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人生派の批評と藝術派の批評

   

 

 文藝批評の標準又は態度といふことが、事新しく最近文壇の一つの問題となつたが、この問題の解決は、要するに人生派の批評と藝術派の批評との是非論に外ならない。今更いふまでもなく文藝批評の標準を、鑑賞家乃至批評家の主観以外の外的な境地に求めるやうなフォーマリズムの批評は、今日ではすでに跡を絶つた。「人は皆自己を標準として万事を判断する。人は自己の外に何等の標準をも持たない。」と云つたアナトール・フランスの言葉はたしかに真理である。今日の文藝批評においても亦この「自己」の外に何等の標準もないのである。従つて今日の文藝批評は、その意義もその価値も大部分はその批評家の「自己」の如何にかゝってゐるといふことになる。言葉を換へていへば、その批評家の懐抱する人生観そのものゝ如何(いかん)にかゝつてゐるといふことになる。人生派の批評といひ、藝術派の批評といふもの、所詮はこの人生観の相違に基いた文藝批評である。

 さて人生派の批評とはいかなるものか、藝術派の批評とはいかなるものか、私は今この二つの文藝批評の特質と価値とをいさゝか検攷(けんかう)して見ようと思ふ。

 

   

 

 人生派の文藝批評のいかなるものであるかを説明するには、この派の批評の代表と目せられるものを例證するのが最も便利である。この意味で私は暫くトルストイの批評を一瞥する。

 トルストイの「藝術とは何ぞや」の一書は、彼れの宗教的藝術観を主張した点で注目さるべきものであると共に、所謂人生派の藝術批評の好典型としても充分注目さるべきものである。トルストイはこの書の中で、本当の藝術と似而非(えせ)藝術と、善き藝術と悪しき藝術との区別を明確に定めてゐる。彼れはこの区別を定める上に二つの標準を用ゐてゐる。その二つの標準とは、第一が感染性の多寡といふことであり、第二はその主題に対する作者の道徳的乃至宗教的意識の多寡といふことである。

 第一の感染性の多寡とは、作者の経験した感情を藝術品を通して第三者に伝へ得る度合の多寡といふことである。すなはち本当の作品は、それを第三者に伝へ得る度合が非常に多く、似而非藝術は非常に少ない。更に言葉を換へて云へば、本当の藝術は「あらゆる人に近附き得る」一般的普遍的なものでなければならぬ。たゞ同好の少数者に又は一階級にのみ読まれ、聞かれ、観られるやうな藝術は、この意味から似而非(えせ)藝術である。「本当の作品は、それを受け入れるものゝ心の中で、その人とその作品と作者、否、たゞにそればかりでなく、その人と、その作品を受け入れる心を持つてゐるすべての人との間の隔離を取除くもの」である。この隔離を取除くだけの感染性がその作品にないなら、それは本当の藝術ではない。かくして感染性の度合は藝術の優劣を規定する標準である。これがトルストイの藝術批評の第一標準であつた。第二の標準、すなはち、描かうとする題材に対する作者の道徳的乃至宗教的意識の多寡といふこと、これこそ彼れの藝術批評の最も重大なる標準であつた。さてその道徳的乃至宗教的意識——トルストイは特に宗教的といふことに力点を附してゐる——とは何であるか。彼れ()へらく、歴史の何時(いつ)の時代にも、又いかなる人間社会にも、その時代、その社会の人々が到達した最高水準を示す人生観がある。この最高水準を示す人生観がとりも直さず宗教的意識である。この宗教的意識あつて始めて人類は進歩すると。次に彼れは、現代の宗教的意識、すなはち現代における最高水準を示す人生観を、彼れ一流の同胞主義、人類相互の信愛的調和にあると説き、進んで藝術評価の態度を次のやうに力説してゐる。曰く、

 

「吾々はこの宗教的意識を土台として一切の生活現象を評価しなければならない。而して藝術も亦これに漏れない。すなはち、吾々は、一切の藝術の世界から、この宗教的意識から流露する感情を伝へる藝術を選んで、これを充分称揚し、この感情を伝へない藝術は、これを極力排除しなければならぬ。」

 

 (けだ)しこの宗教的意識を伝へる感情は、トルストイに従へば、本質的に誰人にも通じ得る一般的感染性を持ってゐるものであるから、この宗教的意識を伝へる感情を描いた作品は、同時に感染力に富んだ藝術であるといふことゝなる。そして、この第二の標準は、とりも直さず第一の標準の基礎となつてゐるのである。

 又、如上現代における宗教的意識とは、トルストイに従へば、原始基督教的意識といふことの別名であるから、この宗教的意識を伝へる感情といふことも、っまりは原始基督教的感情といふことに外ならない。従つてトルストイの第一の標準も亦、結局、この原始基督教的感情の多寡といふことゝなるのである。かくしてトルストイは如上宗教的意識を伝へる感情を描くことを以て藝術家の任務乃至道徳であると主張してゐるのである。

 トルストイは以上の立場から一切の藝術を批評してゐる。彼れのこの立場に立つ時は、近代文藝の大部分は劣等な、堕落した藝術とならざるを得なくなる。何となれば近代文藝の多くには、殆んどトルストイの思惟するやうな原始基督教的の感情を描いたものがないからである。否、むしろさういふ宗教的感情に対して反感を持ち、懐疑を挾み、一視同仁、四海同胞といふやうな共同感情、普遍感情よりも、自己の特殊な個的感情を描いたのが近代文学の多くであるからである。従つてイプセンでもメーテルリンクでも、ボードレールでもベルレーヌでもニイチェでもユイスマンでもワグナーでもべートーベンでも多少でも個的特色ある近代の文学者は、トルストイからはすべて非難攻撃の対象となつてゐないものはない。就中(なかんづく)ボードレール、ベルレーヌ、ユイスマン等の頽廃派の文学者及びワグナーの音楽が最も烈しい非難を蒙つてゐる。そしてトルストイは本当の藝術、善良な藝術として「聖書」ホーマーの「イリアッド」「オデッセイ」セルバンテスの「ドン・キホーテ」スタウ夫人の「トム爺の小屋」ディッケンズの「デイヴィッド・コッパーフィールド」などを挙げてゐる。

 トルストイが文藝批評の最も重大な標準として(かゞ)げたのは、上に述べたやうな、同胞感を基礎とした一個の宗教的人生観であつた。そしてこの宗教的人生観は上に述べたところでも明らかである通り、飽くまでも人生全体のためといふ一種の信念をその基礎としたものである。トルストイの批評が人生派の批評といはれる所以(ゆゑん)は、(けだ)しこゝにある。

 

   

 

 人生派の文藝批評としてはトルストイの外に多く挙ぐべきものがある。「自然派の小説」の一書で、ゾラ及び仏国の自然主義を極力非難して、自然主義の唯物論的人生観の代りに人間力を強調したブリュンチエール、「堕落時代」の一書で、近代文学の個人主義的、頽廃的、誇大妄想狂的傾向を痛罵したマックス・ノルダウ等も亦、この派の批評における代表者と目せられてゐる。彼等の人生観は、その細かいところになると何(ど)れもちがつてはゐるが、たゞ人類全体に向つてその同胞感的理想を高く掲げ、それによつて一切の藝術品に臨んでゐる点は何れも同じである。従つて彼等の文藝批評からは、所謂近代文藝の多くが無価値であり、無意義であるといふ結果となるのは当然のことである。さて、これに対して藝術派の批評とは如何なる特質を持つてゐるか。

 藝術派の批評は、人生派の批評が人類全体のための一種の理想をその最後絶対の標準とするに対して、たゞに批評家その人のその作品から受ける感受性を唯一の()り所とする。言葉を換へて云へば、藝術派の批評は、人生派のそれが何等かの理想を掲げるのに対して何等の理想をも掲げない。何等かの理想に照して与へられた作品に臨む代りに、この派の批評は、出来るだけ自己の理想を捨て、成心を去り、虚心以て与へられた作品を味ははうとする。人生派の批評には「判断」又は主張が重大要素となるに対して、藝術派のそれには常に「鑑賞」と「解説」とが中心となつてゐる。この藝術派の批評の代表者の中にはウオールタア・ペイタアがある。オスカア・ワイルドがある。又近代の作家の中で特にこの派の批評を強調しようとした人にモウパッサンがある。

 すでに一切の理想を棄て、成心を去り、虚心以て与へられた作品に対するといふことは、言葉を換へて云へば、その作品から、出来るだけ印象を多く、且つ素直に受け入れるといふことである。そしてさうすることは、その印象にして受け入れるに値するものである限り、それによつて「自己」に何物かを附け加へることである。「自己」に何物かをつけ加へて、自己の生を更に拡大し、増進することである。この意味から云へば、藝術派の批評は、人生派の批評に比して、更に自己に執した批評である。より多く自己を(はぐく)(いつく)しまうとする要求から生れた批評である。ウオールタア・ペイタアはその不朽の名著「文藝復興期の研究」の序文で、このことに論じ及んで次のやうに云つてゐる。

 

「実際のありのまゝに対象を見るといふことは、すべての真正な批評の目的であると云はれてゐるのは正しい見解である。美的批評において対象を実際のありのまゝの姿において見るといふことは、言葉を換へて云へば、実際ありのまゝの印象を知るといふこと即ちそれを明かに識別し、感得することである。音楽、詩、人生の藝術的な諸様相、即ち美的批評の対象は実に数多(あまた)の勢力を蔵してゐる倉庫である。そは自然界の産物と等しく、多数の価値や特質を持つてゐる。親しく遭遇し、又は書籍で知つたこの歌、この絵、この興味ある人物は、自分に取つてどういふ関係を持つてゐるか。どういふ結果をそれは実際自分に起すか。快感を与へるか。もし快感を与えるならば、その快感の種類と程度は如何(いかん)。それと遭遇し、その影響を蒙るために、自分の性質は如何(いか)やうな変化を受けるか。これらの疑問に対する回答こそ、正に美的批評の関係すべき根本問題である。」

 

 ペイタアの如上の見解はたしかに藝術批評の根本間題である。彼れはトルストイその他の人生派の人々のやうに、一個の理想を掲げそれを標準として作品に対することをしない。彼れはたゞ与へられた作品が自分に対してどういふ関係を持つてゐるかを検攷(けんかう)するだけである。それがどういふ心的影響を自分に対して与へるかを反省するだけである。従つて彼れはトルストイのやうに、藝術に善悪高下の差別をつけない。さういふ差別をつけるには、彼れに取つて文藝批評の対象は余りに多い。それは実に自然界の産物と等しく、多くの価値と特質とを持つてゐる無限の倉庫である。彼れ又曰く、「批評家はつねに美が種々の姿を取つて存在することを記憶しなければならぬ。彼れに対してはすべての時期、すべての型、すべての趣昧上の流派は、それ自身において同等である

」と。以てそのいかに、一流派のみを是認するトルストイ及びその一派と異なるかゞわかるではないか。藝術派の批評は、かくの如く与へられた対象に対して一定の標準から何等の選り好みをしない。又何等善悪高下の価値をも定めない。たゞその対象たる作品が自分にいかに投影して来るか。いかに自己に印象するか。と、いふことを語るのみである。アナトール・フランスが、与へられた作品に対して全力を(そそ)ぐ努力はその作物に価値の判断を加へることではなく、その作物の中に経験する自分の魂の「冒険」を快く語ることであると云つてゐるなどもつまりは同じ理である。

 

   

 

 かくの如くすべての対象を、同一のものと見做(みな)し、その作品に善悪高下の優劣を定めないで、飽くまでもそれから受ける印象を中心とする藝術派の批評は、その当然の帰結として、作家の「気質(テンペラメント)」といふことを非常に尊重する。と、同時に、その作家の気質を味ふだけの「気質」を批評家が持つてゐることの必要を、極端に力説する。「批評家は知性を満足するやうな正確な美の定義を持つてゐることが必要ではなく、むしろ一種の気質、即ち美なる対象に遭遇して深く感動する能力を持つことが必要である。」とペイタアが云つてゐるのも、即ちこの「気質」の尊重といふことを力説したものである。

 モウパッサンがその「ピエルとジャン」の序文に書いたその小説論の中にもこの点で注目すべきものがある。彼れはペイタアが批評家の立場から、作家の気質を尊重し、併せて批評家の気質の重要といふことを力説してゐるに対して、彼れは作家の立場からこれを力説し強調してゐる。

 モウパッサンは、或る者は作家に向つて「喜ばせて呉れ」と云ひ、或る者は「慰めて呉れ」と云ひ、或る者は「感動させて呉れ」と云ひ、或る者は「夢を見せて呉れ」と云ひ、或る者は「笑はせて呉れ」と云ひ、或る者は「泣かせて呉れ」と云ひ、或る者は「考へさせて呉れ」などゝ云ふが、それらは(いづ)れも作者に対する本当の要求でない、といふことを暗示したあとに、「どんな形式でもよいから、貴方の性情に従つて、貴方に最も適当な美しいものを示して下さい」と云ふものこそ、本当の藝術鑑賞家である、と説いてゐる。

 この言葉は作家としての彼れの抱負を語るものであると共に、文藝の批評家に対する彼れの要求を端的に表白したものである。彼れは批評家に対して更に次のやうに述べてゐる。

 

「真に批評家たるの名に値する批評家は、選択好悪の情を捨てた解剖家でなくてはならない。彼れは与へられた藝術の産物に対して、単に藝術的価値を評価する人でなければならぬ。あらゆる物に向つて開放された彼れの理解力に、しばらく自己の個性を没して、善良な作物を発見し、賞讃するだけの余裕を存し、たとひ一個人としてそれを好まぬまでも、批判者としてそれを味ひ得るものでなければならぬ。」

 

 又、曰く

 

「彼れが藝術家である以上は、彼れの好むがまゝに物を理解し、視察し、思考するの自由を与ふべきである。理想主義者を批判するためには、吾々は充分に詩に対する同情を呼びおこし、然る後彼れの夢幻の、陳套であること、平凡であることなどを指證すべきである。もし自然主義者を批評するならば、宜しく実人生における真理が、彼れの作に描かれたる真理と相違するや否やを明示すべきである。」

 

 モウパッサンの以上の言説はすなはち、「彼れに対してはすべての時期、すべての型、すべての趣味上の流派はそれ自身に於ては同等である」といふペイタアの主張を裏書きしたものと見るべく文藝の批評家に対する要求としていかにも肯綮(こうけい)(あた)る。文藝の批評家は決して一流派一傾向に即してはならない。理想主義の作品も自然主義の作品もその他一切の主義傾向を(こと)にした作品は、彼れに取つてすべて同等な、ペイタアの所謂「多数の勢力を蔵してゐる倉庫」でなければならぬ。この無限の倉庫を選り好みするものは、それをしないものよりも、遥かに多く自己又は自己の生に対する要求の少ないものと云はねばならぬ。何となればその「多数の勢力を蔵してゐる倉庫」を、残る(くま)なく探し求めるために、「しばらく自己の個性を没し、」一切の成心を去つて、一向(ひたすら)に与へられた対象の前に立つことが、(いたづ)らに人生のため、社会のため、又は人類のためといふやうな高遠の理想を抱いてそれに対するよりも、遥かに多く、遥かに深く、遥かに細かくそれを味ひ得るからである。この意味で藝術派の批評家は、人生派のそれよりも、遥かに多く人生の熱愛者である。

 一切の文藝批評家は、所詮この意味における人生の熱愛者でなければならぬ。一個の理想主義的人生観を唯一の標準として作品に対する人生派の批評よりも、私は如上の立場から、むしろ一切の理想と成心とを捨てゝ、自己の印象、ペイタアの所謂「深く感動する能力」を唯一の標準として、与へられた作品に対する藝術派の批評に、より多く左袒(さたん)し、そしてそれを高調しようとするものである。

 

(大正七年五月「文章世界」)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/03/09

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本間 久雄

ホンマ ヒサオ
ほんま ひさお 評論家 1886・10・11~1981・6・11 山形県米沢市に生まれる。ながく「早稲田文学」に関わり自然主義の論陣から理想主義的に推移、婦人問題や民衆藝術論や明治文学研究や唯美主義研究、さらに演劇・美術へと縦横に活躍し、季刊研究誌「明治大正文学研究」を発刊。早大名誉教授となってのちも旺盛に活動した。

掲載作は1918(大正7)年5月、早大講師・「早稲田文学」主幹となった年に「文章世界」に初出。筆者の批評家的スタンスを的確に示して明快な論説である。

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