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村の次男

     

 

 信平の生涯の希望を賭けたやうな甲種合格が、(くじ)のがれでふいになつてしまつたのだから、彼はその日からふてて三日も寝込んでしまつた。

 耕地では陽炎(かげろふ)が燃えだし、百姓は泡をくつて野良を始める時だつたが、信平がさうしてふて寝をきめても、兄の清一は何も言はず(あによめ)と連れだつて野良へ出た。後家を通してきたきかぬ母親さへ、この彼の失望には不覚にも涙を見せてしまつたので、彼女もまた何とも言ひ出しにくかつた。だから信平は三日も寝つづけた。

 ところで、信平の軍隊志願は、決して今日の軍事熱の所産ばかりではなかつた。それもないとは言はぬが、根本は、生涯の進路をさだめるために、即ち生きるために彼は軍隊を選んだのだつた。

 彼は畑から掘り出された里芋のやうに泥だらけな百姓だ。百姓こそは生涯を打込んで悔いない稼業である筈だつた。しかし、田も畑ももたぬ百姓といふものが想像できるだらうか?

 都会が、田舎の膨脹し過剰する労働力を、磁力のやうな力で吸ひ寄せた時代は信平は知らなかつた。この都会の膨脹力が()み、田舎がその過剰する労働力のはけ口を塞がれて身悶(みもだ)えをはじめた時代に少年時を過した信平が、ともかく物心がついた時は、時代はもう一廻転して、さきに呑みとられた田舎の労働人口は、飽食した都会の胃の腑から吐瀉物(としやぶつ)のやうに再び田舎に吐きかへされてゐる最中だつた。都会はその華やかな舗道の上から、目ざはりになる失業者の姿を田舎に送りとどけた。田舎はその逆流人口を養はなければならなかつた。一反(いつたん)の田が血の出るやうな争ひで二人にも三人にも分けて耕された。

 信平のうちは小作人だつた。同じく次男だつた亡くなつた父親は、兄から米三俵貰つて分家した時から、一人で八反の田と五反の畑を小作してゐた。いまも信平たちはこの一町三反の土地を耕作して一家をたててゐる。しかし、それは兄の清一が嗣いでつくる土地で兄一家のためにそれだけの土地は一坪も欠けてはならないのだ。

 分家して一家を起さうにも信平には一握の小作地も分けて貰へる余地がなかつた。といつて新たに小作田が借りられるといふあては全然なかつた。父親の若い時代のことは信平には遠い世界のおとぎばなしだ。父親は峠の向うの「ヤマ二」(屋号。漢数字「二」ノ上ニ、/\ノ記号。以下「△」で代用する。)といふ大地主のところに八年も作男をして忠実に勤めあげた。旦那は彼をひどく可愛がつて、彼が分家して一家を起すために欲しいと言ふだけ小作地を分けてくれ、嫁を、即ち信平たちの母親を見つけてめあはせてくれた。家をたてるとなると山の松や杉を伐つて行けと言つて貰つた。そのため一生旦那様と呼び、向うからは呼び捨てにされるといふ封建主義を、信平はいまなほその方を今日のなまなかの近代主義よりも選びたいとさへ思ふことがある。(しかし、さうした封建主義が今日田舎で清算されたのは、小作人の自覚によるのではなく、実に地主の功利主義による方が多いのだ。今日人を呼び捨てにする地主は殆んどなくなり、代りに旦那様と呼ばれることを彼等は好まない。)

 再び信平の軍隊志願だが、実はこれにはよい実物の手本もあるのだ。父親の弟の巳之吉叔父で、三男の叔父は、甲種合格で兵隊になると上等兵になり、深い考へもなく序でに再役志願をして軍曹になつた。そして三百円の恩給取りになつてから彼は村へ帰つたが、帰ると軍隊で覚えた電気の知識で、村のはづれに電力の精米製粉場をたて、粉屋になつた。それがひどくあたつて、恩給は丸残りになるといふ盛り方で、今日では兄弟中一番の身上(しんしやう)になつてゐるのだつた。(過ぐる農村恐慌の最中などは、彼の三百円の恩給は、一貫一円なにがしの繭を売らなければならない人々の憎しみさへ含んだ羨望を集めて、ツケ火《放火》をされかかつたことさへあつた。)

 巳之吉叔父は、深い考へでやつたことでもないその途方もなくあたつた前半生の径路を今度は計画的にそのまま息子にも辿らせようとした。彼は一人息子の数男が兵隊にとられると、同じやうに再役志願をさせたのだつた。数男はいま伍長で、熱河(ねつか)の守備隊で勤めてゐるから、恩給年限は父親のより遥かに短縮される筈だつた。これもあたつた。

 信平の兵隊志願も、だから勿論再役志願をして、恩給まで勤めあげることにあつた。そこまでゆけば先は何とでもなると彼は思つたので。……

 信平はしかし四日目には自分から起きた。息子を信頼して、母親はつひに一言も言ひにくいことを言はないですんだ。起きだして悪い顔もしないで野良着を着たのが却つて可哀さうになり、そばへ寄つて行つて、

 ――野良をやるかや?…………

 と母親はやさしく声をかけた。

 ――うむ、三日寝てさばさばしちやつた。

 と、信平がけろりとした顔で笑つたので、彼女は急に調子づいて、

 ――さうだ。兵隊へ行つても弾にあたつたらおしまひだ。それはさうと今夜は一つぼた餅でも拵へようぢやないか。

 信平が鋤を担いで清一たちが行つてゐる桑畑へ出て行くと、母親は急いでそのぼた餅をこしらへる用意にかかつた。小豆と糯米(もちごめ)をはかり出してくると、すぐに小豆を煮て餡をこしらへにかかつた。

 彼女の息子への信頼はやつぱり裏切られなかつた。信平はやがて今度は一本やりに小作田を手に入れることを心掛けるだらうと彼女は思つた。そのためになら彼女だつてやれるだけはやる。清一だつてやつてくれる。菊だつて△二の様子はそのつもりになつて心掛けてゐてくれるのだ。菊は信平の姉で、母親たちのもとの主人△二へ女中奉公に出してある一人娘だ。△二の田があいたらそれはこつちに借りられよう、娘にそれを心掛けてゐてくれるやうにとは固く言つてあつた。

 母親は今夜はこのぼた餅で本家の次郎もよばうかと思つた。実は信平が寝込むと、すぐに彼女は次郎に言つてやつて遊びに来させようかとも考へたのだつた。信平一人がさうなのではない。本家の次郎も八方塞がりの小作人の次男なのだつた。次郎はもう廿七にもなるのだが、分家をもつたてるあても聟にゆくあてもなくゐるのだつた。(ただ次郎は信平とちがつて、それでもわたくしの小作田が二反あつて、三年前から小作してゐた。彼はその小作田を、定日傭(ぢようひやとひ)に出る地主のところで、三年も小作料を怠納した小作人から奪ひとつたのだが、その三年分の怠納米をなしくづしにをさめるといふ条件を、しかもこちらから持込んで、それでやつと借りられたのだつた。)

 次郎なぞ呼ばなくてよかつたといまは母親は思つた。が、それだけに今夜はぜひとも呼びたいと思ふのだつた。で、仕事の合間を見て彼女は本家へ一走りした。

 次郎は、だから丁度いい時刻にやつて来た。

 ――おめでたう。

 次郎は声をかけて這入つた。かういふ場合にも、反対に入営が確定した場合にも、この同じ挨拶をするのがこの辺の慣習だつた。

 ――ああ三日ふてて寝たらさばさばしちやつた。

 信平は元気に返事した。

 ――何も、ふてることはねえな。兵隊になつたつて必らず叔父きのやうになれると決るもんかな。再役志願はこの節あばかに多いと言ふからな。

 ――それや多い筈だとも。

 ――だからさ、かうなつたら機敏に立廻つて、田を手に人れるやうに心掛るんだ。

 そのことになると次郎はひどく先輩顔になつて見せた。そのことでは清一だつて頭はあがらなかつた。彼も自分で手に入れたといふ土地は一かけらもなかつたから。

 ――そいつあ運さ、それに……

 信平は今夜そんな事は面白くなかつたので()らさうとすると、

 ――運だから機敏に立廻らなけりやつかめねえんだ。

 と、次郎は()らされまいとした。

 だから信平は今度は少し意地にかかつて、

 ――それに……人の怠納まで持たせられるんぢやな、おら考へる。

 と、はづして笑つたが、次郎は笑ふどころではなく、慌てて口のなかのものを呑落して、

 ――今時そんなやにつこい考へぢや、田は絶対に手に入らねえな。人の怠納と思ふから何だけど、権利金だと思ふんだ。何だつて、手に入れるにやただぢやできねえさ。……駄目だ、そんなやにつこい頭ぢや……

 ――所でお前のその怠納分は今年でもう納め終るのかな?

 脇から少し針を刺すやうな言ひ方で清一が言つた。

 ――まだだ。この暮れで三回目だから、来年は愈々皆済になるんだ。

 次郎はそれを少しのひけ目も見せずに、むしろ終りの方は誇らしげになりさへして言つた。

 信平はその気勢に押されて、勝目がなくなつたのを感じて少し呆れた。次郎のその怠納分といふのは三年分の十五俵を特に十俵に地主がまけてくれたのを、四年に分納するといふ契約だつた。

 ――権利金だと思つておれはこつちからそれを言ひ出したんだ。あとで考へるとよかつたと思ふな。

 と、次郎は、こつちからそれを言ひ出したといふので向うも人情だ。三分の一はだからこそまけて貰へたのだと言つた。そして他に彼と同じやうな方法で田を手に入れた者で、彼のやうにまけて貰へなかつた例を並べかけたが、それは信平も知つてゐるので、舌打をして、

 ――チェッ! をかしな時世になつたもんだ!

 ――まつたくだ。籤のがれでふて寝をするつてんだからな。

 と、次郎は嗤はれてゐなかつた。

 ――だけど次郎さんも二反ばかりのわたくし田ぢや仕様がないね。分家をもつたてるも何もできやしないし……

 母親がその時真顔をあげて言ふと、

 ――まつたくだ。話にならないよ。だからおれは一本やりに、地主さんとこの怠納さがしをやるね。

 次郎はすつかり調子を変へてゐた。

 ――さうしなけりや田は絶対にないかな。

 信平も急に真顔になつてゐた。

 ――ないとも。絶対にないな。だからおれは怠納さがしときめてるんだ。どう考へたつてほかにはねえ。それともあるか?

 ――次郎さん、かうなると遠い他村の田へだつて出だしてゆくんだね。

 母親が言ふと、次郎はそれを自分にすすめられたことと早合点して、

 ――ところが、おれはどうも他村の地主さんとはあんまり縁がねえんでな。弱つてる。

 母親はそれをきくと、そんなつもりで言つたのでもなかつたのに、何となく安堵したやうな気軽さを覚えた。……次郎は△二の旦那様は知らないんだ。母親にとつて、いつのまにか、慰め手に呼んだ筈の次郎は、信平の競争相手のやうなものになつて考へられるのだつた。彼女はそれに気づいてうろたへた。

 

     

 

 ところが、或朝信平へ来た手紙の差出人は△二にゐる姉の菊だつた。

 母親はそれを見ると躍りあがつた。そしてお昼まで待ちきれないで、手紙を掴んで桑畑へ駈けつけた。

 清一も鋤を離してやつて来て信平を囲んだが、封を切る信平の泥だらけの手が少し顫へたのを母親は見て、彼女も心が顫へた。

 ――田があるとか?

 信平は返事もしないで読入つたが、見るうちに顔色が解けて来た。

 清一が肩越しに覗き込んで、

 ――こいつあ素晴しい!

 母親は溜息にして出して、

 ――田があるとな?

 ――よし! 今夜おら行つてみる。

 信平は手紙から離した眼を、峠の方に、向けた。すると、みんなそのあとを追つて峠を見た。雑木山の斜面をなだらかにのばした小さな峠、木の芽をふくらましたその斜面は、ふはつと白つぽく浮いて、裾の方では耕地の陽炎が騒いでゐた。

 その峠の向うから幸運がだしぬけに転げて来た。△二でこの春は怠納の小作田の整理をするといふ。菊が知らせてきた鮫の井といふところの三反の田なら、信平の村からそんなに遠くはなかつた。その田の小作人は去年で三年も怠納してゐるので、今度は愈々整理をするといふのだつた。菊はそれを主人たちのちよつとした会話から(ぬす)みきいたと言つてきた。まだ誰にといふことはきまつてゐないのだから、早い方がいいと言つてある。

 ――今夜?

 清一は首をかしげてみて、

 ――今夜といはずすぐに行け。一時も早いがいいんだ。

 母親もそれを主張したので、信平は母親と一緒にすぐもどつた。

 母親がすぐに小ざつぱりした野良着を出して来て、信平はそれに着換へると地下足袋もいいのに穿きかへた。

 ――いいか、怠納の分は引受けると言へよ。清一もさう言つてたに。

 うしろから母親は言ひ添へた。

 信平は毎年小作米を曳いて行くので、旦那に向つては言ふだけのことは言へる近しさはあつたから、裏口から廻つて茶の間の縁側に落ちついて手が突けた。

 勝手で割烹着をきた姉がひよいと彼の方を見て、眼が一寸合つたが、彼女は慌てて()らしてくるりと後向きになつた。あたしからきいたと言つては駄目、そのしぐさはさう言つてゐた。

 信平は縁側に腰をかけて、長火鉢のわきの旦那に会へた。彼は兵隊が愈々駄目になつたので今後はみつちり百姓をするつもりだと言ふと、そのあとは楽にすらすら言へた。

 ――そいでもこんな方ぢや遠くてとても駄目だろがな?

 と旦那はねつから身も入れないでそつけなく言つた。が、信平は、そんな贅沢を言つてゐる場合ではない。一里や一里半のところなら三十分も早起をすればよいのだと言つた。

 すると旦那は今度はいくらか身を入れた顔つきで信平を見返した。その拍子に、薄暗い部屋で旦那のきれいに刈つたしらががちかちか明滅して、一寸鋭い顔だつたが、信平はきつい気になつてそれを受止めた。

 ――そいでも鮫の井あたりならつくれるか。

 と、旦那が顔を引いて火鉢のなかへ独言にして言ふと、信平はそれに追縋つて、

 ――鮫の井にあるのでせうか?

 ――ないこともないが……どうかなあ。

 しかし、それも殆んどききとれない独言だつた。

 旦那は怠納のことを言はうとしてゐるのだと信平は思つた。すると彼は()さらず、もしか怠納でもあるのだつたらそれは引受けると言つた。

 と、じろり見返してきた旦那の顔は瞼しく信平を見据ゑた。が、彼が懸命にそれを受止めてゐるとたちまちもやもやと皺を散らして、

 ――お前が怠納したんぢやないわい。

 ――でもわたしの方ではそれは権利だと思へばよろしいんです。

 ――ばかな。わしは初めてきくな。

 旦那はてんで相手にならなかつた。

 信平は何となく気が軽くなつたと思つたが、しかし、かへつてそのため先がつづかなくなつた。では旦那は何を言ふつもりなのだらう? 鮫の井にあることはあるが……それがどうだといふのだ? ……信平は弱つたが、せつかくここまで漕ぎついたのだと思つて、その鮫の井の田をつくらせて貰へないかと頼んだ。

 ――そいつがなあ……

 旦那の顔は思つたより慎重だつたが、

 ――何だな、その田は市川佐市といふのがつくつてるんだが、お前がぢかにその佐市に掛合つてくれて引取るなら、わしの方はそれでよいがな。

 と言つた。

 信平は一寸浮立ちかけたが、やがて思案にくれた顔になつて、その顔のもつてゆきばに困つた。

 ――佐市てのはな、人間はおとなしい、まあ愚直の方だ。遅子持で、子供がまだ金にならねえので、貧乏の真盛りらしい。……

 何年怠納してゐるときくと、三年だと言つて、

 ――暮れには来年の春蚕(はるご)で入れる、春になると秋蚕で入れる、秋になると暮れに一度に入れるで、泣いてくる。

 と、旦那は笑つて見せた。

 信平も笑ひかけたが、笑つてゐられないことに気づいた。さうだ。旦那はなぜぢかに佐市に言ひ渡すことをしないで信平にそれをさせようとするのだらう? それを考へて、彼はきつい気になつて、旦那から一言その佐市に言ひ渡して貰へないものだらうかと言つた。

 ――なぜだ? お前いやか?

 旦那はつよい語勢には似合はずくづれた顔になつて言つた。その顔に縋つて、彼は、その方がみちだと思ふと言ふと、

 ――お前もいやなんだな? 実はわしもいやなんだ。だからお前に押つけるんだ。

 と言つて旦那は笑つたが、

 ――田を取上げるなあわしはいやでな。わしの代になつてから、まだ田を取上げたことは一度もないんだ。わしは強い奴にや負けんが弱い奴にや勝てんでな。それで弱る。な、その田をつくりたけれや佐市にはお前が言へ。

 そして、信平がまだ思案にあまつた顔でゐると、

 ――な、いいやうに言へ。どんなふうに言つてもよいわ。

 旦那は(いた)はるやうな声になつてゐた。

 で、たうとうさういふことになつて信平は△二の裏門を出た。

 すると、門を出た彼のうしろから菊が追ひついて来て、

 ――ね、しつかりやつておいでよ。三反だよ。

 と、白い割烹着の下から太い指を三本出して振りながら言つた。

 

     

 

 帰ると、清一は信平の話を終りまできかないで、ではその佐市のところへ寄つてきたのかと訊ねた。

 信平が首を横に振ると母親も瞼しい顔で、なぜ廻つて来なかつたと(たしな)めた。

 だから、信平はお昼をすますとそのなりでまた佐市のところへ出掛けて行つた。

 佐市の村は、峠の裾を廻つて、その峠と小さな雑木山に挾まれたせまい耕地を前にして峠の裾の櫟林(くぬぎばやし)のなかに散つてゐる、殆んど小作人ばかりのやうな部落だつた。

 信平はそこには縁がなく不案内だつたが、佐市の家はきくとすぐにわかつた。

 道から離れて、まばらな櫟林に囲まれた佐市の家は、二間と三間のひどいあばら家で、障子もない家のなかはよれよれの茣蓙が敷いてあつて、隅には夜具のやうなものが積んであるのが見えた。壁は土が落ちてゐる部分の方が多いらしく、蚕座紙が貼つてあるのが西に廻つた日光に透けてゐた。土間で娘らしい女が藁火を焚いてゐるまはりに、子供たちががやがやなりたかつて顔を寄せてゐたので、見ると鍋のなかの芋か何かを棒の先で競つて突刺してゐるのだつた。

 佐市は見えなかつた。庭の隅には藁で囲んだ小屋があつて、そこが納屋で、堆肥(たいひ)肥桶(こゑおけ)などが取乱して詰つてゐた。佐市はそこにも見えなかつた。そのほかは庭の隅に堆肥の山ができてゐるだけで、鶏一羽見えなかつた。

 信平は暫く庭先で足踏をしてゐたが、思ひ返して引返すと、二三軒先の道に沿つた寄込み易さうな家を見つけて這入(はい)つた。彼はそこで佐市に就て少しばかり知つておきたいと思つたからだ。

 家にはおかみさんがゐて、見知らぬ者の訪問に驚いた顔もしないで、

 ――ぢや縁談のことででも来なすつたか? 

 と問返した。咄嗟に信平はその気になつて、その通り縁談のことで来たと答へた。

 するとおかみさんは、蛹色(さなぎいろ)のお茶をくんできて、自分も上框(あがりかまち)のところに来て坐つた。そして、佐市のところではいまが貧乏の絶頂だが、人間はみんな実直で、たちは悪くはないのだと言つた。

 信平はえらいことになつたと苦笑ひしながら、

 ――貧乏の絶頂だつてね? 

 佐市はひどく遅子持で、四十八だといふに子供は、その娘の二十(はたち)はいいとして、男子供は十二を頭に十一、九つ、八つの四人だ。あんまり繁く産んだせゐで女房は死に、働き手のないところへ食ひ手ばかり多いのだつたからたまらなかつた。しかし娘はそれだけに働き者だと褒めかかつたがそれは信平には用がないので、

 ――それでいま百姓はどのくらゐやつてるのかね。

 佐市は稼ぐには稼ぐが達者ではない上に食ひ手ばかり多いのだから、一頃は一町二三反はやつて三十俵近くの年貢米は威勢よく曳き出したものだつたがとかみさんは言つて、

 ――いまぢや、何だね、悪いことを言ふやうだが年貢も(とどこお)るし……だから田も取上げられるといふしね……

 信平は乗り出して、

 ――それで田は何反くらゐやつてるね?

 ――二三反だろね。だからこの冬なんか町へ日傭に出てゐたね。それやひでえ暮しさ。芋ばかり食つてるつていふな。見たことはねえが、養鶏の餌にするカナダ麦で芋粥を煮てるなんて話だが……腹がへるつて子供が泣くと、佐アさんは自分では水を飲んで野良へ行くつて話だ。……それあ子煩悩(こぼんなう)でなあ……

 かみさんはその辺で、事は縁談であることに気付いたやうに、飜るやうに話をかへして今度は、しかしその貧乏もいまが絶頂で、ぢきに楽になるから末はたのしみだと言つた。何故かときくと、その四人の子供を奉公に出して給金を取込ませて見なとかみさんは答へて、今度は食ひ手の方が一人だ。あと三年で、佐市は坐つてゐても米が食へるのだ。

 ――だからわたしは誰にもここんとこをよく話しとくんでさ。

 かみさんは、少し前道路工夫だといふ男と佐市の娘との縁談が始まつたとかで、先方の者がうちへ聞込みに来たと言つて、信平もその方の者かと訊ねたので、彼はさうだと答へてそこを出た。

 そこを出るとすぐ佐市の家の前だつたが、信平はそこから再び佐市の家へはどうしても行けなかつた。ただ覗きながら前を素通りして、明日でもいいんだと独言に言つて、峠の裾を廻つて村の方へ戻つた。

 あまり話が素晴し過ぎると思つたが、やつと見つかりかけた田はこんなところにあつた。三反の田、信平にとつて火の中へ飛び込んででも手に入れたい、入れなければならぬたつた三反の田。そのためには食ひ盛りの四人の子供の口から、飼料のカナダ麦の芋粥さへとりあげてしまはなければならないのだ。……

 巳之吉叔父の精米機の音をききながら村に入ると、道ばたの桑畑に次郎がゐて、信平を見つけて呼びとめた。

 ――何処へ? えらく(しほ)れてるぢやねえか? え?

 次郎が一人だつたので、信平は急に勢込んで畑のなかへ寄り込んだ。

 ――少し萎れたよ。

 と言つて畑境の芝土堤にどつかり腰を下した。次郎も鋤を離して寄つてきた。

 ――何が?

 信平は、母親や清一によりも次郎に、さうだ、怠納さがしを一本やりにやるといふ次郎にこそ、このことはとつくりときかしてやりたいと思つた。そこで彼はいまきいてきた佐市の話をきかせ、そしてどうしてもそこへ寄込むことができなかつたことを話した。

 すると、次郎ははげしく舌打をして、

 ――駄目だ!

 と、玄能で叩くやうに言つた。信平がきつと振返ると、次郎は険しい顔でそれを受けて、

 ――何てお前はやにつこい頭なんだ?

 と、また叩くやうに言つた。

 ――ぢやお前だつたらどうする?

 ――おれだつたら? 知れたことよ。きつぱり言ひ渡してくる。それで明日からはどしどし一番うなひをはじめちまふな。

 ――おれにやそんな不人情なことはできん! 貧乏人同士で……

 すると、次郎は今度は、あはゝゝゝと笑つて、

 ――不人情だつて? 誰が? ……おれがかい?

 と言つてまた彼はあはゝゝゝと笑つた。

 ――おいツ、不人情なのは誰だい? ……千万石の過剰米をかかへて米穀統制法の作付反別(さくつけたんべつ)法のつてご談議してる一方に、欠食児童は相変らず村にいつぱいだ。おれたちは米をつくることが仕事だが米が食へねえで麦や芋を食つてらあ。佐市の餓鬼から飼料のカナダ麦の芋粥までひつたくらなきや、こつちが生きてゆかれねえといふのに、田地だけでもまだ四百万町歩の可耕面積に雑木がしやアしやアと茂つてゐらあ。……おい! 不人情なのは誰だ。

 次郎は打つて変つた調子を出したが、すぐにその調子を変へると、

 ――信ちやん、おれだつてね、好きで怠納さがしをして田を手に入れたいと血眼(ちまなこ)になつてるんぢやねえよ。だがさうしなけりや生きてゆかれねえぢやねえか? ……ぢや、どうすれやいいんだ?

 と、少しばかり声を顫はしてきた。信平はそれに答へる言葉がなくて、

 ――おらやつぱり軍隊へ出られたらよかつたと思ふ。……数ちやんはうまくやつてる。

 と、彼もつい同じやうな声になつて、巳之吉叔父の一人息子の数男のことを言つた。

 すると、次郎は三たび声を変へて、

 ――それはさうと、今夜きつとその佐市のところへ行けよ。いいか? 

 と、ひつたてるやうに言つた。

 信平はうんと答へて起ちあがつた。が、その実のいらない返事が次郎にはもの足りなかつたか、

 ――三反の田が手にはいるんだ! 馬鹿め!

 と、声をたてて笑つた。

 家に帰ると、みんな野良から三時のおやつにあがつてきてゐた。

 ――おらやつぱり軍隊へ出られたらよかつた。

 信平は先廻りをしてさう言ひながら這入つた。

 ――何んだ? 駄目だつたのけ?

 母親が慌てて芋を呑落して訊ねた。

 ――数ちやんが羨ましいよ。

 そこで信平は、いま一度佐市の話をしてきかせなければならなかつた。

 すると、清一はやにはに起ちあがつて

 ――よし! ぢやおれが行つてきてやる! 

 きつい顔で言つた。母親がつづいて、

 ――さうだ。信平でない方がいい。△二の使ひの者だと言ふんだから信平でない方がいいわ。それで信平は明日からでも一番うなひを始めちまへ。

 ――それがいい。おれが今夜行つて、きつぱり言ひ渡してくる。

 その通り、清一は晩飯がすむとすぐに小ざつぱりした野良着に着かへた。

 そして、出掛けようとしてゐると、そこへ表から次郎の声がして、

 ――信ちやんは行つたかい?

 次郎が這入つてきた。

 清一はすつかり身仕度をしたなりで起つたまま、信平でなしに彼が代りにいま行くところだと言ふと、

 お前が? ……なるほど、それがいい。

 次郎は安心したやうな顔を見せて帰つて行つた。

 

     

 

 清一は信平が思つたより早く帰つてきた。

 信平は、兄がきつぱり話をつけてきてくれればその方がいいと思ふことの方が多かつたが、しかし、さう思ふことがどうしても非道なことのやうに思はれる気持もそばにあつた。だから、彼は母親のやうに炉端(ろばた)から起ちあがつて兄を迎へなかつた。

 佐市はやつぱり留守だつたと言ひながら清一はあがつてきたが、そのむつちりした顔色が信平には読みとれるやうな気がした。

 ――それでどうだつた?

 母親が乗出してきくと、だから娘に言ひ渡してきたと清一は答へた。

 ――それで?

 ――どうもかうもあるものか。「△」の使ひの者がきつぱり言ひ渡してきたんぢやねえか。

 それから信平のゐる炉の方へ寄つてきながら、娘はおやぢが帰るまで待つてくれと言ふんだが会つても仕様がないと言つて帰つてきたと彼は言つた。

 ――兄さんどんな気持だ? 

 と、信平は片手で榾火(ほたび)を掻き起しながら言つた。

 ――どんな?

 清一はきつと構へるやうに顔を締めたが、中途で思ひとどまつたやうにくづして、

 ――少々まゐつた!

 と、おつぽり出すやうに言つた。

 母親はそれで安心してしまつたものか、或は清一が話してきかせる佐市の家のことをそばできいてゐるのがいやだつたのか、座敷の方へ行つて嫁のそばで縫物をひろげた。

 清一は懐から胡蝶の新しい箱を出して見せて、煙草屋へ寄つて少しばかりきいてきたと言つた。その鮫の井の三反の田は、どこの地主からも取上げられてしまつた末最後まで△二の眼こぼしにあづかつてゐた田だつたが、佐市自身も、いつまでただでつくつてゐられるとは思つてゐないと、そんなことを自分でも言つてゐたと煙草屋で話したと言つた。

 翌朝は、だから、信平はすぐ△二へ出掛けて行つて、小作證書を入れるつもりでゐた。それで朝飯を急いで食べてゐると、△二の使ひの者だといふ若い者がやつてきて、信平にすぐに来てくれるやうにと旦那の伝言だと言つて帰つた。

 母親は、信平の不安な顔には気づかず、

 ――信平、印をもつて行け。きつと證書のことだわ。

 と言ひながら印を紙に包んで渡した。

 △二へ行く路々信平の足はよく地面を踏まなかつた。希望と失望とが一足踏むたびに赭土(あかつち)の中で彼の足を小突き廻すやうな気持を感じさせた。希望は印刷された小作證書に書入れをして印を捺さうとする。が、片方では、そのためとりあげるカナダ麦の芋粥をどうするのだと挑みかかるのだ。さうして峠の頂に達した頃には、彼には自分が空から落ちた雨の粒のやうに、どちらかへ、こつち側か向う側かどちらに落ちるにしても、それはもう自分の意志ではないのだと諦めるやうな気持にさへなつてゐた。

 そんな気持で彼は△二の裏門をくぐつた。茶の間の縁側に手を突いた時、長火鉢のふちから振向いた旦那の視線に会つて、希望はあたふたと逃げ腰をあげた。

 旦那は信平を見ると、前のやうに遠くから火鉢のわきで話しかけようとはしないで、自分で蒲団を持つて縁側まで出て来た。

 菊がお茶をそこへ運んできたが弟の顔は見なかつた。

 ――ゆうべ佐市に泣込まれちやつてな。

 旦那はこれも前とは違つて親しい口をきいた。

 佐市が泣込んできたのであつた。

 泣込んでな、それがお前、ほんたうに、おういおうい声をあげて、涙をぼろぼろ流して、そいつを拳固で拭きながら、まるでお前五つ六つの子供だつたな。お前にも見せたかつた。

 旦那はその時一寸菊のゐる方を覗いて、

 ――菊は、お前そこから見てゐたな。

 信平はさつぱりと諦めよく無言ではつきりうなづいて見せた。

 旦那はそれを見ると、立膝になりながら菊をそこへ呼び寄せて、けふは出かける用事があるから、ゆつくりして行くといい。ゆうべの佐市の話は菊からきくといい。田の方は心にかけておくと言ひおいて奥へ這入つて行つた。

 主人の後姿を見送つてから、菊が何か言ひ出しさうに唇を動かしたのを見て、信平はその泣込の話から逃げるやうに、

 ――おらやつぱり軍隊へ出られたらよかつたと思ふ。数ちやんはうまくやつてるとつくづく思ふな。

 と言つた。

 ――それやさうね。数ちやんのやうになれたらそれに越したことはなかつたけれど……

 菊は調子を合はせかけたが、急に、思ひ出したやうにはずんで、

 ――さうさう、知つてる? 数ちやんてば、愈々熱河(ねつか)で最前線に廻つたつてね。知つてる?

 ――ほんとか? 誰が言つた?

 初耳だつたので信平はきつとなつた。

 ゆうべね、叔父さんがお団子の粉を届けに来て旦那様に話してたわ。昨日便りがあつたんだと。

 ――ぢや、奴はぢきに軍曹だ。

 ――さうかしら?

 ――さうとも。軍曹になつて帰るよ。……さうなれや大威張で一人立ちができる!

 ――一人立ちになんかならなくともいい身分だに……

 ――親子で恩給をとりながら稼ぐなんて。またツケ火でもされなきやいい。おれはほんとにばかな籤をひいちやつた。

 菊はさうなるとそんな話は言ひ出すのではなかつたといふ顔色になつて、

 ――それはさうと田の方は旦那様が心にかけておくと言はれるから、あてにしておいでよ。ねえ、佐市つていふ人のなんか無理矢理にひつたくらなくともいいわ。あんなのをひつたくつたら化けて出られる。

 ――ほんとだ。化けて出られるとも!

 すなほに心を変へて信平は笑つた。そして、その顔で彼は起ちあがると、

 ――おツ()さんがつかりするだらうねえ?

 と、菊が急に沈んだ。

 信平はわざわざ懐から紙にくるんだ印を出して見せて、

 ――證書にこいつを捺せだとさ……

 舌でも出して見せるつもりで言つたのに、不覚にも信平は喉をつまらせた。

 

     

 

 母親はがつかりするだらう。帰り路信平の頭にはそのことばかりがあつた、が、佐市は泣いて拝んできたのだ。「マンママンマ」と言つて泣く子供に、食はせないで寝ろとは鬼になつても言へぬのだ。それを聞けば母親もあきらめるだらう。《怠納あさりは懲々(こりごり)だ!……》誰もゐないのに声を出して言つた。考へてみるまでもないのだ。この土地飢饉に年貢を(とどこお)らせば結果はどうなるくらゐのことは誰にだつてわかる。怠納どころか、悪い米を納めたり、雨だ風だで泣き言を言ひに行つたりしただけでもいつ田がよそへ飛んでゆかないとも限らなかつた。そのなかで怠納をするのだ。納めないのではないのだ。鬼になつても納められないのだ。その怠納あさりなんか懲々だ。

 しかし、次郎は怠納あさりをやるといふ。そいつを一本やりにやつてゆくといふ。が、不人情なのは誰だと次郎は啖呵(たんか)をきつた。さうだ。次郎だつて好きで怠納あさりをするんではない。そしてお前はやにつこいと次郎は嗤つた。

 さうしなけれや次男野郎なんか生きてゆかれないのではないか? だから信平だつて、今朝懐の紙にくるんだ印を握りしめて、そいつを小作證書に捺すことをあれほど希望したのだ。《怠納あさりが懲懲なら、ほかにどうするんだ? ……》再び、信平は声に出して言つた。△二の旦那が心掛けておくといふのがあてになるだらうか? 旦那は三年怠納した者でも泣込んでくれば田をとりあげはしないのだ。……

 その時桑畑の向うに家が見え出した。すると今度は、待つてゐる母親の落胆も一緒になつて落ちかかつてきさうだつたので、彼は少しやけになつて路を走つた。

 家に駈込むと、ところが、母親の姿は見えないで、納戸で、(あによめ)が箪笥の前で着物や帯をひろげてゐた。

 ――途で誰にも会はなかつた? 

 嫂は慌てて出てきたが、顔色がただでなかつた。

 ――ぢやあ、まだ、知らないのね? 数ちやんが……

 ――何あんだ、知つてるよ。戦線に廻つたんだつてな。奴はぢきに軍曹だ。

 嫂は呆れたやうな顔になつて、

 ――何言つてるの。数ちやん、ね、戦死! 今朝陸軍省から電報がきて……

 信平は棒立ちに立竦んだが、母親も清一もすぐに巳之吉叔父のところへ駈けつけて行つたと聞いて、飛んで行つた。

 

 だからこのふつてわいたやうな大きな事件のかげに鮫の井の田のことは溺れてしまつたかに見えた。

 信平が駈けつけた時には、巳之吉叔父の家ではもう祭壇ができて、数男の伍長の軍服姿の写真が飾られて、その前に巳之吉叔父や叔母や、本家の伯父伯母やその長男や次男などがごつちやに坐つてゐた。信平の母親も清一もゐて、母親が彼を手招いてなかに加へた。

 しかし母親は△二から戻つた信平に、鮫の井の田の結果を訊ねようとしなかつた。清一もそのことは言ひ出さなかつた。そのことを誰も言ひ出さなかつたので、信平はたすかつたと思つた。ほつとして、できるならこのだしぬけな大きな悲しみのために、そんなことはその場の夢であつたとみんな思ふやうになつて欲しかつた。鮫の井の田も、佐市も、カナダ麦の芋粥も、消えてなくなれ! 彼はそれをからだのなかへ叫び込んだ。

 夜はそのままでみんなで通夜をした。陸軍省からの電報は簡単に古北口で名誉の戦死とだけしか知らせてはこなかつたので、人々の話はしぜん昨日着いたといふ数男の手紙を足がかりとしてのびてゆくのだつたが、その手紙はもう人々の手から手に渡つたあと再び巳之吉叔父のところに返されてあつたのを、信平は読ませて貰つた。陣中で忙しく書かれた手短かな乱筆だつたが、そこには数男の腹を割つた本心が掴み出されてあつたのを信平は見た。この戦争では必ず功を立てて軍曹になつて凱旋するつもりだ。断じて伍長では帰らぬ。必らず軍曹の資格を身につけて帰る。そして、帰つたらトラックを一台買入れて、運輸業をはじめるつもりだと言つてゐた。信平は(きり)を刺込まれたやうに(こた)へた。そして識らぬまに声を出して唸つた。△二でついいましがた姉と話してきたやうに、一人立ちになる必要もない数男のこれが本心だつた。故人の事志とちがつた不幸を悲しむ心よりも、信平には、この時ほど彼の籤のがれの口惜しさが身に沁みわたつたことはなかつた。

 その口惜しさが、頭の隅つこに残つてゐる鮫の井の田や佐市のことを、はげしい憎悪と侮蔑で追ひたてた。

 ききつけて村の人々が続々と見えた。くやみをのべただけで帰る者は殆んどなく、みんな通夜の仲間入りをしにあがつたので、巳之吉叔父の家は店先から奥まで村の人たちで詰つた。そして、かういふ人々の集りのなかで、彼等の素朴ないくさばなしのなかで、佐市も鮫の井の田もそんなものは消えてなくなつちまへ! と信平は思ひつづけた。

 十二時を過ぎると再び身うちの者だけになつて、故人に就てのはなしも一段落のかたちだつたが、母親は田のことは訊ねなかつた。

 その夜から母親は巳之吉叔父の家にゐ残つて、家へは廻りつかなかつた。清一もやはり叔父のところでたち働いた。

 だから信平は翌日は一人で野良をやつた。鮫の井の田のことはまだそのままだつたけれど、母親は夕方一寸帰つた時、葬式の相談がまだまとまらぬなぞと話してきかせただけでまた気忙(きぜわ)しげに出掛けてしまつた。清一も夜一寸帰つて、村長が見えて、村葬になる模様だから、葬式は骨が届いてから出すことになつたなぞと言つてきかせたが、田のことは訊ねないでまた出掛けて行つた。

 しかし、その翌日の夜になつて、母親は清一と一緒に帰つてきたが、信平を見ると、

 ――かういふことがあるからな……戦争になると……

 と言つた。   

 きつく反駁(はんぱく)しようと信平が振向いた拍子に、

 ――信平、をととひ田の方は證書を入れてきたらうな?

 と、彼に期待の一刻も与へないでそれを言つた。

 ところが、このだしぬけが却つてよかつた。

 ――ふむ、鮫の井の田も、佐市ツァンも、みんな糞喰へだ!

 と、おつぽり出すやうに信平は言つてのけた。そしてまるで人のことでもあつたやうに△二での話を母親と兄にしてきかせて、

 ――ツケ火も何だけどこんなのもあんまりぞつとしねえな。

 と、笑つて見せた。

 人ごとのやうにからからと笑つてしまつて、今度こそこれで鮫の井の田も、佐市もおしまひだ! 消えてうせろ! と信平は思つた。そして一寸のうのうした気持を味つた。その気持のなかへ溶けて、母親の落胆した顔へは眼を向けなかつた。

 

     

 

 数男の葬式は骨がとどいてから村葬で行はれるといふことにきまつて、巳之吉叔父のところの人寄せは一段落ついたかたちだつたが、母親は相変らず、巳之吉叔父のところへ行つてゐて、滅多に家に廻りつかなかつた。

 信平には合点がゆかなかつたので、

 ――何がそんなに用があるんだ!

 と、或夜だいぶ更けてから帰つた母親に、彼は寝床のなかから言ひかけた。が、母親はただ、

 ――だつてお父ツァンと二人分だからな。

 と言つただけだつた。

 が、その次ぎの日も野良から昼飯に帰つてみると母親は家にゐなかつた。

 ――一体おツ母さんは何が用があるんだ!

 信平は兄にさう訊ねてみたが、清一もそれを知つてゐないらしかつた。

 ところが、或晩夜更けてから帰ると母親は、信平と清一の間に割込んで、きちんと坐つて膝の上に手を置いた。

 母親はさういふ坐り方は、大事なことを言ひ出す時でなければしなかつたので、信平も清一もすぐに真面目な聴き手になつて構へた。

 ――巳之さんところでは、後継に養子を貰ふことにきまつたらしいがな……やつと巳之さんの方の身うちから貰ふことになつたさうだ。

 と、母親は話してきかせた。

 巳之吉叔父のところでは、後継を互ひに身うちから入れたくて、夫婦の間に、ひいては双方の親戚の間に、むづかしいいきさつがあつたが、結局叔父の身うちから入れることにきまつたのだといふ。そのかはりその後継の嫁は叔母の方の身うちを入れるのだといふ。

 ――それで? 誰を入れると?

 清一がそれを訊ねかけた時、母親の眼が険しく彼をたしなめるやうに瞬いたのを信平は見た。

 ――巳之さんの身うちといふからな。

 母親はそのくせ独言のやうに言つた。

 叔父の方の身うちといふと、本家の次郎と信平と、ほかに叔父の二人の妹たちの次男三男たちが三人あつた。

 ――信平、お前どうだ? え?

 清一が言ひかけたのを母親は制して、

 ――何を言ふ? 入りたいと言つてあすこへ入られるか? あすこへ入れる者は、……いまどきよくよくの果報者だ。なんぼ言ひ出したくたつて、それをこつちから言はれはしねえ……

 信平を入れたい! 母親の顔はしかしはつきりとさう言つてゐた。で、清一はつけつけと、

 ――だが、公平に言つて信平がいい。信平が一番いいな。叔父さんの一番近い身うちと言へば次郎と信平だが、次郎より信平がいいさ。商売屋なんだから、これからその商売を覚えなくちやならん。次郎ぢや年がゆきすぎてる。

 ――商売を覚えるにはなあ、若えに越したことはねえなあ……

 ――母親の声はひどくどきついてゐた。

 ――さうとも! それやどう考へたつて信平がいい。

 清一は確信を調子に出して言つた。

 ――次郎さんもいい若い衆だが……

 言ひかけて母親はつづけて言ふ言葉につまつた。再び、彼女の信平にとつて、今度ははつきりと次郎は優勢な競争の相手になつてゐるといふことを母親は知つてゐた。

 信平はしかし、それを望むことが恥かしかつた。母親の言ふ通り、巳之吉叔父のところへ後継に入れたら途方もない果報者だと彼も思つた。それだけにそんな途方もない果報に自分の手が届くなぞといふことが彼には考へられなかつた。さうだ。そんな途方もなさすぎる果報は、捉へようとする方がまちがひだと思つた。そんな果報どころか、甲種合格も駄目だつた。どころか怠納の小作田三反手に入れる幸運さへ信平の手からは逃げてしまつたのだ。さうだ。果報を待つのはもういやだと信平は思つた。果報ばなしは懲々(こりごり)だ。しかも、これもやつぱり人のうちの不幸のゆゑに湧いた幸運だつた。

 鮫の井の田の事は、貧乏人同士でもそれでも他人同士の争ひだつたが、今度のは兄弟同士従兄弟同士が、片方の大きな不幸ゆゑに湧いた幸運をめがけて争ふのだつた。一方の不幸をこつちの幸にして掴みとるのだ。

 だから信平は、そのことはなるべく考へないことにして、一人でせつせと野良をやつた。

 しかし母親が昼となく夜となく叔父のところへばかり行きたがるのは信平にはよくその気持がわかつた。彼にはそのため母親がいぢらしくさへ思へて、彼女が家に戻つた時なぞ遠くからその顔色を窺つて見た。ただそのことだけが、巳之吉叔父の後継のはなしに就て信平がはらつた注意だつた。

 ところが或夜のこと夜半になつて戻つてきた時の母親の顔の(しほ)れ方つたらなかつた。まるで何か大きな不幸のなかをくぐりぬけて、やつと辿りついてきたやうな、すつかり蒼ずんだ、皺ばかりけはしく彫れたその顔を見て、信平は、夜具の間から半分出した顔をその場に伏せた。

 居所を狭められた心臓が反撥して(もが)くやうに、むやみに響かせて()ち出したのに彼は気づいたが、その時母親は彼の枕もとにきちんと坐つて、

 ――信平、たうとう負けだ! ……本家の次郎さんが入ることにきまつたわ!

 と、溜息といつしよに言つた。

 言ひ終らないうちに、

 ――次郎が? 

 納戸から清一が夜具をかむつて出てきた。

 ――さうよ。次郎さんにきまつた。たうとう、信平、負けだ!

 母親はそれから冷めたい炉端(ろばた)へ寄つて行つて、まるで凍つたものをあたためでもするやうに、そのなかへ深く顔を落とした。

 ――次郎さんが?

 信平は言ひながら寄つて行つて、暗い炉のなかヘマッチを()つた。次郎が! 信平はさうなるといふことをはつきりとも考へなかつたけれど、いまさう言はれてみると、やつぱりなるやうになつたといふ気持が先にたつた。彼はその幸運が自分のところへ転げてくるなどとは考へるのも恥かしかつたが、さりとてそれが誰のところへゆくかといふことも身にしみては考へなかつたことにいま気がついた。それほどそれは自分からは遠くのものに考へられたのだと気がついた。

 ――信平が入れたらと思つてなあ……いろいろつくしてみたけれど……本家でも一生懸命だつたし……

 母親は燃えだした炉のなかへまた独言を言つた。

 ――ほんとに次郎ときまつちやつたんか?

 清一が少し荒だつて訊ねた。

 ――ああ、きまつちやつたわ。もう動きつこはねえ。

 信平はあてにもしてゐなかつたかはりに、はげしくがつかりもしなかつた。また、次郎を羨ましく思ふといふこともなかつた。却つてそれがいかにも次郎が掴みさうな幸運だと思つた。その時信平のはらのなかにあたまをもちあげてきたものは、ほかのものではなく実に次郎のわたくし田、その二反の小作田のことだつた。次郎は巳之吉叔父のところの後継に入る。そして粉屋になるのだ。百姓は廃業するのだ。だとすると、その次郎のわたくし田なら、それこそもう間違つこなしに自分の方へ廻して貰へるといふことを信平は考へてゐた。それはこつちから言ひ出す必要さへないだらう。次郎は向うからそれを言つてくれるに相違ないと思つた。二反の小作田、信平にとつて、これで充分思ひがけない幸運だつた。そして、これは人の不幸のゆゑに湧いた自分の幸運ではないんだと思ふと、彼ははらにしみるこころよさを感じはじめた。すると、その時、母親は急に顔をあげて、

 ――信平、鮫の井の田は口惜しかつたな! あれさへ手に入つてたら……

 と、信平をまともに見つめて言つた。

 ――鮫の井の田だつて? ……なぜだ?

 信平は急に勢込んだ。

 ――さうよ。鮫の井の田よ。口惜しいとも何とも! あれさへ手に入つたら、次郎に負けやしなかつたんだ! 

 母親は唇を顫はしてゐた。

 ――なにツ?

 清一がきつとなつて顔を寄せたのに母親は相変らず信平の顔へ、

 ――次郎よりか信平の方が、年も若いし、商売を覚えるには(わけ)えに越したことはねえんだし、な、巳之さんもそれはさう思つてるんだけれど……信平とちがつて次郎さんは小作田をもつてるからな! それがたうとうものを言つたわ! ……巳之さんも根が百姓だ。小作田をもつてるつてことが、たうとうはなしをさうきめちやつた! ……根が百姓だつてことよ。巳之さんはな、年とつてかういふ不幸に遭ふのも、つまりは百姓に生れて鍬棒を捨てちやつた酬いなんだと悟つたと言つてな、ゆくゆくは商売は若い者にさせて、隠居気分になつて巳之さんは田がつくりてえんだとよ? ……鮫の井ならここからは遠いが巳之さんところからはすぐ近くだ! ……

 母親の頬が濡れだした。

 

     (昭和九年三月「改造」)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2005/01/17

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和田 傳

ワダ ツトウ
わだ つとう 小説家 1900・1・17~1985・10・12 神奈川県愛甲郡に生まれる。 第1回新潮社文藝賞。反プロレタリア文学の立場をとる農民文藝会の創立に携わり、ほぼ終生倦まずたゆまず日本の農民像を表現し続け、1954(昭和29)年日本農民文学会初代会長に就任し「農民文学」を発刊。

掲載作は、1934(昭和9)年3月「改造」初出。半封建的な地主小作関係と長子相続制支配下に農村の次男以下がいかに苦しんだかを、落ち着いた情味の筆致でつぶさに具体的に書ききった屈指の秀作として作者の名声を確かにした。

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