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ほたるの恋

第一章   蛍 火

 ひとすじの川がある。

 誰が名付けたかは知らぬが「思いの川」と呼ばれ、その名の通り多くの人々の思いを抱きながら流れている。

 その川の畔に、かつて一軒の家があった。小夜子(さやこ)日向子(ひなこ)の姉妹が生まれ育った家である。川が大きく曲がって淵になっていた場所だったので、あたかも川の淀みに突き出した小さな岬の上にでも建っているような家だった。

 当然低い土地でもあり、川に大水が出るたびに浸水の憂き目にもあったが、先々代の当主が自宅を普請した折り床をかなり高くして造り変えていたので、まるで釣殿のような不思議な趣のある家構えとなっていた。それを面白がる来客も多かった。

 川端の家に行くには、思川にかかった細い木の橋を渡らなければならなかったが、子供にとっては逆にそれが魅力でもあった。小さな冒険にでも挑むかのように、学友たちがよく遊びに来たがった。

 太い杉の木を半分に割って造ったその木橋には、こんな逸話があった。中学生になったばかりの小夜子のクラスの新任の若い女の先生が、生徒たちの家へ家庭訪問に行くとき、川向こうへ渡るための橋が恐くてならず、どうにも足がすくんでしまって、渡りかけた橋の途中で立ち往生してしまったのだ。

 向こう岸から見ていた小夜子は、一散に橋の上を駆け足で先生を迎えに行った。その振動にさえ怯えた都会育ちの先生は、泣き出しそうな表情をして、助けに来た教え子の体にしがみついた。そしてまだ華奢(きゃしゃ)な小夜子の肩に両手を掛けると、伝い歩きを始めた幼児のように、よちよちとようやく橋を渡り終えたのだった。ふだんなら引っ込み思案の小夜子には、これが少女期唯一の「武勇伝」となった。

 思川の川縁は現在のようにコンクリートの護岸工事もなく、自然の姿のままにススキやら野菊やら、ヤマブドウの若木でさえも生い茂っていた。

 まるで誰かが植えたように、上流の川の縁には、アカシアの大木が、五本ほど仲良く並んで立っていた。春になると真っ白な花房が幾筋も垂れ下がり、その花びらが風に吹かれてはらはら、ほろほろと散りながら川面に浮かぶ様は、見事なものだった。

 思川の畔では様々なことを体験した。台風が通りすぎた日の翌日、一度水かさがどっと増えてすーっと退いた後の川を見ると、まるで河床の石を一つ一つ手に取ってタワシで磨き上げたように川底がきれいに澄んでいる。昨夜までの暴風のうなり声、大雨の激しさに怯えていた心が嘘のように一掃され、清められる。

 こんなことも田舎育ちの少年少女の多感な心に、何らかの作用を及ぼすのに十分なできごとの一つだった。

「太陽に向かう子」と書いて日向子(ひなこ)、「小さな夜の子」と書いて小夜子(さやこ)というのは、祖母が名付けたものだった。もっとも、祖母の言葉を借りれば「弁天様に選んでもらった」ということになる。

 川端の家から思川の対岸の道路沿いに、弁天様を祀ったお堂が古くから建てられていた。丈六の高さの美しい木彫りの像がたおやかに佇んでいた。

 弁財天といえば、財福を司る神であると同時に水の神、そして音楽や芸能の守護神ともされていた。

 何故この地に、わざわざ遠いインドに端を発する女神様をお祀りしたのか定かではない。けれど川端の家では水を鎮める意味と、かつて商いを営んでいたことの名残なのか、川岸のこの弁天様を深く信心していた。

 そして初孫が生まれる時、祖母はなぜか女の子の誕生を信じて疑わなかった。女児の名前を二つ考えると白い半紙に黒々と墨書きし、川向こうへ渡った。そしてその二枚の紙を米粉を溶いたのりで弁天堂の格子戸に貼り付けて帰ってきた。

 翌日、日の出を待って再び弁天堂を訪れると、二枚のうち一枚が残りもう一枚は夜風に乗って川面を流れていったのか、辺りを捜しても見当たらなかったという。その弁天堂に残った方の名前が「日向子」だったのだ。

 二年後、二人目の孫が生まれた時祖母はためらわずにもう一つの名前を付けた。それが「小夜子」だった。

 十歳ほどになってから、その話を聞くともなく耳にした小夜子は、自分の運命が生まれたときから決められていたような気がして、何ともいえない悲しみを感じた。それでいて「やはり」と納得できるような気もしたのだった。

 なぜなら二歳上の姉とは、容姿や性格や好みなど全てにおいて正反対に思えたのだ。

姉の日向子は、その名の通り太陽に向かって咲く大輪のひまわりの花のように、明るく積極的で目鼻立ちもはっきりした娘だった。一方、小夜子はといえば、引っ込み思案で大人しく、顔立ちも日向子に比べれば地味な感じがした。赤の他人が見れば、よく似た姉妹だと思うのかもしれないが、血のつながった者から見れば、その違いは明らかだった。

 もっとも祖母に言わせれば、妹の小夜子に「残り物」の名前を付けたとはさらさら思っていない。実は、川端の屋敷の中にも、弁天様の小さな(ほこら)が二つもあった。ふつう、屋敷神を祀るといえば、氏神様を始めとして稲荷様、八幡様、日光権現様と一宮ずつであるのに、川端家では弁天様だけを二続きに祀っていたのだ。

「この家に生まれる二人姉妹は、ともに歌舞や音曲に秀でるというのが古くからの言い伝えだ。だからとびきり上等の名前を弁天様に授けてもらった」と、日頃から祖母は自分の息子とその嫁、つまり姉妹の親たちには自慢していた。

 姉の日向子から見たら、妹の自分は本当に月のような蔭のような存在だと、小夜子はつくづく思うことがあった。

 姉の後をいつも付いてまわり、自分一人では遊ぶこともままならなかった。だから姉の友だちの仲間に入れてもらうことの方が多かった。面倒見の良い姉も、妹を疎んじたりはしなかった。

 姉の同級生の一人に木暮清也(こぐれせいや)という名の少年がいた。姉と同じクラスで一緒に学級委員をしていた。清也の家の方が川下だったが、学級の仕事などをたまに持ち帰っては、川端の家で日向子と二人で頭を突き合わせてはあれこれと作業していた。たとえば、クラスの標語や予定表を大きな模造紙に書いたりすることや、学級文集を作ったりする仕事などである。 

 まだ中学生でもあったし、何しろ田舎の純朴な子供でもあったから、ただ仲良しのクラスメイトという以上ではなかったはずだが、二人の仲むつまじい様子を見ていると、小夜子はとても羨ましいような眩しいような気がして、傍にいるのを遠慮した方がよいのでは、という気持ちになってしまうのだった。

 学級の仕事を家まで持ち帰ってくるなんて、現代の中学生にはあまりないことかも知れない。が、当時はコピー機やパソコンなど影も形もなく、文集作りといえば、ガリ版刷りに手書きという有様だった。

 小学校の低学年の頃から硬筆が得意だった姉は、ガリ版の鉄筆も厭がらなかった。だがこれは、かなりの力を要するので、クラス全員分の原稿を受け持つのは大変きつい仕事のはずだった。けれど責任感もあり、潔癖症の一面もあった日向子は、一人でガリ版切りをやり遂げようとしていた。文集の文字の形を全て同じにしたかったのだろう。

 しかしとうとう腱鞘炎を起こしてしまい、右手の手首に湿布を張り、包帯を巻く羽目になった。それでも受け持ちの先生には泣きつくことはなく、同じ委員の清也の方に助けを求めた。

 その日から毎日、清也は学校帰りに川端の家に寄り、ガリ版切りをするようになった。なるべく日向子の字に似せようとして一字一画丁寧に書いていたせいか、おそろしく時間がかかった。日向子は傍で原稿を読み上げながら、まるで清也のことをやさしく監督でもするように見守っていた。小夜子はまたしてもそんな二人に、近寄りがたいものを感じていたのだ。

 期日が迫っていた。「最上級生になって」というテーマで書いた三年生一クラス三十九人分の文集を、仕上げなければならない期限があった。六月いっぱいまでに製本作業を終わらせなければならない。それはクラス全員でやるとしても、逆算して六月二十日までにガリ版切りを終わらせて、担任の先生に原稿を渡す約束になっていた。

 その前日の夜、日向子は病院に行っていて帰っていなかったのだが、清也は遅くまで残って最後の作業をしていた。小夜子は姉の代わりに清也の仕事を遠くから見守った。

ようやく全部終わった頃、母が「ご褒美(ほうび)に」と言って差し出した味噌味の焼きおにぎりを、彼はぱくぱくとおいしそうに続けざまに三つも頬張った。

 そして夜の道を自分の自転車で帰って行った。父の車で出かけていた日向子はまだ戻っていなかった。車道はずっと遠回りになる。清也は、川の向こうに渡るのに、例の細く狭い木の橋を通らなければならない。

 小夜子は心配になって、清也が橋を渡り終えるのを見届けるために外に出た。闇に目が慣れた途端、ハッと息を呑んだ。

 思川の流れの上に無数のホタルが、小さなランプをかざしたように光っていた。それはゆらゆらと儚げでありながら、けして消えないと思わせる強かさもある光だった。その夥しいホタルの灯し火の中を、一人の少年が自転車を押しながら橋を渡った。それはとてつもなく長い時間だった気もする。何かの力で引き延ばされた不思議な映画でも見ているような、小夜子にはそんな感じさえした。

 橋を渡り終え、向こう岸の道路に出ると、

「僕はもう大丈夫だよ。そっちこそ、気を付けて帰って」

 という清也の声が、思いがけないほどの大きさで耳元に届いた。小夜子は二重にドキリとした。自分がここにいることに彼が気づいていたということと、低音でよく通る大人びた声に、いつの間にか清也の声が変わっていたという驚きとで……。

 ホタルの灯火しか見えない闇の中に、変声期を通り抜けた少年の清々しい声だけが、残った。

 そしてその声は、小夜子の胸の小さな祠の中でいつまでも消えない木霊(こだま)のように響き続けていたのだった。

       *        *        *

 それから三十数年の歳月はあっという間に流れた。

 人はよく人生を、川の流れに例えるけれど、確かに似ているのかもしれない。ただ、川には大河と呼ばれるものもあるし、小川と呼びたいものもある。

 大河は、たくさんの支流を呑み込みながら、全てを自分のものとして悠然と流れてゆく。

 一方の小川は、ささやかなそのひとすじの流れをただひとすじに進んでゆく。別の川に呑み込まれることはあっても、決して他の流れを邪魔したりはしない。

 川も人もおなじようなことだろうか。

 けれど大きな川にも小さな川にも、どんな人の人生にも、その流れが変わる時がある。

天から降る雨は、大河でも小川でも等しく落ちる。水量によって川の流れが劇的に変化するように、人生にも転機はつきものだ。逆流や渦巻きなどにも似た……。

 果たして自分の人生はどんなものだったろうと、木暮清也はふと考える。

 気がつくと、五十の坂を越えていた。二十年間連れ添った妻には先立たれ、二人いた息子たちも巣立ち、今は一人暮らしである。

「男やもめに○○が涌く」と揶揄(やゆ)されることもなく、こざっぱりとした生活をしているが、これといって他人の役に立ったとか社会に貢献したと、胸を張って言えるほどの仕事をしてきたわけでもない。

 黙々と勤めをこなし、休日には趣味の囲碁を打ち、自治会の役員も引き受け、そして月に一度ゴミ拾いのボランティアだけはやっている。

 ただ四年前、妻に先立たれたのは一番の誤算であり、深い痛手だった。平凡な見合い結婚をした相手ではあったが、長い歳月をともに過ごすうちに、恋愛とは少しちがう意味の愛情や信頼関係を保つことのできた人だった。けれど実にあっけなく持って行かれてしまった。向こう岸の彼岸の国とやらへ。

 ふたりの息子たちも、自分に似て無口な方ではあるが、それぞれの道を見つけて着実に歩んでいる。いまさら親の出る幕も無さそうだ。

 そんなことを考えると、清也はつくづく自分自身の人生というものに、思いを馳せずにはいられなくなる。そしてむしょうに子供時代のことが思い出されるのだった。

 山と川に囲まれた土地で育った少年時代。大学に入ってからは全くの都会暮らしになってしまったけれど、彼の胸に消えることなく残っているのは少年の日の初夏の輝きだった。

「思川か……、しばらく故郷にも帰ってないな」

 両親も亡くなり、姉も遠くに嫁いでいた。もう、帰ることはほとんどない。

「遠い昔、一緒に遊んだ友だちは、今頃、どうしているのだろう」

 やもめ暮らしになってから、独り言がめっきり多くなった彼は、こう知らずのうちに呟いていた。そして仲のよかった同級生の男子たちの顔に混じって、よく遊びに行った日向子と小夜子姉妹の少女の頃の面影も鮮やかに思い出せるのだった。

 明るく輝いていた姉の表情とは対照的に、いつも恥ずかしげにうつむきがちだった妹の小夜子の面影は、なぜか彼の胸の中でチリリと焦がれるような痛みを伴うのだった。

 何か大事な忘れ物をしている気になった。それは小さくて取るに足らない物のようにも思えるのに、そのくせ、小さくてもとても大切なものだったような気もしてくるのだった。

 一方、三十年以上の歳月は、等しく小夜子の方にも流れていた。少女の頃、姉に比べれば目立たずに、引っ込み思案だった小夜子も、都会で一人暮らしを始め、仕事の方も徐々に軌道に乗ってくると、すっかり(たくま)しい女性に変貌していた。

「逞しすぎて、だれも、男の人が寄りついてはくれなかったのよ」

 というのが、もうすぐ五十路(いそじ)に手が届きそうだというのに、未だ独身の小夜子の口癖になった。「未だ」、というより「既に」ひとりで一生を過ごす覚悟は、とうにできていた。

 仕事にはたくさんの荒波があった。その度に呑み込まれそうになりながら、何とか同じ仕事を続けて来られたのは幸いだったとは思うけれど、人並みの女としての幸せには縁の薄い生き方だった自分の半生を、しかし小夜子は悔いてはいない。

 人との出会いには、必ず別れがある。出会いは別れの始まりであり、始まりがあれば必ず終わりがある。

 そう考えると、出会いと別れを繰り返す恋多き女でいるよりも、まっさらで色も飾りもない女の人生というのも、逆に面白いのではないかと、半分本気で思っている。それに、胸に秘めた思いなら、全く無いわけでもない。

 それは、あまりに古い思い出で、もう少しでカビが生えてきそうだったが、小夜子は時々自分の心の抽斗(ひきだし)からそっと取り出して、少しだけ虫干しすることにしている。

 そうやって人生の大半を過ごしてきてしまったことが、自分自身にも驚きではあったけれど……。

 (さや)かな痩せた月だけが、遥か天空にかかっていた真っ暗な夜の小道。夜の川の流れ。

細い木の一本橋。対岸の道路の向こう岸でかすかに鳴る自転車のベルの音と共に、思いがけなく耳に届いた男性の声。

 それは、まだ中学生の少年であるはずなのに、もういっぱしの大人の声に変わっていた。

 あの、川を渡る夜風のように心地よい響き、その驚き。きゅっと胸元をつままれるような、微かなおののき……。

 清也の記憶の中にも、小さな灯りがあった。ゆっくりと規則的に点滅を続け、あたかも遠い過去の記憶へと彼を誘うのだった。

 三十年以上も昔、まだ中学の三年だった彼が、自転車を押しながら細い木の橋を慎重に渡り終えたとき、ほっとして振り返ると、川の上に無数のホタルが飛び交っていた。

 そしてさらに向こう岸に、ぼーっと一つの影が見えた。小夜子だった。

 白いブラウスを着ていたせいなのか、色白の顔のせいなのか、顔も体も白く浮き出たようにはっきりと見えた。まるでホタルの光がその輪郭を縁取っているかのように、淡く輝いているようにさえ感じた。

 そのとき彼は、はっきりと意識することはなかったのだが、今頃になって気付いたのだ。遠い昔、自分が本当に好きだったのは、もしかしたら姉の日向子ではなく、妹の小夜子の方ではなかったかと。活発で明るい陽の光のよく似合う姉よりも、控えめで大人しい月明かりの似合う妹の小夜子の方を……。

「ほたる観賞会」という案内記事を見つけたのは、在京新聞の地方版の中だった。思わず目を惹かれよくよく読んでみると、思川の畔で活動をしている「ホタルの会」主催とのことだった。

 彼の脳裏にふるさとの情景が鮮やかにひろがった。ああ、戻りたいと思った。あの場所に、あの頃に、できることなら身も心も一(つな)がりに。

 同じ頃、小夜子の方も故郷に住む同級生から、同窓会の案内とともに一枚のチラシを受け取った。「ほたる観賞会のお誘い」とある。古里にはもう何年も帰っていない。川の畔にあった実家も既にあの場所にはない。でも、懐かしい。思川の流れは、どうなっているのだろう。時間が許されるなら、帰ってみたい。あの場所へ。あの頃へ。身も心も一繋がりに。

 何か見えない力が引き合うように、小夜子と清也は、別々のうちに故郷の「ほたるの夜」に帰ることを決めたのだった。 

 小夜子の中学の同窓会は明日の日曜日である。土曜の夜は誰が来ているのか全くわからない。もし、わかっていたとしても、この夜の闇の中では気付かないだろう。多分。

もし仮に明るいところですれ違ったとしても、結果は同じかも知れない。なぜなら三十年という歳月は、否応もなく男にも女にも深い痕跡を刻みつける。

 姿形で見分けられるとすれば、それはその人がよほど年齢に抵抗する努力を続けていたのだろう。しかしそれで成功するのは稀である。

 残る可能性は一つか二つ。もし、その人が、心の内に在るものを、ずっと変わらずに抱き続けていたとすれば、それは見えないベールとなってその人を包み込んでいるかもしれない。ただし、見えないのだから、感じることができる人にしか分かってもらえない。

 そしてもう一つ、歳をとっても変わらぬものといえば……。

 夜の田んぼ道は真っ暗である。大勢の人影は見えても、誰が誰やら全く見当がつかない。懐中電灯は持っていても「照らすのは、足下だけにしてください」と係の人から注意があった。なぜなら「ホタルが驚いてしまうから」。

 そう聞いて今更ながら、ほたるという小さな虫の繊細さに感心するばかりだった。

「ホタルはなぜ、光るのか。それは恋の証なのです。オスのホタルはメスを求めて光りながら飛び交い、メスのホタルはオスを待って草の葉の上で静かに応えます」

 ホタルの会の案内役の講師は、こう説明していた。

 思川から引かれた用水堀の小川。その小川で生まれ、そして大きくなったホタルは、まるで今夜が晴れの舞台とでもいうように、暗幕ならぬ夜の闇を背景にして夥しいほどに乱舞している。

 目を足下に転ずれば小川のさざ波が、細かく叩いた銀細工のように鈍色に輝いている。

 夜の漆黒とは、なんと美しい色彩だろうかとつくづく思うのだった。仄かな光や微かな輝きをこんなにも鮮やかに際立たせる。

そんな、この世ならぬ光景に見とれて、ふと追憶に浸りそうになった小夜子は、立っていた小川にかかる石の橋の上で微かによろめいた。その一瞬後に闇の中から声が響いた。

「大丈夫ですか、気を付けて」

 ハッとした。今まさに小夜子の追憶の中で巻き戻されて再生されていた男の声と、全く同じ響きであったのだ。まさか、と思って息を呑むと、相手の男性は、見えないはずの小夜子をまじまじと見ていた。清也だった。

 ――ほたるは鳴かない代わりに光る。僕は光ることはできないから、代わりに声を出した。まだ中学生だったあの日、暗闇の中で叫んだ僕の声を君は覚えていてくれたんだね。

 そう、心の中で呟いた清也の声を、確かに小夜子は今、聞いたのだった。

――私もほたるのように光ることはできないから、せめて変わらぬ思いをあなたに伝えたかった。

 こう、心の中で(ささや)いた小夜子の体が、青白い光に包まれるのを、清也は、その目ではっきりと見た。

 夏の夜の静謐な天空を、ほたるたちは無言のまま、いつまでもいつまでも、飛び交うばかりであった。

第二章   恋 歌

 山と川に挟まれた古里の細長い土地には、当時麻畑が広がっていた。

 麻の畑は美しい。初夏になってぐんぐんとその苗が成長すると、実に見事だった。人の背丈をゆうに超し、その涼しげな形の葉をおおらかに広げて、風の中でたゆたった。

 子供たちは、背の高い麻の畑の中で、かくれんぼをしようとするけれど、あまりうまくいった例しがない。麻は背丈ばかり高くて、ひょろりと細い立木なので、いくらずらりと並んでいても、すだれのように遠くまで透けて見えてしまうのだ。

 日向子と小夜子の姉妹は、この麻畑に来るのが好きだった。

 かくれんぼをしてもすぐに見つかってしまう。だから好きだったのかもしれない。女の子はいつだって見つけてもらいたいのだ。その本心は、大人になっても同じかも知れない。昼間のホタルのように、じっと葉陰に隠れていても、やはり見つけてほしいのだ。好きな人に。

 

 翌日の同窓会でも、二人は一緒になった。

 一学年が一クラスか二クラスしかなかった山間部の中学校では、同窓会といっても、四十人ほどしか集まらなかった。しかも、五十歳前後の学年は、極端に少なかった。

 小夜子や清也の世代というのは、普通ならまだ子育てから解放されていないか、配偶者から解放されていないか、またはその両方であることが多いのかも知れなかった。

 幸か不幸か清也の方は、その両方から解放され、一方小夜子はといえばその二つを一度も持ったことがなかった。

 また、五十歳前後というのは、男にとっても女にとっても、一番微妙な時代なのかも知れなかった。男の方は仕事の上でも、他人との差がまだ気になる年代だろう。女の方は、家庭の中の満足度をあれこれと秤に掛けては、人との比較にまだ心穏やかではいられない年頃かも知れない。 

 そんなわけで小夜子の知っている同窓生は、二学年上の清也の他には四、五人いるだけだった。自ずとそのメンバーが、ひと塊のグループとなって、盛んに杯を酌み交わす結果となった。 

 そして三十年の歳月は、一挙に昨日のことと等しくなった。

 誰かが、麻畑の話を持ち出した。小夜子たちの育った土地は、国内でも有数の麻の産地であった。

「よく、かくれんぼしたよね」

 同級生の一人が言った。

「ああ」と懐かしげに清也が応え、小夜子も大きく肯いた。

 麻畑の真ん中で下から見上げると、水色の空が薄緑の麻の葉で、透かし彫りのように見え隠れした。

「ちょうど、その服の色だったよ」

 思いがけない清也の言葉に、小夜子はどくんと心臓が高鳴るのを感じた。そのとき彼女は、ラベンダー色の夏物のジャケットを羽織り、中にはエメラルドグリーンのブラウスを着ていた。

「あ、これ、オパール加工なのよ」

 小夜子はとっさに合点がいき、自分のジャケットを抓みながら説明した。     

「透かし織りのことよ。下の色がグリーンだから、ちょうど麻畑の空の色のようなんだわ」と、口に出して言った。もし、昔の小夜子だったら、恥ずかしくて心の中で呟くだけだったかも知れない。

 それから一頻りメンバーたちは、互いのファッションセンスのことを話題にした。その季節のほとんどを中学の制服とジャージだけで過ごしたあの頃は、センスも何もあったものではなかったが、大人になってみればそれぞれの趣味、嗜好は無事に開花したようだ。田舎で育ったこととセンスの善し悪しは、本来関係ないはずなのだから。

 清也は昨夜の濃紺のポロシャツとは違って、今夜は淡い色のカッターシャツに、同系色の初夏らしい麻生地のネクタイを締めていた。そして無意識なのか、しきりにネクタイを弛めようとする仕草に、小夜子は再びドキリとした。それは彼が中学生になったばかりの頃、学生服の詰襟を気にして、しきりに手をやっていた姿を思い出させたからだ。

 思い出の再生は、どんどん加速していった。

「悪ガキだったなあ、あの頃は……」

また、誰かが言った。

「カエル、捕まえて、しりから空気入れたよな」

「そうそう、だけどさすがにあれは、後味悪かったよな」

「えっ、空気入れたって、まさかストローか何かで」

 と、別の元女子中学生が素っ頓狂な声を上げた。

「ばか言え、そんなわけないだろう。自転車の空気入れだよ。それにストローなんてハイカラなもの無かったよ」

「うそ、それくらいあったわよ。プラスチックで縦縞のカラフルなやつ」

「うちは、お殻だったどー」

 と、元男子中学生がふざけた声で返した。

「おがらって、麻の茎を干したやつ」

「そうそう、麻の茎の皮を全部剥いだ後の、その抜け殻。白くて中が空洞で、ストロー代わりに使ったじゃないか」

「えっ、じゃあ、ジュースなんかもそのお殻で飲んだの」と、また元女子。

「そんな上品なことはしなかったよ」

 たわいない思い出話は、尽きることを知らなかった。

 同窓会が開かれた場所は、小夜子たちがいた頃はまだ影も形も無かった農村レストランだった。高台の休耕地を利用してハーブガーデンを併設した店の造りだった。フレンチとイタリアンをうまく取り合わせたような、田舎とは思えないほどしゃれた料理が並んでいた。

 料理にも満足し、ワインにもほどよく酔った同窓生たちは、幹事役に促され九時を合図にお開きとした。

 二次会に、近くのそば屋か居酒屋へ立ち寄るグループもいくつかあったが、東京へ戻らなければならない小夜子や清也は、一次会で暇乞いした。

 タクシーを呼んでもらい、最寄りの駅へ向かうことにした。ごく自然な成り行きで相乗りとなったのだが、一番近くといっても十五キロ以上も離れた東武線の新鹿沼駅である。小夜子にとっては割り勘にしてもらえる相手がいるのは、ありがたかった。

 しかし当然のように清也は、タクシー代は全額自分が支払うと言い張った。小夜子がしきりに恐縮していると、

「じゃあ、この貸しはそのうち返してくれればいい。夕食でもおごって下さい」

 酔いも手伝ったのか、大胆にも清也が言い放った。

二人は既に、同窓会の参加者名簿と住所録はもらっていたが、更に互いの携帯番号を交換した。

「でも、メールアドレスはありません」

 と、同時に口にして思わず苦笑した。

 仕事柄、メールアドレスがないことは、もしかしたら大きな損失になっていたのかもしれないが、小夜子はEメールでの人とのやりとりを、極端に厭がる方だった。

 随筆や短歌という古風な日本語に関わる以上、仕事であっても私信であっても、やはり手書きに(こだわ)りたかったのだ。

 初めて二人が待ち合わせたその日、小さなビストロ風の店の片隅で、小夜子は話の接ぎ穂を確かめつつ、こう切り出した。

「実は、私、ペンネームがあるんです」

「ああ、僕も訊ねようと思っていたんですよ。多分、使っているんだろうと。先日、書く仕事をしていると聞いたので。でも、本名で調べたら見つからなかった。珍しくインターネットに触ってしまいましたがね」 

 清也が照れたように言った。もちろん職場では、パソコンは必需品だ。しかし、自宅の書斎には置いていない。

「えっ、見つからなかったのですか、カワバタ・サヤコで載っているはずです」

「いや、変だな、カワバタ姓では別の男性名前しか……」と、言いかけておぼろな記憶を手繰ろうとした。

「たしか、清光というのがあったが……」

 小夜子は黙ったまま肯くと、

「清らかな光、と書いてキヨミツではなく、サヤコと読ませていたのです。男だか女だかわからないような筆名が欲しかったんです。私、それに……」

 後の言葉は呑み込んだ。というより心の中で反芻した。

 ――私、それに自分の書く文章や作る歌は女のものでもなく、男のものでもなく、性別を超えた一人の人間のものでありたいと秘かに願っています。それに「清光」のサヤは、あなたの「清」と言う字ですから……。

 清也も黙ったままだった。しかし彼の表情には、晴れやかな含羞があった。

「きみの作った歌を詠んでみたいな。一冊分の歌集になっているんでしょう」

 小夜子はこくりと肯いた。精神的には「すっかり逞しい女」になっていたはずだったのに、自分の歌や文章に関した話になると、突如として子供時代のくせが出てしまう。底なしの羞恥心に捕えられてしまうのだ。

 例えばそれは、他の女性が素肌を見られるのと同じくらいの感覚、いや、全裸を見られるのに等しい感覚であった。つまり、清光(サヤコ)という性別不詳の筆名は使っていても、何もまとっていない丸裸の心をさらけ出して書いたものという意識が常にあった。

 けれど激しい羞恥と同時に底深い喜びも感じるのだった。掛け値なしの自分を丸ごと差し出して、それで良しとしてもらえることほど、嬉しいこともないと思う。自分が詠んだ短歌、自分が書いた随想とは、自分の体以上に確固とした全人格と呼べるものだったのだ。

 自分の部屋に戻ると小夜子は書棚に手を伸ばし、これまでに上梓した歌集をパラパラと(めく)った。そしてとりわけ好きな幾首かを拾い読みした。

  不器用に生きこしわれは秋の日を行きて芭蕉の足跡たどる

  昔びと通りし跡か旧道に沿へる山路は『東山道』とぞ

  マーラーの曲の心に沁む今宵時をかけつつシチューを煮込む

  きこえ来る中傷いくつ口惜しけど濁世(じょくせ)の人の遊びと思はむ

  うつし身の心の隅にかばひ置く鬼もあるなり寒の如月

  雑念はいつか消えをり花水木あなしろじろと並木路に咲く

  皮むきし里芋の肌白くして仄かに宿るうすきくれなゐ

                            ※注

 

 このように声に出して繰り返すと、不思議と気持ちが落ち着いてくる。それは、ここに紛れもない自分がいると納得できるからであろうか。

 小夜子は、今度清也に会うときは、思い切ってこの歌集を手渡そうかと考えるのだった。

 次に二人が待ち合わせたのは、小さな居酒屋だった。

 小夜子も日本酒が好きだと知った清也が、真っ先に頭に浮かんだ店だった。新し過ぎず、古過ぎず、きれい過ぎず、そしてもちろん汚くもないところが気に入っていた。

 置いてある酒も、八海山、越乃寒梅などの全国版の銘酒の他に、四季桜、天鷹、鳳凰美田などの栃木県の地酒も数多く取り揃えていた。

 てっきり、大将の出身が栃木県内なのかと思ったが、「自分は江戸っ子でさあ」と威勢よく応える。

「もっとも、三代前から下町で暮らしてないと、江戸っ子たあ言えねえと屁理屈こねる奴らもいますけどね」

 と続けつつ、「私の爺さんの連れ合い、つまり婆さんが栃木の在の生まれで、その婆さんに惚れ込んだ爺さんが、すっかり栃木びいきになりました。それを親父もわたしも受け継いだということになりまして……」

 大将はその夜も以前清也に対して応えた話と同じことを、小夜子にも繰り返した。

「へえ、何だか嬉しいわ。あんなに地味で目立たないことで有名になったほどの栃木に、そんなに愛着をもってもらえるなんて」

 そう言って、小夜子は無邪気に微笑んだ。その横顔がきれいだと、清也は正直に思った。三十年という歳月は確かに、女性である小夜子の肌に否応もなくその証を刻みつけてはいるけれど、年輪とでも言うべき目じりの皺、口元のたるみでさえ、絹糸のように或いは絹布のように美しいと思えたのだった。

 日本酒を「清酒」と呼ぶ所以が改めて納得できた程に、その夜の酒は美味だった。まるで「清らかな水」のように、心地よく至極自然に体の中に染み渡っていった。

 小夜子はかつて、日光の二荒山神社の霊水を口に含んだ時のことを思い出した。その水を呑むと身体が清められるだけでなく、美しい言葉が口をついて出てくるような気がしたのだった。しかもこの霊泉は清酒の元とされ、神社の境内には栃木県内外の数々の銘柄の酒樽が、(うずたか)く積み上げられて奉納されていた。

 その「清らかな水」の御利益なのか加勢なのか、清也は居酒屋を出るとすぐには小夜子と別れたくない気分だった。といっても、きわどい所へ誘う気はさらさらなかった。

「少し歩きましょう」

 そう言って、返事も待たずに先に歩きだした。小夜子は少し戸惑いながら、小走りになって追いつくと、彼の横に並んだ。

 神田神保町の界隈には、大きな公園はない。それでも少し裏道に入れば、小さなブランコとシーソーくらいが備わった児童公園があった。すずかけの木の下闇が、滴るように蒼い。

 その蒼さにふと目を惹かれて、清也は一瞬、ハッとした。仄かな小さな光が葉陰でまたたいたように見えたのだ。一つ、いや二つ……。

 まさか、こんな所に。そう思ったとき、まるで小夜子も同じものを同時に目にしたように、唐突に口を開いた。

「ほたるって、面白いですね。同じゲンジボタルでも、関東と関西では、光り方の速度が違うんですって」

「ああ、そういえば、先月の観賞会の時、講師の方が説明していましたね。点滅の間隔が、関東では約四秒、関西では二秒程とか」

「つまり、関西の方が、せっかちってこと」

 小夜子は自分の言葉に可笑しそうに笑った。

 ――じゃあ、今のはどっちだったろう。早かったような気もするが、まさか東京まで出張してきたか。関西じゃなくて、栃木から……。

 こう半分本気で考えながら清也は小夜子の方を振り返ると、街路灯の脇の木製のベンチに腰をかけた。プリーツスカートの細いひだを気にする振りをしながら、小夜子はほんの少し間を空けて座った。

 どんな距離をとったらよいのか、わからなかったのだ。三十センチがいいのか、それとも三センチでよいのか……。四回目の年女をもう過ぎた年齢だというのに、そんなことで悩む自分が我ながら可笑しかった。

 その微妙な距離感に、清也も気付いたようだった。

 ――仕方がない、か。僕は三十年も口に出さなかったのだから……。

 そう、自嘲するように思った。そして本当は、小夜子への思いに自分自身気付いていながら、声に出せない理由があったことを彼女に今、言うべきかどうかひどく迷った。しかしその迷いとは裏腹に、子供時代の記憶が否応もなく鮮明に甦るのだった。

 あれは、小学校最後の夏だった。

 その頃「科学の実験」と称していろいろな遊びを考えた。子供というのは時として、その危険性に気付かないまま、無邪気にやってしまう。

 その一つに「ロウソク作り」があった。もっとも、ロウの原料になる脂肪酸は手元に無かったから、どこの家の仏壇にもある白いロウソクを溶かして、それに色を付け、型に入れて別のロウソクを再生するやり方である。

 小さな土鍋にロウソクと少量の水を入れ、火に掛けてぐつぐつと煮溶かす。そこに絵の具の青や黄色を混ぜて好みの色にする。それを冷めないうちに、小さな皿や杯などに注ぎ込んで芯を入れ、しばらく何かで押さえている。しっかりと冷えて固まったらでき上がりである。ガラス製のお猪口(ちょこ)などに入れると、ロウソクと炎の色が映えて美しく見える。

 この遊びに特に夢中になったのは、日向子だった。絵の具の代わりに朝顔の赤い絞り汁を入れたりした。それは(ごく)ほんのりとしか色が付かなかったが、妙に儚げできれいだった。  

また、夾竹桃の赤い花や咲き忘れの紫陽花の花びらなどを千切って入れて絵ロウソクまがいのものを作った。そのうち、家にあった要らない小さな器をあらかた使い切ってしまい、今度は器ではなく型に流し込んでから、型を外すことはできないかと考えた。

 そこで思い付いたのが、麻の茎を乾燥させて保存して置いたもの、つまり「お殻」であった。お殻は文字通り殻であって、麻の皮の繊維を剥いでしまった後の残り物であった。中が空洞でストロー状のそれは、いろいろと重宝するので「おがら」と呼びならされていたのだ。硬く丈夫だが、手で割ることもできる。それは「パキン」と小気味よい音をたてて割れる。

 小夜子たち姉妹も、シャボン玉を作るときにストロー代わりに使ったことがあった。

「ロウを、お殻に流し込んで、固まってから外せばいい」

 そう考案したのは清也だった。しかしいざやってみると、両端が開いているお殻の中に熱いロウを流し入れるのは一苦労だった。下の端をしっかりと布で縛っていても、こぼれ出てしまって、指先に熱い思いをすることがしばしばだった。けれどうまくいくと、とても華奢(きゃしゃ)で繊細なロウソクが幾本もできた。日向子は更に、ロウソク作りに夢中になった。

 そんなある日、事件が起こった。

 清也も小夜子もそばにいなかったその日、日向子は一人でロウソク作りを始め、大やけどを負ってしまった。熱いロウソクをそのまま被ってしまったわけではない。お殻を口に含んだまま、熱いロウを吸ってしまったのだ。

 なぜ、そんなことをしたのか……。日向子自身はロウが唇近くに届く前に、途中で止めるつもりだったのだろう。しかし細いお殻を選んだために息が通りにくく、思わず強く吸った瞬間、溶けたロウがいきなり日向子の口の中へ入り、咽まで達してしまったのだ。 

 やけどを負った咽のせいで、日向子はしばらく口がきけなくなった。声が出せなかったのだ。

 その事件のあらましを知り、清也は、自分を責めた。自分が思いつきで余計な提案などしなければ、日向子はお殻を型にして、色ロウソクを作ろうなどとは思わなかっただろう。まさかそれを口に含もうとは、想定外のことだが、清也は責任を感じずにはいられなかったのだ。                                         

 日向子は八日ほど、隣町の病院に入院した。食べ物が咽から入らなかったから、点滴で凌ぐしかなかったのだ。

 清也が見舞いに行ったとき、日向子は大きな目を見開いて、嬉しそうな表情をし、「ごめん、僕のせいで」とうなだれる彼に向かって、何か言おうとした。が、自分の声が出ないことに気付くと、傍にあったスケッチブックの白いページを開いて、《全然気にしなくていいのよ》と書いた。

 それでも清也が申し訳ない顔をすると、《ほんとにいいの。わたし、清也くんが好きだから》と、日向子らしいきちんとした文字ではっきりと書いた。

 清也はそれを見て驚いたが、もう何も言わずにその日は帰った。彼の足取りは重かった。それ以上に胸の中は重苦しかった。何か大きな鉄製の(かせ)を、自分の首に括り付けられたような気分だった。それがなぜなのか、そのときの彼には分からなかった。

 ――あの日、声を失ったのは日向子さんじゃない。彼女は、あの紙に自分の気持ちを書いて表したじゃないか。声を失ったのは、僕の方だ。あの紙を見せられた時から、僕は自分の気持ちを声に出す術を失くしたのだ。本心を語ることはできなくなったのだ。

 清也は思い出す。まだ少年だったあの日、はっきりとした自覚もないまま自分が本当は好きだった女の子の姉に当る人に、先回りして「好きだ」と告げられてしまった。しかもその人の声が出ないのには自分も責任がある。だから、自分も声を出してはいけないんだと、勝手に思い込んだ。

 間もなくして、日向子の咽の中の炎症はひき、声も徐々に出せるようになったと聞いた。

 その一連の出来事が、清也にとって小学校時代最後の苦い記憶となった。

 そして間もなく自分たちは中学生になった。中学に入っても一学級しかない過疎の町でまた、日向子と同じ学級委員に選ばれた。三年の時は、クラス文集作りを共にやった。途中でガリ版切りができなくなった日向子の代わりに、少しでも彼女の字に似せようと必死になって鉄筆を握った。それには、三年前の罪滅ぼしの気持ちがあったのかも知れない。

 唯がむしゃらにギリギリと、ガリ版に硬い鉄のペン先を押しつけていたような気がする。そうやって、やっと最後まで写し終えたとき、ひどくお腹が空いているのに気がついた。あのとき出してもらったお焦げのおむすびの旨かったこと。そんなことが鮮明に思い出される。

 中学生の頃の日向子はまるで安心仕切ったように、清也に対して無防備だった。しかし小学生だった時のように「好きだ」と、口に出すこともなかった。ただ、心から信頼できる人が傍にいて、自分自身もその彼に「好かれている」と信じていて疑わない、確固とした自信のようなものを常に醸し出していた。

 清也にはそれが何とも対応し難かった。日向子は明るく活発で、顔立ちもきれいな方だとは思っていたが、しかしそれだけなのだ。頭もいいしよく気も利く。しかしそれだけなのだ。同じ学級委員として頼りになる存在。それだけだった。それ以上でもなく、それ以下でもなかったのに、どうしてもそのことを彼女に伝えることができなかったのだ。

「ロウ吸い込み事件」が、いわゆるトラウマになっていたのだろうか。そうかもしれないが、そうとばかりも言い切れない。

 川端の家に行く度に、恥ずかしそうな表情で自分を迎えてくれる妹の方の小夜子と会えなくなるのが、いやだったのかも知れない。

 変な理屈だ。姉のことは特別に好きなわけではないと伝えられないくせに、逆に伝えてしまったら、妹の方にも嫌われてしまうのではと思っていたのだ。

 姉の日向子にも好かれていた方が、妹の小夜子にも好かれるためには善いのだと、半分本気で思っていた。

 なぜなら女の子というものは、自分を好かない相手をとことん悪く言う危険な人種だと、まだ中学生だった彼は思い込んでいたのだ。そんなわけで、彼は身動きのとれない息苦しさを感じていた。

 そして清也と日向子は、小夜子より二年早く中学を卒業して、別々の高校へ進んだ。

 清也の入った学校は遠くの進学校だったから、朝早く出かけ、そして夜遅くにならなければ戻って来られなかった。休日には部活に打ち込んでいた。

 もう、日向子と小夜子の姉妹とも会うことはほとんどなくなった。

 更に大学へ進む頃には、まったく別の方向へ、つまり大都会・東京へ行くこととなり、故郷も少年の日の葛藤も、清也にとって遠い存在になっていった。

「あの頃、声を失っていたのは、僕の方だった……」

 清也は、ぼそりと呟いた。また独り言だった。蒼白い街路灯の光がにじむ夜のベンチで、隣に小夜子が座っていることを束の間、忘れてしまっていた。

「えっ」と、彼女が細い眉根を寄せ、怪訝そうに聞き直した。

「いま、なんて言ったの。声を失ったのは誰とか……」

 清也は一瞬、慌てたが、すぐに落ち着きを取り戻すと、まじまじと小夜子を見た。そして(おもむ)ろに口を開いた。

「きみは、今までずっと一人で生きて来たんですね。その間、好きになった人もいたでしょう。当然……」

「ええ、いなかったと言えば嘘になるかもしれないけど、でも、本当に好きなのかどうか、いつも分からなかった。結局、一人でいる方が精神的にも楽だという結論にばかりなってしまったから」

「それはどういうこと」

 小夜子は彼のストレートな質問に、少々面食らった。

「……つまり、一人であれこれ考えて、一人であれこれやってみて、それで何の不足も無かったってことかしら」

 そう言って彼女は、思い切り首を傾げて見せた。その仕草は、少女時代には決してしないだろうと思えた。少しばかりコケティッシュに見えたから。そして少し無理をしているようにも見えた。

 しかし清也は黙っていた。今の答えが仮に小夜子の強がりであったとしても、彼には何も言う資格はないと思った。自分は逆に独り身の煩わしさを嫌って、つまり家事・育児をしてくれる人が欲しくて、平凡な見合い結婚をしていたのだから。

――思えば、身勝手な生き方だったな。

 今度は声に出さずに、心の中で呟いた。

「やっぱり、私の思い込みだったかな。勝手な生き方だったかも……」

小夜子が口に出して言った。清也はギクリとして、彼女の白い横顔を見つめた。

「両親には、孫の顔も見せられずに、寂しい思いをさせてしまったわ。でも、姉の所に一人、男の子ができたから、まあ、全然いないよりは……」

「日向子さんは、男の子のお母さんになっていたのか」

清也の感慨深げな物言いに、小夜子はふと思ったことを口にした。

「ああ、もしかして清也さん、子供の頃私の姉のこと、好きだったでしょう」

 彼は一瞬、息が詰まりそうになって、軽くむせた。そしてまたしゃべるのが少し苦しかったが、

「なんだ、そんなふうに思っていたのか」とだけ、急いで言った。

「だって、そうだったんでしょ」

「日向子さんとは、同じ学級委員だった。一緒にいろいろな仕事をしたよ。小学生の頃は、遊び友だちだったけどね。しかし……」

 と言いかけて、彼は例の「ロウソク事件」の顛末を思い切って小夜子に語ってしまおうかと考えた。だが、一瞬のためらいのせいで、その機会を永遠に失ってしまったような気がした。

「僕が本当に好きだったのは、きみだよ。小夜子さん……」

 別の感情が、川筋の違う所からの大量の水のようにどっと押し寄せて来た。

 小夜子は「あっ」という言葉を呑み込んで、その形のまま、その場に静止した。

 ――まさか……。

 清也の方は、口に出して言ってしまった後、唇をきつくかみしめた。「ん」と言うように。

 六月のほたるの夜に再会したとき、互いの心の中のことを感じ取ってはいても、はっきりとした言葉で確かめたわけではなかったのだから……。

「もし、それが本当なら、私は、私は、天に昇るほど嬉しい。なぜなら、私のペンネーム、清光というのよ。それはあなたの名前の一字と、あの夜の、まだ中学生だったあの夜の、夥しいほたるの輝きがどうしても、どうしても、忘れられなかったから……」

 小夜子の膝の上には、自分の筆名の入った歌集「無言の恋歌」一冊を入れた生成りの角封筒が、慎ましやかに載っていた。これを今夜、彼に渡すつもりで持ってきたのだったから。

 ――そうだ、秋になったら二人で、小さな旅に出よう。

 不器用に生きこしわれは……、いいえ、生きこしわれら……。

 ふいに小夜子はかつて自分が詠んだ旅の歌を、こう言い換えなければと思い立った。

 振り返れば、懐かしく愛おしい歳月だった。

 中学生だったあの日の夜、そして久しぶりに戻った故郷での再会の夜、そして二人で待ち合わせた三度目の今夜、二人は木製のベンチに座ったやや硬い姿勢のままで、見えないほたるに導かれるようにゆっくりと柔らかな宵の天空へと、吸い込まれていったのだった。

   ※加藤まさ子歌集「都賀野に」より

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2012/01/05

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水樹 涼子

ミズキ リョウコ
みずき りょうこ 作家。1961年 栃木県鹿沼市(旧粟野町)生まれ。東京女子大学文理学部日本文学科卒業。主な著作は「聖なる衝動―小説・日光開山 勝道上人」、小説集「花巡り」長編SF「月王伝説」他。

掲載作は、「思川恋歌」(2010年9月随想舎刊)より抄録。