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検索結果 全1058作品
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小説 雛人形
妻が、小学校二年生の娘のために、雛を飾った。 寒い晩であった。三月一日のビキニデーの集会に出発する平和運動の代表を見送って、遅く帰宅した私は、いくらか上気顔の妻からそれを報告された。 雛を飾ったという知らせは、疲れた私をハッとさせた。もう三月か、という新鮮な思いが、この一ヵ月、カンパ活動や、各労働組合へのオルグなどに追われていた私をとらえた。しかしそれは、三月一日のビキニデーをめざす活動の中心にいながら、三月の近づきを忘れていた感覚のなまりを、後ろめたく気にかけさせるものを持っていた。 飾られた雛は、華やかであった。娘が三つになった
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短歌 末那(まな)
かかかか、ああ唖唖烏呼、呵呵、呵呵、天命已むなし鴉もわれも 『迦棲羅』 庭先のにはたづみより一雫の光を嘴(はし)に鶫(つぐみ)とびたつ 漆黒の切込みふかき翼もて鴉は昼の太陽かくす 俄雨夕べの笹生に音たてぬ夏の言葉は短きがよし
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詩 イーハトヴの氷霧
イーハトヴの氷霧 けさはじつにはじめての凛々(りゝ)しい氷霧(ひようむ)だつたから みんなはまるめろやなにかまで出して歓迎した (一九二三、一一、二二)
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小説 橋のむこうに
夕方の電車はいくらか混みはじめていた。軽い震動が、吊革でバランスをとっている彰子の内部にも響く。心までが振幅をくり返していた。耳も頬も妙に熱い。 「兄貴が肝臓癌であす手術をするんだ」 松野真也が開いている写真展の会場で、さっき聞いた重い口調が耳の底にこもっている。 真也の末娘の結婚披露宴で、久しぶりに克巳に逢ったのはほんの数ヶ月前だった。白髪が多くなったくらいで、そのときは体力の衰えなど微塵も感じられなかった。むしろ、ゆったりと全身を包みこむような眼差しが胸の奥に埋もれていた火を掻き起こし、その後もしばらく彰
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小説 風の韻き
膝を大きく屈伸させてブランコに力を入れると、目の前にあるマンションを蹴上げるようにして体が吸い上げられる。空が近づき、雲にふわりと乗りそうになる。が、反動ですぐに引き戻され、高層の建物はこんどは傾きながら視野をすべる。四階の亜美の部屋の窓からカーテンが少しはみだしていた。 亜美が再婚した父のもとで暮らすようになってやっとふた月である。二人とも働いているから、亜美は夕方おそくまで一人でいなければならない。はじめて経験する四階の住居にも、まだ慣れないでいた。 亜美は思いきりブランコを漕いだ。体がしだいに軽くなり、公園とマンションの境にある木立ちを跳び越え
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小説 坑夫
一 涯しない蒼空から流れてくる春の日は、常陸(ひたち)の奥に連る山々をも、同じやうに温め照らしてゐた。物憂く長い冬の眠りから覚めた木々の葉は、赤子の手のやうなふくよかな身体を、空に向けて勢よく伸してゐた。いたづらな春風が時折そつとその柔い肌をこそぐつて通ると、若葉はキラキラと音もたてずに笑つた。谷間には鶯や時鳥</rb
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評論・研究 民主主義の原点 ──サイレント・マジョリティとマイノリティ──
サイレント・マジョリティ サイレント・マイノリティという題で小文を書いたことがある。それは弱者の悲哀を分かれば分かるほど、彼等に共感し、強者に組み込まれたくないと思い、良心的中立を守る危険性について書いたものだった。その危険性を恐れて当時は発表されなかった。その後
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評論・研究 眞を求めたる結果
或倫理学者が言つた。後世の史家は現代を以て最も熱心に事物の真相を了解せむとした時代であると言ふであらうと。此言は彼が現実暴露主義の輓近(ばんきん)思潮に不快を感じ乍(なが)ら、此思潮に同情を以て、否自ら慰めつゝ下した批評である。此語だけに就て云へば自分も全く同感である。事物の真相を知りたがる精神、換言すれば好奇心は近世科学の根本的精神であつて又大体近世的生活と歩調を合して居るものである。第一に
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詩 夏の響き
冬の前に ―ひろしま― ながい酷暑の夏が終ると いきなり冷寒の秋がやってきた 虫の音も聞かず 紅葉も見ず 瓦礫の地にあるのは 辛うじて生き残り いまを生きようとする 人間の懸命な営みのみ 冬が来る前にしなければ しかし どのように冬仕度がで
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評論・研究 「他山の石」発行二周年
本誌発行の遠因 本誌が発刊満二週年を迎えたこの機会において、私は、ここに何もかもぶちまけてしまいたい。恥も外聞も忘れて、私自身も赤裸々に読者諸君の前に暴露したい。かくすれば、或は読者諸君の同情をかち得る可能性もあると同時に、私自身が、これによって、隠蔽と、それに伴う陰欝なる感情とから救われ得るからである。 事は先ず私が最近信濃毎日の主筆時代に、当時(昭和八年〈1933〉八月)東京において行われた「関東防空大演習を嗤」ったのに始まる。私は今二・二六事件以来、一般国民が的確に
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小説 ブルジョア
これも崩滅する階級の一態である。 1 租税の大半を、軍備に奪われない国民は、仕合せである。 「スイスは夢の国です」 「この世の天国です」 この言葉は、肺結核の夫の転地に従って、パリを去る時には、フランス人に独特なお世辞だった。山、湖、空、光、色、総て、スイスに来てからは天国のものだった。しかしフランス人達の聞かせてくれた言葉が単なる慰安でもなく、景色について言ったこ
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小説 死者との對話
死者は生きのこった人の記憶のなかにしか生存できないという。人の記憶は時とともにうすれて、やがて死者も生きのこった人の記憶に存在することが難しくなるであろうし、生きのこった人自身、この世を去ってしまう時が来るが、その時死者がこの世にかけた願望や精神はどうなるのであろうか。 和田稔君。 君の戦死したのは(昭和)廿年七月廿五日で、君の死を知ったのはその年の暮のこと、ちょうど二年前である。出陣の前月まで月に二回僕の家に集った二十數名の諸君のうち、戦歿したのは君一人、比島へ征(い)</r
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ノンフィクション 水上心中 太宰治と小山初代
一 女学校一年のときなので昭和十年のことにちがいない。ある雨上りの午後、わたしは田端駅を出て、高台につづくだらだら坂にさしかかり、劇的な場面に出会った。目の前で若い男が、並んで歩いていた妻らしい若い女を、力まかせに水たまりにつきとばしたのである。 女は抵抗せずにされるままとなり、下半身のきものを泥だらけにして倒れた。苦渋の表情をうかべた男の、秀麗とでもいいたい容貌が、わたしの目をとらえる。それにしても、水たまりに膝をついたまま、いつまでも立ち上らない女の耐え方も、わたしに不思議な興奮を誘った。 どちらも良
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小説 光の中に
一 私の語ろうとする山田春雄は実に不思議な子供であつた。彼は他の子供たちの仲間にはいろうとはしないで、いつもその傍を臆病そうにうろつき廻つていた。始終いじめられているが、自分でも陰では女の子や小さな子供たちを邪魔してみる。又誰かが転んだりすれば待ち構えたようにやんやと騒ぎ立てた。彼は愛しようともしないし又愛されることもなかつた。見るから薄髪の方で耳が大きく、目が心持ち白味がかつて少々気味が悪い。そして彼はこの界隈のどの子供よりも、身装(みなり)がよ
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評論・研究 子供たちに健康な未来を手渡すことが、地域を元気にする
フランスというとファッションや映画、あるいはシャンソンなどの音楽、そして有名シェフのグルメがよく知られていて、都市のイメージが強いかもしれません。ところがEUのなかでもトップクラスの農業国で、自給率はオーストラリア、カナダ、アメリカに次いで世界4位。穀物自給率(小麦や米などの穀類)はオーストラリアに次いで第2位という世界でも有数の農業国であり農産物の輸出国なのです。 ちなみに日本は自給率40%、穀物自給率は27%で、世界の先進国では最下位。世界でも大きな食糧輸入国であり、フランスとは対極にあります。 フランスでは戦後から農家の大規模化が進められてきま
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評論・研究 所謂社会小説
近来社会小説を口にする者漸く多し。其の意義の如何(いかん)は兎(と)もあれ、斯(か)くの如き要求の現れ来たりし源を考ふるに、例の文学界の狭隘なると、新奇を好むの傾向とは、此の呼声を高からしめし主因なるべし。稍(やや)</rp
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評論・研究 大逆事件・明治の終焉
大逆事件 西園寺内閣の毒殺 日比谷騒擾(そうじょう)事件(=日露戦争の講和条件に不満な大衆が暴動に出た騒ぎ。)ののち、講和条約の後始末が一段落すると、桂(太郎=長州閥の実力者、前総理</spa
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評論・研究 岩瀬肥後守の事歴
幕廷にては軍国の仕来(しきた)りにて殊の外に目付(めつけ)の役を重んじたり、抑(そもそ)も此官は禄甚だ多からず、位甚だ高からずと雖(いへど)も、諸司諸職に関係せざる無きを以て、極めて威
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アーカイブ 哀草果秀歌二百首 (高橋光義選)
米搗くがあまりのろしと吾が父は俵編みゐて怒るなりけり (山麓) ひた赤し落ちて行く日はひた赤し代掻馬(しろかきうま)は首ふりすすむ ぐんぐんと田打をしたれこめかみは非常に早く動きけるかも 入りつ日に尻をならべて百姓
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小説 軍旗はためく下に(抄)
司令官逃避 ――陣地は死すとも敵に委すること勿(なか)れ。(「戦陣訓」より) 〈陸軍刑法〉 第四十二条 司令官敵前ニ於テ其ノ尽スヘキ所ヲ尽サスシテ隊兵ヲ率(ヒキ)ヰ逃避シタルトキハ死刑ニ処ス。 註</s