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詩集『ひまわりキッチン――あるいは ちょっとペダンチックな原色人間圖鑑』抄

 

夢明かりの果て

  ――安西均「この歌は何にまつはりうたいしか」による本歌取りの試み

 

袋小路に踏み込んで

あやうく踏みくだきそうになってしまった思い出。

赤ちょうちん、ドブ板を渡る下駄の音

木洩れる奥居のかすかな天女の香

おまけに、釣瓶井戸辺の少女が、地球に話しかけている。

心の傷口に風がたわむれ

それが嫌で諸葛菜の顔色をうかがい

新聞をひろげて井戸の中の蛙の棲み処を知ることになる

そんな春、印刷所の塀の向こうに

刷り上がったばかりの夕陽がはじかれていた。

袋小路から順に日が暮れると

燈籠の灯が人に媚びた鬼灯の悔いを見習う

明るすぎる夢は、目の前の卯の花が息をするせいだ

夜半には時雨、明け方の曙光

なだらかな女の肩にも似た一日がまた始まるのだ。

夢の中では

湖のような水溜りに語りかける水鳥が

釣瓶井戸辺の少女だったことに気づく

旅の終わりに駄馬が戯れ唄を

うたうのはそのさきにせつない水が

あるのを本能的に知っていたからだろうか。

老婆に呼び止められ

すすめられたサイダアの

なんと思い出の窪みにしみ込むことか。

レントゲンには映らない心の棘が

旱魃のように広がるから

妻よ、その湖を見つめるな

湖に系図を問うな

あれは夢のなれの果て

涙のなれの果てだ。

 

 

「花の店」二号店

  ――安西均「花の店」による本歌取りの試み

 

影を塗りつぶさなければ生きていかれなかった夜

とある街角でこんもり、ほんのりと

花屋二号店にはかなしみがいっぱい

一生懸命言葉の花束に埋まった詩人がいた

 

ヴェルレーヌもランボーも

一度はむしってみたにちがいないその花の

憂い顔をスネた目つきでみるのもいいものだ

花はほほえみながら

人に喜びを与えるものだとは限らないのだから

しかし花屋からかなしみが溢れ出したら

詩人の心にかなしみは溜まるだろうか

しおれた花が心なくも屑籠に放り込まれるのを

どうすることもできないのは辛いことだ

 

花屋では、詩人の言葉をバラ売りする

賑やかであればあるほど痩せるのも早い

とある街角にうず高くつまれたかなしみは

夜の心となって影を塗りつぶす

夜の花屋は夜の香を発酵させ

人の内側に新しい店を出す

 

 

アレキサンドリアが一房

  ――安西均「朝の市場」による本歌取りの試み

 

アレキサンドリアが一房、甘い朝を震わす

天の市場に光が雄々しく広がる時刻

ぼくの魂のぬくもりが

売り買いされて、 ちょっぴり寂しくなる

 

約束したとおり、 その人は

手籠に甘い粒の輝きを

一房、唇に愛をつぶした

ああ 未来は何も育てないのか

歩道には一粒の核が、その人の唇から

冷たく突き放された

これが、ふられた恋人の気分

ああ、

 

アレキサンドリアが一房、甘い朝を広げる

麗しい天の市場に

 

 

ひまわりキッチン

  ――《向日葵の黄色》7Y 8.5/10

 

カレーライスが侵入してくる

隣りの家は多分、一家団欒を味わっているところです

負けじと主婦は鶏肉と卵、それにレタスを俎板に申告

たちまち崩れる親子関係

鍋と包丁が飛び交い

血の海ならぬ美食の海が

防人のように食卓に押し寄せるはず

 

グツグツ煮えている鍋の中には

貧乏神が汗をかきながら泳いでいましたね

昨日まで隣家に取りついていた奴が

 

月曜日に買ったセーターを

ほぐしている主婦

確か去年

亭主もほぐしたっけ

訳ありの彼女はそんな訳で

透明な蚕になりました

よくあることですよ

本当は愛する人を包み隠すつもりだったのに

また、ほぐしているうちに

人生の地図がこんがらかって

迷宮にはまってしまったのですね

 

KEISATSUはキッチンを捜査します

すべすべするまで鍋の底を洗い

ルミノール反応がないかと

シンクを磨く

バカバカしいほど暖かい火曜日だ

隣家もその家も

同じ階級なのに人の見る目が違ったのは

カレーライスと鶏鍋の

階級闘争のせいなのです

失踪した貧乏神と

蚕になった主婦の行方は

台所の隅から芽をだしたひまわりが

大人になるまで教えてはくれないはずです

 

 

骨の仮面(ペルソナ)

  ――《灰の本質は象牙色》2.5Y 8.5/1.5

 

私の骨を見るな

灰になった骨を見るな

灰になったボロボロの骨の果てを見るな

とても恥ずかしいから。

魂の、休む場所がなくなった丸裸の骨

衣服で隠すことも必要なくなった

その灰の、むなしいだけのフォルム

もうウソ泣きしたり、愛想笑いをしたり

嫌いな相手を軽蔑しながら握手したり

大勢の人をそうやってたぶらかし続けてきた

人生の終点の形。

そして今はそんなこともできなくなった灰の私。

そうなってさえまだ白いのは

さらに誰かを欺こうとしているのか

秘密にしていた恋の結末や

性癖までもがそこに浮かびあがってくるからだろうか

そのいやらしさゆえに私は恥ずかしいのだ

灰の本質

見破られるためにある、その。

だから見るな

私の骨を見るな

魂まで丸裸にされた私を

私のペルソナを。

 

 

愛し日和には

  ――《淫らな色はシグナルレッド》 4R 4.5/14

 

私はそっと手を握り返したのですが。

 

耳の奥でゼンマイの音

遠い海辺のざわめき

愛し日和には淫らな事をしてはいけません

この一日を気持ちよく使い切るために

糊をたっぷりつけ

アイロンをかけてのばしたYシャツの

袖のシミに気がついても怒ってはいけません

剃刀で傷口に愛の言葉を刻みこむ行為は

野蛮だからこそ熱い気持ちが伝わるのです

影法師の背骨がとろりと折れるころ

 

私はそっと肩に手をやったのですが。

 

目の奥に春の海

溢れる青空に波紋

でも、そこで泳いではいけません

安易に息をはずませればずぶずぶと

花の色香に溺れる、弱い自分を発見してしまうから

あなたはあなたの息で

愛し日和を咲かせるのです

淫らな事をしてはいけません

そんな、春の声に驚いて

私は、あなたの唇に置いたものを

ゼンマイのように巻き上げて帰ります。

 

 

開戦前夜

  ――《珊瑚色の魂に》 8R 7.5/7.5

 

花びらが散ってゆく

音も立てずに

このひとひらひとひらが

もしも人の魂であったなら

どれほどの叫びになるだろう

魂を干すほどの力

夕闇にひそむ

悪魔めいた言葉は

アマゾンの美女マエモンジャコウアゲハよりも美しい

地の崖から飛び降りたヘラクレスよりも

ずっと天の声に近い

その時、 ふと

鋭角に生きて

ひっそりと雪崩た人を想う

花びらの中に

舞う吐息を想う

誰よりも季節の挨拶に敏感だった人を

玄関を出て歩き始めた先に

軍靴の音が聞こえる

彼らは花びらが

なぜ散るのかを知らない

 

その木がいつから泣いているのか

ひとひらひとひらに痛みがあるのか

その木が銀河を支えていることさえも知らない

とがりはじめた人の魂が

軍港に満ち溢れているというのに。

 

 

朝が用意するもの

  ――《人妻の嫉妬はチェリーピンク》5R 4.2/12

 

朝が用意するもの

一椀の味噌汁

付随する箸の音

その音に隠れて覗いている人妻の嫉妬

それから人が出払った後の静寂

それは突然開花する

一輪挿しのアネモネに似て

 

玄関から

ギザギザの航路が見え

その傍らで悩みをかみしめる君がいる

 

朝が用意するもの

猫の鳴き声

未知の国へ飛んでゆく飛行機の白い翳

葬式へ出かける人に渡すハンカチ

一息ついて足を投げ出すためのソファー

もう帰らない夫のために置いてある

離婚届と淋しいハンコ

その傍らに窓を閉め切る君がいる

 

どれだけ長い間、同じことが繰り返されてきたことだろう

それなのにどれも

同じ様式でいて同じではない

時間をひろげ

少しずつズレてゆく味噌汁の味

その先はまた新しい朝

刺身を切るように

私の首筋をスッと切る

包丁のような

君の微笑み。

 

 

火星人のえくぼ

  ――《その手は亜麻色》10YR 8/2

 

空と大地からできている村があった

 

映画「イージー・ライダー」を見た夜のこと

力ずくで空に国境のような斜線を引くと

流れ星になった

流れ星に乗ってその人はやってきたのだ

手を握ると

そのくぼみに、ほんわかとした

柔らかい町ができた

その人が笑うと、街路灯が点った

友達のようだね、というと

ポケットからピアニカを取り出して吹き始めた

それは向日葵や薔薇が季節や国を越えて

咲き始める合図だった

たちまち心が温まり

地球が明るくなり

地球の水が小躍りしてピチャピチャとこぼれた

頭の中の紙に火星の地図ができるのはそんな時だ

その人は、夜からはみだして

明け方の空にスズメを並ばせ

音階をつくった

それから世界のはじっこを創造した

あれはホタル?

いや、流れ星。ぼくの帰る道さ

アイスクリームをなめながら

悲しそうにいった

その意味を知ったのは

ぼくが眠りについたあとだった

「イージー・ライダー」が終わると

その人は消えていた

 

その人の、トマトのようなえくぼが印象的だった

 

 

スーパーマンの孤独

  ――《孤独はいつも黄金色》2.5Y 7.5/11

 

スーパーマンといえばヒーローの元祖だ

誰が何と言おうともぼくのヒーローだった

空がとべたらいいな

凄い力持ちだったらいいな

不死身だったらいいな

そんな願いを叶えてくれたから

ヒーローだったんだ

 

飛べないスーパーマンに向かって

子供たちは「飛べ!飛べ!飛べ!」と叫ぶ

こぶしを振り上げ叫んでいる

そこでヒーローは仕方なく苦笑い

それから

泣き顔になる

「どうしてスーパーマンが泣くの?」

そして今度は子供たちが泣き出す番だ

針金で吊られていたヒーロー

真実はそんなもんさ

 

悲劇と喜劇は背中合わせ

戦争と平和が隣り合わせなのと同じように

それに気付かない人たちが

大人になって戦争を始める

こぶしを振り上げて

ヒーローはいつだって悲しいものだ

真実という器には

いつも弧独だけが

チャプチャプと注がれている

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2015/12/24

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望月 苑巳

モチヅキ ソノミ
もちづき そのみ 詩人 1947年 東京都荒川区日暮里に生まれる。スポーツ新聞記者をへて、フリーライター。映画関係の原稿を中心に書いている。主な著作に『紙パック入り雪月花』、『増殖する、定家卿』、『団塊力―ひもパン洗濯おとーさん奮戦す』など。

掲載作は詩集『ひまわりキッチン――あるいは ちょっとペダンチックな原色人間圖鑑』(2011年、砂子屋書房刊)より著者自選抄録。

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