最初へ

工程

  平均台

 

過ぎ去った無数の世代と

未来の世代との間に

絆のように架けられた

ひとつの空間

 

熟しつつある果実のように

あなたの頬は紅潮し

すき通った筋肉の連鎖は

しなやかな曲線を描く

 

すばらしい跳躍

渦巻くような転回

頂点での一瞬の静止

 

世界のすべての動きが停止する瞬間(いま)

少女よ あなたの姿態は

地上のすべての美しさをつつみこんでいる

 

 

  鉄についての虚無

 

鉄棒

「暖いものが私を包む

少年の掌はやわらかく

その毛細血管には未来が流れ

不十分な握力にも

可能性の翼が広がっている

だがまもなく

少年は私を離れて行くだろう」

 

ナイフ

「私は樹の組織に食い込む

肩巾を増した少年の与える

私への苛酷は無限だ

私は摩耗する

私は腐蝕する

廃棄への抛物線が近づいている」

 

「つよい筋肉が私をふるう

私は大地に問いかける

豊饒の意味を

沈澱した歴史の意味を

私に代わって機械たちが問いかける前に

つよい筋肉が衰えぬ前に」

 

砲弾

「私は創られた

私は私であることの必然を知らない

私は私の効果を知っている

築くためではなく

築かれたものを砕くために私はある

それでも私は確かに創られたのだ」

 

鉄塊

「沈黙だけが私のもの……」

 

 

  ダイヤモンド・パターン

 

僕にとって最も興味のあるものは 人間のフィギュアであ

る 具象と抽象のあいだを反復しながら 常に正確な図形

への同化を試み続ける存在 三次元のフォルムに鋭く反応

し 空間的存在のゆえに 空間的完全さをひとすじに追求

する 複合体のフィギュア

僕は白日夢をみなければならない 骨などの立体の ひと

つの断面をみながら もうひとつの断面を重ね フォルム

の重心 質量 重量と自分自身とを同一視するために

人間と時間とのあいだの 不確かな不釣合い 僕の存在と

生きている瞬間の 不思議な不釣合い 人間は事物の尺度

とはなり得ないのだろうか 混沌だけが 心の肥沃さの必

要条件なのだろうか

僕は僕自身を 単にひとつの立体として認識する 心臓に

までもくい込む知識の破片 身体と幾何学とのあいだの戦

いの傷跡 僕はその量を 僕のかたちが空中で押しのけた

空間として記憶する

来つつあり また来なければならぬものとの 絶えざる結

びつき 描かれた青い水に走る無数の線分 澄明な空気の

振動 雲が影を落としている緑色の深み かつて夜の灰色

から現われて 方向の無いビジョンを暗示する 線だけの

夢幻の風景

僕は窓辺の素描家 無数の矩形を描き 無数の線分を交錯

させる ダイヤモンド・パターンの素描家だ

 

 

  ループ

 

咆哮する負のエネルギーは去った。透明な三

面図の中で、わたしは直観する。

 

わたしの世紀の<ゴルゴダ>は水平に描かれ

ているので、転倒するほどの傾斜を持つこと

はない。アネモネのような少女は空気の塔を

さがすために、深まる秋の困惑を携えている。

 

往路は黒く芽ぶく。帰路は白く結実する。ひ

ろがる天との距離……。

 

道はかすみを増し、わたしの内面も水位を増

している。眼の高さでときおりうごめくもの

は、必然の糸の先端であろうか。やさしく加

担する予感へのベクトル。

 

わたしは<カナン>をめざす。最後の楽章は

半音ひくく、夢の羽音に満ちている。成育で

はなくその休止。発酵するわたしの言葉。旅

ではなく環状(ループ)の人生。わたしはわたし自身を

灼くための炎である――。

 

 

  折鶴幻想

 

この国の

多くの指が経験している

手づくり遊び

折紙の 鶴

 

基本を折り

さらに基本を重ね

呪文(いのり)のように

正方形の紙を 折り継いでゆく

求心的なシルエット

 

折鶴の

素朴な視点は

「意味」を見つめている

人の 中の

静止した核のようなものを

見つめている

 

息づいている

針の先ほどの一点

くちばしに秘められた

いにしえの私語

 

風は遠く

鶴は 風の中に

 

僕が折り継いできた

数え切れない折鶴の群れが

宇宙の極を めざしている………

 

 

  黄金分割

 

きみは 知っているだろうか

人間(ひと)

さかさになった 植物

である ということを

 

たとえば

植物の根は 人間の頭

花と実は 下半身に

相当するらしい

 

人間と植物のかかわりは古い

数々の神話の中にも

必ずといってよいほど

人間の男女と

「樹」が 登場している

 

樹木の構造的な形態は

メソポタミアの方柱のように

天と地の結び付きの

象徴へと 推移したが

キクやホウセンカ ヤナギなどは

数学的な法則を 内包していった

 

茎の周りにおける

螺旋状の葉の付き方

つまり フィボナッチ数列

限りなく

0.38197 に近づく

黄金分割が それである

 

さて

さかさになった 植物

である きみ

きみの

形而上の

黄金分割は 如何に?

 

 

  秋の異境

 

木漏れ日のむこうに

不整形で大きな下部の

濃い青色の花が佇立している

 

一日はながく

林のかげから

風は落ち

 

樹の葉が

実にながい時間をかけて

青い底に沈む

 

一日が過ぎ

また新しい一日へ

髪の毛ほどの一瞬を渡る 影

 

ここは

黄昏の国

落日はむろん ひとつだが

落ち葉の上には

にじむ血のように

落日の斑点がある

 

ここでは

しだいに 鳶色の闇が

僕たちの靴音を遮り

 

鳥たちの羽ばたきも

虫たちの鳴き声も

夏の日の音も感触も 遠のいて

 

墓標?

濃い青色の花だけが

一点 ゆっくりと揺れている

 

 

  静物の記憶

 

埴輪の 鳩

それは

まなこのない

やさしさである

 

飛翔することのない

うつくしさの 原型である

 

   *

 

古代の 土の

不思議な あかるさと

かがやき

 

ちいさな眼窩に 内在する

宇宙の極み

 

   *

 

空は なぜ

夥しい<青>に満ちているのか

透徹した<青>たちのうねり

 

声のない鳩に託された

ひとつの黙示

見えない言葉のうねり

 

   *

 

空へ

絶えることのない

垂直面への 記憶

 

僕の胸郭(こころ)

翼をとじた鳩のかたちに 似ている

 

 

  指と紙飛行機

 

開け放した窓のむこうから

子供たちの声が行わけの詩のように立ち上がってくる

 

微風は吹いていないようだ

僕が一日の間に吐き出した言葉の数々

それらの中に風の扉を開く鍵はなかった

 

真夏の虚空へ

たとえ満足のいくものでなくても

君の心の重力を少しでも軽減できるなら

言葉たちも無為にさまようことはないのに

 

束の間の空白に文字をしるす僕の指

こぼれ落ちていく言葉の素顔

寡黙でいることのやわらかなひととき

 

ふと気が付くと僕の指は紙を折っている

一篇の詩に等しいサイズで紙飛行機を折っている

広告紙でも便箋でも上質なケント紙でも

地球に存在する紙なら何でもいいのだ

どんな言葉にもだまされない折るという事実のために

 

人の指ではすくいとれないもの

君の心の重力にむかって

精一杯の無言を折り込んだ

わずか十数秒の不規則な浮遊……

 

紙飛行機の飛翔は一篇の詩に似ている

 

 

  クォーレについての素描

 

七つの椅子は

さまざまな機能と役割をもつ

けっして黄金には恵まれないが

どこに座っても「青い海」は見える

 

カウンターの灯が映しだす

皮膚 筋肉 骨 神経

そして「心」という厄介なものの残像

 

いくたびか四季が過ぎて

ぼくに残された謎はもう少ない

 

ぼくのひとり旅とは

星空をたよりに航行する

真夜中の旧い貨物船のようなものだ

夢のエッセンスあるいは

おだやかな解体にむかっての

 

めじるしは春色のハートのかたち

クォーレ(心)という名のちいさなスナック

 

資格研修の講師 「振動」の工学博士

広告会社オーナー 軽貨物運送業者

某医科大のナース 地方気象台の職員

隣国出身の金さん 朴さんたちが織り成す

七つの椅子(海?)の不思議な相対関係

 

ぼくの言葉 ぼくの歌

ぼくの細胞 ぼくの遺伝子

170センチのぼくの中に潜む海

 

記憶もまた肉体の一部だということを

知ってはいるつもりなのだが

 

ぼくはまだ海の果てへの旅をしたことはない

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2006/07/22

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綾部 健二

アヤベ ケンジ
あやべ けんじ 詩人 1951年 栃木県栃木市に生まれる。

掲載作は詩集『工程』(1980)、『マイルストーン』(1986)、『静物の記憶』(1989)、『ストライプ』(2001)から自薦。

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