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非戦論

  戦時に於ける非戦主義者の態度

 

 私共は戦争が始まりたればとて私共の非戦主義を()めません、否な、戦争其物が非戦主義の最も好き証明者でありますから、私共は面前(まのあたり)戦争を目撃するに(あたり)て、益々私共の確信を強めるのであります、国家経済に関することは私共の多く知らないことでありますから、私共はそれに就ては何にも申しません、然し其道徳上の悪影響は実に甚だしいものでありまして、私共の如く道徳を以て人類に取り最も大切なるものであると見做す者に取りましては、()し戦争が大々的勝利を以て終ると致しまするも、其得る所は決して失ひし所を償ふに足りないと信じます。

 人は敵の悪事のみを語て我が悪事は悉く之を蔽ふを以て普通の人情であると信じ、之を為すを以て愛国心である、敵愾心であると唱へて居ります、然しながら彼等は此事を為して(おのれ)の為めに如何に大なる災害を積みつゝある乎を知りません、仁慈といひ、寛容といふことは決して他人のためのみではなくして亦自己(おのれ)の為めであることは倫理学上、善く分つたことであります、敵を憎めば(おの)づと人類全体を憎むに至り、其結果(おの)が同胞を憎み、己が骨肉を憎み、終には己れ自身までを嫌ふに至ることは理論に訴へ実験に照らして極く明白なることであります、故に吾人の最も努むべきことは誰彼(たれかれ)を憎む、憎まぬといふことではなくして、憎悪(にくみ)の念其物を心に蓄へないことであります、「他人(ひと)咒詛(いの)らば穴二つ」との諺は此原理から出たものであります、敵を憎むの心は戦争(たゝかひ)終つて後は同胞兄弟を憎むの心と変じます、爾うして其心は終に人生其物を憎む心と変じまして、斯かる心を挑発して止まざれば人は終には自己の身を害はんとするの心を醸すまでにいたります、是れ実に恩恵(めぐみ)に富める天然の法則でありまして、天然は斯く原因結果の大綱を以て全人類を繋ぎ合せて同類間の争闘殺伐を防ぐのであります。

 斯う申しますると多くの人々は申します、「夫れならば何故非戦主義を唱へて開戦後の今日と雖も開戦前の如くに戦争に反対しない乎」と、此詰問に対して私共は斯う答へます。

 一、私共は戦争の破裂するまでは私共の微力のあらん限り、之に向つて反対を唱へました、然しながら私共の切望が納れられずして、開戦となりました以上は、それで私共が戦争に対して取るべき手段が一段落を告げたのであります、言ふまでもなく、非戦主義とは平和主義の(こと)でありまして之を非戦といふは平和の消局的一面をいふのであります、爾うして戦争を喰止めて平和を維持せんとの私共の希望が破れた以上は、私共は今度は如何にして一日も早く平和を恢復せん乎との思考(かんがへ)を起すに至つたのであります、言ふまでもなく、主義は我がためのものではありません、国家、杜会、人類のためのものであります、私共が主義を遂行(すゐかう)せんとするは私共の名誉を博せんとするためでもなく、亦た我が潔白を世に表して(おの)が満足を買はんとするためでもありません、平和主義者の義務と責任と目的とは平和の維持又は其恢復にあります、爾うして之を維持し切れざる場合に於ては第二の手段として其恢復の期を早め、且つ其機会を作るにあります、堰止(せきとめ)んとして止め得ざりし水は第二の堰を作つて之を止めんとするのみであります、然るを第一の堰の破れしを憤り、水を叱り、堰守(せきもり)を罵るのは快は少しく快なるかもしれませんが、然かし是れ何の益にもならないことであります、国民の憤怒は今は既に放たれて大河の土堤を決せしが如き勢力を以て敵国に向て注がれつゝあるのであります、是れは今は冷静なる忠告を以て留めることの出来るものではありません、私共平和主義者が全然事理を解せざる者でない以上は今の時に方て非戦を疾呼して戦闘を阻遏(そあつ)せんとするやうな、そんな愚かなることは致しません。

 二、平和を(すす)めるの時期は未だ当分来たらず、去ればとて戦争を止めることは出来ません、それならば私共平和主義者は今は茫然として手を(つか)ねて居る乎といふに決して爾うではありません、爰に今日、私共にとりて最も相応(ふさは)しき一つの事業が具へられてあります、それは出征兵士の遺族の慰問であります、私共、金銭に乏しき者は勿論、世の宝を以て多く彼等可憐の民を慰めることは出来ません、然しながら慰藉は金銭の施与にのみ限りませんから、私共は力相応(ちからさうおう)援助(たすけ)を彼等に供することが出来ます、或は彼等の家事の相談相手となり、或は我が家の剰余品を以て彼等の不足を補ひ、又或る特別の場合に於ては彼等に心霊上の慰藉を供して彼等の寂寥の一部分を(いや)すことも出来ます、我等は斯うして軍人を慰めて別に戦争其物を是認するのではありません、是等無辜(むこ)の民に取りましては戦争は天災の一種と見ても宜しいと思ひます、是れは彼等が招いて起つた事でもなく、又好んで迎へた事でもありません、故に私共は飢饉や海嘯(つなみ)の時に彼等を援けると同じ心を以て私共の満腔の同情を彼等に表することが出来ます、現に非戦論者として世界に有名なる露国のトルストイ伯の如きも、宣戦の布告に接するや、直に彼の著書一千組を寄附して其売上高を以て兵士遺族の救済に当てたとのことであります、此場合に於ける伯の此行為を評して伯を以てその平生の主義に背く者なりとなす者の如きは是れ伯の非戦主義を以て情もなき熱もなき、唯一片の偏屈(へんくつ)主義と見做す者であります、非戦主義は我がための主義ではありません、是れは人を救ふための主義であります、召集されし兵土を励まし、其遺族を慰むるが如きは是れ決して非戦主義に反くことではありません。

 三、戦争はもちろん永久に継続(つゞ)くべきものではありません、一日に百万以上の出費を要する戦争が何年も続くものでありますならば之に堪ゆるの国家は何所(どこ)にもありません、戦争は遊戯(たはむれ)ではありません、是れは国家の大患難であります、故に国家に最も忠実なる者は戦争を勧める者ではなくして之を引止むる者であります、爾うして不幸、開戦に至りました場合には一日も早く平和の克復せんことを計る者であります、爾うして真個(ほんたう)の平和は武力の圧迫に余儀なくせられて来るものではありません、(つるぎ)(さや)に収めることが永久の平和ではありません、言ふまでもなく平和とは好意より出た者でなくてはなりません、軍人は勝利を説き、政治家は国威宣揚を唱へまするが、然し真個(ほんたう)の平和はそんな低い(いやし)思念(かんがへ)より来るものではありません、永久に継ぐべき平和は敵を敬し、其適当の利益と権利とを認めてやるより来る者であります、若し人を殺して平和が来るものでありますならば盗んで富が来るに相違ありません、憎んで愛が来るに相違ありません、戦争は決して平和を作りません、爾う思ふのが日本国の政治家のみならず、世界万国の政治家の迷想であります、世に迷信があると言ひますが、戦争に関する文明人種の迷信に勝るの迷信はありません、戦争は人を殺します、産を破ります、総ての惨事、総ての悪事を惹起します、然しながら平和丈けは来たしません、平和の克復は戦争以外の事業であります、爾うして私共平和主義者は平和に達する常道を経て、之に達せんとする者であります、即ち総ての手段を尽して彼我の間に存する総ての敵意を排除し、彼をして我を信ぜしめ、我をして彼を敬せしむるの道を講ずる者であります、爾うして之を為すに種々の方法があります、今爰に其総てを述ぶることは出来ませんが、然し其一つを言ひますれば争闘は大抵は相互(あひたがひ)の誤解から来るものでありますから、私共平和主義者は彼我の間に立つて其間に存する総ての誤解を取除くやうに努めます、かの欧米の新聞記者等が(みだ)りに日露両国民の敵対心を増長せしめ、終に今回の此悲むべき破裂を見るに至らしめし一原因となりしが如きは、私共平和主義者の為さんと欲する所の正反対の所行であります、「平和を計る者は(さいはひ)なり、其人は神の子と称へらるべければなり」とは基督教の大教訓であります、然るに是等欧米人の如きは宣教師を他国に送つて其教化を計りながら、それと同時に国と国とを戦争に誘ひ、無辜(つみな)き民の血を流さしめて、却て得意然たるのであります、神は平和を愛し給ひ、悪魔は争闘を愛します、欧米人今回の所行は純然たる悪魔の所行であります、私共以来は彼等を平和の友としては迎へない積りであります。

 勿論今の時は平和主義者の活動の時ではありません、平和主義者の戦時に於けるは軍人の平時に於けるが如きものであります、即ち用の至て少い時であります、然しながら平和は人生の常態(じやうたい)でありまして、戦争は其非常態(ひじやうたい)でありますから、私共平和主義者の世に貢献すべき時は(ぢき)に来ります、平和克復の時に私共の服役は必ず要求されます、平和持続、和親深厚のために私共の助言と勤労とは必ず受納れられます、私共は戦時の今日は、軍人の平時に於けるが如く私共の労役の要求さるゝ時を静かに待つて居れば宜いのであります、新聞記者が筆を揃へて挙国一致を叫ぶからとて、平和主義者までが直に武装して職員に加はらんとするが如きは、是れ愚の極である計りでなく、国家に対しても尤も不忠実なることであります、若し国家は敵国の侵害を防ぐために軍人を要するとならば、其国土の発育のために、其富の増進のために、其社会の改善のために、其道徳の純正を守るために、更らに一層平和主義者の必要を感ずる者であります、若し国家を動物に譬へて見まするならば軍人は(つめ)(きば)のやうなものでありまして、是れは攻撃又は防禦の機関であります、是に反して平和主義者は胃の腑か腸のやうなものでありまして、是れは滋養補育の機関であります、爾うして虎や獅子の如き肉食獣に於きましては、爪と牙とは甚だ肝要なる機関ではありまするが、然し彼等と(いへども)も消化機の平和的作用なくしては一日も存在することの出来るものではありません、殊に羊、馬、牛の如き有用動物に於きましては、攻撃的機関は殆んど全く用なきに至りまして、消化機能は非常の発達を(あら)はして居ります、平和主義とは言ふまでもなく戦はないといふこと計りではありません、前にも述べました通り非戦は僅かに其消局的一面であります、平和主義の積局的反面は殖産であります、家庭の幸福、山林の栽培、鳥類の保護、河川の利用、土壌の増肥等、其他、総て平民の生涯を幸福ならしむることであります、斯かる事業を目的とする平和主義者が国に害があるとか、要が無いとか言はるべき筈はありません、主戦論者の言ふ処を聞きますれば戦争の目的は平和にあるとのことであります、私共は勿論斯かる背理は信じませんが、然し彼等の言に照らして見ましても私共平和主義者が国の根本であつて、軍人は僅かに其外壁丈けであることが分かります。

 平和主義者は戦時に在ては多くを為し得ません。然し唯一の事は決して之を為しません、即ち平和の主なるイエスキリストの言を引き来つて戦争を弁護するが如きことは決して為しません、是れ実にパウロの所謂る「恥づべき隠匿(かく)れたること」でありまして、神の道を(みだ)すことであります、成程キリストの言として録されたるものゝ中に戦争を義とするが如くに見ゆる言がある乎も知れません、然しながら我儕(わがせい)キリストのを知る者は戦争はキリストの心でないことは何よりも能く知つて居ります、キリスト教は真理(まこと)である乎、虚偽(いつはり)である乎、其事は全く別問題と致しまして、キリスト教が愛敵主義であり、無抵抗主義であることは何よりも明白であります、斯く云ひて勿論キリストは我儕に此罪悪の世に在て今日直に戦税を払ふ勿れ、兵役に服する勿れとは教へ給ひませんが、然しながら争闘は其総ての種類に於て我が意に最も適はざる者なりとは彼が明々白々に教へ給ふた所であります、然るを此基督教の大根本を会得しないで、其二三の句を引き来て戦争を弁護するが如きはキリストに対し最も不忠実なることであります、独逸(ドイツ)国伯林(ベルリン)大学哲学教授博士パウルセンは其近著『倫理組織』に於て述べて()ひました、

初代の基督教的生命の復興する所には流血を見るの嫌悪の念は其原始の勢力を以て顕はる、

と、基督教の教師が聖書の言を引いて戦争を奨励するが如き教会堕落の徴候はありません、斯かる教会は確かに主に呪はれたる教会でありまして、其呪はれたる最も確かなる証拠は戦争終へて後に彼等が不信者までに非常に蔑視(かろしめ)らるゝので分ります、平和はキリスト教の専門であります、是れあるが故にキリスト教は世界の尊敬を惹くのであります、然るを其教師が世の普通の愛国心に引かされて、其根本的教義までを曲ぐるに至りましては、是れ塩が其味を失つたのでありまして、後は用なし、外に棄てられて人に()まるゝ而已(のみ)であります(馬太伝五章十三節)、平和主義を唱ふるがために戦時に於て我儕が買ふ所の世の暫時的不人望の如きは一顧の価値もないものであります、斯かる時に奮然平和を唱道するからこそ、基督教は平時に於て照世(せうせい)の用をなすのであります、国家の要求する者は主戦論者に限りません、又非戦主義者にも限りますまい、然しながら国家の要求しない唯一種の人物があります、是れ即ち不実の人であります、爾うして基督教の教師にして聖書の言を引いて戦争を奨励する者の如きは斯の如きものであります、彼等は教会が要求しないのみならず、俗世界が要求しません、彼等如き教師を有つたる教会は(わざわ)ひであります、我儕平和主義者は戦時に在て何を為さなくとも、彼等に(なら)つて聖書の言を引いて戦争の弁護は致しません。

 

○内村生が開戦後口を閉ぢて非戦を唱へざるとて文学博士井上哲次郎氏并に『福音新報』記者などは嘲弄し又は冷評し居らるれども、生は決して沈黙を守らず、『神戸クロニクル』新聞の紙上を借り、開戦後今日まで四回、拙きながら生の英文を以て、其意見を識者に訴へたり、又之に対して海外新聞の批評もありたり、之を日本文を以て語らざるは日本国に今や日本人の筆に成る一個の非戦主義の有力なる新聞だもなきが故なり、『クロニクル』新聞記者ロバルト、ヤング氏は基督教には常に反対の態度を取らるゝ人なれども、哲学者スペンサーの流を汲み、常に戦争の害悪を唱へて止まざるの仁なり。

(『聖書之研究』明治三七年四月)

  余が非戦論者となりし由來

 

 私も武士の家に生れた者でありまして、戦争は私に取りましては祖先伝来の職業であります、夫れでありますから私が幼少の時より聞いたり、読んだりしたことは大抵は戦争に関することでありました、源平盛衰記、平家物語、太閤記、さては川中島軍記と云ふやうに戦争に関はる書を多く読んだ結果として、私も(つひ)此頃まで、戦争の悪いと云ふことが如何(どう)しても分らず、基督教を信じて以来(こゝ)に二十三四年に渉りしも、私も可戦論者の一人でありました、現に日清戦争の時に於ては、今とは違ひ、欧文を取て日本の正義を世界に向つて訴へんとするが如きものは極々少数でありました故に、ヨセば宜しいのに、私は私の廻らぬ鉄筆を揮ひまして、「日清戦争の義」を草して之を世に公にした次第であります、カーライルの『コロムウエル伝』を聖書に次ぐの書と見做しました私は正義は此世に於ては剣を以て決行すべきものであるとのみ思ひました。

 然るに近頃に至りまして、戦争に関する私の考へは全く一変しました、私は永の間、米国に在るクエーカル派の私の友人の言に逆ひて可戦説を維持して来ました、然るに此二三年前頃より終に彼等に降参を申込まねばならなくなりました、或人は是れが為めに「変説」を以て私を責めますが、ドーモ致し方がありません、私は戦争問題に関しては実に変説致しました、西洋の諺にも「智者は変ずる」と云ふことがありますから、私の如き愚かなる者も、若し充分なる適当の理由がありますれば、斯かる問題に関しては説を変じても宜しからふと思ひます。

 扨、何が私を終に非戦論者となした乎と云ふに、夫れには大分理由があります、私は今茲では其(おも)なる者丈けを述べやうと思ひます。

 一、私を非戦論者にした者の中で最も有力なる者は申すまでもなく聖書であります、殊に新約聖書であります、私は段々と其研究を継けて終に争闘なる者の其総ての種類に於て避くべきもの、嫌ふべきものであることを覚るに至りました、新約聖書の此句彼語(このくかのご)を箇々に捉へないで、其全体の精神を汲取りまして、戦争縦令(たとひ)国際間のものでありとするも、之を正しいものとしては見ることが出来なくなりました、十字架の福音が或る場合に於ては戦争を()しとするとは私には如何しても思はれなくなりました。

 二、私をして殆んど極端なる非戦論者とならしめし第二の源因は私の生涯の実験であります、私は三四年前に或る人達の激烈なる攻撃に遭ひました、其時或友人の勧告に従ひまして、私は我慢(がまん)して無抵抗主義を取りました結果、私は大に心に平和を得、私の事業は其人達の攻撃に由り、差したる損害を被ることなく、夫れと同時に多くの新らしい友人の起り来りて私を助け呉れるのを実験しました、私は其時に争闘の如何に愚にして如何に(みにく)きものであるかを浸々(しみじみ)と実験しました、私は確かに信じて疑ひません、私が若し其時に怨を以て怨に報ひ、暴を以て暴に応じましたならば、多少の愉快を感じましたらふが、私の事業は全く廃れ、今の私は最も憐れな者であつたらふと思ひます、羅馬書十二章にある保羅(パウロ)の教訓を充分に覚りましたのは実に其時でありました、此事は勿論私事ではありまするが、併し私は其れに由て総ての争闘の愚にして且つ醜なることを覚りました、何人でも己れ自から無抵抗主義の利益を実験したる者は必ず彼の国に向つても同一の主義の実行を勧めるであらふと思ひます

 三、私をして非戦論者とならしめし第三の動力は過去十年間の世界歴史であります、日清戦争の結果は私にツクヅクと戦争の害あつて利のないことを教へました、其目的たる朝鮮の独立は返て危くせられ、戦勝国たる日本の道徳は非常に腐敗し、敵国を征服し得しも故古河市兵衛氏の如き国内の荒乱者は少しも之を制御することが出来ずなりました、是は私が私の生国なる日本に於て見た戦争(而かも戦勝の)結果であります、若し其れ米国に於ける米西戦争の結果を想ひますれば是よりも更らに甚だしいものがあります、米西戦争に由て米国の国是は全く一変しました、自由国の米国は今や明白なる圧制国とならんとしつゝあります、現役兵僅かに二万を以て足れりとし来りし米国は今や世界第一の武装国とならんと企てつゝあります、爾うして米国人の此思想の変化に連れて来た彼等の社会の腐敗堕落と云ふものは実に言語に堪えない程であります、私は私の第二の故国と思ひ来りし米国の今日の堕落を見て言ひ尽されぬ悲歎を感ずる者であります、爾うして此堕落を来たしました最も直接なる原因は言ふまでもなく米西戦争であります、其他英杜(えいと)(ボーア)戦争の結果に就ても多く言ひたいことがありまするが夫れは他日に譲ります。

 四、私を非戦論者になした第四の機関は米国マッサチューセット州スプリングフィールド市に於て発行せらるゝThe Springfield Republicanと云ふ新聞であります。私は白状します、私は過去二十年間の此新聞の愛読者であります、斯くも永く私が読み継けた新聞は勿論日本にもありません、私の世界智識の大部分は此新聞の紙面から来たものであります、此新聞は私の見た最も清い最も公平なる新聞であります、之を読んで頭脳(あたま)が転倒するやうな患ひは少しもありません。常に平静で常に道理的で、実に世界稀有の思想の清涼剤であると思ひます、爾うして此新聞は平和主義者であります、絶対的非戦論者といふではありませんが、併かし常に疑ひの眼を以て総ての戦争を見る者であります、彼は彼の国人の輿論に反対して痛たく菲律賓群島占領に反対しました、彼は常に英国帝国主義の主道者なるチャムバーレン氏の反対者であります、爾して此新聞を二十年間読み継けまして、私も終に其平和主義に化せられました、其紙上に於て世界有名の平和主義者の名論卓説を読みまして、私の好戦的論城は終に全く(こは)されました、或人が此新聞を評して「其感化力に新約聖書のそれに似たるものあり」と言ひましたが、実に爾うであります、『スプリングフィールド共和新聞』は其二十年間の説教の結果、終に私をも其信者の中に加へました。

 此外にもまだ私を非戦論者になした勢力はありませう、然し是の四つのものが其重なる者であります、殊に近頃私をして非戦論に関する私の確信を固めしめましたものは哲学者故スペンサー氏の戦争に関する意見であります、氏の戦争論に就ては他日別に御話しいたしたく思ひます。

 私は終に非戦論者となりました、然かし非戦論とはたゞ戦争を非とし、之に反対すると云ふこと計りではありません、非戦論の積極的半面は言ふまでもなく平和の克復並に其耕脩(かうしう)であります、私は神に祈り、神若し許し給はゞ国民の輿論に逆つて、此時に際して非戦論を唱へた賠償として、微力ながらも、出来得る丈けの力を尽して、平和克復の期を早め、敵国との好意交換の基を作りたく思ひます、ドウゾ本誌読者諸君に於ても此ために御祈り下さらんことを願ひます。

(『聖書之研究』明治三七年九月)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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内村 鑑三

ウチムラ カンゾウ
うちむら かんぞう 宗教家・思想家 1861・2・13~1930・3・28 群馬県高崎の人。生まれは高崎藩江戸藩邸という。札幌農学校2期生。在学中にキリスト教の洗礼を受け、明治17年渡米。帰国後第一高等中学校教師となるも、不敬事件で辞職。万朝報記者となった後、「聖書之研究」を創刊。日露戦争に際して、自身の信奉するキリスト教を基盤とした非戦論を主張。主著に『余は如何にして基督信徒となりし乎』がある。

掲載作は自ら主宰する「聖書之研究」に掲載した論に「非戦論」とタイトルを付し、2篇を掲載した。

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