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さえずり

  風の色

 

秋に色づくのは

野山の木々や草の葉だけではない

風も

そのおりおりの色を見せて渡っていく

 

自分の存在を知らせようと

風は

季節を透かす色となり

真っ赤な紅葉をそよがせながら

時を経て

新雪をも運ぶだろう

 

りんどうの人想う色をゆるがせて

乾いた心に

哀しみを移す風も

秋の色となる

 

それでも さらに

私は探しにいく

—ここにいるのです

 あなたと会話をしたい—

と私に告げようとする

偽らない秋の風を

 

  鳴り止まない音

 

祭り囃子がかすかに聞こえる夜は

渚の風が

あなたを運んでくる

 

太鼓の音はあなたの鼓動となり

笛の音はあなたの律動となり

群集のざわめきを縫って

姿のない

あなたの言葉が飛んでくる

 

あなたの声も

あなたの歌も

忘れられたものたちのためにこそ

消えずに残る風紋を

昏い波間に浮かび上がらせる

 

高鳴る音楽の舞踏となり

透明な詩の息吹きとなり

あなたそのものとなる

あなたの命

 

煌いた季節が遠のいても

なお鳴りやまない

祭り囃子と群衆の声

 

  チェロを弾く老人

 

白い口髭を生やした老人が

眼を閉じたまま

ぎこちない動きでチェロを弾く

 

祖国の歌を奏で

何を訴えようとするのか

古いロシアの人形よ

 

悲愁に満ちた低い旋律が

絶句するように途切れる度に

私は蒼褪めてその傍にひざまずく

 

あなたの思いを引き継いで

私にも何かを語れというのか

 

この世に生を受け

はじめて見た風景は

あなたのそれとは違っていた

時を隔てた哀しみの

その重さも深さも違うだろう

 

それでも私に語れるものがあるとしたら

今はただ時が過ぎゆくことの

穏やかな優しさと祈りしかない

どの時代においても

どの国においても変わらない

ただ時が過ぎゆくだけの

 

遠い異国の人形よ 教えて欲しい

ほかに私に語れることがあるのか

私にももっと語れるものがあるのか

 

白い口髭を生やした老人が

眼を閉じたまま

いっそう弦を震わせてチェロを弾く

 

  月の燭台

 

飛べるはずのない夜空を

一羽の鳥が飛んでいる

 

晧晧と照る満月に

雪を抱いた山や村が

音もなく煌いて

星々は巡りの祭りを始めている

 

群れからはぐれた鳥

本能のままにひたすら高みを目指し

方向を違えて空を飛ぶ

 

真昼をことごとく引き連れて

仲間は去り

野に落ちた椎の実の固さにも拒まれた

その鳥は

飢えて意識の暗がりに

手探りしながら飛び立ったのか

 

月明かりを全身に受け

無限に横たわるものの虚しさを遠景に

啄ばむことのできない星の果実に向かって

飛び続ける一羽の鳥

 

やがて星そのもののように

天空に姿を消そうとしている

盲いた鳥よ

月の光は聖なる燭台となって

いつまでも

おまえの後ろを照らし続けるだろう

 

  秋

    —─海の水滴だったという記憶を持つ少女へ─—

 

夏の海に別れて

たった一粒の水滴が

水面から飛び出たとき

 

水平線を越えたその上が

もう秋の空でした

 

うろこ雲もすじ雲も

訪れたばかりの

秋の風に乗って流れています

きっと 水滴は

あの雲のやわらかさに溶け込んで

さらにあたらしい秋を呼んだのです

 

だから

早い朝には

ほら

虹色の水滴が一粒光って

空から

落ちてきそうなのです

そして

小さく何かをささやいているのです

記憶のはじまりのことばを

あなたが海を漂っていた頃の

その瑞々しいことばを

 

  私の手

 

私の手は

宙に伸び

どこまでも

どこまでも伸び

指の先端に触れるものを

掴もうとする

 

ささやかな家族の

明るい夏の日の団欒であったり

夢に見た愛の物語の

好奇心に充ちた始めの言葉や

風に乗るもみじ葉の

生れ変ろうとする深紅の舞

 

あるいは北国の

重い雪を押しのける蕗のとう

その芽から這い出る

黄金の春の虫

 

何もかもが私から離れて

仰ぐ空にあり

 

過ぎ去ったものの

その幻影の先に

それらを超えて

新しく触れるものをと希い

さらにさらにと

手を伸ばし

伸ばし続けて

 

はじめから存在するものに

辿りつくまで

 

  宇宙の絵

 

芥子粒ほどの地球は

何の主張もしていない

あの太陽でさえ 黄金には輝かず

片隅に小さく光り

 

それぞれの均衡を保ち

それぞれの自由を保ち

大きさの異なる無数の惑星が

漂うように動いている

 

太古からどの命の始まりもこのように

胎内で ゆったりと

揺らいでいたのではなかったか

他の何ものからも束縛されることなく

嘆かず 悲しまず 憎しみをもたず

 

じっと眺めている私の体が

すこしずつ同じ動きをする

命のそのものの動きをする

あらゆるものの素にもどったように

 

ああ なんという安らぎのある動きだろう

そうして戻っていくのだ 私の心も

重力から解き放たれて

だれのものでもなく広がる宇宙に

 

  雪の上

 

雪の上の私の散策に

もう雪靴はいらない

寒さを凌ぐ手袋もいらない

 

雪の上の私の散策は

いつか夢見た小人と大人の

ふたつの視線の出会うところ

冬の画のバルケンホフ

 

荒れ野のはずれで

ひとりの兵士が馬に乗り

不屈の剣を天にかざしている

 

その地から始まる道は

埋もれる大地を掘り起こし

灰色の空を突き破り

遥かなものを目指すだろう

 

雪はそのとき

下から吹き上げて

地上で起きた何もかもを

その中に融かし込み

地球の陰鬱さえもうち砕いて

高く 高く上昇し

いつしか氷の流星となり

宇宙に散らばっていくだろう

 

雪の上の私の散策は

まだ見ることのない

銀の光を浴びて

天に繋がる祈りと贖罪の道

 

  手向けの花

 

誰にも看取られず

とつぜん逝ってしまった人よ

私があなたに手向ける花は

紫のりんどう一本しかない

 

尽きることのない

慟哭と祈りの中に

生まれ出てきた花だとしても

あまりに寂しい花である

だから通夜を抜け出して

にぎやかな街を

ひとりで歩き出したくなったのだ

 

輝きはじめたネオンの下に

人はあふれ

明るく照らし出されたどの店でも

酒宴が始まっている

私の座っていい席は

どこかにないだろうか

私の受けてもいい杯は

 

酔ってひとときの

はなやぎが許されるなら

たった一杯の酒でも飲みほして

そうしてまた

通夜の席に戻ろう

 

私は充分に

ひとりだけの通夜を済ませたと

穏やかに死者に語り

それを 手向けとしよう

 

心にはやはり

りんどうの一本しか

映ってはいないとしても

 

  電車が来るまで

 

人を寡黙に立たせる

深夜の駅のホーム

立てたコートの襟は

それぞれの国境のようだ

 

とつぜん胸から深紅のハンカチを取り出して

振り出す人がいる

高く揚げたり低く波打たせたり

激しく振り回したり

 

華麗な色彩の舞踏とともに

音のない音楽が流れ

だれの心も

やわらかな光に包まれる

 

そのとき

どこから振り落ちてきたのか

私の腕に乗った

黄金のヴァイオリン

絹のタクトの意のままに

思いっきり弦を弾く

 

言葉が輝いて私に

夢見させたときのように

私のものではあり得なかった

豊かな世界のコンチェルト

 

(何もかも動き始め・・・・・・)

冷たかったはずの夜の地平が回り

人々が夢中で踊り出す

瞬時を惜しんで狂ったように

 

絹のタクトはさらに激しく振られている

どの心にも同じ音楽が鳴り響いている

最終電車はまだやっては来ない

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2003/06/27

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布川 鴇

ヌノカワ トキ
ぬのかわ とき 1947年 宮城県仙台市に生まれる。

掲載作は、2001(平成13)年書肆青樹社刊の詩集『さえずり』より作者自選。

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