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火と樹と

あかつきの夏野を走る鹿あれば太き腕に抱きしめられむ  (火謡)

 

空と風のレストラン森に開店す木の実を摘みに森へ行かうよ

 

この街のしづかなる空に流れたる青き時間よ子や樹を目守(まも)れよ

 

ゆく雲よ夏の終はりのはぐれ雲いま少しわれに時間をたまへ

 

晩夏光樹の梢に満ち見上ぐればひつそりと樹液流すかわれも

 

如来よりも菩薩を好むこのわれの修行足らざる悟らざる、よし

 

試みの大仏として弥勒仏坐像はいます手を地に触れて

 

胎蔵界曼荼羅にわれは孕まれて秋深まれる大和国原

 

伸びてゆくわが子のきざしひしひしと春には生き物の表情をせり

 

つのぐみて木の芽も張るの春(きた)るずんずんずずずずずずずずんと

 

青やかにのびやかに来る竹林の春とふは節節りんりんとあり

 

二月堂への土塀崩れてゐたりけり時とふは雫したたらせ過ぐ

 

連翹の黄に匂ひたつくうかんは春の女神のささやきならむ

 

花ふぶき春の疾風に散りまがふこのままわが身も微塵となるか

 

夏の樹よわれに力をはぐくめよ見上ぐれば光零しつつ立ち

 

緑濃き樫のかたへに休らへり苦しみて生くるものならなくに

 

野の道はしづかにつづき樫の樹の直立つそばを過ぎむとしたり

 

くつきりと祖母の稜線見えゐたり西方浄土緑濃き朝

 

かげろふはそこここに立ち国原の炎ゆる一日を立ちて見てをり

 

山百合や鬼百合さゆり、百合を抱き百合子を抱きて眠れるひと夜

 

軽々と車を流し木を流し氾濫の川とめどもあらず

 

ちはやぶる女神の乳房ぬばたまの髪につつめよあかねさすまで

 

ゆく秋の夜寒にふふむ紅茶こそ紅葉の味を聴くここちすれ

 

蕎麦すすりつつゐよ不況日本のリストラといふ虎をなだめて

 

くさびらを山にし摘めり月夜茸紅天狗茸死者の住む山

 

樹に倚りて眠れるごとし一人の髪長ければ肩に触りて

 

まつさをな海のおもてを見たけれど大和にありて夕日を拝む

 

二十代の死者とふはわがかなしみを突き抜けて立つ春の鬼なれ

 

朝靄に出でゆくわれは夕霞たなびく山を見つつ帰らむ

 

大いなる山の港に船出して霞の中をゆくなり大和

 

春の風一時に来たる大和辺の青垣山はことばの港

 

鳥さつと過りゆきたる春の雨わが唇濡らしことばを濡らす

 

真青なる空の深みへのびあがる樹木の髪は火の謡となり

 

樹上居住民族思へり樹に登り夕山風に吹かれてをれば

 

人生は悲哀に満ちた仕事ゆゑもつとことばを、さらなる歌を

 

いづこより来りしものか愛しみて抱き上げてゐる幼子よ子よ

 

どんよりと曇り日つづく黒南風はチェロのごときを抱きてをらずや

 

あなにやし愛をとめわれと共寝せよさやさやさやと青葉さやぐよ

 

どんどんと太鼓のひびき押し寄せて圧倒的に梅雨の雨降る

 

木犀の香りただよふ中秋の満月の夜のピアノのひびき

 

芝生にも秋の光のかがよひて夕山風はビオラのひびき

 

鶺鴒はつつと走りぬつつつつと石 水の上を走るごとくに

 

耳成の青菅山を過ぎゆきて神の三輪山へ向かはむわれは

 

朝月夜さやかに見つつ帰りゆく三輪の山なる水の女へ

 

高樹あり高安山を越えしその影枯野なる船となりにき

 

雪積めるいちめんの野の囁きや春の陽ざしのいきいきとして

 

帰り来て清めの塩をまかれゐるわが身いよいよ汚れてゆかむ

 

野の道を歩みつつ語る春の雫木の葉に光る野の道の時

 

わが村の山口神社山の神まかがやく赤き目をもてる神

 

昼も夜も灯りつづくるコンビニに少年少女憩ひてゐたり

 

街の上に雪降り積みて苦しかり通夜の遺影の明るき顔に

 

待たれゐる春のいぶきは野にきざし松も緑を濃くしてゐたる

 

秋澄めばわがこころ澄み虫鳴けばわがこころ鳴くこころの自在

 

瞳の中に秋棲みてゐる奈良ほとけ大き仏の肌湿りたり

 

大阿蘇の風に吹かれてわれはゐずたださうさうと風に吹かるる

 

邪鬼どもは踏まれに踏まれわが声にならざる声を発してゐたる

 

わが(ぬか)に飛行機の先突き刺さるニュ−ヨ−クの空あくまで青く

 

破壊されしビルは瓦礫の山と化しただひたすらに雨音を聴く

 

ぞろぞろと傘さす人ら歩みゆく大風の下の都市の歩道を

 

冬花火若草山にあがりたり山焼く炎見つつ祈らむ

 

どこまでも冬空の青澄みゆけば修羅の炎を研ぎて待つなり

 

忿怒こそ明日への力炎(ほむら)なす大地を踏みて大いに怒れ

 

大いなる力の明日を信ぜむと蔵王権現われは見上ぐる

 

都鳥白く泊まれる川の辺に千年の夢より醒めてわれあり  (樹歌)

 

かつてここに少年ひとりさまよひきひとすぢの川の流れを愛し

 

マ−ラ−を妻とし聴けば滔滔とわが部屋に来る夜の流れは

 

名にし負へば櫟樫こそ歌はめと見上ぐる樫の巨き翼よ

 

火の舌を草に這はせて野をゆける蛇の背中ををろがみてをり

 

汗噴ける少年の笑顔去りしのち夕立はわが肩にひびき来

 

炎炎と刺す日のひかり苦しけれど樹は生きのびよ明日のわれらに

 

さなぎより蝶々に至る時の間を胸ときめかせ子は抱きをり

 

白球を追ふ少年の背後にてつばめは低く野をひるがへる

 

草深き小川のそばにひつそりと子鹿生れたり身じろがずゐる

 

歌は大和を鎮めむことば水無月の山河の病深くしありて

 

草潜るひばりあやふき巣を守りこの六月の天つ日高し

 

渾沌と過ぎたりといへど二十代の風の疾駆は清しかりにき

 

やはらかき乳房ふふみて眠りゐるみどりごの夢の秋の朝よ

 

あたたかき歳の瀬にして暮れゆける生駒嶺をしばし見つむる家族

 

生駒嶺を見つつ戻れる家なれば身にこもりたるこだまを放つ

 

欧風の瀟洒なる家建ち並ぶ丘に古代の愛恋を説く

 

波うねる能登の真冬の海辺へと空の彼方ゆ圧しくる力

 

われ雪の野の道ひそとゆかむとす高澄みて青き樹の鐘は鳴り

 

しばしばも見放けむ山は照り翳り青葉の底のわが国偲ひ

 

万葉の窓を開くればさまざまの貌が見えたりよき声をもち

 

西風に乗りて来たりきアプロディテ海の水沫より生れしをとめご

 

アイロオスその乱れ髪あらあらと海の彼方より岸の吾を撃つ

 

アポロンの愛を拒みしアカンサス葉あざみの刺は今も人を刺し

 

川に蛇に雄牛になりて恋の敵倒さむとせしアケロオスあはれ

 

敗北を執念く思ひ起こしたるアケロオス暁の川あふれ出す

 

アタランテ足長のをとめ野を走る追ひつけるものはだあれもゐない

 

智の女神アテナを呼べば木洩れ日は千の苦悩をわが額に彫る

 

しょくぶつの数限りなき枝のびてくうかんは白花あふるる真夏

 

細き道下らむとして秋山は巨鳥となりてわれをはらみ来

 

一万年過ぎしのみなる青空を映してただにしづもるプ−ル

 

あけぼのの薔薇はだれなす部屋に寝て重なれるものの翳は深しも

 

風の音に耳を澄ませばさやさやと木の葉は雲の声を聴かする

 

むらさきのモネの睡蓮浮かびたる美術館出でて逢ふ春雨ぞ

 

ものの名はふかく隠れて露草のつゆけき藍の形見かがよふ

 

きみの吹く聴こえざる笛はうるはしく千年の塔の飛天の童子

 

祖父の霊の呼ぶ声きこゆ百年の家屋を捨てて丘に住めれば

 

食堂に集へる僧ら静かなり世の空間に花びら流れ

 

いちめんの群青世界とどろきて熊野の海は風をはらめり

 

みどり児の眠りのごとき雨降りて森は新緑をしづかにひろぐ

 

娘の弾けるソナチネの曲夜の闇はしづかに白き花開きをり

 

共寝してひそかにあればさやさやと草木の髪は繁りかゆかむ

 

松阪の牛はうましと食うべたり水田を鋤きし牛のおもかげ

 

鬼やんまの重きからだは教室に秋充たしめて悠然と去る

 

化野に千の灯点り亡くしたる子等を思へば教室に風

 

雲流れ川流れ秋の風となる丘に立ついつぽんの樹となりて聴け

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2005/04/27

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櫟原 聰

イチハラ サトシ
いちはら さとし 歌人 1953年 奈良県に生まれる。

掲載作は、1995(平成7)年『樹歌』、2002(平成12)年『火謡』(いずれも砂子屋書房刊)より自選。

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