか (見られてしまう日のあることなど考え
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詩 漁夫とその家族 初出年: 2010年
シャバンヌ『貧しき漁夫』に 夕暮 私たちは道に迷ってしまった 泣いている幼い兄妹のように 海と湖の間にある砂丘の中で。 砂丘を覆う防砂林は奥深く拡がっているので 海鳴りはあちらからもこちらからも 聞こえてくるように思われた 私たちがここに来るとき 通り過ぎた湖水の岸辺に 四つ手網をあやつって わずかな小魚を獲っている た
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詩 愛シテイル 初出年: 2010年
触れあおうとする指先があつくなろうとしている いるはずだが このところずっと手をつないでいないからね だから だからなかなかうまく笑えない とてもとおおぅい とおおうすぎる「太陽」と「月」は 億年の未来から眼をさらのようにしているはずなのに 喃語は なおのこと奪っていないはずなのに ふかふかのまみど