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検索結果 全1058作品
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小説 殺意の造型(ヘア)
1 事件はもののはずみで起きた。中野区本町四丁目の、地下鉄新中野駅に近い理容店、『バーバー・ニューホープ』では、朝から客がたてこんでいた。 昨日の月曜が店が休みだったせいもあるが、なによりも、店主の井沢松吉(いざわまつよし)が仕事熱心で、腕がよく、常に時代に即応したファッションを研究しているので、特に若い客から圧倒的な人気を集めている。 店員たちにも腕のいいのを集めている。毎年開かれる全国理容技術選手権大会に
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小説 煤煙(抄)
三十二 (前略) 「短刀なら、私が持つてゐますが。」 短刀! 要吉は右の腕が痙攣するやうに覚えて、竊(そつ)と自分の掌の甲を見遣つた。 「此処に?」 「直ぐ自宅(うち)へ帰つて取つて参ります。」 男は稍(やゝ</r
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評論・研究 戦争と人間(抄)
〈教育〉 スパルタの巻 人間の歴史は争いの歴史である。史書をひもといてみれば、ほとんどのぺージが争いの記述で埋まっているのを見出すだろう。なぜ人間はこうも争わねばならないのであろうか。争うことが人間の本性であるゆえか。それとも人間が強者と弱者に分れているためか。集団で暮すことを強いられている人間は、どんな状況にあっても利害を異にするようになるせいか。 いったい、人間の社会から争いというものがなくなる日がくるのだろうか。残念ながら
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小説 つゆ草幻想
自分の母が、本当の母でないことを知ったのは、下条盛夫が大学へ入る時だった。 「お前ももう大学生だ。いままで言う必要もないから言わずにきたが、この際、教えておくのもいいだろう」 入学で戸籍謄本が必要になった段階で、父から打ち明けられた。 「お前のお母さんは、終戦後間もなくお前を生むと病気になり、入院したが、一年くらいで亡くなってしまった。で、おれはいまのお母さんと再婚した。だからお前は、赤ん坊の時からいまのお母さんに育てられたわけだ」 真実の母として、夢にも疑ったことのない母が、継母であった! 三人兄弟
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小説 喪失の時
1 一ノ瀬家の夏 八月の夏の盛り、一ノ瀬家の開け放した縁側から部屋の内には、明るい光があふれていた。暑さにも身体がなれてきたせいか、梅雨あけ頃のような耐えがたさやけだるさもあまり感じることがなくなった。 縁側に面した四畳半で、長女の真佐子は女学校の制服のひだスカートにアイロンをかけている。 傍らでは母の明子がミシンを踏んで、頼まれものの洋服を縫っている。 「お母さん、これひどいよ。見て。こんなに摺れて薄くなってる」 真佐
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小説 あすならう
みづつぱなをすゝり、かじかむ指をこすり合はせて、八穂(やほ)は宿題の作文をつゞる。 「津軽野の寒」と書いた題から一行あけて、 凍(し)み雪はうすら青んで、リヽヽヽと鳴る。 何の音のか分らない木霊(こだま)から転げ出た<ruby
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ノンフィクション 元禄御畳奉行の日記(抄)
八千八百六十三日の日記 もうひとつの元禄 元禄という時代は、日本史のどの時代よりも町人のいきいきした時代であった。関ケ原からすでに百年。武士は禄をもらって寝て暮すだけの遊民になってしまい、都市が栄え、町人たちが大きく成長し、 《侍とても貴からず、町人とても賎しからず》(『夕霧阿波鳴門』近松門左衛門)
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ノンフィクション 今日われ生きてあり
特攻基地、知覧(ちらん)ふたたび――序にかえて 薩摩(さつま)半島の最南端に、開聞岳(かいもんだけ)という山がある。標高九百二十二メートル。薩摩富士とよばれるこの美しい円錐(えんすい
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詩 糸車
謀反 六甲の山脈の端が 真冬の太陽をすっかり呑み込むと 街は 休息の時間に入った 治療器の音が消え 闇が 傷痕を覆ってしまうと 神経が 光の粒となって 機能の回復を誇示し始める だが…… 切断された大動脈に 血液の流れはなく 応急処置されたバイパスに ヘモグロビンが犇いているだけ </p
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小説 ふるさとの少年
あれは、ぼくが国民学校の一年生になって数か月後のことだから、七月か八月であったろう。そうだ、ケイトウが真っ赤に燃えていたから八月の下旬と限定してもよさそうだ。アキアカネも飛んでいたし……。 ぼくの家は島原市の町中にあった。そんなに広くはなかったが階下に三間、階上に二間あった。裏庭には中央部に井戸があった。普段は板張りの蓋(ふた)がかけてあったから、あまり使用していなかったのかもしれない。 その庭の一隅に、ケイトウが五、六株、群れて咲いていた。それを、はっ
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小説 慈子(あつこ)
序 章 一 正月は静かだった。心に触れてくるものがみな寂しい色にみえた。今年こそはとも去年はとも思わず、年越えに降りやまぬ雪の景色を二階の窓から飽かず眺めた。時に妻がきて横に坐り、また娘がきて膝にのぼった。妻とは老父母のことを語り、娘には雪の積むさまをあれこれと話させた。 三日、雪はなおこまかに舞っていた。初詣での足も例年になく少いとニュースは伝えていた。東山の峯々ははだらに白を重ね、山の色が黝ずんで透けてみえた。隣家の<rub
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一 木地雪子の父親が、あのへたな浪花節語りのなんとか愛八とわかったのは、高校一年の夏休み中だった。毎年、地蔵盆の中日(なかび)に町内の大人が宵の余興に呼んできた。 愛八は一見愛想(あいそ)のない細面(ほそおもて)にぐいと眉毛の濃い四十男だった
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小説 清経入水
夢であることを知っていた。それどころか、同じこの夢をつづけて何度も見ていた。夢の中では一本筋の山道を上っていた。 道の奥に、門があった。仰々しくない木の門は上ってきた坂道のためにだけあるように、鎮まって左右に開かれていた。 門の中へ入ると、植木も何もない一面の青芝の真中に、一棟の、平屋だけれど床の高い家が建っていた。庭芝があんまりまぶしくて、家のかたちが浮きたつ船のように大きく見えた。 家の内も隈なく明るかった。日の光は襖にも床の間にも、鎮まっていた。 家の中に人影を見なかった。気はいは漂っているのに、闖入を訝しみ
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小説 閨秀
一 絵馬堂は、どこの神社でも寺でも、何となく寒い。——なんでやろ。つねはこれまでも一度ならず想ってみながら、そのつど紛れて忘れていた。 姉のこまが嫁入りの前、つねは姉と一緒に母に連れられ珍しい二、三日の旅に出て、安藝(あき)
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評論・研究 作者自身による出版
一 「秦恒平・湖(うみ)の本」十九年・八十五巻 『みごもりの湖』という書下し作品を、わたしは持っている。依頼されて出版まで、五年頑張った。名作だ、なんとか賞候補だと幸い評判され、今も代表作にあげて下さる読者・識者がある。けれど、どれだけの期間、書店に本が在ったろう。版元に在庫が在ったろう。あまりに短かかった。しかも何社からも文庫本に欲しいと言ってきた。版元は、いずれうちからとすべて拒絶し、あげく、そのままにされた。大出版
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評論・研究 「ペン電子文藝館」のことども――メディア新時代と文学――
* 以下の斯様な記録も、電子文藝館開館満二年を経過した今、後々への一「証言」として意味あろうかと考え、「会員広場」に、改めて提出しておく。 この会(芸術至上主義文芸学会 2002)で、こうしてオハナシするのは、十六年前の、やはり十一月、二十九日でした。題して「マスコミと文学」 これを、今年(二○○二年)九月、私の「湖(うみ)の本エッセイ」第25巻め、創作シリーズと通算して第72巻めに、他
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随筆・エッセイ 悪政と藝術
いま私の時代もののワープロは、「悪政」の二字ならすらりと出して来るが、善政は「ぜんせい」から手間をかけて打ち直さねばならない。この機械に漢字辞書を内蔵させた一人ないし何人かの「日本人」は、政治に「悪政」はあっても、善政など無いも同然と把握していたらしい。いわば「政治性悪説」を表現する機械を、相当な高価で十年も前に私は買ってしまったことになる。だが愛機の示すこの認識に、私自身もほぼ異存がない。 政治社会に「偽」の体系を据えた人 戦後日本の政治を、ひどい悪政だったとは、思
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評論・研究 二つの『高山右近』
序章 二つの『高山右近』 1999年8月7日、雑誌『群像』に発表された加賀乙彦の小説『高山右近』、これは97年11月14日国立能楽堂で初演された後、98年10月14日金沢市文化ホールでの改演によって完成した加賀乙彦の創作能『高山右近』と同じ素材を扱う作品である。小説という表現手段で、舞台芸術である能と全く異なる構想・趣向・方法・文体により、安土桃山時代のキリシタン大名高山右近という能と、同一人物を主人公に、能では手中に収めきれなかった“人間”のドラマを描いて作品を完成したものである。 この小説『高山右近』によって加賀乙彦は、これまで
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詩 わが紀行
雁風呂 冬近い北国のその村は 入り日の淡さにつつまれ 蜃気楼のようにはかなかったが 季節外れの旅にはふさわしかった 一夜をとった海辺の宿は 夜っぴいて海鳴りがとどろいていた 目覚めては夕餉に聞いた 雁風呂の話を思い出していた 海をわたる長旅の翼を休めるために <p
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俳句 朝の伽藍
春雷にランボー読む手ふるへけり 句集『宙の家』 ひまはりのふと女めく月あかり 秋風や無人の家の矩形なる 月明の川干あがつて太くあり 月光の雪道こはす女あり 山茶花の白を残して鳥翔てり 春眠の曇りガラスを踏む間際 新樹の夜椅子は無言で向きあへり 藤