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自ら問い続ける力を育む文学教育 ―『こころ』『山月記』

教材としての魅力、例えば『こころ』

 現代文の授業はとにかく面白い。例えば『こころ』『羅生門』『山月記』などは、どれも生徒の多様な読みを掘り起こす。

 今年度の本校の文化祭公開日に、昨年度の卒業生たちが訪ねてきて、口々に「先生の夏目漱石の『こころ』の授業もう一度受けたいよ。」と言いはじめた。大学に入ってから、改めて受け直したいと思うのだそうだ。実はこれは毎年卒業生の恒例の訴えで、前任校でも前々任校でも、卒業時の生徒の寄せ書きや年賀状には、必ず何人かが「『こころ』の授業は忘れられません。後輩のためにも、あの授業は絶対やめないでください」と書いてくれるのだ。

 私は二十年前から『こころ』の全文読破の授業を展開している。教科書部分だけ扱うより時間がかかるから、国語科で教材の進度を揃えるというような話が上がれば困る。しかし、これだけ支持者がいると降りられない。だから今日まで続けてこられたのだろう。授業時間には限りがあるから、まず夏休みに全文読破してくるように指示する。夏休み明けに「読んだかどうか確認」テストをする。もちろん皆が読破してくるわけではない。「上」「中」「下の二五章まで」に分けて一時間ずつ、計三時間。テストの時に初めて読む生徒もいる。「ええっ、これ全部読むの」とげんなりしていた生徒も、読み始めるとテストだということも忘れて入り込んでしまい、「終わり」と声を掛けても気付かない。これは恐らく教材のもつ力と発問の適切な誘導によるものだろう。その解答・解説に三~五時間かけて、クライマックスへの伏線を確認する。最近の教科書は四〇章から掲載しているが、私は二二章から授業に入る。二二章からKが下宿に連れてこられる経緯が書かれているからだ。毎回生徒に記録してもらっている「現代文授業記録」というノートに、生徒が日々の感想を輪番で書いてくれるのだが、「下」のテストが終わったあたりの生徒の感想を次に、いくつか挙げてみる。

*「上」と「中」だけを読むとミステリー的な話のようにも見えます。しかし「下」を読むと、また深い違った小説を読んでいるようで、時間を感じさせないぐらい読み応えがあります。二回も読んでいるのに伏線になっている細かいところは覚えていません。しかし、授業でそれを確認していると楽しい不思議な感じさえします。(女子A)

*自分がいろいろなものに騙されたり思い込んでいるということに気がついた。「先生」が本当に叔父さんにお金を取られたかどうかは、確かにこの文章ではわからない。自分が思うこと、考えることは、それを人に語る時、どうしても「そう思いたい」「思われたい」という欲望が入るから。言葉って、大変だと思った。(女子B)

 これは、叔父が自分を欺いて財産に手をつけたといういきさつが語られているところまでを読んで生徒が感じたことだ。

 

*最初はこれだけKを信じてKと暮らすことに熱心だった先生の気持ちがどのように変化していくのか早く先が読みたい。(男子C)

*いろいろなことが伏線になっていて、ストーリーをなるほどと思わせているのだから、どの表現もうかつに読み飛ばせない緊張で、わくわくする。(男子D)

 Kを下宿に連れてきたいきさつは緻密に描かれている。同情・共感・意地・畏敬、そして「彼(K)の強情を折り曲げるために、彼の前に跪く事をあえてしたのです」とある。これが、のちの重要な伏線をになっていくことを生徒は読み取っているのだろう。

 この「下」の前半部を「あらすじ」仕立てで読み飛ばし、教科書本文の四〇章からでは、あっさりと「友情と恋愛の板挟みになったエゴイスティックな近代の青年の孤独と苦悩」と読まれてしまう。全文を通して読むと、生徒は、人間の日々の「こころ」の不思議を自分の日常と照らし合わせて洞察し始める。「下」の一部を半端に高校生に読ませるくらいなら、むしろ取り上げない方が、「小説読解は評論より易しい」などと誤解する生徒は確かに減るに違いない。

問いかけること、問い続けること

 教材にいくら魅力があろうと、授業者がそれを引き出せなくてはどうにもならない。教材を台無しにしないためには、どうしたらいいのか考えてみたい。予め授業者が答えを用意した質問をすれば、生徒は「私は何を要求しているでしょう」という教師の胸の内を探るために文章を読み、解答を探る。いわば底の浅い正解主義に走らせる。ちなみに、授業者は前もって研究書などをあさっていろいろな解釈の可能性を知っているが故に、いわゆる読解の果ての「正解」が分からないのがふつうだ。例えば「なぜこの学生が先生の過去を語る相手として選ばれたのか」または「彼にだけは、語りたいと思うのはなぜか」という大きな質問をしておく。「真面目だから」と単純には答えられない。なら、なぜ「遺書」でなければならなかったのかと続けなければならなくなる。これもさまざまに解釈されているが、是非生徒にも読み取ってもらいたいところ。だが、いきなりこんなことを聞いたらそれこそ還元不可能な複数性(アナーキー)になってしまうので、それを自分なりの筋道を立てて説明できるように、ヒントになる伏線を見つけさせる。この過程で、「上」の学生の語り口が気になり、「中」の父親と先生の何を比較しているのかが気になり、先生の遺書の「義務」という言葉が気になり、「話したいのです」という先生の語り口が気になりだす。又、なぜ「下」の各章の始まりにはカギ括弧がついているのに、閉じ括弧は五十八章だけなのかという重要な問も出てくる。それが、それぞれの読みへと入っていく入り口なのだと思う。

「語り」を読み取る授業『山月記』

 文学的な言語表現の読解は一筋縄ではいかないということは今や常識だが、「正解」を求める「テスト」も横目でにらみながら、それをどのように取り上げていくか。実は、丁寧に日常からの例を挙げながら内容を読み取れば、どのような生徒でも、何層にも入り組んだ「語り」や「伏線」「ほのめかし」「メタファー」による表現の複合構造性を十分に理解する。さらに「語り」は語りかける相手によって気持ちが変容するため、誰にとっても可塑性を持っているものだということ。言葉の意味の了解が社会的な記号(コード)から成り立っていて、個人の個性や自由なんかではないこと、それぞれの心の中で固有の解釈が行われて、疎通性などまるでないこと。だから、読解はさまざまに変容し正解のないことも。

 『こころ』の授業の前に、『山月記』を教材として取り上げている。これは、生徒に質問を作らせることで進行する。通読の直後と、授業の途中で、一通りの読解が終わった後にも作ってもらう。その中に例えば「主人公の告白はなぜ繰り返し自嘲的になるのか」という質問があった。これは授業中に取り上げた。まず私は「普通、人はどんな時に自嘲的になるの」という質問から入った。机をコの字型にして生徒は前後左右の生徒と話し合うのだが、そのうち生徒のひとりがとんでもないことに気がついた。「先生、自嘲的な調子というナレーションは李徴が袁慘にものを頼んだ後だけですよ」と言うので確認したら、そのとおりだった。それから教室は、「なぜ袁慘に頼む時にそうなるのか」という問を考えることになった。この時代の科挙や政治の背景などには一切触れず、自分たちの心理で考えられる範囲の結論はこうだ。「結局袁慘って、全編を通してなんにもしていない。ただ、息をのんで聞いているだけ。詩も人に書き取らせて、李徴に頼まれたことだけ快く引き受けるけれど共感もしていると思えない。いわば人ごと」「李徴の言葉の『だれ一人おれの気持を分かってくれるものはない』の『だれ一人』には自分も入っているのに何も反応していない。ただ、もらい泣きしているとしか思えない」「つまり応答してないよね」「だいたい、袁慘に躍りかかった部分が不自然。馬の上の袁慘より、お供の方が食べやすい。わざと袁慘に飛びかかって気を引いたとしか思えない」「ナレーターは触れてないけど李徴は袁慘だと知っていてわざと飛びかかったとしか思えない。やはり昔通り何も分かってもらえなかった李徴の『どうせ』って気持ちが自嘲として出ている」「袁慘って案外悪者? 袁慘が李徴を自嘲的にさせてるんだ」こんな結論に至った。もちろんこの先も問い続けることを条件に。これは、あくまで教材を「語り」にこだわって生徒が読み解いた一例である。小説における「語り」の問題は重要である。その辺りについては、竹内常一『読むことの教育』(山吹書店)、田中実『小説の力』(大修館書店)などが分かりやすく、必読の書として紹介しておきたい。また『バフチン言語論入門』やロラン・バルトの『物語の構造分析』などもお薦めである。

自ら読み解くことの喜び

 再び『こころ』に戻ろう。この教材の「テキスト」としての魅力は「自白(告白)文は、あえて語らないところにこそ謎の答えが潜んでいる」ということだ。かつて、ある生徒がこの作品のテーマを問う課題に、三三章の「蒟蒻閻魔のすれ違い」の部分に作品のすべてが凝縮していると論じたことがあった。これは力作で面白かった。

 また、四〇章から四二章にかけてはシナリオ仕立てにしたプリントを作っている。Kの肉声(直接話法)が記述されているのはここだけだからだ。間接話法もすべて台詞にして、二人の生徒に前に出てKとS(先生)を交互に演じてもらう。演じた後に、二人が実際にどんな気持ちになるかを問うのだが、ある時Sを演じた生徒が「KよりなんぼかSの台詞の方が苦しいですよ。特にK『やめてくれ。』(頼むように)S『止めてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先でやめたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか』というところは、Kに責められている気がして怒りとも抵抗ともつかない苦しさで吐き出す感じになる」と言うので、お陰で初めてこの応答(応酬)で、実はKより先生の方が追い詰められていくのかもしれないと思うようになった。

 『こころ』という教材で、ここには書ききれないほど生徒の新しい読みに示唆されて、二十年の間わくわくしながら授業してきた。今年度で高校の教壇を降りるが、恐らくこんな刺激的でスリリングな授業は大学では出来ない気がする。気負いも功利的な目的もなく、ただ恐ろしく中身の詰まった「テキスト」を目の前に、好奇心を全開にして読む生徒の姿に、もうお目にかかれないと思うことが、なんとも淋しい。

 高校は今や、私立も公立も目先の成果主義が幅を利かせて止まる気配がない。大学の進学実績や「テスト」の偏差値の成果をそのまま教育の目標に掲げるところもある。かつては多様な特色や教育理念を掲げていた学校も、その波に乗らないわけにはいかない。教師達は多かれ少なかれ目に見える成果を上げることに四苦八苦せざるをえず、その中で喘いでいるのではないだろうか。

 今日の文学的教材の教室での不幸な運命は、まず、文学的文章を読んでも論理的思考は身に付かないという誤解。また、それぞれがどのように読んでもいいのだという誤解。そして、読解にこれだという確実な「正解」がないために、予め決められた答えに導くという「入試問題的な読み」にそぐわないという誤解。「これは誤解なのだ」と入試の権威にここで登場していただく。

 駿台予備校のベテラン講師稲垣伸二氏の教員向けセミナーに参加したことがある。「小説問題をどう読むか」というテーマで、実際の入試問題に触れながら、吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』をアレンジして用いている用語だそうだが、表現の「指示表出」「自己表出」の二重性を読み取るという話だった。駿台の予備校生の中にきまって「問題文にない言葉を用いて解答してはいけないのですか」と質問する生徒がいるそうだが、それには「君は本文中の言葉だけで考えて書くのか」と言い返すそうだ。また「答えは搜すものではなく作るもの」とも。悪しき「正解主義」の犠牲者は世の中にあふれているのだろう。稲垣氏はまた「予備校の演習は通常の学校教育の授業の、地道な読解指導の上に成立しているものです。予備校の授業をそっくりまねしないで下さい」とも語っていた。

 言葉の習得は「感情」や「生きる実感」と結びついてきた。昔から「もの」に張り付いたレッテルのような記号ではない。語彙を増やそうとして、機械的操作的に漢字や語彙のドリル演習をしても、漢字クイズには強くなるだろうが、一向に語彙は定着せず読解力や思考力が伸びるわけではないことにはすぐ気づく。人は何か出来事や自分の内面に問題を感じて、言いたいことをふくらませ、感情を蓄え、それに触発されて言葉を搜し始める。そうやって捉えた言葉は深く定着し、言葉そのものが生きる力となる。国語教育の真骨頂はここにある。

「月刊国語教育」三七〇号(東京法令出版 二〇一一年一月一日発行)掲載

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2024/05/20

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福田 淑子

フクダ ヨシコ
1950年東京生まれ。歌人、俳人、評論家 都立戸山高等学校卒業。埼玉大学教養学部卒業。埼玉県立高等学校教諭を経て、元法政大学キャリアデザイン学部・文学部兼任講師・元こども教育宝仙大学兼任講師、JGCA認定ガイダンスカウンセラー,日本文学協会会員、日本歌人クラブ会員、俳人協会会員、世界俳句協会会員 他。 短歌誌「波濤」を経て、短歌誌「まろにゑ」、短歌誌「コスモス」、現代短歌〔舟の会〕、 俳句誌「花林花」、文芸家の会「架け橋」所属。元鉄幹晶子全集刊行会編集委員。「馥郁たる反逆」で埼玉文芸第70号記念評論賞, 「孤独なる球体」30首で第8回大西民子賞を受賞。 著書に、評論集『文学は教育を変えられるか』、歌集『ショパンの孤独』(第13回日本詩歌句随筆評論大賞短歌部門優秀賞)、歌集『パルティータの宙』(共にコールサック社)。

掲載作は、『文学は教育を変えられるか』(2019年6月21日、コールサック社)に所収。 今から50年近く前大学を出てすぐに赴任した公立高校は、全国的に吹き荒れた校内暴力の真っただ中で、教員への暴行や校舎の破壊が絶えなかった。生徒の気持ちを理解するのに、大学で勉強した現象学やフランス文学の知識など全く役に立たず、途方に暮れるばかりの国語の新米教師だった。たまたま全国同和教育研究会で手に入れた林竹二元宮城教育大学学長の『教育の再生を求めて―湊川で起こったこと』(筑摩書房1977年)に目を落としていて目から鱗が落ちた。その本は、不良としか見えないような風体の高校生たちが真剣な顔で、出張授業で登場した林先生の「人間について」というソクラテスの生涯についての話を聞いている姿が映し出されていて、その表情から「生きること」への魂の叫びが見えた。 それから、「授業術」への行脚が始まる。シュタイナー教育の子安美知子先生との出会いもそんな「授業とは何か」を模索する苦闘の時代のことだった。機会があれば公開授業を行っている高校に足を運ぶうちに、全国生活指導研究協議会の千葉律夫先生や竹内常一先生に出会い、毎月開催されていた高生研国語の授業研究会に参加するようになり、そこでの研鑽が法政大学の国語教育法の講師の道へ繋がっていった。 また、学校の現場で同僚や生徒が立て続けに自死するという出来事があり、それをきっかけに心理学の勉強も始め、大正大学カウンセリング研究所の村瀬嘉代子先生や、教育カウンセラーの國分康孝先生のご指導の下に学ばせていただいたことが授業の中にカウンセリングの技法を生かす道を拓くこととなった。また、ヘーゲル学者の長谷川宏氏に、わかりやすい政治評論文について指南を受けたことも授業術に役立てることになった。これは、そんなことを土台に組み立てた授業実践報告である。

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