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學問のすゝめ 初編

   合本學問之勧序

 

 本編は余が読書の余暇随時に記す所にして、明治五年二月第一編を初として同九年十一月第十七編を以て終り、発兌(はつだ)の全数、今日に至るまで(およそ)七十萬冊にして、其中(そのうち)初編は二十萬冊に下らず。之に加るに前年は版権の法厳ならずして偽版の流行(さかん)なりしことなれば、其数も亦十数萬なる()し。仮に初編の眞偽版本を合して二十二萬冊とすれば、之を日本の人口三千五百萬に比例して、国民百六十名の中一名は必ず此書を読たる者なり。古來稀有の発兌にして、亦以て文学の急進の大勢を見るに足る可し。書中所記の論説は随時急須の為にする所もあり、又遠く見る所もありて、忽々筆を下だしたるものなれば、毎編意味の甚だ近淺なるあらん、又迂闊(うかつ)なるが如きもあらん。今これを合して一本と為し、一時合本を通読するときは、或は前後の論脈相通ぜざるに似たるものあるを覚ふ可しと(いへ)ども、少しく心を潜めて其文を外にし其意を玩味せば、論の主義に於ては決して違ふなきを発明す可きのみ。発兌後既に九年を経たり。先進の学者、(いやしく)も前の散本を見たるものは(もと)より此合本を読む可きに非ず。合本は唯今後の進歩の輩の為にするものなれば、(いさゝ)か本編の履歴及び其体裁の事を記すこと(かく)の如し。

  明治十三年七月三十日      福澤諭吉 

 

  目 次

 

第一編

  端書

第二編

  端書

  人は同等なる事

第三編

  国は同等なる事

  一身独立して一国独立する事

第四編

  学者の職分を論ず

  附録

第五編

  明治七年一月一日の詞

第六編

  国法の貴きを論ず

第七編

  国民の職分を論ず

第八編

  我心を以て他人の身を制す可らず

第九編

  学問の旨を二様に記して中津の旧友に贈る文

第十編

  前編の続、中津の旧友に贈る

第十一編

  名分を以て偽君子を生ずるの論

第十二編

  演説の法を(すゝむ)るの説

  人の品行は高尚ならざる(べか)らざるの論

第十三編

  怨望の人間に害あるを論ず

第十四編

  心事の棚卸(たなおろし)

  世話の字の義

第十五編

  事物を疑て取捨を断ずる事

第十六編

  手近く独立を守る事

  心事と働と相当す可きの論

第十七編

  人望論

 

學問のすゝめ初編

 

 天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。されば天より人を生ずるには、萬人は萬人皆同じ位にして、生れながら貴賤上下の差別なく、萬物の霊たる身と心との働を以て天地の間にあるよろづの物を()り、以て衣食住の用を達し、自由自在、互に人の妨をなさずして各安楽にこの世を渡らしめ給ふの趣意なり。されども今広く此人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人(げにん)もありて、其有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。其次第甚だ明なり。実語教に、人學ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由て出来(いできた)るものなり。又世の中にむづかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。其むづかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人と云ふ。(すべ)て心を用ひ心配する仕事はむづかしくして、手足を用る力役はやすし。故に医者、学者、政府の役人、又は大なる商売をする町人、夥多の奉公人を召使ふ大百姓などは、身分重くして貴き者と云ふべし。身分重くして貴ければ自から其家も(とん)で、下々の者より見れば及ぶべからざるやうなれども、其本(そのもと)を尋れば唯其人に学問の力あるとなきとに由て其相違も出来たるのみにて、天より定たる約束にあらず。諺に云く、天は富貴を人に(あた)へずしてこれを其人の働に(あたふ)る者なりと。されば前にも云へる通り、人は生れながらにして貴賎貧富の別なし。唯学問を(つとめ)て物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。

 学問とは、唯むづかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽み、詩を作るなど、世上に(じつ)のなき文学を云ふにあらず。これ等の文学も(おのづ)から人の心を悦ばしめ随分調法なるものなれども、古来世間の儒者和学者などの申すやうさまであがめ貴むべきものにあらず。古来漢学者に世帯持の上手なる者も少く、和歌をよくして商売に巧者なる町人も稀なり。これがため心ある町人百姓は、其子の学問に出精するを見て、やがて身代を持崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟其学問の実に遠くして日用の間に合はぬ証拠なり。されば今斯る実なき学問は先づ次にし、専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬へば、いろは四十七文字を習ひ、手紙の文言、帳合の仕方、算盤(そろばん)の稽古、天秤(てんびん)の取扱等を心得、尚又進で学ぶべき箇條は甚多し。地理学とは日本国中は勿論世界萬国の風土道案内なり。究理学とは天地萬物の性質を見て其働を知る学問なり。歴史とは年代記のくはしき者にて萬国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。脩身学とは身の行を脩め人に交り此世を渡るべき天然の道理を述たるものなり。是等の學問をするに、何れも西洋の翻訳書を取調べ、大抵の事は日本の仮名にて用を便じ、或は年少にして文才ある者へは横文字をも読ませ、一科一学も実事を押へ、其事に就き其物に從ひ、近く物事の道理を求て今日の用を達すべきなり。右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賎上下の区別なく皆悉くたしなむべき心得なれば、此心得ありて後に士農工商各其分を尽し銘々の家業を営み、身も独立し家も独立し天下国家も独立すべきなり。

 学問をするには分限を知る事肝要なり。人の天然生れ附は、繋がれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、唯自由自在とのみ唱へて分限を知らざれば我儘放盪に陥ること多し。即ち其分限とは、天の道理に基き人の情に從ひ、他人の妨を為さずして我一身の自由を達することなり。自由と我儘との(さかひ)は、他人の妨を為すと為さゞるとの間にあり。譬へば自分の金銀を費して為すことなれば、仮令(たと)ひ酒色に耽り放盪を尽すも自由自在なるべきに似たれども、決して然らず、一人の放盪は諸人の手本となり遂に世間の風俗を乱りて人の教に妨を為すがゆゑに、其費す所の金銀は其人のものたりとも其罪許すべからず。又自由独立の事は人の一身に在るのみならず一国の上にもあることなり。我日本は亜細亜(アジア)洲の東に離れたる一個の島国にて、古来外国と交を結ばず独り自国の産物のみを衣食して不足と思ひしこともなかりしが、嘉永年中「アメリカ」人渡来せしより外国交易の事始り今日の有様に及びしことにて、開港の後も色々と議論多く鎖國攘夷などゝやかましく云ひし者もありしかども、其見る所甚だ狭く、諺に云ふ井の底の蛙にて其議論取るに足らず。日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を(なが)め、海を共にし、空気を共にし、情合相同じき人民なれば、こゝに余るものは彼に渡し、彼に余るものは我に取り、互に相教へ互に相学び、恥ることもなく誇ることもなく、互に便利を達し互に其幸を祈り、天理人道に從て互の交を結び、理のためには「アフリカ」の黒奴にも恐入り、道のためには英吉利(イギリス)、亜米利加の軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄てゝ国の威光を落さゞるこそ、一国の自由独立と申すべきなり。然るを支那人などの如く、我国より外に国なき如く、外国の人を見ればひとくちに夷狄(いてき)々々と唱へ、四足にてあるく畜類のやうにこれを賎しめこれを嫌らひ、自国の力をも計らずして(みだり)に外国人を追払はんとし、却て其夷狄に(くるし)めらるゝなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて云へば天然の自由を達せずして我儘放盪に陥る者と云ふべし。王制一度新なりしより以来、我日本の政風大に改り、外は萬国の公法を以て外国に交り、内は人民に自由独立の趣旨を示し、既に平民へ苗字乗馬を許せしが如きは開闢(かいびやく)以來の一美事、士農工商四民の位を一様にするの(もとひ)こゝに定りたりと云ふべきなり。されば今より後は日本国中の人民に、生れながら其身に附たる位などと申すは先づなき姿にて、唯其人の才徳と其居処とに由て位もあるものなり。譬へば政府の官吏を粗略にせざるは当然の事なれども、こは其人の身の貴きにあらず、其人の才徳を以て其役義を勤め、国民のために貴き国法を取扱ふがゆゑにこれを貴ぶのみ。人の貴きにあらず、国法の貴きなり。旧幕府の時代、東海道に御茶壼の通行せしは、皆人の知る所なり。其外御用の鷹は人よりも貴く、御用の馬には往來の旅人も路を避る等、(すべ)て御用の二字を附れば石にても瓦にても恐ろしく貴きものゝやうに見え、世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌ひながら又自然に其仕来(しきたり)に慣れ、上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども、畢竟是等は皆法の貴きにもあらず、品物の貴きにもあらず、唯徒(いたづら)に政府の威光を張り人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて、実なき虚威と云ふものなり。今日に至りては最早全日本国内に(かゝ)る浅ましき制度風俗は絶てなき筈なれば、人々安心いたし、かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば、これを包みかくして暗に上を怨むることなく、其路を求め其筋に由り、静にこれを訴て遠慮なく議論すべし。天理人情にさへ叶ふ事ならば、一命心をも(なげうち)て争ふべきなり。是即ち一国人民たる者の分限と申すものなり。

 前條に云へる通り、人の一身も一国も、天の道理に基て不羈(ふき)自由なるものなれば、()し此一国の自由を妨げんとする者あらば世界萬国を敵とするも恐るゝに足らず、此一身の自由を妨げんとする者あらば政府の官吏も憚るに足らず。ましてこのごろは四民同等の基本も立ちしことなれば、(いづ)れも安心いたし、唯天理に從て存分に事を為すべしとは申ながら、凡そ人たる者は夫々の身分あれば、亦其身分に従ひ相応の才徳なかるべからず。身に才徳を(そなへ)んとするには物事の理を知らざるべからず。物事の理を知らんとするには字を学ばざるべからず。是即ち学問の急務なる訳なり。昨今の有様を見るに、農工商の三民は其身分以前に百倍し、やがて士族と肩を並るの勢に至り、今日にても三民の内に人物あれば政府の上に採用せらるべき道既に開けたることなれば、よく其身分を顧み、我身分を重きものと思ひ、卑劣の所行あるべからず。凡そ世の中に無知文盲の民ほど憐むべく亦(にく)むべきものはあらず。智恵なきの極は恥を知らざるに至り、己が無智を以て貧究に陥り飢寒に迫るときは、己が身を罪せずして(みだり)に傍の富める人を怨み、甚しきは徒党を結び強訴(がうそ)一揆などとて乱妨に及ぶことあり。恥を知らざるとや云はん、法を恐れずとや云はん。天下の法度(はつと)(たのみ)て其身の安全を保ち其家の渡世をいたしながら、其頼む所のみを頼て、己が私欲の為には又これを破る、前後不都合の次第ならずや。或は遇々(たまたま)身本(みもと)(たしか)にして相応の身代ある者も、金銭を貯ることを知りて子孫を(おしふ)ることを知らず。教へざる子孫なれば其愚なるも亦怪むに足らず。遂には遊惰放盪に流れ、先祖の家督をも一朝の煙となす者少からず。斯る愚民を支配するには(とて)も道理を以て諭すべき方便なければ、唯威を以て畏すのみ。西洋の諺に愚民の上に(から)き政府ありとはこの事なり。こは政府の苛きにあらず、愚民の自から招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。故に今我日本国においても此人民ありて此政治あるなり。仮に人民の徳義今日よりも衰へて尚無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、若し又人民皆学問に志して物事の理を知り文明の風に赴くことあらば、政府の法も尚又寛仁大度の場合に及ぶべし。法の苛きと(ゆる)やかなるとは、唯人民の徳不徳に由て自から加減あるのみ。人誰か苛政を好て良政を(にく)む者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の(あなどり)を甘んずる者あらん、是即ち人たる者の常の情なり。今の世に生れ報国の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思を焦すほどの心配あるにあらず。唯其大切なる目当は、この人情に基きて先づ一身の行ひを正し、厚く学に志し博く事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備へて、政府は其政を施すに易く諸民は其支配を受て苦しみなきやう、互に其所を得て共に全国の大平を護らんとするの一事のみ、今余輩の(すゝむ)る学問も専らこの一事を以て趣旨とせり。

 

   端 書

 

 此度余輩の故郷中津に学校を開くに付、学問の趣意を記して旧く交りたる同郷の友人へ示さんがため一冊を綴りしかば、或人これを見て云く、この冊子を独り中津の人へのみ示さんより、広く世間に布告せば其益も亦広かるべしとの勧に由り、乃ち慶應義塾の活字版を以てこれを摺り、同志の一覧に供ふるなり。

  明治四年未十二月

(明治五年二月出版)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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福澤 諭吉

フクザワ ユキチ
ふくざわ ゆきち 思想家 1834・12・12(陽暦1835・1・10)~1901・2・3 大阪玉江橋北詰中津藩蔵屋敷内に生まれる。慶應義塾創始者。名実ともに近代日本の知識人の先駆者として時代思潮を「実学」「良識」に集約し啓蒙鼓吹した。

掲載作については「序」「端書」が委細を尽くしている。目を射る「文学」の二字の福澤において意義するものを、その限界をも、正確に受け止めたい。此処には最も有名な1871(明治4)年執筆、1872(明治5)年出版の「初編」を挙げ、「目次」により「合本」の全容を示しおく。

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