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露国社会党に与ふる書  (『平民新聞』社説・1904.3)

嗚呼(あゝ)露国に於ける我等の同志よ、兄弟姉妹よ、我等諸君と天涯地角、未だ手を一堂の上に取て快談するの機を得ざりしと(いへど)も、(しか)も我等の諸君を知り諸君を想うことや久し。

 一千八百八十四年、諸君が虚無党以外、テロリスト以外、別に社会民主党の旗幟(きし)を擁して、職工農民の間に正義人道の大主義を宣伝して以来、(こゝ)に二十年、其間(そのかん)暴虐なる政府の迫害、深刻なる偵吏の羅織(らしき)、古今実に(その)比を見ず、或は西比利(シベリヤ)の鉱山に無間(むげん)の苦を受け、或は絞台の鬼と()り、或は路傍の土となる者、幾千幾万なることを知らず、而も諸君の運動は之が為めに微毫(びがう)頓挫(とんざ)を見ることなく、諸君の勇気は一難を経る毎に百倍し、遂に客臘(かくろう=前年十二月)露国全土の各団体を打て一丸となし、其勢力実に天に冲するに至れり。

 諸君よ、今や日露両国の政府は各其(かくその)帝国的欲望を達せんが為めに、(みだり)に兵火の端を開けり。然れども社会主義者の眼中には人種の別なく地域の別なく、国籍の別なし、諸君と我等とは同志也、兄弟也、姉妹也、断じて闘うべきの理有るなし、諸君の敵は日本人に非ず、実に今の所謂愛国主義也、軍国主義也、然り愛国主義と軍国主義とは、諸君と我等と共通の敵也。

 然れども我等は一言せざる可らず、諸君と我等は虚無党に非ず、テロリストに非ず、社会民主党也、社会主義者が戦闘の手段は、飽まで武力を排せざる可らず、平和の手段ならざる可らず、道理の戦ひならざる可らず、我等は憲法なく国会なき露国に於て、言論の戦闘、平和の革命の極めて困難なることを知る、而して平和を以て主義とする諸君が、其事を成す急なるが為めに、時に干戈(かんか)を取て起ち、一挙に政府を転覆するの策に出でんとする者にあらん乎、我等は切に其志を諒とす。而も是れ平和を求めて却つて平和を撹乱する者に非ずや。」 (「平民新聞」明治三十七年〈1904〉三月の第十八号冒頭 大要)

 

 この公開書簡に接し、「歴史上重大文書と謂はざるべからす。(中略)力に対するには力を以てし、暴に抗するには暴を以てせざるを得ず、されど我等がこの言を為すは決して虚無党又はテロリストとしてにはあらず、我等は先に露国社会民主党を建設してより以来、テロリズムを以て不適当なる運動方法となし、(かつ)て之と闘うを止めたることなし、然れども悲むべし、此国の上流階級は曽て道理の力に服従したる事なく、又将来(しか)すべしと信ずべき些少の理由だも発見すること能わず。

 然れども此問題は今此場合に於て、さしたる重要の事にあらず。今我等の最も重大に感ずるは、日本の同志が我等に送りたる書中に於て現したる一致聯合の精神に在り。我等は満幅の同情を彼等に呈す。

 万国社会党万歳!」 (ロシア社会民主党機関誌『イスクラ』返信 大要)

 

 この返信に接し、「吾人は之を読んで深く露国社会党の意気を敬愛す、然(さ)れど吾人がさきに、暴力を用ふる事に就て彼等に忠告したるに対し、彼等が(なほ)終に暴力の止むを得ざる場合あるを言ふを見て、深く露国の国情を憎み、深く彼等の境遇の非なるを悲まざるを得ず。」 (『平民新聞』の所感 大要)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/12/13

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露国社会党に与ふる書

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掲載史料は、「平民新聞」1904(明治37)年3月第18号冒頭に掲げた、当時のロシア社会民主党宛て公開書簡「与露国社会党書」と、若干の経緯である。この直前2月10日、日本国は対露宣戦布告し日露戦争が勃発していた。幸徳秋水、堺枯川らの『平民新聞』は日露戦争は帝国と帝国との戦争であるとし、国民の反戦意思を明確なものにしようと連帯を呼びかけた。公開書簡の反響は全欧州に湧き、この後同年8月オランダのアムステルダムで開催された万国社会党大会では、日露の代表が並んで副議長席につき、堅い握手は満場に鳴りやまぬ感動の拍手喝采を得た。

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