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検索結果 全1058作品
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詩 珊瑚集(仏蘭西近代抒情詩選) 初出年: 1913年
目次 シャアル・ボオドレエル: 死のよろこび 憂悶 暗黒 仇敵 秋の歌 腐肉 月の悲しみ アルチュウル・ランボオ: そゞろあるき ポオル・ヴヱルレエン: ぴあの ましろの月 道行 夜の小鳥 暖き火のほとり 返らぬむかし 偶成 ピエエル・ゴオチェ: 沼 エドモン・ピカアル: 池
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小説 醜婦 初出年: 1913年
弟の友人が二階で二三名、興に乗じておほ声で頻(しき)りに何か話し合つてゐるのを聴きながら、京子は茶の間の火鉢のふちに両肱をつき、招き猫のやうな手つきの上に顎(あご)を載せて、余ほど鋭敏に耳をそば立ててゐた。 弟は、いつのまに勉強したかと思はれるほど詳しく、音楽のことを話してゐた。すると、また、小説のことに移つて、今の作家のうちで誰れはどうの、彼れはかうのと云ひ出した。 </p
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小説 神楽坂の半襟 初出年: 1913年
貧といふものほど二人の心を荒くするものはなかつた。 『今日はお精進かい?』とでも、箸を取りかけながら夫がいはうものなら、お里はそれが十分不足を意味してるのではないと知りながら、 『だつて今月の末が怖いぢやありませんか。』と、忽ち怖い顔になつて声を荒だてる。これだけ経済を為し得たといふ消極的な満足の傍(かたはら)、夫に対してすまないやうな気の毒のやうな、自分にしても張合のない食卓なので、恰(あたか</rt
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小説 松葉杖をつく女 初出年: 1913年
現ともなく、圧しつけられる様な息苦しさ。カバーを掛けた電気の光が、黄色い靄の様に漲(みなぎ)つて、毛布の上に重くかさなり合つて居るのを、水枝は細目に見やつて、やがてふいと勇者の様に起き上つて、強ひて瞳を大きく見張つた。シーンと頭が重く沈まり返つて、すべての感覚を失なつた様な自分の肉体がすべて空気の中に溶けあつて、わけが解らなくなつた様に思はれた。が水枝自身は強ひてさう云ふ風に茫然(ぼんやり<
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小説 六月 初出年: 1913年
まあ、なんと云つたらいゝだらう、――自分の身体がなんの事もなくついばらばらに壊れてゆくやうな気持であつた。身を縮めて、一生懸命に抱きしめてゐても、いつか自分の力の方が敗けてゆくやうな――目が覚めた時、彼は自分が夥しい悪寒(をかん)に襲はれてがたがた慄へてゐるのを知つた。なんだかそこいらが湿つぽく濡れてゐる。からだの何所かが麻痺(しび)れて知覚がない。白い、濃淡のない、おつぴろ
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小説 逆徒 初出年: 1913年
判決の理由は長い長いものであつた。それもその筈であつた。之を約(つづ)めてしまへば僅か四人か五人かの犯罪事案である。共謀で或る一つの目的に向つて計画した事案を見るならば、むしろこの少数に対する裁判と、その余の多数者に対する裁判とを別々に処理するのが適当であつたかも知れない。否(いな)その如く引離すのが事実の真実を闡明(せんめい<
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小説 浅黄服の男 初出年: 1912年
(上) 雨の日が幾日も続いた。工場の多い芝浦の埋立地にも春の雨は柔かな柳の芽を促して、さすがに暢然(のんびり)とした気分を湧かした。芝浦鉄工所のけたゝましい六時半の汽笛を聴いてから、最(も)う三十分と経つた頃だツた、下宿の婆さんは階段の下から味も素ツ気もないやうな声で大石を呼んだ。 『大石さんツたらありやしない。<
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戯曲 タマルの死 初出年: 1912年
人物 美はしき髪を持てるダビデの子アブサロム 智者アヒトベル 兄アムノンに辱められたるアブサロムの全き妹タマル 第一の僕 第二の僕 第三の僕 第四の僕 第五の僕 第六の僕 時代</
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小説 冬の王 初出年: 1912年
このデネマルクといふ國は實に美しい。言語には晴々しい北國の音響があつて、異様に聞える。人種も異様である。驚く程純血で、髮の毛は苧(を)のやうな色か、又は黃金色に光り、肌は雪のやうに白く、體は鞭(むち)のやうにすらりとしてゐる。それに海近く棲(す)んでゐる人種の常で、祕密らしく大きく開いた、妙に<r
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小説 鼠坂 初出年: 1912年
小日向(こびなた)から音羽(おとは)へ降(お)りる鼠坂(ねずみざか)と云(い)ふ坂
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小説 零落 初出年: 1912年
一 私が野寄(のよろ)の町へ入つたのはもう十月の末近い頃であつた。北の国の冬は思つたよりも早く来て、慌たゞしい北風が一夜のうちに落葉松(からまつ)の梢を黄褐色に染めてしまつたかと思ふと、すぐそのあとから凍えたやうな灰色の雲が海の方から<rub
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小説 廓の子 初出年: 1912年
一 『山まゐり』の大羽子板は新ちやんのお祖母(ばあ)さんがまだ若い時分、坂東彦三の似顔――豊国筆――をそのまゝに、馬道の羽子板屋で拵らへさせたものださうです。 それは板も押絵も煤けて、花笠が半(なかば)取れかゝつたまゝ何年となく縁起棚の傍に飾られ、此家(こゝ
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評論・研究 中村吉右衛門論 初出年: 1911年
一 文壇で会つて見たいと思ふ人は一人も居らぬ。役者の中では会つて見たいと思ふ人がたつた一人ある。会つて見たら色々の事情から多くの場合失望に終はるかも知れぬ。夫(それ)にも拘らず藝の力を通して人を牽き付けて止まぬ者は此の唯一人である。此唯一人とは云ふ迄もない、中村吉右衛門である。 文壇で鼓吹<
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小説 口入屋 初出年: 1911年
「今井さだと云ふ女の居処(ゐどころ)は此方(こちら)では分らんかい」と、正服(せいふく)巡査は狭い土間に立つて、小(ちひさ)い手帖を見ながら訊いた。 長火鉢の前に坐つてゐた色の黒い大柄
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小説 生血 初出年: 1911年
一 安藝治(あきぢ)はだまつて顔を洗ひに出て行つた。ゆう子はその足音を耳にしながら矢つ張りぼんやりと椽側(えんがは)に立つてゐた。紫紺縮緬をしぼつた單衣(ひとへ)の裾がしつくりと踵(かゝと</rt
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評論・研究 謀叛論 初出年: 1911年
僕は武蔵野の片隅に住むで居る。東京へ出るたびに、青山方角へ往くとすれば、必ず世田ケ谷を通る。僕の家から約一里程行くと、街道の南手に赤松のばらばらと生えた処が見える。此は豪徳寺──井伊掃部守直弼(ゐいかもんのかみなほすけ)の墓で名高い寺である。豪徳寺から少し行くと、谷の向ふに杉や松の茂つた丘が見える。吉田松陰の墓及び松陰神社は其丘の上にある。井伊と吉田、五十年前には互に倶不戴天(ぐふたいてん)の
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小説 身上話 初出年: 1910年
「御勉強。」 障子の外から、小聲で云ふのである。 「誰だ。音をさせないで梯(はしご)を登つて、廊下を步いて來るなんて怪しい奴だな。」 「わたくし。」 障子が二三寸開いて、貧血な顏の切目の長い目が覗く。微笑んでゐる口の薄赤い唇の奥から、眞つ白い細く揃つた齒がかゞやく。 「なんだ。誰かと思つたら、花か。もう手紙の代筆は眞平だ。」 「あら。いくらの事だつて、毎日手紙を出しはしませんわ。」
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小説 普請中 初出年: 1910年
渡邊參事官は歌舞伎座の前で電車を降りた。 雨あがりの道の、ところどころに殘つてゐる水溜まりを避けて、木挽町の河岸を、遞信省の方へ行きながら、たしか此邊の曲がり角に看板のあるのを見た筈だがと思ひながら行く。 人通りは餘り無い。役所歸りらしい洋服の男五六人のがやがや話しながら行くのに逢つた。それから半衿の掛かつた著物を著た、お茶屋の姉えさんらしいのが、何か近所へ用達しにでも出たのか、小走りに摩れ違つた。まだ幌を掛けた儘の人力車が一臺跡から駈け拔けて行つた。 果して精養軒ホテルと横に書いた、割に小さい看板が見附かつた。
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評論・研究 性急な思想・硝子窓 初出年: 1910年
性急な思想 一 最近数年間の文壇及び思想界の動乱は、それにたづさはつた多くの人々の心を、著るしく性急(せつかち)にした。意地の悪い言ひ方をすれば、今日新聞や雑誌の上でよく見受ける「近代的」といふ言葉の意味は、「性急(</r
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評論・研究 時代閉塞の現状 初出年: 1910年
(一) 数日前本欄(東京朝日新聞の文藝欄)に出た「自己主張の思想としての自然主義」と題する魚住(折廬)氏の論文は、今日に於ける我々日本の青年の思索的生活の半面──閑却されてゐる半面を比較的明瞭に指摘した点に於て、注意に値するものであつた。蓋(けだ)し我々が一概に自然主義といふ名の下(もと)に呼んで来た所の思潮には、最初からして幾多の矛盾が雑然として混在