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逆徒

 判決の理由は長い長いものであつた。それもその筈であつた。之を(つづ)めてしまへば僅か四人か五人かの犯罪事案である。共謀で或る一つの目的に向つて計画した事案を見るならば、むしろこの少数に対する裁判と、その余の多数者に対する裁判とを別々に処理するのが適当であつたかも知れない。(いな)その如く引離すのが事実の真実を闡明(せんめい)にし得たのであつたらう。三十人に近い被告が、ばらばらになつて思念し行動した個々の犯罪事実を連絡のあるもの、統一のあるものにして了はうとするには、どこにか総括すべき楔点(せつてん)を先づ看出(みいだ)さなければならない。最も近い事実を基点として逆に(さかのぼ)りて其関係を(たづ)ね系統を調べて、進んで行つた結果は、二ケ年も前の或る出来事に一切の事案の発端を結びつけなければならなかつた。首謀者は秋山亨一(かういち)であると最初に認定を置いて、彼が九州の某、紀州の某に或ることを囁いたのがそもそもの起因である。それから某は九州に某は大阪及び紀州に、亨一は又被告人中に唯一人交つて居る婦人の真野(まの)すず子に、それから一切の被告に行き亙つて話合したと云ふ荒筋が出来上つた。一寸聞けば全くかけ放れた事実であるかの様にも思はれる極めて遠い事実から段々近く狭く限つて来て、刑法の適用をなし得る程度に拵上(こしらへあ)げ、取纏め引きしめて来るまでの叙述は、あの窮屈な文章の作成と共に、どれ丈の骨折が費されたであらう。想ひやられる事であつた。裁判長はもう半白の老人である。学校を出るなりすぐに司法部にはいつて、三十年に近い春秋を迎へ且つ送つた人である。(まなこ)(つぶら)に頬骨高く、顎の疎髯(まばらひげ)(いささ)かの威望を保たせてあるが、それ程に厳しい容貌ではない。といつて(やさ)しみなどは目にも口元にも少しも見ることが出来ない。前後二十回に亙つて開かれた公判廷に於て彼はいつも同じ態度同じ語調で被告を訊問した。出来ることならどの被告に向つても同じ問を発し、同じ答を得たいものだと希望して居るかの様にも思はれた。被告が幾十人あらうとも事件は一つである。彼はかう思つて単位を事件そのものに置くらしく、被告個々の思想や感情や意志は彼に多くの注意を費さすことではないらしいのであつた。三角形の底辺には長さがある。しかし頂貼は(ただ)点である。すべでの犯罪事実を綜合し帰納して(しま)へば、原因動機発端経過は一点に(まとま)る。曰く責任能力ある人が為した不法行為。彼はこの結論に到着してしまへばそれで任務は済むと思つて、底辺の長さを縮むることにのみ考を集めて居る。(にべ)もない、活気もない、艶も光もない渋紙色した彼の顔面に相当する彼の声は、常に雑音で低調で、平板である。彼が顔面に喜怒哀楽の表情が少しも現れないと等しく彼の声にも常に何等の高低はない。もし彼の顔面筋の運動から彼の心情を読むことが不可能であるとするならばそれは彼の声調に就いてでも亦同じことが想はれる。之れ彼の稟性(ひんせい)であるか(はた)修養の結果であるか。(いづ)れにせよ、此点だけは裁判長としての得難き特長を具へて居ると云ふべきである。

 彼は被告の陳述を一々聞取つた。云ひたいことがあるなら何事でも聞いてやらうといつたやうな態度で飽かず、審問をつづけた。(これ)が被告をして殊の(ほか)喜ばしめた。之なら本統の裁判が受けられると思つたものも多かつた。概して彼等は多くを云つた。某々四五人の如き者は、既に一身の運命の窮極を悟り、且つは共同の被告に累の及ばんことを(おもんぱか)りて、なるべく(ことば)(みぢか)に問に対する答をなした丈であつたが、之等は千萬言を費しても動かすことの出来ない犯罪事実を自認して居たからである。反之(これにはんし)大多数の被告は、拘引されたこと自体が全く意想外であつた。そして其罪名自体が更に意想外であつた。新聞紙法の掲載禁止命令は(ここ)に威力を発揮して、秋山亨一、真野すず子、神谷太郎吉、古山貞雄等の拘留審問の事実を、一ケ月余も社会へは洩さなかつた。内容は解らないが、由々しい犯罪事件が起つたと云ふことを聞いて、誰しもその詳細を知りたいとこひねがつた。一体何を為出来(しでか)したのであらう。世人は(ひと)しくこの疑問に閉された。被告の大多数は実にこの世人と一様に、事件の真相を知らうと希望して居たものである。も少し分けて云へば、其中に又、全然秋山等拘引事件をすら知らないものもあつた。それが自らの身の上に及んで来て、共犯者だと云はれて、否応なしに令状を執行されて、極重悪人の罪名を附せられた。呆気(あつけ)ないと云はうか、夢の如しと云はうか、馬鹿々々しいと云はうか。其後法廷に於て天日(てんじつ)(もと)に手錠をとかれて、兎にも角にも文明の形式を以て事実の真相を語ることの自由を与へられたとき、少しく冷静になつて追懐して見れば、余りに意気地のなかつた、余りに恐怖に過ぎた、余りに無人格的であつたことに気がつく。そして自分自らを批評して、心(ひそか)に嘲笑を思はざるを得なかつた。けれども夜陰捕吏の手に引きずられて、警察の留置場へ抛り込まれたときから、「手前達は、もう首がないんだ。どうせ殺されるのだ。」かう云ふ感じ、周囲の空気の中から、犇々(ひしひし)と彼等の魂に絡みついてしまつて、全く絶望の気分に心神も喪失して居つた。朝から夜、夜から朝、引き続いた訊問は、忠良なる捜査官によつて、不倶戴天の敵なりとして続けられ、何月何日、某処に会合したその一人は既に(かく)の如き自白をして、汝もその時斯の如き言動をしたに相違がないと、其者は立派に陳述して居るではないか。彼等は誰でもこの方法によつて訊問を強ひられた。記憶の有無はもうその時の問題とはならない。

 被告のうちに拘引当時軽からぬ腸加答児(カタル)(かゝ)つて居たものがあつた。二日半も食事を取らないでじつと寝てゐたのに、令状を執行せられた。東京より以西横浜、名古屋、大阪、神戸、それから紀州、ずつと飛んで熊本に亙つた犯罪の捜査に(せは)しかつた捜査官は、多少の病体をも斟酌(しんしやく)することなしに取調を進めなければならなかつた。病中の衰弱を憐まないと云ふのではないが此被告の審理は夜を通して続いた。昏憊(こんぱい)と自棄とが彼をして強情と我慢とを失はせてしまつた。その更に彼の心を惑乱させた一事を聞いた。兄なるものも同じく拘引されたと云ふ事である。もし自分の陳述の為方如何(しかたいかん)によつては兄も恐ろしき罪人となつてしまふかも知れない。兄は主義者ではない。何も知らない人だ。それが自分の縁に(つな)がると云ふばつかりでひよつとした憂目(うきめ)()ふと云ふことは、自分の忍び得ない処である。兄を助けるには何事も只犠牲になる。彼が法廷に立つてこの状況を語つたとき、被告席から(すゝ)り泣きの声がした。感極つて泣き落したのであらう。神聖にして厳粛なる法廷の空気は動いた。誰だ。どうしたのだと銘々がかう思つてその声のする方に目を注いだ。感情の鋭い一人の若い弁護人は思はず腰を放して立上つた位であつた。けれども裁判長はちつとも顔色を動さなかつた。只ぎよろりと一睨(いちげい)した丈であつた。

 此の泣いた被告は三村保三郎と云つて大阪の住人であつた。開廷後二日目かであつた。一同が席について裁判長が書類の頁を繰り返して居るときであつた。突然彼は、

「裁判長殿」かう叫んだ。その調子があまりに突拍子もないので満廷のものは、少しく可笑味(をかしみ)を感じ乍らも、彼が何の為に裁判長を呼び掛けたかを次の問によつて(あきらか)にしようと思はぬものはなかつた。それから又第一回公判以来、被告等はすべて、恭順謹慎の(てい)を示して、誰あつて面を上げて法官席をまともに見ようとするものはないのであつた。犯すべからざる森厳の威に恐れかしこまつて居ると云ふ有様であつた。然るに今此被告は頓興(とんきよう)に裁判長を呼びかけた。之にも亦一同一種の興を覚えた。裁判長は黙つて被告を見て、ちよいと顎を動かした。それは、「何だか、云つて見ろ。」かう云ふ(ことば)の意味を示したものであつた。

「わ、わたしは……耳が遠いんですが。どうも聞えなくつて困りますから……」

 席を前の方へ移して貰ひたいと云ふのであつた。彼は自らの語るが如く耳が遠いのであつた。顔貌が何となく惘乎(ぼんやり)して、どこにか気の抜けた様な処が見えるのはその為であるらしい。早く父に分れて母の手一つに育つた。小商(こあきなひ)をして居る家の総領であつたが、大した学問のあるのではなく、思想上の研究なども行届いては勿論居なかつた。奇矯の事を好み、自ら不平家らしく装つて、主義者の一人であるとして、多少の交友を得た。会合の席には常に法被腹掛(はつぴはらがけ)為度(したく)で行く。労働者だと云つて強がる為である相だ。「私が行つたとき五人程の人が集つて居ましたが私の顔を見ると、みんなが黙つてしまひました。ええ、私はやつぱり法被(はつぴ)をきて居ました。労働者の会合を料理屋で開くなんてけしからんと私は云つてやりました。けれど、そ、それは……実は私の癖なんです。どうもみんなが、私をのけ者にして居る様な様子ですから、私は独りで出てしまひました。」彼は自ら語る如く主義者間にも余り信用されて居ない人間であつた。或は其筋からの目付(めつけ)かもしれないなどと云ふ疑もかゝつて居た。彼は同志の人々の思はくを薄々知つて居ながらも、其跡先にくつついて放れなかつた。意気地のない、小胆ものである。家系を調べて見ると神経病で伯父が死んだ。父の死に方も或は自殺らしいと云ふ噂もあることが(やゝ)後になつて解つた。

 さて此男はなぜに泣いたか。声を挙げて泣き出したか。拘留されて以来、彼は余りに多く恐れた。初めて審問廷へ引き入れられて、初めて捜査官の前に立つたとき、もう身内は(ふる)へた。魂は(ふる)へた。何事か訳の解らぬことを問はれて、訳のわからぬことを答へた。日記や書信が彼の面前に(ひろ)げられ、彼のわくわくした心の上に読みおろされたとき、そんな激しい文字を使ひ合つて居た当時の気分が自分で了解し(にく)い程であつた。「迫害が来た。迫害が来た。正義の為に奮闘するものは如此(かくのごとく)迫害さる。(あゝ)又呼(あゝ)、四五日内のニウスに注意せよ。」之は誰からの端書(はがき)であつたか、匿名故、何の時の事やらさへ彼は思出す余裕がなかつた。「神田街頭に於ける……………の奮闘はあつぱれ武者振勇しかつたぞ。俺も上京して応援したいんだけれども知つての通りの境遇だから悪しからず、思つてくれ。」之は赤旗事件の時に桃木に宛た端書である。「今夜活動写真を見る。鉱夫の二三人が手に手に持つたハッパを()げつけると鉄のやうな巌壁が粉砕せられる。何たる痛快事ぞ。」「硝石……塩酸加里。我本日漸くこれを得たり。宿望漸く端緒を開く。」「本日何某来る。彼は我党中の先輩である。余は此意味に於て彼を敬す。然りと雖も彼は実行者ではない。」彼の日記は彼の衒気(げんき)、強がり、軽率なる義憤に充ちて居た。彼はもとより其自署を否認するやうなことを敢てしなかつた。ただしかしこんな無造作に作られた、端書や日記の文章がどうして自分の極重悪罪を決定する材料となるのであらうかと云ふことを知らなかつた。それから大それた不軌を(はか)つたと云ふこと、丁度一年半程前に、紀州の石川を堀江の或旅館に訪問した等のことが原因であり実行であるのだと云ふこと、誰が何を云つて、自分が何を聞いたか。もとより時にふれ折にふれては、自分は軽挙し妄動をして居たのである。座談に一場の快を取つて、その胸の血を湧かせたに(とゞ)まる。二三日たてば何でもなくなつてしまふ。彼は一年半前の記憶を繰り出す間に更に更に大きく叱られた。

 彼はその時の光景を想ひ起したのだ。午後から引続いての審問に捜査官も疲れた。彼は勿論疲れた。動悸は少し(しづま)つたが、夕飯は喉へ通らない。やうやく貰つた一杯の茶も土臭い臭がして呑み乾すことも出来なかつた。段々夜は更けた。見張りの人が眠げに片方に腰をかけて居る丈で、外に人はない、もし彼に逃亡を企つる勇気があつたなら、こんないゝ機会は又とないのであつたが、彼にはそんな呑気な──今の彼としては実際それが呑気であつた──計画を考へてる(いとま)がなかつた。掛りの人が席を引くときに、しばらく控へて居ろと云はれた詞の中に、腰を下ろしてもいゝと云ふ許しも出たかの様に思はれたが、もし不謹慎だといつて叱られやしないかと思へば、やはり立つて居なくてはならなかつた。足はもう感覚もないやうになつた。上半身がどれだけ重いのであらうとばかり感ぜられた。頭はもくもくして手の中は熱い。一方の脚を少しあげて、一方の脚だけに全身を支へて見る。楽になつたと思ふのは一分間とも続かない。こんどは脚をかへて見る。やはり一分間ともならないうちに支へた方のが重みに堪へない。歩いて見たらいくらか苦しみが減るかもしれない。歩いて見たい。彼は思切つて左の足を持ち上げた。見張の人は一心に彼を見つめてゐる。ぎよつとして彼は又姿勢をとつた。何か複雑な事を考へることも出来なかつた。全く頭が空虚になつた。雑念と云ふものは何処へか追払はれたらしい。考へれば考へるほど、腰が下して見たくなる。長々と寝そべつて見たくなる。世界中の最も幸福なものは、寝床の上に伸々(のびのび)(よこた)はることであるとしか思はれなかつた。彼はただそれをのみ(ねが)つた。

 彼は公判廷に於ける彼の訊問の時、極めて冗漫なる詞を以て、その当時のことを陳述し、自己の自白が真実でないことを、思切り悪く繰り返した。しまひにはおろおろ声になつて居た。それ故彼が他人の陳述を聞いて居て、堪へ切れずに泣いた所(いはれ)を、若い弁護人はすぐに悟ることが出来た。「何といふ(いた)ましい事であらう。」

 若い弁護人は(ひそか)に心を(いた)ましめて居た。

 裁判長は一度途切れた訊問を、彼の泣き声の跡から進行さすことを忘れはしなかつた。強ひて平調を装ふと云ふ様子が見えるのでもなかつた。

 此被告については、語るべきことが(すこぶ)る多い。彼はその陳述の最後にかう云ふことを云つた。彼は少しく(どもり)であつた。陳述はとかく本筋を外れて傍道(わきみち)へ進みたがるので、流石の裁判長も、一二度は注意を与へた。其度毎におどおどし乍ら又しても枝葉のことにのみ詞を費した。やうやう事実の押問答が済む頃になると彼は次の様なことを陳述した。彼の云ふ処によると彼の自白は全く真実でない。元来彼は無政府主義者でない。只真似をしたい(ばか)りに大言激語を放つて居たにすぎない。突然拘留の身となつて、激しい取調を受けた。もう裁判もなしに殺されることだと思つた。大阪から東京へ送られる途中で、彼は自殺しようと思つた。大阪を立つた時にはもう日がくれて居た。街々には沢山の燈がともされて居た。梅田では三方四方から投げかける電燈や瓦斯(ガス)の火が昼の様に明るかつた。二人の護送官に前後を擁せられ、彼は腰繩をさへうたれてとぼとぼと歩いて来た。住慣れた大阪の市街が全く知らぬ他国の都会の様に、彼には外々(よそよそ)しく感ぜられた。自分はいま土の中からでも湧いて出て、どこと云ふ(あて)もなくうろつき廻つてゐる世界の孤児のやうにも思はれる。無暗に心細さが身にしむのであつたが、それかと云つて、何が懐しいのか、何が(のこり)多いのか、具体的に彼の心を引留めると云ふやうなものもなかつた。今大阪を離れては二度帰つて来られないかもしれないと思つても、それがどれ程悲しい情緒を呼び起すのでもない。ある程度以上の感情は(ことごと)く活動を休止したのではあるまいかとさへ思はれた。無意識に歩いて無意識に停車場にはいつた。宵の口であるから構内は右往左往に人が入乱れて、目まぐるしさに、彼の頭は掻乱(かきみだ)され、何もかも忘れてしまひたい様な気がして片隅のベンチに彼は腰を下した。眼蓋(まぶた)をあけて居るのが大儀にも思はれたが、人がどんな目付をして自分を見てゐるであらうかと云ふ(ひが)みが先になつて、彼は四辺(あたり)に注意を配ることを怠ることが出来なかつた。見よ、大勢の旅客の視線が悉く彼一人の左右に(あつま)つて居るではないか。中には、彼の側近く寄つて来て彼の顔を覗いて行く無遠慮ものさへあるではないか。「繩がついてるからなあ。」彼はかう思つて、強ひて肩を狭ばめて小さくなつた。

 思へば()しき成行であつた。彼は今、天人(てんひと)共に(ゆる)さざるヽヽ罪の犯人として遠く東京へ送られるのである、やがては死刑を宣告されて、絞首台の露ともなることであらう。之が彼の本意であつたか、どうであらう。彼は(かつ)て牢獄に行くことを一つの栄誉とも思ひ、勇士が戦場に赴くが如き勇しさを想見したこともあつた。しかしそれは新聞紙法違反位の軽罪で二三ケ月の拘禁を受ける位の程度を考ヘたからのことであつた。然るに極重悪の罪名を負はせられ、夜を日に継ぐ厳しい訊問を続けられ、果ては死を以て罪を天下に謝さなければならないと云ふ、そんな大胆な覚悟は、彼が心中には未だ嘗て芽を吹かうともしたことはないのであつた。

 彼が訊問に疲れ、棒立ちになつてゐる苦痛に堪へずして昏倒した後、(かんがへ)がこの不可測な起因、経過、終局に及んだとき、彼は逆上せんばかりに煩悶した。それは夜も深更であつた。昼からかけての心の(ふるへ)は漸く薄らいだが恐怖は却つてはつきりした知覚を以て彼を脅かした。彼が拘禁された留置場は三畳の独房であつた。戸口が一つあるきりで四方は天上の高い壁で囲つてある。息抜きの窓が奥の方の手も届かない処に切られてあるが、夜は戸をしめてしまふ。(かび)と湿気と埃の臭がごつちやになつた。異様に臭い部屋である。六月の末でもあるから(むしろ)の様な蒲団もさほど苦にもならず、いろいろの悲しみ、歎き、憤りを載せて、幾十百人の惨苦の夢を結ばせた。其の堅い蒲団の上に彼も亦其身を(よこた)へて居るのであるが、一度去つた眠は容易に戻つては来なかつた。機械のうなりが耳の(そば)近くに迫つて聞えるやうな、押付けられた気分が段々に募つて来る。今はかうして手足を伸ばして寝て居るんだが、明日の朝になつたら俺はどうなるのであらう。手錠、腰繩、審問場、捜査官、そして激しい訊問。厳しい糾弾(きうだん)。長時間の起立。何たる恐しい事であらう。

 一体俺は志士でも思想家でもないんだ。俺は一度だつて犠牲者となる覚悟をもつたことがない。革命と云ふやうなことは、俺とは関係のない(ほか)の勇ましい人のする役目なんだ。遠くからそれを眺めて囃したてて居れば、それで俺の役目はすむ訳だ。俺は一体何を企てたと云ふのであらう。一時の勢にかられたときは、随分(とツ)ぱなれた言動もしないではなかつたが、それは一時の興である。興がさめたときは、俺は只の三村保三郎である。臆病な、気の弱い、箸にもかからぬやくざものだ。

 俺の様なものを引張つて、志士らしく、思想家らしく取扱はうとする当局者の気が知れない。けれども当局者はどこまでも俺の犯罪を追及する。俺は助からぬかも知れない。殺されることがもう予定されてるのかも知れない。こんな臭い部屋へ抛りこんで現責(うつゝぜめ)とやらで俺の口供(くきよう)を強ひても要求するやうでは俺はとても我慢しきれない。どうも殺されるなら、勝手に調書をお作りなさいと云つて了つた方がいゝかも知れない。

 彼は出来るだけ恐怖の心から逃れたいと思つた。それにはどう云ふ風にしたがよいのであらう。眠るのが一番に賢いことである。さもなくば、殺されることなどは決してないと決定をつけるか。死ぬとなつて見て何が悲しいかと自ら諦めをつけるかの二つしかないのである。到底眠ることは出来ない。それなら殺される様に事件が成行くまいと云ふ予定が出来得ようか。此予定をつけるには此先(このさき)幾多の糾弾(きうだん)の惨苦に堪へ得なければならない。さらば死を決して了へるか。こんな大きな、神秘な問題は彼に解決のつくべき筈がない。生か、死か、自白か、強情か。彼は(もつ)れかゝつた絲巻の端をさがさなければならないと思つて、気を平にしようと努めた。群がる雑念は彼の努力を撹乱した。一層のいらだたしさが彼の頭の中を駈けまはりはじめたのであつた。彼はしばらく瞑想して見たが、とても堪へ切れなくなつて、そつと眼蓋を上げて四辺を見廻した。部屋は依然として真暗である。先刻(さつき)(ねむり)からさめた時のことを思へばいくらか明みがましたとも見えるが、それは彼の瞳が闇になれたからなのである。彼は暗を透してそこに何ものかを見出し、此無限の苦悶を紛らさうと思つた。何もない。壁と柱。扉の外に窓が一つある丈である。彼はほんのりと白い窓の障子に眼の焦点を集めた。何と云ふことなしにぢつとそれを見つめて居た。暫くすると窓がするすると開いた。人の口のやうにかつきりと穴があいた。精一杯に押ひろげて、からからと笑つてゐる大きな人の口とも見えた。

「おや」彼は不思議に思つて、眼を拭つて見直した。窓はやつぱり窓の儘である。ぞつとして彼は俯伏(うつぶせ)になつた。そして蒲団を頭から被つた。動悸が激しくし出して、冷い汗さへ肌ににじんだ。彼は死の怖しさよりも今夜の今が怖しくなつた。

「誰かに来て貰ひたい。」彼は一心にかう思つた。

 彼は起き上つて戸を叩いた。どんどん叩いた。何か変事が起つたかと思はせるには此の上の方法はないのであつた。果して慌ただしい物音がした。四つの乱れた靴の音と、佩剣(はいけん)の音とであつた。僅かの時間の間に戸の外にもの云ふ高い濁音までがして来た。彼はふらふらし乍らも戸の側に身を寄せて、錠の明くのを待ち構へて居た。

 具合の悪い錠をこぢあける音がしてやがて戸が開いた。

 白服の警官が二人で、一人は提燈(ちやうちん)をかざして居つた。

「どうしたんだ。」尖つた声で一人がわめいた。彼は何事も耳にはいらない。只恐しいこの暗黒から、人の声と、火の光がして来たのを堪らず嬉しいと思つた。早くこの部屋から身をぬけ出したいと云ふ一念で、彼は戸のあくのを遅しと閾外(しきゐそと)へ飛び出した。もとよりどこへ行かうと云ふ宛などあるのではなかつた。

「こらつ。」警官は怒鳴つた。そして彼の襟がみをむずと引掴んだ。

「何をするんだ。」も一人の警官は提燈を抛り出して彼の前面に立ちはだかつた。

「生意気な真似をしやがるんだい。」

 太い拳が彼の頭の上にふつて来た。背中の(あた)りを骨も挫けとばかりにどやされた。彼は一たまりもなく地上に倒れた。

 荒狂ふ嵐の前には彼は羽掻(はがひ)(をさ)めた小雀であつた。籠から逃げようとは少しも考へては居なかつた。哀れむべき小雀は魂も消える(ばか)りに打倒れて、一言の弁解さヘ口から出なかつた。誤解ではあるが、警官の方でも一時は肝を潰したのであつた。大切な召取人として彼等は厳重に監守する責任を負はされて居た。それが仮令(たとへ)百歩に足らぬ距離をでも、逃亡したとなれば、役目の上、疎虞懈怠(そごけたい)となる。昼の疲もあり、蒸々する晩でもあり、不寝番の控室でもとろとろと仮寝(うたゝね)(いびき)も出ようと云ふ真夜中に、けたゝましいもの音、やにはに飛出した囚人。怪しいと思ふよりも驚きに、驚きといふよりもむしろ怒に心の調子が(たかぶ)つたのは(けだ)し当然の事であつた。

 彼は再び独房へ押込められた。新に手錠をさへ()められた。起上り小法師をころがすやうに、手のない人形は横倒しにされた。()たれた痕の痛みはまだづきづきする。臂頭(ひぢがしら)の辺は擦剥(すりむ)いたらしく、しくしくした痛を感ずるとともに、いくらか血も出た容子(ようす)であつたが、手がきかないのでどうすることも出来なかつた。警官は叱責(こごと)やら、訓戒やらをがみがみ(わめ)いてやがて行つてしまつた。戸はばたりと閉つて、錠がぴんと下された。開かれるときは此後永久に来ないかのやうに、堅い厳しい戸締(とじまり)の音が、囚人の頭に響いた。しかし今の動揺のため部屋中の空気は生々(いきいき)した。重い、沈んだ、真黒な気分がいくらか引立つて来た。彼は「夜の恐怖」からすつかり脱け出ることが出来たのであつた。それと同時に彼は自らを顧みた。さうして彼の惨めさを思つた。両手は(くゝ)られてしまつて、身体は木の塊のやうに投付けられ、僅か一坪半の平面だけが彼の足の踏処(ふみどころ)となつて居るに過ぎない。もし一歩でもこれから外へ踏出せば、大きな声にがなられ、撲られ、こづかれ、足蹴にされるのである。二言目には「死損奴(しにそこなひめ)」と。今も二人の警官が長いこと怒鳴散(どなりちら)して行つた。その詞の中で、彼の鼓膜に響いたことは「死損(しにそこなひ)の癖に」と云はれたそればかりであつた。

「本当に殺されるのであらう。」彼はかう思込むと涙が(こぼ)れた。頬を伝つて枕許へ落ちた。ぽとりぽとりと一つ一つ寂しい音をして涙は落つるのであつた。

 友達の様な口吻で警吏は彼の家を訪問し、そして有無を云はさず警察へ引致(いんち)した。事はそれから始まつたのである。之れまでとても彼は自由の尊さを知らない訳ではなかつた。生噛(なまかじ)りの思想論を振り廻して「人間の最も幸福といふことは絶対的に他より拘束せられざる生活より生ず」といふことなどを一つの信条であるかの如くに言ひ散らして居た。されどもそれは彼に取つては、空論であつた。長押(なげし)の額面の文字を眺めて居る位の感じで、自由と云ふ文字を遠くに置いて之をシヨウキヨウ(=憶測を意味する難漢字)して居たのである。今はそれが現実となつた。自分の身に降りかゝつた絶対の拘束は、一足飛に彼と「自由」との間の間隔を狭めてしまつて、極めて密着した関係に於て彼は自由の耽美者、慾望者、希求者とならねばならなくなつた。先刻も審問場に於て、彼は長時間の起立から許されることを絶大の幸福であると思ふ迄に、彼は(いさゝか)の自由にも無限の価値を感じたのであつた。一突(ひとつき)ついたらぼろぼろと崩れさうなやさがたなこの壁、此扉。それでも彼には鋼鉄で鋳上(いあ)げた一大鉄炉の四壁にも(ひと)しいものである。土、釘、木片といふ物質は彼の腹力で或は粉々になつてしまふかもしれないが、それを組立てて居る無形の威力––即ち国家の権力は、彼が満身の力、満身の智慧、満身の精神を以てしても、到底破却することが出来ない。彼が国家を呪ひ権力を無にし、社会を覆さうとする間は、彼は彼の自由のすべてを捕はれなければならない。更に進んでは、彼の存在そのものを非認せられなければならない。

 しかも彼は自ら(かく)の如くに憎悪され、嫌忌され、害物視される筈がないと思つて居た。それで今彼が、一身を置くべき場所をだに与へられず、一指を動かすべき活動をだに許されないと云ふことが、決して正当なる権力の用方(もちひかた)ではないと思ふのであつた。斯様(かやう)にして権力の濫用を(ほしいまゝ)にする政治家は、事の真偽、理の当否を調査することなしに、只一概に、大掴(おほづかみ)に、(いな)むしろ虚を実と()ひ、直を曲と(ひが)み、何でもかでも思想の向上、流布(るふ)を妨止するのであるとも思はざるを得なかつた。

 彼は忿然(ふんぜん)として此圧力に反抗しなければならないといきまいた。自分が斯うして牢獄の苦を()めて居ることはむしろ誇るべきことなのではあるまいか。かう思つて来て彼は心の緊張を知覚した。

 俺は志士となつた。思想家として扱はれて居る。頑冥なる守旧家の手によつて捧げらる新社会の祭壇の前の俺は犠牲だ。俺の犯罪の性質は(これ)を天下に公言することが出来る。俺の犯罪は、俺の個人的利害、職業、感情、乃至(ないし)財産との関係ではない。俺の主義、俺の思想、俺の公憤と犯罪との関係である。彼等に(いな)まれ、(はばか)られ、恐れられる丈それだけ、俺は名誉の戦士として厚く待遇せらるゝ訳だ。俺の肉体は呵責(かしやく)をうける。或は傷つき、或はそこなはれるであらう。けれども俺の心霊は何ものの暴力に(あらが)ひても、安らかに平和に宏大に活きて居ることが出来る。正義の上に刑罰の(しもと)の下つた例は、古今を通じて東西に亙りて、何時の時代にもどんな処にでも起つたこと、起り得ることである。笑つて笞を受けた囚人は、後には泣いて追慕の涙に滲んだ弔詞を受ける先覚者である。俺もさうだ、今にさうなる…………。

 女々(めゝ)しい涙を揮振(ふりはら)つて彼は起上らうとした。手の自由が利かないので、一寸起つことが出来ない。やけに手錠を外して了はうとして、両足をかけてぐつと押した。手首よりも掌は勿論大きい。そんなことで手錠が外れさうのことはない。押した力で手錠の鉄が彼の肉や骨に喰入るやうに痛むのであつた。「ああ」彼はぐつたりと又倒れてしまつた。彼が東京へ護送せらるゝ為梅田の停車場から汽車にのつたのは、それから二日後の事であつた。

「私はとても助からないと思ひました。汽車に乗つてからも、死んで了ふと覚悟しました。窓の側に坐つて外を見てゐますと、すつかり日はくれて、外は真暗です。飛びおりてしまへばすぐに死ねるんだとは思つても、いざとなると一寸思切が出来ないでゐるうちに、汽車はどんどん進行して行きます。愚図々々して居ると機会がなくなつてしまふと思つて気がわくわくします。どうもいゝきつかけがありません。すると私は自分の懐中に少許(すこしばか)りの小遣銭が残つて居るのを思出しました。へい一円六十五銭程でした。どうせ死ぬなら、之で甘いものを食つてからにしよう……」たどたどしいものの云方で彼は喋り続けて来た。其話の道行(みちゆき)が風変りなので、法官も弁護人も共同被告も、ゆるやかな心持ちになつて之を聞いて居た。人が今死ぬる覚悟をしたと云ふ悲惨な物語を聞いてるとは思はれない程、それが可笑味を帯びたものであつた。しかし本人自らはどこまでも真面目である。

「それから警官に願つて、洋食を買ひました。米原(まいばら)であつたと思ひます。私は洋食をすつかり食べてしまひましたが、どうせ死ぬなら急ぐことはないと思ひました。」

 誰だかこつそり笑声をもらしたものがあつた。

「大阪ではあんなに厳しかつたが、東京へ行つたら、ちつたあ模様が違ふかもしれない。その様子によつて覚悟しても遅くはない。私はかう思ひまして死ぬのは見合せました。東京へ来て見ると、やつぱり厳しい、むしろ大阪よりも一層厳重なお調(しらべ)です。もうだめだ。とても助からない。死ぬのはこゝだ……ヘい、全くです。私は…………」

 彼は法官席を見上げた。そして裁判長がそれ程感動したらしくも見えない顔付であるのを見て取つて、彼は躍起となつた。

「決して嘘ぢやありません。私は本統に死ぬ積りでした。兵兒帯(へこおび)で首を……。首を…………」

 彼はどうにかして自己の陳述に確実性を与へたいと思つた。後の方を振り返へると、看守長の宮部と云ふ人が、被告席の一番後の片隅に椅子に(よりかゝ)つてゐるのを見付けた。彼はその看守長を指さし乍ら、

「あの、あの方でした。看守長さん、宮部さんでした。ねえ。」彼は看守長を証人にしようと思つた。宮部さんは仕方なしに首を上げて被告の後向になつた顔と自分の顔とを見合せて、「お前の云ふ通りだ」といふ暗示をした。

「貴方がとめて下さいました。私が首を……。首をやつてしまはうと云ふとき……。実に其時は危機一髪でしたねえ。」

 先程から忍んで居た笑が一同の頬に(のぼ)つた。彼の調子外れの声が、「実に危機一髪でしたねえ」と云つたとき、誰も誰も其容貌の巌格さを保つて居ることが出来なかつた。さすがの裁判長の目許にも愛嬌が見えた。

「これはどう云ふ風に考ふべきであらうか。」若い弁護人はかう思つて黙想した。

 彼は最も多く死を怖れる。しかし彼の恐怖は死そのものに対してではない。死に至るまで持続せられて行く生に対する脅しを恐れたのである。殺されると云ふそのことが彼に堪へ難い惨苦を想はせたのである。殺されることなら一層(いつそ)自ら死なう。それが無造作な彼の覚悟であつた。その覚悟が出来たのちも彼は尚口舌の慾を貪ることを忘れはしなかつたのである。之を以て彼は生を愛したものだとも云得るかもしれないが、むしろ之は、彼が死そのものを真に求めて居るのでもなく、又死そのものを真に恐れて居るのでもないと云ふ方に解したらよからう。それ故彼は洋食を食つて十分食慾を充たし得たとき死と云ふことから全く離れてしまつたではないか。東京の模様によつては必ずしも死なずにすむかもしれないと考へた。即ち彼の生に対する脅かしさへなくなれば、彼は死ぬほどのことはないとも思つた。生の執着からでもなく、死の恐怖からでもなく、只目前の苦痛が彼をいろいろに煩悶させたに過ぎない。死んでしまつた方が楽でありさうだから死ぬ。もしそれより楽なことがあればその方法を採らう。何れにしろ今の苦難から免れたい。彼は頗る単純に考へたにとどまる。彼が二度目の自殺を企てたとき看守長の為にとめられた。此障礙(しやうがい)(のろ)はうともせず、又此偶然さへなくば自分はもう死んで居たのであると云ふ苦悶をも考へずに、彼は、「危機一髪」であつたと只思つたに過ぎない。彼から見れば、死も生も同一の事の様にも取扱はれてるらしい。彼は第三者の地位に立ちて自己の自殺を客観して語ることが出来る。何もかもすつかり超越してゐるとも見える。「死と生とは天才にとつては同じことだ」と云つた杜翁(トルストイ)の言を以てすれば、彼も天才であると云はなければならない。若い弁護人は今更らしい真理の発見者であるかの如く心に微笑した。

 時は明治四十四年一月十八日、一代の耳目(じもく)聳動(しようどう)せしめた、某犯罪事件の判決の言渡(いひわたし)のある日である。開廷数時間前既に傍聴席は満員となつた。傍聴人は何れも血気盛んな、見るから頑丈な、腕っぷしの強さうな人のみであつた。何しろ厳冬の払暁に寝床を刎起(はねお)きて、高台から吹きなぐる日比谷ケ原の凍つた風に吹き曝され、二時間も三時間も立明(たちあか)し、狭い鉄門の口から押合ひへし合つて、やつと入廷が出来るといふ騒ぎだから並一通りの体格の人では、とても傍聴の目的を達することが出来ないのである。其多くは学生の(みなり)をして居た。労働者らしい人も多かつた。牛込の富久町から日比谷にかけての道筋、裁判所の構内には沢山の警官が配置され、赤い帽子の憲兵の姿も交つてゐた。入場者は一々誰何(すゐか)され、携帯品の取調をも受けた。一挺(いつちやう)の鉛筆削でも容赦なく留置された。法廷内は殊に厳重であつた。被告一人に一人(づつ)の看守が附いて被告と被告との間には一人宛必ず(はさま)つて腰を掛けて居た。裁判官、検察官、書記が着席し、弁護人も列席して法廷は正しく構成された。

 裁判長は、判決文の朗読に取掛つた。主文は跡廻しにして、理由から先づ始めた。

 判決の理由は長い長いものであつた。

 裁判長の音声は、雑音で、低調で、平板である。

 五六行読進んだときに、若い弁護人は早くも最後の断案を推想した。

「みんな死刑にする積りだな。」彼はかう思つて独り暗然とした。

 今や被告人の脳中には大なる混乱が起つた。苛立しい中に生ずる倦怠。強ひて圧し殺した呼吸遣(いきづかひ)、噛みしめた唾、罪悪とは思ふことの出来ない罪悪の存在に関する疑惑。剥取られた自由に対する呪詛。圧迫に堪切れなかつた心弱さ。ヽヽヽヽを以てする陥穽(かんせい)の威力。不思議な成行きに(おどろ)く胸。爆せざる弾の行方。無意義な文字が示したと云ふ有意義の効果。あらゆる情緒、あらゆる想像、あらゆる予望が、代る代る彼等の目の前に去来した。それも僅か十分か十五分かの後は、一切が鉄案となることが前提されて居るだけ、それだけ彼等の神経は昂奮もし、敏感にもなつて居たのであつた。

 とうとう朗読は終つた。何が説明されてあつたかと云ふことについては、誰しも深い注意を与へなかつた。人は只結論を聞かんことを急いで居たからである。

 主文の言渡(いひわたし)に移つた。裁判長は一段と威容を改めた。声も少し張上げられた。

 嗚呼(あゝ)。死刑! 三人を除いた外の二十幾人は悉く死刑。結論は(かく)の如く無造作であつた。

 主文を読終ると裁判官が椅子を離れるとの間は、数へることも出来ない短い時間であつた。逃ぐるが如しと云ふ形容詞はこゝに用ゐることは出来ないが、その迅速さは殆ど逃ぐるが如しとでも云ひたいのであつた。もとより慌てた様はなかつた。取乱したところも見えなかつた。判官としての威厳と落着とは十分に保たれながら、何にしても早いものであつた。(かつ)て控訴院の法廷にかう云ふことが起つた。強盗殺人かの兇暴な被告であつたが、判官は型の如く居並んで、型の如く判決の主文を朗読した。「被告ヽヽヽヽを死刑に処す。」神妙に佇立(ちよりつ)して判決の言渡を受けて居た被告は、此主文の朗読を聞くと等しく、猛然としていきり立つた。「この頓痴気野郎(とんちきやらう)が」と云ひ(ざま)足許近くに置いてあつた痰壷を取上げて判官目がけて投げつけた。幸にそれは法官席の卓子の縁に当つて砕けた為、誰も負傷がなくて済んだ。人間は死ぬと云ふことより大きな恐怖はない。殺されると定つてしまへば、世の中に恐ろしい者とては何もない。野性獣性を発揮して思ふ(さま)暴れてやらうと云ふ兇暴な決心をするのは、()の様な被告には、有勝(ありがち)なことである。

 今二十幾人を一時に死刑を宣告した法官諸氏は、果してこんな出来事が起るかも知れないと心配して居たのであらうか。否さうではない。法官諸氏は判決の言渡をする迄がその任務である。任務さへ終れば、法廷には用のない体である。それで席を引いた。その外に何の理由もあるまい。

 しかし若い弁護人は之に理由がつけて見たかつた。日本の裁判所が文明国の形式によつて構成されてから三十有余年、其間に死刑の宜告をした事案とて少くない数でもあらうが、一時に二十幾人を死刑に処したと云ふ事件は此事件唯一つである。法を適用する上には、判事は飽までも冷静でなくてはならない。人の生命は如何にも重い。之を奪ふと云ふことは、如何にも忍びない処である。只夫(たゞそれ)国法はそれよりも重く、職務は忍ぶ可からざるものをも忍ばざるを得ざらしめる。仮令(たとひ)何程の愛着があり、何程(どれほど)未練があつても、殺すべき罪科に(あた)るものは、殺さなければならない。一人と云はず、十人と云はず、百人と云はず、事件に連つた以上は、数の多少は遠慮すべきことの問題とはならない。それで此事件に於ても多数の死刑囚を出した。判官は()く忍びざるを忍んだと云ふべきである。此点に於て誰人(たれひと)が判官の峻刻と無情とを怨むべきぞ。されどもし判官に、哀憐の情があるならば、殺さるべき運命の下に置かれた被告等が今や死に面したる痛苦に対しては、無限の同情を寄せらるべき筈である。(こゝろみ)にその法服法帽を脱ぎ玉ヘ。此被告等を自由の民たる位置に置き玉ヘ。そして諸公と被告等とが同じ時代同じ空間に、天地の成育を受けた同じ生物なりと観じ玉ヘ。誰か諸公の生命を奪はんとするものがあらう。諸公亦何の故を以て被告等の殺戮(さつりく)を思ふべき。法を()る間は人は即ち法。然らざるときは、判官諸公も即ち人である。人としての諸公が、人としての死刑囚に対したとき、その顔を見るに堪へずして、自らの顔を背け、寸時もその席にある(あた)はざるの(てい)を示して、出来るだけ迅速に、しかも威容を乱さずして、その席を退かれたこと、()れ人情の真の流露と見るべきではあるまいか。

 若い弁護人は斯の如く推断して、善意を以て判官諸公を見送つた。

 傍聴人は最初より静粛であつた。宣告を聞いてからも、一語を発する者もなかつた。退場と云ふときにも、唯々(ゐゝ)として列を正して出てしまつた。(もと)より自分自身に関係したことではない。彼等は自らの生活の為、泣き惑ひ、(もだ)えあがきこそすれ、それがこの事件と何の連絡があらう。彼等は彼等の好奇心をさへ満足させればそれでいいのである。法廷の状況、被告の顔付、新聞の号外よりはいくらか早く知ることの出来る判決の結果、それ等の希望は悉く達することが出来た以上に、彼等に何の欲求があらう。

 被告銘々に夫々酌量すべき情状がなかつたか。あつても之を判官が酌量しなかつたか。それは判官として正当な遣方(やりかた)であらうか。中心となるべき四五人の関係事実と、其他の多数者の関係事実とが全くかけ離れて居るものを、必ず一つの主文にしてしまはなければならないと云ふ法則でもあるのであらうか。それよりももつと重大な影響––かくも容易に多数の死刑囚を出したことより生ずる重刑主義の影響が、国民の精神教育にどんな利弊を来たすであらうか。……之等幾多の疑惑は決して傍聴人には起らなかつた。文明の裁判制度と云ふものは斯程(かほど)迄に国民の信頼を受けつゝあるのであつた。若い弁護人は、目前に現はれた死刑の宣告の事実を打消すことは出来ない乍らも、之が真実の出来事であるとはどうしても思へなかつた。二十幾人が数日後に死ぬ。いやどうして死ぬものか。此矛盾した考の調和に苦しんだ。忽ち一つの考が頭の中に閃いた、嗚呼(あゝ)、判官は深く考へてゐる。被告等は決して殺されることはない。一審にして終審なる此判定は宣告とともに確定する。之を変改することは帝王の力でも為能(なしあた)はざる処である。死刑は印ち執行せられ、彼等はみんな殺される。けれども彼等は死なない。判決の変改は出来なくとも、その効果は或る方法によつては動かし得ないでもない。或方法……或方法…………。

 若い弁護人は自分の席を起つて被告席の方へ足を運んだ。自分の担任した二人の被告にある注意を与へようと思つたが為であつた。其被告は犯罪の中心から遠く離れて居たものであつた。予審及捜査に関する調書上の記述よりも、被告が法廷でした供述を重んずるといふ主義の裁判官であるならば、彼等は当然無罪となるべきものであつた。少くとも不敬罪の最長期五年の科刑が適当のものであつた。何分にも今の裁判所では、予審及捜査に関する調書の証拠力に絶対の価値が附せられてある。事実の真相と云ふものは、検事及び予審判事が密行して調査した材料から組立てらるべきものであると信ぜられてゐる。調書は法律知識のある判検事が理詰で作上げたものであるから、前後一貫(いさゝか)の矛盾や破綻を示さない。被告が公判に附せられたとき、被告の罪科は既に決定して動かすべからざるものとなつて了つて居る。此意味に於て今の公判は予審の復習である。予審判事、検事が、極端に被告の自供を強要するの悪習は、この調書に絶対の証拠力を附すと云ふ公判判事の無識無定見から由来してゐると云つてもいゝ。此事件の如きは殊に調書の作成に苦心したらしかつた。一代を震駭(しんがい)すべき重大犯罪事件の調書として其数頁を繰つたものは、誰でも被告の自白なるものが、絶倫なる記憶力と放胆なる蛮性からでなければ、決して供述することの出来ない事実の供述から出来上つて居ることを看出し得たであらう。火を放つて富豪を劫掠(ごうりやく)しようと企てたとか、電気を東京全市に通じて、一夜に市民を焚殺(ふんさつ)する積りであつたとか、聞くだに戦慄すべき犯罪計画を極めて易々と喋散(しやべりちら)して居る。斯の様な調書が存在して居て、それが裁判所の証拠資料の唯一無二なるものであるとすれば、被告はどこにも逃るゝ途はない。若い弁護人は、其担任に係る被告人に対して何時も気安めを云つたことはなかつた。彼等が無罪を信じ、軽い処刑を信じて居たときも、弁護人は常に首を振つた。

「そんな勇気のある裁判官は無いからなあ。」

 しかし彼とても時々もしやと云ふ考を起さなかつた訳ではない。もし裁判官に、洞察の明と、果断の勇とがあるならば、……もしその明と勇とがあるならば……。被告は無罪となるかも知れない。かう思つて終始法廷の模様に注意した。被告等の公判に於ける陳述を聞いて居ると、どうやら楽観的の気分にもなつて、之れなら大丈夫かも知れないと心に喜悦を感じて法廷を出る。が、家へ帰つて調書を(ひるがへ)すと、何たる恐ろしき罪案ぞ、之では到底助からないと悲観しなければならなくなる。その悲観が事実となつてしまつて、被告等の予期は全く外れた。彼等は矢張り死刑に処せられた。若い弁護人は彼等の失望、落胆が忿懣(ふんまん)に変じ、若しくは自棄となつて、どんな無分別を起さぬとも限るまいと思つたから、慰藉(ゐしや)とある希望とを与へたいと考へて、静に被告の席近く進んだのであつた。

 被告席は四列になつてゐて、彼の担任せる被告等は第三列目の中程に居た。彼はその第四列目の右手の通路を隔てた処に、女囚の真野すず子が(ひとり)放れて、一人椅子に()つてるのを見た。彼女は彼を見て黙礼した。彼も同じく黙礼した。一語をも交したことがない女と、一語を交すこともなく別れて了ふのだと思つて、彼は或種の感じに()たれた、訴訟法上の形式として、総ての取調の終了したとき、裁判長は被告等に最後の陳述を許した。此許(このゆるし)に応じて陳述したものが二人あつた。 その一人はすず子である。

「長い間御辛労をかけましたが、事件も愈々(いよいよ)今日でお仕舞となりました。私はもう何も申上ぐることもありません、又何も悔いる処はありません、私が只残念なのは、折角の(計画)が全く(失敗)に終つたこと、それ丈であります。私が女だつたものですから、……女はどうしても意久地がないものですから、……。それが私の恥辱です。私共の先人には、勇敢、決行の模範を示して死んだ人が沢山あります。私はその先人に対して(まこと)に済まないと思ひます。私は(いさぎよ)く死にます。これが私の運命ですから。犠牲者はいつでも最高の栄誉と尊敬とを後代から受けます。私もその犠牲者となつて今死にます。私はいつの時代にか、私の志のある所が(あきらか)にされる時代が来るだらうと信じてゐますから何の心残りもありません。」

 彼女がこんな陳述をして居たとき、若い弁護人は、片腹痛いことに思つた。彼女は何ものだ。何の理解があると云ふのだ。云はでものことを云ひふらし、書かでものことを書き散らし、警察の厳重なる取締を受けなければならなくなつて、無暗と神経を(たかぶ)らせ、反抗的気分を増進させ、とどのつまりは(かく)の如き犯罪を計画した。それが何の犠牲者である。何の栄誉と尊敬とが報いられる。元来当局者の騒ぎ方からして仰々(ぎやうぎやう)しい。今にも国家の破壊が行はれるかのやうに、被告が往返(ゆきかへり)する通路には、五歩に一人宛の警官を配置する。憲兵で裁判所を警戒する。裁判官、弁護人にも護衛を附す。こんなことは、彼女等をして益々得意にならせる(ばかり)である。革命の先覚者たるかの如くに振舞ふ彼女の暴状を見よ、苦々しいことだ。

「私は一つお願があります。」彼女は尚饒舌(ぜうぜつ)をやめない。

「私はもう覚悟して居ます。此計画を企てた最初から覚悟してゐます。どんな重い罪科(おしおき)になつてもちつとも不満はありません。けれども私以外の多数の人々です。この人達は私共とは何の関係もありません。こんな犯罪計画は多人数を(かたら)つて居ては、とても成就することが出来ないものだと最初から私は気付いて居ました。ほんの四人つ切りの(くはだて)です。四人つ切りの犯罪です。それを沢山の連累者があるかの様に、検事廷でも予審でもお調べをなさいました。それは、全く誤解です。その誤解の為、どれ丈多数の方々が苦しみましたか、貴方方ももう御存じでいらつしやいます。此人達には年()つた親もあり、幼い子供もあり、若い妻もあります。何も知らない事でもし殺されると云ふやうなことになりましたら、本人の悲惨は(もと)より、肉親や知友もどれ丈けお(かみ)をお怨み致しませうか。私共がこんな計画を企てたばつかりに罪のない人が殺される。そんな、不都合な結果を見るやうになりますと、私は……、私は……死んでも……死んで、死にきれません…………」

 彼女は段々に胸が迫つて来た。涙が交つて聞取れなくなつた。

 若い弁護人も、彼女の此陳述には共鳴を感じた。いかにも女の美しい同情が籠つてゐると思つた。人間の誠が(ひらめ)いてゐるとも思つた。本統に彼女の云ふことを採り上げて貰ひたいと、彼自らも判官の前に身を投掛けて哀訴して見たいと思つた。

 それもこれももう無駄になつた。彼女の顔を見たとき弁護人は刹那にその当時の光景を思起したのであつた。

 彼女は美しい容貌ではない。ただ口許に人を魅する力が籠つて居た。両頬の間はかなりに広く、鼻は低くかつた。頬の色は紅色を潮していつも生々して居た。始終神経の昂奮がつづいて居たせゐかもしれない。或は持病であると云ふ肺結核患者の特徴が現れて居たのかも知れない。被告等も退廷するときになつた。彼女は一番先になつて法廷を出る順序となつてゐる。若い弁護人が彼に黙礼した後(じき)に、彼女は椅子を離れた。手錠を()められ、腰縄がつけられた。彼女は手錠の儘の手でかがんで、編笠をとつた。こゝを出てしまへば、彼等は再び顔を合はすことが出来ないのである。永久の訣別である。彼女は心持背延(せのび)して皆の方を見た。彼女の顔は輝しく光つた。すきとほつた声で彼女は呼んだ。

「皆さん、左様なら。」と云ひさま彼は笠で顔を蔽うた。すたすたと廷外へ小走りに走り出でた。

 彼女の最後の一語が全被告の反抗的気分をそゝつた。

「ヽヽ主義萬歳。」

 第一声は被告三村保三郎より放たれ全被告一同(これ)に和した。

「ヽヽ主義萬歳。」

 若い弁護人は耳許(みゝもと)から突然(だしぬけ)に、喚呼(くわんこ)の声を聞かされて、一時は呆気にとられて居た。

 けれども之を以て、彼等が真に、ヽヽヽ主義に殉ずるの声とは聞くべからざるものであつた。此叫声が彼等の信念から生れたものであると誤信する者は、此犯罪事件が彼等の信念から企画されたと誤信すると同じ間違を来たすであらう。彼等は判決に不服であつた。事情の相違、酌量の余地を全然無視した判決を彼等は呪つた。その不平の声の突発が即ち「ヽヽ主義萬歳」となつたのである。

 若い弁護人は確に(かく)の如くであると解釈して自分の担任する被告の方を見た。その一人の如きは丸で悄然(しよげ)かへつて居る。とぼとぼした足許も(あや)ふ相に見える。若い弁護人は第二列目と三列目との間の通路に身を置いて、自分の目の前を横切つて、廷外に出でようとする二人の被告の耳許(みゝもと)に口を寄せた。

「落付いてゐろ。世の中は判決ばかりぢやないんだから。」彼はかう云つて、此詞の意味が被告等に理解されたらしいのを見て、少しく安心した。

「いゝえ。もうどうなるもんですか。」

 荒々しい調子で彼の詞を打消しつゝ通りすぎたものがあつた。見ると柿色の囚人服を着た外山直堂(とやまちよくだう)であつた。

 此者は僧侶で、秘密出版事件で服役中、此事件に連座したのである。彼の法廷にありての、言語動作は終始すてばちであつた。訊問の際職業を問はれたとき、

「ヽヽ宗の僧侶でありましたが、此度の事件で僧籍を剥奪されました。私は喜んで之を受けました。」と答へて新聞種を作つた男である。

「あゝ、救ふべからざる人間だ。彼は全く継子(まゝこ)根性になつてしまつた。」若い弁護人は、殊更に気丈さを装ふらしき此男の囚人姿を目送した。

 弁護士控所は人いきれのする程、混雑して居た。どの顔にもどの顔にも不安と、驚きと、尖つた感情の色が浮んでゐた。

「みんな死刑つて云ふことはないや。」

「検事の論告よりも(ひど)い裁判だ。」

「本気なんだらうか。」

「なに。萬歳を叫んだ。ヽヽヽの。」

「秋山も叫んださうだ。」

「あんまり云はん方がいゝぞ。」

 若い弁護人は自分の担任した被告の妻と妹とに判決の結果を通知する電報を(したゝ)めなければならなかつたが、こんなごたついて居る処では、それを認める余席もないと思つて、廊下へ出た。身を切る様な冷たい風が大きな階段の口から彼の熱した顔を吹きつけた。心持が晴々(せいせい)したやうに感じた。

「どうでした。」

 彼の肩をそつと押へたものがある。見るとヽヽ新聞の記者であつた。

「いや、どうも。」彼は成るべく会話を避けようとしたが、記者は畳みかけて問出した。

「あの通り執行する積りでせうか。」

「えゝ。」彼が問の意味を解しなかつたと見取つて記者は注釈を加へた。

「判決通り、みんな死刑にするんでせうか。」

「それは勿論さ。」彼は腹立しげにかう答へた。

「だつてあんまり(ひど)いぢやありませんか。」と記者は云つた。

 此時彼は鋭い論理を頭に組上げて居たが、それが出来るとすぐ記者に向つて反問した。

「この判決には上訴を許されないんだぜ。一審にして終審なんだ。言渡(いひわたし)と同時に確定するんだ。確定した判決は当然執行さるべきものである。君はどう思ふ。」

「それは無論さうです。ですが…………」

「執行されないかも知れないつて云ふのか。君は、判決の効力に疑をもつてゐるんだね。」

「疑を持つてるつて云ふ訳ではないんですが…………」

「いや疑つてる。」彼は相手を押付けて、

「判決通り死刑を執行するだらうかと云ふ疑問が出る以上は、本気になつて言渡した判決であらうかと云ふ懸念(けねん)が君にも潜在して居るんだ。かうして判決はして置くが、此判決の儘には執行されないだらうと、裁判官(みづから)がある予想を打算して居たんだと云ふ疑惑が続いて起つて来べき筈だ。君の疑問を推論して行けばだね。」

「いかにもさうなつて行きます。」

「よろしい。要之(これをえうするに)威信のない判決だと云ふことになる。司法権の堕落だ。」

 終りの方は独語の様に云放つて、彼は(せは)しげに階段を下りて構内の電信取扱所へ行つた。頼信紙をとつて、彼は先づ、「シケイヲセンコクサレタ」と書いた。けれども彼はこれ丈では物足らなさを感じた。受取つた被告の家族が、どんなに絶望するであらうと想ひやつた。

「構ふものか。」彼は決然として次の如く書加へた。

「シカシキヅカイスルナ。」

 彼は書終つて心で叫んだ。

「俺は判決の威信を蔑覗した第一の人である。」

 

(大正二年九月「太陽」)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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平出 修

ヒライデ シュウ
ひらいで しゅう 弁護士・作家 1878・4・3~1914・3・17 新潟県中蒲原郡に生まれる。1909(明治42)年石川啄木、平野萬里らと「スバル」を発行、森鷗外の知遇を得、翌1910(明治43)年に幸徳秋水ら大逆事件の弁護を引受けるに当たっても鷗外の世界の社会主義に関するひそかなレクチュアを受けた。大逆事件の法廷に関係したことは盟友啄木を刺激し、彼の名高い論文「時代閉塞の現状」を導き出した。中の「若い弁護人」が当時34、5歳の作者を謂うものと読んで許されよう。近代を震駭した大事件を衝く稀有の証言作であり、発表の翌年に死去した。関連作として啄木の上記論文、徳富蘆花「謀叛論」与謝野鉄幹「誠之助の死」などが「ペン電子文藝館」に収めてある。

「大逆事件」の裁判を書いた此の掲載作は、1913(大正2)年9月「太陽」に発表、直ちに発禁。作中の「若い弁護人」が当時34、5歳の作者を謂うものと読んで許されよう。近代を震駭した大事件を衝く稀有の証言作である。

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