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わが紀行

  雁風呂

 

冬近い北国のその村は

入り日の淡さにつつまれ

蜃気楼のようにはかなかったが

季節外れの旅にはふさわしかった

 

一夜をとった海辺の宿は

夜っぴいて海鳴りがとどろいていた

目覚めては夕餉に聞いた

雁風呂の話を思い出していた

 

海をわたる長旅の翼を休めるために

口に銜えた小枝を浜につくと落とすという

落とした小枝を浜から拾って帰って行くという

 

候鳥のならわしが息づくこの村は

春には残された小枝で風呂を沸かすだろうか

海鳴りは候鳥の声になり夜が更ける

 

  供養塔

 

潮見川のほとり

苔むして建つ

 

碑文すでに摩滅し

なぞる指先に

かすかに

さらさらと落ちる砂岩の

 

祀られた者 祀った者

裔の絶えて久しく

村人の供えるときおりの草花は

風に揺れる

 

逝く者の沈黙は深く

語らなかったことだけを

聞き取っている

 

あなたにふさわしかったのは

一基の供養塔か

 

ありふれた

別れの儀式

 

裔 跡絶えて

なお建つ供養塔の

 

何の証か

あなたに問う

釋浄晃信士よ

 

  潮見川

 

潮見川を遠くはなれた

街や村で

出会っていたかもしれない

あなたの

犬笛のような叫び声もまた

聞こえていたかもしれない

 

あなたは

一度だって姿を見せはしなかった

ひたすら

地団駄を踏むような足音を頼りに

わたしは

歩いてきた

歩かされてきた

 

神無月から霜月へ

移ろう時の狭間の闇に

真昼のような明るさで

櫨が朱あかと燃えては

浮かびあがる

潮見川の土手に

わたしは

いま 立たされている

 

あなたの足音の途絶えたあたり

一基の石碑が建ち

したしげなものたち

なつかしきものたち

わたしにかかわる

すべてのものたち

《オマエハ ナニオ ミテキタカ

《オマエハ ナニト メグリアッタカ

《オマエハ ナニオ ・・・・・・・

息つぐひまもない問いかけに

たじろいでいる

 

 不要なものは焼き捨てた

 さっぱり俗も断ち切った

 見事な調理人の手になった

 魚よろしく

 竈から出てきたが

 晩酌だけはやめられぬ

 いつもの癖のうたた寝の

 たかい鼾も聞こえよう

 思い出してもこそばゆい

 ためらいがちにおずおずと

 箸で摘まれた喉仏

 そこには

 思いのことばがずっしりと

 まだまだ残っているようで

 眠るにねむれぬこの頃だ

 軽くて重いか

 重くて軽いか

 裸のおれの

 骨のおれ

 

こんな唄を手渡すために

あなたは

わたしを歩かせたのか

 

ああ

ふるさとは

ただひとすじに

のどぼとけ

 

櫨は燃え

石碑は揺らぎ

  異風者

 

そいつ、とだけしか呼ばれなかった

あなたと逢うために

ぼくはときおり故郷に帰る

 

あなたはしたたかに生きていたはずだが

あなたを見た村人はいない

どんな風貌だったか

思いは巡る

 

あなたについて語る村人の最初のことばはきまっている

そいつは、とびっきりのイヒュウカモンだった、と

 

ほんとうにイヒュウカモンだったのか

思いは巡る

 

下駄をふだん用ゆ可からず、といえば下駄をはき

元結にて髪を結ばざる事、といえば元結にて髪を結び

髪油を用ゆ可からず、といえば髪油を用いた

天保のころのあなたのイヒュウカモンぶりは

いまではすっかりお笑い種だ

 

お笑い種にもならぬことに浮き身をやつすこのごろだから

思いが巡る

 

市中へ出て、むざと酒をのむ可からず、といえば酒をのみ

百姓は布木綿、といえば名主女房なみの紬を着たそうな

 

水呑百姓のあなたが

どうして酒代や着物代を手に入れたかは

誰も語ってはくれぬ

 

牛馬運上の事

御家中奉公の事

竹木運上の事

これら一揆にもなりかねぬもめごとには

一度もイヒュウカモンぶりを発揮しなかったそうな

お笑い種でしかなかったのか

お笑い種にしかならなかったのか

 

截然となされたイヒュウカモンぶりは

あなたがなにを信じ、なにを信じなかったかを

物語っている

 

巡る思いのなかで

異風者をいつのまにか

願望をこめてイヒュウカモンと呼び慣わしてしまった

ぼくの故郷を

あなたが行く

 

  講 中

 

受話器をとってみると

母からの電話だ

講中の吉次さんが

朝方死んだという

香典を送れという

その前に弔電を打てという

香典も弔電もお前の名前で、という

それから話はくだくだしい声で

生前の吉次さんの思い出がつづく

憶えているかともいう

出勤前のわたしはバスの時刻が気になって

受話器をおく時機をはかりはじめる

吉次さんの話が一段落すると

わたしの家族の安否をたずねてくる

そして元気であればそれでいいという

香典と弔電は

わたしが講中の一員たる証だから

失念するな、という

 

わたしはしたたかに縛り付けられている

一五〇〇kmも離れた講中にだ

しかも電話一本でだ

縛り付ける者と縛り付けられる者と

 

受話器をもつ指の感覚が鈍くなる

念仏のような母の声に引きよせられながら

わたしは一人の男を思い出す

 

山田新左衛門知行所□□□橘村名主栄右衛門、

奉申上候、村内百姓□兵衛後家□□倅□平十

身分之儀、御尋ニ御座候

 此段、平十儀平日身持不宣、親類・組合・村役人

 度異見差加ヘ候共不取用、遊歩行宅内ニ不居候ニ付、

 後難ヲ恐レ、実母親類組合村役人相談之上、去申ノ十二月

 勘当帳外仕候モノニ御座候、

右御尋ニ付、少シモ相違不申上候、以上

   天保八年酉□月四日

                 □□□知行所

                 橘村

                   名主 栄右衛門

 

平十は勘当帳外にあったのだ

遊び歩いては家に居つかなかった平十

ご意見無用の 年齢も不詳の平十

未亡人の母だけには

迷惑かけまいと考えていたに違いない平十

 

平十よ

それからどこに向かって歩いたか

お前の最後はどんなであったのか

どうでもいいことだ

勘当帳外がキラキラとかがやいて見える

一切から拒絶された自由がひかって見える

 

吉次さんは死亡診断書で勘当帳外となり

わたしは弔電で講中への忠誠をたてている

今朝

わたしのふるさと橘村を出たっきりの平十に

電話しようとして

「コノタビノゴフコウ・・・・・・」と呟いている

  兄 弟

 

おれには

血のつながらない弟と妹がいる

おれの両親を、母ちゃん、父ちゃんと呼ぶ

一郎と君子だ

ありふれた名前だけど

ありふれた兄弟じゃない

というのは都会の話で

おれの田舎では

ありふれた兄弟だ

 

一郎はとっくに四十路をこえている

君子もすでに三十路をこえた

 

おれたちがキョウダイになったのは

もう三十年も前のことだ

キョウダイなどというのは都会のことで

おれの田舎では

一郎はヘコムスコで

君子はキャーフムスメだ

由来は簡単すぎるほど簡単で

一郎が男で

君子が女だからだ

ヘコとは褌のことで

キャーフは腰巻のことで

つまり

一郎とおれは褌の関係で

君子とおれは腰巻の関係というわけだ

兄弟姉妹のいなかったおれのために

つくられたキョウダイだから

三人が一緒に住んだことは一度もない

 

一郎の本当の兄弟姉妹は八人もいた

一郎の母とおれの母と友達だった

だから六男の一郎はおれの弟になった

その時、一郎は三歳だった

君子は父の顔を知らないで育った

君子の父は君子がうまれて間もなく出征して死んだ

遺骨はなかった

君子の父とおれの父とは飲み仲間だった

乳呑み子の君子は

おれの家で大きくなりおれの妹になった

 

正月になると

一郎と君子の生家から

どでかい円い二つの餅がとどいた

ヘコムスコとキャーフムスメからの

ヘコオヤとキャーフオヤへの挨拶だ

一郎と君子の

入学式だ、卒業式だ、成人式だ、結婚式だといっては

お祝いを包み

おれはおれで

盆だ、正月だといっては

一郎と君子に小遣いをとどけにいった

 

おれたち三人は家庭をもったいまでも

本当のキョウダイのように仲がよい

それで

おれたち三人はお互いの子どもたちを

お互いのヘコムスコとキャーフムスメにしようかと話すのだが

それもいいねといいながら

いまのご時世じゃ流行らないね

と、一郎も君子も笑っている

 

こんな人間関係

いったい誰が考えたんだ

一郎よ

君子よ

おれたちのような人間関係で

守ってこなければならなかった

ムラやセイカツとは何だったのだろう

 

いまでも村で暮らしている

一郎よ

君子よ

元気でいるか

  ほけまくい

 

 師走三十日、餅搗きが始まると、子供たちは、親から〈ほけまくい〉を近所から借りてくるように、言い付けられる。寒風のなかを、子供たちは走っていく。隣家に行けば、昨夜隣に貸したから、そこで借りろと言われ、そこの家にいけば、また、隣に貸してあるからと言われ、だんだん家から遠くなる。あげくの果てには、講中すべての家々をまわる破目になる。〈ほけまくい〉を借りられないまま、疲れ果てて家にもどると、何と餅搗きはすっかり終っているのだった。

 

思えば

源爺の所をふりだしに

梅婆の家

利八爺の家

つぎからつぎに

もう 何軒たずねあるいたか

 

歩きまわるうちに

餅のことなど

どうでもよくなって

怖いもの見たさか

宝探しか

ただ それだけが

ひたすらおれを歩かせる

 

ホケマクイのことなど

誰も教えてくれないから

ホケとは 湯気(ほけ)

マクイは 払うで

餅搗きの湯気を追い払う

団扇

と信じていた

 

ところがどうだ

過ぎていく歳月のなかで

ホケとは 阿呆

マクイは 廻る

解ったのはそれだけじゃない

いったん借りに出かけたら

死ぬまで離れぬ疫病神のように

歩きまわらなければならぬ

厄介者

ホケマクイ

 

だから

村を出て久しいのに

おれは いまも

たとえば

冬の街角で

中華饅頭の

ふかふかと立ち上がる湯気を見ると

講中の家々をまわったように

街を狂気のように走りまわるのだ

 

あらゆる街や村で

落ち着きをなくし

ただ

走りまわっている

たくさんの人を見かけたら

声をかけても無駄だ

ホケマクイは

走ることで生きている

講中の善作の息子や由造の娘もいるだろう

それだけではない

ホケマクイを幸いに

講中に不義理して

戻れなくなった奴もいる

 

いるわ

いるわ

いるわ いるわ

 

愁訴に失敗した奴

越訴に失敗した奴

強訴に失敗した奴

逃散

駆落ち

勘当

 

いるわ いるわ いるわ

走らせてやらねばならぬ奴

 

どいつもこいつも

おれのように

家に帰り着くことを

忘れてしまったのか

 

おれは今日

佛になった親父の

供え餅をつくろうと

餅搗き機械をとりだしながら

残酷な遊びの

ホケマクイ

子供たちに命じようと

にやにやしている

 

子供たちよ

お前たちも

 

  もぐら打ち

 

「もぐら打ち」は、小正月の夜の子どもたちの行事である。子どもたちは、集落の家々をまわり、祝言を唱えては、もぐらで地面をたたいていく。訪問された家では、予祝をうけたお礼に、「おかちんのよごんでも、ふとかとふとかと(形が丸く整ってなくても、大きいものを)」という子どもの催促どおり、丸くて大きい鏡餅を与えてくれる。

 

歩きながら

いつのまにか

舗道を見つめている

夕暮の街に

いるか

探せ

目を凝らし

  今年正月十四日のもぐらをもって

  祝い奉る

  粟が千石 大豆が千石 小豆が千石

  合わせて三千石

  乾の隅から三百間の蔵を建て

  大判 小判 よろずの宝を打ち込んで

  貧乏小僧叩き出せ

  おかちんのよごんでも

  ふとかと ふとかと

祝言を呟きながら

おれは

歩いている

すると

街はおれの故郷になり

ビルは藁葺きの家になり

吹き抜ける風も

一月の風になる

 

おれは

二米ほどの

鞭のようにしなる

樫の若木の先端に

新藁を蔦で括りつけた

もぐらをもらって

歩きまわっている

 

祝言の声はたかまり

地面を打つもぐらは

ぼろぼろになり

地面からはもくもくと

漂ってくる

豊かさを夢みた

祝言の裏の

悲しいまでの

狂気と絡繰り

  粟

  大豆

  小豆

  合わせて三千石

と言いながら

三千石が

どれほどの量なのか

知っていたのか

  三百間の蔵

  大判 小判

と言いながら

見たことはあったのか

すべては

夢のまた夢ではなかったか

 

地面を叩くことで

苦しみを音に変えた

もぐら打ちを

予祝の行事などと

断じて言うな

祝言など

もぐら打つための

手拍子にすぎぬ

 

もぐら打ちをすると

貧乏小僧や土竜が飛び出してくると

信じていた

信じこまされていた

 

騙し

騙される

一夜の祭り

 

行き場のない情念を

虚しいまでの祝言を

呆けたもぐら打ちに

託しては消えていった者たちよ

絶やすことなく引き継いだ者たちよ

 

舗道

歩き

ながら

いま

貧乏小僧

土竜

探し

いる

おれ

  ・・・今年正月十四日のもぐらをもって・・・

音ばかりの祝言が聞える

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/02/19

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仁科 理

ニシナ オサム
にしな おさむ 詩人 1939年 佐賀県に生まれる。

掲載作は、「雁風呂」(木偶42号、2000・4・30)、「供養塔」(木偶51号、2002・9・25)、「潮見川」(木偶52号、2002・12・10)、「異風者」(木偶47号、2001・8・10)、「講中」(木偶45号、2001・3・1)、「兄弟」(木偶46号、2001・5・10)、「ほけまくい」(木偶53号、2003・3・10)、「もぐら打ち」(木偶54号、2003・6・20)に初出。

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