最初へ

雪の夜

   雪の夜

 

 救急車のサイレンが聞こえてくる。硝子戸の外には雪が降っていた。

 深夜に出動した救急車は次第に住宅地に近づいてきた。まるで、静かに降り積もった雪を大きな身振りで蹴散らさんばかりの勢いである。

 この冷え込んだ夜に近所に急病人が出たのだろうか。まさか祭りのときのようなはしゃぐ気持ちを各家に告げながら、サイレンをばらまいているのではないだろう。住民の深い眠りを妨げる。

 サイレンが少し遠のいたようでわたしはひと息ついた。だが不意に、すぐ近くから再び聞こえてきた。両肩をいからせ両足を広げた救急車が、サイレンの裾を長く引きずって、住宅地の中を駆け回っている。

 眠れず深夜食卓で本を読んでいたわたしの瞼がぴくりと動き、前頭部がしびれ出した。足もとがふらついて床に目を向けた。ストーブを背にして座っていた椅子がかすかに揺れている。椅子につられて、わたしの躰にも空気の揺れを感じた。

 地震だろうか.........。わたしは躰を支え直そうとして立ち上がり、硝子戸に近寄ってカーテンを大きく開き、庭に目を向けた。

 雪は途切れることなく降り続いていた。大小混ざり合った白い片が、風に煽られて常夜灯に映し出され、舞いながら途切れることなく下りてくる。垣根も前の家の軒先も白く被われていた。

 深夜にしずやかに降る雪の様子にかかわりなく、家の中の空気が揺れている。それは、地震のような瞬間的な揺れではなかった。空気を伝わってわたしの鼓膜に感じる、時計の秒針に似た同じリズムの波が、繰り返し押し寄せてくる。屋根の上方からポンプで圧縮して波を起こしているようでもあり、下から汲めども汲めども突き上げてくる、空気の揺れのようでもある。

 なぜ家の中の空気が揺れているのだろう。貧血気味のわたしの立ちくらみなのかと思ったが、一定のリズムが崩れることなく続いていた。しっかりと、目を見開いてみた。棚や食卓の上のものは何も動かず、落ちもしていない。

 もしかしたら、わたしの家のコンクリートの床下に、秘密の地下道が掘られているのかもしれない。深夜に男たちが息をひそめながら少しずつ地下道を掘った。それは、わたしの家の北東側にある学校の広いグラウンドの地下を通って、その向こう側に建つ薄汚れた不気味な建物まで通じている。

 グラウンドの向こう側の古びた三階建ての建物の屋上には、アンテナのような金属の太いポールが高々と立っていた。屋上には錆びた大きなタンクとポンプのような設備も設けられていた。

 そしてわたしの家のコンクリートの屋根の上にも、夫が使用している無線用のアンテナが、高くそびえていた。

 グラウンドの向こうに見える不気味なその建物では、男たちが深夜にボイラーを焚きポンプを作動して、わたしのコンクリートの家まで響く揺れを起こしている。汚れた煉瓦の三階建ての建物の中では深夜も起きている男たちが、わたしの家から収集した、更にわたしの部屋から無断で持ち出した日記やメモをばらばらにして、取っ替え引っ替え、頭と尾をつなぎ合わせて情報の材料にして、記事のたしにしている。部屋に煙草の煙をのぼらせ酒を飲みながら、男たちがそれらの材料をごちゃ混ぜにしたり分析したりして、深夜談笑しているのだろう。

 そのようにわたしは想像してみた。揺れて毎晩寝つきのわるいわたしは困りはて、その古い建物に的を当て癇癪を起こしていた。いったいどのような人が住んでいるのかわからない、ビラをあちこちに貼った陰気で気味のわるい古い建物が、グラウンドの向こう側に建っていた。他に思い当たるような建物は、見つけられなかった。

 振動ばかりではない。この家には目には見えないで電波か磁気のようなものが充満していて、建物の外側から自由自在に操っているものがいる。わたしの頭の周囲にもそれが張りめぐらされていて、時々わたしの頭を外側からビリビリ縛り上げた。躰の皮膚のあちこちにチリチリ痺れを起こさせた。わたしはしばしば目に膜が張られたようで本が読みにくくなり、日記や手紙の字が書けなくなった。

 ポッ、ポッ。ブアンブアン。ブアーン、ブアーン。ポッ、ポッ。

 家の中の空気の振動がますます大きくなり、強い力が加えられてきた。わたしの耳の鼓膜に振動波が響いてきて三叉神経が不安定になっている。

 その古い建物がある方向にわたしが寝室兼書斎に使用している部屋がある。昼間わたしが部屋で本を読んでいる時も、同じ振動が生じていた。机の横の厚いコンクリートの壁を伝わって部屋の空気が揺れて、となりの洗面所まで揺れていた。時には今夜のように食堂まで、空気のうねりのように感じられる。

 その時、不意に雪を踏みしめる男の荒々しい足音が路地の入り口から聞こえてきた。急いで駆け寄る足音が路地の奥まで入り込んできた。続いて、咳払いを殊更大きな身振りでする男の気配がして、男は喉もとから無理に痰を引きずり出し、路地の奥に大袈裟な音を立てて吐き捨てた。わたしの家のコンクリートの壁を隔てて、その男の動作が目に見えるように伝わってきた。それはまるで、わたしが深夜明かりを点けてひとりで起きているのを知っているかのような、気味のわるい振る舞いだった。

 男はオートバイにエンジンをかけると、破裂音を響かせ、太いタイヤで雪を蹴散らしながら発進させた。周辺の住民の眠りを覚ます凄まじい地響きを残して、オートバイは走り去った。

 わたしの胃がしくしく痛み出した。しっかり目を開こうとして立ち上がる。両手で周囲の澱んだ空気を払い除けようとした。だがなぜか手の先に力が入らない。眠れなくても寝床に横たわらなくてはならないのに、足が進んでいかないのだった。

 その時、天井で何か物音がした。二階で寝ている夫が目を覚ましたのだろうか。それにしては足音が聞こえない。

 .........もしかしたら、わたしの家の天井裏にいつの間にか目に見えない秘密の装置が造ってあり、そこに誰かが住みついているのかもしれない。

 食堂の天井には明り取りの天窓が取り付けてある。わたしは物音のぬしを探そうとして首を反らせ、天窓に目を向けた。

 あっ、叫びそうになった。男の大きな掌が、天窓に降り積もった雪を掻き分けていた。掌が黒い生きものになってくねくね曲がりながら動いている。

 まるで天窓の上で眠っていた老いぼれた化け猫が、大きな寝返りを打って動きはじめたかのようだ。猫は黄色の目を光らせ、屋根の下に住む人間の暖かそうな住処を、妬ましい目付きで眺めていた。

 天窓の周囲は屋根瓦が庇のように突き出ているとはいえ、雪の夜の外はさぞ寒いことだろう。背中を丸めた老いぼれ猫は、わたしが見つめていることに気づいたのか、伸びをひとつして、やおら立ち上がった。天窓の下の明かりを名残惜しげに振り返り、黄色の目を閉じて、立ち去っていく。それにつれて天窓から覗いていた男の目も、消えていた。

 上を向いて立ち竦んでいたわたしに、急に眠気が襲ってきた。わたしは前のめりになり、食卓の上に勢いよく両手をついた。

 けたたましい音がして硝子の破片があたりに飛び散った。

 わたしの指先から赤い血が流れ出し、透明な薄い硝子の上に血が滴り落ちていく。前にのめった時、食卓のグラスのひとつをしっかり握り締めていた。

 雪の上に真っ赤な血を滴らせてみたい。だが降り続く雪に、鮮血はたちどころに埋められてしまうだろう。

 わたしは流れ落ちる血をそのままに指先を上に向け、再び庭の見える硝子戸に近づいた。なおも静やかに、雪は降り続いていた。

 家の中はいまもなお、同じリズムで揺れている。だが騒々しかった救急車の音は、聞こえなくなっていた。

 

   足 跡

 

 日曜日の昼近く、家の中はひっそりしている。わたしは居間で新聞を読んでいた。レースのカーテンを透かして、庭木の枝葉が伸びていた。庭を背にして、わたしは眠り足りない気だるい躰をソファーに沈めていた。

 夫は早朝ゴルフに出かけた。わたしは寝ぼけ(まなこ)で玄関先に出て後ろ姿に声をかけたが、夫は振り向かず、外側の格子戸に自ら鍵をかけて出かけていった。

 一郎は昨夜からクラブの合宿に行っていた。照男はこの日はまだ家にいるのかどうか、わたしには分からない。たしか数時間前に、電気釜から自分でご飯をよそい、生卵をかけて食べていた。わたしは果物を剥いて食卓に添えてやっただけである。

 見慣れない若い男が、台所から入ってきた。わたしは思わず立ち上がった。

「撃つよ。撃つよ」

 若い男は指でピストルを形作ってわたしの方を見据えている。うす汚れた白いTシャツを着て、多めの長髪は肩まで届きそうにふんわりとし、おっとりした雰囲気である。

 足元に目をやると、汚れたスニーカーを履いていた。

 わたしは一瞬息を飲んだが何のことか分からず、一郎か照男の友だちが来て冗談を言っているのかと思った。わたしがソファーに座っていた居間から、台所の硝子窓の外に若い男の横顔が見えて、戸が閉まる音を聞いてまもなくのことだった。

 若い男は、入り組んだ造りの狭い台所を抜けて食堂に入ってきた。居間から二階に通じる階段の手前で、撃つよ、撃つよ、と再び言い、指でピストルを真似てわたしに向けている。

「何か、ごよう?」

 わたしはこもった低い声で若い男に近づいて訊いた。わたしはまだ男がふざけているのだろうと思い、更にゆっくり近づいた。ふと、酒の臭いがした。若い男の目の周りがうす茶色に染まって窪んでいた。

 階段の前に立ちはだかる男が、わたしの顔に酒の臭いを振りかけながら、

「話がある」

と言う。

 わたしは男を見据えた。

 男は素早くわたしの右手を掴み、階段を上がろうとした。

「どうしたの」

 男から目を離さず、気を沈めながら訊いた。

 なおも強引に男はわたしを階段の上に引っ張りこもうとしている。

 はじめてわたしは危険を感じ、食堂の方に躰をよけた。階段を上がると、二階の部屋に照男がいるかもしれない。家の奥に入れると面倒になる。ともかく、話があるという男を外へ出さなくてはならない。

 食堂の硝子戸は開け放ってあり網戸が入っていた。わたしの右手首は掴まれたままだった。男はわたしの前に立ち塞がるようにして、話がある、とまた言った。何か思想的な話でもあるのかと思った。酔った勢いで、若い男がわたしに議論でもふきかけようとしているのだろうか。わたしは若い男の話を聞いてもよいと思った。

 しかし男は酔っている。大学生か高校生なのか。それにしては落ち着いていた。洗いざらしたうすい水色のジーパンを穿いているが、紐で結んだ白いスニーカーは泥ねずみ色だった。

 わたしは男の手を振り切り、後ろ手で網戸を開けて庭に跳び出した。ちらっと男の後ろ姿に目を向けると、丸首のTシャツの背中に何やら大きな模様が描かれていた。

 庭伝いに台所の外側の自転車置き場に出られた。勝手口のそのドアを開くと細い路地が続いている。路地を抜けると車の通る一方通行の道路に出た。

 若い男はひと足先に素早く勝手口を出て行った。路地から左側に曲がる後ろ姿が見えた気がした。家に侵入した時と同じ順路で、男は食堂から狭い洗濯場を通り勝手口から出て、路地を通って素早く逃げた。一瞬のことだった。

 わたしは急に動悸が高まり、何事が起こったのか分からなくなった。路地を挟んで建っている向かい側の二階家の呼び鈴を急いで押した。庭伝いに出てきた中学生の娘さんに、たった今若い男が去って行ったのを見かけなかったでしょうか、と聞いた。彼女はいいえと言って、首を振っている。その隣はわたしの家の勝手口に面している。目を移すと、ご主人が庭で洗濯物を干していた。つい最近奥さんを亡くされたのだった。同じく若い男を見かけなかったでしょうかと聞いた。体格のよい頭の禿げ上がったご主人は、知らないと短く言い、続いてすぐに、警察に電話をしたらよいとつけ加えた。

 わたしは小石の敷きつめてある路地を走り抜けて一方通行の道路に出た。スリッパのままだった。

 若い男の姿はすでに見えなかった。一方通行の道路の右手の遠くの方から、両方のライトを煌々と輝したパトカーが走ってくる。.........なんと早い通報なのだろう。一瞬そう思い、はっとした。路地の奥にいたご主人が通報してくれたにしては、早過ぎた。

 わたしは走ってくるパトカーに向かって大きく手を上げた。パトカーが目の前で停まり、すぐに運転席の隣のドアを開けてくれた。わたしは急いでたった今起こったことを話した。警官は男がまだこのあたりにいるかもしれない、探すから乗ってくださいと言った。わたしが運転席の隣に座ると、警官は長いアンテナのついた無線の黒い小箱を口に当て、連絡を取りはじめた。

 気づくと、わたしは歯も磨いていなかった。朝起きて簡単に着替えた着古したTシャツのままで、顔も洗っていなかった。日曜日の昼前を眠り足りない躰で気を抜いて、横着していたのだ。

 連絡を取っている警官に家に鍵をかけてきますと言い、パトカーを降りた。路地を走って開け放ったままだった勝手口から跳び込み、口を漱いで顔を洗い髪をとかした。警官は家の中の様子を知るために、設計図を持ってくるようにと言った。なぜわたしの家に設計図があることを、知っているのだろう。一瞬そう思った。

 八年前に建てた家の設計図は、居間の家具の上に載せたままになっていた。それを抱えて、わたしは再びパトカーが停まっている場所まで走った。

 動悸が止まらない。これまで落ち着いているつもりだった。なぜ若い男が家に入ってきたのか。なんの目的なのか。わたしの他に誰もいないことを知っていたのだろうか………。路地の奥のわたしの家に入ったら逃げ道がないことを、考えなかったのだろうか。それにしては、同じ場所を上手に戻って逃げた。

 このあたりは道路の両側に住宅が並んでいて、もっと侵入しやすい家がいくらでもあった。家の中の様子を、知っていたのではないか。誰かが出かけた後、勝手口の鍵を内側からかけてなかったことを、知っていたのだ。まるで自分の家のように、若い男は落ち着いて振る舞っていたではないか。

 わたしは生まれてはじめてパトカーに乗った。犯人らしい男が捕まったという連絡が入りパトカーが走り出した。家から五〇〇メートル程先のバス停の目立つ場所に、先ほどの若い男が立っていた。別の警官の尋問を受けている。

 遠くへ逃げないで、なぜいつまでもこの辺りをうろうろしていたのだろう。わたしはたった今起こった事件が、いまだに信じられなかった。全員が、何か演技をしているように感じられた。わたしが連絡する前に、逸早くパトカーが走ってきた。

 警察署で、わたしはその疑問を訊ねようとして、出された書類に書き込むのをためらっていると、次のような説明があった。

 わたしの家のすぐ近くで、同じように男に侵入されて警察に急報した人がいる。パトカーがそこへ向かう途中で、わたしが手を上げて停めた。急報を受けた場所かと思ったという。取り調べている警官も、途中でおかしいと気づいたらしい。

 出された書類にわたしが自分の住所と氏名、事件のあらましを書くと、わたしは、自分の指紋を取られた。

 その時、なぜわたしが指紋を取られるのか、まるでわたしが犯人みたいでおかしい、と思った。警察で書類を書くと、誰もが指紋を取られるのかと思った。

 午後に集まりがあり、わたしは出かける予定になっていた。警察での取調べが長引いて予定の時間が気になった。同じくアパートに侵入された若い女が、化粧もしない普段着で、殺風景な一室にひとりで居るのを見かけた。

 わたしはようやく自宅に戻れた。誰も居ないで、家の中はわたしが急いで外に出た時のままになっていた。照男はわたしに声をかけないで、朝食後に友だちのところへ出かけていたのだった。

 再びわたしは日常に戻れて、気づくと、台所の床に足跡がついていた。くっきりと、泥色のスニーカーの跡が、白いビニールタイルの床にいくつも残っていた。

 

   金 魚

 

 近年わたしは誕生日を忘れがちである。その日が過ぎてからふっと思い出しても、またすぐにひとつ年を経たことを忘れた。

 だるくて疎ましい怠惰な日常が続いていた。それはまず顔に表れていた。瞼が腫れぼったく被さり、その下の目つきがきつくなっている。霞がかかったように、対象物に向かって焦点の合わない見詰めかたをした。その上頭の中が澄んでこなかった。

 身に着けるものに気を遣わなくなっている。日常に張りを失って、他人の目を意識する余裕がなくなっていた。頭や胸の中は始終不快な不純物に占領され、それが膨張して肩や背中に重くのしかかっていた。

 それらは家の中の状態を見れば如実に表れていた。居間や食堂は整わず、埃っぽく日常品が積み上げられている。朝目が覚めると、また新しい一日が始まったのかと思い、もっと夜が続いていてくれたらよいのにと願う。家族の料理を作るのが億劫になっていた。胸の中は夾雑物で占められ、舌の感覚が鈍くなって味が染み透っていかないのだった。それでやたらに口にものを運んだ。腰から下を引きずって歩く、怠惰な日常である。

 わたしはある日突然に、そのような状態に陥っている自分に気づいた。これまで四十五年間生きてきて、はじめてのことだった。わたしの身辺の空気は濁り黴臭くなっている。静かに、澄んだ音色の音楽に耳を傾けたり、小さな花を見てふと語りかけたくなったりした、わたしがこれまで大切にしてきた人としてあたりまえの暮らしが、出来なくなっていた。

 一歩ずつ踏み固めながらささやかな人生に緊張して、自分が大切にしてきた芽を育みながら、これまで歩いてきたつもりだった。それらが行き場を失って、道を塞がれていた。見るもの聞くもの身辺に漂う何もかもが疎ましくなっている。

 家の中を掃除するのに、何処を歩いているのかわからない状態で足がふわふわ浮き上がっていた。夫の声さえ、動物の叫び声か呻き声のように聞こえる。夫の気配を感じると、わたしは反動的にとび跳ねて、奥にある自分の部屋に逃げ込むことがあった。

 そのようなある日、食堂にかかっているカレンダーをぼんやり眺めていた。いつのまにか月日がめぐっていて、わたしは何か忘れものをしている気がした。

 そうだ、自動車の運転免許証を書き換える頃である。ついこの間試験場に行って更新したばかりのような気がするが、そろそろチェックをする必要があるだろう。はじめの子供が生まれた年に免許を取り、十七年間無事故で、三年おきの書き換えを忘れることなく繰り返してきた。誕生日に免許証を書き換えるようになった、ちょうどその切り替えの年だった。

 近年車を運転する気にならず、使用しなかった。食堂の引き出しから取り出して調べてみると、有効期間を半年以上、いいえ一年近く過ぎていた。.........それほど年月が早く去っていたのだった。

 家の者に相談すると、一日も早いほうがよいという。わたしは翌日写真を撮り書類を揃えて試験場に向かった。九月はじめの残暑が酷しい日だった。

 髪をおざなりに撫で付け、外出用のブラウスに着替えただけで撮った写真は、数年前の更新時と較べると別人のようだった。顔の表情から華やかさが消え失せて、年月を重ねたことだけが醜く滲み出ていた。寝不足と疲労で顔の皮膚がたるみ、目尻が下がったはれぼったい顔である。これまでライフワークを胸に秘めて励んできたきっかりした澄んだ目は、わたしの何処にも見いだされなかった。まるで人が変わってしまったかのように、疲れ切ったひとりの女が写っていた。四十代と言えば、女盛りのはずだった。

 わたしは試験場に向かうつもりで家を出たのだが、先の当てのない者のような落ち着かない足の運びで、漂うように街を歩いた。汗と埃を首や背中に滲ませて電車に乗った。

 ひとつ空いていた席に座ると、すぐ後から乗ってきた二人づれの中年の女たちが前に立った。彼女たちは額や鼻の頭に汗の粒を浮かべた生き生きした表情で、家族の話の続きをはじめて、話が尽きないようだった。

 流行の夏のワンピースを着て、夏の濃いめの化粧を上手にしている彼女たちが、いまのわたしには、何の繋がりもない人たちとして遠のいて見えた。つかみどころのない頼りない気持ちが身に纏いついていて、わたしは怠惰な躰だけを引きずってそこに座っていた。

 駅の構内を出ると、明るすぎる日差しが顔の正面から注がれた。商店や高い建物の前を通り、試験場に行くバス停に向かった。

 蒸し暑い日だった。なぜ期限が切れて一年近くも気づかなかったのだろう。この数年は、わたしには考えられない重い抑圧が日常の暮らしに入り込んでいた。わたしが常に望んできた人としてあたりまえの静かな日常ではなかった。

 それにしても、つい昨年書き換えたばかりのような気がしている。その期間の年月の重なりは、いったい何処に行ってしまったのか。わたしはただ夢中で生きてきた。

 一九七八年の夏は、異常に気温が上昇して雨が降らない真夏日が続いた。庭の樹木にいくら水を撒いても地中に吸収されて、庭土が白く(ひび)割れた。その夏、わたしはある講座を突然辞めることになった。納得がいかないわたしは激怒して、真夏の街中を彷徨い歩いたのだった。それから六年の年月が経っている.........。

 バスを降りると代書屋がいっせいに走り出て来て、試験場に向かう人々に声をかけ客を呼び寄せた。わたしは愛想よく近づいてきて腕を引っ張られた代書屋の前に、いつのまにか立っていた。期限の過ぎた免許証を見せると、無理かもしれないが、更新の窓口で相談するとよいと言われた。

 試験場の建物に入り、窓口の係官に免許証を示した。病気で書き換えに来られなかったと言い再交付を頼んだ。

 中に入るように言われる。事務所内は思ったより広く、紺の制服を着た係官たちが机に向かっていた。わたしは係官に勧められた椅子に座った。病気で寝ていましたので、期間が過ぎたことに気がつきませんでした、と精神的苦痛を身体に代えて言い、更新を頼み再び頭を下げた。

「入院していたのか」

「いいえ、自宅にいました」

 わたしはある講座の事件後、その組織と自分ひとりが対決するように強引に仕組まれていった。納得のいかない状態から人間不信に陥り、立ち直れない日々が続いた。

 血色のよい小肥りの係官は、しばらく考えるようにして肩を張らせた姿勢を保ち、机の上の失効した免許証を眺めていた。

「再交付は無理です。取り直してください」

「どうしてもだめなのでしょうか」

「だめです。入院証明がないと無理ですね」

 わたしはようやく諦めて、椅子から立ち上がった。十七年前に取った資格を失ってしまったことに、この時はっきりと気づいた。

 取り直さなくてはならないが、車を運転する気をなくしている。交通法規や車の構造の教則本を読み直すのは、もはや億劫だった。

 建物を出ると、昼近くの強すぎる日差しが頭上に容赦なくふり注いだ。まぶし過ぎて目を閉じると、再び濁って掴みどころのない空白の時間の中に躰ごと晒された。足が地に着いているのかも確かではなく、再びわたしは自分を見失いそうになった。

 試験場は広い街道に面していた。向かい側は大きな墓地になっている。わたしは足元に注意しながら固い金属製の歩道橋の狭い階段を上がった。

 バス停の傍らには深緑の樹木が繁っていた。バスを待つ人たちの頭上に枝を伸ばして日蔭を作っているが、縦横に伸ばして密集した枝葉が鬱陶しく、かえって暑苦しく感じられた。

 目の前の街道に車が渋滞して、排気ガスをばらまきながら走っていた。重い車体をアスファルトの路上に圧しつけて、間をおかずに通り過ぎていく。それらの車に連なって運転するには、今の自分はあまりにも頼りなさすぎる。わたしは、排気ガスを噴出して空気を汚すばかりの車を、もう運転しない方がよい気がした。

 蒸し暑い街道をバスは駅に向かって走った。いつまで残暑が続くのだろう。

 住いのある中央線沿線のK町でわたしは電車を降りて、日陰を求めて駅前のアーケードを通った。そこを通り抜けていつも寄る小さなマーケットに入り、夕食のおかずを買おうと思った。

 魚屋の店先に立つと威勢よく声をかけられた。店頭に、ビニール袋に入った金魚が並べてあった。魚屋の店先で金魚を見つけるのははじめてである。ビニールの透明な袋に、赤い金魚が二匹ずつ入っていた。

 金魚は小さい体にしては大きな赤い尾鰭を、水の中に気持ちよさそうにそよがせていた。わたしは金魚のやさしげな尾鰭の動きと鮮やかな色に目を奪われながら、夕食のおかずの魚を少し買った。そしてこの日も、朝からの自分の行動が徒労に終わったことを知る。

 水の中を泳ぐ金魚が、わたしの沈んだ目に明るく映った。狭い水の中だが軽やかに泳いでいる。わたしの瞼の内側が洗われたように和んできて、その場を立ち去りがたかった。

「きれいな金魚ね」

「可愛いでしょ。金魚もひと袋買っていきなさいよ」

 時々わたしが立ち寄る、刺身がおいしいと評判のこぎれいな店である。店頭に金魚を並べた魚屋の主人の思いつきが、残暑の酷しい昼過ぎの狭いマーケットの中で、しゃれていると思った。白髪が混じりはじめた少々気難しくてお天気屋の主人だが、時には冗談を言い合い、わたしには馴染みの魚屋だった。

「ひと袋、いただこうかしら」

 わたしは金魚も求めることにした。

 ショルダーバッグの紐を肩にかけ直して、魚の入った包みを持ち、もう片方の手にビニール袋に入った金魚を下げた。

 指の先に絡めたビニールの紐がわたしの指の体温で暖められて、水の重みで細く伸びて引っ張られた。水を揺らさないようにして、静かに足を運んだ。

 二匹の金魚が、小さな袋の中で赤い尾鰭をそよがせていた。

 家に戻ると、出掛けに閉め切った室内の温度が上昇していた。庭に向かって戸を開け放しこもった熱気を出した。早速大きな洗面器に水を張って、金魚を水ごと移した。それを食卓の真ん中に置いてみた。

 食卓の上にあった一輪挿しは脇に押しやった。首を垂れてしおれてしまった白い花が、挿したままになっていた。

 誰もいないで静まり返っている家の中で、洗面器の中で戸惑いながら泳ぐ二匹の金魚に、わたしは見とれた。滑らかな体に朱色の絽のような薄い尾鰭がリズミカルに翻り、しなやかな動作を繰り返している。わたしは少し愉しくなってきた。

 開け放ったのだが、これまで蒸されていた熱気がまだ室内に残っていた。整理の行き届かない食堂の片隅には新聞紙や雑誌が無造作に積んである。薬箱やせんべいが入っている大きな缶、洗濯物を入れた籠が投げ出してあった。

 それらから目を逸らして、わたしは水の中でのびやかに泳ぐ金魚に見入った。

 

   花 火

 

 信号の手前でバスが止まると、人が群れをなして渡りはじめた。目の前に広がる車道に、不意に大勢の人が動き出していた。

 花火の上がる音がバスの中にも響いてきた。女がつられて車窓に首を寄せると、ビルの屋上に、花火の頼りない光の模様が広がっている。空にはまだうす明かりが残っていた。

 駅前に仮の屋台が作られて、駅を取り巻くように人が(ひし)めいている。ビルの間から見える暮れなずむ紺色の空に、空と同じ色の雲に半分被われた月が見えた。ぼんやりとしたうす黄色の月である。

 腹の底を打つような花火の上がる音が心地よく響いて、月のすぐ近くに広がった。空にまだとどまっているうす明るさが、広がる花火を覚束ない彩にして、またたくまにもろく崩れていった。

 女はバスに揺られて花火を見に来たが、駅前にはあまりにも多くの人が出ていた。ひと息入れようと思い、駅の近くの喫茶店の二階に上がった。

 窓辺に体を寄せて座ると、駅の建物の上から、たった今上がった花火のほんの一部が見えた。店には他に客の姿はなかった。

 窓から見下ろすと、駅前の広場に設けられた出店の間に人々の頭が黒々と揺れ動いている。駅構内に向かう人たち、駅から離れて車道を渡ろうとする人たちが、身丈が縮まった姿でゆっくり移動していく。

 二階の窓から目の高さのガードの上を電車が半分だけ車体を見せて、たった今川の方に向かって駅から出ていった。

 あまりに多くの人々を目にして、女は川原まで歩いていく気持ちが薄れていた。人出を予想して出かけて来たのだが、やはり気が重くなった。夜空に繰り広げられる花火のはなやかさのもとでは、人込みなどはたいして気にもならないのだと思い毎年出かけている。近年はひとりのことが多かった。

「今年の夏は、暑くなるってよ」

 女がしきりに硝子惑に顔を寄せていると、髪をちりちりにした若いボーイが、暇をもてあまして同僚とぞんざいな口調で喋っている。女が座っている目の前のテーブル下には、今はやりのゲームが設置されていた。女はまだためらい、これからどうしたものか考えていた。.........ボーイの声に追い立てられる気持ちになってきて、ようやく喫茶店を出ることにした。

 駅構内に入ると、帰りの切符を買っておくようにと繰り返すアナウンスが耳に飛び込んできた。人々の緩慢な動きを掻き分けて、帰途は電車にしようと臨時の切符売り場に向かうと、女は何か忘れ物をしたような、空しい気持ちになった。橋を渡って川向こうで花火を眺めたいとも思っている。だが毎年同じ場所からではなく、別の方向から見るのもよいだろう。

 群れをなして、人々が川の手前側の土手に向かって移動していく。音は響くが、花火は女の居る場所からは見えない。青灰色のワゴン車が出て、警官が交通整理をしていた。

 土手沿いの道を少しずつ進んだ。広くはない土手下の道も人々の移動で混雑している。

 桜の葉の繁みの間から大きく上がった花火の一片がちらりと見えた時、女はあっと息を飲んだ。早くも暮れ切った夜空に不意に映った花火の明るさが、予想以上に鮮明だったのだ。

 土手の上にはいく人もの警官の立ち姿が、シルエットになって浮かんでいる。反っくり返って威張っている様子ではないのが、まだしも救われる。制服を着ているせいか、同じような背格好のシルエットだった。

 前年は川向こうの土手で花火を見た。人々の移動を規制する拡声器の声がやたらに大きく、ひっきりなしに叫び怒鳴り続けていた。夏空の一瞬のはなやかな舞台を眺めに来て、規制する声が凄まじ過ぎて、女は幾度も声のする方を睨みつけたい気持ちにおそわれた。

 いま、人々が少しずつ土手下の道を進んでいく。さざめき合う人々の頭上に花火が上がる音が力強く響くと、叫び声が一瞬高まり、いっせいに川のある方を仰ぎ見た。だが花火は、たまにほんの一部分しか見えなかった。

 女は土手の上に出たいが、川原は人でいっぱいで、そこに上がることも規制されている。つかの間の夜空の饗宴を見るために集まっていた。

 土手下の道沿いには夏草が生い繁っていた。腰の丈ほどもある雑草が四方八方に生き生きと葉茎を伸び上げている。都会ではめったに見られなくなった野生のままの藪は懐かしかった。女はのろい進みようで手持ち無沙汰になり、歩きながら手に触れた雑草を毟り取ると、青臭い匂いが鼻をつんと刺激した。草の匂いは、子供の頃に川原や田んぼの畦道で遊んだことを思いださせた。

 女は川向こうの町に幼児の頃から二十年近く住んだ。多摩川で花火が催される日には、毎年橋の上まで出かけていった。両親につれられたり、近所の友だちと誘い合わせたり、土手まで歩いて半時間の距離だった。幼い頃はそれでも長い道程に感じられて、浴衣を着て下駄を履いた素足が、戻るときにはかったるく感じられた。川に架かる広い橋の欄干に凭れかかって、頭上から降る大きな花火に、時間を忘れて見とれたのだった。

 ひとつ打ち上がるごとに川幅の上空いっぱいに広がって、ゆっくり仰ぎ見られた。それほど色彩が鮮やかでも豊かでもなく、同じ形の花火ばかりだったが、大空に消えていく時自分も一緒に吸い込まれていきそうで、心がのびやかに空に放たれた。地の底から響くような音を立てて大きな花火が打ち上げられた時、川の流れが一瞬止まってしまったかのように静まり、川面からは、かすかに風が吹いてくる心地がした。

 年月とともに花火を見に集まってくる人が増えて、橋の上に立って見ることは禁止された。そして花火は、数が多く豪華になっていく。隅々まで技巧を凝らして優美さを競った。

 夏の夜空を彩って降るようにまたたくまに消える花火に胸が痛むのは、今でも変わらなかった。女は浴衣を着た少女の頃にも、同じような淋しさを味わったことを覚えている。一瞬のはなやかさを夢見て消えてしまう、掴みどころのない空しさを、見に出かけてくるのだった。

 前方が急に明るくなった。まるで夜間の球場のようにライトに照らし出されている。そのあたりまで行けば土手に出られます、と警官の声が拡声器から聞こえてきた。そこは駐車場になっていた。

 土手下の人々は仕方なく音を頼りに首を上げ、桜並木の間から花火の一部分を見上げて雰囲気を味わい、同じ方向にのろのろ進んでいた。前方の桜の木の繁みの間から眺められた花火の一部は、いつのまにか真横に移り、それからいくらか後方に位置しはじめていた。

 女は土手の上に出たいと何度も思ったが、この人出では無理のようだ。前方の駐車場のライトが明るすぎて、目を開けてはいられない。

 あと十五分で花火は終わります。拡声器から大きな声が響いてきた。女はふと土手に沿ってこのまま歩き続けてみたい気がした。だが橋を離れるにつれて、夜の闇は増していく。心残りのまま早めに土手沿いの道を離れた。

 赤い花柄の浴衣が似合った頃から、女は毎年花火を見に来て、その年毎の悩みや不安、夢や希望を胸に抱えたまま、帰途に着くのだった。

 この年もひとりだった。土手にも上がれず、繁った桜並木を透して花火を見るのははじめてである。

 蒸し暑さがいくらか遠のいて、風が少し出ていた。

 

   白い骨

 

 喪服を昨夜に続けて着た。わたしは夫の代理で義兄の告別式に参列しなくてはならない。夫は昨夜一緒に通夜に行ったが、今朝は予定を変えず、成田に向かい海外に出張した。朝から小雨模様のうっとおしい日だった。

 会場に予定の時刻より早めに着くと、義兄の遺族と近親者はすでに集まっていた。通夜に続いて葬儀が行われる会場は広く、正面の祭壇は多くの白い花で飾られていた。団体名や社名、業界の著名人の名前が書かれた白い札が、ひときわ目立っている。義兄の写真は祭壇の上で多くの名札に囲まれて、花々の中に小さく埋まっていた。

 わたしは親族の席に腰かけて式が始まるのを待っていた。左側の一般の参列者の席は広く場所をとって椅子がたくさん並べてあった。わたしと同じ列に腰掛けている上の義姉夫婦は、先程控室で持参した喪服に着替えていた。傍らには年をとった義姉のつれあいがいつも付き添っていた。

 左側の参列者の席が埋まると、喪主である長男が前に進み出て、紙片を片手に遺族の名をひとりずつ呼び始めた。着席する順を決めている。多くの参列者を前にして、喪主はことさら目立った位置から権威を示して親族の名を呼び上げた。だが上の義姉夫婦とわたしは、最後まで呼ばれなかった。先程挨拶したばかりなのに、どうしたのだろう。仕方なく立ち上がり、空いていた後ろの方の席に移動した。亡くなった義兄にとって上の義姉は、義理の姉にあたり、わたしは義理の弟の嫁だった。

 喪主の長男はなくなった義兄と血のつながった親子だが、夫に先立たれた義姉は、後妻だった。先妻は長男をはじめ三人の子供を残して亡くなり、戦後の食料事情のわるい、若者が少なくなっていた時期に、義姉は社会的にかなりの仕事をしていた年の離れた義兄に嫁いだのだった。

 祭壇は高い舞台に設置されている。わたしは神道の葬儀に参列するのははじめてだった。舞台は白い菊の間に名札ばかりが大きく浮き上がって、わたしはそれらを仰ぎ見ては落ち着かなかった。

 神官が二人壇上に現れると、身になじんでいるとも思われない裃が乾いた音を立てて、玉串を静かに捧げ持ち、二人の神官が交代で遺体の安置された正面に進み出た。高い舞台上でまるで神楽を舞っているかのように、慣れた演技をそつなく繰り返していく。

 最前列に座っている喪服に身を包んだ義姉の横顔には、悲しげな表情は見えなかった。ふだんと変わらない様子で首を上げて、神官の祭事の所作を見詰めていた。

 雨音がかすかに聞こえてきた。開け放った会場の後方の席はいつしか湿気が下りてひんやりとしている。参列者が多く、焼香が続いていた。わたしは多くの人々の中に知っている人の顔を見つけられない。無表情な顔と、喪服の列が続いていく。義姉の実の一人娘が大きなおなかをマタニティドレスで包み、前列に座っているのが、目につくばかりである。

 わたしは通夜には子供たちを連れて参列した。彼らは成長した躰を学生服に包み、膝を揃えてかしこまって座っていた。子供たちは乳児、幼児の頃に義兄の家に度々伺った。その頃わたしの家族は二DKの団地住まいで近くに住んでいた。庭が広く、ゴルフの練習用の網が張ってある大きな家に、休日には一家で出かけた。飼い犬と遊んだり、夕食をご馳走になったり、到来もののお裾分けをいただいたりした。中元や歳暮の時期になると、義兄の家の玄関脇の小部屋には、贈られた包装品が積み上げられていた。わたしはそのような暮らしを経験したことがなく、ものめずらしかった。この日喪主を務めている長男はわたしと同じ世代だが、義兄の家にうかがった頃はすでに世帯を持ち、めったに会うことはなかった。お腹の大きな姪は、まだ愛らしい学生だった。

 二月末の寒い日に、わたしは夫とはじめて義兄を病院に見舞った。すでに意識不明で病室に横たわっていて、鼻に管を差し込まれ栄養を補給されていた。青黄色に変わった義兄の寝顔はそれほどやつれてはいなかったが、皮膚の色の異常さから、死期が迫っていることを知らされた。夫は勤め先から駆けつけた背広姿で、寝台の足元にいつまでも黙って立っていた。ふたり部屋の病室だが狭く、身動きが出来ない。

 夫がいつまでも何もしようとしないので、わたしはとなりの寝台との隙間に躰を捩じらせて枕元まで行った。となりの寝台は空いていたのだ。目を閉じていた義兄に夫の代わりに声をかけると、かすかにまばたきをした。小さな幕を上げようとするかのように、瞼を少しだけ開いた。脳の一部が目覚めて人の声を聞いたのだろう。それは無機質なものがかすかに動いたかのようでもあり、瞳に焦点は結ばれなかった。瞼はすぐに閉じられて、再び深い眠りに引き込まれていった。

 これまでわたしは、義兄にそれほど親しくしてもらったわけではなかった。東京大空襲で母を失った夫が、戦後の混乱期に一時義姉夫婦の家に身を寄せていた。義兄には就職の世話にもなった。わたしは夫の意向のままに幼い子供たちを連れて伺ったのだった。

 義兄は現役時に社会的に活躍した人だが、近年退職して家にいるようになってから、急に身辺の日常が覚束なくなったと義姉から聞かされていた。青黄色く変わってしまった顔の瞼は閉じられているが、口は真横に結ばれて、かすかな威厳を示して寝台に静かに息づいていた。この日義姉は、病院に来ていなかった。派遣された中年の付き添いの女が、突然病室を訪れたわたしたちに親しげに話しかけてきた。

 

 焼香する人々の間に、わたしは実家の父の姿を見つけた。父は躰を斜めにして列の中に紛れそうになりながら、祭壇前に少しずつ進んでいた。参列者の中で、父は誰ひとり知っている人はいなかった。盛大な告別式に感心して、父はすぐにひとりで引き返すだろう。

 電車を乗り継いで数時間かけて来てくれた年をとった父の後姿を追って、わたしは席を立って参列者の間をくぐり抜け、雨の中を駆け出した。

「遠くから、すみませんでした」

 振り返った父は、いつもと変わらない平静な様子で、わたしの顔を認めて頷いた。

「大丈夫だよ」と言い、傘をさして忙しそうに雨の中を帰っていった。わたしは父の姿が門を出るまで見送った。

 わたしは夫から、焼き場まで付き添うように言われていた。雨脚が激しくなってきた。躰が冷えて足元が雨の雫で湿っている。わたしは夫が手配しておいてくれた車に、上の義姉夫婦も乗っていくように声をかけた。肥り気味の義姉はすでに着物を脱いで洋服姿に戻っていて、付き添う義兄が大きな風呂敷包みを抱えていた。義姉が帽子に似せて被っている小さな(かつら)に、雨の飛沫が白い水玉になって浮かんでいた。

 

 義兄の骨が釜から引き出された。頭骸骨とかろうじて体格を感じさせる骨盤、それらを支えていた手足や胸の骨は、どれも真っ白だった。無機物と化してしまった人間のもとの姿がようやくたどれるように、目の前にさらけ出されていた。骨は脆く、触れると砕け散って、わずかな風で吹きとんでしまいそうだ。

 そう思った時、わたしは喉と胸の上方に、一瞬刺激を感じた。それは躰の中から感じるものではなく、皮膚の上に噴霧器で、ガスか薬品をさっとかけられたような刺激だった。

 それはこの数年間、家の中や道路を歩いている時、駅ビルの地下で買い物をしているときにも時々感じてきたことで、気味が悪く、わたしは悩んでいた。この時も不意に飛行機の爆音が聞こえてきて、直ちに遠ざかっていった。

 義兄の焼き場まで来て、喉と胸の上に何かの刺激を受けて、同時に飛行機の爆音を聞くというのは、どういうことなのだろう。わたしは驚いて、気持ちが沈んだ。自分の躰が、上空からの何らかの力で徐々に(むしば)まれていく気がして不安になった。.........現代の最新の科学技術は、わたしの想像を超えていた。

「この二人部屋は、大部屋より格が上で、骨上げの料金も高くて、天井の模様も違うのよ」

 白い骨と化した義兄の姿に目を置いたまま考え込んでいたわたしの傍らで、義姉が説明しはじめている。

 われに返ったわたしは、このような時に費用のことを口にした義姉に、更に驚いたのである。

 

 一年の(のち)、新しく出来た墓地に親族が集まった。小高いひと山が造成されて斜面には墓石ばかりが整然と並んでいた。昨年と同じく花の季節なのに、樹木の緑も花の色もどこにもなくて、ひと山は墓石ばかりが剥き出されて、高曇りの上空はむやみに明るかった。

 義姉は、義兄が生きていた時は年齢を感じさせず若々しかった。この一年で疲れが出て、目尻に深い皺を刻んでいた。午前の日差しのもとでサングラスで目もとを隠している。葬儀が終わった直後から、長男はじめ先妻の子供たちと義姉の間で、財産の相続と分与に関してもめごとが続き、裁判沙汰になっていた。

 それでも長男は権威を示して新しい墓を求め、一年忌の祭事をひとりで取り仕切った。出席者が軽装のなかで、彼だけが喪服に身を固めて、肩を張って目だっていた。

 義兄の墓の向かい側の墓地ではよその家族が敷物を広げて弁当を食べていた。六、七人の家族が、明るい日差しのもとで寛ぎ、小さな子供が笑い声を立てて、ひとりではしゃいでいる。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/02/12

背景色の色

フォントの変更

  • 目に優しいモード
  • 標準モード

木下 径子

キノシタ ミチコ
きのした みちこ 小説家 1935・9・11 東京都に生まれる。

掲載作は1998(平成10)年、講談社出版サービスセンター刊の短編集『長い呟(つぶや)き』より5篇を選抄。

著者のその他の作品