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連詩 風化

目 次

 更 地

隣家が壊されて数日後

何もない土地はただ平たく

そっけない土地になっている

これを更地と言う

更地とは

手の入れてない空き地

家のない宅地

と辞書は言うが

要するにリセットされた土地

歴史の消された土地のこと

辞書の定義の前に

そこに住んでいた人の

人生があったはず

刈入れのすんだ麦畑が

切り株を残しているように

更地には

そこにいた人の生活が

残っているはずなのだが

辞書はただ

家のない宅地

としか言わない

家はあったのだ

確かに家庭があったのだが

更地にはその温もりも残っていない

家と家との間に出現した

不気味な空間

それが更地

 更 地 (2)

隣の家が

とりこわされて

ぽっかり開いた

家の間から

青空が

のんびりと

顔を出す

今まで在った家の

なごりも跡も

きえうせて

更地はただの空間

これこそ色即是空

ということ

なのでしょうか

 剥離する記憶

ある日はらりと

記憶が剥離した

それはとても

静かな動きだった

おそらく誰も

気づかなかっただろう

剥離した痕は

清々しくて

新しい世界が

開けたようだった

もろもろの

つまらぬ記憶が

奇麗に消えて

まるで大きな耳垢が

ポロリと取れた

そんな具合だった

海馬が驚いて

跳ねたが

後の祭りだった

でも

何故今頃

剥離したのか

不思議なことだった

あなたにこれが

判りますか

 風化するとき

風が吹いてきた

今こそ風化のとき

全てを消し去り

跡形も残さず

消えてゆこう

身も心も軽く

鼻歌を歌い

口笛を吹こう

なんという身軽さだ

なんという開放感だ

ねばねばした

連帯など

糞食らえ

歴史に学ぶだと

風化した歴史に

どうやって学ぶのだ

俺の目も耳も

鼻も口も手も

俺の生きた時間と共に

次第に消えてゆく

そして何も無くなった時

生まれるのは

平穏

 風 化

瀬戸内海の

爽やかな風が

丸みを帯びた

ざらざらの肌を

包むように流れてゆく

その風で貴方は

風化したのですね

あなた方の

風化した頭の中には

一体どのような想い出が

詰っているのでしょうか

青春のときめき

野望の衝突

権謀術数

裏切りや

同盟や

炎上する城

勝鬨の叫び

幸せなひと時

美しい夕日

煌めく波

そんな想い出も

風化するのでしょうか

貴方と向き合っていると

風化することが

さほど恐ろしく

なくなってきます

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2008/05/27

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薬師川 虹一

ヤクシガワ コウイチ
やくしがわ こういち 1929年 京都市生まれ。主な著作は、詩集『疲れた犬のいる風景』、研究書『イギリス・ロマン派の研究』など。

掲載作は写真詩集『石仏に語る』の一部を抜粋して、電子文藝館用に、連詩として独立させたもの。

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