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悪政と藝術

 いま私の時代もののワープロは、「悪政」の二字ならすらりと出して来るが、善政は「ぜんせい」から手間をかけて打ち直さねばならない。この機械に漢字辞書を内蔵させた一人ないし何人かの「日本人」は、政治に「悪政」はあっても、善政など無いも同然と把握していたらしい。いわば「政治性悪説」を表現する機械を、相当な高価で十年も前に私は買ってしまったことになる。だが愛機の示すこの認識に、私自身もほぼ異存がない。

 政治社会に「偽」の体系を据えた人

 戦後日本の政治を、ひどい悪政だったとは、思わない。日本のと限っていえば、大化改新このかた一千四百年ほどの政治で、多分水準は図抜けて高い方であったろう。図抜けた政治家など不在不要で、事実、そうであった。いったいあの大戦後の首相たちよりすぐれた政治家は過去にいくらもいたけれど、その政治があまねく善政であった実例は皆無に等しい。あまねく善政などいうものの、あると思う方が、歴史を見あやまっている。どう飾りたてようと政治は権力による権利・権益の行使と取得であり、王道も即ち覇道である。政治とは文字通り「偽」つまり「人為」の最たるもので、神の領分に接した眞や善や美にはなじまない。いずれかといえば、「悪」に身を寄せながら「悪らしからず」機能するのが、政権のせめてもの作法なのであり、名君賢君といえども、結果として自分が先に楽しみ、民百姓に先に憂えさせて来た「悪しき」事実は、史実としても動くものでない。

 例えば聖徳太子という立派な人がいたではないかと、言われるかも知れない。しかしそんな「徳」などという名乗りも、彼や彼の子孫を悲惨へ追い込んだ背後の「悪」と表裏していたことを知らねばならない。いったい崇徳や安徳や順徳や顕徳(後鳥羽)院らにも顕著なように、そんな「徳」の名を死後に奉られる背後には、いつも「悪徳」ないし「悪政」に揺れた時代の苦渋を察しなければならぬのが、日本の歴史であった。世間虚仮(こけ)というすぐれた理解を体験しつつ、しかも有名無実の憲法をお添えものに、位階や位色(いしき)の差別をたて、政治社会に「偽」の体系を据えてしまった例えば聖徳太子を、文句なしに善政の人などと言おうなら舌がしびれてしまう。

 安全神話は原子炉爆発を防げるか

 しかし悪なりに、「ひどい悪」と「そこそこの悪」とが、ある。そこそこの悪政に馴らされながら、人は歴史を生きて来た。しかしひどい悪のひどさの度が過ぎれば、民族の生きて行けない危険が迫る。それほどの危険に、たしかに日本中が見舞われた体験が、先の大戦争を筆頭に、歴史的に両三度はあった。

 そしてそんな両三度を掛け算したほどのもっと物騒な危険は、いまが今も、日本列島を脅かしている。チェルノブイリ級の原子炉爆発が連鎖して起きれば、風吹き雨も多くて逃げ場のない日本列島の生き物は、決定的に被害を蒙りその回復は保証されないだろう。この悪しき危険には、「そこそこ」という歯留めは、無い。

 分かっているのにやめられない。そういう段階へ昨今の政治がトボケ顔で踏み込んで来た以上は、もう戦後政治と並べて均しなみに物は言えない。ひとつ間違えば文化も経済も社会も、自然も、根こそぎ腐れ果てて無に帰するだろう、それで構わぬという立場も選択も、無いはずである。

 たしか藤原道長の時代と元禄時代とを例にあげて、悪政の時代には文化藝術が栄えたと金田一春彦氏が時の首相をにこやかに横目に見ながら、どこやらでスピーチをされた。評判になった。そして、それも、もう忘れられかけている。忘れてべつだん差し支えのない、一場の興言利口ではあった。

 苦笑しつつも「タッチ」という微妙な一語でかわしていた首相も、うまかった。「タッチ」にはアウトもセーフもあって、判定は不明だと首相は言い返したかったのかも知れぬ。ともあれ私はご両人の尻馬には乗らないで、しかも、いま少しく悪政と藝術の問題、できれば今日の悪政と今日の藝術の問題に「タッチ」してみようと思う。

 悪政と藝術の腐れ縁

 金田一氏が、たぶん軽い気持ちで例に上げられた道長時代も元禄時代も、もとより悪政の時代ではあった。が、日本史を通じてみれば、ま、そこそこの悪政であり、言いかえれば特別にひどい悪政期であったわけでは、ない。大混乱という意味でなら、源平が相争った十二世紀や、南北朝がこんがらかった十四世紀や、応仁文明の大乱がだらだら続いた十五世紀の方がよほど難儀であったろうことは、むしろ常識に類している。

 そしてこれらの世紀もまた、物語・日記・随筆・和歌・女手・女繪・造寺・造仏・造園・荘厳・仏画・製紙・染織・演奏・香・繪巻・写本・説話説経・記録等々の藤原時代や、西鶴・近松・芭蕉らの文藝、光琳・乾山・師宣らの造形、蕃山・白石・契沖らの学藝、団十郎・藤十郎・千宗旦らの藝能等々の元禄時代にくらべて、おさおさ劣らぬ、むしろ充実した藝術文化の今様を深くも多彩にも達成していたのである。その意味で半ばは金田一氏のいわれる通りであり、また半ばは金田一氏の引例も見当を失していると言わねばならない。

 いやいや氏は、たんにユーモラスに時の首相の醜態をヤユされたに過ぎまい。それとも世界史的に眺めて、極め付きの悪政が、金も、しかし口も手も出しながら、大藝術家を庇護しまた頤使(いし)して来たイタリア・ルネサンスのような例を、せめて金持ち日本の最高権力者に暗に焚き付けようとでもされたのか、まさか。そんなことならば、固く、願い下げに致したい。

 折しも俳句とハモニカの「藝術家」総理が、突如の登場である。前宰相はやはり敢えない「アウト」であった。

 笑止や、金田一氏のヤユに随うなら、政治に成果をあげれば新宰相の藝術は下落し、それを快しとしないなら悪政に走らねば済まぬ。幸か不幸か就任早々の境涯一句を請われ、新総理は「そんな暇はない」とにべもなかった。つまり絶句した。借りものでもとっさに「夢幻や 南無三宝」くらい言えば、カッコよかったのに。

 金出せば口も出す政治

 ともあれ斯くもあれ金だけ出して口も手も出さない、そんな政治など在る道理がない。文化や藝術が、政治に背を向けて己れのみ高しとするのもコッケイであるが、悪政に対し背いて立つ覚悟は大切、なによりも大切、である。その大切を、なし崩しに切り崩して来る政治―悪政―へ、勲章や表彰や位階や報奨をちらつかされながら、釣狐の釣られ狐のように政権利益のおこぼれへ擦り寄って行く文化人や藝術家の、何故だか増えて行く、それこそ悪政と藝術との腐れ縁だと、ここは問題意識を慎重に切り替えた方がよろしかろう。

 藝術は、もっとも勝れた意味での「私」の所産であり、「公」とは一定の距離に、覚めかつ冷めて在るべきものである。ことに政治・政権に対しては、甘い期待を持たずまた持たせないよう表現するのが本筋であろう。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2011/05/22

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秦 恒平

ハタ コウヘイ
はた こうへい 小説家 1935年 京都府京都市に生まれる。1969(昭和44)年小説「清経入水」により第5回太宰治文学賞受賞。

掲載作は、「朝日新聞」(夕刊)1989年6月19日文化欄に初出。