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検索結果 全1058作品
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小説 寝袋の子守歌
一 秋葉原で下車し、電気屋が軒(のき)をならべる駅頭へ歩み出ると、額(ひたい)に冷たい物が当った。日暮までにはまだ間があるのに、各ビルの屋上や側壁に取付けられたネオンサインは、早くも原色の光を周囲に放射しはじめている。それがやけにちらついて見えると思ったら、雪が舞っているのだった。 わたしはレインコートの襟</
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評論・研究 与謝野鉄幹の三つの壁
1 壁とは 与謝野鉄幹を主宰とする「明星」が創刊されたのは一九〇〇年(明33)四月だった。その「明星」は一九○八年(明41)十一月、一〇〇号をもって終刊されるまでのおよそ八年間、ロマンチシズムを掲げ、御歌所派と言われた旧派和歌に対峙しつつ短歌革新に力を尽くした。この斬新な文学運動により、江戸時代以降の近世和歌に新風を吹き込んだのだった。わずか八年ばかりで、三〇〇年近い歳月の中で停滞していった和歌を刷新するために「明星」が果した役割は大きい。 もっとも「明星」はこの一〇〇号で一旦終
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ノンフィクション 横浜事件(抄)
第一章 検挙 1 一九四四年一月二十九日 いわゆる横浜事件で私が検挙されたのは、一九四四年(昭和十九年)一月二九日の朝であった。それは土曜日の朝であった。 その明けがた、私は、トントンとドアをたたく音でかすかに眼を覚ました。が、まだ夢ともうつつともつかず、それがはたして私の部屋であるかどうかさえ聞きわける意識も湧かなかった。前夜、つまり金曜日の晩に、陸軍報道班員としてジャワに従軍していた武田麟太郎の帰還歓迎会が、人形町の梅の里という料理屋でひらかれて、私は夜中の一時
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随筆・エッセイ 記憶たずさえて
筍 雨あがりの午後であることが多かった。 父は、作業衣に着替えると、たいてい 「この鍬」 と指だけさし、せっせと歩きはじめる。後から私がそれを提げて追う。小学校二、三年生の身におとなの使う鍬は重い。何よりも形がよくない。まっすぐに持てば、刃先が足にぶつかる。私は、持ちにくさをそのまま全身で表現しているといった格好のまま、父との距離をつめようとする。 父は歩くのが速かった。それでも、追いかけているうちに、目にぼんやりと、庭すみの草々が勢いを増しているのが映りはじめる。もち草の群れが
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随筆・エッセイ 声ひそやかに
《目次》 一春めくまでもつばめつみ草しだれ梅初 霜夕べの悲しみ
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ノンフィクション 横浜事件
日本版魔女裁判 昭和十九年の一月二十九日の朝、私は神奈川県の特別高等警察(特高)に逮捕された。まったく身におぼえのないことだったので、私は特高に令状の提出を求めた。令状なしの逮捕ではないかと疑ったからである。 特高は、だまって令状を示した。それには横浜地検の山根検事の署名で、「治安維持法違反の嫌疑により逮捕する」むねが書いてあった。たしかに正式の逮捕令状である。私の逮捕に特高が自信をもって臨んでいることがわかったし、これは長いぞと思わないわけにはいかなかった。それを裏づける
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MEMORIES OF A WOMAN 日の暮れて人の絶えたる花野ゆく吾と吾子らの声のみひびく towards the evening going through a field of flowers people have disappeared just the sound of my voice and my two little boys さ
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随筆・エッセイ 地球ウォーカー
《目次》 1.秘境シーサンパンナを行く 2.台湾山地紀行 3.平遥古城の石碑 4.中国で日本語を教えて </p
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俳句 雪のワルツ(抄)
さすらひの子が拾ひたる歌留多かな 大正七年、作者十七歳 霧ほうほう峰渡る見ゆ芒風 寒明けと言ふ朝からの牡丹雪 炉べり叩いて油虫追ふ炉の名残 舟底の浪の音聞く秋の風 一つ残りて濁りをつつく家鴨かな 窓一ぱいの月を寒しと母が言ふ 冬日さすテーブルの上なにもなし </
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短歌 兜
足袋あまた取り込みて来て木蓮の花散らしたるごとき夕闇 住み捨てし家の扉の大き鍵文鎮に使ふうつくしければ 御仏の御手を憎めり一(いつ)としてわれを抱き給ふ形なかりき メタンガスふくむ泥土(でいど)に生きむとし小さき貝ら呼吸穴(いきあな<
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評論・研究 大日本主義の幻想
一 朝鮮台湾樺太も棄てる覚悟をしろ、支那や、シベリヤに対する干渉は、勿論やめろ。之実に対太平洋会議策の根本なりと云う、吾輩の議論 (前号に述べた如き) に反対する者は、多分次ぎの二点を挙げて来るだろうと思う。 (一)我国は此等の場所を、しっかりと抑えて置かねば、経済的に、又国防的に自立することが出来ない。少なくも、そを脅さるる虞(おそ)れがある。 (二)列強は何れも海外に広大な殖民
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俳句 仮幻の詩
流人墓地寒潮の日のたかかりき 『秋風琴』(昭和三〇年刊) 水温む今宵の客を思ひ帰る 原爆地子がかげろふに消えゆけり 冬かもめ明石の娼家古りにけり 水澄むやゴッホの火の眸我に見る 秋は謐(しず)か白き肋骨切る音も 血を喀い
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小説 クラーク氏の機械
一 時雨のあがつた午後、解剖学教室の若い教授木暮博士は大学の構内の並木道を通つて脳研究所へ行つた。道の上には黄ばんだ銀杏の葉が一めんに散り敷いて、空の暗いのに足もとだけがひとところ明るくへんに面映(おもは)ゆい感じだつた。羽の脱けた鳥の死骸が一つ泥濘にころがつてゐたが、その上にも落葉が模様かなんぞのやうにこぼれてゐた。すると冬近い季節に山里を歩いてゐるときのあのすがれた佗びしさが心に涌いた
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詩 詩五篇
《目次》 どれだけあなたにヒロシマ連祷28桃の花十三月 どれだけ</h3
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詩 亜寒帯(抄)
《目次》 缶詰工場内景鰊亞寒帯小景団 扇女 中間借者の詩捕鯨船帰航(金華山風光)変 貌
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小説 蒼氓 (そうぼう)
第一部 蒼氓 一九三○年三月八日。 神戸港は雨である。細々とけぶる春雨である。海は灰色に霞(かす)み、街も朝から夕暮れどきのように暗い。 三ノ宮駅から山ノ手に向う赤土の坂道はどろどろのぬかるみ(ヽヽヽヽ)である。この道を朝早くから幾台となく自動車が駈け上って行く。それは殆
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俳句 波郷二百句
プラタナス夜(よ)もみどりなる夏は来ぬ (『石田波郷句集』より) バスを待ち大路の春をうたがはず (以下『鶴の眼』より) あえかなる薔薇撰(え<r
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小説 ある死ある生
一 人間の死んでゆくところを見た話は自分は沢山聞いたが、その中でどういふものか友人A君のして呉れた話が、自分には一番鮮やかに記憶にのこつてゐる。それは次のやうな話だ。 (季節のうちで、自分は夏から秋に移る頃が一番好きだ。八月の末になると、日本にはよく颱風が来る。夜明け方から来たり、また夕暮時から初まつたりして、それの通つたあとは、全く天気が一新する。他の季節のうちで、この夏から秋に移る時位際立つて季節の歩みが感じられる時はない。 さういふ日の或
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評論・研究 荷風におけるボエームの夢
明治41年、荷風がロンドンを経て帰朝した年『早稲田文学』の11月号に載せられ、その翌年『ふらんす物語』に収録された「蛇つかい」からは、放浪の生活にたいする若い荷風の共鳴・共感が、痛ましいまでに伝わってくる。彼はこう述べる。 自分はもう里昴(リヨン)に飽きた。も少し違った新しい空が見たい。新しいものは必ず美しく見える。倦んだ心に生気を与える。鈍った神経に微妙な刺激を与える。無宿浮浪の見世物師の境遇を更に詩趣深く思返した。彼等は燕と同じよう冬の来ない中に、
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短歌 鵠が音(たづがね)
ルビないし( )内のカタカナは、原文のまま。( )内の*カタカナは、ひらがなの英語表記、ルビないし( )内のひらがなは、電子文藝館編輯室が付した。また、歌集には、編纂・出版への労をとり、なかなか進まない出版を待ちながら、戦前から戦後まで8年間に書き溜めた養父・折口信夫(釋迢空)の「追ひ書き」が、都合「その五」まであるが、息子の生死の境を挟んで、父親としての真情が最も溢れていると感じられる「その三」を作品の末尾に付記した。(電子文藝館編輯室) 昭和十九