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生活革新の機来る

 突然起つた今回の大震災は東京横浜及其近県に(おびたゞ)しい惨害を与へて、凡ての人の恐怖を極度ならしめた。

 過去数十年に築いて来た文化の中心は、一朝にして灰燼と帰して、再び人力の及び難い域にまでも達したものがある。

 此震災火災が、どれだけ大きな影響を我国文化の上に投げかけたかといふ事は殆ど私たちに想像も及ばないが、学問上の文献等の焼失したものは再び取り返しがつかないとしても、他の事業に於ては焼失したのは建物や物品に留つて、重要書類は安全で直ちに業務を開始する事が出来、重大な損失にひるまず、各自恢復に志して居る人々の努力は驚くべきものがある。

 危急の場合に僅かに生を得た時、凡てを失つた悔よりも、命一つを拾つた喜びの方が多いであらう。今回の災害に只生き延びた事を以つて充分の感謝とする人がいかに多い事か。恐らく今までこれほど人間が謙譲な心持になつた事は()いであらう。

 万巻の書を読み破るよりも、只一度の大天災は、一瞬の危急のうちに人生の哲理を凡て体得せしめたとも云はれる。

 死といひ、生といひ、生の意義といひ、今人々の心には、不言のうちに鮮かに其人の生活に応じて誤たず示されて居る。

 たとひ災禍に遭はなかつた他の人でも、此未曾有の出来事について、誰か平気で居られよう。

 生の尊とさは今万人の頭に鋭く彫りつけられて居る。

 都市として、新東京は耐火耐震の理想的のものとなるであらう。又左様でなければならない筈である。

 ところで同様に、此災禍によつて、洗ひあげられた人々の心は、各自の心持の上にも、殊に家庭生活の上に、新らしき信条の上に立脚して一つの転機を見なければならない。

 耐火家屋のある中に、多くの木造の家が並んで、一なめに焼きつくされた様に、現時の家庭生活の状態が、耐火耐震的の基礎にたつものがいかに僅少で、もし事があればすぐに崩壊する様な不安定なものがいかに普通に考へられて居るだらうか。

 形の上に災害に対する防備のなると共に、私達は、内容に於て、いかなる天災地変にもくだけない新らしい家庭の様式を一日も早く実現せられん事を切望してやまないものである。

 火事はあるかも知れない、けれども多くの場合それに遭はないですむ人が多数である。それ故其の多くの場合をたのんで居た。地震にしても同様である。(もし地震の事を考へたら、重い瓦を只置き並べた東京の安普請は出来ない筈である)。

 同様に、今回の惨事によつても一家の主人を失つた多くの人があるが、平時でも主人の死去の場合に、有り得べからざる事が起つた様に急に周章(あわ)てゝうろたへるのは、丁度耐火建築をしないで全焼に遭つて呆然とすると同様である。

 それらの急にあわてる人の過去の生活は、世間体を全く円満に上品につくろつて社交の儀礼を尽くし、相当の服装をし、結構ではあるが自分の為の生活よりは、他人への見栄のための生活を大部分にした人達である。

 現在の社会状態は、よほどの恒産あるものでなければ、主人の月々の俸給に衣食して体裁よく暮すといふ事は絶対に出来ないと云つて過言ではない。少なくとも一方に万一の場合の準備を一歩づゝ積みあげるものにとつて、何等世間体を張る余裕のあり得ないことは、動かすことの出来ない事実である。

 

 それにも拘らず旧習による「すべき事」といふ儀礼を廃する事の心許なさから、又物質によつて人間を尊敬する一般の風習に反ふ事の不愉快さから、多くの女性は出来るだけ都合をつけて虚飾のための費を(せつ)しる事が出来ないのであつた。

「安つぽい」といふ言葉はいかに卑しい無定見な言葉であらう。金銭を少く出して購つたものはきつと軽蔑されるといふのはいかに低級な一般の思想であらう。

 けれどもそれがどこまでも通用して来た。

 同じ財力のあるものが、高価なものを購つた後と、廉価なものを購つた後と(或は購はないですませた場合と)どちらが富んで居るかといふ計算は全く、此世の中には通用しない事で、金時計を持つものは必ずニツケルの時計をもつものより富んで居ると決められて居た。

 吾々の生活の上に、実際入用欠くべからざるものの量は、計算して見れば思ひの他に少量である事を知る。他は皆、客が来た時に出すものとか、外出の時に使ふものとか凡て対他的に用ひる品許りである。そして、多くはそれらのものに高価なものを持つのが一般である。

 非常の場合に避難する時に、最優者は持物の(すくな)い人である。己れを助けるための物質にわづらはされて、彼の火災当日、出来るだけ多くの荷を持ち出して避難して、身一つならば生きられる処を、身体の周囲に置いた荷に火が移つて自分の荷のために焼死した人がどれだけあるか知れないといふ事であるが之は最明白な例であらう。

「身につけるものの他には鍋一つあれば生命はしのげる」と罹災の、ある人の云つた言葉は真理である。

「焼け出されて見ると、今までのあらゆる必要品は(ことごと)く贅沢品だつた」と同じく云つた言葉を私は其侭凡ての人の生活の上にあてはめて見たい。

 手一杯に生活して居た従来の生活はどうしても此処に新しい面目にかへられなければならない。

 文化生活の名のもとに、道具だて許りして、内容の空虚だつた知識階級の「平安」な家庭生活を一変しなければならない。

 椅子テーブルにして子供に洋服を着せて、生地を自ら仕立てゝ最上の経済を計つたつもりで安閑として居た奥様階級に、もつと徹底した経済的の頭脳の働かないうちは、或は主人の蹉跌(さてつ)によつて家庭のぐらつく様な事も当然起るであらう。

 多くの失職者を出した家庭には、冬を前にして悲痛なる空気が襲つて居よう。

「年末賞与を何に使ふべきか」左様(さう)した愚問が婦人雑誌に掲げられて怪しむものもない様な太平な世の中から一躍して今漸く真剣の世界に入らうとして居る。

 貰はない先に費途を考へる様な旧婦人の常態を全然脱して、良人の収入にのみたよらない健実な家計を基きあげる事は凡てに対する防備である。

 そのために、私達の生活様式は悉く一新されてよい。又今は革新の好機である。

 美衣を着てあるくと往来の労働者に(なぐ)りつけられるといふのは、持たぬものが持てるものを羨む心と、他に時にとつて彼等の変態性慾に女性は当分悩まされるかもしれないが、此機会に要りもしない着物を沢山こしらへて得意になつて居る従来の一般女性の弊風は一掃されて然るべきである。

 勿論私の前述の様な事が実現されると否とは、これから後の女学校教育の根本の改善と、従来行はれて居る嫁入支度といふものゝ全廃によつて定まる事を断言するに躊躇しないものである。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2006/01/06

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三宅 やす子

ミヤケ ヤスコ
みやけ やすこ 小説家・評論家 1890・3・15~1932・1・18 京都に生まれる。お茶の水高等女学校卒。少女時代から雑誌に投稿をはじめ、結婚後も夏目漱石・小宮豊隆に師事。夫と死別後、文筆で立つ。小説は通俗的で、漱石などから「大味」との評を免れなかったが、大正・昭和期の廃娼運動や婦選運動にも取り組み、自己の体験に基づく啓蒙的な評論、講演活動を展開。個人誌「ウーマンカレント」を発行するなど多方面に活躍した。

掲載作は、1923(大正12)年、新作社出版刊『生活革新の機来る』より収録。

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