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鼠坂

 小日向(こびなた)から音羽(おとは)()りる鼠坂(ねずみざか)()(さか)がある。(ねずみ)でなくては()がり()りが出來(でき)ないと()意味(いみ)()けた()ださうだ。臺町(だいまち)(はう)から(さか)(うへ)までは人力車(じんりきしや)(かよ)ふが、左側(ひだりがは)近頃(ちかごろ)()()んだ(こと)のなささうな生垣(いけがき)()右側(みぎがは)(ひろ)邸跡(やしきあと)(おほ)きい(まつ)一本(いつぽん)我物顔(わがものがほ)()めてゐる赤土(あかつち)地盤(ぢばん)()ながら、ここからが(さか)だと(おも)(へん)まで()ると、突然(とつぜん)勾配(こうばい)(つよ)い、(せま)い、(まが)りくねつた小道(こみち)になる。人力車(じんりきしや)()つて()りられないのは勿論(もちろん)空車(からぐるま)にして()かせて()りることも出來(でき)ない。(くるま)()りて徒歩(とほ)()りることさへ、雨上(あまあ)がりなんぞにはむづかしい。鼠坂(ねずみさか)()(しん)(むな)しからずである。

 その(まつ)()()えてゐる明屋敷(あきやしき)(ひさ)しく子供(こども)遊場(あそびば)になつてゐたところが、去年(きよねん)(くれ)からそこへ(おほ)きい材木(ざいもく)や、御蔭石(みかげいし)(はこ)びはじめた。音羽(おとは)(とほり)まで牛車(うしぐるま)(はこ)んで()て、鼠坂(ねずみざか)(そば)足場(あしば)()けたり、汽船(きせん)荷物(にもつ)()せるcrane(クレエヌ)()ふものに()器械(きかい)()()けたりして、()()げるのである。職人(しよくにん)大勢(おほぜい)這入(はい)る。大工(だいく)()(けづ)る。石屋(いしや)(いし)()る。二箇月(にかげつ)()つか()たないうちに、和洋(わやう)折衷(せつちゆう)とか()ふやうな、二階家(にかいや)建築(けんちく)せられる。黑塗(くろぬり)高塀(たかべい)(めぐ)らされる。とうとう立派(りつぱ)邸宅(ていたく)出來(でき)()がつた。

 近所(きんじよ)(ひと)(おどろ)いてゐる。材木(ざいもく)(はこ)(はじ)められる(ころ)から、(だれ)建築(けんちく)をするのだらうと()つて、ひどく()にして()(あは)せると、深淵(ふかぶち)さんだと()ふ。深淵(ふかぶち)さんと()(ひと)(おほ)きい官員(くわんゐん)にはない。實業家(じつげふか)にもまだ()かない。どんな()(うへ)(ひと)だらうと(うたが)つてゐる。そのうち(だれ)やらがどこからか()()して()て、あれは戰爭(せんさう)(とき)滿州(まんしう)(かね)(まう)けた(ひと)ださうだと()ふ。それで物珍(ものめづ)らしがる人達(ひとたち)安心(あんしん)した。

 建築(けんちく)出來(でき)()がつた(とき)高塀(たかべい)(おな)黑塗(くろぬり)にした(もん)()ると、なる(ほど)深淵(ふかぶち)()ふ、(ぞく)隷書(れいしよ)()いた陶器(たうき)(ふだ)が、電話番號(でんわばんがう)(ふだ)(なら)べて()けてある。いかにも立派(りつぱ)(やしき)ではあるが、なんとなく樣式離(やうしきばな)れのした、趣味(しゆみ)()い、そして陰氣(いんき)構造(こうざう)のやうに(かん)ぜられる。番町(ばんちやう)阿久澤(あくざは)とか()(いへ)()てゐる。一歩(いつぽ)(すゝ)めて()へば、古風(こふう)(ひと)には、西遊記(さいいうき)怪物(くわいぶつ)()みさうな(いへ)とも()え、現代的(げんだいてき)(ひと)には、マアテルリンクの戲曲(ぎきよく)にありさうな(いへ)とも(おも)はれるだらう。

 二月(にぐわつ)十七日(じふしちにち)(ばん)であつた。(おく)八疊(はちでふ)座敷(ざしき)に、二人(ふたり)(きやく)があつて、酒酣(さけたけなは)になつてゐる。座敷(ざしき)(きは)めて殺風景(さつぷうけい)出來(でき)てゐて、(とこ)()にはいかがはしい文晃(ぶんてう)大幅(たいふく)()けてある。肥滿(ひまん)した、(あか)(がほ)の、八字髭(はちじひげ)()主人(しゆじん)(はじめ)として、(きやく)(そば)にも一々(いちいち)毒々(どくどく)しい綠色(みどりいろ)()れを()つた脇息(けふそく)()いてある。杯盤(はいばん)世話(せは ママ)()いてゐるのは、(いろ)(あを)い、(かみ)(うす)い、()()(はたら)いて、しかも不愛相(ぶあいさう)年增(としま)で、これが主人(しゆじん)女房(にようばう)らしい。座敷(ざしき)から人物(じんぶつ)まで、(すべ)新開地(しんかいち)料理店(れうりてん)()るやうな光景(くわうけい)(てい)してゐる。

「なんにしろ、大勢(おほぜい)()つてゐたのだが、本當(ほんたう)財産(ざいさん)(こしら)へた(ひと)は、晨星寥々(しんせいれうれう)さ。戰爭(せんさう)(はじ)まつてからは丸一年(まるいちねん)になる、旅順(りよじゆん)()ちると()時期(じき)に、身上(しんしやう)()(だけ)(さけ)にして、漁師(れふし)仲間(なかま)大連(たいれん)(おく)(ふね)底積(そこづみ)にして()()すと()ふのは、着眼(ちやくがん)()かつたよ。肝心(かんじん)漁師(れふし)宰領(さいりやう)は、爲事(しごと)(あた)つたが、(かね)(たい)して(まう)けなかつたのに、(うち)では(さけ)なら(いく)らでも()れると()(ところ)()()んだのだから、(うま)()つたのだ。」かう()つた一人(ひとり)(きやく)(だい)(さけ)()いて、(はなし)途中(とちゆう)で、折々(をりをり)(した)運轉(うんてん)(わる)くなつてゐる。澀紙(しぶかみ)のやうな(かほ)に、胡痲鹽鬚(ごましほひげ)中伸(ちゆうの)びに()びてゐる。支那語(しなご)通譯(つうやく)をしてゐた(をとこ)である。

度胸(どきよう)だね」と(いま)一人(ひとり)(きやく)合槌(あひづち)()つた。「鞍山站(あんざんてん)まで(さけ)(はこ)んだちやん(ぐるま)(ぬし)(しば)()げて、(みち)(ひろ)つた針金(はりがね)(ふところ)()()んで、軍用電信(ぐんようでんしん)()つた嫌疑者(けんぎしや)にして、正直(しやうぢき)憲兵(けんぺい)(だま)して()(わた)してしまふなんと()爲組(しくみ)は、(ほか)のものには出來(でき)ないよ。」かう()つたのは濃紺(のうこん)のジヤケツの(した)にはでなチヨツキを()た、(いろ)(しろ)新聞記者(しんぶんきしや)である。

 この(とき)小綺麗(こぎれい)(かほ)をした、田舍出(いなかで)らしい女中(ぢよちゆう)が、(かん)()けた銚子(てうし)()つて()て、障子(しやうじ)()けて()すと主人(しゆじん)女房(にようばう)目食(めく)はせをした。女房(にようばう)銚子(てうし)(せは)しげに()()つて、女中(ぢよちゆう)に「(よう)があればベルを()らすよ、ちりんちりんを()らすよ、あつちへ()つてお(いで)」と()つて、障子(しやうじ)()めた。

 新聞記者(しんぶんきしや)(ことば)()いだ。「それは()いが、先生(せんせい)自分(じぶん)(むち)()つて、ひゆあひゆあしよあしよあとかなんとか()つて、ぬかるみ(みち)前進(ぜんしん)しようとしたところが、騾馬(らば)やら、驢馬(ろば)やら、ちつぽけな(うし)やらが、ちつとも()ふことを()かないで、(つな)がこんがらかつて、高梁(かおりやん)切株(きりかぶ)だらけの畑中(はたなか)立往生(たちわうじやう)をしたのは、滑稽(こつけい)だつたね。」記者(きしや)主人(しゆじん)(かほ)をじろりと()た。

 主人(しゆじん)苦笑(にがわらひ)をして、(さけ)をちびりちびり()んでゐる。

 通譯(つうやく)あがりの(をとこ)は、(なに)(おも)()して舌舐(したなめ)ずりをした。「お(かげ)我々(われわれ)(ひさ)(ぶり)大牢(たいらう)(あぢは)ひに()()いたのだ。(さけ)(いく)らでも()ませてくれたし、あの(とき)(ぐらゐ)(ぼく)愉快(ゆくわい)だつた(こと)()いよ。なんにしろ、兵站(へいたん)はあんまり御馳走(ごちそう)のあつたことはないからなあ。」

 主人(しゆじん)(みじか)笑聲(わらひごゑ)()らした。「(きみ)(さけ)(にく)さへあれば滿足(まんぞく)してゐるのだから、風流(ふうりう)だね。」

無論(むろん)さ。大杯(たいはい)(さけ)大塊(たいくわい)(にく)があれば、能事(のうじ)(をは)るね。これから(また)遼陽(れうやう)(かへ)つて、會社(くわいしや)のお役人(やくにん)()らなくてはならない。(じつ)はそんな(こと)はよして南淸(なんしん)(はう)()きたいのだが、人生(じんせい)()(ごと)くならずだ。」

(きみ)無邪氣(むじやき)だよ。あの鱸馬(ろば)(もら)つた(とき)の、(きみ)(よろこ)びやうと()つたらなかつたね。(ぼく)はさう(おも)つたよ。(きみ)だの、あの騾馬(らば)()()れて(よろこ)んだ司令官(しれいくわん)()いさんなんぞは、仙人(せんにん)だと(おも)つたよ。(おれ)騎兵科(きへいくわ)で、こんな(ふく)()徒歩(とほ)をするのはつらかつたが、これがあれば、もうてくてく(ある)きはしなくつても()いと()つて、ころころしてゐた司令官(しれいくわん)も、隨分(ずいぶん)好人物(かうじんぶつ)だつたね。あれから(きみ)驢馬(ろば)をどうしたね。」記者(きしや)通譯(つうやく)あがりに()うたのである。

「なに。十里河(じふりが)まで()くと、兵站部(へいたんぶ)()()げられてしまつた。」

 記者(きしや)主人(しゆじん)(かほ)をちよいと()て、狡猾(こうくわつ)げに(わら)つた。

 主人(しゆじん)記者(きしや)(かほ)を、(おな)じやうな目附(めつき)見返(みかへ)した。「そこへ()くと、(きみ)(つみ)(ふか)い。(さけ)(にく)では滿足(まんぞく)しないのだから。」

「うん。(たい)した(ちが)ひはないが、(ぼく)今一(いまひと)つの(にく)要求(えうきう)する。(かね)(わる)くはないが、その今一(いまひと)つの(にく)()手段(しゆだん)()ぎない。(かね)その(もの)興味(きようみ)()つてゐる(きみ)とは(ちが)ふ。(しか)友達(ともだち)には、(きみ)のような(ひと)があるのが()い。」

 主人(しゆじん)持前(もちまへ)苦笑(にがわらひ)をした。「今一(いまひと)つの(にく)()いが、營口(えいこう)()()つた(ばん)(はな)した、あの事件(じけん)(すご)いぜ。」かう()つて女房(にようばう)(はう)をちよいと()た。

 (かみ)さんは(うす)(くちびる)(あひだ)から、()ばんだ()()して微笑(ほゝゑ)んだ。「本當(ほんたう)小川(をがは)さんは、(やさ)しい(かほ)はしてゐても惡黨(あくたう)だわねえ。」小川(をがは)()ふのは記者(きしや)()である

 小川(をがは)急所(きふしよ)()かれたとでも()ふやうな樣子(やうす)で、(いま)まで元氣(げんき)()かつたのに()ず、しよげ(かへ)つて、(ぜん)(うへ)(さかづき)()()つたのさへ、てれ(かく)しではないかと(おも)はれた。

「あら、それはもう()えてゐるわ。(あつ)いのになさいよ。」(かみ)さんは(よこ)から小川(をがは)(かほ)(のぞ)くやうにしてかう()つて、女中(ぢよちゆう)()いて()つた銚子(てうし)()()げた

 小川(をがは)()えた(さけ)汁椀(しるわん)(なか)()けて、(かみ)さんの注ぐ(さけ)()けた。

 (さけ)()ぎながら、(かみ)さんは(あま)つたるい調子(てうし)()つた。「でも營口(えいこう)(うち)()いてゐた、あの()には、小川(をがは)さんも(かな)はなかつたわね。」

名古屋(なごや)ものには小川君(をがはくん)にも()けない(やつ)がゐるよ。」主人(しゆじん)(そば)から(くち)(はさ)んだ。

矢張(やはり)小川(をがは)(かほ)(よこ)から(のぞ)くやうにして、(かみ)さんが()つた。「なかなか別品(べつぴん)だつたわねえ。それに(はだ)()くつて。」

 此時(このとき)通譯(つうやく)あがりが突然(とつぜん)大聲(おほごゑ)をして()つた。「その(すご)(はなし)()ふのを、(ぼく)()きたいなあ。」

「よせ」と、小川(をがは)(するど)通譯(つうやく)あがりを(にら)んだ。主人(しゆじん)はどつしりした(からだ)で、胡坐(あぐら)()いて、ちびりちびり(さけ)()みながら、小川(をがは)表情(へうじやう)を、睫毛(まつげ)(うご)くのをも見遁(みの)がさないやうに()てゐる。その(くせ)(かほ)通譯(つうやく)あがりの(はう)()けてゐて、笑談(ぜうだん)らしい、(かる)調子(てうし)(はな)()した。「平山君(ひらやまくん)はあの(はなし)をまだしらないのかい。まあどうせ(とま)ると()めてゐる以上(いじやう)は、ゆつくり(はな)すとしよう。なんでも黑溝臺(こくこうだい)戰爭(せんさう)()んだ(あと)で、奉天(ほうてん)攻撃(こうげき)はまだ(はじ)まらなかつた(ころ)だつたさうだ。なんとか窩棚(くわほう)()(むら)に、小川君(をがはくん)宿舍(しゆくしや)()()てられてゐたのだ。(ちひ)さい(むら)で、人民(じんみん)大抵(たいてい)避難(ひなん)してしまつて、明家(あきや)澤山(たくさん)出來(でき)てゐる(ところ)なのだね。小川君(をがはくん)(となり)(いへ)明家(あきや)だと(おも)つてゐたところが、()(ばん)便所(べんじよ)()つて(よう)()してゐる(とき)、その明家(あきや)(なか)(なに)物音(ものおと)がすると()ふのだ。」通譯(つうやく)あがりは平山(ひらやま)()(をとこ)である。

 小川(をがは)迷惑(めいわく)だが、もうかうなれば爲方(しかた)がないので、諦念(あきら)めて(はな)させると()樣子(やうす)で、(かみ)さんの()(さけ)()んでゐる。

 主人(しゆじん)(はな)(つゞ)けた。「便所(べんじよ)(れい)(とほ)(こほ)つてゐる(つち)(すこ)しばかり()()げて、(いた)(わた)してあるのだね。そいつに(また)がつて、(しり)(さむ)いのを我慢(がまん)して、(よう)()しながら、小川君(をがはくん)(みゝ)()まして()いてゐると、その物音(ものおと)色々(いろいろ)變化(へんくわ)して()える。どうも(ねずみ)やなんぞではないらしい。(いぬ)でもないらしい。小川君(をがはくん)好奇心(かうきしん)(おこ)つて()まらなくなつた。その(いへ)(おもて)からは()けひろげたやうになつて()えてゐる。(かん)(ふち)にしてある材木(ざいもく)はどこかへ()くなつて、(きづ)()げた(つち)暴露(ばくろ)してゐる。その(おく)土地(とち)(たん)()つてゐる煉瓦(れんぐわ)のやうなるのが(いつ)ぱい()()げてある。どうしても(おく)(かべ)沿()うて()()げてあるとしか(おも)はれない。小川君(をがはくん)物音(ものおと)性質(せいしつ)()(さだ)めようとすると同時(どうじ)に、その場所(ばしよ)()(さだ)めようとして努力(どりよく)したさうだ。自分(じぶん)(また)がつてゐる(あな)直前(すぐまへ)背丈(せたけ)(ぐらゐ)石垣(いしがき)になつてゐて、(となり)(いへ)横側(よこがは)がその石垣(いしがき)密接(みつせつ)してゐる。物音(ものおと)はその一番(いちばん)(おく)(ところ)でしてゐる。(おもて)から(たん)()んだのが()えてゐる(へん)である。これ(だけ)(こと)(かんが)へて、小川君(をがはくん)はとうとう探檢(たんけん)出掛(でか)ける決心(けつしん)をしたさうだ。無論(むろん)便所(べんじよ)()くにだつて、毛皮(けがは)(おほ)外套(ぐわいたう)()(まゝ)()く。まくつた(しり)(おろ)してしまへば、(さむ)くはない。丁度(ちやうど)便所(べんじよ)(あな)(そば)に、()をむしり(のこ)した向日葵(ひまはり)(くき)二三本(にさんぼん)(しば)()せたのを、一本(いつぽん)(ぼう)(むす)()けてある。その(ぼう)石垣(いしがき)(たふ)()かつてゐる。それに()()けて、小川君(をがはくん)(おも)外套(ぐわいたう)()(まゝ)で、造做(ざうさ)もなく石垣(いしがき)(うへ)()つて、向側(むかうがは)見卸(みおろ)したさうだ。(そら)(あを)()んで、(ほし)がきらきらしてゐる。そこら一面(いちめん)(ゆき)(つも)つて(こほ)つてゐる。(よる)二時(にじ)(ごろ)でもあらうが、(あか)るい(こと)(あか)るいのだね。」

 小川(をがは)はつぶやくやうに(くち)(はさ)んだ。「(ひと)()たらめを饒舌(しやべ)つたのを、()くそんなに(おぼ)えてゐるものだ。」「()いから(だま)つて()いてゐ(たま)へ。石垣(いしがき)向側(むかうがは)矢張(やはり)(たん)()んであつて()りるには足場(あしば)()い。()りて(いへ)背後(うしろ)(まは)つて()ると、そこは(あた)(まへ)(かべ)ではない。(まど)()めて、(そと)から(たん)(ふさ)いだものと()える。(しばら)くその(そと)()つて()いてゐると、物音(ものおと)はぢき(まど)(うち)でしてゐる。(いへ)構造(こうざう)から(かんが)へて()ると、どうしても(かん)(うへ)なのだ。(おもて)から()える、(つち)暴露(ばくろ)してゐる(かん)は、(かぎ)なりに(まが)つた(かん)半分(はんぶん)で、(あと)半分(はんぶん)()()げた(たん)(かく)れてゐるものと(おも)はれる。物音(ものおと)のするのは、どうしてもその(あと)半分(はんぶん)(たん)(うへ)なのだ。かうなると、小川君(をがはくん)はどうも(この)(まど)(うち)()なくては()()まない。そこで(たん)()けて、()()げになつてゐる障子(しやうじ)(うち)()せば()いわけだ。ところがその(たん)がひどくぞんざいに、(まばら)()んであつて、(とを)ばかりも(おろ)してしまへば、(まど)()きさうだ。小川君(をがはくん)(たん)(おろ)(はじ)めた。その(とき)物音(ものおと)がぴつたりと()んださうだ。」

 小川(をがは)諦念(あきら)めて()んでゐる。平山(ひらやま)次第(しだい)熱心(ねつしん)傾聽(けいちやう)してゐる。(かみ)さんは油斷(ゆだん)なく(さけ)三人(さんにん)(さかづき)()いで(まは)る。

小川君(をがはくん)(たん)(ひと)(ひと)(おろ)しながら(かんが)へたと()ふのだね。どうもこれは(ふさ)(きり)(ふさ)いだものではない。出入口(でいりぐち)にしてゐるらしい。(しか)(なか)(ひと)這入(はい)つてゐるとすると、(そと)から(たん)()んであるのが不思議(ふしぎ)だ。()(かく)拳銃(けんじゆう)寢床(ねどこ)()いてあつたのを、()つて()れば()かつたと(おも)つたが、好奇心(かうきしん)がそれを()りに(かへ)(ほど)餘裕(よゆう)(あた)へないし、それを()りに(かへ)つたら、(いつ)しよにゐる(ひと)()()ますだらうと(おも)つて諦念(あきら)めたさうだ。(たん)造做(ざうさ)もなく()けてしまつた。(まど)()()けて()すとなんの抗抵(かうてい)もなく()く。その(とき)がさがさと()(おと)がしたさうだ。小川君(をがはくん)がそつと(なか)(のぞ)いて()ると、粟稈(あはがら)(いつ)ぱいに()らばつてゐる。それが(まど)(さは)つて、がさがさ()つたのだね。それは()いが、そこらに(かめ)のやうな(もの)やら、(かご)のやうな(もの)やら()いてあつて、その(おく)粟稈(あはがら)半分(はんぶん)()まつて、(ひと)がゐる。(たし)かに(ひと)だ。土人(どじん)()淺葱色(あさぎいろ)外套(ぐわいたう)のやうな(ふく)で、(すそ)(ところ)がひつくり(かへ)つてゐるのを()ると、(ひつじ)毛皮(けがは)(うら)()けてある。(まど)(はう)背中(せなか)()けて(あたま)粟稈(あはがら)()めるやうにしてゐるが、その背中(せなか)はぶるぶる(ふる)(ママ)てゐると()ふのだね。」

 小川(をがは)(さかづき)()()げたり、()いたりして不安(ふあん)らしい樣子(やうす)をしてゐる。平山(ひらやま)はますます熱心(ねつしん)()いてゐる。

 主人(しゆじん)はわざと()()いて、二人(ふたり)等分(とうぶん)()(はな)(つゞ)けた。「ところがその人間(にんげん)(あたま)瓣子(べんつう)でない。(をんな)なのだ。それが()かつた(とき)小川君(をがはくん)はそれ(まで)(まじ)つてゐた危險(きけん)()(ねん)(まつた)()くなつて、好奇心(かうきしん)純粹(じゆんすゐ)好奇心(かうきしん)になつたさうだ。これはさもありさうな(こと)だね。(にい)(こゑ)(ちから)()れて()んで()たが、(ただ)(ふる)(ママ)てゐるばかりだ。

小川君(をがはくん)(たん)(うへ)へ飛び()がつた。(をんな)(かた)()()けて、()(おこ)して、(まど)(はう)()けて()ると、まだ二十(はたち)にならない(くらゐ)な、すばらしい別品(べつぴん)だつたと()ふのだ。」

 主人(しゆじん)(また)()()いて二人(ふたり)見較(みくら)べた。そしてゆつくり(さけ)一杯(いつぱい)()んだ。「これから(さき)端折(はしよ)つて(はな)すよ。これまでのやうな(めず)らしい(はなし)とは(ちが)つて、いつ(だれ)がどこで()つても(おな)(こと)だからね。一體(いつたい)支那人(しなじん)はいざとなると、覺悟(かくご)()い。(くび)()られる(とき)なぞも、尋常(じんじやう)()られる。(をんな)尋常(じんじやう)服從(ふくじゆう)したさうだ。無論(むろん)小川君(をがはくん)好嫖致(はおびやおち)(ところ)も、(をんな)諦念(あきら)容易(ようい)ならしめたには相違(さうゐ)ないさ。そこで(をんな)服從(ふくじゆう)したのは()いが、小川君(をがはくん)自分(じぶん)(かほ)見覺(みおぼ)えられたのがこはくなつたのだね。」ここまで(はな)して、主人(しゆじん)小川(をがは)(かほ)をちよつと()た。(あか)かつた(かほ)(あを)くなつてゐる。

「もうよし(たま)へ」と()つた小川(をがは)(こゑ)は、(ちひ)さく、異樣(いやう)空洞(うつろ)(ひび)いた。

「うん。よすよよすよ。もうおしまひになつたぢやないか。なんでもその(をんな)には折々(をりをり)土人(どじん)食物(しよくもつ)をこつそり(まど)から(はこ)んでゐたのだ。(をんな)はそれを()なかに()つたり、(かめ)(なか)便(べん)()したりすることになつてゐたのを、小川君(をがはくん)()()けたのだね。(かほ)綺麗(きれい)だから、兵隊(へいたい)()せまいと(おも)つて、(かく)して()いたのだらう。(ひつじ)毛皮(けがは)二枚(にまい)()てゐたさうだが、それで粟稈(あはがら)(なか)(もぐ)つてゐたにしても、(かん)()かれないから、隨分(ずいぶん)(さむ)かつただらうね。支那人(しなじん)辛抱(しんぼう)(づよ)いことは無類(むるゐ)だよ。()(かく)その(をんな)はそれ()粟稈(あわがら)(なか)から()きずにしまつたさうだ。」主人(しゆじん)最後(さいご)一句(いつく)を、特別(とくべつ)にゆつくり()つた。

 違棚(ちがひだな)(うへ)でしつつこい(きん)装飾(さうしよく)をした置時計(おきどけい)がちいんと(ひと)()つた。

「もう一時(いちじ)だ。()ようかな。」かう()つたのは、平山(ひらやま)であつた。

 主客(しゆかく)(しばら)くぐずぐずしてゐたが、それからはどうした(こと)か、(はなし)()えない。とうとう一同(いちどう)()ると()ふことになつて、(きやく)二階(にかい)案内(あんない)させるために、(かみ)さんが女中(ぢよちゆう)()んだ。

 一同(いちどう)()()がる(とき)小川(をがは)足元(あしもと)(だい)(あや)しかつた。

 主人(しゆじん)小川(をがは)()つた。「さつきの(はなし)舊暦(きうれき)除夜(ぢよや)だつたと(きみ)()つたから、丁度(ちやうど)今日(けふ)七囘忌(しちくわいき)だ。」

 小川(をがは)(だま)つて主人(しゆじん)(かほ)()た。そして女中(ぢよちゆう)(あと)()いて、平山(ひらやま)(なら)んで梯子(はしご)を登つた。

 二階(にかい)西洋(せいやう)まがひの構造(こうざう)になつてゐて、(ちひ)さい部屋(へや)(いく)つも(なら)んでゐる。大勢(おほぜい)(きやく)()める計畫(けいくわく)をして()てた(いへ)()える。廊下(らうか)には(くら)電燈(でんとう)()いてゐる。女中(ぢよちゆう)平山(ひらやま)に、「あなたはこちらで」と(ひと)つの()(ゆび)さした。

 ()(つま)みに()()けて、「さやうなら」と()つた平山(ひらやま)(こゑ)小川(をがは)にはひどく不愛相(ぶあいさう)(きこ)えた。

 女中(ぢよちゆう)はずんずん(さき)()つて()く。

「まだ(さき)かい」と小川(をがは)()つた。

「ええ。あちらの(はう)煖爐(だんろ)()いてございます。」かう()つて、女中(ぢよちゆう)廊下(らうか)()()まりの()まで()れて()つた。

 小川(をがは)()()けて這入(はい)つた。瓦斯(ガス)煖爐(だんろ)()いて、電燈(でんとう)()けてある。本當(ほんたう)西洋間(せいやうま)ではない。小川(をがは)(くに)這入(はい)つてゐた中學(ちゆうがく)寄宿舍(きしゆくしや)のやうだと(おも)つた。(かべ)沿()うて(たな)()つたやうに寢床(ねどこ)出來(でき)てゐる。その(した)押入(おしい)れになつてゐる。煖爐(だんろ)があるのに、枕元(まくらもと)眞鍮(しんちゆう)火鉢(ひばち)()いて、湯沸(ゆわ)かしが()けてある。その(そば)九谷燒(くたにやき)煎茶道具(せんちやだうぐ)()いてある。小川(をがは)(のど)(かわ)くので、急須(きふす)(いつ)ぱい()をさして、(ちや)()ても()なくても()いと(おも)つて、()ぐに茶碗(ちやわん)()いで、一口(ひとくち)にぐつと()んだ。そして()てゐたジヤケツも()がずに、()きなり布團(ふとん)(なか)這入(はい)つた。

 (よこ)になつてから、(あたま)(しん)(いた)むのに()()いた。「ああ、(さけ)(へん)()いた。(だれ)だつたか、(まる)()はないで三角(さんかく)()ふと()つたが、(おれ)三角(さんかく)()つたやうだ。それに深淵(ふかぶち)()があんな(はなし)をしやがるものだから、不愉快(ふゆかい)になつてしまつた。あいつ()(めう)客間(きやくま)(こしら)へやがつたなあ。あいつの(こと)だから、賭場(とば)でも(はじ)めるのぢやあるまいか。畜生(ちくしやう)布團(ふとん)(やはら)かで()いが、(いや)寢床(ねどこ)だなあ。(かん)のやうだ。さうだ。丸で(かん)だ。ああ。(いや)だ。」こんな(こと)(おも)つてゐるうちに、(ゑひ)(つか)れとが次第(しだい)意識(いしき)(くら)ましてしまつた。

 小川(をがは)はふいと()()ました。電燈(でんとう)が消えてゐる。(しか)部屋(へや)(なか)薄明(うすあか)りがさしてゐる。(まど)からさしてゐるかと(おも)つて、(まど)()れば、(まど)()(くら)だ。「瓦斯(ガス)煖爐(だんろ)(あか)りかな」と(おも)つて()ると、なる(ほど)礬土(はんど)(くだ)五本(ごほん)(なら)んで、(した)(はし)だけ樺色(かばいろ)()えてゐる。(しか)しその()(ひかり)煖爐(だんろ)(まへ)半疊敷(はんでふじき)(ほど)(とこ)()いろに照らしてゐるだけである。それと室内(しつない)靑白(あおじろ)いやうな薄明(うすあか)りとは(ちが)ふらしい。小川(をがは)()(かく)電燈(でんとう)()けようと(おも)つて、(からだ)半分(はんぶん)(おこ)した。その(とき)正面(しやうめん)(かべ)意外(いぐわい)(もの)がはつきり()えた。それはこはい(もの)でもなんでもないが、それが()えると同時(どうじ)に、小川(をがは)全身(ぜんしん)(みず)(あび)せられたやうに、ぞつとした。()えたのは紅唐紙(べにたうし)で、それに「立春大吉」と()いてある。その(きち)()半分(はんぶん)()けて、ぶらりと()がつてゐる。それを()てからは、小川(をがは)暗示(あんじ)()けたやうに()をその(かべ)から(はな)すことが出來(でき)ない。「や。あの()けた紅唐紙(べにたうし)()れのぶら(さが)つてゐる(した)は、一面(いちめん)粟稈(あはがら)だ。その(うへ)(なが)(かみ)をうねらせて、淺葱色(あさぎいろ)着物(きもの)(まへ)(ひら)いて、鼠色(ねずみいろ)によごれた肌着(はだぎ)(しわ)くちやになつて、あいつが仰向(あふむ)けに()てゐやがる。(あご)だけ()えて(かほ)()えない。どうかして(かほ)()たいものだ。あ。下脣(したくちびる)()える。(みぎ)口角(こうかく)から()(いと)のやうに一筋(ひとすじ)(なが)れてゐる。」

 小川(をがは)はきやつと(こゑ)()てて、半分(はんぶん)(おこ)した(からだ)背後(うしろ)(たふ)した。

 翌朝(よくあさ)深淵(ふかぶち)(いへ)へは醫者(いしや)()たり、警部(けいぶ)巡査(じゆんさ)()たりして、非常(ひじやう)雜遝(ざつたふ)した。夕方(ゆふがた)になつて、布團(ふとん)(かぶ)せた吊臺(つりだい)()()された。

 近所(きんじよ)(ひと)がどうしたのだらうと(さゝや)()つたが、吊臺(つりだい)(なか)(ひと)(だれ)だか()からなかつた。「いづれ號外(がうぐわい)()ませう」などと()ふものもあつたが、號外(がうぐわい)()なかつた。

 その(つぎ)()新聞(しんぶん)を、近所(きんじよ)(ひと)()()ねて()た。記事(きじ)(おな)文章(ぶんしやう)諸新聞(しよしんぶん)()てゐた。多分(たぶん)どの通信社(つうしんしや)かの()(まは)したのだらう。(しか)平凡(へいぼん)(きは)まる記事(きじ)なので、()んで失望(しつばう)しないものはなかつた。

小石川区(こいしかはく)小日向臺町(こびなただいまち)何丁目(なんちやうめ)何番地(なんばんち)新築(しんちく)落成(らくせい)して横濱市(よこはまし)より()(うつ)りし株式業(かぶしきげふ)深淵(ふかぶち)某氏宅(ぼうしたく)にては、二月(にぐわつ)十七日(じふしちにち)(ばん)新宅祝(しんたくいはひ)として、友人(いうじん)(まね)き、宴會(えんくわい)(もよほ)し、深更(しんかう)(およ)びした爲{た}め、一二名(いちにめい)宿泊(しゆくはく)することとなりたるに、其一名(そのいちめい)にて主人(しゆじん)親友(しんゆう)なる、芝区(しばく)南佐久間町(みなみさくまちやう)何丁目(なんちやうめ)何番地(なんばんち)(ぢゆう)何新聞記者(なにしんぶんきしや)小川(をがは)某氏(ぼうし)其夜(そのよ)腦溢血症(なういつけつしやう)にて死亡(しばう)せりと()ふ。新宅祝(しんたくいはひ)宴會(えんくわい)死亡者(しばうしや)(いだ)したるは、深淵氏(ふかぶちし)()め、()(どく)なりしと、近所(きんじよ)にて(うはさ)()へり。」

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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森 鷗外

モリ オウガイ
もり おうがい 小説家 1862(文久2)年~1922(大正11)年 島根県津和野生まれ。東京帝大医学部卒業後、陸軍軍医となり、ドイツ留学。軍医総監を経て帝室博物館長兼図書頭(づしょのかみ)として生涯を終えた。公務の傍ら訳詩集『於母影(おもかげ)』をかわきりに詩、戯曲、小説、評論および翻訳に健筆をふるい、晩年には『澁江抽齋』をはじめとする史伝への道も開いた。

 掲載作は1912(明治45)年4月「中央公論」に初出。底本は『鷗外全集第10巻』(1972(昭和47)年8月、岩波書店)に拠った。ヨーロッパにおける同時代の怪談奇談集をいち早く翻訳紹介した鷗外自らが創作した怪談。なお、一部差別的な表現があるが、歴史的な作品なので、そのままとした。この作品は、例外的に「総ルビ」とした。

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