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クラーク氏の機械

     

 

 時雨のあがつた午後、解剖学教室の若い教授木暮博士は大学の構内の並木道を通つて脳研究所へ行つた。道の上には黄ばんだ銀杏の葉が一めんに散り敷いて、空の暗いのに足もとだけがひとところ明るくへんに面映(おもは)ゆい感じだつた。羽の脱けた鳥の死骸が一つ泥濘にころがつてゐたが、その上にも落葉が模様かなんぞのやうにこぼれてゐた。すると冬近い季節に山里を歩いてゐるときのあのすがれた佗びしさが心に涌いた。

 教授はふと子供の頃、山に栗を拾ひに行つて道に迷つたときのことを思ひ出した。深い山の谷合ひを冷たい雨に打たれながら、へとへとになつて歩いてゐたが、あたりがしだいに暗くなつて行くのに、どこまで行つても道のある所へ出ない。困つてゐると向ふに煙が上つてかすかに人影の動くのがみえた。老人が一人ゐて炭を焼いてゐるのだつた。眉毛の垂れ下つた痘痕面(あばたづら)の人の好ささうな爺さんだつた。爺さんは火を焚いて餅を(あぶ)つてくれ、自分の(みの)を着せて家の近くまで送つてくれた。もう三十年とそれ以上も前のことで、考へると夢の中の出来事のやうな気がする。そんなことをなぜいま急に思ひ出したのか彼は自分ながら不思議だつた。

 考へてゐるうちに研究所へついたので教授は実習生たちが丹念に脳の切片を染めてゐる大きな室を通つて自分の机のまへへ行つた。隣の手術室からはタイル張りの床の上を何者かが鎖を曳きずつて歩いてゐるらしい音が陰鬱にきこえた。彼は助手に(たづ)ねた。

「もう連れてきてあるのかい」

「はあ……すぐ手術をなさいますか」

「うむ、ぢや支度をしてくれ給へ」

 教授はさう言つて隔ての扉を細目に開けてなかを覗いた。鎖で繋がれた一匹の大きな猿が、きよとんとして不審さうにあたりを見廻してゐた。

「なんだ、こいつは例のガンジーぢやあないか」

 教授は不機嫌に言つた。

「ええ、もうこれが最後に残つたんです」

 さう言つて助手は室へ入つて行くと鎖をとつてちよつとひつぱつてみながら、それともおやめになりますか、といふ風に上目使ひにちらと教授をみた。

「さうか、もう之だけになつたのかい、ぢやアまあ今日はこいつをやるさ」

 教授はそのまま扉を閉めてさも大儀さうに自分の椅子へ腰をおろした。

 木暮教授はもともと解剖学が専門なのだが、去年から此処でクラーク氏の機械といふものを使つて大脳生理学の実験をしてゐる。これは千九百八年に英人クラーク、ホースレー両氏によつて設計された脳手術用の機械で、これを被験動物の頭蓋にはめ、数理的な方式に従つてメーターを動かす針の尖がその動物の脳のなかで、施術者の欲する任意の部位にとどくやうになつてゐる。いつたい脳の手術といふものは面倒なもので、頭蓋を開いてみても施術者の欲する部位を探りあてることが先づもつて容易ではない。だが、この機械を使ふとそれが割に簡便にやれるのである。現在教授の手許にあるのはアメリカ製で、ノースウェスタン大学のランソン教授が改良設計した日本に二つしかないといふこの研究所自慢の機械である。教授はこれを用ひて猫や猿の中脳の赤核を破壊し、それらの動物に故意に脳溢血や脚腫瘍類似の神経障礙を起させ、人間に起る機質性脳疾患の理論を研究してゐるのであつた。

 研究所の裏には実験動物を飼養しておく小舎があつて、そこに猿の檻が並んでゐる。いちじは十数頭の猿がゐたが、実験したあとでつぎつぎと殺して解剖に附すので今は僅か五、六頭しか残つてゐない。さうした猿どもの中に一匹、台湾産の毛の赤い爺さん猿がゐた。いつも檻の隅に(うづくま)つて考へぶかさうにしてゐる様子が妙に苦行者めいてゐるといふので助手の一人がそれにマハトマ・ガンジーといふ渾名(あだな)をつけた。ほかの猿どもは餌をやる人間が行くと大噪(おほさわ)ぎに噪ぎ、格子につかまつて口をもぐもぐいはせたり、檻をゆすぶつてキイキイ鳴いたりするが、ガンジーだけはあたかも自分の不幸な運命を予知してゐるかのやうに悲しげな眼つきでぢつと人の顔をみてゐる。それで助手たちもしぜん手術に出すのを嫌がり、その猿がいちばんあとに残つたのであつた。

 木暮教授もいまそれをみるとなんとなく嫌な気がした。ガンジーの顔がさつきふと心に浮んだ炭焼きの爺さんに似てゐたからであつた。研究室に残つてから今日まで人間の死体など数限りなく扱ひ、動物実験にも慣れてゐる教授なのに今日はどういふわけか気が進まなかつた。いつそのこと手術をやめようかと思つたりしたが、さうもできなかつた。科学者であ自分がそのときの気分や、動物に対するとるに足らぬ感傷などで予定した仕事を中止するなど如何にも不見識なことに思はれたからである。

 

     

 

 隣の室の物音はしだいに激しくなつた。助手がガンジーを鎖のまま吊しあげて大きな硝子鉢に入れようとしてゐるのだつた。ガンジーは二、三度手足をバタバタさせてもがゐたがこれまでの猿ほどには悪足掻(わるあが)きをせず硝子鉢へ押し込んで蓋をすると、すぐ諦めたやうにおとなしくなつた。

 助手は蓋をすこしあけてそこからエーテルを注ぎ込んだ。間もなく猿はがくりと首を折り、額を鉢に押しつけて前のめりになつた。ちやうど子供が遊び疲れ、うたた寝をしてゐるときのやうな恰好だつた。

「先生、いやに簡軍に参つちまつたな」

 さう言ひながら助手は頃をみはからつて猿を硝子鉢から出し、手脚を紐で手術台に縛りつけると、剃刀(かみそり)で頭の皿を剃りはじめた。剃りあとの皮膚は薄青くすべつこくてゴム毬のやうな感触だつた。剃り上ると河童坊主になつた猿の頭に助手は重い金属製のクラーク氏の機械を装置しにかかつた。助手は螺旋(ねぢ)を廻してメーターを動かし、その一つ一つをガンジーの眼窩や耳殻や口などに食ひ込ませ、それらをしつかと押しひろげた。角ばつた櫓形の頑丈なその機械は山から来たガンジーの頭上で二十世紀科学の冷たい光を放つてゐた。

 手術の用意が出来たので、助手は教授をよびに行つた。教授は白い手術着を着てエーテルの香の(こも)つた狭い手術室へ入つて来た。彼は念入りに手を洗ひ、メスをとつて猿の上に(かが)み込んだ。そして額に横皺を寄せ、剃つた部分の皮膚の切開にとりかかつた。メスの鋭い尖端が縦に皮膚を切り裂き、薄い肉の下から湿つた灰色の骨膜が(あら)はれた。血が傷口から滲み出て皮膚の上を流れはじめた。それをガーゼで拭きとりながら助手は教授と鉢合せするやうにしてメーターを動かしたり、一方の手で(かたは)らの黒板に数字を記したりした。

 それがすむと教授はノミをとつてメーターの針のしめす真下の頭蓋に穴をうがちはじめた。ノミの刃先きは頭蓋骨にぶつつかつて鈍い嫌な音をたてた。そのとき麻酔から醒めかけた猿が躯をピクピク動かし、助手は手早くエーテルを浸したマスクで鼻孔を蔽うてやつた。手に力をこめて頭蓋をうがつ教授のこめかみからは汗が光るすぢをひいて流れた。猿はすぐ静かになつたが、その平静さがひどく教授の心を打つた。それはあらん限りの力で、最大の苦痛にぢつと耐へてゐる苦行者そのままの表情だつた。

 教授はふたたび呼吸を殺して、今度は頭蓋の孔から機械に装置した針を深くおろし、傷口の一方に電極をさし込んだ。その傍らで助手はアンペアメーターのスイッチを入九、時計を手にしながら猿の顔を覗きこんでゐた。電流が果して動眼神縄の中枢に通じてゐるかどうかを調べてゐるのであつた。ガンジーは二、三度パチパチまばたいただけであとは動かなかつた。だがその間に猿の頭のなかでは五ミリアンペアの電流で赤核を直徑一ミリの大きさに破壊する操作が行はれてゐたのであつた。

 教授は靴屋のやうに慣れた手付きで、傷口を縫ひ合せ、手術は終つた。ガンジーはしばらくはやはり、うつぶせになつたままだつたが、だんだん麻睡から醒めて、もぞもぞ躯を動かしはじめた。頭の剃りあとに血糊の汚くへばりついてゐるのがひどくむごい感じだつた。助手は紐を解いて庭の枯れた芝生の上に連れて行つたが、猿は啼くだけで立つことができずすぐごろごろころがつた。

「どうだね、まだ右手がきくやうかね」

 教授は窓越しに助手に向つて声をかけた。助手は自分の指を二本だして猿の手の平に握らせそれを宙に吊してみせながら言つた。

「どうやらこの通りまだ利くやうですが……」

「どれどれ」

 教授はスリッパをつつかけたまま芝生へ出て自分でやつてみたがやつぱり同じだつた。

「をかしいな」

 彼は首をかしげて多くを言はず自分の室へとぢこもつた。

 

     

 

 夕方になつて靄があたりをこめはじめた。窓からみる風景はみなやはらかく青みを帯びて、ふと眼をあげるとそれは人の心にどこか遠い見知らぬ町にでも来てゐるやうな錯覚を起させた。教授はすこし風邪心地で喉が痛んだが、麻睡からすつかり醒め切つたガンジーの運動や知覚の状態を調べようとしておそくまで残つてゐた。

 助手がやつてきてその後に現れた猿の様子の変化を告げたときはあたりはもう暗かつた。教授はすぐさま懐中電燈をとつて、動物の飼育小舎へ出かけて行つた。彼の跫音(あしおと)をききつけて檻の中の猿どもは一斉にバタバタ騒ぎはじめた。

 ガンジーは檻に入れずに柱へ繋いだままにしてあつたが、ちやうど中風病みの老人がやつとわれとわが躯を支へてゐるときのやうに首をかしげながらしよんぼり床の上に坐つてゐた。教授が鎖をとつてひつぱるとろくに歩けず、躯を右側に傾けながらよろけた。明らかに右側半身不全麻痺のおこつてゐる徴候だつた。彼は近づいて行つて更に眼をしらべてみた。すると一方の眼は瞳孔が拡大してしまつて曇つた硝子玉のやうに動かなかつた。

 自分で手を下してやつたことではあつたが、いま目のあたりそれをみると彼には猿の受けてゐる苦痛がひしひしと身にこたへた。動かないその眼には下手人に対する無言の難詰が籠つてゐるやうに思はれた。そして教授は、弱い者や抵抗力のない者を(さいな)んだあとに誰しもが感ずるあのやりきれないさびしさに心が萎えて行つた。そのやうなときにはもはや「学問のため」とか「真理の探究」とかいふやうな美しい言葉も、そこに口をあいた大きな心の空隙を埋めてはくれなかつた。またこれはひとつの犠牲であり、土に落ちて死ぬこの一粒の麦は将来無数の脳溢血患者を救ふことになるのだといつたやうなあり来りの考へにも心の慰むすべはなかつた。

 教授はさびしい懐疑的な気持になつて帰り仕度(じたく)をすると、靄の流れてゐる夜道を省線の駅の方へ歩いて行つた。街の上には近づいてくる冬のもの佗びた匂ひがこもつてゐた。ぼんやりと灯のついた靄の中を人々が落ちつきのない小刻みな足取りで往来してゐる。電車が火の粉をまき散らして走り、客を満載したバスが喘ぐやうに坂を上つて行く。実験動物相手のしづかな研究所の生活から一歩足を踏み出すと、教授はいつも人間の世界の慌だしさに驚くのである。しかも今晩はさうした街の騒音がなぜか一段とわづらはしく感ぜられ、自分の日々の研究生活もまた意味のない索莫としたものに思へてならぬのであつた。

 学問のためとか真理の探求とか言ふとわれわれ学者仲間ではすぐ無条件なものに信仰してゐるが、いつたい猿に人間の学問や真理がなんの役に立つのだらう。学間とか真理とかは人間にとつてこそ必要であり、人間はまたその恩恵を受けてもゐるが、猿にとつては一片(ひときれ)の人参よりもつまらんものではないか。だとするなら学問や真理のため犠牲になるなんぞは猿にとつてみればこの上もなく迷惑千万な話にちがひない。猿が実験材料になつて猿どもの病気を救ふのなら話は解る。ところが猿どもがいたづらに人間の病気の犠牲になつてゐる。頭に孔をあけられたり、腫瘍や病菌を移植されたりしてゐる。そして猿によつて救はれた人間たちは発電所を造つたり、トンネルをうがつたり、森林を伐採したりして彼らの平和な王国をおびやかしてゐる。あまつさへ彼らをみつけると有無(うむ)を言はさず鉄砲で撃ち殺したり、犬を()しかけて捕へたりするではないか。教授はいつか猿の身になつて人間どもの冷酷な仕打ちに対する激しい怒に身を顫はしてゐた。

 暮方の混雑どきからはすこしはづれておそかつたせゐか省線電車のなかはいつもの割にすいてゐた。折よくあいた席に座をしめると教授は急にぞくぞく悪寒(おかん)がしはじめた。我慢してゐた風邪の工合がわるくなつて熱が出たものらしかつた。彼のそばには二、三人づれの商人風の男がほろ酔ひ機嫌で傍若無人に四、五人分の席をとりなにか声高(こわだか)に話し合つてゐたが、それが彼には変に疳に障つた。その上、連中の吐く酒臭い息にどうにも我慢ができず、彼はつひに座を立つた。すると今度はその向ふ側で連れの男と喋つてゐる若い女がなんとなく不愉快にみえてきた。着崩れた恰好で足をひろげ、締りのない口をあいて笑ふ度に赤い歯ぐきのにゆつと出る卑しい感じの女だつた。

 さういふ光景はなほのこと教授の人嫌ひをそそつた。なんといふ愚劣な人間どもだらう。彼らがどれだけあの猿より高等だといへるのか。かういふ連中のために俺はあの無邪気な罪のない生きものを不具にしたり切りさいなんだりしてゐるのだ——さう思ふと教授はわれにもなく腹が立つてきた。そのうへ悪寒はしだいに激しくなつて彼は電車がわざわざのろくさ走つてゐるやうにさへ思はれた。立つてゐるのがひどく億劫で、一刻も早く目的の駅に着き、この人いきれでむれた不愉快な車内から逃れたかつた。やがて目のまへが茫となり、車体の揺れる度に足もとがふらついた。

「猿め、猿め」

 彼は思はず大きな声で独り言をいつた。ちやうど彼のまへには十四五の痩せた女の子が向ふむきになつて靄に曇つた扉の窓硝子に何かしきりと文字を書きつづけてゐたが、その声に振り返つてまじまじと彼の顔をみつめた。

 

     

 

 家へ帰ると出迎へた細君(さいくん)が彼をみるなり驚いたやうに叫んだ。

「どうなすつたの、お顔色のわるいこと……」

 教授はふらふらしながら着替へをして食卓に坐つた。食事をみると胸がむかついた。皿に盛つたスープをやつと半分ほど飲むとどうも起きてゐるのが辛くなり、書斎に床を敷いて貰つて倒れるやうに横になつた。

「あなた顫へていらつしやるのね……まあひどい熱だわ」

 細君は心配さうに入つてくるなり彼の額に手をあててみた。教授にはそれがひどくうるさかつた。

「あつちへ行つてくれ、放つといてくれ」

 彼は気短かに呶鳴つた。

 戸外の靄はしだいに濃くなつて、あらゆる隙間から部屋のなかに流れこみ、寝てゐる教授のまはりで陽炎(かけろふ)のやうに燃えはじめた。それはやがて彼の頭蓋のなかまで入り込み、眼をつぶると灰色の炎が結んだりほぐれたり、あるひはぐるぐる渦を巻いたりするのが見えた。そのとき彼はふとどこかで二声三声猿の啼くのをきいた。きく者の心を噛むやうなもの悲しげな叫びであつた。すると騒音の都会はみるみる遠く去つて彼はいつか木霊(こだま)のよび交すふかい谷の中に佇んでゐた。さむざむと月が照つて葉の落ちつくした木々の梢が濡れたやうに光つてゐる。足もとではせせらぎの音がして、谷底からひつきりなしに靄が昇つて煙のやうに棚びいてゐる。すると数匹の猿がやつてきて彼をみつけてぐるりとあたりをとり巻いた。猿どもはてんでに叫び声をあげながら寄つてたかって彼をどこかへ連れて行かうとするのだつた。

「どこへ行くのだ」

 と教授はきいた。

「書記のところへだ」

 と彼らは答へた。

「書記とは誰だ、クラーク氏のことか」

「そんなものではない。エジプトのオシリス神の書記トートだ。猿の姿を借りて人間の罪を調べなさるお方だ」

 猿どもはさう言つて彼を岩くれだつた懸崖(けんがい)の上にひつたてて行つた。

 

     

 

 岩の上には黄金の冠をかぶつた大きな年老いた猿が腰をかけてゐた。あれが書記トートだと彼を連れて行つた猿の一匹がいつた。黄金の冠は月の光をうけてキラキラと(きらめ)いたが、よくみるとそれは剃つた頭にはめたクラーク氏の機械だつた。彼が危ふく笑ひ出さうとするのを書記は手にした杖をもつておびやかした。

「坐れ、お前は誰だ」

「私は生理学者です」

「何を研究してゐるのか」

「クラーク氏の機械を用ひて大脳の生理を研究してゐるのです」

「クラーク氏の機械とはなにか、もつと(くは)しく述べてみよ」

「この機械は千九百八年、英人クラーク、ホースレー両氏によつて、発見され……」

 彼が説明をはじめると書記はみなまできかず、その顔に激しい侮蔑の表情を浮べ、

「な、なるほど科学者とかいふ連中の考へさうなことだ、彼らはなんであれ物差ではかつたり、秤にかけたり、計算したりしてみなければ気がすまぬのだ。しかも彼らはみなシャイロックのやうに生身から切りとつた一ポンドの肉は秤にかけることはできるが、そのとき流れ出る血のことにはとんと考へ及ばぬ愚かな奴らだ。金属でできた冷たい機械で神から与へられた思想をはからうとはなんといふ不遜であらう。わしはお前に告げる。(きよ)きシオンはバビロンの川の上にあることはできない、永遠なるものは機械で測定できる事物の上にたつてゐるのではない。形あるものはみな塵にすぎぬ、流れ、落ち、滅び失せる(あくた)にすぎぬ……」

「だが書記トートよ。すべては学問のためです、真理のためです」

 教授は躍起となつて叫んだ。

「学問とな、真理とな」

 と、書記は唇を歪めて嗤つた。

「なるほどお前たちは今日(こんにち)空を飛び海を渡り、幾千里隔てて話をし、距離と時間とを短縮した。お前たちは塵のなかにマイクロコスモスを発見し、練金術を発達させ、物質の構造を極めつくした。おまへたちはまたあらゆる物を分類し、命名し、整理した。だが、それによつて人間どもはいくぶんでも賢くなつたか、人間どもの煩悩はそれによつて除かれたであらうか。ところがおまへたちは今なほやはり千年前と同じやうに哀別離苦に悩んでゐるではないか。やはり昔のやうにお互に相争ひ殺戮し、嫉視し、憎み合つてゐるではないか。お前たちの所謂(いはゆる)科学の力はさうした魂の問題にどれだけ参与し得るのか。しかも最も恐るべきことは人間どもの間に科学の名に於て公然と動物の虐待が行はれてゐることだ」

 と、書記トートは声を励まして言つた。

「お前の研究室だけでも本年に入つてから十数頭の猿が虐殺されてゐる」

「だが書記トートよ、それは致し方のないことです。第一人間と猿とでは比較解剖学的にみても、いろいろな相違がある。それに猿は人間ほど進化してゐない……」

 教授は弁解しながら目の前にゐるのは人間でなく猿であることに気がついてはつとした。

「それがそのお前たち人間の驕慢といふものだ。神は人間のためにのみ世界をつくり給うたのではない。一切衆生のためにもまた神は世界を造り給うたのである。即ち聖書にも世の人に臨むところのものはまた獣にも臨む、この二者に臨むところのことは一つにしてこれも死ねば彼も死ぬなり。みな一つの呼吸によれり。人は獣に(まさ)るところなし、みな(くう)なり、誰か人の魂の天に昇り、獣の魂の地に下ることを知らん、としるされてある。お前は人と猿との相違を言ふが、比較解剖学はむしろその両者の類似を証拠だててゐる。発生学においては更に言はずもがなのことではないか、また仏教では一切衆生はすべて因縁によつてかくあるので輪廻転生の永い旅の間に人は獣となり獣は人となる、人も前の世では獣であり、獣もまた人であつたのだと説かれてある。してみるとそこには人間だからといつて自分たちの種族の利益のために他のもの全部を左右していいといふ理由はないわけだ。衆生の命は神のものであり、神これを与へ、また神これをとり給ふところのものである。お前たちのいふ進化とは神を(ないがし)ろにし、自然から離脱することであつた。人間どもはさかしらな智恵を振り廻し、僭越にも上を向いて二本の脚で立つて歩くやうになつた。その時からお前たちは(くびき)を負ひ、額に汗して食を得なければならなくなつたのだ。だがほかの生きものをみよ、神の庇護のもとに労せず紡がず、明日を思ひ煩はず、悠々と無何有(むかゆふ)(さと)に遊んでゐるではないか」

 するとそのとき傍らできいてゐた一匹の猿がたち上つて言つた。

「もはや人間どもの罪業は十分に論告され、そのさかしらは論破しつくされたと考へます。しかしみるところ被告は一向にその罪を認めず、更に改悛の情がみえません。よつてむしろわが猿族の災ひを未然に防がんためには、クラーク氏の機械を用ひて彼からその驕慢の原因であるところの呪ふべき大脳を剔出(てきしゆつ)することを提唱いたします。またそれによつて彼はこの機械の価値を知るでありませうから」

「うむ、それがいい、では早速手術の用意をしろ」

 書記トートはそれに同意して、自分の頭からクラーク氏の機械をとりはづした。するとまた周りの猿共が集つてきて彼を押へつけ、無理無体にそれを彼の頭蓋にはめこんだ。螺旋(ねじ)の喰ひこむ痛さにたへかね教授は目をさました。彼はすぐ細君をよび、苦しげな声で一杯の水を命じた。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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石上 玄一郎

イソノカミ ゲンイチロウ
いそのかみ げんいちろう 小説家 1910・3・27~2009・10・5 北海道札幌市に生まれる。太宰治と同学年の弘前高等学校文科を卒業間際に放校され、放浪と窮乏と逮捕と寄食とデカダンな日々を経て作家生活に入り、孤立した作風の特異さで文壇の一画に地歩を占めて終生変わらなかった。

掲載作は、1947(昭和22)年、東方書局刊『石上玄一郎傑作集』に収める作風顕著の一編。

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