最初へ

自由党を祭る文

 歳は庚子(=かのえね 明治三十三年 1900)に在り八月某夜、金風淅瀝(せきれき)として露白く天高きの時、一星忽焉(こつえん)として墜ちて声あり、嗚呼(あゝ)自由党死す()(しかう)して(その)光栄ある歴史は全く抹殺されぬ

 嗚呼、汝自由党の事、吾人(ごじん)(これ)を言ふに忍びんや、想ふ二十余年前、専制抑圧の惨毒滔々四海に横流し、維新中興の宏謨(くわうぼ)ハ正に大頓挫を(きた)すの時に(あた)つて、祖宗在天の霊は赫として汝自由党を大地に(くだ)して、(その)呱々(こゝ)の声を()げ其圓々の光を放たしめたりき。而して汝の父母ハ実に我乾坤に磅はく(=ほうはく)せる自由平等の正気なりき、実に世界を振とうせる文明進歩の大潮流なりき。

 (こゝ)を以て汝自由党が自由平等の為に戦ひ、文明進歩の為め闘ふや。義を見て進み正を踏で懼れず、千挫屈せず百折撓まず、凛乎たる意気精神、真に秋霜烈日の概ありき、而して今(いづ)くに在る()

 汝自由党の起るや、政府の圧抑は(ますま)す甚しく迫害は(いよい)よ急也。言論は箝制(かんせい)せられたり、集会は禁止せられたり、請願は防止せられたり、(しか)して捕縛、而して放逐、而して牢獄、而して絞頚台。而も汝の鼎钁(ていかく)を見る飴の如く、幾万の財産を蕩尽して悔ゐざるや、(あに)是れ汝が一片の理想信仰の牢として千古(かは)(べか)らざる者ありしが為にあらずや。而して今(いづ)くに在る()。  以下略

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2005/02/10

背景色の色

フォントの変更

  • 目に優しいモード
  • 標準モード

ePubダウンロード

幸徳 秋水

コウトク シュウスイ
こうとく しゅうすい 思想家 1871・9・22~1911・1・24 高知県幡多郡に生まれる。日本の近代を根から震撼した大逆事件主犯と擬されて死刑された。事件にせまる最期の思想と前半生の思想とに微妙な落差はあるにしても、社会主義思想家としての、また非戦運動家としての感化や影響の大きさは歴史として否めない。

掲載史料は、伊藤博文が立憲政友会を起こした時、自由民権を戦い続けてきた憲政党(自由党)が、党首板垣退助を置き去りに、終始自由党を圧迫してやまなかった伊藤の専制帝国主義政党に加わり党首に戴こうとしたのを批判している。明治自由民権の大きな行き詰まりを憾みとする気持ちが露わに出ている。

著者のその他の作品