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検索結果 全1058作品
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詩 さえずり
風の色 秋に色づくのは 野山の木々や草の葉だけではない 風も そのおりおりの色を見せて渡っていく 自分の存在を知らせようと 風は 季節を透かす色となり 真っ赤な紅葉をそよがせながら 時を経て 新雪をも運ぶだろう りんどうの人想う色をゆるがせて 乾いた心に 哀しみを移す風も 秋の色となる
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詩 湖の向こうに
鋏 いままで見えていたものが どこへ行ってしまうのか 忽然と姿を消してしまうことがある それはたった一つの装身具であったり 生活の調度品であったり あたたかな思いであったりする 在ることが当然であったときから もはやないことが当然であるように 日常の心を変えていかなければならない それはやわらかな春の日から 突然
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小説 川中島合戦秘話
赤松の巨木が切り倒されると、陣営の前を遮るものはなくなった。眼下に善光寺平の全景が手に取る様に見えた。楯を二枚合わせた上に張り付けた図と全景を見比べながら、頭巾の謙信は鞭で諸将に説明した。柿崎を始め本庄、柴田、直江、村上義清等の眼が鞭先に集まった。甘粕近江と宇佐美駿河の姿が見えないのは、急変に備えて千曲川寄りの陣で指揮に当たっているのであろう。 「御注進!御注進!」早馬の声が指揮所に緊張を与えた。 騎馬伝令が登って来て、馬から下りると諸将達の前に走って来て控えた。諸将が左右に開くと謙信が床几から立ち上がった。 「何事か」頭巾の奥で目が
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小説 武田落人秘話
一 武田終焉 天正九年(1581)遠州高天神城が、徳川、織田の連合軍により奪還されてから武田の衰運は歴然としていた。甲州恵林寺の快川紹喜は武田を救うべく妙策として、勝頼と信長の和親を計画した。快川の意を受けた愛弟子の武田宗智は、美濃、山城の妙心寺派諸老の協力を得、上洛した。信長が高野山を焼き打ちし、僧千人を斬り殺したと京では信長を非難する声が高まっている最中の事である。 正親町帝は快川に国師号を賜う親書を出した。武田と関係の深い快川に国師号を賜うという事は、帝が信長の権力を心よからず思っておられると宗智は思い、親書を押し頂いて
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小説 かがみ
女のすすり泣く声だろうか、押入れのあたりから聞えてくる。むずかる稚児(おさなご)をあやしているようにも思えるがさだかではない。宮倉は半ば夢うつつに、寝ぼけ眼をこすりながら闇を睨んだ。深夜も、およそ決まった時刻で、もうそんな夜が、幾日か続いていた。 押入れの向うの隣部屋は、一ヶ月も前から、空室になったままである。そのさらに隣りは若い男の独り棲(ずま)いとあって、女や、稚児の声な
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小説 黒衣の人
放ったらかしていた家の傷みが、ついに限界にきて、大がかりな補修をよぎなくされた。ことのついでに、かねてから望みだった書庫を、一階の一部を建て増すかたちで造ることにした。 八月の終わり頃、増改築がすんで、でき上がった鰻の寝床のような細長い書庫に、家人そうがかりで運び入れた本の山を、しつらえの書棚に収める。それがまた大変な仕事だが、そこまで家人の手を煩わせるのは気がひけ、それに好みに合わせ、仕分けながら収めてゆくのも、けっこう愉しいもので、そこは独り作業を、じっくりと堪能するつもりでいる。 日曜だけの作業で、それにあちこちひっくり返していると、思いがけず
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小説 異形の者
私は最近、ある哲学者の説に反対をとなえた。その学者はものごとを真剣に考えるたちであり、私より十歳も年長でありながら、私の十倍も情熱家であった。彼は狂的なほど芸術を愛好し、ひたすらこの世ならぬものの美にあこがれていた。彼はもしかしたら、私の愛する部類にぞくする人間であった。(と言っても、私は、自分が誰か人間を真に愛するなどとは、どうしても信用できないのであるが)。 どうして彼ほどの哲学者が、一個の酔漢にすぎぬ私などを相手に興奮して弁舌をふるったのか今だにわからないのであるが、何かしら話すに足る青年として相手どったにちがいない。苦悩にしても快楽にしても、ともかくほとばしり
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小説 汝の母を!
クズ屋であり、精神修行の初心者である私が、コンクリート建築の裏側、人通りのない細路、空地の樹陰で最近、熱中している研究テーマは「汝の母を!」である。上海語では、ツオ・リ・マアである。どんな漢字か私は知らない。マアだけはわかる。ママ、万国語共通の母親の意味であろう。 魯迅先生には「他媽的(タアマアデ)! について」という一篇のエッセイがある。岩波版の最新刊の「魯迅選集」を、二十日とたたないのに、もう私に払いさげてくれた「読書人」がいる。学問ずきのクズ屋にとって、東京ほど便利
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小説 ピルロニストのやうに
なぜ生まれたのか、なぜ生きなければならぬのか、なぜかうやつて生きてゐるのか、さうしてなぜ老い朽ちて、なぜ死なねばならぬのか、私はもう四十だが、さうして多く考へてばかり暮らしてゐる身だが、今もつて分らない。恐らく死ぬまで分るまい。 私はたゞ漠然と生きてゐる。時々金がほしいと思ふ事もある。けれどもそれは美人を見たり、立派な邸宅を見たり、世界漫遊がしたくなつたりする時にかぎる。かうやつて、まづい物をたべて、汚い着物をきて、本を読んだり、翻訳をしたり、ゴロリと臥(ね)ころんだりし
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小説 光の帯のなかに
1 眠りの底で何かの気配を感じた。 「おーい、帰ったぜ!」 明るく弾んだ声と同時にいきなり寝室のドアが開けられ、にこっと笑った守の顔が現れた。唐突に眠りを破られた私は声も出せず、それでも息子の全身を見て安堵する。 まるでゼミ合宿からでも帰ったような気安さで帰国の報告をすると、守はドアを閉めた。続いて、ころがるように階段をかけ降りてゆく久しぶりの息子の足音
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随筆・エッセイ 人生の幸福
いつかの私の誕生日に宅へ集つた若い人たちが、会が果てても、まだ数人、座敷のまん中に残つて、ちよつと風雅な恰好をした陶器のウイスキーの瓶を囲み、いくら注いでも、まだ底に残つていて、いつまでもたらたら出るのを、大げさに不思議がりながら、洋酒の酔を楽しんで、わやわや騒いでいた、その景色を時々思い出しては、われ知らず微笑むこともあるのだが、人生の楽しさなどいうものは、存外、そんなところにあるものだ。 あまり形式的でもないし、あまり通俗でもない。他人行儀でありすぎもしないし、無礼講というのでもない。私などは、そういうふうにして、穏かに、和気藹々<r
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戯曲 堅壘奪取(喜劇一幕)
そまつな應接間──といふより、板の間の勉強室といふ感じ。ただし主人はここを書齋としてゐるわけではないので、かんたんな應接用セットが置いてあるだけ。小部屋のわりに窓が多く、光線はじふぶんはひつてくるのだが、ぜんぜん装飾がないので陰気な感じがする。 正面の窓のそとは庭──かんなが咲いてゐるのがみえる。出入口は左にひとつ。幕があくと同時に、この家の主婦らしき女が登場。うしろにふろしきづつみをぶらさげた學生ふうの男がしたがふ。女はこの客を案内してきたのである。客が席につくと、女は窓を全部あけはなつて退場。 その間、男はふろしきづつみを椅子のう
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短歌 きまじめな湖
人に向け撃ちしことなき銃をさげ異国へ発つとうロマンの響き かたわらの石 大義さえ表があれば裏もある 野村萬斎ああややこしや 人間に最初の武器となりし石 変哲
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短歌 幾春別
光り苔しめりただよう洞(うろ)ふかく光る一途(いちず)を生きねばならぬ 散りぎわの香りをのせて風に渡す花よりかろく転身はあれ 沈みゆくもののかたちに人ねむり水中花のみ明るき真昼 隧道は地層のしずく零(こぼ)
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評論・研究 學問のすゝめ 初編
合本學問之勧序 本編は余が読書の余暇随時に記す所にして、明治五年二月第一編を初として同九年十一月第十七編を以て終り、発兌(はつだ)の全数、今日に至るまで凡(およそ)七十萬冊にして、其中(そのうち)初編は二十萬冊に下らず。之に加るに前年は版権の法厳ならずして
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目次縁 談矢車草背 中 縁 談 蛙がわづかに 六月の小径に 足あとを残し 夜が来て 芋の根
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小説 七夕の夜
お蔦(つた)は札の辻の友達の家へ遊びに行つて、彼(あ)の方(かた)はもうお子さんが二人あるの、大変に老(ふ)けて見えるの、お内儀(かみ
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評論・研究 あたらしい憲法のはなし 附・日本国憲法
目 次 一 憲 法 二 民主主義とは 三 國際平和主義 四 主権在民主義 五 天皇陛下 六 戦争の放棄 七 基本的人権
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詩 言の葉
私の幸福論 生きていくうえでもっとも大切なものは 生きている間、自分が使える時間です あなたがその時間を どのように使おうとあなたの勝手ですが そのために生じる結果と責任は すべてあなた自身に帰属します どのように生きたらいいなどと 生意気を言う気はさらさらありませんが 自分が納得する生き方を探し求めて暮らしてい
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詩 四季の散歩道
●生れて消えて 僕のはじまりは海の見える故里 僕の終りも澄みわたる 月の光に染まる故里 ただ一人で生れいで 濁世(じょくせ)の中を いや応なしに歩きつづけ 心懊悩(おうのう)する日々を 一人で受け入れ 一人で<