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光の帯のなかに

       

 

 眠りの底で何かの気配を感じた。

「おーい、帰ったぜ!」

 明るく弾んだ声と同時にいきなり寝室のドアが開けられ、にこっと笑った守の顔が現れた。唐突に眠りを破られた私は声も出せず、それでも息子の全身を見て安堵する。

 まるでゼミ合宿からでも帰ったような気安さで帰国の報告をすると、守はドアを閉めた。続いて、ころがるように階段をかけ降りてゆく久しぶりの息子の足音。生命力にあふれた二十二歳の。

 こんな早朝にいきなり帰って来るなんて、もう……。まどろみの中でニヤッと苦笑をもらしながら、まぶたの裏にくっきりと焼きついた今しがたの守の全身をたぐりよせる。

 茶色の虎の顔を大きくプリントした黄色いTシャツ。ジーパンの両足をハサミで切った半ズボン。そこから頑丈な赤松の幹のように伸びている、日焼けした二本の足。今時の若者にしては濃いすね毛までも。

 いとおしさが込み上げ、幸せの笑みがこぼれそうだ。さあ、起きてごはんを食べさせなくては。と思った瞬間、なんとも嫌な予感のする疑惑につき当ってゆく……。

 どうして? どうして守はあんな格好をしているの? あれは一昨年タイ旅行から帰ってきたときの服装じゃないの。今度は就職先の内定ももらって、学生時代最後の一人旅に出たのよ。十一月に日本を発ち、三カ月かけてインドから中東、トルコと回り、モスクワ経由で帰ってくるのよ。黒いジーンズにグリーンのダウンジャケットを着て行った守が、半ズボンなんかはいているわけはない……。

 私の疑惑に答える何かの、不安な足音が近づいてくる。

 だめ、だめだめ。そのまま眠っているの。起きてはだめよ! 誰かが私に向かって叫んでいる。薄れてくる意識の靄の中で、でも私は夢だとは信じない。あんなにはっきりとした守の姿を確かに見たのだから。

 恐る恐るまぶたを開き、私は現実を確かめようとする。

 開けられた気配などない、静然としたドア。隣でぐっすりと寝ている夫。いや、彼は気付かなかったのでは……。窓の外の、まだかすかに夜の色を残している早朝の空を見ながら、私は階下の気配を感じようと耳を澄ます。

 さーっと血の気が引いてゆく感じで、僅かな期待が消えてゆく。その合間から、冷え冷えと乾燥したパキスタンの岩山の群れが現れる。守が命を落とした荒涼とした砂漠の国。灰色の重苦しい冬空。暗く貧しい村落。そこで見た老人たちのしわ深い顔。水牛と山羊の群れ──。

 私はため息と共にまぶたの幕をおろす。閉じた目の裏に、プリントされたように鮮やかな今しがたの守の姿が再現される。 

 女の子にジョン・ローンに似ていると言われた、と得意だった顔も。虎のTシャツも。半ズボンの縁からたれ下がっている、太い木綿の糸までもがはっきりと見える。守が姿を現した瞬間、無意識のうちに私の本能がシャッターを押したからに違いない。と思うと、水が逆流するように嗚咽(おえつ)が込み上げてきた。

 あわてて引き上げた毛布の下で奥歯を噛みしめ、夫に気付かれないように声をころす。静かに寝返りをうち、背中を丸めて涙をぬぐう。夫に心配をかけたくないというより、困惑といらだちが透けて見える彼の陰鬱な顔を見たくないのである。義理の息子を旅先の異郷の地で事故死させてしまった悲しみは、夫の中にもあることは知っているのだけれど……。

 十九年前、私は四歳の守を連れて今の夫の岡村雄一郎と再婚した。その二年前に銀行員だった守の父親を亡くしていた私は、当時R大の独文学の助教授だった岡村に強く望まれて一緒になったのである。

 岡村は独断的な一面はあるけれど、守を可愛がってくれた。というより邪魔にするようなことはなかったので、私達は自然に普通の家族になることができた。以来特に問題もなく三人家族は平穏に続いてきた。夫には感謝している。

 ただ息子を失ってみて初めて、私は夫に対する慢性的な不満を守が解消してくれていたことに気付いたのだった。それなのに、守が義父の不満を私にぶつけるようなことはほとんどなかった。明るくやさしい子供だった。

 しかし二十二年間、守は本当に幸せだったろうか。もしかしたら疲れていたのではないだろうか。様々なバイトをして費用を作り、毎年海外への旅を続けた守は、一体何を捜し求めていたのだろう。

 気の合った仲のいい母子だと自負するあまり、私は彼の心の深いところを思いやっていなかったのではないだろうか……。半年ほど前から、私はそんなことばかりを考えるようになっていた。

 もう一度守に会いたい。そして、思いきり我がままを言いなさいと言ってやりたい。それが叶うなら私は死んでもかまわない。

 まるで好きな男のことをひたむきに思いつめる少女のように、最近の私は自分の肉体から心だけが浮遊するような感覚を覚えることがあった。

 進行中の電車のドアによりかかって雑誌を読んでいる学生を見ていると、私の心は車掌室へ漂って行き、スイッチを操作していきなりドアを開ける。ある時は、向こうの通りを走っているオートバイが突然暴走してきて、笑いながら立ち話をしている近所の主婦をはねとばす、などというふうに……。知人の慰めに涙を浮かべながら、一方で私はこんなことを想像していることがあったのだ。

 こだわりのない明るい性格だと思い込んでいた自分の、隠された面が掘り起こされてくるような気がする。他人の不幸を願うような。

 だからと言って何かが出来るわけもなく、結局はいつもの無気力にたどりつく。そしてまた、守との楽しい思い出の中へ逃げようとする。

──「今日さあ、ホモに狙われちゃったよ」

「え、どこで!」

「バイトで昨日から行っている現場のさ、下請けの現場監督がやけに親切なんだ。コーラを買ってくれたりしてさ」

「うん」

「昼休みや仕事の合間に、ちょっと仮眠する部屋があるんだ。なんせ四十キロのセメント袋を何十個とかつぐんだから」

「それで?」

「岡村、今日はきつかったろう。少し休もうか、と言うから、はい、ってついて行ったんだ。ニヤッと笑ったやつがいたんだけど、こっちはホモだなんて知らないからさあ」

「えー、みんなの前で誘うの?」

「新入りに手を出すのが趣味らしい」

「すごい。それでどんなことをされたの」

「最初はふつうに昼寝していたんだ──」

 ごろんと寝ている守のお尻をさわってくる手。振り向くと相手も寝ている。気のせいかと思って再び眠ると、また下腹部のあたりを何かか触る。まさか、と思いながら監督の顔を覗き見るが、彼は狸寝入りをしている。

 マンガを見るような話に大笑いしながら、二人でバーボンを飲んだあの夜は、彼が大学二年生の夏だった。

 長い受験時代から解放された後、天井を突き破るような勢いで大人になってゆく息子。活動的な守を見ているのは、ぐんぐん成長する子犬を見ているように興味深かった。

 彼が運んでくる若い風は爽快で楽しく、時には刺激的だった。今も「ジム・ビーン」というバーボンの名前を覚えているのは、それも息子によって教えられたという嬉しさを秘めているからだろうか。

 酔うほどにおしゃべりになる守と話す時、私は彼の成長の栄養になっているものを見つけ出す喜びにわくわくした。若い知識欲と体験が積み重なってゆく彼の頭の層は、やわらかく香ばしいパイを思わせた。

 時に男と女の話題に発展する時、私は守のような男と出会って恋をする幸せをふっと考えていたりもした。昔から年下の男というのは好みではなかったけれど、若いエネルギーで向かってくる男を愛する女の悦びが理解できるような気持になった。

 幸福な時は空想もバラ色をしていた。

 インドから来た最初の絵はがきの文面が流れてくる……。

──二十四日の夜中、無事ボンベイに着きました。ボンベイはイギリスの植民地時代の雰囲気が今なお強く残っていて、これがインドかと思うくらいヨーロッパの街並みに似ている。でも細い道に入り込めばコジキがうろうろしているし、街を歩けば「ドル・チエンジ? ハシーシー?」と声をかけられ、やっぱりインドに来たという実感がある。

 今日は美術館へ行ってきて、この絵はがきのような絵をたくさん見てきた。インド・ムガール帝国の上流社会がテーマなのが多く、それは優雅でのんびりとしていて、うっとりとするようなものだった。次はアウランガバードという街へ行きます。

 蓮の花が咲く川辺で、カウベルをつけた子牛に水を飲ませている民族衣装のインド人。美しいサリー姿の裸足の女性。そんな細密画の絵はがきを見ながら、私は美術館の守を想像した。うっとりとした、という彼の気持を想い、あるいはハシーシーなんて買ったりしなければいいけれど、と考えながら。

 大学一年の終わリに、守は初めて海外への一人旅を経験した。モロッコから、スペイン、イタリアをまわり、エジプトに出るルートだったけれど、そこですっかり旅の面白さにとりつかれたらしい。

 以来彼は旅行費用を貯めるためアルバイトに精を出していたが、それでも大学の単位も落とさず、テニスサークルにも属し、軽い恋も辛い失恋も経験し、それを話す友人も持ち、私ともよく語り合うやさしい息子だった。姉と弟、あるいは友人のような理想的な母子関係だと、私はうぬぼれてもいた。

 しかし彼を失って初めて、私は自分の心の底でとぐろを巻いている原始的な母性に気付いたのである。赤ちゃんのように可愛く、恋人のように大好きで、宝物のように自慢で、実は母猫のようにべろべろと舐め、果ては食べてしまいたいほど愛していたことに。

 ふふ、ふふふ……、と私は笑う。最近身についてきた、意味のない渇いた笑い。

「……どうしたんだ」

 起きていたのか、夫が声をかけてくる。

「あ、ごめんなさい。だってね、守が今そこのドアを開けて、おーい帰ったぜ、なんて言うから」思わず言ってしまう。

「また夢を見たのか」

 夫の声が、うんざりとしているような気がした。すると私は開き直ったような気分になって、まるで面白いものでも見たような調子で言葉を続ける。

「ううん、あれは幻影だわ。刺青みたいに生々しくて、きれいだったもの」

「……」

 夫の身体がゆっくりと向きを変える。ベッドのきしむ音が彼の戸惑いと怯えを伝えているような気がして、私の心はひんやりと和む。そんな自分を見ているもう一人の無表情な自分。彼女はまた、最近老いが目立ってきたように思われる夫に、いたわりの気持ももっているのである。

「目が覚めちゃったから私は起きるわ。あなたはもう少し寝ていらしたら」

 かすかな後ろめたさが優しい声になる。

「ああ……」

 

 ガス台にヤカンと味噌汁用の鍋をのせる。

 守が子供の頃から好きだった、さやえんどうを洗っていると「おーい、帰ったぜ!」という先刻の守の声が聞こえた。頭の中からの声なのに、私は思わずうしろを振り返る。

 あの子は帰りたかったのだ。ここへ、この家へ帰りたかったのだ……。身体の奥から竜巻のように熱い震えが起こってくる。

 う、う、うっ……。流しにおおいかぶさって嘔吐するように、私は肩を震わせた。

 夫が起きてくる気配に姿勢を正す。

 洗面所からの日常の音が、私を落ち着かせてくれる。家族が一人減ると、冷蔵庫の中身もトイレットペーパーも長居をする。家の中も汚れなければ洗濯物も少ないし、テレビも電話もCDも、あらゆる音が激減する。だから守が旅行に出た後は、こうも楽なのかと嬉しくなったりもした。

 絵はがきを待つ日々、予定日がある生活は寂しくはない。生きた身体が凍ってゆくような寂しさは、待つことを断たれた時にやってくるのだ。

 パキスタンのカラコルム・ハイウエーを走る長距離バスの事故で守が死んだのは、今年の一月である。落石を受けたバスが三百メートル下を流れるインダス川に転落したのだ。

 あの地帯での落石事故はよくあることだ、と慰めとも達観ともつかない表情で言う現地人に、私も夫もどう怒りを伝えればいいのか分からなかった。事故処理は実にいい加減で、そのくせ手続きの繁雑さは大変だった。

 それでも当時は、悲嘆や憤懣を生み出すエネルギーによって支えられていたような気がする。でも守を引き取って日本に戻ってくる間に、私の黒髪は驚くほどの数の白髪に変わっていた。五十にはまだ三年もあるのに。そしてそれは、くすんだ茶色におおわれていた厳しい冬のパキスタンで見た、灰白色の糸杉と似ているような気がした。

 そそり立つ雪の岩山を背後に、真っ直に凛として群生していた灰色の幹たち。吹きつける小雪まじりの風をたちまち呑みこむ大地の深い静寂──。あれほど寂しく胸に染みてくる風景を、私はかつて見たことがない。そんな地の果てにも思えた異国で、若い生命を断たれた守。その時の彼の気持を思うと、私は今でも頭をかきむしって叫びそうになる。

 あの事故からもう八ヵ月が過ぎた。

 守の代わりに仏壇が加わっただけで、表面は以前と同じような日常である。

 私の住んでいる東京K市の東公民館に、週三日通うことも同じである。社会教育指導員である私は、公民館が独自に行う講座や文化教室などの企画をたて、実行してゆく仕事にたずさわっているのだ。

 仕事はきちんとやっているつもりだが、いま私がしたいことは何もない。恐いものもない。守とはいつでも話すことができる。

 それでも私は何かをしなければならない。お母さんがやりたいことをやるといいんだよ、と守も言ってくれるから……。

 

       

 

 秋のお彼岸に入った雨の日、丸山久美子さんから電話があった。明日お参りに伺ってもよろしいでしょうか、と。

 彼女は出版杜に勤めている、守の恋人だった女性である。そして彼女が四歳年上であることも、いつか守と飲んでいるとき聞きだしていたのだけれど、私は久美子さんに好意を抱いていた。

 彼女の影響を受けた守は、文学だけではなく宗教や思想や美術などにも関心を抱き、急速に読書の幅を広げていったからだった。

 岡村と再婚するまで中学の国語教師をしていた私にとって、例えば守と小説の話ができるようになったことは嬉しかった。私達は時に友人のように議論を楽しんだ。ある時はふっと男の匂いを放つ息子にドキッとし、あるいは「今夜は友達の家へ泊まるから」と慌ただしげに目をそむけて出て行く背中を、ニヤッと笑って見送った私。

 ただ今度の旅行に出る一カ月ほど前から守は落ち込んでおリ、それを私は彼の失恋のせいかもしれないと感じていた。彼女から電語は来なくなっているようだったし、いつの間にか休日の外泊もなくなっていた。

 二人の間に何があったのかは知らないが、守に大人の恋愛を教えてくれた久美子さんに、私は今でも親密な感情を抱いている。

 翌日は気持のいい秋晴れになった。

 洗濯物を干してから、ぬれ縁に腰をおろして庭を見渡す。何を考えるでもなくぼんやりと座っているのだが、最近はこの場所で一時を過ごすことが多くなったようだ。

 庭の一隅を占めるこんもりとしたつつじの植込みの中から、赤い実をつけたほおずきが二本つんと伸びている。十年ほど前につつじを植えてもらったとき、一緒にくっついてきたものらしい。そこから毎年律義に首を伸ばし、夏が終わっても赤い実をぶら下げているほおずき。つつじの家の門灯のようなその姿は妙にひょうきんで、私はわざとそのままにして楽しんでいた。

 こじんまりとまとまった芝生のある庭で、変わりなく四季をくり返す植物。気ままにやってくる小鳥たち。庭の上に広がる澄んだ青空と白い雲。緑の空間にいつものように、ぼーっとスクリーンが現れる……。

 真っ赤なほおずきの実を、指先でもみほぐしている私。同じように私の真似をしている小学生の守。でも守のほおずきは、彼のふっくらとした手の中でつぶれてしまっている。

 小さな赤い風船を舌先にのせて、得意げに鳴らしている私。白分もやりたいと口を尖らせて催促している守。

 真夏の太陽の下、芝生の上でパンツ一枚になって身体を焼いている高校生の守。オイルぬってくんないかなあ、と言っている顔。いたずらな風みたいに過去を運んできて、私の身体をやさしく通過してゆく記憶の映像……。

 そこに竹竿売りのスピーカーの声が割り込んでくる。続いて隣家の犬が、ビブラートのかかった何とも哀しい声で鳴き出す。いつものことなのだけれど、何故スピーカーの声にだけあんな切ない吠え方をするんだろうと私は、夢から覚めたようにぼんやりと考える。犬にも大切な記億は残っているのだろうか……、と。

 おはぎをにぎろうかしら。

 久美子さんには、お昼に来て下さいと話してある。小豆は昨日のうちに煮てこしあんにしてあるから、すぐにできるわ。胸の中で独り言を言いながら、私は台所に戻った。

 炊き上がった餅米を少しつぶすようにして、玉子くらいのおにぎりにする。なめらかにつやの出たあんをまぶし、指先で軽く整える。

 白い大皿を、ぽてぽてと埋めてゆくおはぎ。無心に動く二本の手。湯気のようにあたたかく、不透明になってゆく頭の中。その中を煙のようにさまよう想い。一切を呑み込んだ沼のような身体の中から、昔死んだ祖母の声が聞こえてくる。

──人間に子猫を奪われると思ったんだろう。その母猫はね、生んだばかりの自分の子供を食べてしまったんだよ。お腹の中に入れた子猫は、誰にも取られないからさねえ──。

 私は手の中のおはぎをちぎって口の中に入れる。昔と同じ甘さが口中に広がる。ずるいよー。幼い守の声がした。

 ふふ、ふふふ……と笑いながら、私は再びおはぎをにぎってゆく。

──ママ、ボクね、よっつも食べたんだよ。明日食べるからさ、残しておいて。おはぎはやっぱ、うちのがおいしいんだよなあ──。

 時間の壁がゆらっと崩れ、世代ごとの守が雀のように喋り出す……。

 出来上がったおはぎを仏壇に供え、白檀のお線香をつけた。

〈久美子さんが来てくれるなんて、嬉しいわね。でも守には結婚の報告をするつもりかもよ。お母さん何となくそんな気がするな〉

 合わせていた手をおろして、守の写真に語りかける。彼の失恋の理由は、年上の彼女の結婚問題と関係があるのではないか、と考えていたからである。

 当時めずらしくイライラとしていた息子を可哀想に思いながらも、胸の中で、それでいいのよ、と言っていた私。

 彼には恋も失恋も必要であり、彼女のような女性こそ若い息子にはふさわしい相手だ、と思っていた母親のエゴ。その母は息子が長い旅の中で失恋をいやし、さらに逞しくなることを願っていた。が、予測しない事態になってみると、今度は彼女の行為を恨めしく思うこともあったのだ。

 仏壇の中の守の写真は、いいじゃないか、と言うように大らかで、今日はとても大人びて見える。

 

「守さんのこと、まだ信じられないのです」

 仏壇の前を離れた久美子さんが言った。

 ほっそりとした身体に似合った澄んだ声。紺のスーツからのぞく白い花柄のブラウスが清楚で若々しく、涙でにじんだ理知的な目が美しい。でも短く切り込んだ爪と、えらの張った顔のラインが彼女の性格の一端をのぞかせているような気もした。

「有難うございます」

 言いながら私の胸は熱くなる。

 今までの誰の涙より彼女の涙が嬉しく、今でも彼女が守を愛してくれているような気がした。そう思いたかった。

「久美子さんのような方に出会えて、守は幸せでした」

「それは……。でも楽しい思い出はたくさんあります。インドからも手紙を書いてくれましたし」

「そうですか。守は手紙を出していたのですか……」

 私はホッとしながらも、何を書いたのだろうと気になった。断ち切れない未練をめんめんと連ねた手紙とは思えないし、思いたくもない。守は話し合いによって自分を納得させるタイプだから、そんなことはないと思うけれど。ただ長い旅の間には、どうしようもなく孤独な夜もあっただろう。

 うつむいている久美子さんを見ながら、年上の女性が自分から別れるとき、相手を傷付けるような言い方はしないだろう、と私は考えている。

「プーナという町から手紙は行きましたか」

 エログラムで一通だけきた、プーナからの手紙を思い出しながら私は聞いた。

「いいえ、ベナレスからでした。でも彼はインドで出会った一人の日本人男性に付いて、プーナヘ行ってみる気になったようですね」

「毎日そこで瞑想をしている、と書いてあったのですけれど。じゃあ、その方の影響なのかしら。どこか東洋的というか、とても精神的な手紙がきましたのよ」

 私は守の手紙を想い浮かべながら言った。

「ええ。その男性の、さっぱりと澄みきった目に引きつけられた。彼はとても寡黙で、勧めることも説明さえも一切しなかった。だから逆にプーナという、ガイドブックにものっていない町へ行ってみる気になった、と私への手紙には書いてありました」

 ゆっくりと思い起こすように話してくれる彼女の言葉を、私はむさぼるように聴く。

「そうだったのですか……。そんな方に出会ったとは…、知りませんでした」

「プーナには瞑想道場みたいなところがあって、その人は日本から時々そこへ出かけて行っているらしいのですね」

「あの子、その場所がとても気に入っていたのですね」

「ええ。いつか私も行ってみたいと思っています」

 久美子さんの目がふっと和らぎ、きりっとした顔が幼く見えた。彼女への親しみが溢れ、その想いが新たな悲しみを誘って私の胸をいっぱいにする。

「今はインドもパキスタンも、文字を見るのさえ嫌ですけれど……、でもいつかは私も行きたくなるかしら」

 思わず言った私に、戸惑うような彼女の視線が注がれる。

 反射的にほほえみながら、私は脳裏を流れてくる守のとった旅の写真を見ている。パキスタンとは対照的に活気のある、猥雑なインドの情景。あの中にプーナで写したものもあるのだろうか。

──自分が何故旅を続けているのか、旅をして何を捜そうとしているのか、が分かるような気がしてプーナヘやってきたのです。

──東洋哲学の栄えた日本に生まれながら、現代の西洋的合理主義のなかで教育されてゆくうち、物事、現象、自然といったものを、「身体で感じる」ということを自分は忘れていたように思える。

──よくは分からないままに「瞑想」をやっているのだけれど、鳥のさえずりや川の流れる音、太陽のあたたかさなどが自分と融合するように感じられ、とにかく頭がすっきりします。知性というものは意識の領域で、感性というものは無意識の領域に出るのだろう。だからその感性というものは、言葉では書けません。だけど感性を鋭くして、知性とのバランスをとりたいと思っています。

 プーナからの手紙の文面が、小川の流れのように私の頭の中を流れてゆく。

「私、いま守さんに謝ったのです」

 久美子さんの澄んだ声が、一瞬浮遊していた私の心を引き戻してくれた。

「え、なぜ?」

「出発する少し前に、これで終わりにしたいと言いました」

「……理由をうかがってもいいかしら」

「それは……」

「あ、ごめんなさい。それは、そうよね」

 私は穏やかな微笑を浮かべながら言う。

「喧嘩をしたわけではないのです」

「ありがとう久美子さん。だからあの子も手紙を書いたのでしょうね。それをうかがっただけでも、救われる思いがします」

「西洋人と東洋人は何かが違う。それを見つけたいからアジアからヨーロッバヘ陸路で行くんだ、って。守さん、とてもいい旅を続けていたようですのに……」

 何故か、いらだちの風のようなものが私の心を横切った。懐かしい故人の思い出を語っているというような彼女のニュアンスに、抵抗を感じたからかもしれない。でもすぐに私は自分の心をなだめる。彼女にとっては全てが済んだことなのよ、と。

「久美子さん、結婚なさるの?」

「いいえ」

 意外そうに言う彼女の目を、私も意外な思いで見つめた。今まで私は勝手に、久美子さんは結婚するものと思い込んでいたような気がしたからである。それを当然なことと納得してもいたからだった。

「じゃあ、新しい恋人ができたのかしら」

 考える間もなく、私は笑顔で失礼な言い方をしていた。皮肉な響きがあったかもしれない。

「いえ……。でもそんなこと、お話しするつもりはありません」

 きっぱりと言う彼女の目には、私を拒否するようなものが浮かんでいる。

「ごめんなさい。ただ……、いいえ、いいの」

 私はあわてて口を閉ざす。感情的になって、つい馬鹿な言葉を吐き出すところだった。いや、そんなことを言えはしないことは分かっているのだけれど。

 あなたの方から近づいておきながら、若い守の心を傷つけたのはあなたの罪よ──。私は胸の中で、精一杯の嫌味を言う。

 二年生の終わりの春休みに行ったタイで、守はやはり休暇を取って旅行をしていた久美子さんと初めて出会ったのである。

 同じ宿で一日だけ一緒になったらしいが、帰国後積極的に近づいてきたのは彼女の方だったようだ。そしてその頃守には年下のガールフレンドがいたのだが、たちまち久美子さんにひかれていったらしい。知的な年上の女性には、今までのガールフレンドとは違う魅力があったのだろう。でもそのことを、私も内心喜んでいたのだったが……。

「私も学生時代はよく一人旅をしたんです、ですから守さんと旅の話をするのは、とても楽しかったのです」

 ネジをまかれた人形が突然しゃべり出すように、久美子さんが言った。視線は遠い守を見ているように思われた。すると私の心も静まり、再び彼女への親しみが生まれてくるのだった。

「久美子さんからはとてもいい影響を受けていたようで、私も喜んでいましたのよ」

 彼女はちょっと寂しそうに見える目で苦笑した。でも肩の力がぬけたように、急に表情が和らいでくる。

「一緒にいて二人で育てるのが愛だ、って守さんは言いました。私も二十歳のとき、ある男の人に同じようなことを言った覚えがあるのです。でも結果的に、私は白分の言葉を自分で裏切りました」

 胸の動悸が高まり、息苦しくなってくる。

「守は……、結婚したいとでも言ったのですか」

 私の質問には答えず、彼女は遠くを見るような微笑を浮かべて言った。

「いつだったか彼は、私が強すぎてかわいそうだと言いました。本当は淋しがり屋のくせに、って。確かに私は淋しがりなのですけれど、それでいて孤独が好きみたいなところがあって。人を深く受け入れるのが苦手というか、要するに我がままなんです。あ、すみません。ついよけいなことを……」

「いいえ」

 私は彼女の言葉からもっと何かを捜そうとし、そしてやめた。私に対する久美子さんの思いやりを感じたから。かすかな後ろめたさを覚えたから。そして守のためにも、これ以上たち入ってはいけないと思ったからである。

 二人の間には愛し合った過去が確かにあり、彼女は守の好きな白百合の花をもってお参りに来てくれたのだ。

 きっと守は喜んでいるだろう……。

「そろそろお昼にしましょうか。めずらしくもないけれど、おはぎを作ったのよ」

 私は明るい声で言った。

 

         

 

 地域住民五十人ほどの聴講者を前に、女子短大の教授が「人間の心の構造」というテーマで講義をしている。

 東公民館で毎年恒例になっている「秋の教養講座」のひとつで、企画の段階から私が関わってきた仕事だった。聴講者は中年の主婦や退職後の男性などだが、皆な熱心に耳を傾け筆記している。

「──西洋心理学のいう無意識と同じく、仏教の深層心理学ではそれをアーラヤ識というのですがね。皆さん輪廻という言葉を聞いたことがあるでしょう?」

 まだ若いのに、てらっと額の広い講師の話に私は引き込まれて行く。

「人間はなぜ、生老病死の苦しみを繰り返す輪廻を続けるのか。瞑想や修行の、どういう段階に到達したら解脱が実現するのか。つまり苦しみから解放され、脱出するということですが」

「輪廻」とか「解脱」とか「瞑想」という言葉が、私の胸を刺激する。

 かつて守の口から「瞑想」などという言葉は出たことがなかったのに、彼は心の底で何を考えていたのだろう……。

 プーナからのあの手紙は、いつもの絵はがきとは違って生真面目で、すがすがしい内容だった。でもそれは場所の環境や旅の感傷的なものだと思っていたのだが、もしかしたら守は私が考えている以上に、例えば父親とのことで悩んでいたのだろうか……。それとも自分の運命を予知する何かによって、瞑想の場に導かれたのだろうか……。

 土の中で小さな虫たちが目覚めるように、私の心をかすかな不安がうごめく。

 守が旅に出るとき背中にしょって行った登山用の大きなリュック。あの中から出てきた遺品の中に、ガイドブックの他二、三冊の文庫本が入っていた。インドについて書かれたものも、たしか入っていたと思う。

 それらを整理するのは辛すぎて、まだそのまま彼の部屋にしまってある。でも今度読んでみようかしら、と私は考える。

 出発前荷物でふくらんだ青いリュックを背負って、これは重い。うん、もう少し減らすべきだ、などと言いながら結局は衣類を最小限度にするしかなく、量後には下着も四、五枚、ジーパンも一枚にした守。

 これでも十キロ以上あるんだよ、と言いながら家の中を歩いてみせた守。

 以前行ったネパールでは食事が最悪で、野菜はほとんど食ベられなかったからと、胃腸薬、抗生物質、風邪薬の他ビタミン剤まで入れて。そのほか粉せっけんやシャンプーなどの日用品や、コンタクトレンズの洗浄液。ウォークマンにカメラとフィルム。そんなものばかりが無傷で帰宅して私は腹立たしさのあまりそれらを叩きつけ、捨ててしまおうとしたのだけれど……、出来なかった。これも、これも、これも、みんな守と共に旅をし、彼がさわった品物だと思うと捨てることなどできず、結局はリュックに戻して押し入れにしまったままなのである。

 出発の前日、新品のリュックの中に、きりきりと小さく巻いて入れてあった緑色のダウンジャケット。守が寝た後、私はその中にこっそりと手紙を忍ばせた。支度を手伝っていたとき、急に思いついた悪戯心だったけれど、私はその思いつきにすっかり嬉しくなった。こちらからは連絡することもできない気ままで孤独な一人旅の、思いがけないプレゼントになるだろう、と。

──先日寒くて夜中に目が覚めて、ダウンジャケットを出しました。そしてお母さんのあの手紙を発見しました。AM三時頃。思わずホームシックになるところだったよ。あのメッセージを心にとめて、これからも旅を続けて行く──。

 旅の途中の粗末な安宿で、思いがけない母の手紙を発見したときの守の驚きと悦び。その感激は、落日のガンジス川の絵はがきと共に私の元へ届けられた。

 ラブレターのように心をときめかせ、読むたびごとに笑い泣きをしながら、その甘い涙の陶酔にひたったあの頃。間もなく奈落につき落とされることも知らず、母親の最後の幸せをかみしめていた私……。

 元気に旅を続けていますか。おなかの調子はどう? で始まる私の手紙の内容は、健康と危険に対する注意。色々なものを「複眼」で見て、学生時代最後の旅を楽しむように、といったものだった。

 あえて「複眼」などと書いたのは、近年の守が低開発国やその国の人々に親しんだり、自然や精神的なものにひかれていることを、多少の危倶をもって感じていたからだ。つまり西欧崇拝や権威主義の傾向が強い夫の本質に、守が批判的な目を向けていたことを知っていたからでもあった。

 室内をわかせる笑い声に、私はハッと身を正した。

 講師の話が「人間の心の構造」から発展して唯識という学問にふれ、さらに脱線して、「霊界」を描いた日本映画の話になっていたのである。

 魚のような顔で笑っている講師の顔を見たとたん、訳もなく憎しみの感情が込み上げてきた。館長と並んだ席で、私はさりげなく手元の資料や進行メモに目を落とす。

 平和な日常が予定通り流れて行くことに、それを疑いもしていない人々に、平然とその中にいる自分自身に、私は時々どうしようもなく苛立つのである。

 

 家へ帰ると夫がテレビを見ていた。めずらしくお笑い番組のようなものらしいが、私の帰宅を知るとスイッチを切った。

 彼はばかばかしい、といった態度でかたわらの本をとったが、最近同じような場面を何度か見たような気がした。そう、いつかはテレビに向かってぶつぶつと独り言を言っていた彼に、私はびくっとしたのだった。

 考えてみれば私より十歳年上の夫は、もうすぐ五十八歳になる。そして彼は四歳の守が大学四年生になるまで、父親として立派に育ててくれたのだ。そう思うと、張りの失せた夫の顔がいとおしくさえ感じられた。

「コーヒー入れて上げましょうか」

 夕食の支度にかからなければならないのに、私はやさしい言葉をかけた。

「そうだな。今日は講演があったのだろう」

「ええ、心理学の先生のね」

「どんな話をしたんだ」

「人間の心の構造、というタイトルなの」

「また古くさいテーマだな」

「家族関係とか母と子とか限定するより、話が広がっていいじゃない」

 準備段階から関わっている私は、自然に講師をかばっている。

「講演というものは、ポイントをしぼって話さなければインパクトが出ないものだ」

「でも仏教の深層心理なんかにも発展して、なかなか面白かったわよ。唯識なんて知らなかったわ」

「唯心論のようなものだろう」

 夫は口の端をわずかに歪め、ちらっと赤い舌先をのぞかせた。

「守はどうして瞑想なんかに興味をもったのかしら」

 私は夫の講義が始まる気配を慌てて制する。職業柄夫は、教えてやる、といった話し方が好きで、守と私はしばしば「お父さんの講義」がまた始まった、と目配せすることがあったのである。もっとも高校二、三年にもなると、守はさっさと自分の部屋に逃げて行ってしまったけれど……。

 夫は私の心をのぞいたように沈黙したが、私は言葉を続けた。

「四年生になる頃から、東洋的なものに関心を示すようにはなっていたのよね」

「……若いときは、いろいろなものに興味をもって熱中するものだ。それでいいんだよ」

 私は意外な思いで夫の横顔を見た。彼は守の今度の旅行ルートには反対し、欧米の先進国を回ることを勧めたいきさつがあったからだ。

 いつもバイトで旅行費用を作る守は、経済的にもアメリカやヨーロッパは無理だと言い、夫はめずらしく援助するとまで言った。機嫌よくスコッチを飲みながら、これからビジネスマンになる守は、一度アメリカを見るのも必要だと説得したのだ。守は少し片寄り過ぎるきらいがあって駄目なのだ、と。

 しかし守は、だからこそ今は異質な文化や民族に接したいのだと言い、父親の権威主義を暗に批判し、二人はめずらしく議論をしたという経過があったのである。

 あの時守に向けられた夫の顔には、彼がよくやる人を見下すような表情が見え隠れしていた。でも私は夫の肩をもった。習性的なものもあったが、彼が守の将来を思って言ってくれたことが嬉しかったからである。

 それなのにアメリカ行きを強く勧めなかったのは、結局は守の望むことをさせてやりたい、という私の本心だった。息子ではなく夫の意見に従っていたら……、とあの後私は何度悔やんだかしれない。

「ねえあなた、瞑想することによって人問の無意識の部分をつき抜けて、宇宙と一体化する体験を得られるって言うのだけれど、本当だと思う?」

 夫がこういう話は好きでないことを知っているのに、私はまだ今日の講演にこだわっている。

 プーナで瞑想を経験した守のこと。その時の彼の手紙が、心から離れないのである。そしてまた、守とならどんどん発展して行く話題であることを知っている、それ故のこだわりかもしれない。

「つまらないことに興味を持つな。だいたい君がもっとしっかりした母親なら—」

 夫は途中で言葉をのみ込んだ。

「しっかりした母親なら?」

 夫の不機嫌をどこかで見越して話していた自分の心を、さめた目で見る。守が亡くなって以来、夫に対する私の態度が微妙に強くなっているような気がした。

「……まあ、いい」

「……」

 夫は読んでもいない本に目を落とし、私はエプロンをつけて台所へ向かう。

 水道の水を流して洗い物をしながら、「しっかりした母親なら、守を旅に出さなかったのかしら」と胸のうちで言う。そして夫の心の中にある私への不満を思う。怒りでも悲しみでもなく、白く湿った苔のようなものが、胸の内側をおおってくる感じがする。

 じゃがいもの泥を洗い、皮をむく。

 そういえば守が幼稚園児だった頃、じゃがいも掘りがあった。ゴムの長靴をはいて親子で一列に並んで、黒い土の中からじゃがいもを掘り出したのだわ。ぞろぞろと出てくるおいもの家族ね、と守と話しながら。あれは私にとっても初めての経験で、すごく楽しかった。そう、守の分まで引き抜いて泣かれたのだったわ。

 過去へ行くタイム・マシーンが出来ないものかしら。ううん、そんなに遠い過去じゃなくていい。時間を一年、いいえ九カ月前に戻すだけでいいの。どうしても守に言いたいことがあるから。ええ、パキスタンなんかに行くなら、お母さんがあんたを殺して母猫みたいに食べてしまうわよ、って。

 ふふ、ふふふ……。

「なにか、手伝おうかな」

 いつの間にか背後に夫が立っていた。

 彼の手が私の腰に触れてくる。

「いいわ。お刺身は買ってあるし、すぐ出来るから向こうに行っていて」

 思わず邪険な言い方をしてしまう。

 守が亡くなって以来、私の性的なものは閉ざされてしまったままである。ところが夫のほうは変わりなく、それが私を萎縮させる。夫がうとましく思われる。

 乳児をかかえている母親が、女も妻も忘れ切っている状態に似ているのだろうか。夫は不機嫌な風を残して居間に戻った。

 十九年間愛されて、愛してきたとも思う。でも今私は自分の気持が分からない。もしかしたら私は彼を愛していたのではなく、守の父親になってくれた彼を愛していたのだろうか……。いや、そんなことはない。彼には心から感謝している。

「ねえ、ビールにする? それとも日本酒がいい?」

 気をとり直して声をかけたが、夫はテレビの音で聞こえないふりをしている。

 彼の不機嫌を直すことは慣れているけれど、急に全てが面倒に思われた。

 守がいたときは皮膚のように気にならなかった、そのための意識や行為。それが下着のように感じられ、次第に重ね着のように重く感じるようになってきている。今に鉛のコートみたいに感じるかもしれない。

 今夜も二人だけの食事が始まる。明日も明後日も、来月も来年も……。

 

          

 

 早朝に目覚めて早起きをしたので、そのまま家の外回りを掃くことにした。昨夜来の雨が上がって、しっとりと靄がかかっている空気の中に、木犀の甘い香りが漂っている。

 私は思わず深呼吸をしながら、今年もいつの間にか花をつけていた、向かいの家の金木犀を見上げた。と、風雨で落下した花が塀の下に、オレンジ色の砂粒のように積もっていることに気がついた。私は庭ぼうきを持ったまま、引き寄せられるように近づいて行った。

 雨に濡れた小粒の花は、よく見るとおびただしいほどの数である。早朝の靄のなかでひそやかに光っているそれらは、まるで星くずが降ったように見える。

 きれい……、私はしゃがみ込み、思わず両手ですくった。

 糸の切れたネックレスからはじけた宝石のような花は十字形で、まだ生きているように艶やかなオレンジ色をしている。両手の上に鼻先を近づけ、そっと目を閉じる。

 何かやわらかな影のようなものが、身体の中を通り過ぎたような気がした。何となく懐かしい感じのする、まるで「思い出」のように捕らえ所のないもの……。花の精だったのかもしれない。

 朝靄を突き破るように鳩が鳴き出す。

 犬の散歩をする人がやってくる。

 かすかに朝日の気配を感ずる。

 私は手の中の花を見る。そこにはすでに精がぬけた、花の死骸があるだけだった。

 でも早朝のわずかの時間帯に、その小さな隙間に、精霊が通るトンネルがあることを知ったと思った。そこをたどって行くと、守のいる場所へ出られるのかもしれない。

 手の中のものを元の場所に返し、両手を合わせて黙祷するように目を閉じた。精霊の残り香にも感じられる、金木犀の甘い匂いが私を包み込む。

 

「行ってらっしゃい」

 玄関先で夫を送り出す。

「今日は出版杜の連中と会うから、食事はいらない」

「ええ、独文研究のあれね」

「うむ。まったく雑用ばかりでかなわんよ」

 グレーのブレザーにこげ茶のズボンを合わせた姿で、夫は機嫌よく出て行く。けだるい午後の空気のかたまりが、開けたドアの向こうにうずくまっているような気がした。

 彼は今、〈ドイツ文学研究〉という学会誌の編集委員長をしている。自分の専門はフリードリヒ・シラーだが、最近は研究より編集の仕事に時間ばかりとられると常に文句を言っている。でも学部長の座を狙っている彼にとって、これも必要な役回りなのである。

 大学教授という職業は年中家にいるようなものだから、夫が出て行ってくれるといつも私はホッとしていた。なのに今日、生き生きとして出て行く夫の後ろ姿を、以前とは違う目で見送ったような気がした。

 彼は私と一緒にいるのが、うっとうしくなっているのではないだろうか。所詮は妻の連れ子である守の死を、今はむしろホッとしているのではないだろうか。そして彼はひそかな恋を……、などと。

 それでいて、そんな発想をしてしまう自分自身がたまらなく嫌だった。

 さあ、今日こそ守の遺品を虫干ししよう。過去ばかりを振り返るのは、もうやめなければ。そして夫に意地悪い目を向けることも、もうよそう。そんな私を、守だって喜ぶはずはないのだから。叱るように自分に言い聞かせ、二階の守の部屋に上がった。

 雨戸を閉めないでいる南向きの部屋は温室のように明るく、熱気がこもっている。

 窓を開け、空気を入れ替える。

 ベッドも机もステレオも、モロッコで買ってきた中世の狩猟風景を描いた壁掛けも、白いギターもそっくりそのままである。いま守がここに入って来たら、私は驚きもせずに言うだろう。あら、今日は早かったのね、と。そんな気がした。

 机に向かって腰掛け、九月のカレンダーを破る。毎月少なくとも一度は掃除のために入るとき、私はカレンダーと時計の動きを確かめることにしていた。

 カレンダーが去年の十一月のままであることに気が付き、胸がずきんと痛んだのは守が亡くなって二カ月ほどした時であった。以来月が変わるごとめくっているのは、彼の死を認めることへの無意識の抵抗かもしれない。

 机の引き出しを開けてみる。ごちゃごちゃと雑多なものが目に入ってくる。ライター、目薬、キイホルダー、絵はがきやエアメール、子豚の消しゴムなど。

 人の机勝手に開けんなよな、そんな守の声が聞こえてくるような気がして、いつも結局は手をつけることができないのである。そして今日も同じだった。

 ふーっと溜め息をついて引き出しを戻し、机の上の「必勝」と彫られた白い大理石の置き物を眺める。これは守の私立中学受験の前年、山口県の秋芳洞で私が買い求めたものだった。

 高三の頃ともなると、この種の品物はどこからともなく集まり、「突撃!」や「合格祈願」や「必勝!」の絵馬やうちわが部屋を賑わし、一時は天井にまで紙のお札が張ってあったものである。どうやって天井に張ったのかは、ついに聞きもらしてしまったけれど。

 大学生になると部屋の雰囲気も一変したが、何故か小さな大理石の「必勝」だけはいつまでも机の隅に置かれていた。

 ひんやりとしたそれを手に取り、エプロンでふいて元の場所に戻す。

 よく学び、働き、遊び、バイトを通して世間を知ってゆき、旅行から帰ってくるたびに逞しくなってきた息子。でも彼は意外なほど子供っぽい明るさを合わせ持っていた。

 写真立てに入れた守のスナップ写真が笑っている。私も笑い返す。

「さて、虫干しをするぞ」

 独り言を言いながら押入れを開け、青いリュックを引っ張り出す。が、またずきっと胸が痛み出す。やっぱりよそうか、と一瞬迷い、それでも本だけは出そうと思い直す。

 ベッドの上に次々と中身を取り出し、あちこちにたくさんついているポケットを開いてゆく。まだ泥がこびりついている個所もあって、やはり陽に当てたほうがよさそうだ。

 今日は感傷的になるのはやめよう、とことさら自分に言い聞かせる。

 確か三万二、三千円もしたと言っていたリュックは、さすがに軽くて頑丈で、しかも機能的である。思わぬところに仕切りがあったり、隠しポケットがついていたりする。背中に当る部分は板のように平らになっている。と、新たな隠し場所を背中の側面部分に見つけた。まるでマジック袋だ。

 その部分の目立たないファスナーを開けて手を入れてみると、何かが入っている。茶色の堅い表紙がついた小型ノートが出てきた。今初めて見つけたものである。

 怯えと畏れのようなもので身体がこわばってきて、ドキドキと心臓が鳴った。

 恐る恐るノートを開いてみる。濡れていたものが自然乾燥したような紙の上に、守のあの下手くそな筆跡が現れる。

 最初は友人の住所や旅先で必要らしいメモなど。続いて日記のように日付を入れて文章が書かれている。時々気分に応じてまとめ書きをしているらしい。

 何気ないふうにめくってゆく手とは裏腹に、私の心は熱く波立ってくる。それは再会にも似た感動であり、彼の心に立ち入ることへの畏れであった。

 

──パキスタンを北へ・十二月二十四日

 ラホールから七時間のバス旅でラーワルピンディーへ向かう。

 カルカッタから針路を西にとった今回の旅で、インドの香りが色濃く残っていたラホールを越えると、西へ来た、という強烈な印象を受ける。空気も土も家並みも、どんどん乾燥してゆくのを肌に感じる。

 一つの峠を越えたところで、その印象は確実のものとなった。風景が一変したのだ。今まで辛うじて乾燥と戦っていたわずかな緑が、全て姿を消していたのである。

 峠から見下ろす崖は、視野の果てまでごつごつとどこまでも続き、今にも砕けそうな岩は川に浸食され放題である。大地は必死に抵抗しようとしているが、川の浸食と乾燥の前にその抵抗も空しく、荒れ果てた姿をさらしている。大地はすでに草木一本生えさせる力をも失い、動物もその前では足踏みしてしまうだろう。

 まるで大地の輪廻の終わりに近づき、死を前にして最後の力をふり絞ろうとしているようだ。だが新しい生命を生み出す養分は枯れ果て、力も弱まり、ふと疲れを感じたとき、眠ってゆくように大地は死んでゆくのだろうか。その姿が砂漠なのかもしれない。──。

 文章はまだ続いているが、私はノートからゆっくりと目を離した。その目は守の目と重なって、異国の乾燥したあの土色の光景を映し出す。

 肉にしみ込むような寂しさが、ひたひたと全身に迫ってくる。守が何気なく使っている「死」という言葉が、私を圧倒する。私の心は肉体を離れ、冬のパキスタンに浮遊する。そして守の心とぴったりと重なってゆく……。

 

 十二月二十七日

 夜七時発のバスでラーワルピンディーを後にして、ギルギットを目指す。

 夕方から重苦しくたれ込めていた雲間からとうとう雨が降りだし、雨の中の出発となった。ヒーターのない旧式のバスの中には隙間風が入り込み、極限の寒さで夜明けが待ち遠しい。三時間ほどウトウトして辺りがぼーっと明るくなる頃、寒さは頂点に達した。雨は激しさを増していた。

 バスが停まった。夜通しの雨で道路に落石があり、これから除去作業をすると言う。乗客はバスの堅く狭いシートの中で震えながら延々と待たされるが、誰も文句も言わず身を縮めている。あたりは暗くかすみ、山々が不気味にバスを見下ろしているだけである。

 四時間後やっと落石が取り除かれて出発したが、道は悪くスピードは出ない。

 崖の下には緑色のインダス川が流れ、四方の山からの水が崖の頂上付近に集まり、何本もの激しい滝となって川に落ちてゆく。

 そのうちの何本かは直接カラコルム・ハイウエーへ殴りつけるように落ちてくる。七、八百メートル上方からの水の勢いは凄まじく、その下をバスが通るときは、今にも屋根に穴があくような音をたてる。しかも瞬間的に車体が谷の方に引っ張られる。

 四、五百メートルはありそうな谷底の方に引きずられる時は寒さも吹っ飛び、全身が筋肉の固まりになる。ぞぞっとする恐怖だ。

 そういった中をさらに数時問走ると、またもや落石で停車を余儀なくされる。全ての自然が僕の行く手をはばんでいるような気がして、無力感に襲われてくる。ぼんやりとした頭で日本や父母のことを思った。

 四時間が経過し再びバスが動き出す頃、あたりは薄暗くなっていた。諦めの気持と、神々しいまでの天地に圧倒されて自分の小ささを悟ったためなのか、気持は落着いていた。

 二十六時間をかけたバス旅で、ギルギットに着いたのは夜の九時過ぎ。周囲は真っ暗闇だった。──

 

          

 

 むさぼるように守の日記を読みながらふと気がつくと、私は声を出して泣いていた。泣いているというより、涙と鼻水と吠えるような声が混ぜ合わさってあふれ出し、時々吸い込んだ息と共にひーっと止まるのだった。

 小さなノートの小さな文字は、目に触れた瞬問たちまち守の音声に変わり、私に語りかけてくる。

 彼はラーワルピンディーからギルギットを経て中国国境に近いフンザまで行き、再び同じルートを戻る途中で落石事故に遭った。そして若い生命を落としたのである。私は夫と共に駆けつけたパキスタンで、カラコルム・ハイウエーも緑色のインダス川も見てきた。それにしても、こんな恐ろしい思いをあの子は……。

 ベッドの上でノートを手にしたまま座り込み、私はあえぐように口で呼吸していた。額も身体の表面も汗ばんでいるのに、身体中の筋肉が凍りついているように痛かった。

 私は老人のように身を縮めながら、この先を読むことをためらう。しかし右手の指はぺージをめくり、目は何かに追い立てられるように守の文字をたどってゆく。

 

──十二月二十八日

 小雨の降り続くギルギットを歩く。ひっそりと人影もまばらな村で、今日は外人旅行者は僕だけのようだ。

 寂しい街並みの背後に、四、五千メートル級の氷雪を張りつけた山々が、灰色の雲を従えてそびえている。細く真っ直に伸びている木々には一片の緑もなく、あたりは薄暗く静まり返っている。

 そんな中を歩いていると、世界から自分一人だけが取り残されたような孤独感がわき上がり、涙が出てきそうだった。しかし旅人の感傷にはおかまいなく、冷たい雨はしとしとと降り続き、山は沈黙したまま無表情に僕を見下ろしている。

 夕方宿に戻ると、宿主のカリーンおじさんが、温かいスープと深いしわを刻んだやさしい笑顔で僕を迎えてくれた。村の人も何人かやってきて皆なで談笑し、その家庭的な雰囲気が僕の心を暖めてくれた。

 放浪者のような一人旅をしていて一番嬉しいのは、人の心に触れるこういう時だ。

 

──十二月二十九日

 朝目を覚ますと、昨日の雨が雪に変わっていた。白一色になった村は、まるで音を失った世界のようにひっそりとしていて、哀しいまでに美しい。それを見下ろす山々が、僕にふと「神」を感じさせた。

 カリーンおじさんは「寒いだろう」と言って雪の中を出かけて行き、一時間ほどして旧式のスミで燃やすストーブを持って帰ってきた。それから屋根に煙突を取りつけたり、ひとさわぎして一時間もすると、すっかり部屋は暖かくなった。

 僕がお礼を言おうとするとおじさんはそれを手で止め、逆に「サンキュー」と言った。「もし君が来てくれなかったら、私は暖炉を仕入れなかっただろう。そうしたら自分は、どこか暖かいところへ避難しなければならなかった。こうして私の宿に火を入れられたのは君のおかげだ。だからありがとう」と言い目を細めた。僕は何も言えなくなった。

 その日はコックのアリさんと三人で、とりとめもなく話をした。カリーンおじさんの家族のいる家は別にあり、今はシーズンオフであまリ客はないらしい。もっとも大きなホテルは別らしいが。

「ここへくる日本人は白人とは違うか」と僕がたずねると、「日本人は無口だ。それは日本人は耳はふたつ、口はひとつということを知っているからだ。白人はよくしゃべる。人間は人の話を聞くことが大事だ」と、おじさんは語った。

 その夜、日本人ツァーのひとつのグループ、男ばかり八人ほどが宿の食堂に入ってきた。おじさんは僕に通訳を頼んだ。

 おいしい夕食をとりたい、という客の注文に対しておじさんは答えた。「スープなら出せるが、食事は材料が足りなくてフンザ料理はできない。ここではスープだけにして、近くの大きなホテルでメインデッシュを食べたらどうか。最高のフンザ料理を出すように私が手配しよう」と。

 ふたつの食堂でスープと料理を食べるのは変則的だが、おじさんはこの日本人ツァーをもてなしたいらしい。僕は嬉しく思った。

 スープを飲んだ後、彼等は満足して代金をたずねた。「これは歓迎のしるしだからお金はいらない」とおじさんは答え、中年の日本人グループは「そんなわけにはゆかない」と千ルピーほどを渡した。おじさんにすると、その破格な額に驚いたらしい。

 僕が間に立って押し問答をして、カリーンおじさんは結局半額を返したのだが、その間日本人の尊大で威圧的な態度に、僕は通訳をするのが耐えられなくなってきた。例えば、「やると言ってるんだ。黙ってもらっとけばいいんだよ、おやじさん」などと、どうして言えよう。それでも雨の中、五分ほど離れたホテルヘ僕も一緒に行くことになった。彼等が日本の学生である僕に興味をもって、是非一緒に食事をしようと言ったからである。

 食事の間、カリーンおじさんはホテルの片隅で静かに座って待っていた。

 食事が終わると彼等は、自分たちのホテルは暖かいから来ないか、と熱心に誘ってくれたけれど僕は断った。彼等はカリーンおじさんが手配したタクシーに乗って、ろくにお礼も言わず帰って行った。そして夜の雨の中に、僕たち二人だけが残された。

 大声で飲み、食い散らし、お金をばらまいていった日本人。出来るかぎりのもてなしをしたパキ人。僕の心には怒りというより、恥ずかしさと悲しみがわいてきた。

「一緒に行かないのか」とカリーンおじさんは言った。僕は「彼等とは住む世界が違うから、おじさんと一緒に帰るよ」と言うのが精一杯だった。おじさんは、「お金をもっているために、形のないものが見えなくなることがある。それは哀しいことだ」と言って子供のようにニッコと笑った。そして、「GO BACK TO OUR OWN PLACE」と言いながら僕の肩をたたいて歩き出した。何故かひどく感動した──。

 

 ノートから顔を上げた私は微笑みながら涙を流し、「よかったね、守。よかったわね」とぶつぶつと繰り返していた。

 ストーブに手をかざし、楽しそうに話している守とカリーンおじさんのしわ深い顔が目に浮かぶように思った。とその時、守の残した写真の中に(現像は日本でしたのだが)二人のパキスタン人と守が写っている写真があったことを思い出した。

 ハッとして立ち上がり、本箱に立ててあるアルバムを取り出す。

 カラフルなインドの写真と一変するパキスタンの写真──。いかにも冷たく乾燥した冬の情景が続く。浅黒い肌と大きな黒い目をした元気な子供たち。背中に茶色の麻袋を乗せて歩くロバの列。首と内臓をはねられた、羊らしい死体がぶら下がっている店先。その間から、大きな包丁を突き出してポーズをとっている若い肉屋の男。

 あ、あったわ。白髪まじりの五十代と思われる男性と、真っ白い歯を出して笑っている三十前後の男性。彼に肩を抱かれて笑っている、緑のダウンジャケットを着た守。三人で写っている、和やかなとてもいい写真だ。

 よく見ると隅のほうに、大きな銀色のやかんをのせた小さなストーブが見える。背後のポールのように見えるものは煙突らしい。三人は並んで椅子に座っている。これだわ。これがカリーンおじさんと、コックのアリさんに違いない……。

 膝まである長い上着とおそろいのズボン。丸い縁のある帽子。おそらく民族服なのだろう。その上にセーターを着て首巻きをしているカリーンおじさん。思索的なとてもいい目をした、静かな感じの男性である。

 じっとレンズを見ている彼の目が、私の目に語りかけてくるように思われるのは、私が彼の顔を見つめ過ぎているからだろうか。いや、本当に彼の目は深い思いを込めて私に語りかけてくる。それが感じられる。

 盛り上がってくる涙にさえぎられて、三人の顔がゆらっと揺れる。揺れて笑っている。

「有難うございます。有難うございます」ぶつぶつと口の中で、気がつくと私は老婆のようにつぶやいていた。

 アルバムを閉じ、ベッドに戻って再びノートを開いた。何故かこの時期、守は毎日のように克明な目記をつけている。インドで書いている時もあるのだが、それはあっさりとした記述である。

 いつも、どこへ旅行している時でも、国籍を問わず必ず一人旅をしている人々に出会う。ということは守から聞いていた。ある期間同じルートを一緒に旅し、友情が芽生えることもめずらしくなく、それが一人旅の楽しさでもある。と彼はよく言っていた。

 ギルギットからフンザヘの期間、たまたま連れがいなかったのだろうか。だから日記をつけてみる気になったのだろうか。そしてまた猥雑なインドより、厳しいパキスタンの自然の中こそが、思考し文章をまとめるのには適していたのかもしれない。

 それとも迫り来る死を予感する何かが守をせかせ、手記のような文章を書かせたのだろうか。私に遺すために……。

 守の日記は続いている。

 ギルギットに滞在中も、フンザヘ向かうときにも、カリーンおじさんが与えてくれたさりげない心遣い。それを守は感謝している。それらのエピソードも細かく記してある。

 風のように過ぎ去って行く旅人に、どうしてこれほど温かく接することができるのだろう、と守は思う。そして、彼の親切はいつも僕の目に届かないところでなされ、結果としていつも僕は心地よく過ごすことができた。本当の親切というものは、決して見返りを期待するものではないのだ──。と守は書いている。

 彼は何故旅に出かけたのか。そして旅をするごと逞しくやさしくなってきたわけが、私にもやっと理解できたように思った。

 だが、転落して行くバスの中で守は、どんなに悔しかっただろう。どんなにか怖かったろう。息子の大切な未来を奪った事故が許せない。どうしても諦めきれない……。

 そんな私の歯ぎしりするような思いが幾分和らいだのは、フンザでの守が最終日に書いた日記だった。そしてそれは、私が全く知らなかった守の深い精神の記録でもあった。

 

           

 

──一九九〇年・一月三日

 昼食後、アルティットヘ片道二時間の散歩に出かける。ここはカリマバットの裏山にあり、古城のあるひっそりとした村だ。

 真冬の寒い山の中、太陽だけが唯一僕の味方だ。昼間の太陽は高く上がり、密度の濃い温かく充実した光があたりを充たしている。

 頬に当るぴりっと冷たい風。やわらかで温かい太陽の光を受けて歩いていると、いつの間にか風の流れにのって身が軽くなったような感じがする。大自然に包み込まれているのをはっきりと感じ、まるで空を飛んでいる鳥のような気分になってくる。

 そうだ、プーナで瞑想をしたときも、この気持と同じような感覚を体験している。いつ頃からだろうか。高校生になった頃からかもしれない。僕は自分の心の中に、黒くもやもやとした影みたいなものがあることに気がついた。それは大学に入った後も消えることなく、逆に大きくなっていった。それが何であるか時々考えるのだが、分からなかった。ただそれが自分の本来のものではなく、他から侵入してきたものらしいとはぼんやり感じていた。

 それに向き合うきっかけを作ってくれたのは、タイ旅行のさいに出会った一人の旅行者だった。彼が僕の「黒い影」の正体を指摘したわけではないが、彼によって自分なりに整理するきっかけはつかめたように思う。

 僕を混乱させ不安にする「黒い影」とはつまり、自分自身が本来もっているものを圧迫してくる雑多な「価値観」なのではないか、と僕は考えるようになった。つまり母の、父の、杜会的な、道徳的な、日本人的な、物質的・精神的、その他もろもろの「価値観」という黒い影にじわじわと取り囲まれ、だんだん息苦しくなっている自分に気付いたのである。その「黒い影」の中心で自分の価値観を求め、もがいている自分に近づいて行ったのがプーナでの一週間だったような気がする。

 ただもがいている自分の、本当の声を聞きたいと思っている間は、何も聞こえなかった。何も考える必要はない。ただ静かにして、感じていればそれでいいのだ。とそれだけを言ってくれた一人の日本人の言葉に素直に従ってみた。

 瞑想を終え、そのまま大理石の床に寝ていると、その冷たさが肌に気持よく感じ、鳥のさえずりや川の流れる音、太陽の明るさなどが以前より身近に感じられ、とにかく頭がすっきりとした。

 考えることをやめ、そんなことを毎日繰り返しているうち、今まで自分の手でむしり取ろうとしていた「黒い影」が、ぼろぼろとはがれ落ちてゆく感じがするようになった。目を閉じて静かにしているだけで、ひとつずつとれてゆくのだ。そしてあるとき、最後に残っていたひとつが何かの声を発していることに気が付いた。僕はそれが自分の声だ、と思った。ところが近づいてその声を聞こうとすると、あったと思っていたものが実は何もなく、そこは竹の筒のような空洞なのだった。僕はただ、そこに流れている大気の流れを感じた。そして小川のせせらぎのような、音ともいえない何かを聞くと同時に、あ、これが自分の声だ! と思った。その瞬間自分がふっとかき消えて、自然と一体になった感じを味わったのである。例えようのない、至福とも思われる一瞬だった。

 そして今、このフンザの中で自然の大きな意志とその流れを感じ、その中に自分の肉体が溶け込んでゆくのを感じている。

 青く澄み切った空に大わしが一羽、黒い羽を広げて飛んでいる。高い山からの風に乗って、飛ぶというよりただ自然の流れに身をまかせているように見える。

 両手を上げて風と光を感じる。胸いっぱいに大気を吸い込む。自分の存在と、自然の存在の垣根が取り外される。ああ、気持がいい。最高に気持がいい。これは自分が生まれてくる前、そして死んだ後にくる世界なのだろうか。ああ、これはまさにエクスタシーだ!

 守の日記はここで終わっている。

 私はノートから顔を上げる。顔を上げて目を閉じる。そして守が得たエクスタシーを感じようとする。

 しかし薄闇の中で私は、光と風の中をふわりふわりと駆けている守の姿を見るばかりである。でもそこに息子の笑顔を見たとき、私は彼の至福の時を信じられると思った。

 どのくらいそうしていたのだろう。目をあけた私が見たものは、部屋を斜めに走るオレンジ色の光の帯だった。いつの間にか窓から西日がさしていたのである。

 ああ……、と声を漏らした瞬問、背後に守の気配を感じた。私は振り返らずに、両手を背中に回した。

 そのままベッドから降りる。そしてオレンジ色の光の帯の中に入って行く。

背中の守を感じながら再び目を閉じると、やわらかな光の帯が私たちを溶かしてゆくような感じがした。

〈あなたは今、きっと幸せなのね。黒い影から解放されて、鳥のように自由になって。そしてとても気持のいい場所にいる。お母さんはそう信じることにする……。それでいいでしよう?〉

 私はそっと目をあけ、机の上の息子の写真に語りかける。

〈そうだよ、それでいいんだよ〉守の笑顔は、私の希望通りの返事をしてくれる。

 西日を背にして部屋を出る。背中がほかほかとあたたかい。

 いつかきっと、カリーンおじさんに会いに行こう……。私はゆっくりと階段を降りた。 

       (了)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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舞坂 あき

マイサカ アキ
まいさか あき 作家 1941年 北海道札幌市に生まれる。1990(平成2)年度、女流新人賞。

掲載作は、1992(平成4)年1月20日刊「別冊婦人公論」に初出。

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