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喪失の時

   1 一ノ瀬家の夏

 

 八月の夏の盛り、一ノ瀬家の開け放した縁側から部屋の内には、明るい光があふれていた。暑さにも身体がなれてきたせいか、梅雨あけ頃のような耐えがたさやけだるさもあまり感じることがなくなった。

 縁側に面した四畳半で、長女の真佐子は女学校の制服のひだスカートにアイロンをかけている。

 傍らでは母の明子がミシンを踏んで、頼まれものの洋服を縫っている。

「お母さん、これひどいよ。見て。こんなに摺れて薄くなってる」

 真佐子は高等女学校の五年生。まる四年間以上、夏冬通して着通した紺サージのスカートを、夏休みの間に自分で洗濯し、霧を吹き吹きアイロンをかけているのだが、裾やひだ山などのいたみ具合がひどい。日差しにかざすと、ひだ山が縦形のすだれのように光が透けてみえる。

「ほんとにね。でももう一年たらずだからね。それまでもってくれればいいけどね」

 明子はちらっと真佐子の方を見たが、仕事の手は休めずに言った。

「短冊みたいになっちゃったらどうしよう」

「あんまりひどいところは、裏から当て布するしかないでしょう」

 この四畳半とは鍵の手になっているもう一つの四畳半の茶の間では、次女の奈保子が、色とりどりの端ぎれを広げて何か一生懸命やっている。奈保子は真佐子より四歳年下で、同じ女学校の一年生。母の明子に似て、手先が器用で手芸などが好き。明子がずっと内職仕事にやってきた洋裁の裁ちくずの端ぎれを使って、アップリケで飾った小物入れを作ろうとしている。

 デザインが決まり、布の色合わせと選択がきまると、奈保子の口から自然と鼻歌がもれる。

  きんらんどんすの帯しめながら

  花嫁ごりょうはなぜ泣くんだろ

 アップリケの図柄を姉さま人形にすることにしたので、自然に出てきた童謡だったけれど、こうした歌も明子ゆずりのものだ。明子は童謡、唱歌、ラジオ歌謡なんでも好きで、すぐに覚えてしまい、仕事をしながらでも、台所に立っていても、いつの間にか口ずさんでいたりして、子供たちは幼い頃から母の歌声を聞いて育ったものだ。

 でも奈保子は、小学校の高学年くらいになった頃からは、母の歌声が恥ずかしくなっていた。家の中で歌うくらいはいいのだが、国防婦人会の会とか、出征兵士を送る時とかに母と一緒に行ったりすると、明子は他人より一オクターブは高いと思われるような声を張り上げて、自信まんまんに歌う。家では父の連太郎に遠慮しているらしいが、そんな時には堂々と歌えるのが嬉しくもあり、自慢なのかもしれない、と奈保子は思うが、その目立ちかげんが恥ずかしいのだった。それでなくても昔から洋装を通している明子は目立つ人であった。

 この家の一番奥に当たる六畳間が主の一ノ瀬連太郎の書斎になっている。北向きの窓際に置かれた文机に向かって、もの書きの連太郎は坐っている。

 周囲には、下書きの書き損じや、開かれたままの本や、新聞・雑誌類が雑然と置かれている。机の上には原稿用紙があるが、文字がなかなか記せぬまま時が流れている。

 家の中の家族の様子や話し声がいやでも伝わってくる。

 ――ああ。

 連太郎は思わず吐息をもらす。この苦しい時代にありながら、娘たちの日々はまずは平穏だ。育ち盛りの生命力が、物の欠乏や生活の不如意を苦痛とは思わず、はね返してしまうのかもしれない。

 しかし、このかりそめの平穏がいつまで続くのだろうか。

 連太郎は、机の前を離れた。縁側に出て何ということもなく庭を眺める。

 夏の庭は葉を密生させた木々の緑でおおわれている。梅、柿、無花果、椿、雪やなぎ、さるすべり。樹木の姿も葉の形もそれぞれ違っているが、この季節に太陽をいっぱいに吸い込んでおこうとして、よい場所を得ようとそれぞれが精いっぱい枝を伸ばしている。射るような強烈な日差しが緑の葉を輝かせ、かすかな風に踊っている。たくさんの葉っぱの層をくぐり抜けてこぼれ落ちた光の影が、地面に模様を描いている。

 地面も雑草で半ばおおわれた。抜く者がいないから、たくましい草々は、おこぼれの日の光でも充分にはびこる。雑草もまたよく見れば、かやつり草あり、ねこじゃらしあり、つゆ草あり、水引きありとさまざまで風情がある、と、言い訳じみた理屈をつけて見ている。

 五年前にこの借家に越してきたのだが、比較的家賃が安かったのと、小さな家のわりには庭があるのが気にいった。といっても越してきた時は、隣との境に植えられていたひばの木と、赤い実をつける青木と、八つ手があったくらいで、二十坪ほどの庭は殺風景だった。 連太郎が折にふれ植木屋から、一本また一本と買ってきて植えた。

 寒椿は、真冬にぼたんのような八重の真っ赤な花をつける。梅は、早々と春を告げて可憐で凛々しい白い花を開く。雪やなぎは、雪も降らない春に、たわわに雪をのせたような真っ白い小さな花の密集で、か細い枝をしなだれさせる。花の少ない真夏から初秋にかけて、さるすべりは薄紅色の柔かい房のような花を咲かせ続けて、長く楽しませてくれる。その花がいま咲いている。別名を百日紅ともいうのは、百日近くも花が咲き続けるからであった。

 季節を決して忘れず、時がくれば芸術的に自らを飾る樹木の生命に、連太郎は感動せずにはいられない。そして仕事に疲れた時、ゆき詰まった時、理屈なしにただ庭を眺めるのが好きであった。

 玄関のガラス戸が開いたようだ。

「ごめんください」

 と、男の声。

 真佐子がアイロンを置いて立っていった。

「あら」

 真佐子は小さく叫んだ。くるりと客に背を向け、小走りに母親のところへきて、

「あの方がいらした。……松浦さん」

 言いながら、真佐子は自分の頬が少し上気してきたような気がし、それを恥じるように頬に手を当てた。

「松浦弘さん? じゃお父さんに知らせて」

 明子はミシンを止め、糸くずのついたスカートを払いながら玄関へ出た。

 連太郎は縁側にいたので、松浦弘の来訪を真佐子から聞くと、

「そう」

 と言って部屋に入り、机のまわりなどを片付ける。片隅に立てかけてある紫檀のテーブルを中央に置いたりして、真佐子が出ていくのと入れ違いに、弘が入ってきた。

「やあ、いらっしゃい」

 連太郎が迎え入れる。

アイロンかけの途中だった真佐子が、 

「お茶、お願いね」

 明子に言われ、アイロンのコードを抜いて台所にいった。

 ガス台にやかんを掛けていると、奈保子が寄ってきた。

「おねえちゃん、あれ作ろうか」

「あれ? うん、お母さんにきいてくる」

 真佐子の後について奈保子はにこにこ笑っている。明子は二人の娘に、

「そうね、いいよ」

 と答えた。奈保子は嬉しそうだ。

 お湯がわいてきて、お茶を入れている真佐子の傍らで、流しに向かった奈保子は、さつまいもの皮をむき始めた。それを細かいさいの目切りにし、小麦粉と混ぜ、干しぶどうを少し、砂糖と塩少々、ふくらし粉をいれて、ほどよい固さになるよう水でさっとまとめて、蒸し器で蒸しパンを作るのだ。

 何かしら作ることの好きな奈保子は、小学生の頃から結構お料理やお菓子作りなども好きで、母親が洋裁仕事で忙しいため、代わってよく作っていた。

 いまはお菓子もほとんど買えなくなったし、食料品は乏しく、砂糖も配給制になってしまったので、誰の工夫というわけでもないが、一ノ瀬家ではよく蒸しパンを作った。奈保子の得意種目の一つだった。

 お茶を運んで戻った真佐子も妹に手伝って一緒に作る。

 蒸し器の蓋のすき間から勢いよくあがる湯気に、蒸しパン独特の匂いが加わった。

「もういいかな」

 奈保子が蓋をあけ、湯気の中に薄黄色く小山のように盛り上がっているかたまりに箸をさしてみる。箸に小麦粉のねばねばがつかなければよいのである。

「できた」

 火を止めて大皿に取出し、ふわふわに蒸しあがったパンを、真佐子が五人分に切り分ける。奈保子は茶の間に広げていた手芸の材料を片づけ、食卓をひろげ、銘々皿や紅茶カップやホークやスプーンを用意する。

 少しばかり買いだめしておいたココアを入れる。

 用意ができると、明子が、連太郎と松浦弘を呼びにいった。

 食卓を囲んで五人が席についた。

 東の窓際に坐った客の弘は、白のワイシャツに黒の学生ズボン姿でかしこまっている。

「こんなものですけれど、娘が作りましたので召し上がって下さい」

 弘に向かって明子が言った。

「はあ、いただきます」

 依然として弘は固くなったままだ。

 さっきまでは、連太郎の部屋でずっと話し合っていた様子なのに、いまは黙ってココアを飲み蒸しパンを口に運んでいる。

 パンの今日の出来具合はどうかしら、お客さまにとっておいしいかしら、それが気になって真佐子と奈保子は、自分では味がわからない程気もそぞろに、弘の手もとをみつめ、表情をみつめたりしていたが、弘は何も言わなかった。

 松浦弘が一ノ瀬家を初めて訪れたのは、今年の春、静岡から上京し、早稲田大学に四月から入学するという時だった。

 弘の父の松浦和介が、連太郎の昔の文学仲間で、上京したら連太郎を訪ねるよう言われたという。

 それから今までに二回は来ていた。

 一ノ瀬家の女たちは、弘に対して、気持ちのうえではもうかなり親しみを感じていたが、訪れてくると、だいたい連太郎の部屋で連太郎とだけ話していることが多かったから、口をきくということではまだ双方ともにあまりなれてはいなかった。

 会話を引き出すのは明子だった。

「夏休みになって、お家にはお帰りになったの?」

「はあ、帰ってきました。おととい東京へ戻ったところです」「お父さまお母さまはお元気ですか」

「まあ、どうにか元気にしております」

「それはよろしいですね。……東京の生活は食料も年々不自由になって、下宿ではどんなですか」

「そうですね。春に来た時からくらべると、また一段とおかずが減りました。ご飯も麦入りやいも入りで、どんぶりにカサッと一杯きりで。でもどこも同じような具合ですから」

 そんなあたりさわりのない会話がしばらく続いた。

 明子が、弘に話しかけたい懐かしさを感じるのは、彼女が子供の頃から娘時代にかけて早稲田に住んでいたことからでもあった。

 家の前を東西に走る路地のつきあたりに大隈重信邸の塀がみえ、内側に鬱蒼と繁る樹木がみえた。少女時代の思い出といえば、早稲田界隈一帯が浮かんでくる。十代の終りのころに親が素人下宿を始め、二階の二部屋をそれに当てた。下宿人となった連太郎に見初められて明子は結婚したのである。

 いま松浦弘が下宿している家は、明子の里だった家より西の方、戸山ガ原に近い穴八幡のそばだという。そのことはもう前に来た時にきいた。

「穴八幡や戸山ガ原にはよく遊びにいきました。穴八幡の近くに同級生の家があったんです。角のところの酒屋さん。今でもありますか」

 そんな話をしたのである。

 早稲田近辺のことになったら、いくらでも話はつきないように思えたが、連太郎は以前から、明子があまり連太郎の知人に親しげな口をきくのを嫌い、何度かおこられた経験があったから、たとえ息子のような若い弘に対しても、夫の前では遠慮がちになってしまう。

 会話がとぎれ、手持ち無沙汰になりかかった時、言い出そうかどうしようかためらった様子で、弘が口を開いた。

「目黒の駅を出て、権之助坂とは反対の方向に少し坂を下って左に入ったところに目黒キネマっていう映画館がありますけど、そこでいま『未完成交響曲』という映画をやっています。これをお嬢さんと一緒に観にいってはいけませんか」

「あら、『未完成交響曲』観たい!」

 思わずという感じで真佐子が声をあげた。

ちょっと恥ずかしくなって頬を染め、上目づかいに父を見た。言い訳のように少し声を落としてつけ加えた。

「シューベルトの未完成交響曲のレコード、ついこの間買ったところなんですもの」

 そもそも蓄音機を買ってきたのは連太郎である。何か収入があると連太郎はよく古道具屋へ行った。骨董品が好きなのだが、だいたいが高すぎて手が出ない。それでも掘出物の壷や皿、掛け軸などを見つけてよく買ってきた。けれど六畳の床の間に飾ってあった古伊万里らしき鉢がしばらくすると消えていたりする。しまいこんだのではなく、生活費に迫られて背に腹はかえられず売ってしまうのだ。

 蓄音機は、二ヵ月くらい前、古道具屋が届けてきた。

「何これ、どうしたの」

 びっくりしている家族に、めずらしく機嫌のよい顔の連太郎が出てきて、

「お前たちに買ったんだ。世の中殺伐としてきたからな。いい音楽でも聴くことさ」

 ベートーベンの田園交響曲のレコードがついていた。さっそくレコードを盤にのせ、ハンドルをぐるぐる回し、針を置くと音楽が流れ出した。真佐子も奈保子もお金持ちの友達の家でしか蓄音機をみたり、レコードをかけたりしたことがない。我が家にいまそれがある! 嬉しくて酔ったような気分になったのだった。

 弘の誘いに、両親はしばらく何も言わなかった。明子が連太郎の顔をうかがうように見た。

「そうだなあ。近頃ますます若い男と女が一緒に歩くのがうるさくなってきたが、兄妹ということならかまわないだろう。そういうふりをしていればな」

「真佐子と? 奈保子も一緒でいいんでしょ」

 明子が言葉をそえた。

「ええ、もちろん」

 弘は奈保子を見て微笑んだ。

「わっ、嬉しい」

 両手をパチッと打って奈保子はにこにこし、

「何を着ていこう」

 と、もう着るものの心配。

 食器を片付けようとする真佐子に、明子が、

「お母さんが片付けとくからいいよ。早く支度しなさい」

 真佐子は白いピケのフレヤースカートに赤い花模様のあるブラウス、奈保子は紺の模様柄に白の衿のついたワンピースを着た。洋服はすべて明子が作るのだが、夏のよそ行きは今は選ぶまでもなくこれしかない。

 がま口とハンカチちり紙の入った小さな布製バッグを持った姉妹は、弘と連れ立って家を出た。

 

 スクリーンいっぱいに広がった外国の田園風景が、ぐらぐらと揺れ動き出した、と見るまに風景は縮まっていき、額縁に納まった絵になった。まだ揺れている風景画は、一人の男が背負って歩いていたのだ。男は貧乏な若い音楽家シューベルト。生活費に迫られて質屋に向かっていた。

 しゃれた出だしの画面に、真佐子はたちまち引き込まれた。

 真佐子が自分で初めてレコードを買った大好きな未完成交響曲を作曲するシューベルト。クライマックスは、心魂こめて作曲した交響曲を、パトロンのお金持ちの未亡人のサロンで演奏する。しかし演奏の途中で、なぜかその婦人は声を立てて笑う。笑い声はヒステリックなまでに高まり、音楽に聴き入っていた人々はしんとなって婦人とシューベルトを見くらべる。演奏は止み、曲はそこまでとなり、未完成に終わった。

 事実そのままの伝記ではなく、創作の映画である。あの謎の高笑いには、パトロンの婦人とシューベルトとの、互いに惹かれ合う恋の心が隠されていると真佐子は思う。特にシューベルトの心の哀しみと傷が胸にしみ込んできて、涙が頬を濡らした。ハンカチをバッグから取り出すのが恥ずかしくて、そっと手でぬぐった。

 映画が終わって出ると、外はもう夕闇に包まれていて外灯が灯っていた。

 恋の心というものは、あからさまに言葉で相手に伝えなくても、見交わす瞳、何気ないしぐさなどから電流のように伝わるものだと、映画は物語っていたと思う。それにもかかわらず肝心のところでは、人は他人の心を理解することができないとも。

 真佐子は何か弘に語りかけたいような、けれど何も言えないような気持ちで黙っていた。それに泣いた顔を見られたくなかったので、少し横むきかげんに歩いていた。

 映画館から出てきた人、駅の方から歩いてくる人などが行き交ってかなりの人通りがある。駅はもう恨めしい位にすぐ近くで、構内の灯が道路に溢れ、電車を降りてきた人々が四方に散っていく黒い影が、光の中に浮かんでいる。

「シューベルトの音楽には、何かこう涙ぐみたくなるような哀愁ただよう抒情性がありますね」

 ――あっ、弘さんも同じように思っているんだわ。

 真佐子は嬉しくなった。

「今度来る時、シューベルトの歌曲集を持ってきますよ」

「貸して下さるの」

「僕が聴いたものですが差し上げます」

「嬉しいわ。楽しみに待ってます」

 駅に来てしまった。気がつくと、奈保子は二人から一、二歩後についてきた。ちょっとおませなところのある奈保子は、気をきかせたつもりでいるらしい。見ると瞳がまだ潤んでいて、鼻の頭が少し赤くなっており、泣いた跡を残していた。

「お父さまは、立派な方ですね」

 別れ際に弘が唐突に言った。真佐子は意外な気がした。父を立派だと意識したことは一度もない。思いがけなかったので、どういうところが、と訊こうと思ったがその間もなく右と左に別れた。

「では、また」

 弘は省線電車のホームへ、真佐子姉妹は私鉄線ホームへ。

 電車に乗ってから、真佐子は妹に訊いた。

「映画よかった?」

「よかった」

「泣いた?」

「うん」

「この、ませベビー」

 真佐子は肩で、妹の肩をとんと突いた。

 でもそれきりで、真佐子は「お父さまは立派な方」と言った弘の言葉を考えていた。

 連太郎はあの蓄音機のように、ごくまれに娘たちのためにと言って何か買ってくることがあった。ずっと以前などは外出するとお土産に、銀座のオリンピックという洋菓子店でケーキを買ってきてくれたりもした。でもそれは父の気まぐれに思われた。

 

 真佐子や奈保子にとって、父連太郎は近寄りがたくこわい存在だった。

 父に何か用がある時とか、夕餉を知らせるため書斎の障子をそっと開けると、その部屋の内は、家族のいる空間とは全く違った、重々しい静謐の支配する別の世界であった。連太郎は入口とは反対側の机に向かっていて、いつも背筋をぴんと立てて、書いているか読んでいるかした。

「お父さん、ご飯の支度ができました」

 そう呼び掛けるのさえ、声がふるえるようだった。父とは話し合うということも殆どなかつた。父のことは、母を通じてしか知ることがない。でも母もあまり父については話さなかった。

 明子も、神経質で気むずかしい連太郎にはずいぶん気を使っていたが、それにもかかわらず時たま連太郎から怒鳴られたり殴られたりした。学校から帰ってみると、明子の目蓋が紫色にはれていたこともあった。

 理由はわからず、ただ子供にとって、父はこわく母はかわいそうだった。

「何といったって、貧乏は一番辛い」

 明子は真佐子に言ったことがある。

「その貧乏たるや、並みの貧乏じゃないんだから。今なんかよっぽどいい方よ。結婚してしばらくした頃の生活なんて、それはすさまじかった」

 今みたいに世の中全体に物がないんじゃない。世間には物が何でもあるのに、この家にだけないのだ。明日食べるお米がない。質草になるようなものは、とっくに質屋に入っているか、すでに流れてしまっている。電気代ガス代が払えなくて、電気・ガスは止められる。何ヵ月も家賃を滞納して、大家さんが怒鳴り込んでくる。入れ替わり立ち替わり借金取りはやってくる。

 そんなひどい貧乏に耐え、家計の助けにと内職の洋裁を始めて働き、なお生来の明かるさを失わず、子供たちを育ててきた明子。「お母さんはえらいですね」と言われれば、真佐子はそのまま肯定できたろう。

 今度弘に会ったら、ぜひ「父のえらさ」について訊いてみたい。それに、彼は家に来てかなり長い間連太郎とひそひそ話し合っているが、いったい何を話しているのだろうか。それもぜひ訊いてみよう。

 

 

   2 喫茶店にて

 

 松浦弘が訪れるのを、いつかいつかと真佐子は心待ちしていたが、父の連太郎宛に「先日は、お嬢さん方と映画をご一緒できて楽しかった」という意味の簡単な葉書がきただけだった。

 夏休みは終り、二学期が始まって、学園生活が中心になった。

 日曜日など、自分の部屋になっている玄関部屋の机に向かって勉強をしている時など、真佐子はふっと視線を宙に放ってぼんやりしていたり、戸外を通る足音に耳を傾けていたりした。いつ彼が訪ねてくるのか、漠然と待つのは待ちきれない気持ちになってきて、こちらから手紙を書いた。

 この間は楽しかったこと、またああいう機会がもてたらいいと思っていること、シューベルトのレコードを今度持ってきて下さるとのことで楽しみにしていること、そのほかにもお聞きしたいこと、お話ししたいことがあること、いつ会えるだろうか、など。

 内容はそれだけなのだが、異性に手紙を書くなど初めてだったので、何べんも迷い、文面もいろいろ修飾してみたり、却って恥ずかしくて、そっけなくしてみたり、あまりひどいとまた直したりして、やっと書き上げた。

 宛先は、連太郎の留守に書斎に入り、葉書や手紙の入っている文箱から、弘の葉書を探し出して、所番地を写した。

 ポストに入れる時も、また迷ったが、思い切って投函した。

 翌日からもう、学校から帰るとまず郵便受けをのぞいた。五日目に、真佐子宛の封書を手にした。弘からである。どきんと胸が大きく鳴った。部屋に入って封を切る。

  お手紙嬉しく拝受しました。私もずっと お手紙を差上げようと思いながら迷ってい ました。

 ――ああ、あの方も迷っていたんだわ。

 真佐子は自分の逡巡と考え合わせ、少し微笑んだ。

  私も貴女に会いたいのです。落着いて話のできるよい場所を見つけました。また目黒ですが、目黒はそちらからもそう遠くなくよいかと思います。駅を出たら高架橋の上を少し左へ行き、すぐ右折して線路に沿うように歩き、500メートルくらい行ったところの左側に"月の舟"という喫茶店があります。クラシックの音楽を静かに流していて、落着いた店です。まだそんな店があったかと感激ですが、今度の日曜日、午後二時そこでお待ちします。

 真佐子はじっと坐っていることができず、弘の手紙を抱きしめて、狭い部屋の中をぐるぐる歩いた。嬉しくて胸が高鳴り、誰かに告げたい気持ちだったが、母にも妹にもそれは言えなかった。

 日曜日がきて、真佐子は簡単な昼食をとると、お友達の家へ行くといって家を出た。

 私鉄線で目黒に出、駅の時計が二時十五分前であることを確かめ、手紙に書かれているとおりに歩いた。

 気をつけて見ないと行き過ぎてしまいそうな、狭い間口に焦茶色の木製のドアを見つけた。ドアの中ほどより少し上に三日月に腰掛けた女性の彫刻がある。その上に"月の舟"の文字が彫ってある。

 真佐子はしばらく立ったまま呼吸を整えた。こういう喫茶店に入るのもまた生まれてはじめて。しかも男性と二人だけで会う! 一世一代の冒険に思われた。

 ドアをそっと開けると、昼間の外光になれた眼に店の中はずいぶんと暗い。カウンターがあり、左手に椅子席があるのが分かるくらい。きょろきょろしていると、手をあげて招いている弘が眼に入った。

「こんにちは」

 ぎごちなく言い、テーブルを挟んで向かい合って椅子に掛けた。

「やっと会えましたね」

『未完成交響曲』を観た日からまだ二ヵ月しか経っていなかったけれど、弘の言葉には真佐子と共通の実感があり、「ほんとうに」という思いをこめてうなずきながら微笑んだ。

 音楽が流れていた。

「これは、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲です」

 弘が言った。曲を聴いただけで曲名が分かるなんてどうしてそんなに詳しいのかしら。真佐子は感心してしまった。

 それに気がついて、

「いま、ここの主人に訊いたんですよ」

 と、弘は笑った。

「綺麗な音楽ですね」

 森の中の透明な水の流れのような、と真佐子は思った。急流や浅瀬、森のこだま、木々の呼吸、かすかな風のささやき、いきものたちのつぶやき、などが聞こえてくるようだった。

「約束のシューベルト持ってきましたよ」

 横の椅子に置いてある風呂敷包みを持ちあげて、弘が言った。

「メンデルスゾーンが終わったら、これを掛けてもらいましょうか」

 コーヒーを運んできた四十代くらいの店の主人に、風呂敷を解き、さらに新聞紙に包んであるレコードを取り出して頼んだ。

「訊いたといえば、ここの"月の舟"の名前についても訊いたんですよ。ドアに彫刻があったでしょう。長い衣裳をなびかせた女性が月にのっている。あれはギリシャ神話の月の女神だそうです。アルテミスといって、太陽の神アポロンの妹です。アポロンが太陽の神であると同時に音楽の神でもあるように、アルテミスは月の女神でもあり樹木の神でもあるんです。……ギリシャ神話、読んだことありますか?」

「いいえ」

「神話など、荒唐無稽に思う人もあるかもしれないけれど、これがなかなか面白いんですよ。神々というのは、実に人間くさくて、人間以上に人間くさくて、嫉妬心がものすごく強かったり、残酷だったり、いじわるだったりする。そうか、神々というのも絶対的なものじゃないな、なんて分かってきたり。いやそれ以上に人間の醜い面の見本のようで、考えさせられるところがとてもあります」

 音楽が変わった。

「始まりましたね。シューベルトの歌曲『冬の旅』です」

 二人とも沈黙して、耳を傾けた。

 ドイツの男性バリトン歌手が歌っている。

 弘は、真佐子と向かい合ってから一度笑顔を見せただけで、あとはずっと生真面目な顔つきで、しかも真佐子の方をまっすぐ見るでもなく、視線を少し遠くへそらしかげんにしていたが、『冬の旅』になってから、どこか哀しみとも悩ましげともいえる表情が加わった。

「旅――ぼくらにとって、旅は憧れでありながら、今の世にあっては苦しい。ぼくの旅はもうそう長くはない。二年か三年か、死の淵をのぞむ地の果へ一歩一歩近づいているのですから」

 真佐子はびっくりして弘を見つめた。音楽とあいまって、いま浸っている抒情の雰囲気と、なんと遠い言葉だろうか。全身を貫いて激しい痛みが走った。

 真佐子はそのようなことを考えたことがなかった。男の人は現実にその運命に直面しているのだと、はじめてのように知らされた。

 迂闊であった。近所の男の人が出征していくのも見ている。親戚にも応召を受けて戦地にいった従兄がいる。戦死するかもしれない。けれどそれをわが身にひきつけて考えたことはなかった。しかしなぜいま、弘の言葉にこんなにも驚き衝撃を受けるのだろうか。その自分の心にもまた驚く。

「死ぬのがこわいとか、いやだとかいう意識はまだない。けれど……」

 彼はここで言葉をとぎらせ、あたりを見回した。

 反対側の隅に初老の客が一人、静かに音楽を聴いている姿があるが、他に客はおらず、店内は狭いとはいえ、カウンターの向こうのマスターのところまでは距離があった。それでも弘は声を落とした。

「国は、この戦争を聖戦だ聖戦だというけれど、ぼくにはそうは思われない。その戦争のために死ぬのが無意味なんです。自分が死ぬのもいやだが、それ以上に人を殺すという任務が絶対に嫌なんです」

 真佐子は何も言うことができなかった。

「大学の友達にしても、みな同じ問題をかかえていながら、こういったことを口にする人は誰もいない。いや、できないんです。津田左右吉教授事件以来、早稲田は……どこの大学も同じと思うけれど、自由なものの考え方とか、言論に対する抑圧がひどくなって」

「津田左右吉教授事件って?」

「昭和十四年の十月、早大の津田教授が東大で講義を行ったんです。『中国の政治思想史』とかだと聞きましたが、以前から津田教授の『神代史の研究』とか『古事記および日本書紀の研究』といった著書が、国体破壊の思想であるとか非国民的であるとか非難していた人々から、さらにも攻撃されて、教授は辞任を余儀なくされたんです。そして去年昭和一五年の一月には起訴されて、三ヵ月の禁固刑を受けたんですよ」

「どんな内容だったの」

「本は発売禁止になってしまったから、ぼくもくわしい内容は知らない。とにかく学者が歴史について真面目に研究した著書です。もう自由な学問の研究さえできなくなってしまったということなんです。大学は、軍人の教官が幅をきかせていて、軍事教練はますます激しくなってきたし、大学の空気そのものが、いわゆる学園とはいえないような……」

 真佐子は自分の女学校のことを考えた。

 男子校のように軍事教練など直接戦争につながる事柄は、学園内に入ってきてはいない。女学生同士の会話もたあいのないもので、先生の噂やあだ名つけ。読んだ本の感想などはいい方だった。

「キューリー夫人の生き方ってほんとにすてき。あんなふうに生きられたらいいなって憧れてしまった」

「ウエブスターの『足ながおじさん』読んだ? すごい感動よ。自然の描写とかとても綺麗だし、それになんてったって最後の方で、あっと驚くところがあるの。いいわぁ」

「わたしはね、大仏次郎の『赤穂浪士』を読んだとこ。面白かった。蜘蛛の甚十郎っていう間諜が出てくるの。それが魅力的なのよ」

 二学期になってからは、卒業してからのことが多くなった。女子大に進む人、就職しようとしている人、お嫁にいくことがきめられている人。中ではお勤め希望の人が一番多く、どの職種を選ぶかで話題も多かった。

 でも弘とは何という違いだろう。真佐子より四歳しか年上ではないのに、まるで世界を異にするすごい大人に思われた。

「それでも類は類を呼ぶというのか、この戦争に疑問を持つ二、三の友だちができたんです。それも大学内では殆どそんな話はできない。学生の中にもスパイがいて、危険なんです」

「学生のスパイ?」

「学生じゃないかもしれない。学生のふりをした当局の者」

「まあ、こわい」

 ――でも何故?

 真佐子は訊きたかった。そんな危険の中で、どうして国の政策や方針を批判したいのかと。けれど訊けなかった。自分があまりにも無知に思われそうな気がした。

 歌曲が変わり、「菩提樹」を歌いはじめた。

『冬の旅』は歌曲集だから幾つかの歌曲の集まりということは分かるけれど、「菩提樹」が入っているのをはじめて知った。女学校の音楽の時間でそれだけ単独で習ったのだった。

「この前、映画を観ての帰り、うちの父のことをえらい人とおっしゃったわね。私にはよく分からないんです。どういうところが? 自分の父のことをひとに教えてもらうのも変

ですけれど」

「一ノ瀬さん――あなたのお父さんが、三ヵ月に一ぺんくらいずつ、ガリ版刷りで雑誌を作っているのはご存じでしょう?」

 よくは知らなかったが、言われてみれば、わら半紙を二つ折りにして綴じた雑誌というよりは冊子といった方がよいようなものを、見かけたことがあった。

「ずっと以前、昭和のはじめですよ、真佐子さんが生まれて間もなくの頃かな。僕の父なんかも一緒の文学同人雑誌が解散になって、それから一ノ瀬さんは一人で雑誌を出されたんです。地方の若い人を視野において、文化的欲求や知識欲に燃えながら、働かなければならないために、書物などいろいろ選んだり読んだりできない人のために、丁寧な本の紹介をしたり、何か書きたいと考えている人に投稿による発表の場を提供する雑誌だったそうです」

 そのことは母の明子から聞いていた。でもそれは明子にとってどれ程苦しいことだったか。すべてがそれに注ぎ込まれ、家計は圧迫され、ひどい貧乏に泣かされたというのはその時のこと。

「その雑誌は順調なスタートだったけれど、やがて発売禁止処分が重なって、長くは続けられなくなってしまった。でもまた最近、発禁にならない方法を考えて、ガリ版刷りのささやかなものにして、部数もごくわずかながら、以前との繋がりあるごく限られた人たちに送っておられるのですよ」

「父はぜんぜん話さない」

 真佐子はつぶやくように言った。

「こんどお父さんにそれを見せてもらったらいいですよ」

「見せてくれるかしら。何だか私たちには内緒にしているみたい」

「照れくさいんじゃないですか」

 父にその雑誌のことを言って、見せてほしいとこちらからは言えないような気がした。父の方としても、娘に「読んでごらん」とは言いにくいにちがいない。そもそも父娘の間に、会話が殆どないわけだから。

「その雑誌というか冊子というか、内容はね、昭和のはじめ頃のようにはもう書けないから、カムフラージュされているけれど、読み解き方によって限りない示唆にみちているのです。いわば暗号解きみたいな」

「……」

「さっきギリシャ神話のこと話しましたけど、たとえばね……」

 弘は、神話の中の次のような話を語った。

トロイア戦争の勇将アキレウスの部下たちのことは、ミュルミドンと呼ばれていて、この人たちは勤勉で従順で、平和を愛し、時にあっては勇敢な人たちだった。しかしいまでは、ミュルミドンといえば、親分のいいなりにひどいことでも何でもする手下のことをいうようになった。

 さて、ミュルミドンがどのように誕生したかというと、ある時、エウロペという土地に神の怒りによって疫病が蔓延した。殆どの人が疫病にかかって死に、動物たちも死んでしまった。この土地の王はゼウスの神殿にぬかずいて懸命に祈った。

「ゼウスよ、もしあなたが私の父であるならどうか私の人民を返して下さい。でなければ私の命もお取り下さい」

 すると雷が鳴り渡った。王がゼウスに捧げた近くの樫の木をふと見ると、幹にたくさんのアリが行列を作って登っていた。

「父ゼウスよ、このくらいたくさんの市民をさずけて、死に絶えたこの町を満たしてください」

 すると、木が揺れて枝がさらさらと鳴った。王は何となく眠気を覚えてその場に眠ってしまった。夢の中で、樫の木から落ちたたくさんのアリが、人間になるのを見た。

 王が目覚めると、夢の通り多くの人間が行列を作って王の方へ近づいてきた。彼らはいっせいに、

「王さまばんざい」

 と、となえた。

 アリはギリシャ語でミュルメクスといい、そこからこの人たちのことをミュルミドンと呼ぶのだという。

 

「話はもっと長いのだが、だいたいこういうものです。ね、勤勉で従順な民びとが、親分のいいなりにひどいことでも何でもするようになるという比喩は、なかなかのものでしょう。しかも長い物語の中でそこのところはほんの一行ちらっと書かれているというわけです。……こういった紹介なんかがあるんですよ」

 向こうの隅にいた年配の男性が、勘定をすませて出ていった。弘はそれを眼で追っていたが、

「音楽が流れているし、話はあの人には聞こえてないはずです。とにかく誰がどこで聞いているか、いつも注意をしていなければなりません」

「そんなに悪いこと話していたとは思えないんですけど」

「それがそうでないところがねえ」

「今日、お話聞いていて、私などいままでずいぶんぼんやり生きていたって気がします。これからもいろいろ教えて下さいね」

「いや、教えるなんて。ただ本をたくさん読むことはお勧めします。それによってものごとを客観的にみる眼が養われるはずです。まだ禁書になっていない本の中にもいいものがありますよ。そうだ、宮沢賢治なんかもいいですね。味わい深い比喩にみちています」

 話は尽きなかったが、歌曲集が終り、マスターがレコードを返しにきた。

「いいレコードをお持ちですね。こうした音楽もいつまで聴いていられるか。私どもの店もね、コーヒー豆が輸入で手に入りにくくなってしまいましたし……」

「いいお店です。いつまでも続けてほしいですね」

「ありがとうございます。私もそうしたいと思っているんですが……」

 店を出て歩きながら、弘が、ただ学生が繁華街を歩いていたというだけで「ちょっと来い」と警察に引っぱられた例や、ミルクホールで数人が談笑していて、何の理由もなしに捕まって留置場にいれられた例など、いくつもあることを何気なく語った。

 真佐子はただ驚くばかりである。

 また別れの場所目黒駅へ着いてしまった。

「ぼくは今、砂漠を歩いている人がひたすら水を欲するように、美しいものを見、聞き、感じていたい。来月の同じ第四日曜日に、また〝月の舟〟で会えますか」

 よく聞き取れないような早口で弘が言い、真佐子が返事ともいえないような声を発したか発しないうちに、もう去っていってしまった。

 真佐子はただ、新聞紙に包まれたレコードを大事に胸にかかえているだけだった。

 ――弘にとって、美しいものとは何だろう。

 別れ際、彼はいつも謎めいていた。

 

 

   3 血を吐く告白

 

 肌寒さが日に日に加わる季節になった。

 連太郎は娘の真佐子のところに、弘から手紙が時たまくるのに気づいていた。

 連太郎も自分のところにくる郵便物を気にしており、配達は午後二時頃のことも知っていた。

 彼は一日中机の前に坐っているので、なるべく午後のいっとき散歩に出ることにしているが、その時間を二時過ぎにして、郵便受けをのぞく。

 待っているのは、地方へ送った連太郎の冊子に対する反応の便りだ。近頃ではだんだん少なくなっていて、来ることもあり来ないこともある。

 真佐子宛の封書も、だから連太郎が手にしてしまった。裏を返すと松浦弘となっていた。彼は少し考えた末、封書を郵便受けに戻しておいた。学校から帰宅する真佐子自身が受け取った方がいい。

 多少の不安はあった。若い二人である。特に真佐子はまだ女学生だ。でも弘はしっかりした青年だし、信じるしかない。信じるとか信じないではなく、少し胸がどきどきする。

 真佐子がもうそういう年頃になったのだ。父親としてはどう受けとめたらいいのか。一瞬の動揺であり、迷いであった。

 気づかれぬようにそっと見守ろう。それがその時の答えであった。

 郵便受けに今日はめずらしい人からの葉書が入っていた。

 昔の文学同人仲間の一人、山崎達蔵からである。

  是非会いたいので、ご足労願えないだろうか。

 とある。早速、翌日の午後出かけた。電車をひとつ乗り換えて、さらに市電に乗り、葉書に書かれている停留所で降りて、住んでいるアパートを探す。以前住んでいた場所とは違うはじめての所である。

 山崎達蔵は、同人の中では一番若い方で、確か連太郎より五歳下だ。「もう余命いくばくもない」などと書いてよこしたからには、よくよくのことに違いない。

 小さな家がひしめいて建っている小路を、所番地を確かめながら歩いていると、後から足音が迫って、

「一ノ瀬さん……一ノ瀬さんじゃないか」

 声に驚いて振り返ると、カーキ色の国民服を着ているが、見覚えのあるその顔はなんと松浦和介であった。

「やあ、久し振りだねえ。何年になるだろう。五年くらいかな。……やっぱり山崎君のとこ? 何だか具合が悪いような葉書をもらったんだが」

「うん、何となく虫が知らせたというか、彼のことが気になってこちらから葉書を出した。そしたら返事がきて、病気でしかもかなり重いようだから」

「静岡から?」

「今朝出てきた。……ああ、弘が時々お宅へ伺ってご馳走になったりしているそうで」

「いやいや、こう物資欠乏じゃあ、もてなしたくてもどうにもならなくてねえ。弘君はいい青年だ。かえってこちらがエネルギーをもらってるよ」

 路地の先にアパートが見えた。

「あそこじゃないか」

 綺麗とはお世辞にもいえない古びた木造アパート。ぎしぎしきしむ階段を上がって、二階の奥が山崎達蔵の部屋だった。

入口の板戸をノックすると、内側にしわぶき一つ二つあって、しわがれ声がきこえた。

「どうぞ」

 立て付けの悪い引戸をがたがたいわせながら開けると、部屋の内はまる見えで、むっとした匂いの篭もる中に、布団を敷いて男が寝ている。二人が部屋に入ると、枕から頭をあげ半身を起こそうとする。

「そのままでいいよ。寝ていなさいよ」

 二人して押しとどめた。

 薄汚れた枕のうえに、不精髭に蔽われた痩せて頬骨の出た顔がある。眼も落ち窪んで金壷眼になっており、まるで老人のようだ。連太郎より五歳下とすれば、いままだ三十九歳だというのに。

 これがかつての日、健康的な肌に瞳の若々しく輝いていた達蔵だろうか。少なくとも五年前会った時には、まだ負けじ魂を思わせる力強さが感じられた。

部屋を見回すと、畳の間は四畳半一間で、窓際に小さな机が一つ置いてあり、その周りに本や雑誌が積んであるから、連太郎たちはわずかなすき間を見つけて坐らなければならなかった。入口側には一畳分くらいの板敷きの台所がついており、ブリキを張った小さな流し台とガス台がついている。使い古した鍋や食器類が乱雑に置かれていて、達蔵のほかには妻女らしいひとの姿もないところを見ると、病人が自分で炊事でもしているのだろうか。結婚していたはずなのにどうしたのだろう。

「わざわざ来てもらったりして、しかもこんなむさ苦しい所へ、申し訳ない」

 達蔵の口元が歪んで、目尻からはするすると糸のような涙が伝い流れた。

「いいんだよ。しばらくぶりで会えてよかった。なかなか仲間とも会えなくなってしまったからなあ」

「どうしても聞いてもらいたいことがあったんだ。ぼくが、支那事変が始まってすぐ召集されて、戦地へ行ったことは知ってますよね」

 達蔵はあせってでもいるような調子で言い、そのため息苦しそうに声がかすれた。

 昭和十二年七月に彼は応召したが、翌十三年の二月頃から病気で野戦病院に入院し、五月頃には日本へ帰ってきたことは、達蔵からの手紙で、連太郎も和介も知っていた。

「ぼくは戦地で病気になった。はじめは奇病というしかないやつでね、ものが食べられない、食べれば上へも下へもたちまち出ちゃう。どんどん痩せてきて、すると顔や体中に赤い湿疹が出てはれあがった。そのうち右手の指が動かなくなってきた。当然軍隊生活はドジが多くなるから、事々に鉄拳が飛ぶ。殴られ蹴られの制裁をますます激しく受けるようになった。『この野郎!なまけやがって』『それでも帝国陸軍の兵隊か! 性根を叩きなおしてやる!』殴られに殴られてぶっ倒れたところを靴で蹴とばされる。『起きろ!』『立て!』声は聞こえる。立とうとするのだが、どうしても立てない。そんなことを繰り返しているうちに、とうとう気絶してしまったらしい。気がついた時は、野戦病院のベッドの上だった。高熱が続いて、軍医から肋膜炎と告げられた」

 達蔵は、息を継いでしばらく語をとぎらせた。

「大変だったなあ」

「野戦病院じゃ、ろくな治療もできないから、病状は悪くはなっても良くはならない。それで軍隊には役立たずの人間ということで日本へ返された。それはよかったんだが、人間としても役立たずになっちまった」

「奥さんはどうしたの」

「うん、湿疹とか手が動かないというのは治ったんだが、胸の方がねえ。子供が二人いるからな、子供に移るってのを理由にして出ていってしまった。生活力もないわけだから仕方がない。それでもはじめのうちは、気が咎めるのか、時々来て洗濯や買物をしてくれてたんだが、それもだんだん間遠になって、この頃では全然さ」

 改めて連太郎は部屋の内を見回した。

「このまま一人というのは無理だろう。病院に入院したらいい。ぼくらで手続きをするよ。施療病院だっていいじゃないか。ここで寝ているよりどんなにいいかわからない」

「そうだとも、入院しなきゃ駄目だよ」

 和介もしきりに勧めた。

「気持ちはありがたいんだが、それはいいんだ。……話したかったのは、そのことじゃないんだ」

 達蔵は、ごくりと唾を呑込んだ。その拍子に咳ごみ、苦しげに肩を震わせながら咳を続けた。

「誰にも話せない。話したくない。でも話さなければならない。……三年以上その思いに苦しめられてきた。自分の中で、あんなことはなかったこととしてしまいたい思い、夢の中のできごと、悪夢だったんだとしてしまいたい気持がずっとあった。今もある。でももう死期が近づいたことが分かるんで、どうしても、話さなければならないと決心した。その相手は、一ノ瀬さんと松浦さんしかないと」

「それは光栄です」

 少し冗談めかして言ったのは、何かあまりにも重い息づまるような緊迫感が伝わってきて、多少なりとその空気を和らげようとしたからだった。

 しかし達蔵は、眉間に深い皺を寄せ、口をぱくぱく動かしたものの言葉が出ない。張り詰めた沈黙が流れた。

「おれは……おれは、人を殺した」

「……」

「……」

「戦争だから当然だ、あるいはやむをえないと思うかもしれない。だが、違うんだ。殺されるか、殺すかの戦闘状態でじゃない。非戦闘員の、無抵抗の人間をだ。それも一人や二人じゃない。何人も何人も限りなく……」

 再び言葉がとぎれた。

「う、う、う」

 呻きとも、嗚咽(おえつ)ともつかない声が喉もとから洩れ、苦痛に歪んだ顔は、おそろしい程蒼ざめている。懸命に激情を抑えようとしながら、抑えきれなくなっていた。

「どこで、いつのこと?」

「召集されて二ヵ月も経つか経たないうちに、おれは中支派遣軍に入れられ、大陸に渡り、首都南京攻略の師団の中にいた」

 達蔵は、それでもやっと語り出した。

 達蔵たちの部隊が、南京城外に到着した時は、城外での戦いは殆ど終わっており、防衛の支那兵は城内に遁れこんでいた。それより前、上海から敗走してきた国民党軍の蒋介石は、首都を南京から重慶に移すとして、軍を率い、政府機関と共に南京から出ていき、南京防衛司令官の唐生智もまた逃走してしまっていた。だから逃げ遅れた兵士たちも、われ先にと陽子江へ出ようと大混乱になった。

 南京の街は城壁でぐるりと囲まれており、城門は幾つもあるが、街を守るために土嚢で閉じられ、逃走口は陽子江に出る下関(シャーカン)しかない。しかもその時には日本軍が周囲をすっかり取り囲んでいた。

 達蔵たちの部隊はその頃に到着した。主力の軍勢からは、少し遅れていた。南京に総力を結集しようとして、急遽編成した師団に所属していたのである。

 日本軍は十箇師団が南京城を取り囲み、兵の数は約二十万という膨大なものであった。総攻撃の命令一下、日本軍は重砲で城壁を破壊し、あるいは城壁をよじ登って乗り越え城内になだれこんだ。

 昭和十二年十二月十二日のことである。

 なだれを打って侵攻した日本軍は、武器を捨てて降った多くの捕虜を、塹壕を前に、あるいは城壁ぎわに並べて、銃殺・刺殺した。そのため塹壕は死体で埋め尽くされ、道端にはごろごろ死体が転がっていた。戦車がその上を轢いて走った。

 ただ一つの出口、下関付近や陽子江の河岸には、積み重なった死体が累々と続き、河も死体で流れを変えた。

 街は血に染められ、血腥い臭いと死臭に充ちていた。

 十七日には入城式を行うということで、十三日、十四日、十五日、十六日と引き続き敗残兵狩りを急ぎ、街の民家を探索し、兵士ではない少年から老人までの多くの男子を、あやしいとして引き出し、殺した。多数の死体に油を掛けて燃したので、血腥い臭いにさらに堪え難い異臭が加わった。

 十七日は南京入城式であった。中山門から3粁のメインストリートの両側に直立する兵士たちの眼前を、中支方面最高司令官の松井石根大将が、朝香宮中将、柳川平助中将以下を率いて騎馬で進んだ。

 息苦しそうにとぎれがちに達蔵が話すのを聞きながら、連太郎は当時の新聞やラジオの報道を思い出していた。それは、ことさら記憶をかきたてなくても、新聞ラジオの報道は、ずっと同じ調子だったから、甦らすのに困難はなかった。

 報道からは、そうした血腥さは微塵も感じられなかった。皇軍の勝利を歓喜に酔っているかのような高揚した語調で讃え、大げさな感嘆詞を乱発していた。空は紺碧に晴れあがっていた。勇敢な将兵は意気軒高としていた。彼らの唱和する万歳の声は轟き渡り、聖戦のもたらした和平を、ひとしなみに感激をこめてかみしめていた。などなど――。

 その時、日本各地では、祝賀行事が行われ、小学生はみな教師に引率されて、日の丸の小旗を振りながら、旗行列で街を練り歩いたのである。

「それだけでは、ないんだ」

 達蔵は声を振りしぼって、語を次いだ。

 南京の中心部には、南京安全区が設けられていた。この中には各国大使館や日本大使館もあり、大学や外国商社があった。この安全区を難民区ともいったが、ここに住む外国人が、安全区国際委員会を作っていて、難民を保護していた。

 逃場を失った兵士たちは、軍服や、武器を道端に投げ捨て、かなりの者が安全区へ逃げ入った。

「あとで知ったことだが、ここは治外法権的に軍隊は侵入しない取り決めになっていて、日本側もそれを承認していたそうだ。だが実際は全く守らなかった。入城式が終わって、もうあの凄まじい殺戮も終わったかと思っていたら、とんでもない。まだまだ果てしもなく続くんだ。便衣狩り――軍服を着ていないゲリラのことを便衣兵というんだが、それを発見するためと称して、難民区の中にもどんどん入っていった。便衣狩りもあったが、それ以上に女が目的なんだ。女子大学があって、そこの女子学生が大勢徴発されもした。あるいは上官と上等兵、一等兵、二等兵が組になって便衣狩りに行く。民家で女を見つけると、恥も外聞もあらばこそ、白昼であれなんであれ輪姦する。少しでも抵抗すれば、腹を斬って殺す。だいたい強姦のあとは殺せといわれていた。後が面倒だからということなんだ」

 連太郎、和介が今度は唸る方だった。

 いつの間にか達蔵は、寝床の上に半身を起こしていた。手はぶるぶると震えていたが、血走った眼は坐って一点を凝視し、顔色は不気味なほど土気色になっていた。

「いままで、話したことは、一般的情況のことだ。おれ自身は……このおれ自身は……」

 達蔵は、突然、

「うわぁー」

 と、獣のような声をあげ、両手で顔を蔽った。その声も途中でとぎれ、またむせるように咳ごんだ。呼吸困難の感じで、発作を収めようとしてか、腹ばいの形になったが、その時、

「うっ」

 と、呻いて枕元の手拭いを口元に当てた。手拭いが赤く染まった。

「大丈夫か! 山崎さん。大丈夫か」

「大丈夫だよ。かまわないでくれ」

 達蔵は手拭いで口元を拭い、それを敷布団の下に隠した。

「山崎さん、もう分かったよ。もういい。よく話してくれた。それ以上はいい」

 連太郎が宥めた。

「いや、おれは……おれのしたことを話さねばならぬ。死んでも……死にきれぬ」

「もう話したも同じだよ。分かったよ。口にしなくていい」

 和介も言った。

「いや、分かりはしない。君たちには分かりはしないんだ。このおれが、この腕、この腕に満身の力を篭めて、銃剣で人の体を刺したんだ。何人もだ。その時の腕の反応、そしてその時の、血しぶきに染まった相手の顔、この世のものとは思えない、憎悪と恨みの凄まじい顔が、いまだに眼の前に現われる。繰り返し夢に出て、うなされる」

 達蔵は背を波打たせて、また激しく咳こんだ。胸を抑え、喉をかきむしるようにして苦しんでいたが、急に苦しみの悶えがやんで、うつぶせのまま動かなくなった。

 連太郎と和介は互いに顔を見合わせた。

「山崎さん、おい、山崎さん」

 呼んでみても、背中をさすってみても、動かない。

「息はしてるぞ。死んではいない」

「医者を呼ぼう」

「この辺にあるだろうか」

「管理人に訊こう」

 二人はあたふたと一階へ下りたが、管理人室といったものはないようだ。廊下を行ったり来たりしていると、怪しむように一つの部屋の戸が細目に開いて、水商売ふうの女が顔をのぞかせた。

「管理人のところはどこでしょうか」

 訊くと、うろんな顔つきのまま、

「どうしたんです?」

「二階の部屋へ来た客なんですが、部屋のその友達が具合が悪くなって、医者を呼びたいんです」

「管理人のところはここじゃなくって、町内だけどちょっと離れてるのよ。お医者さんなら、この横道を出て、表通りを右に行ったところにありますよ」

 と、教えてくれた。で、和介が医院へ、連太郎が部屋で達蔵についていることにした。

 間もなく、和介が医者を連れてきた。二人で達蔵を上向きにする。医者は聴診器を当てたり、瞳をあけてみたりしてから、二種類の注射を打った。

 しばらく様子をみるうちに、眉根に寄せた皺が深まり、瞼がぴくぴくと動いた。

「山崎さん、気がつきましたか」

 声をかけると、薄目をあけて、のぞきこんでいる三人をぼんやりと見た。

 医者が、二人を促して廊下に出た。

「薬はあとで看護婦に届けさせますが、病院に入院させた方がいいですね。そうしたとしても、もうあまり長くはないと思いますが」

 見放したように言った。

「往診料と薬代、今お払いしますので……」

 連太郎と和介は相談して、半々に出し合い、その場で医者に払った。

 部屋に戻り、さっきと同じことを言った。

「入院しなくちゃ駄目だよ。医者もそう言っていた」

 達蔵は、きれぎれの弱々しい声を出した。

「いいんだ。このままで。覚悟は、とうにできている」

「そんなこと言うな。まだ若いじゃないか」

 しかしどうしても承知しない。

「今日、話ができたから、もういい。あとのことは、長野の弟に、頼むことにして、手紙を書いた。机の上にあるのが、それです。あれを、すまないが帰りに、ポストへ入れて下さいませんか」

 二人は心を残しながらも、頼まれた封書を手に、辞去するより仕方がなかった。

「山崎さんが伝えたかった話は、確かに聞き取り、この胸の底に収めましたからね」

 それがせめてもの別れの言葉だった。

 

 

   4 かつて理想に燃えて

 

 晩秋の戸外には、もう夕暮が迫っていた。

 表通りには市電が通っているが、町には活気がない。商店も閉じていたり、戸を半分しか開けていなかったりした。けれど通行人は何事もない様子で行き来している。といっても数は少なく、目につくのは、大方がカーキ色の国民服を着た中年過ぎの男。元気なのは小学生で、学校の退け時なのだろう、ランドセルを背負った高学年の男の子たちが、ふざけ合いながら通り過ぎていく。

 いままでと同じ風景が、何か衝撃的な経験のあとで、突然別の風景に見えることがある。

 山崎達蔵が、軍隊から帰されて日本の土を踏んだその時、風景は入隊して大陸に渡る前と、全く別なものとして映ったのではなかったろうか。ふと、連太郎はそんな気がした。

 それにしても、彼が話したような事実は、日本の国民は誰も知らされていない。連太郎もはじめて聞いたのだ。南京だけではないだろう。日本軍はその後、徐州を攻め、漢口、広東を占領しているが、似たり寄ったりの状況がなかったなどといえるだろうか。

 わずかに南京に従軍して帰るとすぐ『生きている兵隊』を書いた石川達三の小説が、活字になるとたちまち発禁になったという噂に、今思えば、何事かがおぼろげに感じられるばかりだ。

 二人は黙って歩いていた。

 連太郎の脳裏には、五年前のことが甦っていた。それは昭和十一年、日支事変の始まる前の年であった。

 銀座裏の小料理屋に、連太郎、和介、達蔵はいた。達蔵が出獄して間もない頃であつた。三人のほかにもう一人早野竹男がいた。早野竹男もまた獄中で転向して出所していた。

「われわれは文学者だ。もの書きだ。もの書きはものを書くのが本分だからな。これからは、おれはそれでいくつもりだ」

 グリーンのベレー帽を粋にかぶって、ツイードの背広に赤いネクタイの目立つ早野が言った。

 その言葉自体に連太郎は反対ではなかった。大正の末から昭和のはじめにかけて、プロレタリア文学運動が燎原の火のように燃え上がり、それまで自然主義ふうの文士の集まりだった連太郎たち同人仲間からも、プロレタリア文学運動に共感して、何人かが走った。四人もそうだったが、活動の仕方はみな違っていた。

 文学者も、工場や農村に入っていって、労働者と生活を共にしながら活動し、その中で、彼らを政治的に目覚めさせ、奮い立たせるような作品を描け、という前衛党とプロレタリア文学運動の指導者の方針に、必ずしも賛成しなかった連太郎は、組織に加わらず、一匹狼のかたちで、地方青年向けの雑誌を作り、評論を書き、小説を書いた。

 松浦和介は、故郷の静岡に帰り、農業協同組合に入って、農民と接触しつつ、こつこつとプロレタリア小説を書いた。

 山崎達蔵と早野竹男は、政治的な実践活動に入っていき、検挙され、特高警察の拷問を受け「今後、実践活動は致しません」との誓詞を書かされて出獄を許された。

 前衛党の活動も文学運動も、度重なる検挙と弾圧で、この頃には殆ど壊滅してしまっていた。でも、理想に燃えて「よい世の中を作ろう」と志した最初の頃の情熱や信念が、消えてしまうわけもなかった。

 昭和六年に始まった満州事変以来、ますます強まってきた軍靴の響きを感じれば感じる程、「このままではいけない」との思いは強かった。

「だからさ、何を書くか、その内容が問題でしょう。この時代にどのように書くか」

「もちろんそうです。内容というより眼のつけどころといった方がいい。つまりねえ、われわれはあまりにも、この日本について絶望し過ぎていたんじゃないだろうか。そこから何でも西欧の文学がいい、思想がいいということになった。われわれは自分が日本人だということを忘れている。日本の良さ、日本人の優れている資質がどういうところに由来しているか、それを探るだけでも、立派な文学的テーマになる」

 早野竹男の言葉に驚いて、他の三人は、彼の顔を見つめた。

 日本にも日本人にもいいところがあるには違いなかった。だがこの時代にことさらそれを強調することに危険な匂いがある。国粋主義的評論家の言葉とそっくりなのだ。最近は、言論界や文芸評論にも「日本精神と文化」とか「日本的なもの」とか「日本文学の伝統」とかいう題のものがやたらと多くなっている。

 早野は官憲に捕らえられて転向したわけだが、ほんとうに心から転向してしまったのだろうか。

 とすれば早野は、転向後の仲間づくりに、他の三人を誘ったのだろうか。連太郎は憮然となる。

 ただ連太郎自身は、松浦和介もそうだが、いままでに特高に逮捕されたり、拷問を受けたりはしていなかったので、凄まじい拷問の肉体的苦痛や心理的恐怖感をわが身に現実に経験していない。そのことが逆にうしろめたいような気持にさせていて、あからさまな非難を口に出しにくくしていた。

 日本的を口にするのとはうらはらな、モダンな身なりをしている早野とは対照的に、よれよれな和服の着流しで、袖口からはすりきれたメリヤスシャツがのぞいている山崎達蔵は、卓子を前にあぐらを組んではいるが、まるで修業僧の座像のように背筋をきちんと立てており、卓子の上の盃はほとんど口に運ばず、やつれた頬と眉のあたりに、以前にはなかった翳りのある縦皺を刻んで、やや伏し目かげんに黙っていたが、この時顔をきっとあげて言った。

「早野さんが、奴らに頭を下げて出てきたのは、いままでの自分を否定して、別な自分になるためだったんですか」

「ぼくは考えたんだ。そりゃああの頃、あの新しい思想には魅力があった。そうかこういう考え方があったんだ。ぱっとあたりが明るくなって、靄のかかっていた森羅万象がはっきり見えた気さえした。だがそれが文学に当てはめられて、政治と文学についての論議

が盛んになった。多くの論者が、政治か文学かの二者択一ではなく、その二つは不可分のものでなければならないし、また現実を直視するなら、当然そうなると論じた。納得した気でいたが、しかしやっぱり組織の方針は、政治が優先しているとしか思えなかった。どんな文学流派にしても、それが初めて出てくる時には魅力がある。自然主義にしろ、浪漫主義、人道主義。結局ぼくは、その新しい魅力に魅せられてしまったわけだが、今度は自分で自分の流派を作ろうと思っているよ」

「冗談じゃない。われわれが選んだそれが、たんなる流行の一つだったというんですか。そんな流行のために命をかけたのか。特高の……」

 言いかけて、山崎達蔵は周囲を見回した。転向者にはたいてい尾行がついていた。小料理屋の畳の席には、幸い他に客はなく、聞き耳を立てていそうな人物もいなかった。

「……特高のあの拷問に、歯を食いしばって堪えたのは、早野さんのいうそんな流行のためだったんだろうか!」

達蔵の顔が紅潮してきて、瞳に激しい光が加わった。やつれた面差しが以前の若さを取り戻してみえた。

「おれは……」

 声を低めながらも、駆られるような早口で達蔵は言葉を続けた。

「たしかにおれは、官憲に屈伏した。言い訳はしないつもりだ。しかしあのコンクリートの壁に囲まれた、不衛生で冷たく寒い、気の狂いそうな獄舎に繋がれて朽ち果てることにも納得がいかなかった。表面屈伏はしたが、心中では何くそと思っていた。だから心までは決して売ってはいない」

「はっは。心は売ってはいないか。売笑婦の中によくそんなこと言うのがいるなあ。で、この早野竹男は心を売ったと言いたいわけだ。だいたい心を売ったとか売らないとかおかしいじゃないか。おれだって心なんか売っちゃあいねぇよ。自分を見つめなおしただけだ」

「それを転向というんじゃないですか、心底からの。おれだって大きな顔はできないけれど、それでも何かしら方法はないか。裏切り――民衆に対するなんてたいそうなことは言わない、自分自身への裏切りになるかならないかは、これからなんだ。そういう気持で、それを模索したくて今日も来たんです」

 苦悩をにじませた達蔵の顔つきは真剣であった。

 松浦和介がこの時、早野に向かって言った。

「じゃあ早野さんに訊くが、この国がいまどんどんきな臭い方向に進んでいる。たとえば今年になってからでも、二月の二、二六事件、右翼広田弘毅の軍閥内閣の組閣、軍備の拡充、ロンドン軍縮会議脱退にひき続く軍備充実五ヵ年計画、ナチス・ドイツとの防共協定締結などなど。この傾向をどう見るのかね」

「だから、文学者はそういう政治的なところとは別な存在として、存在し得ると言ってるんだ。音楽や絵画が、純粋な美しさで人の心を打つように、文学も芸術として優れていればいいと思う」

「松浦さんが訊いているのは、現在のこの国の状況をどう見ているかということだよ」

 連太郎が言葉を挟んだ。早野は少し間をおいてから、

「世界の列強は、口では軍縮を言いながら、内では軍備を拡充している。そして世界市場を拡大確保するために、あの手この手を使っているじゃないか。日本が彼らに伍して軍備を拡充するのは、当然だと思う。狭い国土に多すぎる国民、国家的海外雄飛は国是といえるんじゃないか」

 この考え方はめずらしいものではなく、むしろ一般的な考えといえた。でも、軍国主義に反対してきた、われわれの仲間がそれを言う!

 呆然としていたのは、わずかの間だった。山崎達蔵は、卓子の上においた両のこぶしを次第に強くわななかせ、早野に殴りかかりたいのを懸命に抑えているようだ。

 達蔵、和介、連太郎の非難と侮蔑をこめた視線に反発するように、

「しょせん、考え方の違いだな。帰る!」

 早野は昂然と言い放って立ち上がり、さっきズボンのポケットにねじこんでいたグリーンのベレー帽を手にすると、

「勘定!」

 と、調理場に怒鳴りながら、一人分の支払いをして出ていった。

「あのモダンボーイぶりはどうだい。早野って男は、ちょうどあの格好そのままだな」

連太郎が言い、和介が「ふふ」と小さく笑った。しかし何か気分は暗く沈んでいた。

 あのあと、年があけて昭和十二年になり七月十二日に蘆溝橋事件が勃発するとすぐ、山崎達蔵は召集された。

 

 今、心身ともにぼろぼろになった達蔵の許から、和介とともに出てきた連太郎は、わずか五年の歳月ながら、あの時からの事態の暗い進展を思わずにはいられない。

 早野竹男は、今では流行作家になっており、運動に入った頃とは180度の転換をとげていた。「心からの忠良な日本臣民」になることを、他に向かっても勧めていた。

 日本の国体は美しく、日本は神の国で、日本の起こした戦争は聖なる戦であり、東洋平和のためであり、日本のすることは何もかも正しく、日本人は世界一優れている。

 早野のみならず、新聞も、ラジオも、雑誌も、学校も、すべてがこれを強調し、世間に充ちみち、その陰に山崎達蔵が身をもって経験させられた、言語に絶する日本の残虐は、全く蔽い隠されていた。

「今日はこれからどうするの」

 市電の停留所に近づいて、連太郎は和介に訊いた。

 (おもり)を呑んだような重苦しさが胸にあって、このまま右と左に別れてしまい難い気持が、たゆたった。久し振りに会った松浦和介である。心をひらいて語れる仲間はもう彼だけといっていい。

 自分の仕事のこと、出版界の現状、さきゆきの世の中……。

 以前だったら必ず、飲み屋かバーに立ち寄ったものだ。今もそういう店がないかと、あたりを見回しているのだが、付近には見当らない。この頃は、営業用も制限があって仕入れがままならなかったり、主人が召集されたり、徴用になったりで、店を閉めてしまったところが多くなった。たまにやっていても、酒は水っぽくてまずく、肴もろくなものはない。

「これからか。うん、息子の下宿先に寄ってみようと思っている。できれば今日のうちに静岡に帰ろうかと」

「早稲田の穴八幡の近くだってねえ」

 早稲田近辺の風景が、ふっと連太郎の脳裏に広がり、懐かしさがこみあげてきて、和介について早稲田に行きたい気がした。

 連太郎の青春の地だ。文学同人仲間も多くそのあたりにいたし、連太郎もその地に住んだ。下宿した家で娘の明子を見初め、結婚を申し込んだ。

 今はすでに明子の父親は亡く、母親は明子の妹の家に引き取られて他所に移ったので、その家には別な人が住んでいるはず。

 昔のままだろうか。昔といってもまだ十七、八年しか経っていないのだが――。今は早稲田は松浦弘の青春の地。そして娘真佐子と、想いを交わす間柄?

 早くも世代は交替になったのだと思うと、不思議な気さえした。時の流れが早すぎる。だがその十七、八年は、非常に長かった気もする。時代のあまりにも激しい変化、そして明子をもどん底の貧窮に巻き込んでしまった、苦しい困難なたたかいの日々。

 ――それにしても……。

 と連太郎はあらためて弘を思い浮かべる。郵便受けに、真佐子宛の手紙を発見して、奇妙な動揺が起こり、純粋に弘を好もしく思っていた以前とは、微妙な違いが生じていた。弘が直接真佐子に手紙を出し、二人が時々会っているらしいのが気になる。それなら連太郎を通してくれればよかったのだろうか。

 連太郎自身にもよく分からない。これが娘をもつ父親の感情なのだろうか。自由を主張しながら、案外古い倫理感を引きずっているのではないだろうか。このことにも心が乱れるのである。

 だが連太郎は、弘の父親としての和介の気持にも思いを馳せる。それは娘を持つ親どころではないだろう。弘はいま二十一歳。普通は二十歳で徴兵検査だが、大学生については卒業まで徴兵猶予の措置がとられている。とはいえあと二年足らずで卒業となり、そこに軍隊が待っている。ついこの間、昭和十七年度から大学、予科、高等学校の在学年限六ヵ月短縮が決められたばかりだ。待っている軍隊とは、山崎達蔵が血を吐きながら告白したそういうものだ。

 早稲田の方へ行く市電と、連太郎が帰る方向の市電は反対方向。停留所を眼にしながら、二人は立ち止まった。

「この頃、書いているの?」

 連太郎が訊いた。

「書いてははいる。だが出版社へ送っても送り返されてしまって、どうにもならない。もうあれだな、国策にそったもの、積極的に戦意高揚をうたったものしかとらないらしい」

「出版界もひどいことになっている。情報局が出版社に対する統制をますます強めていて、出版物や雑誌の事前検閲をやっているそうだ。時局にあわないものは、自由主義的なものでも一切駄目。軍事一辺倒で押し切って、その方針に少しでもはずれるものには、用紙の配給をしないという脅しをかけている。脅しだけではなく、用紙の配給を止められて、たくさんの弱小新聞や雑誌が潰された」

「そうか」

 和介が吐息のような声を出した。

「去年、大政翼賛会ができて、国中がこの翼賛会に統一されることになった。文壇も、傘下の組織として、日本文芸中央会ができて、おれのところにも勧誘の通知がきたが、入らなかった」

 連太郎が言った。

「そう」

「一歩の妥協が、次ぎの一歩を呼ぶ。一歩一歩は大したことではないようにみえて、気がつかないうちに、考え方まで体制そのままになっていく危険。……それを思うんだ」

 連太郎は話しながら、何となし和介の反応に物足りなさを感じていた。以前とは違っている。

彼は、日本文芸中央会に入ったのかもしれない。文学者・小説家といわれる殆どすべての人が入ったらしいとのことだから。でも、和介にそれを確かめてみることはしなかった。ただ淋しかった。どちらだかは分からない。確かめるのをためらわせる何かがあるのが淋しかった。

 「一杯やろうか」とか「一緒に早稲田へ行こう」とか和介が言うのを期待しているところもあった。それも和介の口からは出なかった。

「じゃあ、ここで」

「健闘を祈ります」

 そんな言葉を交わして別れてからも、連太郎は、和介を追いかけ、早稲田まで一緒に行こうかと振り返ってみたりした。

 

 山崎達蔵の死亡通知が、長野から届いたのは、それから十日後のことであった。

 

 

   5 昭和十六年十二月八日

 

 朝起きて雨戸を開けると、庭土に霜柱が水晶の柱のように立って、小人の宮殿を思わせる十二月。

 真佐子は、昨夜といでおいた麦まじりのお米の入ったお釜に、ガスの火をつけてから、顔を洗い、茶の間の鏡台の前に坐って髪をとき、後で二つに分けて三ツ編みにする。

 母の明子と妹の奈保子も起きてきて台所に立つ。明子が味噌汁を作る。奈保子はもう一つのガス台の上に炭を入れた十能(じゅうのう)を置いて、炭に火をつける。炭が赤くなると、茶の間の火鉢に運んで、灰の上に上手に組み立て、しばらく息を吹き掛けたりして、火をおこす。

 三ツ編みの終わった真佐子が、上げぶたの下に置いてあるぬかみそ樽から、漬物を出す。 ご飯が炊けた匂いが漂う。お弁当箱にご飯を詰め、ゆうべお弁当用に残しておいたてんぷらを上にのせる。

 狭い台所は、三人の女が動き回ってますます狭い。

 茶の間の卓袱台(ちゃぶだい)にお膳立てして、時計を見ながら、真佐子と奈保子は急いで朝食をとる。

いつもは娘たちが学校へ出かけてしまった頃起きてくる連太郎が、その日はめずらしく早く出てきて、新聞を郵便受けから取ってくると、ラジオのスイッチをひねってから、火鉢の脇のいつもの席に坐った。

 と、ラジオが突然告げた。

「臨時ニュースを申しげます。臨時ニュースを申しあげます。大本営陸海軍部、八日午前六時発表。帝国陸海軍は、本八日未明、西太平洋において、米英軍と戦闘状態に入れり」「おっ」

 短く、唸るような声を連太郎が発した。

 ラジオは二度三度同じ言葉を繰り返す。

 連太郎は急いで新聞を広げた。が、新聞にそのことは載っていない。今朝未明に日本軍が奇襲作戦を開始したというのだから、朝刊には無理なわけだ。

「遂に……」

 連太郎が低くつぶやいた。

 台所から茶の間にきた明子が、

「とうとうやったんだ! よかった! すごい」

 明るく弾んだ声をあげた。

「よくなんか、ない」

 たしなめるような、怒った声音の連太郎。

 朝食を終えて、立ち上がりかけていた真佐子は、臨時ニュースの内容よりも、この父と母の対照的な反応の仕方に驚いてしまった。でももう七時を過ぎており、急がなければならない。

「奈保ちゃん、早く」

 お弁当を布製手提げカバンに入れ、セーラー服のリボンを結び直している奈保子をせかせて、二人で家を出た。

 女学校までは一時間かかる。一番近い駅のある私鉄線とは別の私鉄線に乗るのである。その駅まで歩いて二十分、電車が二十分、むこうの駅を降りてから二十分。八時十五分に始まる朝礼までに、遅刻すれすれのぎりぎりだった。

 急ぎ足で歩くので、姉妹はしゃべってもいられない。

 ――何故?

 疑問が、真佐子の中にくすぶっていたけれど、妹に訊いても仕方がない。

 父は変わっており、世間の常識に反していて、違和感を感じることが多かったが、最近弘と付き合うようになって、連太郎を評価する彼の話も聞き、少し変わってきていた。

 弘が意識され、心の中で彼に問いかけていた。

 ――アメリカとの戦争は、喜ぶべきこと? それともその反対?

学校の朝礼で、早速校長から訓示があった。

「皆さんの中には、今朝のラジオの臨時ニュースを聞いて、すでに知っている者もいると思うが、日本は今日の未明、アメリカ・イギリスとの間に戦闘を開始しました。これまで日本は支那と戦ってきたのですが、それに加えて米・英など欧米諸国との戦争に大きな力を注ぐことになります。

 米国は、日本への石油輸出を停止し、さらに支那から撤兵しろとか、仏印から手を引けなどと勝手なことを主張し、そのことでずっと日米会談を続けてきたのですが、とうとう日本は堪忍袋の緒を切らしたわけです。

 この戦争は、八紘一宇の精神にもとずく東洋平和と、安寧秩序をまもるためのものです。この聖戦遂行のためには、いままで以上に多くの将兵や物資が必要になります。国民はそのために、一丸とならなければなりません。皆さん方は女性ですが、心を引きしめ、命を捨てて戦っている兵隊さんたちと同じ心で、天皇陛下の御ため、お国のために尽くす覚悟をして下さい」

 校長は、「天皇陛下」という時、両手をぴんと下に伸ばし、体に力を入れて直立不動の姿勢をとった。教師たちも全校生徒も一斉に同じ姿勢をとる。これは小学校からずっと同じだった。

 訓示が終わると、教頭が大きな声で号令する。

「宮城に対し奉り、遥拝」

 全生徒が宮城の方向に向きを変え、「なおれ」の声がかかるまで、頭を下げる。

 昭和十六年十二月八日の朝であった。

 一時間目の授業のあとの休み時間、いつもは殆ど戦争や時局的な話など、クラスの中では出ないのだが、さすがにこの日は話題になった。

 一人、新聞をよく読んでいて時局などにくわしい人がいて、その東田節子の周りに、クラスメートは集まった。

「アメリカとイギリスを相手に戦争って、でも海のむこうの遠い国なんで、ちょっと実感が湧かないわねえ」

「これからは海軍が主力になるんじゃないの」

「ねえ、ちょっと、朝礼の時校長先生が、仏印から日本は手を引けとか、アメリカが言ったっておっしゃったけど、あれどういうこと。仏印てフランス領インドシナでしょ。日本は支那だけじゃなくて、フランスとも戦争してたのかしら」

「やだ、そんなことも知らなかったの」

 東田節子が言った。問いかけた人はちょっと恥ずかしそうに顔を赤らめたが、真佐子も知らなかった。

「支那との戦争が、四年以上も続いているでしょ。なかなか片付かないのは、仏印から支那へ石油その他の物資が送られていることにも原因があるのよ。だからそれをやめさせるために、日本は仏印へ軍隊を送ったの。フランスの本国は、ドイツに占領されて降伏したじゃない。日本はドイツとイタリアと三国同盟を結んだでしょ。だからフランスに対しては強腰なのよ。日本は東洋のインドシナからフランスを追い出して、八紘一宇の精神で大東亜共栄圏を建設しようとしているわけ」

「それをアメリカが反対したのね。じゃあイギリスは?」

「東南アジアには、フランス領インドシナばかりじゃなく、イギリス領のマレー半島とかいろいろあるじゃない。だからイギリスも日本の大東亜共栄圏構想には大反対なのよ。アメリカと同盟を結んでね」

「東田さんてすごい。おかげでよく分かったわ」

「ほんと、物知りね」

 みんなが褒め立てた。

「それほどでもないけど……。でもアメリカってほんとに憎らしい。なんで横合いから日本のすることに文句をつけるのかしらねえ。経済封鎖とかして、ひどい!」

「日本は勝つ。神国日本は、必ず勝つ!」

 誰かが大きな声をあげ、それにあわせて一斉に拍手が起きた。

 真佐子は、母明子の「とうとうやった」の意味が分かったと思った。では父は何故? それをこの場に持ち出すことはできなかった。

 十分間の休み時間はすぐ終わって、二時間目の授業のベルが鳴った。

 その日の夕刊には、日本が米・英に宣戦布告をしたとして、天皇の詔勅が載った。今朝未明の西太平洋での戦闘は、ハワイの真珠湾を奇襲し、アメリカの艦隊を爆撃したこと、同時にマレー半島にも奇襲上陸したこと、などが報じられていた。

 翌日からは連日真珠湾攻撃勝利の記事で埋まり、人々はその戦果に、勝った勝ったと浮かれていた。

 

 

   6 冬の川辺で

 

 真佐子は弘に会いたいと思っているのだが、"月の舟"で、二回目に会った後、残念ながら〝月の舟〟はとうとう閉店してしまったので、会う場所がなくなってしまった。

 弘の方からもなかなか連絡がなかった。それは真佐子を不安にした。彼は許婚というわけではもちろんなく、連太郎の友人の息子であって、いわば父親の知合いである。真佐子は弘のことを想っているが、相手も同じと考えるのは、一人よがりの思い上がりかもしれなかった。

 ――彼は、私のことなど本当は関心がないのかもしれない。

 そう思い、苦しかった。

 冬に間にあうようにと、弘に贈る手袋を編み、もうできあがっていた。古い毛糸だが、白と黒の霜ふりで、指は親指一つにあとは四本ぶんが一緒になっている形のもの。秋の頃から、誰も見ていない夜に少しずつ編んだ。

 真佐子の部屋は、玄関の三畳間を専用にしており、襖を締め切った一人だけの世界で、弘からもらったシューベルトの歌曲をかけた。

蓄音機には蓋をして、なるべく音が外に洩れないようにした。手袋の一目一目に、シューベルトの音楽が編み込まれていくような気がした。

 それも渡したいけど恥ずかしい。毛糸が太くごつくて、グローブみたい。はめると手が自由に使えないのではないかしら。

 贈物をするということ自体にもためらいがある。昔買って、大事にとっておいた和紙の千代紙の中から、紺地に桜の花びら模様のものを選んで、手袋を包み、本箱の下の抽出しにそっとしまってある。

 やっと、弘から手紙が来て、彼と会うことになったのは、年が明けて正月休みも終わろうという日であった。

 多摩川べりの私鉄の駅で待つという。

 真佐子は例の贈物を取り出しては眺め、少し迷ったけれど、思い切って持っていくことに決め、包紙を糊付けしてバッグに入れた。

 髪は通学の時の二本の三ツ編みではなく、後で一つの三ツ編みにし、編み終わりをゴムで固く巻いた上に、紺色のリボンを結んだ。洋服は、以前作って少し窮屈になっているが、フラノのブレザーにチェックのスカート。その上に通学用オーバーを着る。

 母にはなんと言おうか。この前は、お友達の所と言ったのだけれど、なんとなく気がとがめ、それに母には打ち明けたい気持もなくはなかった。

「ねえ、お母さん、今日ね、弘さんと会うの。いいでしょ」

「おやま、ヒョッコン」

 仕事の手を止めて真佐子を見ながら明子は言った。奇妙な言葉を剽軽に明子は時々使う。驚いた時とか、それは結構とかいう意味で。

「そうねえ、まあいいでしょ。ただあまり遅くならないようにね。どこで会うの」

「多摩川」

「寒いとこだねえ」

 指定の駅までは、電車に乗って二十分くらい。駅に近づくと落ち着かなくなり、座席から立って、出入り口のガラス越しに、すべりこんでいくホームを見ていた。

 彼の姿は見えなかったが、ホームに降りると、そこより少し先のベンチに腰掛けて本を読んでいる弘をすぐに見つけた。近づくと、

「おっ」

 と言って立ち上がり、先に立って歩き出した。彼は濃いグレーのオーバーに同じような色のマフラーをしていた。

 駅を出て、多摩川の土手へ向かう。川の堤は、芝草が朽葉色に冬枯れて、彼方へむかってカーブを描いて続いており、河川敷には、立ち枯れのままの葦が折れ乱れながらもそのまま残っている。ゆるやかな川の流れをはさんで向こう岸には、遠くかすんで木立が連なり、合間にちらほらと人家の屋根が見える。

 切るような風が、吹き渡っていた。

「あの"月の舟"が閉店になってしまったものだから、なかなか場所が見つからなくて、こんなとこで……」

「だいじょぶよ」

「でも、寒くない?」

 弘が真佐子の顔をのぞきこんだ。

「いいえ、ちっとも」

 ほんとに真佐子は寒さを感じていなかつた。

けれど弘は自分のえりまきをはずして、真佐子の首に巻いてくれた。

「就職は決めたの?」

「決めました。二月のはじめに入社試験と面接があるんです」

「もうすぐだね。で、どこにしたの?」

「H製薬会社の事務に」

 はじめ真佐子は、小学校の代用教員になろうと思っていた。男子が軍隊にどんどん取られている現在、教員の数が不足しており、師範学校出でなくても、三ヵ月の講習を受ければ代用教員になれる道が開かれていた。知的な職業と思えて魅力的だったし、就職する級友たちの中でも一番多かった。

 しかしこの前、弘にそれを話すと、弘は、濃い眉の下の二重瞼の眸を思慮深げに放って、ほんの少し考えるふうにしていたが、すぐにこう言ったのである。

「いまの小学校の教育は、ぼくたちの小学校とは違う。いや、ぼくらの時からすでに、ひとつの方向が決まっていた。朝礼の度の奉安殿の礼拝、教育勅語の暗唱、それらが強制され、戦争が賛美され、肉弾三勇士の美談が教えられた。いまはもっと徹底している。天皇のために死ぬことを最高の美として、誰もが天皇の名による戦争に、喜んで命を捧げることを教えている。ぼくの弟は五つ下なんだけど、軍国主義にどっぷり漬かっていて、国のために戦うこと、命を捨てることばっかり考えていて、それ以外の生き方なんか考えられなくなっている」

「私の周りの人も、そういう人が多いわ。男の人だけが戦地に行くんじゃなくて、私たちも行くべきだ。それには従軍看護婦になるしかないって、看護婦の学校に進む人も多いの」

「明治の女流詩人与謝野晶子は、"君死にたもうことなかれ"という詩を書いて、日露戦争に出征する弟に贈った。知ってるでしょう」

「ええ、知ってる。 ああおとうとよ君を泣く/君死にたもうことなかれ/末に生まれし君なれば/親のなさけはまさりしも」

「親は刃をにぎらせて/人を殺せとおしえしや/人を殺して死ねよとて/二十四までをそだてしや」

 後の方は自然に二人で声を合わせていた。声は低めていたのだが、つい高まってしまいそうになり、はっと気がついて口をつぐみ、顔を見合わせながら、首を縮めた。

「もう絶対にそのような詩を学校で教えることはできない。子供にとって学校や教師の教えることは、絶対の真理だし、その中で物の考え方が形成されていく。だからいま、学校の先生になることは、こわいことだと思いませんか」

 その言葉は、周囲の人々の考え方とはまるで違っていた。

 いまほど教育の大切な時はない。小国民を天皇陛下の赤子(せきし)として、立派な皇国臣民として、命を捧げることのできる国民に育てあげる教師は、もっとも意義のある仕事であると、女学校の先生も言っていた。

 けれど真佐子は弘と付き合うようになってから、弘の言うことも理解できるようになっていた。なにしろ、弘に惹かれているわけだから、彼の言葉はかなり素直な気持で受け入れることが多いのは確かである。

 それでもかなり迷っていたのだが、父と母のいる夕飯の後の茶の間で、

「就職のことね。代用教員がいいと思ってたんだけど、いろいろ迷っちゃって。会社の事務の方にしようと思うの。H製薬から求人案内がきていて……」

 と言った。明子はすぐに反対した。

「どうして? 代用教員だって先生なんだから、先生の方がいいでしょうよ」

 連太郎は、夕刊から眼を放して、真佐子をじっと見つめた。

「先生より会社の事務員を選ぶ理由は?」

 真佐子の頭の中には、弘の言葉がはっきり甦っていた。でもそれをそのまま言うのは、あまりにも彼の受け売りで、恥ずかしく思えた。

「先生は自信がないの。読み書きソロバンだけならいいけど、子供たちの人格まで左右してしまうっていうのは、こわいし……」

「そうか、真佐子の気持は分かる。お父さんは賛成だよ。それがいい。子供たちを進んで戦場におもむかせる教育の現場に行くのは、やめたほうがいい」

 娘たちの行動や考え方には、殆ど意見や指図をすることのない連太郎が、この時ははっきりとそう言った。

真佐子はそれでふんぎりがついたのである。もし逆に、父親の意見が先だったら、そうしなかったかもしれない。親の意見には反発を感じ、自分の意志を通したく思ってしまう。けれど軍需会社の求人の多い中で、製薬会社を選んだのも、どういう時代でも人々に必要な産業であり、偶然連太郎もまた、別の製薬会社ながら、文筆で収入が得られないための内職として、製薬会社の広告の仕事をしていた。父のことは、やはり意識の中に位置をしめていたようだ。

 今日やっと会えた弘に、真佐子は訊きたいとがいろいろあった。

 連太郎が戦争に反対なことは、おおよそ感じていた。弘もまたそうであることも。けれど国家の方針に反対するということが、そもそもあっていいのだろうか、と考えるとまた不安になる。そういう人は、国賊とか非国民と呼ばれ、非難攻撃され、この上ない悪徳とされている。

 昨年の十二月八日から始まった大東亜戦争も、国難ととらえるならば、国を挙げての戦いに、反対だけではあまりにも個人主義的ではないだろうか。それを第一に訊いてみたいと思っていた。

 でも今こうして、彼と肩を並べて歩いていると、ただそれだけで心が満たされていて、そんなことはどうでもよいような気がした。

「川の方へ行ってみますか」

 二人は、土手から石のごろごろしている川原へ下りた。水量の多いときの流れのあとが溜まりになっているところを飛び越えたり、立ち枯れの葦のあいだをかき分けたりして、水辺まで行った。

 ひたひたと寄せる岸辺の水は、丸く角を落とした水底の石を透かして澄んでいる。

「魚がいるね」

 弘の指さす方を見ると、10センチくらいの長さの魚が、流れに身をまかしているように、ゆらゆらゆれて泳いでいる。

「あら、たくさんいるんだわ」

 気をつけてみると、何匹もいた。

「春でもないのに……。お魚はこんな冷たい水でも冷たくないのね」

「そりゃあそうさ」

 弘が笑った。

 彼は小石を一つ拾い、川へ向かって遠く、ほとんど水平に投げた。飛んでいった小石は、いったん水に入ったと思うと、次の瞬間、水面から出て、もう一度飛んで水に落ちた。

「水切りっていうんだよ。これが一回じゃなくて二回水を切って空中を飛ぶとすごいんだが……」

 そう言いながら何回かこころみたが、水切り二回というのには、なかなかならなかった。真佐子も真似てやってみたが、石はそのまま流れに没して、水切り一回さえできなかった。

 水辺から少し離れた所に、古びて壊れかかった小舟が置き捨てられていた。その舟べりに並んで腰を掛けた。背後には、枯れ葦がむら立っていて、土手の方から二人の姿を隠した。

「静岡のお家の方にも、川があるんですか」

「ありますよ。阿部川っていう大きな川が。そう、川もいいけど、きれいな海辺がある。真佐子さんを連れて行って見せてあげたいような」

「どんな海辺?」

「三保の松原っていってね、天女が舞い降りて水浴びをしたところ。天女も思わず天上から降りてきてしまいたくなる程、美しい浜辺なんです」

 真佐子は笑ってしまった。

「それは、漁師が天女の衣を奪ってしまったので、天女が天に戻れなくなったっていう昔話のあれ?」

「そう、あれ」

 そして二人は何故ともなく、また笑ったのである。

 しばらくの後、弘が言った。

「『西部戦線異常なし』は読みましたか」

 この前、弘が貸してくれた本だが、真佐子ははじめの方十分一くらいしか読んでいなかった。期末試験や就職準備など、いろいろあるからでもあったが、第一次大戦中のドイツ軍隊の兵士をえがいた小説なので、殺伐とした感じがあって、興趣が湧かないのだった。

「外国の戦争の話だから、なんだかなかなか読めなくて」

「そうですか。女の人はやっぱり戦争が嫌いなんですね。無理に読まなくてもいいですよ。いやなものはいやでいいんです」

「いやというわけでは、ないんですけど」

 真佐子は負け惜しみを言った。

「ぼくが、あれをあなたに貸したのは、日本には本当の戦争文学がないので、もちろん、書けばみんな発禁になってしまいますからね。あれを読むと戦争とはどういうものかが分かると思ったからです。十分の一読んで、投げ出してしまったということは、それだけでも効果があったということです」

「皮肉でおっしゃるの」

「いやそうじゃない。ぼくだって前にも言ったように、美しいものだけを観、美しさだけを感じていたい。でもぼくは男だから、現実に眼を逸らすことはできないんです。また逸らしてはならないと、心に決めているんです」

「男だから、女だからって違いがあるとは思えないわ」

「それはそうです。だけど少なくとも軍隊に入らないことはいいことです。そして女性はやっぱり戦争は嫌いでいてほしい」

「殺し合いの戦争は好きではないわ。でも今度の大東亜戦争のこと考えるんだけど、この戦争はやっぱりよくないこと?」

 真佐子はとうとう訊いた。

「よくないことだと、ぼくは思っています。人前では絶対に言えないことだけど……。大東亜共栄圏なんていったって、結局は東南アジアへの侵略なんですから」

「……」

「それに、アメリカと戦って、いまはかなり勝っているようだけど、それがいつまで続くか。物量の点でアメリカとは圧倒的な差がありますからね」

「それで東南アジアの物資が必要なのね」

「そのこと自体が植民地化に繋がるのですよ。宮沢賢治の『注文の多い料理店』知ってるでしょう。人間はこの世の主人だと考えていて、森や山を伐採したり、そこに住む動物を殺したり、食べてしまったりする。でももし、森の動物と人間とが逆転したらどうだろう。その逆転……。あれを読んだ時、ぼくは胸を刺されるようなショックを受けた。……植民地で独立運動が起きるのは何故だと思います? 経済的に搾取され、自主性を奪われ、さまざまな抑圧を受けるからですよ」

「ええ、分かるわ」

 真佐子は眸を大きくみひらいて弘を見た。自分の眼が輝いてくるのが、自分で分かった。このような話を誰からも聞いたことがない。

こういう考え方がある。こういう考え方をすることが大切なんだ。大きく視界が開けた気がした。

「宮沢賢治は、世界のどこかに不幸な人がいる限り、自分自身にも幸せはないって言ってますね」

「相手の立場、世界的な視野、いや、万物をみつめる宇宙的視座を持った人です」

 感動の大きな翼に、真佐子は包まれている気がした。

 太陽が早くも西に傾きかけ、川面に映った落日の赤いきらめきが、さざ波といっしょに揺れている。

 時間が止まって、いつまでもこのままいられたらどんなにいいだろう。もう何もしゃべらなくてもいい、黙ったままでこのまま……。

 夕日をみつめながら、弘が言う。

「あまり遅くなってはいけませんから、帰りましょうか」

「ええ」

 仕方なく真佐子は返事したが、二人ともすぐには立ち上がろうとしなかった。

 ためらっていた贈物を、とうとうバッグから取り出した。

「これ、私が編んだんです」

「なんですか」

「手袋」

「ありがとう。開けてもいい?」

「ええ、恥ずかしいんですけど……。使えるかしら」

 弘は、包んだ和紙の糊のついた部分をそっとはがして、手袋を取り出した。

「ありがとう」

 もう一度言いながら、手にはめた。

「あったかいね。嬉しいな。大事にします」

 真佐子は弘の横顔を、またそっと見た。その顔に夕日の赤いきらめきが反映して、輝いていた。

 やっと二人が腰を上げた時は、夕日がもう森陰にかくれていた。ただ夕映えは空に残って、綿雲のへりを茜色に美しく染めつけていた。その西空を背にして、帰路についた。

 

 

   7 初めての空襲

 

 女学校を卒業した真佐子は、就職が決まり、H製薬会社に出勤するようになった。場所は女学校と同じ品川区内だが、通勤のための電車は、一つ乗り換えていったところにある。

 初出勤のための服装にと、母の明子は行きつけの生地屋で、スフ入りのざくざくのホームスパンを買ってきた。

 二、三年前までは、店の棚にまだまがりなりにもさまざまな布地が重ねて並べられていたのだが、急速にその姿が消えて、今では奥の方の棚にわずかばかりしかない。品物もひどいもので、ウール、絹、木綿はなくなってしまい、おおかたはそれらの代用としてのステーブルファイバー、略称スフであった。それさえ配給の衣料切符で買わなければならない。

 でも明子は、スーツを仕立て、初出勤の娘へのはなむけとした。茶っぱい色に赤や緑が少々ないあわさっていて、生地で見るよりは洒落て見えた。五年間も紺のセーラー服一つで、色褪せ、擦り切れていた制服ともさようならをし、新しいスーツを身につけ、鏡に映してみると、少し大人っぽくみえる姿が真佐子は嬉しかった。

 髪型は、"パーマネントはやめましょう"とかなり前から標語になっていて、パーマはかけられない。毎朝そのために時間をとられて大変なのだが、三ツ編みを上二本、下二本作って、頭に巻きつけるように止めつけた。

勤めはじめの緊張から、少し慣れてきた四月十八日。午後の仕事が始まってすぐの時だった。

 急に事務室全体がざわめき立ち、何ごとかと仕事の手を止めると、誰かが廊下を走りながら、

「空襲! 空襲!」

 と、大声で叫んでいる。二十人ほどいる部屋の女子事務員は総立ちとなった。

 工場のサイレンがけたたましく鳴る。建物の外では、大声に怒鳴り交わす声。

「焼夷弾だ! 火を消せ!」

 ざわめきの中にひときわ高く、そう叫ぶ声を聞いた。

「水を! 水を!」

「砂だ! 砂! 早く、火を消せ!」

 事務員たちは、外へ出ようと出入口の方へ走る者、窓から外を見ようとする者、机の下に伏せる者。

 男の係長が声を枯らして、

「あわてるな! 静かに、静かに。床に伏せろ!」

 と叫びながら、一番うろうろとあわてて、事務室を出たり入ったりしている。

 ――空襲! 敵機襲来! いよいよ来た!

 真佐子は鳥肌立ちながら、じっと床にしゃがんでいたが、もし爆弾にしろ、焼夷弾にしろ、この真上に落ちてきたらいずれにしても駄目だな、といって外へ出ては、敵機から見えるだろうからそれも危ないし……。などとぼんやり考えていた。

 ドン、ドドーン。

 何かが破裂するような音が、天からか地からか、あたりに響いて聞こえてきた。

「なにあれ、爆弾?」

 隣に身を縮めていた同僚が、恐ろしそうに言う。

「何かしら」

 真佐子とて分かろうはずがない。

「高射砲じゃない。わが軍が高射砲で敵機を射ち落としてるのよ」

 別の一人が知ったかぶりに言った。

 その音も、三、四回で聞こえなくなった。

 戸外はまだざわついているが、やがて空襲警報の解除を知らせるサイレンが鳴った。

「敵機は去った。いや、わが軍の高射砲によって撃退された。さあ、みんな冷静に仕事を続けるように」

 係長が言い置いて、部屋を出ていったが、しばらくして戻ってきた。

「工場が焼夷弾を受けた。しかし焼けた部分はわずかだったので、みんなも心配しないように」

 就業時間が終わってから、真佐子は同僚たちと、工場を見にいった。

 工場全体ではなく一部分ではあったが、焼けただれているところがあった。トタン屋根が落ちており、赤錆色の鉄骨がむき出しになっていた。木の柱や梁は黒こげで残っており、機器類が壊れて散乱していた。あたりは水びたしで、まだ焼けこげの異臭がただよっている。工場関係の人たちが後片づけのために忙しく立ち働いていた。

「このへんは、京浜工業地帯に近いから、狙われやすいかもしれないわね」

「こわいわね」

「この真上にアメリカの爆撃機が来たわけだけど、でも爆音とか聞いた?」

「ううん、聞こえなかった」

「ほんと、気がつかなかったわね」

 そんな言葉を交わしながら、 会社の門を出た。誰も日本が、敵機によって空襲を受けるなどと考えていなかったのである。

 家に帰ると、母に今日の空襲のこととを告げた。

「まあ、真佐子たちの会社に落ちたの」

 明子は、驚いて言った。

「奈保子たちの学校も大騒ぎだったっていうけれど……。真佐子の会社にねえ。で、どうだったの? 怪我はなかったようだけど、大変だったね」

 焼夷弾で、工場が少し燃えたことを真佐子は話した。

 家の方には敵機は現われず、爆弾も焼夷弾も落ちたところはなかった。空襲警報は鳴ったが、間もなく解除になったので、

「何だろう、何かの間違いじゃないか」

 などと、父と母は話していたという。

 奈保子も寄ってきて、

「学校には落ちなかったんだけど、近くの工場に落ちたって言ってたよ。みんなが騒いで、きゃあきゃあ言ってこわがってたけど、奈保子は平気だった」

「どうして、平気だったの?」

「だって騒いだってしょうがないんだもん」

「奈保ちゃんは度胸が坐ってるんだ」

 夕飯の時、また話題になり、連太郎は、

「これからは、アメリカの空襲がたびたびあるようになるかもしれんな」

 と、ぽつんと言った。

 夜の七時のニュースで、空襲のことは報道されたが、ごく簡単なものだった。

「東部軍司令部発表。今日午後〇時三十分ごろ、敵機数方向より京浜地方に来襲せるも、わが航空部隊の反撃を受け、撃退せり。現在までに判明せる敵機撃墜数は、九機にして、わが方の損害軽微のもよう。皇室はご安泰にわたらせられる」

 そして夕刊も、見出しは大きいけれど、文面はほとんど同じであった。

 翌日になると、もう少しくわしく、飛来した米機は、京浜地区から淀橋方面に侵入し、焼夷弾を落としたが、被害はいずれも軽微で、特に各地区の警防団や、隣組の消火活躍が見事であった。また名古屋、神戸方面にも数機が侵入した。と書かれていた。

 相変わらず語調は大げさで、「初空襲に一億たぎる闘魂」とか、「敵機がその姿を現したとみるや、手ぐすね引いた対空射撃部隊は、一斉に火を吐き、一発必墜の弾幕を張る」とか「敵機が目標としたのは、民衆や市街地であって、この非人道な悪鬼のような振る舞い……」などなど。

 しかし少し後になると、空襲警報が鳴ったのは、米軍機が上空に至って、焼夷弾を落とした頃だったとか、高射砲が発射されたのもずい分遅れていて、敵機には少しも当たらなかったなどと、人々はひそひそ話していた。真佐子のところでさえ、聞いた。

 急に灯火管制が厳しく言われるようになり、電灯に黒い布で覆いを作ってかぶせるようになった。それで夜は、覆いをした電気の真下でしか、仕事をしたり、本を読んだりできなくなった。夜中に、見回りをしている町会の役員や、隣組長の、

「○○さん、光が洩れてますよー」

 と、注意する声が聞こえてきたりした。

 防空訓練もしばしば行われるようになり、明子も割烹着を着、防空頭巾をかぶって、隣組や町内会合同の訓練に出ていく。

 棒の先に縄を束ねてしばったはたきのようなものを各自で作り、それで火災の火を叩いたり、バケツリレーで水を掛ける訓練だった。

 女性はもんぺ着用が指示され、もんぺの嫌いな明子は、裾を縮めてベルトをつけた形のズボン式のものを作った。

 連太郎は、これも町会からの通達で、庭に防空壕を掘らなければならなかった。

「本格的な空襲になって、爆弾が投下されたら、庭に作った小さな防空壕など、かえって生き埋めか、蒸し焼きになってしまう」

 連太郎はそう言って、手をつけずにいたのだが、町会の在郷軍人の役員が回ってきての強制であった。

 庭には、連太郎が好きで、折々に植木屋から買ってきて植えた庭木がある。

 四季を忘れずに、花をつけたり、豊かに実を実らせるそれら一本一本を、どんなに連太郎は、いとおしんでいたことか。

 そして庭の中央部には、半年くらい前から、小さな畠が作られていた。乏しい野菜を補うために、明子が、そこにあったつつじなどを植えかえて、耕して作ったのである。小松菜とか、時なし大根など多少の収穫がある。

 今、防空壕を掘るとすれば、どうしても植木の二、三本は掘り上げて捨てなければ場所がない。

 捨てたくはなかったが、実のなる木、梅、いちぢく、柿は栄養補給のためにとっておくことにして、山椿と雪やなぎを、身を切る思いで抜き取ることにした。前からあった八ッ手も一本加えた。

 雨の降り続く梅雨期にかからないように、ということで、机の前にばかり坐っている連太郎も、土方になった。

 古びたシャツにももひき、頭に手拭いをまき、地下足袋の代わりに使い古しの足袋といういでたちで、シャベルで土を掘りはじめたが、すぐに疲れて息がはずみ、一日に少ししか掘れない。

 日曜日には、真佐子や奈保子も泥だらけになって土運びを手伝った。

 娘が感じている父連太郎というのは、いつも書斎の机を前に背筋をしゃんと伸ばして坐り、ものを書いている姿であり、洋装の母とは逆に、和服しか着たことがなく、外出する時は、折り目のきいた紬の着物に仙台平の袴――その折り目はたいてい質屋の蔵の中でついたにしろ――常に威厳があって、近づきがたい印象をもっていた。

 だから、古びた下着姿で土まみれになっている連太郎は別人のようで、人相までが悪く見えた。その上、おこりっぽくなっていて、真佐子がつい手をすべらせて、土の入ったバケツを受け取りそこねてひっくりかえした時など、

「なにぼんやりしているんだ! ちゃんと持たなきゃ駄目じゃないか」

 と怒鳴ったりした。

 日曜日は真佐子にとって大切な休日で、また明日月曜日からの出勤にそなえて、服装の手入れもしておきたい、お風呂にも行く、乏しい材料を工夫してお弁当のおかずも作らなければならない、休みの日しか読めない本も読みたいのだった。

 仕方なし手伝っているうえに怒鳴られて、泣きたいほどの気持だが、口答えもできず、ふくれっ面で、土運びを続けた。

「明日からまた勤めがあるんだから、真佐子はもういい」

 しばらくすると連太郎は、さっき怒鳴ったことが後悔されるかのように言った。

「奈保子もいいから、行きなさい」

 そして連太郎は、一人で夕飯時まで掘り続けていた。

 梅雨の頃までという予定通りにはいかず、防空壕はなかなか出来上がらない。毎日雨が降り続くようになり、壕の中に水が入らないように、雨戸で蓋をして、梅雨明けを待つことにした。

この頃になると、「破竹の勢い」とか「連戦連勝」とかいっていた東南アジア方面の戦の報道は、次第に影をひそめるようになり、却ってハワイ島の西にあるミッドウエー島の沖合での戦いで、日本軍が、航空母艦二隻、巡洋艦一隻を失ったことが、小さく報道されたりした。

 連太郎の掘る防空壕が、どうにか出来上がったのは、真夏の太陽がぎらぎら照りつける八月になってからである。

 入口には段がついていて、下りていくと、体をこごめて四人がどうにか入れる空間が出来た。中に入ると湿った土の匂いがし、空気がひんやりとしていた。床にはござを敷いた。

「わあ、涼しい」

 奈保子は面白がって、時々一人で中に入ったまましばらく出てこないでいた。

 この頃奈保子は、手芸よりは読書の方が好きになっていて、防空壕の段に腰かけて、ずっと本を読んでいたりする。

 

 

   8 もう一人の青年

 

 その頃、弘が同じ大学の学生を一人連れて訪れた。

 名前は、古屋太平という。

 是非、一ノ瀬さんに会いたいというのでと、書斎に通った弘が紹介した。

 色がやや浅黒い以外は、これといって特徴はないが、弘よりは年嵩にみえた。

「同じ学年ですか」

 連太郎が訊いてみると、

「そうです。しかしぼくは大学に入るまでだいぶ浪人しましたから、彼よりは、四つ五つ年上です」

 弘を見ながら太平は言った。苦学をして社会人になってから、かなりの年配で大学に入る人もいるわけだから、別にめずらしいことではなかった。

「わたしに会いたいというのは?」

「松浦君からいつも話を聞いて尊敬していました。この時代にあってなお、抵抗の姿勢を変えずにおられると」

「いやいや、それほどのことはないんだが」

「そういう方がおられるというだけでも、われわれは勇気が出ます。手作りの雑誌を作っておられるそうですが、よかったら見せていただけませんか」

「それはね、わずかの部数で、いつも送っている読者の数だけしか作らないいんだ。だから余分はないんですよ」

 一冊だけは、自分の手持ち用として取ってあるのだが、はじめて会った人でもあり、面はゆさもあって、そう言った。

「それよりむしろ、君たちから話をききたいな。大学の中でいま若い人たちは、何を考えているか。おおっぴらには何も出来ないだろうが、多少なりと、この戦争を批判する考え方はあるのか、そういう人はいるのか、とか」

「全くないとはいえません。現にこうして、松浦君とぼくがいるわけですから。でもいるとしても、大方は気分的なもので、軍隊的規律が嫌だ、殴られるのは我慢がならない、自由がない、まだ死にたくないんだといったところで、はっきりした思想としての反対の意志は、きわめて少ないか、殆どないのではないかと思います」

「以前戦争に批判的だった者も、国家の一大事だから仕方がない、というふうに変わってきていますね。それさえ、全体からいえば僅かで、大部分は、進んで一身を国のために捧げようという、けなげな青年ばかりです」

 弘が、苦笑を浮かべながら言葉を添えた。

 うちわを使っていても汗がにじみ出てくる蒸し暑い日。庭で油蝉の声がかしましい。

 廊下に小さな足音がして、盆を両手で持った奈保子が、入ってきた。

 卓子の際に坐って、コップに入った水を三人の前へ置き、お皿に載ったきゅうりに味噌を添えたものを置いた。

「これは、うちの庭で取れたきゅうりです」

 と小さな声で恥ずかしそうに言い、頭をぴょこんと下げて急いで去った。

 切りたての新鮮なきゅうりからは、水分が露になってふき出しており、それは明子がたった今庭から切り取って、もてなしのために持ってこさせたのだと、連太郎にはすぐ分かった。

 水の入ったコップのまわりには、一面に水滴がついて、中の水が冷たいことを物語っていた。道路を隔てた向かい側に路地があって、路地の家で使っている手押しポンプの井戸があり、冷たい水が出る。夏の季節の時たま、そこの井戸水を貰ってくることがあった。この水も多分やかんに一杯汲ませてもらってきたのであろう。精一杯のもてなしなのであった。

 今日は日曜日ではないので、学校は夏休みでも、会社勤めの真佐子はいない。それで奈保子が持ってきたのだろう。弘は優しい眼差しで奈保子を見やった。

「まあ、こんなものだが……」

 連太郎は、若い客にきゅうりをすすめ、

「今いちばんむずかしいことは」

 と、途切れた話の後を続けた。

「権力の意志や、それにどっぷり染まっている世間の人々の中にあって、どこまで自分の考えを固執し続けることができるかだね。みんなが白というものを黒といい、善だということを悪といえるのかという……」

「そうなんですね」

「わたしは以前、いつも自分に問いかけていた。もし、特高警察に捕まって、わたしの友人なども受けたし、虐殺された小林多喜二によってもよく分かるあの凄まじい拷問を加えられた時、その肉体的苦痛に本当に耐えることができるのか、耐えて何事も口を割らず、節を曲げずにいることができるか、と。しかし今はそれより、自分は黒と思いながら、世間の人々の白眼視や憎しみ恐さに、黒を灰色のように言い、少しずつ色を薄めて、限りなく白に近づいてしまうことの方が、恐い。それを自らに問い続けるようになった」

「学者や教授たちも、その傾向にあります」

「人間は弱いものだから、他人から良く思われたい、つまはじきされたり、嘲笑されたりするのは辛い。耐えられない。……しかしこれが問題なんだ」

 連太郎はコップの水をごくりと飲んだ。

「優等生であること、真面目一筋であること、これはむしろ危ないんじゃないかと思う。不良、変人、もっとはっきり、国賊、非国民といわれても耐えられる強さ。その底無し孤独に耐えられる強さは、世間とのまやかしの、馴れ合いのきずなを断ち切ったところにしか保てない」

「近衛さんにも責任がありますね」

 今の東条内閣の前の首相、近衛文麿のことを突然言い出したのは、古屋太平だった。

「彼は、生粋の貴族いや華族ですが、学生時代彼なりに社会主義を信奉していた。けれど一方、藤原鎌足以来の摂政・関白家ですから、天皇に忠節であろうとする心情は牢固(ろうこ)としてある。彼の心の中にずっとあった理想、この時代でも実現できる道。そこで考えたのが、国家社会主義の道です。それを大政翼賛会に結実させた。近衛さんの知人とか相談相手には、もと左翼といった人などもいて、構想ではそういう新体制を打ち立てて、軍部の暴走に歯止めをかけようという考えがあったらしい」

「うむ、大政翼賛会発足のころは、誰も彼もが新体制、新体制と騒いでいた。新聞・ラジオはもちろんだが、時たま出版社に行ったりして、編集者や作家に逢うと、何かしら期待をこめて新体制を語っていた」

「しかし、海千山千の軍部や、財閥にとって、このお坊ちゃん的理想主義者の近衛ほど都合のいいものはなかった。ナチス・ドイツの国家体制を日本にも実現したかった軍部は、労せずして近衛によって、それを実現させることができた。ピラミット型の頂点に天皇。下部構造の一人に至るまで、固い挙国一致の体制」

「ありとあらゆる組織や団体が、すべて組み込まれた。文壇も文芸中央会から文学報国会になって、大政翼賛会の下部組織になったしな。……近衛自身にはあるいは自分の描く理想があったかもしれんが、しかし表に現われたところは実に軍部に弱腰で、言いなり放題だった。どちらに向かってもいい顔をしてみせたその二股膏薬が、知識人たちにも漠然と期待を抱かせ、結局はピラミット構造丸ごと軍部に売り渡したことになったんだから、古屋君のいう通り、その責任は、実に大きく深いものがあるな」 

「ところが、軍部にとって一つままならないものがあった。財閥です。独占資本家は自分たちが、国家統制を受けて、儲けも何も彼も国家に握られてしまっては一大事とばかり、産業の国家統制方針に横槍を入れた。産業界は産業界自身で統制を行います、というわけです。日本を動かしているのは、我々なんだという意識がありますからね。軍部も財閥による軍需産業がなければ、戦争ができないわけで財閥には弱い。で、政府と国会に圧力をかけた産業界の主張は、通ったわけです。これからますます産業界つまりは独占資本自身の手による統制は進んで、中小企業は大企業に併呑され、資本の統合は行われ、独占軍需産業のボロ儲けが集中していくことになるでしょうね」

 太平の話に皆、うーむとうなって、しばらく言葉がなかった。

 やがて弘が口を開いた。

「このような時に、われら何をなすべきか、何ができ得るか、迷いと焦りを感じます。……一ノ瀬さん教えて下さい。何をなすべきでしょうか」

「むずかしい時代だね。それでもそれは、君たち自身で考えるべきだと思う。ただこれだけは言えるんじゃないだろうか。地球が破裂でもしない限り、人間が亡びてしまうことはない。人間の歴史は続く。今いっときいっときが歴史となって残っていく。戦争だって永久に続くわけはないよ。誰がどのように生きたかは、語り継がれるはずだ。自分に自信を持つこと、信念を持ち続けること、そして仲間を作ること、情熱をもって語るとき、ひとは必ず耳を傾ける。感動をさえ与えることができると思う」

 太平の言葉に気持が熱く昂ぶってきた連太郎はそう言ったが、これはあまりに原則論的で、具体性がないではないかと、我ながらもどかしさを感じた。

「ええでも、大学へ入って、一年半経ったのに、真に心を打明けて語れるようになったのは、この古屋さんだけです。多少気持の合う者はいないわけではない。でもそれは、さっき古屋さんが言ったように気分的にミリタリズムに反発しているというに過ぎない。それだけでも、もちろんいいとは思うけれど、やっぱりどこか弱いんですよね」

 弘は、同意を求めるように古屋を見た。しかし太平は、弘に視線を合わせず、連太郎をじっと見つめていた。その眸に鋭い光が加わった。

「一ノ瀬さん、今度冊子ができたら、ぼくに十部ほど下さい。それをこの人ならと思う大学の友達に渡しますよ」

「うん、そうだな。それはいいかもしれない。じゃあやってみてくれるか」

「ぼくもやってみますよ」

 弘も言った。

「今度のは冬に出すつもりだが、いつも中心になるものを決めていて、今度は、政治権力への一つの抵抗のかたちとして、昔から落書とか、江戸時代には狂歌とか川柳とかがあった。それらを紹介しながら、現在の落書(らくしょ)または狂歌として、私自身が作ったものを出そうと思っている。読者からも作ってもらって、次の号に載せることを考えているんだが、そんな内容のものでいいかね」

「面白いと思います。期待しています。それを契機にして仲間づくりもできるかもしれません」

 二人の若者は、一時間半ほどいて帰っていったが、古屋太平は結構如才ないところもある性格らしく、開け放しにしてある四畳半で、ミシン仕事をしている明子にも声をかけ、

「さきほどは、貴重な菜園の収穫物をごちそうになりました。新鮮でおいしさこの上なしでした」

 と愛想のよい挨拶をした。

「何もおかまいできなくてね。どうぞまたお出かけください」

 明子も立って玄関まで見送った。

 最近、はにかみのことのほか強くなった奈保子は、台所の方に隠れていて姿を見せなかった。

 この日の若い来訪者は、ますます憂欝を加えてきていた連太郎を晴れやかな気分にさせた。たった一人でもこういう勇気と情熱と行動力を持った人が現われたということが、嬉しかった。新な力が湧いてくる気がする。

 

 連太郎は、大正の末期、まだ自分が二十代の若者だった頃のことを思い出す。明子の家に下宿する前に下宿した所に、一人の青年がいた。連太郎は一階の階段脇の部屋、その青年清原順次は、二階の部屋にいた。はじめは顔を合わせれば挨拶するくらいだったが、いつの間にか部屋に行き来して話し合うようになった。

 やや暗い感じはあったが、常に物事を深く考えているような表情の順次に惹かれるものを感じた。

 その頃連太郎は、毎晩のように文学同人仲間と飲み歩いたり、文学論を戦わしたり、時には興奮のあまり殴り合いの喧嘩をしたり、あるいはまた、遊里の話や女の噂に時を過ごしたり、実際に遊廓に足を踏み入れたりした。けれどいつも何故か虚しく、心が満たされることがなかった。

 ――何か違う。こんなことでいいのか。自分がこの世に生きている意味はなんなのだ。

 懐疑に悩まされ、苦しかった。

 そんな時、清原順次の低いが底力のある語り口が、連太郎の心の中にぐいぐいと浸みこんできた。

 壁にも天井にも雨染みのある殺風景な部屋だった。順次の油じみたナッパー服が壁にぶらさがっていた。本棚が一つあり、技術系の本に混じって社会思想の本が並んでいた。

 小さな手あぶり火鉢に手をかざして、二人は坐っていた。

 ごとくの上の網にかきもちが載っており、焦げた香ばしい匂いが漂い、ぷすっといってかきもちが膨らんだ。故郷から送ってきたものだと順次が言い、連太郎に食べるように勧めた。

「ぼくの大事な(ひと)が、お女郎さんになってしまったんです。東北ですから、いや東北にかぎらないんですが、特に東北は、不景気とか、天候不順とか、災害などには影響を受けやすくて、昔からいつもひどい目にあいます。そういうことがなくても、90パーセントくらいの人々が常に貧しくて、その犠牲となって女の人が売られるのです」

「その女は恋人だったんですか」

「ええ、将来を約束していました。過去形ではなくいまも恋人です。でも彼女をあの世界から連れ出すためには、莫大な金がいります。ぼくがどんなに働いても、給料ではどうにもならない。……親や家族のために娘が身を売らなければ生きられないなんて、ひどい話じゃありませんか」

「ひどい話です」

「こういうことも昔は、運命のように考えていたんです。いや、考えさせられていた。貧しい家に生まれた者は、どんなに努力し、どんなに働いても貧しさから抜けられない。一方金持ちは労せずして、ますます財産や資力を増やすことができる。農村ならごく少数の大地主と大勢の小作人。都会では大資本家と労働者。それぞれの運命の星の下に生まれたと諦めるしかない、と。でもぼくは社会思想に関心を持つようになり、特にマルクスの理論を読むに至って、どかーんと殴られたような気がしました。どうしても解けなかった方程式が、突然解けたような驚きと歓び。社会の仕組みのからくりが分かった。そうか、こういうことなんだという想い。そして社会の矛盾がたくさん見えてきて、心が高ぶり、夜も眠れないほどでした」

「…………」

「社会の仕組みを変えること、それを抑圧され搾取されている人々とともに闘いとること。これこそぼくの使命、人間としての使命だと確信するに至ったんです」

 戸外は霜が降るような寒い冬の日。でも清原順次は、自己の確信する生き方に若々しい情熱をたぎらせているのであろう、頬は紅潮し、眸には強い光が満ちていた。

 だがそんな話をして間もなくの朝まだき、まだ連太郎が寝床の中にいた時、どやどやと乱暴な足音を立てて、複数の人物が階段を駆け上がっていった。

 何事かと、連太郎が急いで起きだしてみると、五、六名の特高警察が、清原順次の部屋に踏込んだのであった。彼は検挙された。

 連太郎は激しい義憤を感じずにはいられなかった。あの真摯でひたむきな清原の心を捉えた理論はどういうものなのであろうか。連太郎は次第にマルクスの理論や、社会主義思想の書物を読みあさるようになった。そして自分なりの信念を持つようになったのである。

 清原順次がその後どうしているかは知らない。でも連太郎は彼のことを決して忘れない。影響を受けたことは確かだった。彼の意志を現在なお多少なりと、受け継いでいると思っている。

 それと同じように今、若い古屋太平や松浦弘が、この厳しい世にありながら、連太郎の意志を次ぎ、わずかずつでも広めてくれようとしている。

 連太郎は胸が熱くなるのを覚えていた。

 

 

   9 再び、川のほとり

 

 その後、古屋太平は一人でたびたび一ノ瀬家を訪れるようになった。

「ぼくは煙草を吸いませんから」

 と言い、間もなく配給制になると噂されていて、今は一人一箇しか買えない煙草を、金鵄、光など四、五箱お土産に持ってきたりした。

 いつの間にか家族全体にとけこんで、夕立の日に雨漏りがひどかったといえば、屋根に梯子を掛けてのぼり、ずれていた瓦を直したり、ぶらさがっていた雨樋を打ちつけてくれたりした。

「ぼくは天涯孤独の人間ですから、こういう家庭的雰囲気には惹かれるのですよ」

「天涯孤独って、ご両親は?」

「ぼくが五つくらいの時、腸チブスが流行って両親とも死んだんです。それから祖父母に育てられたんですが、祖父母ももう他界しました」

「まあ、そうだったんですか」

「だからぼくは、ありとあらゆる仕事を転々としました。新聞配達、牛乳配達はもちろん、土方から人力車夫まで何でも……」

 明子を相手にそんな身の上話もした。太平の如才なさは、苦労した成長過程で身につけたものなのだろうと納得する。

 明子の方でも、着ている学制服のボタンが取れかかっているのに気がつくと、

「それ、脱いで」

 と、上着を受け取り、きちっと付けなおしてあげたりした。

 真佐子のいる日曜日にもふらりとやってきた。

 縁側から近いところに柿の木が植えてあって、初秋に入った柿の枝には、若緑のへたのうえに小さなキューピーの頭のような実がたくさんついている。

「柿がなりますね」

 縁側から見上げて、太平が言った。

「ええ、この柿は富有柿というんですが、甘柿でとてもおいしいんですよ。実った頃ぜひいらっしゃいね」

 明子が言った。そばに真佐子もいた。

「柿という字は、木へんに市という字を書く。柿の実が市をなすようになるからでしょうかね。では女が市をなすのはなんでしょう」

「えっ、女が市をなす?」

 真佐子がちょっと考えていると、その間を与えず太平が、

「それは姉です」

「あ、ほんと。……でもどうして女が市をなすのが姉なんでしょう」

「そうですねぇ、何故でしょう。それは女が市をなすんじゃなくて、市場へ買物にいく働き者が、姉さまなんじゃないですか」

 そんな言葉に、別にどうというほどのことはないのだが、笑ってしまうのだった。

 太平とはそれほどしょっちゅう会うわけではないのだけれど、すぐに打ち解けた感じになれるのが不思議だった。真佐子は、反射的に弘を想う。弘に会うと緊張して固くなってしまう自分を感じる。ずいぶんな違いだった。

 それにしても、弘はなぜ来ないのだろう。八月に古屋太平をはじめて連れて来た時も、わざわざ真佐子のいないウイークデーに来たりして、などと考える。それでまた手紙を書いた。

 この頃の会社勤めのことなどを伝えた後で、古屋太平さんが、最近よく家にお見えになります。弘さんもどうぞいらして下さいませ。と書き添えた。書いてから、最後の一行が気になった。あからさまな恋の告白のようで恥ずかしい。

 それに法科在学の弘は、高等文官試験の司法を受けるつもりでいて、召集が来ないうちに試験に合格したい。その上、今年から大学卒業が、六ヵ月短縮になってしまった。弘の卒業はあと一年後に迫っていて、猛勉強しなければならない。それを思えばなおさら、自分のために貴重な時間を割いてとは言えなかった。で、「弘さんもどうぞいらして下さいませ」を削除して書きなおして出した。

 同じ法科に席を置く太平は、高文の司法を受けないのかと訊いてみたことがあったが、太平は、

「いやあ、ぼくは松浦君みたいに頭がよくないから、司法試験はねえ……」

 などと笑っていた。

 弘から、折り返し手紙がきた。

  お勤めもずいぶん忙しそうで大変ですね。残業も多く、帰りも遅いとか。私の学業の方も、読まなければならない書物、覚えなければならない事柄など限りなくあるのですが、やっぱり真佐子さんにお会いしたい。二人だけでお話しできるところで。けれど その場所はますますなくなってきました。

  日曜日、お時間がとれますか。とれるようでしたらまた多摩川へ行きませんか。場所としては、あそこしか思い浮かびません。九月の第三日曜日、前と同じ時間。よろしかったらお返事をお願いします。

 真佐子はすぐに、その日会えることを楽しみにしている旨の返事を出した。

 その日がきた。

 この前来た時は、頬を切るような寒風が吹き通っていて、川の堤は枯れ芝の黄土色だっつたが、今は緑に蔽われており、堤を下って川岸に至る河川敷に群生する葦その他の雑草も、丈高く青々と繁っている。

 初秋ではあるが、草叢にはまだ夏が潜んでいて、草いきれを発散させており、見上げれば碧空に白い綿雲が浮かび、まぶしく太陽が輝いていた。それでも、真夏のからみつく暑さとは違っていて、葦の葉を鳴らして渡る風に爽やかさがあった。

 以前、二人が腰を下ろして語り合った廃舟が、たしかこの辺に、と思う所にない。あたりを探してみたが見つからなかった。どのような物資も不足している今日この頃、古舟もただうち捨てて朽ち果てさせることはしないのだろう。

 二人は、石のごろごろする川原を川上の方へ向かって歩いた。歩く足元の雑草の間から、突然きちきちと音立ててバッタが飛んだりした。

「古屋さんがお宅へしょっちゅう行ってるんですって?」

 まっすぐ前を見て歩きながら弘が言った。

「ええ、かなり頻繁に」

「日曜日とかに?」

「普通の日もあるけれど、このごろは日曜日にも」

「お父さまと話し合っているんですか」

「そうでもないみたい。父は仕事で忙しいし……。あの方、とても器用で、家のこといろいろして下さって、母のお気に入りです」

「家のこと色々って?」

「庭の野菜畠の草取りをしてくれたり、防空壕の入口の段に石を敷いて滑らないように作ったり」

「ふーん」

「それに、話が上手で面白いの」

「どんな話?」

「どんなっていっても、すぐには思いだせないけど……。私に向かってもこんなこと言うんです。『きれいな花には棘があるって言いますけれど、ぼくはその棘に刺されてみたい』ですって」

「そういうのが話上手っていうんですか」

 弘の一言に、真佐子ははっとした。意識してのことでは誓ってないが、無意識のうちに弘を刺激して、対抗意識をかき立てようとしたのではないか。それは小さな棘だったかもしれないけれど、弘の胸を刺し、弘は引き抜いて、やじりの大きさにして返してきた。

 ――そういうのを、女のコケットリーというのではないのですか。

 そう言われたような気がした。恥ずかしくて唇をかんだ。それなのに次に弘が、

「三文小説にあるような陳腐な殺し文句ですよね。でも女の人は、そういうのに弱いんだ。……真佐子さんは、古屋さんが好きなんですか」

 多分に挑戦的に言った時、

「そうね、嫌いじゃないわ」

 と答えていた。嘘ではない。でも本当はこう言いたかったし、言うべきだった。

 ――そんなことないわ。私の本当に好きな人は、弘さんだけよ。

「彼は、頭もいいし、行動力もあるしな……」

 弘がつぶやくように言い、沈黙した。

 そして足元の小石を拾うと、川へ向かって力をこめて投げた。それはこの前、水切りをした時のような、楽しい遊びの投げ方ではなく、苛立ちや、やりきれなさの現われのようにみえた。

 ボタンの掛け違えのように、二人の気持の齟齬(そご)が思われた。

 弘はいままでの歩調を早めて、どんどん一人で歩いていく。追いつこうとして小走りになった時、風が吹いてきて、真佐子の帽子を飛ばした。逆の方向に転がっていく帽子を、真佐子は追いかけて拾った。

 その帽子は、もう何年も前に、母が奈保子とお揃いで買ってくれたもので、丸い頭の部分とつばとの間にピンクのリボンが巻いてあって、後で結んで垂らしてある。大事にしていたので、殆ど新しいようにきれいだった。日差しも強いし、今日はこれをどうしてもかぶっていきたいと思い、出掛ける前に洋服ダンスの帽子箱から持ち出した。三ツ編みの髪を四本巻きつけた頭では帽子がかぶれないことが分かり、一度編んだ髪をほどいてかぶった。長い髪にピンクのリボンの垂れた帽子。ちょっと子供っぽいかしら、とちらっと思ったそのことが、何だかまた急に意識された。自分自身が滑稽な存在であるような――。

 すると何もかもが否定的に考えられ、

 ――二人は単に今、気持の齟齬を来したのではなく、弘さんは私を好きではないんだ。

 と思えてきた。その証拠には、古屋さんほどに会いにきてもくれず、今は些細な言葉に機嫌をそこねて、どんどん行ってしまった。

 真佐子は拾った帽子をわざと変な格好に、前をぐっと押し下げて目深にかぶり、その場にしゃがみこんで動かなかった。

 距離がずっと離れてしまって、やっと気がついた弘が、真佐子の方を振り向いた。彼はしばらく立ち止まったままだったが、やがて真佐子の方へ戻ってきた。近づいてきた時、真佐子は立ち上がって彼に背を向けた。

 弘の両手が肩にふれた。電気に触れたように真佐子は痙攣した。彼の両手に力が入って真佐子の体をくるりと回転させた。二人は向かい合いになった。

 彼は、真佐子のつば広の帽子をぐいと後へ押し上げた。そして真佐子の瞳に食い入るような眼差しを当てた。

「あっ」

 と、叫びそうになった時、真佐子は弘の両腕に、強く激しく抱きしめられていた。

「あ、あ」

 胸の内で叫びがあがった。これも声にはならなかった。自分の体が小刻みに震えているのが分かった。同時に弘の体も震えているのが伝わってきた。強く抱きしめられていて、その震えが彼のものか真佐子のものか分からない程であったけれど。

 真佐子の顔は、弘の喉のあたりにあった。突然引き寄せられたので、顔は上向いたままだった。彼の肩ごしに、青い空が見えた。

 ――今、わたしは生まれて初めて、男の人から抱きしめられた。生まれて初めて、今!

 真佐子は、今というこの時を刻印するように、そして天に向かって告げるように、胸の内につぶやいた。すると何故ともしらない涙が、瞳から溢れてきた。

 弘の顔が、かぶさるように近づいて唇が迫った。

「だめ」

 蚊の鳴くような声を真佐子は立てた。

 ひるんだようなためらいが一瞬あったが、そのまま唇が押しつけられた。

 真佐子は眼を閉じ、もうなされるままになっていた。でも二人ともただじっと唇を合わせているだけだった。それも長い時間ではなかった。かなりすぐ、弘は顔を上げた。真佐子は彼の胸に顔を埋ずめた。彼の熱い体温が伝わり、体温とともにかすかな体臭が感じられた。くらくらして酔ったような具合で、このまま抱えられていなければ倒れてしまいそうだった。

 けれど間もなく弘は、貼りついた布を無理にはがすように身を離した。

 真佐子はふらふらして、足が地についている感覚がなく、ほんとうに倒れそうになった。しゃがみこむと、弘もしゃがんだ。肩に手を回し、涙ぐんでいる真佐子を覗き込むようにして、

「ごめんね」

 と言った。真佐子は、泣き笑いの顔で、首を横に振った。

 抱きしめられた時、帽子が後へ落ちてしまったことに気づかなかったのだが、弘が拾ってかぶせてくれた。

 少しずつ、体が普通の状態に戻ったので、立ち上がって歩き出した。繁った草叢が至るところにあって、二人の姿は、土手の方からは殆ど見えないはずだが、たとえ見えてもかまわない気がした。

 弘の様子はさっきとはずいぶん違ってみえた。どことなしもの想わしげなのは同じだが、さっきまでの苛立ちを含んだ欝勃とした表情は消え、真佐子を気遣う優しさが滲んでいた。

 それだけで真佐子はこの上なく幸せだった。戦争も、食料や物資の著しい欠乏も、弘があとどれだけ軍隊に召集されずにいられるのかさえ、忘れていた。

 時の経つのも忘れて、ただ歩いていた。

 100パーセントとはいわず、200パーセントも今という時を大切にして、胸一杯に呼吸したかった。その気持は弘も、今は同じであるようにみえた。

 周囲にあるものすべて、遠くの森陰や、水晶色のきらきらした川の流れや、葦の葉裏を白くそよがす風や、飛びかう赤とんぼ、どこかの木立で鳴く小鳥の声、群れをつくって上空を移動する何鳥かの姿まで、二度とは得られぬ美しい絵、美しい音楽のように感じていた。

「シューベルトって、やさしい人だったのでしょうね。音楽がほんとにやさしい」

「そうですね。単にやさしいだけでなく、憂いに満ちているというか、もの想う聴き手のそれぞれの心に、それぞれに応えてくれる深い湖のような、癒しのやさしさがあります」

「音楽って不思議。旋律って何なのでしょう。あんなにも胸にしみ込んできて、胸をときめかしたり、想い出をかき立てたり、淋しさや悲しみは、一緒になって涙してくれるような……」

「うん」

「弘さんからいただいたレコード、大切にして聴いています」

 そんなことをぽつりぽつりと交わしただけで、満ち足りていた。

 けれど、いつの間にか日が西に傾いてきて、別れの時が思われた。別れたくない別れたくないと思いながらも、二人の足は土手の方に向かっていた。

 その時、土手の上に人の姿を見た。自転車のハンドルを手に仁王立ちに立つ黒い服の男が、こちらをじっと睨みつけるように見ている。

 どきっとして、二人は瞬間立ち止まりかけたが、

「まっすぐ歩きましょう」

 小声で弘が言い、土手へ行く方向ではなく、川原を平行に歩調を早めた。

「おい、おい待て、こらぁ!」

 長いサーベルを腰に吊った黒制服の巡査が、自転車を土手に置き、サーベルを手で押さえ、大声で怒鳴りながら、駆け下りてきた。

「聞こえんのか! こらぁ!」

 二人は仕方なく立ち止まった。

「お前らぁ何だ。この非常時に恥ずかしくないのか! 男と女がべたべたくっついて歩いて。派出所まで一緒に来い!」

 巡査に引き立てられるようにして行った派出所は、駅に近いところにあった。

 机と椅子が一つずつあり、二人を立たせたまま、巡査は椅子にどっかと腰掛けた。

「名前から聞く。男、住所と名前」

 弘に向かって威圧的に問う。

 弘が、早稲田の現住所、名前を言い、巡査が帳面にそれを書き込む。年令や、早稲田大学学生であること、本籍地や父親の名前まで聞き取っていく。

 次には真佐子であった。やっと聞き取りが終わった。

「お前ら、どういう関係だ。いまごろ何でこんなところで逢っていたのか」

「ぼくたちは、許婚です」

「なに、許婚だと。許婚が何でこんな所で逢う必要がある」

「……」

「嘘を言っても、調べればすぐ分かるんだぞ」

「調べてもらっても、結構です」

「ふん、許婚であろうと何だろうと、恥ずかしいと思わんか。お前ら、この非常時をなんと心得ておる。戦地では皇軍の将兵が、命を賭して戦っているのだぞ。大学生だかなんだか知らんが、でれでれしおって。だいたい大学生だからと、特別面するのからしてけしからん。お前らと同じ年代の兵士たちが、お国のため、天――気をつけ! 天皇陛下の御為に、命を捧げて戦っているというのに、徴兵猶予の特権をいいことに、女と遊び歩いているとは何事だ。恐れ多くも、――気をつけ! 天皇陛下に対し奉り、申し訳ないとは思わんか!」

 巡査は、同じことを繰り返し繰り返しがなり立てていたが、やおら視線を真佐子の方に向けると、椅子から立ってきて、上から下へ、下から上へ、撫で回すようにじろじろと見た。

 真佐子は今日は、人造絹糸のワンピースを着ていた。帽子は手に持っていた。

「ふん、これが皇国日本の大和撫子か。ぺらぺらした格好しおって。こういうのを西洋かぶれというんだ。鬼畜米英の真似ではないか。恥を知れ。この髪はなんだ。電髪は禁じられているのを知らんのか!」

 巡査は、真佐子の髪を引っ張った。

「これは、パーマネントではありません」

真佐子は憤然として言った。

「三ツ編みにしていた髪をほどいたので、ウエーブがついてるんです」

「敵国語を使ってはいかん! ウエーブとは何だ。日本語で言え!」

「ウエーブは、波」

「その通りだ。言えるじゃないか。三ツ編みにしていた髪を解いただと。何故解いた。男と逢引きするためか」

 今日の美しい悦びの数時間が、警官に見つかった瞬間から、真っ黒に塗り潰され、汚されてしまった憂欝に浸されていた真佐子は、ますますむっとして、もう問われることにまともに答えるのも嫌だった。

 巡査の嫌味と説教は、一時間ほども続き、やっと印刷された始末書のようなものに、署名と拇印を押させられて、

「署の方に報告をする。後日署から呼び出しがある時は、出頭するように」

 と、罪人のように申し渡しをされて、終わった。

 もう夕闇が迫っていた。駅まで黙って歩いた。でも真佐子は、弘が警官から二人の関係を問われた時、「許婚です」と答えたことを嬉しく噛みしめていた。とっさの言い訳であったとしてもいい。それを改めて確かめようとは思わない。そっと胸に抱いていることで、今受けた、屈辱や汚された想いが清められるような気がした。

 

 

   10 『おちば草紙』

 

 冬に予定していた、連太郎の冊子ができあがった。

 ずっと以前、神田の古本屋街で、江戸時代に出版された木版本の『黄表紙』や『狂歌集』などを見つけては買い、蔵書にしていた。そのほかにもいろいろ古い書物の中から、室町時代より少し前から次第に盛んになる落書や落首、狂歌など、時代時代のなかで民衆が、戦乱や、権力者や、時勢にたいして抱いた不満や、皮肉や、諷刺などを探し出した。

 江戸時代には、本の出版が盛んになったので、取締りも厳しく、幕府から出された取締り条項に触れた者は、出版業者も著作者も、手鎖を受けたり、死罪・獄門になるものさえいた。それゆえ量としてはあまり多く見つけることはできなかったし、諷刺といってもさほど尖鋭というわけではない。

 それでも人々はただ権力者のいいなりにおとなしくしていたわけではない。それが今の時代に参考になると思う。真正面からだけの闘いでは却って弱い。潰されてしまう。搦め手からの柔軟な攻防が必要ではないかとの思いからであった。

 知恵を借りるつもりで例をあげた。

 例えば、後醍醐天皇が鎌倉幕府を亡ぼして建武の親政を行った時、人々が期待していた世の中は出現せず、逆行と混乱の時勢となった。二条河原にはそれを諷刺する落書が立てられた。

  ()(コロ)都ニハヤル物。 夜討(ヤトウ)・強盗・謀綸旨(ニセリンジ)。 召人(メシウド)・早馬・虚騒動(ソラサワギ)。 生頸(ナマクビ)・還俗・自由出家。 (ニワカ)大名・迷者(マヨイモノ) 。安堵(アンド)・恩賞・虚軍(ソライクサ)。 本領ハナルル訴訟人。 文書入タル細葛(ホソツヅラ)。 追従・讒人(ザンニン)・禅律僧。 下剋上スル成出者(ナリデモノ)。 器用ノ勘否(カンプ)沙汰モナク。 モルル人ナキ決断所。 キツケヌ(カムリ)・上ノキヌ。 持チモナラワヌ(シャク)持ツテ。内裏マジハリ珍シヤ。……(以下略)

 この落書は、さらに三倍くらいの長さに続くのだが、連太郎はこれを取り上げて解説をつけた。

 落首もある。建武の親政に不満の武士たちが、あちこちで蜂起しはじめ、軍勢をもよおして京の都へ攻めのぼるという報せが次々と伝わり、朝廷が上を下への大騒ぎになっている時、内裏の陽明門の扉に、誰が書いたものか一首の落首。

  賢王(ケンオウ)横言(オウゲン)ニ成ル世ノ中ハ上ヲ下ヘゾ帰シタリケル

 その頃は、帝についてタブー視することはなかった。

 足利尊氏が後醍醐帝に叛いて、南北朝時代となり、長い戦の世が続いた。都も戦場になって、荒れに荒れ、放火や掠奪で人々は恐怖におののいていた。庶民はもう誰にも何も期待することができなくなっていた。戦の終わることだけが希いであった。

  深キ海 高キ山名ト頼ナヨ 昔モサリシ人トコソキケ

 尊氏と戦った山名時氏が、都落ちした時の落首である。

  畠山狐の皮の腰当ニ バケノ程コソ顕レニケレ

 畠山国清という武士も笑いものにされている。この時代、このほかにも落首はたくさん記録されている。

 時代が百年ほど下った室町時代には、応仁の乱が起きてまたも都が焼け野原となった。

  (ナレ)ヤシル都ハ野辺ノ夕雲雀アガルヲ見テモ落ルナミダハ

 江戸時代になっての狂歌としては、唐衣橘州(からころもきっしゅう)の、

  菜もなき膳にあはれは知られけり鴫焼茄子(しぎやきなす)の秋の夕暮

 本歌は『新古今和歌集』にある土御門内大臣源通親の、

  我ならぬ人もあはれやまさるらん鹿鳴く山の秋の夕暮

 山の奥で鹿の遠鳴きの聞こえる秋の夕暮にことのほかあわれをおぼえるのは、この私ばかりではないだろうな、という秋の夕暮のもの淋しさを、風雅に詠んだ和歌をもじっている。鴫焼茄子は、なすを丸ごと火にかけて焼く、なすのしぎやきのこと。

 もうひとつ、元木網(もとのもくあみ)の狂歌。

  筒いつゝいつも(しらみ)はあり原やはひにけらしなちと見ざるまに

 これの本歌は、平安初期の貴公子在原業平の、

  筒井筒 井筒にかけしまろが丈すぎにけらしな妹みざるまに

 井戸の井げたにしるしをつけて、背丈を測りあっていた私と幼なじみのあなたの背丈は、しばらく会わずにいる間にずいぶん違ってしまったでしょうね。

 色好みといわれた在原業平ではあるが、まだ若い頃、ほのかな初恋の幼なじみを想って詠んだ優雅な歌を虱の歌に変えてしまった。

 江戸時代ならぬ今日この頃、着替えのための衣類なく、石けんも極度にとぼしくて、子供は学校から、家庭人はお風呂屋、勤め人は電車や会社からだろうか、どこからともなく日本中に虱が蔓延してしまった。元木網ならずとも今にぴったりの狂歌である。

 

 連太郎自身のものは、二条河原落書をもじったものとして、

 この頃 都にはやるもの 赤紙 召集 従軍歌

 標語 密告 非国民 火たたき ばけつの首都防衛

 空腹かかえて行列は わずかばかりの雑炊で 中身の肉は犬の肉

 誰のまねかは知らねども 軍人宰相身振りには 民のゴミ箱見て歩き

 失笑かうのも知らぬげに 得意顔なる写真かな

 新聞ラジオはから元気 下駄の音ではないけれど カッタカッタとはやし立て

 文学 絵画 音楽は 右へならえの軍国調 検閲 弾圧 発禁で 唇寒き冬の風

 去年赤紙きた家に 今年戦死の報せきて

 「英霊の家」と貼られても 霊に足なく働けず

 大黒柱なき家に 涙にくれる妻多し

 売る品もなき商店は 次から次と店を閉め さびれ果てたる町々に からっ風のみ吹き 渡る

 なれど一部の料亭に 消えることなき灯のありて

 噂に聞けば軍人の 将校連の宴会は 民をしりめに続くとや

 天下一統めずらしや 御代に生まれてかくまでに 挙国一致の不思議かな

 されどささやく裏声の 都童(みやこわらべ)の口ずさみ わずかなれども もらすなり

 

 落書

  汝ヤシル税ニ米・味噌・闇物資アガルヲキケバ落ツル涙ハ

 

 狂歌

  ゆらのとを渡る召人かじをたえ ゆくえも知らぬいくさ道かな

  本歌「新古今集」曽根好忠

  ゆらのとを渡るふな人かじをたえ ゆくえもしらぬ恋の道かな

  {本歌の意味}紀州の由良の海をこぎ渡る舟人がかじをなくしてしまったように、私の恋の道はどうなってしまうのかゆくえも分からない。

 

  うばたまや闇のくらきに一億の火の玉ばかり幻にみゆ

  本歌「金槐和歌集」源実朝

  うばたまや闇のくらきに天雲の八重雲かくれ雁の鳴くなる

  (本歌の意味)真っ暗な闇のなかの幾重にも厚い雲のなかに飛んでいく雁の鳴声だけが聞こえる。

   

 こうしたものが、幾つか続くのである。

 ガリ版の原紙を切ってわら半紙に謄写版刷りにし、袋折りして閉じた冊子である。冊子の名は『おちば草紙』。

 この前、古屋太平が来た時、出来上がる日の予定を言っておいたので、彼はやってきた。松浦弘も一緒かと思ったのだが、太平一人だった。

「弘君は?」

 連太郎がきくと、

「彼は勉強で忙しいですから。でも僕の方から渡します」

 太平は冊子を手にとって、さっと目を通す。

「面白いですね。これはいいです。こういう落書や落首なんかは、単独で紙に書いて、駅とか公衆便所とかに貼るといいですね」

「そう、読者がそれぞれにやってくれればいいと思っている。本来そういうものだからね。だが強制するつもりはないよ」

 危険をともなう行為である。判断はそれぞれにまかせたかった。

「真正面からの反抗ではなく、搦め手からの抵抗と思ったけれど、いまやこんなものでも見つかればこれだからね」

 連太郎は、手を後に回してみせた。そして捕まれば、ひどい拷問や牢獄が待っている。

「君も充分気をつけてくれたまえ。将来のある若者なんだから」

「しかしそんなこと気にしていたら何もできやしません。……ところでこの『おちば草紙』という冊子の名はどうしてこう付けたんですか」

「たいした意味はないんだ。はじめ『しがらみ草紙』とつけようとした。しがらみとは、普通人情のしがらみとか、世間のしがらみとかいって、義理や人情にからまれることをいうが、もともとは川の流れに杭や柵を立てて流れをせきとめるもののことだ。それで、今のこの世の中、国の方針によるすさまじい流れに、微力ながらもしがらみを作って、流れをせきとめたり、変えたりしたい。そういう想いを篭めようとした。ところが、『しがらみ草紙』という名の雑誌は明治にね、森鴎外が作って刊行していたことが分かったんだよ。それで『おちば草紙』にした。ひとひらひとひらの落葉もたくさん集まれば、流れを変える。まあ少々弱いがそんな願いをこめてね。"山河に風のかけたる柵は流れもあへぬ紅葉なりけり"百人一首にもあるあれだ」

「なるほど」

 太平は深くうなずき、『おちば草紙』十五部を受取り、道具屋で買ったような古びた革カバンに入れると、いつものように長居はせず、早々に帰っていった。

 十日ほどして、それはもう暮も押し詰まった頃であったが、松浦弘が訪れた。

「ごぶさたしました。冬の『おちば草紙』は出来ましたでしょうか。ずっと気にしていたんですが、遅くなってしまって」

 連太郎を見るとすぐに弘が言った。

「おや? 古屋君とは会ってないの」

「ええ、しばらく会っていません。彼は最近大学にも現われないんです」

「おかしいな。『おちば草紙』はもう半月くらい前に出来たんだ。古屋君が来たんで渡したよ。彼は学校で君にも渡すと言ってたんだが……」

「変ですね。全然会ってないんですが……」

 弘が言葉を切り、連太郎もはっとした。

「もしかして……」

 不吉な想いが、同時に二人の脳裏をよぎった。

 ――特高に捕まったのではないか?

 しばらくの沈黙が流れた。

「でも、もし捕まったとしたら、何らかの噂が伝わってくるはずです。何も聞いていませんし、どうしたのでしょう」

「まだ何とも分からないな。しばらく様子をみるより仕方ないだろう。弘君は、彼の住んでいる所は知らないの」

「知らないんです。彼はぼくの所へ来たことはあるんですが、自分の下宿へ誘ったりはしなかったし、ぼくもあえて訊いたりはしなかったものですから」

「そうか」

「ところで、その冊子はありますか」

「あることはあるんだが、古屋君が君の分もといって持っていってしまったんで、例によって一冊しか置いてないんだ」

 連太郎は押入を開け、手前に積んだ新聞や雑誌類の奥に、すぐには見えないように置いてある『おちば草紙』の冬号を取出して、弘に見せた。

 ――もしも古屋太平が捕まったのだとしたら……。

 連太郎は弘が『おちば草紙』に目を通している間考えた。

 拷問を受けて、冊子の製作者である連太郎の名前や住所を言ってしまったとしたら、特高は連太郎を逮捕に来るだろう。いまだに来ないのは、太平が拷問に屈せず口を割らずにいるか、あるいは、捕まった事実がないかであろう。あるいは病気ということもあるかもしれない。

 いずれにしても太平の消息不明はまだ十日ほど。あまり性急に疑心暗鬼するのもおかしい。とはいえ何がなし危険な予感がする。

「弘君も用心だけはした方がいい。もっとも君は具体的には何もしていないんだから、惧れることは少しもないんだが……」

「用心するといっても、しようがありません。例えば、下宿を替わったとしても、ぼくは早稲田の学生としてはっきりしているし、あとは本くらいですが、本といってもいわゆる社会主義関係のものは手元になくて、その他では、法律関係の専門書。問題になるとすれば、今は禁書になつている矢内原忠雄の『民族と平和』。長谷川如是閑の『真実はかく(いつわ)る』とか。あとはトルストイの『哲学読本』、ツルゲーネフやゴーリキーの小説、『ジイドの日記』といったところですが、それらの本を処分しようとは思わないんです。だって感動して読んだ本というのは、それによって育てられた、それらの本によって今のぼくがあるわけですから、ぼくの命みたいなものです」

 弘のあげた学者や文学者は、昭和初期の社会主義運動の激しかった時期からみれば、リベラリストとかキリスト教社会主義者といわれた人々であったのだが、今の時代になってみれば、かなり厳しい批判性と抵抗性がある。反戦思想など確かなものだ。官憲がその気になれば、禁書のこれらを持っているだけでも、逮捕の理由になるのである。

 連太郎自身についても、昭和初期のプロレタリア文学運動主流からは、プチ・ブル的であるとか、独善的だとか、えせコミュニズムとか、ずいぶん批判を受けたものだった。その連太郎が『おちば草紙』くらいなものを作ったからと、身の危険を感じなければならないことに、改めて怒りを覚える。同時に古屋太平を想い、若い彼を巻き込んでしまったことに痛みを覚えるのである。太平の無事を祈らずにはいられなかった。

 この日は日曜日だった。弘は、真佐子に会えると思ってきたのだが、真佐子は留守だった。

 会社は人員不足でますます残業や、休日出勤が多くなっていたが、この日は、会社の敷地を耕して畠にするよう命じられていて、従業員が従事していた。その作業のために出ていったのである。

 弘は、暮から正月にかけて静岡に帰ることになっていて、一両日中に立つので、今日真佐子に会えなかったことが残念そうだった。

「よいお正月を……」

 それでも形通りに、明子や奈保子に挨拶して帰っていったが、よいお正月なんてもうどこにもないことを、確かめたようなものだった。

 

 

   11 奈保子の病気

 

 昭和十八年のお正月は、昨年とくらべても落差のひどいものだった。

 真佐子や奈保子は昔のことをよく覚えている。大晦日のぎりぎりまで、母の明子は洋裁のミシンを踏んでおり、父の連太郎は、たいてい金策に出掛けていた。夕暮近く、連太郎が帰ってきて、明子にお金を渡す。明子は急いで正月用の買物に出ていく。夕飯が終わってからお正月料理にとりかかる。

 大晦日の夜が明けて元日の朝、子供たちが起きてみると、卓袱台の上に三ツ重ねの漆器の重箱と、瀬戸物の重ね重が置かれていて、お屠蘇の用意までできている。重箱の中には、おせち料理がきれいにいっぱいに詰められているのだった。

 夜のうちにどうしてこんなご馳走が揃えられるのだろう。手品みたいだと、いつも不思議に思い、その手品みたいなところがこの上もなく嬉しかった。

 真佐子は一度だけ、夜中に目を覚ましたことがあった。

 真っ暗な部屋の襖の隙間から、隣の茶の間の明かりがもれているので、少しだけそっと開けてのぞいてみると、茶の間とその向こうの台所には電気がついていて、台所の方で、母が一人でしきりに何か作っている影が浮かんだ。

 ――ああ、お母さんは、徹夜でおせちを作っているんだ!

 と、びっくりもし、納得もしたのだった。

 柱時計が、ボン、ボン、ボンと三つ鳴って、夜中の三時だったことも覚えている。

 女学校の高学年になってからは、真佐子も手伝って一緒に作るようになった。

 今年のお正月のためには、大晦日の日奈保子がずいぶん働いた。といっても正月用の食料品の配給は、お餅、鰹節、田作り。野菜は大根、人参、ごぼう、いも類、ねぎ、小松菜くらいのものだったが、奈保子は朝から底冷えのする台所で、冷たい水に手をかじかませながら、きんぴらにするごぼうを、千切りにして水にさらしたり、なますにする大根と人参を切るなどの下拵えを黙々とやっていた。

 煮たり味付けしたりは、だいたい明子だった。

 真佐子は、さつま藷できんとんを作ったが、砂糖も少なく、藷ようかんのようになってしまったので、茶巾しぼりの形にした。

 明子の得意料理の一つに"つるの巣ごもり"というのがある。貝柱をほぐして、だし汁でといた寒天でかため、その中心にうずらのゆで卵を配したもので、子供たちはいつもそれを楽しみにしていたが、今年は、貝柱、うずらの卵ともに手に入らず、できなかった。数の子もないし、鯛も鳥肉もない。三ツ重ねの重箱も一の重と二の重を満たすのがやっとだった。

 それでもお屠蘇は用意され、配給のお餅でお雑煮が作られた。

 家族四人が食卓に顔を揃え、連太郎が、

「では、ともかくも新年あけましておめでとう」

 と言い、三人が、

「あけましておめでとうございます」

 と挨拶した。

 連太郎が恒例通り、真佐子と奈保子にお年玉の祝儀袋を渡す。

「真佐子は自分で稼ぐようになったから、もうお年玉でもないと思ったが、お前が働いて家計を助けてくれる感謝のお返しと思ってな。これも今年限りのことだな」

 ともかくも正月を迎えられたという、ほっとする気持が連太郎にはあった。けれど秘かな不安とないまぜのその気持は、家族の誰も気づかなかった。

 古屋太平の消息は分からないまま、日々が過ぎた。

 戦況は今年になってからあきらかに追いつめられてきたことがはっきりした。

 大本営発表の赫々たる戦果は影をひそめ、半年も前から米軍との間に攻防を続けていたガダルカナルでは、遂に"戦略的撤退"をしたと新聞報道された。

 アメリカの艦船や飛行機の数量に比べて、日本の物量の圧倒的劣勢が新聞の解説からもうかがえた。日本兵はただ肉弾をもって戦い、多大の兵士が戦死した。兵士を補充するための輸送船は、戦場に至らぬうちに撃沈され、多くの人命が空しく海のもくずと消えた。

 日本近海にまで、アメリカの艦隊は迫っていて、南の海のみならず、北海道あたりにも潜水艦が現われ、厚岸あたりが砲撃を受けたとの噂があった。

 国内ではまたも間接税が上がり、例えば昭和十六年秋に値上げされた煙草が、再び大幅な値上げで、「敷島」二五銭が六五銭、「光」一八銭が三〇銭など二倍から三倍になった。

 物がないうえに何でも高くなり、暮しはますます苦しくなった。

 明子のところにきていた洋裁の仕事も、新しい仕立物はなくなってしまい、たまに来ると、和服をモンペや裾をしぼったズボンに仕立て直すとか、修理もので、それらは手間がかかるわりに料金はわずかしかもらえなかった。

 連太郎の収入といえば、やはり内職としての広告の仕事で、それも不定期でたいした額ではない。

 真佐子の給料だけがどうにか定収入という心細さであった。

 

 その頃、一ノ瀬家にさらに大きな心配事が生じた。

 女学校二年生の奈保子が、熱を出して寝込み、医者にかかったところ、肋膜炎と診断された。

 二月のはじめ、一番寒い時期、学校の行事として二学年あげての行軍が行われ、奈保子も出掛けた。非常時にそなえ、女学生も身体を鍛えよということで、昨年の秋頃から課外授業として長刀訓練などが行われていたが、その行軍は、多摩川の土手を片道12キロ、往復24キロ歩くのであった。

 持って行くものは、おにぎり弁当と水筒だけ。服装はコートなしの制服。靴はズックの運動靴。

 朝八時に多摩川の駅に集合して出席を取り、二列に並んで一組から六組まで順に歩いた。

 その多摩川の岸辺で、真佐子と弘が会ったことなど、奈保子はもちろん知るよしもない。

 はじめはハイキング気分で歩いていたが、どんよりと曇った日で、灰色の雲が低く垂れ、冬枯れの風景は暗欝で、歩けど歩けど単調だった。

 往路の終点に至った時、すでに疲れ果てていた。お弁当を食べ、少しの休息の後、同じ土手道を帰った。

 木綿の黒い靴下をはいていたが、新しい靴下などなく、かかとの裏には、丸く大きな継ぎが当たっていた。それが悪かった。長い道のりを歩くには、継ぎの当たった靴下が禁物なことを、当の奈保子も親も知らなかった。継ぎの二重のところと、一重のところのでこぼこにそって、足の裏が脹れあがり、水ぶくれになり、やがて破れて赤むけになった。

 足の裏は見えはしないが、痛くて痛くて飛び上がるようだ。一足一足が針の山を踏んで歩くよう。でもどうすることもできない。列に遅れまいと懸命に足をひきずりながら歩いたが、どうしても普通には歩けなくて、列外へ出て、少しずつ遅れていった。

 担任の女の先生は、

「どうしたの、がんばらなくちゃ駄目よ。ここで落伍してもどうしようもないんですからね。歩くしかないんですよ」

 と、叱咤激励する。

 少しずつの遅れは、だんだん差がついて、二組の奈保子は、とうとう六組の後まできてしまった。奈保子だけではなく、各クラスから二、三名から数名が足を引きずり、顔をしかめながら、遅れていた。

「銃後を担う大和撫子がそんなことでどうするんだ! 戦地のことを考えなさい。これくらいのことでへたばって恥ずかしいとは思わないか!」

 顔が角ばっているので、下駄とあだ名のある体育の教師が、声をからしている。

 痛みをこらえての無理な歩行が疲労を倍加させた。 そのうえ、どんよりと重く垂れこめていた鉛色の空から、とうとう雪がちらつき出した。

 白い小さな綿くずのように舞っていたものが、次第に激しく飛びかい、間もなく前方が見えにくくなる程に降りしきってきた。川風はますます冷たく鋭く横なぐりに吹きつけ、まるで刃物で切りつけてくるようだ。手は氷ってかじかみ、鼻はちぎれるかと痛く、目はまともに開けていられない。

 足は痛みを通りこして感覚がなくなってしまった。

「しっかり歩くんですよ。がんばって! もう間もなくですよ。後の人たち、もっと早く!」

教師たちの声も、ちぎれちぎれだ。

 半ば朦朧としながらそれでもとにかく懸命に歩いた。

 駅に着いた時、先に着いていたクラスメートの二、三が奈保子を囲んだ。

「大丈夫?」

 友達の声が聞こえたと思った時、奈保子は失神していた。

 担任の先生がタクシーを呼んだのだろう、乗せられてしばらくしてから気がついた。先生が奈保子を抱えるようにつき添っていて、心配そうに見守っていた。

 でも、小刻みに震え続ける身体は、水の中にいるように寒かった。

 その日から熱が高く、毎日上がったり下がったりが続いた。

 肋膜炎と医者から診断されたことは、肺結核と同じように考えられた。肋膜炎から肺浸潤・結核に進む人も多く、またすでに肺結核であっても、死病である結核といきなり言わずに、肋膜炎と言う医者もいたからである。

 肺結核に効く薬はない。栄養をとって空気のよいところで安静にしているしかなかった。

 世間の取り沙汰では、闇物資を取り扱う人がいて、高いお金を出しさえすれば、米でも小豆でも、砂糖でも、バターでも、卵でも何でも手に入れることができるというが、一ノ瀬家の家計では、とても買うことができない。それゆえ奈保子に栄養をといっても、かなわぬ相談であった。まして転地療養など考えられなかった。

 思えば奈保子は、もうしばらく前から体調が悪くなっていたのではないかと、母の明子は考える。

 女学校の往復は、私鉄電車に乗る駅まで1キロ、下車駅から学校まで1.2キロほどで、往復4.5キロは歩く。それに掃除当番や課外活動があり、帰ってくるとひどく疲れるらしく、いつもぐったりしていた。栄養不足のためだろうと思いながら、どうすることもできずにいたのだ。

 明子がミシン仕事をしている同じ部屋の四畳半に、蒲団を敷いて奈保子は寝ている。

「学校もひどいじゃないですか。この寒い時期、天候がよくないのに、コートも雨具も持たさず、しかも女の子にいきなり六里の行軍を強いるなんて」

 隣の部屋で、明子が連太郎に言っているのが聞こえる。

「うむ、全くだな」

「奈保子をどうしてくれるんだって、学校に言ってやりたいですよ」

 いつになく強い調子でくやしそうに明子が言うのも、奈保子の病気をどうしてやることもできない不安と苛立ち、やり場のない憤りからであった。

「その通りだが、学校に怒鳴り込んだところでどうにもならんだろう」

「まあ、いつになく弱腰なんですね」

「弱腰とかそういうことじゃない。学校の方針も今は、上からの命令で動いている。つまりは軍部の方針さ。奈保子の学校なんかはまだいい方じゃないのか。特に男の子の中学校じゃあ軍事教練が正規の授業になっていて、大変だという」

「じゃあ、どうしたらいいんです。奈保子のことは」

「おれにどうしたらいいって言ったってどうしようもないじゃないか」

 明子が、奈保子を憐れに殊の外思うには、理由があった。奈保子がお腹にいた頃、この家は一番苦しい時だった。

 連太郎が一人で始めた雑誌が出す毎に発売禁止になり、せっかく作った雑誌を売ることができないので、印刷屋などへの支払いができず、借金はたまり、毎日の暮しは火の車。米櫃に米はなく、電気代が払えないので電気は止められ、毎日のように借金取りが、入れ替わり立ち替わりやってきた。

 お腹の子供のために、栄養を取りたくても取れず、食うや食わずの日々が続いた。借金取りが来れば、二回に一回は明子が出て、

「主人はただいま留守ですので……」

 とか、

「申しわけございません」

 手をついてひたすら詫びた。

 心労で、絶望的になり、何べん実家へかえってしまおう、連太郎とは別れようと思ったかしれない。

 にっちもさっちもいかなくなって、僅かに残った乏しい家財道具をリヤカーに積み、夜の闇にまぎれ、連太郎が前を引き、明子が後を押し、眠くて半べその真佐子を袖につかまらせて、とうとう夜逃げまでしたのである。

 妊娠七ヵ月だったが、明子の体は痩せ、やつれはてていた。そんなわけで、生まれてきた奈保子はひ弱で小さく、性格も繊細で神経質であった。

 真佐子の方は、おおらかで、細かいことにくよくよしないのんきなところがあり、奈保子とはずいぶん違う。明子の生来の性格を受け継いでいるようだが、それは真佐子を身篭もった結婚してすぐの頃は、明子も娘時代の、のほほんとした性格をそのまま持っていたからだと思う。それに連太郎も希望や情熱に溢れていて、望んだ明子を妻にできた喜びも加わり、愛情も細やかだった。

「胎教というのも結構大事なものらしいよ」

 などと言って、美しい絵を見たり、音楽を聴くことを勧め、複製画ではあったが、額入りのルノアールの絵を買ってきて飾ったり、蓄音機とレコードを買ってきたりした。

 昭和初期のあの苦しかった日々の暮らしのことは、明子にとって忘れようにも忘れられない。結婚に描いた夢は無残に打ち砕かれた。

 夢といっても、決してだいそれたものではなかった。勤め人が普通に住める程度の家に住み、日々の暮らし、月々の生活がまずまず心配なく過ごせる収入があればいい。庭が少しあれば四季折々の花を植えよう。その花を切って部屋にも飾ろう。自分は夫の喜ぶような食事をいろいろ工夫して作り、暖かい家庭を築こう。もし月に一回、いえ年に二、三回なりと好きな歌舞伎見物にでも行かれれば、この上なく幸せ。子供が生まれたら、その子供を中心にして、夫婦で慈しみ育てよう。

 そんな平凡な夢だった。でも全く違っていた。

 だいいち、自分の夫になる人が、文士とか小説家とかいう人種だったことからして思いもかけないことだった。

 実家の家の二階は二部屋あって、一部屋には早稲田の学生が下宿していた。すらりと背が高く、細面の鼻すじの通った人だった。部屋に何かものを持っていったりする時、胸がどきどきして口もろくにきけなかった。しばしば明子の空想の中の結婚相手は、その人の姿になっていた。けれど間もなくその人には、許婚がいることがはっきりした。

 もう一つの部屋の人連太郎には、明子は関心がなかった。ぼさぼさした髪の地味な風貌で、殆ど口もきかず、何を考えているか分からない少々陰気な感じであった。彼が明子を見初めていたことなどまるで気づかずにいた。

 連太郎が明子の両親に、明子を貰いたいと申し込んだ時、母親は収入の安定しない文士などは駄目だと言ったのに対して、本など読むことの好きなロマンチストの父親は、連太郎を何となく気に入っていて、母親と明子を説得した。

 ちょうどその頃、連太郎は自分の青春に材をとった長編小説が単行本になり、評判がよく、新進作家として認められた時期であり、一番収入のあった時だったのも、特にそれを言ったわけではないが、両親を承諾させる助けとなった。

 娘は親のきめた結婚に従う時代だったから、明子も何時の間にか承諾する形になった。

 比較的生活状態がよかったのは、新婚一年間くらいだけ。間もなく生活を犠牲にする暮らしが始まって、どん底になっていく。

 経済的な問題だけでなく、毎日家にいる夫は、気むずかしく、空気が張りつめていて、うっかりした口はきけないような息苦しい雰囲気があった。

 連太郎は自分の理想と信念について、時には明子に分かりやすい言葉で語ることもあった。

「とにかく世の中をもっとよくしなければならない。ひどい貧乏や不幸せな人をなくさなければならない。貧乏人はもっと働けばいいというが、働いても働いても貧乏人は貧乏から抜け出られない。世の中の仕組みが悪いからだ。世の中をよくするには、一人ひとりの自覚と意志が必要なのだ」

 要はそういうことだった。それは明子にも理解できないわけではなかった。

「それはそうね」

 相づちを打つこともあった。でも、どうしてこれほどまでの苦しさや、犠牲を払わなければならないの? 疑問がついて回った。

 現在に至っても、連太郎の基本は変わらない。

「いつもあなたは、目の前のことは見ないで、遠いとこ、大きなところばかり見ているんですね。人々の苦しみをなくすことを考えて、自分の家族は苦しんでも平気なんですか」

 以前にも思い切って言ったことがあるが、今また明子は言った。

「何度言ったら分かるんだ。真理を貫くためには犠牲はつきものなんだ。それに今、奈保子のことと、それとは関係ないじゃないか」

 関係なくありません。奈保子がお腹にいる時からのことです。と言いたかったが、やっとそれは抑えた。けれど、

「今のことだけを言ってるのではありません。いつもそうだと言ってるんです」

「じゃあお前は、金のためには何でもやれっていうのか。そういうのを最低の卑しい精神というんだ!」

 次第に二人の声は、とげとげしく喧嘩腰になってきた。

 寝ている奈保子のところにまで聞こえてくる。両親が言い争う時、いつも奈保子は心臓がどきどきする。今はさらにも苦しく、悲しかった。

 自然に涙がにじんできて、目尻を伝って流れた。

 

 

   12 夜明けのできごと

 

 数日後の明け方であった。

 門の戸をどんどんと激しく叩く音に、真佐子は目が覚めた。 玄関部屋に寝ていて一番近いので、半身を起こし、出ようと思ったものの、戸の叩き方の異様な激しさに、恐さを覚え、迷った。母を起こしにいこうかと思ったが、急を迫るものを感じ、思い切って立ち上がり、電灯をつけて玄関のたたきに下りた。

 ガラス戸の鍵をあけると、門はどうして開けて入ったのか、もう玄関の外のところには、四、五人の男が立っており、ガラス格子をがらっと開けるや、真佐子を押し退けてどやどやと入りこんできた。

 立ちすくんでいる真佐子をしりめに、灰色がかった背広服の男たちは、玄関をあがり、真佐子の寝ていた蒲団をずかずか踏みつけながら襖を開け、廊下を奥へむかっていく。まるで知り尽くした家のように。

 明子が寝巻の上にはんてんを羽織って、奥の部屋から出てきた。

 ――なにごと!

 しかしあまりの驚愕に声が出ない。その明子も押し退けて、先頭の男が、連太郎の部屋の障子をはね返るほどの勢いで開けた。

「一ノ瀬連太郎だな。逮捕する」

「理由は何だ!」

「理由は自分が一番よく知ってるだろう」

「わからぬ」

「つべこべぬかすな! 署へ来ればいやでも分かる」

 問答の間にも、他の男たちが本棚から手当たり次第に本を放り出し、押入の中をかき回し、机の小引出しをひっくり返す。

 最初の一人が、連太郎に襲いかかってきて、連太郎をひきすえ、後手に手を捩じあげる。

「着物を着替える。着替えさせてくれ」

 連太郎が覚悟を決めて、静かに言った。

「いいだろう。早くやれ」

 入口のところに真っ青な顔をして立っていた明子が寄ってきて、がたがた震えながら、寝巻を脱いだ連太郎に、紬の袷を着せかけ、帯を締めるのを手伝う。足袋をはかせようとすると、

「そこまで!」

 と、どすのきいた声で怒鳴った。

 警官は、連太郎に後手に縄をかけ、小突きながら部屋を出た。

 本の数冊、押入の奥から探しだした『おちば草紙』、引出しの中の原稿の下書きやメモ帳、住所録などを他の男たちが手に手に持った。

 実は連太郎は、古屋太平の消息がわからなくなったと聞いた直後、要心のために、一番類が他に及ぶ心配のある『おちば草紙』の固定読者四十五名の住所氏名を、薄手の和紙に米粒ほどの小さい文字で書き、切り分けて細いこよりに縒り、外出着の着物の衿や裾の縫目の中に差し込み、その着物は質屋へ入れてしまった。だからたとえ逮捕されて拷問されても、自分でも彼らの住所は分からない。警官たちが押収した住所録は、ずっと古くからのもので、親戚や古い友人知己の住所が載っており、その中には、今では国粋主義の旗振りになっていたり、戦争賛否の文章を書いている人物などもそのままになっていて、かえって都合がよいくらいのものだ。

 また、『おちば草紙』の読者から送られてきた原稿や狂歌などは、すべて封筒は燃してしまい、住所・本名は分からないようにしてある。

 連太郎を引き立てた警官たちは、荒い足音を残して出ていった。

 真佐子は奈保子のことが心配で、その側に寄り添っていたが、奈保子は大きな目を見開いたまま、物も言えずにいた。真佐子とて何も言えず、ただ妹の手を固く握り締めていた。明子もまた青ざめた顔のまま、そこに坐っていた。

 三人とも、呆然としてかなりの時間が過ぎた。

「お父さんは、間違ったことはしていないよ。ただ、今はこんな非常時だからね」

 明子は、娘にとも自分自身にともつかない言い方で呟いた。

 真佐子は心の中で、 

 ――どうしよう。どうしたらいいの。弘さん……弘さん……。

 と、わけもなく繰り返していた。弘の姿が浮かび、彼に向かってしきりに呼びかけ、救いを求めていた。

「今日はなんだか会社へ行く元気がない。とても行けない。休んでもいいわね。お母さん?」

「そうねえ、休んだところでどうなるものでもないけれど……。でも元気がないならねえ」

「わたし、弘さんに会ってきたいの。いいでしょ。弘さんのことも心配だし、落着かないし、これからのことも訊いてみたいの」

「そうねえ……」

 煮え切らない母の返事に、重ねて念をおした。

「いいでしょう?」

「じゃあ行っていらっしゃい。早稲田の下宿へ行くの? 行ったことあるの」

「行ったことはない。でも所番地があるから。今から行けば、まだ下宿にいるかもしれない」

 柱時計を見ると、七時少し前である。電灯をつけたままぼんやりしていたのだが、立ち上がって雨戸を繰ってみると、夜明けの遅い冬の季節ながら、もう外は明るくなっていた。

 明子も立ってきた。

「こんな時には、ちゃんとお腹にものを入れていかなきゃだめよ。朝ご飯を食べて行きなさい」

「それじゃ遅くなっちゃう」

「じゃあ早く支度しなさい。さつまいもをフライパンで焼いてあげるから、それだけでも食べて」

 真佐子は急いで、顔を洗い、髪をとかし、薄化粧して服を着替えた。

 明子が台所で、輪切りにして焼いているさつまいもの香ばしい匂いが漂ってきたが、今朝はそれさえいっそう胸を詰まらせる。

 無理に、二、三枚さ湯で流しこむように食べた。

 明子が東京の地図を広げて、所番地と合わせながら、降りる駅や、道順などを説明した。

「お母さんが行けば、早稲田はよく分かるんだけど、そんなわけにもいかないしね」

 と明子は言い、

「いつもお父さんが、厳しく言っていること守ってね。ほんとは男の人の部屋に一人で行くことは許さないんだけど、今は特別だから。話が終わったらすぐ帰るんですよ」

 父から直接というよりは、母を通して、常々、男の人だけの部屋に一人で上がってはいけない。接吻はすべてを許すことだから、結婚前の娘は決してしてはいけない。と言われてきた。

「警官にも気をつけてね。見張ってるかもしれないから」

 心配そうに明子はつけ加えた。

 丁度通勤の時間だった。混雑するホームや、電車に詰め込まれた満員の勤め人たちに揉まれながら、真佐子は、会社へ急ぐ人々とは全く違う不安を胸に抱えて、一人だけ別な世界の人間になった気がする。

 飯田橋からの早稲田行き市電を終点で降り、だらだら坂をのぼって、大学の正面の大隈重信の銅像を右に見ながら通り過ぎ、穴八幡の方へ向かった。

 凍てついた学生町は、まだ人通りが少ない。

 ――弘さんはいるかしら。逢えるかしら。

 心急きながら足を早めていく。

 冷気のもやに朝の光が当たって、かすかな虹色をふくんできらきらする幻のような道の彼方に、一人の男の姿が見えた。

 距離がどんどん縮まってきて、松浦弘であることがはっきりした。

 彼も、真佐子の姿を認め、びっくりしたように立ち止まった。

 30メートルほどを、真佐子は走っていった。

 向かい合って立ち、弘を見上げた。

 真佐子の眸に、自分でも思いがけず涙がもりあがり、溢れた。

「どうしたの?」

 弘が、なお驚きの表情のまま訊ねた。

「お話があるの」

「そう」

 彼はちょっとあたりを見回し、

「戻ろう」

 いま来た道を引き返していく。真佐子はついていきながら、気取られぬように涙をそっと拭いた。

「逢えてよかった。すごく心配だったの」

「うん。ぼくね、大学が開くとすぐくらいに行って、講義があるなしに関係なく、図書館で勉強しているから早いんです。偶然ちょうどよく逢えてよかった」

「でも、時間、いいんですか」

「いいんです」

 弘は、革のカバンを下げていたが、持つ手に真佐子が編んだ手袋をしているのに気がついた。

「手袋使って下さってるのね」

「そりゃあそうですよ。温かくて真佐子さんの心が篭もっていて、大切な手袋です」

 弘の下宿は、こざっぱりしたあまり大きくない普通の二階家だった。玄関を入ると、女主人が顔をのぞかせる。

「大事なひとが訪ねてきたんです。そこで逢ったので引き返してきました」

 彼は、女主人にそう言って、真佐子をうながし二階へ上がった。

 部屋は結構片付いていて、男臭さも特になかった。彼は、自分の座布団を裏返して真佐子にすすめる。火鉢はあるが、炭がない。

 真佐子がオーバーを脱ごうとするのを、

「寒いからそのままで」

 と、止めた。

「父が、捕まったんです」

 声を落として真佐子が言った。

「えっ! 捕まったって、いつ、どうして」

「明け方、いきなり五人の私服刑事がどやどやと上がってきて、父を縄で縛っていきました」

 弘は立っていって、部屋の入口を一旦開け、誰もいないことを確かめた。

「特高か」

 彼は、唇をかみしめた。

「去年の暮に、お宅へ伺った時、『おちば草紙』のことを聞きました。古屋さんの消息が分からないという話になって、一ノ瀬さんが心配しておられたけれど、やはり、それでしたか」

「くわしいことは、全然分かりません。『おちば草紙』のことは知ってましたけど、昼間わたしはお勤めでいないし、父は自分の仕事のことは、話しませんので」

「多分『おちば草紙』が原因だと思います。だってそれ以外には考えられない。治安維持法で捕まえる口実は、他にはないわけだから」

「でも、そんなに悪いことかしら」

「どんな小さな批判も、どんな不満も許さないわけですよ。いつかお話ししたギリシャ神話のアリの話、覚えてますか。お上の命令にどんなことでも忠実に従うアリに、人間を仕立てようとしているわけですから」

「……」

「それにしても『おちば草紙』のことは、どうして特高に知れたのだろう。やっぱり古屋さんが捕まったのかなあ。でも変だなあ。彼は、『おちば草紙』をぼくに渡すと言って持って出たというのに、ぼくとは会っていない。それより少し前から学校にも来ていないんですよ」

「誰か、古屋さんのことを知っている人はいないの?」

「友達は何人かはいるんです。でもその頃から誰も彼の姿を見ていないし、噂もきかない」

「突然、消えてしまった?」

「ええ。しかしまた誰かに訊いてみます」

「特高に捕まると、ひどい拷問を受けるといいますけれど、父が、と思うと胸が……」

 真佐子は自分の胸を押さえた。

「そうですね。ぼくも辛い」

 二人の間に沈黙が流れた。

 表の通りを、バケツをがんがん叩きながらメガホンで叫ぶ声が聞こえてきた。

「防空訓練実施、防空訓練実施。町内会の皆さん出て下さい。訓練警戒警報発令! 訓練警戒警報発令!」

 あちこちの玄関や門が開く音、人々が飛び出す気配、口早に交わし合う声などが響く。

 昭和十七年の四月に初めての空襲があってから、以後いままでに米軍の空襲はないが、南方での戦況が悪く、本土空襲の危険は確実に迫っているということで、防空訓練がますます盛んに行われるようになっている。

「しょっちゅうこれです。下宿にいると、ぼくもひっぱり出されるんで、それで早めに学校へ行っちゃうということもあるんです」

 と、弘は少し笑った。

「うちはね、妹が病気になっちゃって、寝てるんです」

「奈保子さんが? どうしたんですか」

「肋膜炎だということですけど、一時は随分熱が高くて心配しました。今は、だいぶ落着いてきたんですが、まだ上がったり、下がったりで……。今朝も奈保子は、すごいショックを受けたみたいで、熱が上がるんじゃないかと……」

「それは心配ですね。かわいそうに」

「栄養のとれる食事なんかも全然できなくて……。薬の会社にわたしが勤めていても、特効薬といったものもないですし」

「ほんとうに大変ですね」

「父がいなくなってしまって、家のことは、いろいろと大変で、わたしがしっかりしなければならないんですけれど……」

 真佐子は、言葉とはうらはらに、やや心もとなげに言った。家計のこと、奈保子の病気のことが、肩に重く感じられた。

 あまり長い時間邪魔してはいけない気がして、真佐子は腰を浮かした。

「弘さんが無事だったし、お会いできてほんとによかった」

 来るまでの、あの追い詰められ、行き場を失い、打ちのめされたような辛さが、彼と会えたことで随分癒されていた。

「たいした力にはなれないと思うけど、何かできることがあったら言って下さい。お母さまもさぞご心労だろうから、それは真佐子さんが支えてあげて」

「ありがとう」

 二人は部屋から外に出て、防空訓練をしている所を、少し離れて歩き、大学のところまで一緒に行った。

「多摩川へ行った時、警官につかまって油をしぼられたでしょ。あの時、署から呼出しがあるようなこと言ってたけれど、ありました?」

「ぼくも、あるかなと思ってたんだが、何もない。あれは単なる脅しですね」

 話したいこと、聞きたいがまだまだあるような心残りが尾を引いたが、もう正門のところへ来てしまった。

 二人は互いにじっとみつめあった。

 弘の表情に、物言いたげな、しかし何かにじっと堪えているような色が浮かんだ。胸にしみこんでくるようで、真佐子は切なくなり、無理に微笑んで、さようならを言った。

「じゃあ」

 振り切るように背を向けて、弘は大学の構内に歩み去った。

 真佐子は、ぼんやりと市電の停留所へ向かったが、ふと思いついて、すぐ近くのはずである母の娘時代の家を見ていくことにした。

 大隈邸の塀と木立が突き当たりに見える小路と聞いていた。引き返すように歩いて、同じような小路が平行しているうちの一本を選んだ。

 生け垣のある勤め人の住んでいそうな家、小唄の師匠を思わせる黒板塀の家などが並ぶ小路の中ごろに、真佐子を立ち止まらせた家があった。

 四ツ目垣と引き戸の門にわずかな距離をおいて二階建の家屋の建つ普通の家。

 明子は、住んでいた家について、四ツ目垣のきわに、父親が四季折々の花を植えていて春は水仙、夏から秋にかけては、時に朝顔、芙蓉、コスモスや菊を植え、それがたわわに咲きあふれて、小路の少し離れた所からでも見えたと話していた。

 今は、花はない。門の脇に防火用水桶とバケツ、砂袋、内側に火たたきなどが置いてあるが、真佐子はなぜか、この家に違いないと確信した。

 母の娘時代といっても、真佐子には物語の中の話のようだが、父の発行した雑誌が、発禁続きで、貧窮をきわめた頃、幼かった真佐子の手を引いた母の明子が、連太郎と別れようと悩みつつ、この親の家にやってきた話を思い出し、急に懐かしく、引きつけられる気持で佇んだ。

 防空訓練がそこここで行われていたが、この小路には人通りもなく静かだった。それでもあまり長いこと他人の家の前に立っているのは変に思われそうで、一旦は行き過ぎたのだが、なお脳裏に焼き付けるように、もう一度戻ってみた。

 かつて二十代の半ばだった母は、とぼとぼと不安と悲しみの心を抱いて、この家に来たのだと思う。けれど悩んだ末、また考え直して連太郎のところへ戻った。そして今度は、自分で独学で洋裁を身につけ、はじめは授産所から既製服仕立ての仕事をもらい、おいおい直接注文を取るようになった。

 母のけなげさと強さを思い、真佐子は胸が、きゅっと鳴るのを覚えた。

 

 

   13 拷問

 

 多分、こそ泥や、すりや、闇屋といった容疑で捕まった人たちが入れられているのであろう留置場を通りこした奥の牢格子の部屋に、連太郎は一人で入れられていた。

 湿った、かび臭いすえたにおいが漂っていて、それだけで胸が悪くなるのだが、それ以上に、二月の夜の寒さは格別なものがあり、床から這い上がってくる底冷えの厳しさに、体ががたがた震え、垢じみた薄い掛け布団の一枚くらい、蓑虫のように体に巻きつけても、とても眠れない寒さ冷たさである。

 そのうえ、竹刀でめった打ちに打たれた痛みが、体中に響いていて、体を動かすにもみしみしきしむ程であった。

 寒さと、苦しさと、痛みに輾転として、夜明けを迎える。廊下の突き当たりの鉄格子のはまった小窓から忍び込んでくる薄明りで、それを知る。朝を迎えても、空気はやはり淀んだままだ。

 朝食は、冷えきった大根入り麦飯が、どんぶりの底にぱらぱらと入っており、透き通るような味噌汁がついているだけ。

 また今日も、取り調べの拷問を受けるであろう。間もなく、呼び出しがやってくる。

 その時が、刻一刻と迫っている。

 壁に目をやる。汚いしみだらけの壁に、大小さまざまな落書きが、たてよこななめになぐり書きされている。鉛筆書きもあるが、多くは爪で刻んだもののようだ。壁が黒ずんでいるうえに、落書きも古びてかすれ、読みにくい。

 ここに入れられ、また出ていったさまざまな立場、さまざまな容疑者たちが残していった、嘆き、叫び、怒り、弾劾。中には公衆便所などによく見られる猥褻な絵もあるが、多くは訴えかける言葉また言葉であった。

  未来は労働者のものだ!

  プロレタリアートよ立ち上がれ!

  弾圧・拷問には屈しないぞ!

 そんな言葉が多いのは、ここに思想犯が多く留置されたからであろう。

  戦争とは独占資本家が自らの腹をこやすために軍部の尻を叩いて引き起こす。

 などというのもある。

 連太郎は、拷問のことを考えないためにも、薄れてかすかな壁の文字を、目で追い続けた。そして彼らが必死で書き残した文字に、孤独に堪えることを常に課してきた連太郎ではあったが、やはり勇気づけられずにはいられなかった。懸命に闘っている人々は、過去にも未来にも必ずいるのだと。

 廊下にこつこつと靴音が鳴る。

 ――来たか。

 と思い、全身の筋肉が固くなるのを意識する。が、がちゃがちゃという鍵を開ける音は、手前の部屋らしく、連太郎への呼出しではなかった。

 以前から、常にこのように官憲に捕えられ拷問を受けることについては、考えていた。そして拷問を堪える方法についても。方法といっても、自分でどうすることもできはしない。ただ、より衝撃を少なくするために、全身の筋肉を緊張させない。拷問に肉体で反抗しない。されるままになる。できたら気絶してしまう。死もまた覚悟のうえ。心頭を滅却すれば……、の境地になること。

 だから今みたいに、靴音だけで、ぎゅっと緊張しては駄目だ、と連太郎は自分に言いきかせるのである。

 昭和初期のプロレタリア文学運動の担い手たちの多くが、転向していった原因には、もちろん拷問もあるが、もう一つ家や親兄弟への情があった。

 主義者や活動家の家族が受ける世間の爪はじきや心労を思うことからの脱落である。

 連太郎の脳裏に、生れ故郷の鳥取の家や父や母の姿が浮かんでくる。

 雄大な伯耆大山が、広く裾をひいて日本海にのびる平野に続くあたり、日野川のほとりの大きな旧家に連太郎は生まれ、少年時代を過ごした。

 幾つかの村の庄屋を束ねる大庄屋だった家柄で、黒光りした太い大黒柱や、幅広の廊下や、続いて幾つもある部屋を、走り回って遊んでいた。男女の使用人が家族よりも多くいて、いつも家中がにぎやかだった。

 十歳の時、急に家の様子が変わった。使用人が次々といとまを告げて去っていき、父と母は額を寄せてぼそぼそ話し合うになり、親戚の人が頻繁に訪ねてきたりしたが、やがてその人たちも来なくなり、がらんとした家の中で、両親と姉たちは家財道具の整理を始めた。そして、その大きな家屋敷を人手に渡して、米子の町はずれの、いままでとは比べものにならない小さな家に移っていった。両親と長男の連太郎、姉二人、妹一人、弟一人の七人家族だった。

 その時はただ、家が没落したのだということぐらいしか分からなかった。十三歳になり、中学校に進学するかどうかという時期になって、父は連太郎に事情を語った。

 遠縁に当たる男が事業を興す資金調達の時、頼まれて借金の保証人になった。だが、事業に失敗したその男は借金が返せず、一ノ瀬家の抵当物件になっていた田畑から家屋敷までを、失うことになったのである。

「土地というものは、持っていれば、年ごと季節ごとに、さまざまな実りをもたらしてくれるものだ。しかし土地が金銭に換算されてしまうと、永遠の価値はあっという間に、一時の価値に変わってしまい、失われてしまうものだなあ。お先祖さまに申しわけないことになったが、お前に対してもすまないと思っている」

 父はしみじみと述懐し、眼を潤ませた。

「お前も中学校に行きたいだろうが、そんなわけで、学資すら今のわたしには出してやれない」

 後で分かったことだが、父が他人の借金の保証人になったのは、その一件だけではなかった。前にも同じことがあり、既にかなりの土地を失っていた。それでもまた頼まれればいやとは言えないお人好しであった。

 父は、あのように述懐したが、もともと恵まれた家に生まれたことにある心苦しさを感じていて、他人のために尽くさなければならない義務感のようなものを持っている人だった。

 明治の時代、新しい産業が日の出の勢いで興り、逞しい野心的な人々が成功を夢みてそれに挑戦していた時、坊っちゃん育ちのうえに好人物の連太郎の父が、没落していくのも自然のなりゆきといえたかもしれない。

 小学校の高等科を卒業した連太郎は、自分の将来は自分で切り拓いていくしかないと覚悟し、十五歳で東京へ出た。裁判所の給仕、印刷会社の植字工などして働きながら、夜学へ通って勉学に励んだ。

 故郷の両親、姉弟たちは、あの神童ともいわれた連太郎のことゆえ、必ずや東京で成功して偉くなり、没落したわが一ノ瀬家を再興してくれる、と期待し信じていた。それがどんなに世間知らずな、東京と出世にたいする幻想であるかに気付かずに。

 その重い期待と信頼は、遠く離れていても、連太郎にはひしひしと感じられた。

 しかし連太郎は次第に文学に惹かれるようになっていき、上京して以来の生活苦、差別

や屈辱、夢と現実との激しい落差の中で、自分が心底打込み、魂を托することのできるものは、文学しかないと考えた。

 十八歳の時ある文芸雑誌に応募した短篇小説が入賞し、そのことから出版社の人とも知合い、文壇人のはしくれに加わることができ、同人雑誌を始めるようになつた時には、一生文士として立つことを固く心に決めていた。

 けれど、文士は決して豊かな生活など保障されていない。それどころか大部分は食うや食わずに貧しかった。そのことにかえって誇りさえ持っていた。

 連太郎は、故郷の家族たちの期待に反して文士を選んだその時、一方的に、父や母や姉や弟妹たちとの恩愛の絆を、わが身を切る思いで断ち切ったのだ。

 連太郎は故郷に錦を飾ることは致しません――、と。

 もうその父も、貧しい中で折りにふれ、若芽とか魚の干物などを送ってくれた、この上なく優しかった母もこの世にいない。情にほだされる故郷の家族はいないといえた。

 いま家族は、妻明子、真佐子、奈保子である。明子には苦労の掛け通しだが、連太郎には、わが身の半身のように妻に期待するものがあって、耐えてほしい。耐えてもらわなければならない。と考えてしまうところがある。

 その期待は往々にして不満につながったり、時としは、今の世の生き苦しさ、見定めがたさ、孤立感や苛立ちから、心が欝屈していて些細なことで明子に当たったりしてしまう。自分に対する批判がましい言辞などには、かっとなって殴ってしまったりした仕打ちを、すまない気持で思い出す。でも明子はよく耐えてくれた。

「一ノ瀬連太郎出ろ」

 巡査がやってきて、格子のくぐりの鍵を開けた。

 取調室にいくと、この前と同じ特高刑事が鋭い眼を光らせて待っていた。

「掛けろ」

 と、目付きで示された椅子に腰掛ける。

「どうだ。少しは考えて反省したか」

 ――何を反省しろというんだ。

「お前が黙っていたって、こっちには分かっているんだからな」

 ――わかっているなら聞くことはないじゃないか。しかし何がどの程度分かっているのだろう。

 捕えられてから、しばしば頭をもたげてきた疑問がまた浮かんできた。『おちば草紙』のことがどこから洩れたのか?

 『おちば草紙』を送っている読者は、ずっと以前からの固定読者で、彼らの一人がわざわざ密告するとは思えない。松浦弘もちょっと考えられない。一番可能性のあるのは、十数部の『草紙』を受け取ったまま消息不明の古屋太平だが、やはり彼が捕まって吐いたのだろうか。

「誰から聞いて分かったのか」と、こちらから訊いてみたいくらいだが、うっかり口をきくと、それに乗じられ、誘導尋問に引きずり込まれるといけないので、黙っている。

 もっと悪いことには、古屋太平がただ捕まって喋ったのではなく、スパイだったのではないかという疑いが、ちらちら意識にのぼることだ。人を疑い出すと、自分も崩れる。逮捕されたかつての人々の経験がそれを物語っている。

「悪かったと心から反省して、もう二度とあんなけしからん扇動文を書かないと、謝罪して誓えばよし。だがその前に『おちば草紙』とやら、これまでそいつを送ってきたお前の仲間の名を聞かせてもらわにゃならんからな」

「……」

「おい、まだ懲りんのか! 特高をなめるな! 優しく言ってきかないなら、身体に答えさせてやるまでよ」

 特高の形相が変わった。眼が険しく吊り上がり頬が痙攣した。と思うやいきなり、連太郎の脚の脛を革靴で蹴りあげてきた。

「痛っ!」

 思わず身体をこごめたところを殴り飛ばされて、椅子から転げおちる。床に倒れたところをまた蹴飛ばされる。

 着物がはぎ取られ、裸の背に竹刀がびしりと激しい勢いで打込まれた。

 一回、二回、三回、四回……。唸りを発しては何回となく繰返される。

 背中の肉は、痛みを通りこして火がついたよう。火に焼かれてただれた肉に、竹刀が食い込む。その度に自然に身体が飛び上がるように動き、歯を食いしばっていても、

「うっ」

「うわっ」

 と、声が出てしまう。

「どうだ。こんなの序の口だぞ。お望みなら竹刀ではなく、木刀に替えてやってもいいんだ!」

 そしてまた幾度とない乱打が続く。

「降参するか。どうだ。謝れ! おれにではないぞ。恐れ多くも天皇陛下に対し奉りだ」

 ――何を謝れというのだ。謝ることなど何もない。おれは、おれの選んだ道が間違っているなど少しも思っていないのだからな。

 ――間違っているのは政治だ。弾圧に弾圧を加えて、国民をこんな目にあわせ、戦争に引きずりこんだ権力の方こそじゃないか。

 気が遠くなりそうな激痛のなかで、むらむらとしながら、連太郎は心中に呟く。

「強情な奴。よーし、奥の手をお見舞い申すか」

 滑車の音が、上の方でからからと鳴った。うつぶせのまま、荒い息を吐き、苦痛に堪えている連太郎にははっきりと分からないが、両足首を綱で縛っているらしい。と、間もなく足が上にあがっていき、身体が反りかえったようになって宙に浮き、額が最後に床から離れて、天井から逆さまに吊るされた。

 ――海老攻めだな。

 ちらとかすめた。

 心頭を滅却するどころではない。身体中の血が、どんどん顔や頭に下がってきて、忽ち血管がふくれ、顔がはれてくるのが分かる。

「お前のような国賊はな、死んだってかまわないんだ。死んだほうがお国のためなんだからな!」

 びゅーと唸ってびしっときた。ものすごい衝撃があって、身体が大きく揺れ、ぐるりと回る。次ぎには腹をめがけて打ち込んできた。

「うわっ!」

 思わず叫び声をあげる。内蔵が破裂し千切れて、胸元から喉の方へ逆流してくるようだ。

 吐き気がして苦しく、身を起こそうともがいて身体を曲げる。だがそれは瞬間でしかなく、頭は下にどさっと落ちる。

 海老攻めの拷問とは、逆さ吊りで打ちすえられる苦痛に、身体が自然海老のように曲がったり伸びたりするからであり、まさにその通りになってしまったな、と朦朧としてきた意識の中で、連太郎は思う。

「この野郎、これでもか!」

 もう、どこが打たれているのか分からない。

喉元から、ぐわっと出てきたものが口から溢れた。血のようであった。

 ――お前らは大馬鹿者だ。こんな屈辱が屈伏につながると思うのか。大間違いよ。この屈辱は許せない。許せない。断じて許しはしないぞ!

 そう心の中に叫びながら、連太郎は意識を失ったのであった。

 

 

   14 スパイの条件

 

 朝、真佐子が雨戸を開けてみると、梅の花が四、五輪咲いていた。梅の木は縁側に一番近いところにあって、黒々とした幹に白い花は、凛として気品高く、まだ冬色のままの庭に、ほのかな春を告げていた。

 八方ふさがりの暗い日々の中で、白い梅の花が、小さな灯をともしたように心に感じられた。

 日曜日だった。

 掃除や洗濯の、朝の雑用を済ませたあとで、しばらく掛けなかったシューベルトの未完成交響曲を掛けた。奈保子もこの曲が好きなので、寝たまま静かに聴いている。

 未完成が終わると、歌曲集に取り替えた。弘がくれたレコードなので、それを掛けると弘が想われ、切ないほどに想われて、全身を疼痛が走ったりする。

 真佐子の気持が伝わったように、午後、当の弘が訪ねてきた。

 けれど彼の訪問は、思いがけない知らせをもたらしたのだった。

 古屋太平の消息が分からなくなって、連太郎も弘も心配していたのだが、彼のことがおおよそ分かったという。

 茶の間で、から茶だけの卓袱台を前に、弘と明子と真佐子は坐っていた。

「やっぱり、捕まってしまったんですか」

 と、明子が訊いた。

「いや、そうじゃないんです」

「では……?」

「大学の友人――気のあう若干の友人がいるんです。彼らとも話し合ったんですが、どうも古屋の消え方がおかしいということになった。そのうち一人の――仮にAとしておきますが、そのA君が、ちょっと問い合わせてみるところがある、しばらく日にちをくれというので、待っていたんです。数日後にA君と会っての話が、こうなんです」

 Aの従弟に、大阪商大予科にいっている者がいる。大阪商大では、去年の春学生運動が起こった。最初のきっかけは、学生に人気のある進歩派の講師が、東北大学に転出させられることになった。軍部や右翼官僚派の教官からの突きあげで学校当局が決めたこと。これに対して予科学生の間から署名運動が起こり、全員が署名して、留任の陳情をした。しかし無視され、T講師は東北大に去った。

 そのあとすぐに、別の問題が起こった。締めつけがさまざまな面で厳しくなっていて、それまで授業の出席・欠席は殆ど自由だったのが、急に厳密に出欠を取る方針が打ち出された。

 学生がそれまで、好きな先生の講義には出るが、そうでない先生の講義には出ないというような自由を許さないというわけである。

 学生たちは大反発した。つまり、学徒を何でもかんでもファシズムや皇国史観の鋳型に固めようとするものだということで、T講師留任陳情運動の直後ではあり、今度こそ出席制度の撤廃を成功させようと、立ち上がった。卒業生までが駆けつけて、学生大会が開かれた。

「A君からその話を聞いて、ぼくらは驚いてしまいました。去年とはいえこの時局に、抵抗のための学生大会を開いた学校があるなんて。……自分や周りをかえりみて、実にすごいと思いました」

 弘が言った。

「で、それからどうなったの」

「大会に学生課長を呼んできて、出席簿には、学生自身の手で、印を付けることを確約させることに成功したそうです。事実上勝利を勝ち取ったのです」

「まあ」

「それというのも、突然そういうことが出来たわけではないんです。大阪商大には、ずっと以前から社会科学研究会などの組織があって、弾圧を受けても秘かにその灯を守って会合などが持たれてきた。そういうものが核になっているわけです。それで出席制度事件の後も、その経験を無駄にはしまいというわけで、秘密の研究会などをさらに続けているんだそうです」

「古屋さんのことは? その大阪商大と何か関係があるんですか」

 明子が訊いた。

「それなんです。出席簿闘争の時から随分積極的で、少々過激過ぎるんじゃないかと思われる発言をする学生がいた。A君の従弟なんかも、いくらなんでもそれはと、しばしば抑えたくらいだったという。出席簿問題が終わったあとも、秘密の会合に必ず出席して、熱心な男だったんだが、ある日突然いなくなってしまって、それ以後誰も彼を見たことがないそうです」

「……」

「それでその男のことを、A君の従弟たちは『あいつはスパイだったんじゃないか』と言っていると」

「でも、なぜスパイなの?」

「大学にスパイが入りこんでいるというのは、今では常識です。学校で左翼的な本など持っていればすぐ名前が調べられて、特高に報告される。大阪商大なんかは、以前から苦い経験を積んでいるわけで、スパイを嗅ぎ分ける力を持っている。スパイには、いくつかの共通する特徴があるっていうんです。一つは、左翼的な研究会などがあれば積極的に参加する。しばしばかなり過激な発言や扇動をする。一つは、学生にしては金使いが荒い。一つは、女ぐせが悪い、などなど。……A君の従弟たちが中心になっている活動家の名前も住まいも、その男には知られてしまっている。スパイとすれば、特高警察のブラックリストにはすっかり名前が報告されて載っているはず。何かがあれば、一網打尽になるだろう、などと話しているそうです」

「もしかして……」

「ええ。スパイは名前は偽名を使いますから、同じではないけれど、A君は、商大の従弟にその男の人相、背格好、言葉づかいや癖、性格などを聞いた。背丈は165〜8糎くらい。ちょっとがに股の歩き方をする。口のきき方は早口で、弁が立つ。顔色は浅黒い方で、鼻の左脇にあまり大きくはないが、いぼのようなほくろがある。これなんか絶対だね。つまりなにもかも古屋とぴったり符合した。ぼくらは皆、うーむとうなってしまいました」

「そんな……」

 声になったかならないくらいの低さで、明子がうめくように言った。

「許して下さい」

 弘が悲痛な声で、深々と頭を下げた。

「古屋を連れてきて、一ノ瀬さんに紹介したのは、ぼくです。A君から聞くまで彼の正体を知らなかったとはいえ、一ノ瀬さんを今度のような結果にしたのは、ぼくの責任です。申し訳ありません」

 明子は、ぶるんと顔を振って、何かを振り切るように、上を向いた。

「弘さんのせいじゃありませんよ。主人は、どういう場合の覚悟もしていたでしょうしね。あなたが心配しなくてもいいんですよ。心配したところでどうしようもないしね」

「弘さん、大学のお友達とか、捕まった方はいないの?」

 真佐子が訊いた。

「ええ。早稲田でもずっと以前は、抵抗運動とか、研究会活動とかあったとはきいていますが、昭和十五年の例の津田左右吉教授事件以来、弾圧はますます厳しくなり、教官の入れ替えとか、質が変わってしまって、自由の息の根まで止められてしまったんです」

「それでも、スパイは入っていたのね」

「学生たちは誰でも、自分たちは間もなく、軍隊に召集され、戦地へ送られ、つまりは死ななければならないと思っている。だから将来に希望を抱いても虚しい。学問しても無駄という思いで、虚無的になっている。あるいは死が必然ゆえに、死の美学・哲学にのめり込んで、その運命を合理化しようとしている。それらとは全く逆に、心底から、この戦争は聖戦であって、その必勝を信じ、自分らの命は皇国のために捧げ、欣喜して戦場におもむくべきだと考えている者。だいたいその三つのタイプになるようです。けれどそのどれにも批判的で、自分はどれにも属さないと思っているものも、ごく少数ですがいるわけです。その少数派がぼくたちといってもいいのですが、しかし結局ぼくたちはあまりに少数で、――いや、少数だということを自らの言い訳にしているのかもしれないけれど――何もできない。悶々としながらも、その気持は、深く胸の内に包み込んでしまっている、というのが現実です。ですから、古屋がスパイだったとして、早稲田では、検挙出来るような事実がない。諦めかけていた時、一ノ瀬さんの事を知り、これに飛びついたのではなかったろうか。スパイとしては、成績をあげなければなりませんからね」

 明子が、ぬうっと立って黙って茶の間から出ていこうとした。

「お母さん、どこ行くの」

「仕事があるから」

 乾いた声で言って、部屋を出ていく明子の後姿に向かって、弘は申し訳なさそうに再び深く頭を下げた。

「母は、古屋さんをとても気に入っていたから、ショックが大きいみたいね」

「ぼくだって、まさかと思っていました。理論的にもしっかりした感じで、心を許してしまった。それが手だったとはねえ」

「特高警察の側からいえば、敵として憎むはずの理論を持っているって、どういうのかしら。二重人格?」

「二重人格的なところもあるかもしれない。だいたいスパイになる奴ってのは、もと左翼で転向した者とか、何か弱みがあって警察につけこまれた奴とか、金が欲しくてなった者とか、特高自身がなるとか、いろいろあるようだが、スパイになるためには、相手方に信用を得なければならないから、一応勉強はするんでしょう。ぼくらだって彼が年をくっていたから信用した面もあるんです」

「どういう意味?」

「ぼくらより年上になると、その人たちの高等学校時代には、まだリベラリストの先生がいて、そういう先生の教えによって影響を受けたり、社会主義的な書物なんかも読もうと思えば、読むこともできたわけ。でも、ぼくらより年が低くなればなる程、そういう影響が受けられなくなって、学校は小学校、中学校その上と、徹底した軍国教育だから、成長の過程にある青少年の頭は、それで固められてしまって、他のことを考えることができなくなっている。そういうことで……」

「私も、弘さんにお逢いするまでは、立派な軍国少女でした」

「じゃあぼくが、悪知恵をつけてしまったわけだ」

 弘が言い、この日はじめてふたりは少し笑った。でもそれは歪んだような笑いだった。

「『西部戦線異常なし』も読みました」

「がんばって、とうとう読んだんですね」

「ええ、読んでほんとうによかった。戦争というものの非人間性が、実によく分かったわ。戦争が人と人との血みどろな殺し合いだということすら、これまでほんとうには、分かっていなかった気がします。しかも殺し合いの人と人は、何の憎しみも恨みもない人同士なのに」

「ええ」

「そうしてその、人を殺戮する行為によって、人そのものが、人間性を失ってひどい歪んだ人間になってしまう。そのことに悩み苦しむ人はまだいい方で、全く麻痺してしまう恐ろしさ。凄いですね」

「日本とドイツ、第一次世界大戦と今度の戦争との違いはあっても、戦争というものの基本的ところは同じだと思う。そして『西部戦線』のすぐれているところは、自分たちの国は、この戦争を絶対に正しいと考えているのと同じに、相手の国も自分たちの戦争を絶対に正しいと思っているだろうと、客観的に見ていること。ということは、どちらも間違っているともいえるわけで」

「地球の上の雲の上から神さまみたいに観察するのは、むずかしいことなんでしょうけれど、そうできたらいいですね。……でも人間の創った神さまは冷たくて、残酷……」

「とくに、日本の神さまときたら……」

「その神さまのために、死ななければならないなんて……」

 そこまできて、話がとぎれてしまった。そのことは、弘も真佐子も何となく避けていたような気がする。そこに意識がいったが最後、落し穴に落下し、もがけばもがく程、底なし沼に手足全身が吸い込まれていくような。

 特に真佐子は、戦争を実体として実感できなかったように、死もまた遠かった。

 でも奈保子が病床に就いて、死がほんとうに思われる恐怖を知った。

 人はどうしてこうも、自分自身と直接関係のない事柄に鈍感なのか。いままでの弘に対しての、その身になっての想いの浅薄さが情けない。今だって決して、心情がすっかり分かったなどとはいえはしない。そしてそれが、真佐子をあせりにも似た切なさに浸さずにはいなかった。

 弘は帰りがけに、奈保子の寝ている部屋にもう一度顔を出した。来た時一番に奈保子を見舞って、

「気分のよい時に、何か読むものをと思って探したんだけど、なかなかよさそうな本が見つからなかった。本はお父さまの部屋にもたくさんあるし。……で、これになってしまった」

 文庫本で、シュトルムの『湖』を渡していた。

 今日は暖かい日で、縁側のガラス戸も部屋の障子も開けてあり、日の光が縁側に差込んでいた。

 部屋の敷居際に明子がうつむくように坐って、再生ものの古背広をほどいている。その後に奈保子が寝ている。

「では、失礼します」

 と、挨拶して、奈保子の方に視線を移すと、本から眼を離して弘を見ていた奈保子は、にこっと笑った。

「早くよくなってね」

 声を掛けて、弘は玄関へ出た。

「ちょっと駅まで送ってきていいでしょ」

 真佐子が一緒に出ていってしまった後、明子は仕事の手を止めて、ぼんやりと庭を眺めていた。といっても、初咲きの梅を鑑賞しているわけでも、菜園に残るわずかな小松菜の心細さを見ているわけでもなかった。

 やがて手元の、洋裁用具をいろいろと入れてある小箪笥の引出しから、真新しい女ものの、刺繍のついたハンカチを取り出し、新聞紙にくるむと、庭下駄をはいて庭に下りた。

 土の上に丸めた新聞紙を置き、マッチで火をつけた。新聞紙はめらめらと燃え上がり、文字を残した黒い燃えかすになって、空中に舞った。中の白いハンカチにも火がつき、少しずつ燃えて形を崩した。

 煙は漂って、かすかながら縁側から部屋の方にも匂いを運んだ。

 奈保子は、母の奇妙な行為を見ていた。ハンカチを取り出す時、隠すように持っていったが、それも見てしまった。

 ハンカチは、古屋太平から贈られたもの。

 去年の秋頃、奈保子は偶然見てしまったのだ。まだ病床に就いていなかった時で、学校から帰った奈保子は、茶の間にいた。人みしりが強くなっていて、用がなければ自分から太平の前に出ていくつもりはなかったから、彼は、奈保子に気がつかなかったようだ。

「女の人もただ若いだけののっぺりした人より、奥さんのように、いろいろと人生経験を積んで、そういうものを栄養にして実らせて、人柄が内面から滲み出ているような人の方が、美しいと思います」

 小さな包みを明子に差出しながら言った、太平の言葉も聞いてしまった。

「これは奥さんへのプレゼント。この家に来る楽しさを与えてくれたお礼ですが、それ以上にぼくの偽らざる心の表現です」

 その言葉以上に奈保子は、その時の母明子の、若々しく上気して、頬がほのかな桜色になっていた嬉しそうな顔を、はっきりと思い出す。

 ――お母さんなんて綺麗なんだろう。

 はじめて見る驚きの気持で、盗み見たのだった。

 今日の松浦弘の訪問と、茶の間での話の内容は、茶の間の襖が閉められていたので、殆ど聞こえなかったけれど、古屋太平のことだと、何となく分かっていた。

 そして母の今の行為も、理解できる気がした。でも、そんなことは、絶対に誰にも言ったりはしないと、決めていた。

 

 

   15 四面楚歌

 

 一ノ瀬家の苦難は、明子の上にますます重くのしかかってきた。

 町会へ配給物を取りにいったり、防空訓練で集まったりする時、主婦たちが寄り合って明子に冷たい眼を向けながら、ひそひそ囁き合った。時にはわざと聞こえよがしな声で、

「一ノ瀬さんの旦那は、アカですって」

「警察に捕まって連れていかれたんですよ」

 と、言ったりした。

「よく平気で人並みに配給物なんか取りにこられるわねえ」

 というのまであった。

 人々が、時局に合わないといって、他の人を非難する言葉には、非国民、国賊などがあるが、一番ランクとしてきついものが、"アカ"であった。アカの内容も全く分からず、特高に捕まるものがいわゆるアカばかりではないことも一切知らずに、一括して"アカ"と呼び、蛇蝎のように恐れ、憎み、嫌悪した。

 あの日、特高警察が踏み込んできて、連太郎を縄で縛りあげて連行していった時、まだ薄明の時刻ではあったけれど、もう起きてそれを見ていた人がいたのであろう。噂は広まり、誰も知らない者はないまでになった。

 ある朝、起きるとすぐに、なんだかひどく臭い臭いと思いながら、新聞を取りに玄関をでた明子は、

「あっ」 

 と言って棒立ちになった。引き戸格子の門のあたりから玄関先にかけて、べったりと糞尿が撒き掛けられてあった。

 ――何で?

 信じられない思いだったが、これも嫌がらせに違いなかった。この頃、人手不足のため、汲み取り人がなかなか来なくなり、どこの家でも便所の屎尿溜めが溢れそうになっており、一ノ瀬家でも庭に穴を掘って、杓で汲み出して埋めたりしていた。誰かが丁度いいとばかりに、撒き散らしたのだろう。

 あっけにとられた最初の感情は、内蔵がひっくりかえるような怒りと口惜しさに変わった。

 ――きっと、あの人に違いない!

 明子は、かっと頭に血がのぼったようになり、門の外に出ると荒々しい大股で、三軒先の隣組長の家へ向かった。

 赤ら顔で頭の禿げ上がった五十年配の主人は、何の職業かは知らないが家にいて、在郷軍人会の役員もしており、

「うちの隣組にお宅のような非国民が出たとは、なんたる恥さらしか。おかげでわしまで肩身のせまい思いをせねばならん」

 などと、明子に面と向かって言ったりしていた。

 門をどんどんと叩くと、玄関から隣組長の妻が出てきた。

「何ですか、朝から大きな音を立てて」

 しかめ顔で言うのへ、

「ちょっと来てください。あんまりじゃありませんか!」

 震えをおびた怒りの声をあげた。

「何のことですか!」

 明子はかまわず相手の腕を取り、ぐんぐんと自分の家の前へ引っ張って行った。

「これですよ。ひどいことをして!」

 門のあたり一帯にぶちまけられた、からし色のかたまりや、落し紙の新聞紙の混じった

どろどろの汚物と、そのふんぷんとした臭気に相手は一層顔をしかめたが、

「何でわたしに文句言うんです。ずいぶんな言い掛りですね。わたしらには関係ないじゃありませんか」

「そりゃあ誰かは分かりませんよ。でもこんなことしたり、できたりするのは……」

 お宅の旦那……と言いかけて、かろうじて言葉を呑んだ。丁度そこへ、後から出てきた組長が立っていた。

「あんたが怒るのは、全くの筋違いだよ。誰がやったにしろさ、当然のむくいというものじゃないか。文句の言える立場かね。我々隣組のことだけじゃない。国や国民を裏切ったのは、あんたんとこなんだから」

「なぜです。うちは何も悪いことなんかしてませんよ」

「へえ、これは驚いた。アカが悪くないとはね!」

 吐きすてるように言うと、

「こんなところにいつまでもいるな!」

 けがらわしいと言わんばかりに、妻女を促して足早に去っていった。

 声は近所中に筒抜けである。向かいの家や隣の家で、ちらっと戸を開けてのぞく気配があったが、すぐに閉ざしてしまった。

 激しい動悸が収まらないまま家に入ると、真佐子が心配顔で、

「掃除大変だねえ。手伝おうか」

 と言ったが、

「会社遅れるよ。お母さんがするからいいよ」

 と、明子は答えた。

 奈保子には黙っているつもりだったが、敏感な奈保子は、もうすべてを感じ取っているらしく、見るとその眼に、涙が浮かんでいた。

 掃除は、水を流して洗っても洗ってもなかなかきれいにならず、臭いはさらに抜けなかった。

 隣組の常会は一ヵ月ごとに各家回り持ちで開かれるが、それに出ると、明子の傍は敬遠されて、あきが出来た。来月は、一ノ瀬家に集まる番という時、隣組長が、

「一ノ瀬さんのところは、何かと評判もあることだし、飛ばすことにします」

 と、決めてしまった。

 石つぶてに打たれ、針の筵に坐らせられている心地で、近所の人と会うのが、明子は堪え難い苦痛になった。

出なければ出ないで、非難攻撃は一層険しくなるので、なにくそとがんばって訓練や集まりに出ていたが、ある時、配給物を取りに行こうとして、急に心臓が異常に激しく動悸を打ち、胸苦しく、呼吸困難なまでになって動けなくなってしまった。

 しばらくして、納まったものの、それからしばしば同じような発作に襲われるようになった。

 奈保子の病状は、一進一退であった。それでも比較的気分がよく、熱のない時などがあって、そういう時は床を離れていることもあり、自分から言い出して、明子に代わって配給物を取りに行ったりした。

 明子の収入は、ごくごく僅かになってしまい、真佐子の給料が頼りのすべてであった。その安月給で、家賃、電気、ガス、水道、新聞代、奈保子の医者代を払い、三人が食べていくのは、至難のわざであった。

 奈保子の薬は、真佐子が会社から社員値段で買ってくるので、医者にもほとんどかからなくなっていた。

 この頃の配給の魚は、烏賊の塩辛か、三日にいっぺんのすけそうだらに決まっていた。

 煮魚を作ると、明子は病気の奈保子と、働いて収入を得てくる真佐子に、身の部分を食べさせ、自分は、煮汁のしみた骨をしゃぶりながら、ご飯を食べた。ご飯ももちろん麦まじりか、甘藷入り、乾めん入りである。

 ある日、駅の方へ用があって出掛けた時、戸を閉ざしたパン屋の店先に、

「明朝六時、食パン一人につき一斤販売します」

 と書かれた貼り紙を見て、翌朝五時前に起きてパン屋に行った。すでに行列ができており、後についたが、その後にどんどん人が並び、長蛇の列になった。

 一時間待って、店が開けられ売出しが始まった。

 ――自分の番のところまでパンがあるかしら。

 列が動き出すと、期待と不安で胸が動悸を打った。発作が起きるのではないかと心配だったが、それはなかった。

 懐かしい焼きたての食パンの匂いが漂い、番がきて、明子にも一斤のパンが手渡された。

「明日もありますか」

 口早に訊くと、

「三日にいっぺんです」

 との返事だった。

 この上ない贈物をもらったような、幸せな気分にひたされながら、頬ずりしたいような、ぬくもりと香りのある食パンを胸に抱いて、急いで家に戻った。

「パンが買えましたよー」

 と娘たちに告げ、半斤ずつ今日と明日に分け、半斤を三枚に切って、今日の朝食は嬉しい気分のパン食であった。といっても、バターもジャムもなく、紅茶もコーヒーもココアもない。飲み物は小松菜入りの味噌汁、パンには貴重なお砂糖を少しつけて食べた。しっとりと柔らかく、すばらしく美味しかった。哀しいみたいに束の間の幸せを味わった。

 それ以後、二日おきに明子は、薄暗いうちに起きて、パンを買いに行った。

 

まばゆいばかりの明るい緑が、日の光とたわむれる初夏へと季節は移り、一ノ瀬家の庭の、柿の木や梅の木も葉をいっぱいに繁らせるようになったが、明子も真佐子も、木立の新緑など気づかぬほどに、鬱々とした無我夢中のなかで日々を過ごした。何といっても近所の冷たい視線が胸に堪えた。

 不起訴で帰されるかと心待ちしていた連太郎は起訴となり、とうとう懲役二年の刑が決まって、東京の西の方にある刑務所へ移された。

 はじめて明子は面会に行った。

 着替えの風呂敷包みなどを持って、最寄りの駅に降り立った明子の気持は、複雑で沈んでいた。何でこんな所へという思いである。

 別世界を思わせる高い塀、威圧をもった門や門衛に近づいて、いっそう動悸が高まり、血の気が下がっていく心地がする。

 何べんもお辞儀を繰返して所内に入り、面会室に通された。

 落着かない気持で待っていると、しばらくして看守に伴われた連太郎が入ってきた。

 柿色の囚人衣を着て、ふさふさした髪は、坊主刈りに刈られ、そのうえ頬がげっそりとこけ、眼の落ち窪んだ顔は、ひとまわり小さく、別人のように見えた。

 独房から出てきたばかりの連太郎は、狭く殺風景で、壁も薄汚れた面会室ではあっても、窓から日の光の差し込む部屋に来て、まぶしそうに眼をしばたたきながら明子を見、看守に示された椅子に腰掛けた。

「お体の方は……大丈夫ですか」

 何と言葉をかけようか迷いながら、明子はかすれたような声で訊いた。

「ああ」

 連太郎は、そう返事したものの、何か言いたそうに口元を動かした。でもそれは言わず、

「奈保子は、どうだね」

「前よりは少しよくなったんですが、すっかりというわけにはいかなくて、寝たり起きたりという具合です」

「真佐子は元気か」

「ええ、あの子には助けられています」

 明子は、近所中から白い眼で見られ、嫌がらせや、後ろ指差される、死んでしまいたいと何度も思ったほどの辛さを、訴えたいと思っていた。ここへ来る間中思い詰めてきた。

 誰に訴えることもできないこの屈辱、口惜しさ、悲しさをぶつけられるのは、連太郎しかいない。けれど、顔蒼ざめてやつれ果てた夫を眼の前にし、胸につかえ、喉元までこみあげる言葉も、声にすることはできなかった。

 面会時間が十五分と決められていることに焦って、話したいことが山ほどありながら、かえって何を言っていいか分からないとまどいを、連太郎も明子も感じていた。耳をそばだてている看守も気になった。

 連太郎は、今度の面会の時に、持ってきてほしい二、三の本の名を言い、どの本棚の何番目の段かを指示した。

 明子は少し前から考えていたことを口にした。

「この頃、ますます東京は暮らしにくくなって、考えたんですが、最近、疎開っていうことが奨励されるようになってます。それで、山梨に疎開しようかしらと思うんです。そうすれば、奈保子にとっても空気もいいし、もし土地を少し借りられれば、そこを耕して野菜くらいは作れるし、何とかやっていけるんじゃないかと思うんです。どうでしょうか」

「そうか、いいかもしれんな。お前の郷里なんだし……。相談はしてみたのか」

「いえまだ。あなたがいいとおっしゃれば、まず手紙を出して訊いてみたいと思っているんです」

「おれは、その方が安心していられる」

「そうですか。じゃあ早速に」

 この話ができたことは、一つの安堵だった。

 忽ち十五分が経ってしまった。

 実は、古屋太平が、スパイだったこと、彼によって連太郎が捕えられたことも知らせようかどうしょうか迷っていた。知らせるべきだとも思い、知らせたくないとも思う気持が、振子のように激しく揺れ、苦しかった。

 でも、時間がなくなってしまい、何故かかえってほっとした。

 看守に引かれて去っていく連太郎を見送った明子は、連太郎が右脚を引くようにして歩いているのに気がついた。入ってきた時は、見違えるほど変わってしまった容貌に気をとられて、気がつかなかったのだろう。

 ――どうしたのかしら。拷問で脚の関節が折れたのだろうか。

 それに気がつかず、訊いてみることもなかったことが、悔やまれた。

 建物を出て帰途につく明子は、ひどく疲労を感じ、脚ががくがくした。

 けれど疎開の計画に、夫も賛成してくれ、それを進めるために郷里のことを考え始めると、少しずつ元気が回復してきた。

 

 そこは、山梨県の東部、県境に近いところにあって、中央線の駅から一里ほど山の方へ入った場所にある。

 明子の父親清蔵の家は、村ではかなりの土地持ちであって、清蔵は村長も務めた人だったが、東京が近いだけに、この山里に一生埋もれて過ごすことに堪えられず、三十代の最後の年に決心を実行に移して東京に出た。

 先妻との間にできた長女に婿をとって家督を譲り、自分は土地の一部を売ったなにがしかの元手を持ち、妻と、次女、三女、四女の娘三人を連れていた。

 大正元年のこと。三女の明子はかぞえ年八歳であった。

 父親の清蔵は、早稲田に居を構え、本屋、雑貨屋、炭屋までやってみたが、いずれもうまくいかず、とうとう区役所に勤めることになった。自宅は同じ早稲田内だが、自宅の二階に下宿人を置くことにし、妻キミと娘たちが、賄いをするようになった。そこへ下宿したのが連太郎であった。

 山梨の方は、明子とは母違いの姉と義兄が、農業と、土地の特産物である甲斐絹の機織りで家を守り立て、機織りは屋敷内に工場を建てて、動力織機を十数台入れ、年季の織り子を雇って経営し、かなり堅実に暮らしていた。

 その家から150メートルくらい離れた山の中腹に"別荘"と呼んでいる一戸建の家がある。清蔵が東京へ出ていく以前のこと、一人息子の長男、明子の兄が、肺結核にかかり、療養のために建てた家である。その兄はしかし病のために若くしてこの世を去った。

 間取りが、六畳、四畳半、三畳に台所で、今住んでいる家より少し狭いだけの家は、そのままになっており、そこが貸してもらえるならいいな、と、明子は狙いをつけている。

 兄が死んだ家に奈保子を入れるのは、縁起が悪いような気がしないでもなかったが、そんなことを言っている場合ではなかった。疎開で一軒の独立した家に住めるとしたら、今時この上ない幸せであった。

 家へ帰ると明子は早速、山梨の姉あてに手紙を書いた。

 奈保子が病気なこと。東京は食糧がなくて主食の配給も遅配欠配続きなこと。近々空襲の危険も迫っているとのことで、疎開が奨励されており、この際思い切って疎開をしようと思っていること。ついては"別荘"を貸してもらえないだろうかと。ただし連太郎のことは打ち明けず、連太郎と真佐子は、東京に残るように書いた。

 返事はなかなか来なかった。田舎の人だから、筆無精なのだろうと思いながらも、一日千秋の思いで待つ明子には、その遅さがやはり先方は、親戚を背負い込む迷惑を思うのだろうか、と推測したりして次第に心細くなってくる。

 半月ほどして、やっと返事が来た。

 "別荘"は空いているから貸すことはいいが、一度こちらへ来てくれないか。いろいろ話し合ってみたいから。という内容であった。

 列車の切符は制限されて、簡単には買えなくなっていた。駅に一時間くらい並んで、中央線の切符を手に入れた。

 明子は山梨へ出掛けていった。

 夏の盛りであった。中央線の駅を降りて、だらだら坂を登っていくと、道の片側の山際に生い茂る雑草から、むんむんと草いきれが漂った。深呼吸といっしょに、むせるような草いきれを吸い込むと、そんな草の匂いの中にねころんで遊んだ子供の頃の記憶が甦った。

 見上げる空は紺碧で、ところどころ白い綿雲がのどかに浮かんでいる。道添いの雑木山の木々の緑は、夏の太陽を受けて光り輝いており、濃く深い日陰の部分と強いコントラストをみせている。蝉の声は頭上から降るようだが、それとは違う一オクターブ高い声で、愛らしい小鳥のさえずりも聞こえる。

 重なりあった小高い山々をめぐって、曲がりくねりながら続いている道には、行き合う人とてなく、ただ畑の見渡せる所にきかかると、二、三の老農夫の働く姿が小さく見えるばかりであった。

 東京での暮らしの辛い苦しい日々。心臓が凍るようなあの特高の踏み込み。近所の人々の険しく冷たい眼差しや酷い仕打ち。ずたずたに引き裂かれた神経を引きずってきた明子は、これほどまでに故郷のこの自然を、おおらかに安らかに感じたことはなかった。

 一番最近来たのは、四年前で、夏休みの女学生・小学生の娘二人を連れて遊びに来たのだが、その時と同じ風景とは思えないほどだ。

 ――なんという、はるばるとした懐かしさ。

 道の片側の山肌から、清水の湧き出ているところがあって、手に掬ってみると、ひんやりと冷たく、口にふくむと、全身が洗われるようだった。傍らに、野あざみと、ほたるぶくろの花を見つけた。

 心が、柔らかく癒されてくる気がする。奈保子もきっと、この自然の中にいれば病気もよくなるのではないだろうか。

 道は両側に家並の続く甲州街道に出る。そこを横切って、森陰深い神社の裏へ抜けると、眼前は、西から東の方向に流れる川へ向かって、土地が深く切り込まれ、対岸の、再びゆるやかに盛り上がる山地を見はるかすことができる。

 山地の斜面には、山ひだ陰の杉の森や、なだらかな傾斜の畑の緑を縫うように、折れ曲がった坂道が白く見える。

 その中腹に屋敷林に半ば隠れて、大きな屋根の家が見える。それが明子の生まれた家。今、これから向かおうとしている家だ。

 もうそこまではすぐである。こちら側の坂道を下って、眼下に見える川に掛かった橋を渡り、向こう側の山のつづれ折りの坂を登っていけば、そこに至るのである。

 明子の足は早まった。そしてずっと忘れていた歌を、知らず知らず口ずさんでいた。

  うさぎ追いし かの山

  こぶな釣りし かの川

  夢はいまも めぐりて

  忘れがたき ふるさと

 

 

   16 東京駅で

 

「お姉ちゃん、奈保子ねえ……」

 真佐子と二人だけのこの夜、奈保子が言った。

「早く元気になって、そしたら奈保子、従軍看護婦になろうと思う」

「従軍看護婦に……」

 真佐子は、どきっとした。

「どうして?」

「だって、誰もみんなお国のために命を捧げているんでしょ。兵隊さんはもちろんのこと。この国難の時に、女だってお国のために命を捧げる覚悟で働くのは、当然でしょ。女としてそれのできる一番の仕事は、従軍看護婦だもの」

「奈保ちゃんは病人でしょ。病人がどうして従軍看護婦になれるのよ」

「いつまでも病気がなおらないわけじゃない。田舎に疎開したら、きっとよくなるだろうってお医者さんも言ったよ」

「たとえ病気がなおったって、従軍看護婦は無理よ」

「どうして」

「奈保ちゃんは、ただ憧れみたいな気持で思ってるかもしれないけど、看護婦の仕事なんて、並大抵のことじゃないんだよ。そのうえ戦地へ行こうっていうんでしょ。戦争とか戦地とかが、どんな凄まじいものか、まるっきり分かってやしないでしょうよ」

「お姉ちゃんは、分かってるの」

「わたしだって本当には分かってないよ。でも、そんな憧れみたいな気持で考えられるところじゃないくらいは、分かる」

「でも、従軍看護婦になってる若い女の人はいっぱいいるわけでしょ。他人にできて、わたしにできないなんてことはないよ。それに、男の人はそういう凄いところで戦っているのに、女にはできないなんて、情けないじゃない」

 この戦争そのものが間違っているとは、真佐子には言えなかった。それをうまく説明することは、とても出来なく思われた。それに奈保子は、志願兵のように、戦争そのものに加わろうというのではなく、戦に傷つき、病に倒れた人々を助けたいと思っている。奈保子の純粋な魂に反論するだけの論理が、真佐子には貧弱に思われた。

「ねえ奈保ちゃん、与謝野晶子っていう明治の詩人の、"君死にたもうことなかれ"っていう詩知ってる?」

「知らない」

「日露戦争の時、戦争に行った弟を詠んだ詩なの。

  ああ弟よ 君を泣く

  君死にたもうことなかれ

  末に生まれし君なれば

  親のなさけは まさりしも

  親は刃をにぎらせて

  人を殺せとおしえしや

  人を殺して死ねよとて

  二十四までをそだてしや

 それからまだずっと続くんだけど……」

「そんなのおかしい。たくさんの人が、お国のために命がけで戦っているのに、自分や自分の家族だけは、戦地に行くのはいや、命が惜しいっていうの? そういうの利己主義っていうんじゃないの」

「あのね、与謝野晶子は、弟に呼びかけているように詠んでるけど、弟だけに言ってるんじゃないのよ。弟に呼びかける形をとりながら、戦争そのものに反対しているのよ」

「だって、この戦争は正義のための、東洋平和のための戦いでしょ。天皇陛下も、それから学校の先生も、世の中の誰も彼も全部が言ってるんだよ。そんな変なこと言うの、お姉ちゃんだけだよ」

「じゃあ、奈保ちゃんは、お父さんのことはどう思うの?」

「お父さんのこと……」

 奈保子は、瞬間ひるんだように口ごもった。

「お父さんのことは、よく分からない。よく分からないけど、お母さんがかわいそう。近所中の人からいじめられて……」

 薮蛇だったかと、真佐子は思う。父の連太郎が逮捕されてから、奈保子は病む胸を、いっそう痛めてきた。父のことも想うのであろうが、やはり身近にいる母を想いやる気持が強いに違いない。神経質な、感じやすい奈保子ゆえに、いちいち痛みとなって響くのだ。

 この家では世間のように、"アカ"は悪だというようなことを誰も言ったことはない。戦争を讃美する言葉を親が言ったこともない。逆に、父の連太郎は、たとえば、昭和十六年十二月八日の日本軍の真珠湾奇襲攻撃の時などに、思わず明子が「わあ、とうとうやった」と声をあげるのを、不機嫌な声でたしなめた時のように、時たま言葉の端に、反戦的なニュアンスをほのめかすことがあった。

 真佐子はそれが分かっていたが、日々の連続の中では忘れてしまい、女学校の時も会社へ勤めてからも、他の女性たちと特に変わるところはなかった。国家と世間の分厚い層に自然に包みこまれていた。

 松浦弘と知り合うようになって、だんだんに父のことも理解し、戦争を悪と考えるようになったのである。それでもなお揺れ動くこともある。

 弘も言っていたが、年令が下がる程、忠君愛国の教育に深く絶対的に染められているから、奈保子もその例にもれない。

 瓦礫として生き長らえるより、玉と砕けよ。

 大和魂とは、桜の花のようにいさぎよく散ること。

 悠久の大義に生きよ。

 死ぬことがしきりに讃美され、戦局も南の島での敗退や全滅の中で、"玉砕"という言葉が使われるようになった。

 美しく生きたい。美しく生きることは、美しく死ぬこと。純情な少年・少女はみなそう考えた。多くの少年が、飛行機ごと自らの身をもって、敵艦船に体当たりしていく特別攻撃隊に志願していった。

 奈保子は、その気持に加えて、この家の不名誉を少しでも挽回したい。世間から爪はじきを受けている母のためにも、立派に尽忠報国の誠を尽くしたい。そう乙女心に思い詰めているに違いなかった。

 見ると、奈保子の瞳は熱っぽく潤んでいて、頬も紅潮していた。

「病気で死ぬくらいなら、お国のために死にたいの」

「そんなこと考えては、駄目!」

 真佐子は強い声で言った。

 奈保子が肋膜炎と医者から言われた時の、真佐子の、自分でも思いがけなかったほどのショックが思い出される。奈保子は高熱が続いて、ひどく息苦しそうにしていた。

 妹は死ぬのではないか……。死が初めて身近に感じられ、その死は奈保子に取りついて拉致していき、この世から妹の姿が消えてしまう。

 それまで、空気のように感じていた姉妹というものの存在が意識され、自分の分身のようにいとおしく、哀しく、かけがえがなく思われた。

 以前妹が、真佐子のお誕生日に、貯金箱からお金を出して、小さなプレゼントを買ってくれたりした優しさや、それとは逆に、時として自分が、奈保子に邪険に接した記憶――例えば、今度の病気ではなくて、以前奈保子が風邪を引いて寝ていた時、頭の際にある洋服ダンスの引出しを開けようとして、頭が邪魔だといわんばかりに、引出しを頭にぶつけたことなどが、次々と浮かび、涙がこぼれてしかたなかった。

「とにかく、とにかく……」

 真佐子は気持だけが先走りしながら、言葉がうまく見つからないもどかしさに、あせった。

「まず、病気を直しなさい。とにかくそれが第一番よ。お母さんと田舎へ行くんでしょ。今は、それだけ考えて」

「お姉ちゃんは、行かないんでしょ」

「そう。だってお勤めがあるからね。会社の寮があるの。そこへ入るつもり。……田舎はいいね。ほら、朝なんかの空気の澄んでること。山々にかかった朝霧が墨絵のようにかすんで、それがだんだんに晴れていく時なんかほんとに綺麗」

 疎開のことに持っていき、田舎の人たちのことや、山や川を想い描く話題に移れたことに、真佐子はほっとした。

 

その疎開の話を進めて、明子は一晩だけ泊まって帰ってきた。

 故郷の家の方でも、働き手の次男・三男が召集されて戦地に行き、村の若者も大方出征して人手がなく、農業は家族の食べ料がやっとだとのこと。機織りの方は、蚕を飼って生糸を作ることがそもそも減少しており、製品としての甲斐絹はその製品の性質上、裏地としては表地の流通が不足なうえ、単独では需要が少なく、問屋価格が下がっていて、なかなか苦しい状況なのだと聞かされた。物質的に頼られては困るとの予防線のようであった。

"別荘"については、姉は家賃をもらいたい顔つきだったが、義兄は、義妹から家賃というわけにもいかないらしく、

「空いてるだから、ただでいいだよ」

 と言ってくれた。野菜やさつまいもを作るくらいの畠は、山の傾斜地でよければ、人手不足で荒地になっているところがあるからとのことだった。

 疎開は決まったが、引っ越すに当たっての費用を捻出しなければならなかった。

 連太郎との次の面会の時に、相談をすると連太郎は、どうしても残したい本のリストを書き出して手紙で出すから、それ以外のものは売っていい。本箱も誂えの上等のもので、三つのうち二つ売れば、かなりになるだろう。ずっと友人のようなつきあいをしてきた古本商が目黒にいるから、この人に来てもらって処分を頼みなさい。とのことだった。

 一家が引っ越しをするのは大変なことである。たいした物はなくても、いつの間にかたまった生活用品や家具やさまざまながらくたでいっぱいで、それらを整理して荷造りしなければならない。

 連太郎が書き送ると言った本のリストの手紙もなかなか来ない。膨大な書籍をほとんど覚えているといっても目の前に見ないで思い出せるだろうか。それよりなにより、あんなに大切にしていた本――連太郎の心の糧であり、魂の友であり、仕事道具である、愛着一方ならない書籍を売るのに、躊躇いが出ているのではないだろうか。

 そんなことを考えたりしていたが、やっと一ヵ月近くかかって手紙が来た。遅かったのは、刑務所の検閲があって、お役所仕事ゆえののろさもあったのだ。

 そんなこんなで、忽ち九月も末になってしまった。

 真佐子も自分の荷物はあらかたまとめて、いつでも会社の寮へ移れるようになっていた。

 松浦弘は、早稲田大学卒業である。六カ月繰り上げ卒業のため、九月の卒業。

「ねえ、お母さん、この家も引っ越してしまうし、みんなばらばらになってしまう。弘さんも静岡へ帰るのでしょうし、弘さんの卒業祝いを、この家のお別れ会もかねてやってはいけない?」

「卒業祝い? そうねえ、どういうふうにするの」

「お米は闇で買えば、ちらしのまぜ鮨くらいは何とかできるでしょ。そんな程度だけど……」

「いいんじゃない」

 明子は賛成したが、それからちょっとためらうようにして、

「それはそれとして、前から訊いてみようと思ってたんだけど……」

「なに?」

「弘さんのことは、好きなんでしょ。向こうも、真佐子のことを?」

 真佐子は頬がぽっと熱くなるのをおぼえながら、うなずいた。

「それで何か約束したの?」

「ううん」

「弘さんは、何も言わないの?」

「はっきりとは言わない。でも、わたしは……」

 真佐子は恥じらいをみせて、言葉を途中でやめてしまったが、明子には分かった。

「真佐子は、心に決めているわけね」

 真佐子はまたうなずいた。

「お父さんも、弘さんはいい青年だって言ってたし、真佐子とのこともだいたい気がついているようだけど。ただね、たとえ向こうから申し込まれてもね、いますぐ結婚というのは、しない方がいいと思う。卒業すれば、弘さんも必ず応召されるだろうから」

「でもそんなのおかしいと思う。出征する人とは結婚しないなんて、ひどい。エゴイズムよ」

「するなって言ってるわけじゃないのよ。許婚でいいと思うの。そして帰ってきて、二人でちゃんと暮していけるようになってから結婚しても、遅くはないでしょ」

「でも、弘さんから申し込まれたら、駄目なんて言えない」

「気持はわかるけど……。とにかく向こうから何も言わないうちに、こちらばかりで考えているのも変よ。そういうことがあれば、その時また考えましょう」

 明子は真佐子の気持を波立てないようにうまくかわした。

 真佐子は、とにかく弘とのことを、親が認めてくれたことで、一応の満足としないわけにはいかなかった。とはいえ、真佐子自身不安は大きい。多摩川べりで、巡査に派出所へ連れていかれた時、弘が、「許婚です」と言ってくれたことだけが、唯一の頼りであって、彼から直接の言葉は何もないのだから。

 真佐子は弘に手紙を出した。

 卒業祝いの会などといっても、ほんとうにささやかなものだけれど、わが家で開きたい。いらしていただけるだろうか。都合のよい日を知らせて欲しい、と。

 すると、こちらから出した手紙と入れ違いに、弘から速達がきた。

 

  前書きなしで急ぎしたためます。

  昨日、実家から電報が来ました。「すぐ帰れ、委細電話乞う」

  来たなとぴんときましたが、とにかく電話を掛けました。思ったとおり、徴兵検査に引き続いて入営の通知が、役所から来たのです。来るとは思っていましたが、あまりの早さ、卒業を待ちかまえていたような、電光石火の早さには、さすがに驚いてしまいました。

  しかも一週間も日にちがありません。九月二十六日卒業式が終わったら、すぐに下宿を引き上げるための荷造りをして、急ぎ帰らなければなりません。

  法文系の学生は、誰も遅かれ早かれ召集されることになっているとはいえ、このような卒業と同時の召集は、当局に学生のブラックリストができているからだという噂です。その証拠に、気心の知れた例のぼくらの友達に、おなじように召集が来ました。

  それにつけても、やはりFが、と思わずにはいられません。前にお話しした大阪商大では、あのあとすぐ大検挙が行われました。何か行動を起こすのを、当局は待っていたようですが、特別なことが起こらないので、業を煮やしたのか、ただ会合を定期的に開いていたというだけで、メンバーの一斉検挙に出たようです。

  それはさておき、帰京前にどうしても貴女とお会いしたい。残念でなりませんが、ゆっくりした日にちも時間もとれません。 二十八日、帰京の列車に乗る前の僅かな時間ですが、午前九時に東京駅中央口の八重洲側待合室へ来て下さいませんか。そこで待っております。

 

 九月二十八日は明日であった。

 卒業祝いの会を開く間もないあわただしさ。突然のやみくもな召集で彼は征ってしまう! 

 ――そんな……そんな……。

 血の気の下がっていく気分の中で、真佐子はただ呟くばかりだった。

 翌日、あわただしい気分で東京駅へ急いだ。駅は雑踏をきわめていた。薄汚れた待合室も人が一杯で、わずかなベンチはみな人が掛けており、大きな荷物を持った人たちが荷物に腰掛けたり、立ったりし、その合間を入れ替わり立ち替わり動いている人々。

 真佐子は少し早めに来たが、あまりの混雑に、弘に会えるかしらと心配で、あっちこっちとうろうろした。

 大きなトランクと手提げカバンを持った学制服姿の弘が、人混みを縫って現われた。

 両方で相手を見つけ、急ぎ足に近寄った。

 言葉もなく、互いに見つめあい、真佐子は泣き笑いの顔になっていた。

「待った?」

 やっと弘が言った。真佐子は首を横に振った。

 静かな落ち着いた美しい場所で、大切なこのひと時を過ごしたい希いは、はじめから望むべくもなかった。

 混雑の一隅に弘はトランクを置き、二人はそこに寄り添って立った。

 ざわめきの騒音は、わんわんと待合室いっぱいに響き、時折誰かが、ぶつかって通り過ぎたが、寄り添って立つ二人の居場所は、二人だけの静謐に支配された。

「私が出した手紙、着いたかしら」

「うん、きのう着いたよ。ぼくの手紙と行き違いだったね。卒業祝いを開いてくれるつもりだったんだね。ありがとう。うれしいよ。でもその暇もなくて……」

「いくらなんでも、こんなに早いとは思わなかった」

「ぼくもさ。だから高文試験も受けられない」

「そのために一生懸命勉強なさってきたのにね。あんまりだと思うわ」

「何のための勉強だったんだろう。貴女と会うこともがまんして……。ひどい時代に生まれ合わせてしまったね」

「ほんとうに」

「真佐子さんのところも、お母さんと奈保子さんは疎開するんだって? 一家離散になってしまいますね。一ノ瀬さんのことをはじめとして、国家という名の巨大な地ならし機で、人々や人々の家庭が、めちゃめちゃに踏み砕かれるんだ!」

 いつもは穏やかな弘が、激しい怒りを篭めて呟いた。

「きのうのお手紙の中に、ブラックリストに載せられた者に、早速召集が来たと書いてありましたけど、そんなに細かく国民一人ひとりの情報のリストができているわけ?」

「そうのようですね。網の目のように情報の伝達機構はできていて、特に男子については厳密で、だからぼくのことなんかは、本籍地の役所の兵事係――ここで赤紙を出すんですが、当局からの情報で、どういう人物かがちゃんと記録されているということです」

「すごいんですねえ」

 真佐子は溜め息をついた。

 話さなければならないことがたくさんあるような気がし、それにもかかわらず時間が気になっており、それが強迫観念になって、真佐子を落着かなくしていた。

 ――これきり弘さんとは会えないのだろうか。

 ――まさか、そんなこと!

「列車の時間は何時ですか?」

「そう、もう行かなければならない」

 腕時計を見て、弘が言った。

 ――何か、言い残したことはないのですか?

 ――私におっしゃることは、ないの?

 心の中で真佐子は叫んでいた。けれど、

「お手紙を、お手紙を下さいね」

 そう言うのが精一杯だった。

 弘は、カバンから分厚い封書を取り出した。

「実はゆうべ、夜じゅうかかってこれを書いたんです。ぼくの気持、貴女に対する気持をすべてここに書きました。家に帰ってから読んで下さい」

 渡された封書は、ずしりと重かった。封書を持つ真佐子の手を、そのまま弘が握った。

「元気で生きていって下さい。ぼくも、命ある限りは真佐子さんのことを想って、それを支えにして生きます」

 握った手に強い力が加わった。痛みが切なさになって、真佐子の全身を貫いた。

 入場券を買って、ホームへ入った。

 弘は列車に乗ったが、混んでいて席には坐れない。入り口のところに立って、真佐子と向かいあっていた。その弘の、深く引き込まれそうな叡知を秘めた瞳や、引き締まった口元、すらりとした背格好などのすべてを、胸に焼き付けるように真佐子は見つめた。

 でも長くは見つめ続けていられなかった。発車のベルが鳴り、列車がゆっくりと動き出した。

 弘の顔に、今まで見たことのない痛苦の表情が走るのを真佐子は見た。胸が張り裂けそうになり、弘を追って真佐子は走った。ホームにも人が一杯で、人にぶつかりぶつかりしているうちに、列車は速度を増し、弘の顔と姿は、忽ちのうちに遠ざかり、真佐子の視界から去っていった。

 

 

   17 恋文

 

 家に戻った真佐子は、自分の部屋に閉じこもって、弘の手紙を繙いた。

 

  親愛なる真佐子さま。

  今、私は荷物のほとんどを送り終えた、がらんとした部屋の中で、これを書いています。

  とうとう来るべきものが来てしまいました。来るべきものと、ここに書きながら、私はいままでそれを予想し、予知していながら、何もせずに来たことに、いまさらのように自らの怯懦を思わずにはいられません。

  この時流の中で、小さな個人の抵抗は、所詮蟷螂(とうろう)(おの)との思いが、私を自分の学問の殻にのみ閉じ込めたのです。しかし進むべき道として選んだその学問も、なんの役にも立たず、放棄しなければならないことになりました。全く皮肉な報いというべきかもしれません。

  新聞で読まれたかもしれませんが、九月二十二日には、東条首相の特別声明により、大学卒業生ばかりでなく、二十歳に達した在学中の学生全員を徴兵するという発表がなされました。

  ぎりぎりで卒業できた我々の方が、まだしもなのかもしれませんが、学友の中には、卒業式の後、やけっぱちなような言辞を吐いて、蔵書を全部売り払って呑みまくろうとか、色町へ遊びに行って居続けしようなどと申す者もおります。

  もちろんその逆に、山本五十六司令長官も戦死した。アッツ島も玉砕した。イタリアは連合国に降伏した。ドイツもソビェトから敗退した。しかし日本は不敗である。いまこそ、日本を勝利に導くのは、我々若人の双肩にかかっている。と、相変わらず勇ましい人々の方が絶対多数であることに違いはないのですが。

  そして私はそのどちらにも同調できません。"とうとう来てしまった"ショックと、何もなし得なかった過去へのうしろめたさが、今度こそ自己を偽らずに生きようと決意させました。

  結局は自己とのたたかいです。あなたのお父上一ノ瀬さんもおっしゃっていましたが、絶対孤独の中での自己とのたたかい――それが生きるということだと。

  そして私にとっては、それを支えてくれるのが真佐子さんの存在なのです。うまく説明できませんが、貴女の存在を想うことによって、私はそれを貫くことができる、誠実になることができる気がするのです。

  こう書きながら、また自己撞着におちいっている自分を感じます。なんという迷い多い人間でありましょうか。

  はっきり申します。私は真佐子さん、貴女が好きです。愛しています。生まれてはじめての恋といってよいでしょう。その貴女に、遂に今までそれを告白もせず、伴侶になって欲しいとも言わずにきました。でも、どんなに苦しかったことか。

  貴女に逢っていれば、貴女を強く激しく抱きしめたく、自分のものにしたい思いが、苦しく切なく心を揺さぶります。逢っていなければ、面影が脳裏に浮かんで、ひたすら逢いたい気持でまた苦しい。

  先月八月の末に、台風の来た日がありましたでしょう。もちろん天気予報は、防諜のため一切報道されなくなっていますから、その日嵐になるとは分かっていませんでした。ただ朝から雨もよいで、降ったりやんだりが続いていました。

  その日、私は真佐子さんのことを考えていて、どうしても貴女に会いたい。その想いを打ち消すことができなくなって、電車に乗ってしまいました。貴女の会社に向かうためでした。

  電車を降りてみると、思いがけないほど雨が激しくなっており、風まで加わっていました。嵐が来たのです。でもそんなことは少しもかまいません。横なぐりの雨の中をどんどん歩いていきました。風がますます強くなり、傘はおちょこになってしまうので、半開きにして、懸命に押さえてさしているのですが、靴もズボンもワイシャツもびしょ濡れです。

  H製薬の門が見えました。と、急に自分の中の理性が、私の頬をひっぱたくように言うのが聞こえました。

 「なんのために、今日、真佐子さんに会おうというのだ。しかもそんな格好で、受付けに行き、なんと言って面会を申し込むのだ。真佐子さんはただ当惑し、迷惑するだけだろう。なぜ今日というこの日常識はずれな会い方をしなければならないのか」

  私は急に恥ずかしくなつて、門の前を行き過ぎてしまいました。けれど足は次第にのろのろしてきて、やっぱり会いたい。ここまで来て会わずに帰るなんて、という気持になり、また引き返して行くのですが、門前まで行くと勇気がなくて入っていけない。そんなことを繰返しているうちに、会社の退け時の五時になりました。

  真佐子さんはこの頃は、いつも残業だと言っておられましたから、五時に出て来ないとは思いましたが、嵐ゆえ、電車も止まるかもしれず、残業なしになるかもしれない。と、希望的に考え、真佐子さんが出てくるのを待とうと、道路の斜め反対側の方に行きました。

  退社の社員が出てきます。思った通りでした。しばらくすると、女子社員たちが、何やら声を挙げあいながら、固まって出てきました。風雨の激しさに驚いたり困ったりの様子で、傘を半開きにして小走りになる人、一つの傘に身体を寄せ合って二人で入る人、次々と嵐の中に足早に去っていきました。

  とうとう貴女の姿が現われました。五、六人の同僚の女子社員と一緒です。その一人に何か言いながら笑顔になった真佐子さんの顔が、しぶくような雨の中に白く明るく浮かんで、どきっとする美しさでした。でも、駆け寄って行くことはできませんでした。だって真佐子さん一人ではないのですから。

  結局私は、ただ嵐に打たれただけで一人で帰ったのです。貴女の顔を見ることができたのが、せめてもの喜びでした。でも正直に申しますと、それにも増した切なさに浸されていたのです。傘は壊れ、激しい風雨に頭からずぶ濡れになった姿は、ちょうど私の心に見合っているようで、むしろ小気味よく、「嵐よもっと激しく私を打て」と叫んでいました。

  なんだか子供じみた告白で、書きながら恥ずかしさでいっぱいですが、これが恋する男のありのままの姿と、お笑い下さい。

  もしも戦争がなかったら、私はもっとずっと前に自分の気持を告白し、御両親に結婚の許しを願ったことでしょう。それをさせなかったのは、"来るべきもの"のためだったのです。

  召集されれば、死は覚悟しなければなりません。ますますそれはまぎれもないことになってきました。

  南の島々では次々と敗退や玉砕が続いており、日本の戦艦や飛行機は圧倒的に不足し、南方を死守するために、兵力つまりは若人を員数としてひたすら送り込み、消耗品として無駄死にさせることになるのです。

  覚悟しなくてはならないとしても、しかし私は、このような戦のために、死にたいとは思いません。生き抜こうと思っております。

  生きるということは、ただ生物的に肉体的に生きるということではありません。自らの魂を生かすということです。

  またまた偉そうなことを言ってしまいましたが、そうあろうと決意したのです。ずっと以前、仲間と話し合っていた時、戦場へ行っても相手を殺さない方法はあるかということが出て、銃弾を空に向けて撃つ、と言った人がありましたが、現実に極限状態の殺し合いの戦場で、撃たなければ撃たれるという咄嗟の時に、そうはしていられないのではないか。あるいは上官から、受け入れがたいような命令、たとえば捕虜を殺せとか、住民を殺せというような命令を受けた時どうするか、などもありました。入隊してしまえば、絶対服従、どんなことも抵抗はできないのだから、入隊しないようにするのがいい。それには醤油を多量に飲めば、必ず腹痛下痢を起こす。入営直前にそれをやって、即日帰宅というのがいいのではないか、などと。けれど以前は徴兵検査の、甲種合格だけが入営したのに、現在は、甲種も乙種も丙種まで全部が入営することになっているのですから、下痢程度で帰されるとは思えません。

  戦場にあって私が、自らに忠実にどのように生きるかは、いまここでは申せませんが、そのことのためにたたかうつもりでおります。

  もしも私が死んだという知らせを伝え聞かれた時は、その死はいわゆる敵と戦って 死んだのではなく、自らの信念を貫くために死んだのだと理解して下さい。

  いままで書いてきたことで、きっと何故私が結婚の申し込みをしなかったか分かっ ていただけたと思います。

  けれど私は、最後まで生き抜くことに努力して、命さえあれば真佐子さんのところへ帰っていきます。その時があるとすれば、その時こそ、結婚の申し込みを致しましょう。

  前にお話ししたことのある故郷の近くの三保の松原にも一緒に行きましょう。あの 美しい、はるばるとした海辺の風景の中に貴女を想い描く時、ああ何とそれは清らかな姿であり、夢のような風景であることか――。

  どうぞいつまでも元気で生きていって下さい。

  明るくひたむきで、けなげな貴女はそのままで本当に美しい。それが私の勇気の泉です。

  この手紙は、読了後燃して下さい。時局に合わない言辞が多く、万が一他人に見られて、真佐子さんに迫害が及ぶといけませんから。

  最後に、以前差し上げたシューベルトの歌曲集『冬の旅』の歌詞、ミューラーの詩を、前にドイツ語の辞書を引きながら翻訳してみたノートが、荷造りをしていたら出てきましたので、一番最初の「おやすみ」の一部分を記します。立場も旅も違うのですが、なんとなく気持が似ていますので――。

 

  よそ者としてやってきて

  よそ者として去っていく

  五月はぼくに好意を寄せて

  少なからぬ花束を贈ってくれた

  少女は愛について語り

  その母親は結婚についても口にした

  けれどいま世の中はひどく陰欝で

  道は雪におおわれている

  

  ぼくは旅に出るのにも

  時を選ぶことはできない

  この真っ暗闇の中で

  道を自ら探さねばならない

  雲間をもれる月の光だけが

  ぼくの道ずれ

  そして白々とした草原に

  けもの道を探すのだ

 

 はじめて弘の気持をはっきりと知った。それは彼の脈打つ鼓動が、体温が、わが身にそのまま伝わってくるように。

 真佐子は、手紙の途中から、拭っても拭っても溢れ出る涙をとどめることができなかった。

 ――そんなに私を想っていて下さったなんて……。

 ――もっと早くに言って欲しかった。

 ――そして弘さんの苦しみを、もっともっと分かち合いたかったのに……。

 涙はもう嗚咽になってしまい、机に顔を伏せて、声を忍んで泣いた。

 長いこと、そうやって泣いていたが、次第に確実になってくる一事に思い至り、全身が総毛立った。何という迂闊であったろう。

 ――彼とはもう逢えない!

 ――彼は死んでしまう!

 列車に乗って去る弘を見送った時でさえ、どこかに楽天的な本能が働くかして、もう二度と逢えないとまでは、思っていなかったのだ。

 手紙の中の謎めいた文句が、繰返し脳裏に響き返る。

「自らの魂を生かすために生きる」「自己を偽らずに生きようと思う」「戦場にあって自らに忠実にどのように生きるか」「最後まで生き抜くことに努力して、命さえあれば真佐子さんのところへ帰っていきます」

 「生きる」「生きる」「生き抜く努力」胸を打つこの繰返された言葉に酔っていた。だが、そうではなかったのだ。

 絶対服従の軍隊内と、極限状況の戦の場で、彼の信念を貫いて生きようとすれば――そしてその彼の信念とは、人を殺さないということに違いないのだが――その場その場での違いはあろうとも、結果するところ彼は死に至るしかないであろう。

 真佐子は顔を上げた。けれどもう泣いてはいない。

 どうして自分だけが、おめおめと今まで通りに暮していくことができようか!

 彼は、どの道死ぬのなら断固自分の道を選んで死ぬことを決意したのだ。それなら、どういうこともできるはず。そうだ。戦争拒否の逃亡! 二人で逃げよう。入隊前ならまだできる!

 ミューラーの詩の旅は、自ら選んだ旅。でも弘の旅は、強制された旅。旅の先にある暗黒の地獄の中で、その旅を自ら選んだ道に、ただ一人で変えようとしている弘。

 ――私も一緒にその道を歩ませて!

 真佐子は心の中で叫んでいた。

 ――悔いない生を私も生きよう!

 恐いものは何もなかった。どんなことでもできる!

 真佐子は立ち上がって、狭い部屋の中をぐるぐると歩き回った。母も妹も、今日真佐子が弘と別れてきたことを知っているので、そっとしておこうという心遣いからか、声を掛けてくることも、閉めきった襖を開けることもない。

 この決心の実行は、母にも妹にも決してさとられないようにしなければならない。

 会社はもちろん辞めてしまうから真佐子の収入を家に入れることはできなくなるけれど、幸い疎開の準備が進んでおり、山梨へ行けば、母と妹二人がなんとか生きていくことはできるだろう。

 お金――。そうだお金がない。三十日が給料日で、給料日はあさって。給料を貰ってからでなければ、汽車賃も当面必要な費用も持っていくことができない。

 弘の入営の日は何月何日だろう。二十六日付けの速達の手紙に、一週間も日にちはないと書いてあったが、一週間ないのなら六日間だろうか、五日間だろうか。五日間ではあまりに短い。入営までの間に徴兵検査もあるのだから。それに五日間しかなければ、五日しかないと書いたはず。六日間とすれば、十月二日になる。

 十月二日なら間に合う。十月一日であっても、一番で立てば間に合うかもしれない。間に合うことにかける!

 真佐子は心を決めると、気持が少し落着いて、準備に取り掛かることにした。

 涙はもう乾いていたが、汚れた顔を洗いに台所の流しにいった。それから女学校の修学旅行の時買ってもらったボストンバッグを四畳半の押入れから出して部屋に戻った。

 母の明子は、連太郎の書斎の方で、疎開先まで持っていくものの荷ごしらえをしていて見ていない。奈保子はいるが、ボストンバッグは引っ越しの支度のひとつと思うに違いなかった。

 ボストンバッグの底の大きさに合わせて、ありあわせのボール紙を切り、とっておきの和紙を裏へ折り反すように貼って整え、今日貰った弘の手紙を、底とボール紙の間に入れて糊づけした。この手紙は絶対に燃してしまいたくない。二重底の間に隠せば、どんなことがあっても人に見られることはないであろう。

 その上から着替えや、少しの化粧品や、洗面道具などを詰めた。あまり入らず、差当って必要なものだけでがまんするしかなかった。

 今日は会社を休んだが、明日と明後日は出勤しなければならないので、今日のうちに支度を整えておく。母と奈保子宛ての置き手紙を書きはじめた。

 

  お母さん、黙って出ていく不孝をどうぞお許し下さい。私は旅に出ます。あまりの急で驚かれたこととは存じますが、考えた末の決心です。でも打ち明けることはできませんでした。旅は、私一人ではなく、もう一人になるはずです。そのもう一人の方のことは、御想像におまかせします。

  お父さんがこのことを知ったらどう考えられるでしょうか。多分私の気持を分かって下さるのではないかしらと、勝手に考えております。勝手ではありますが、そう願っているのです。

  しばらく――かなり長い間――私は帰りません。私のことはどうか諦めて下さい。 そして山梨へ疎開して、お元気でお暮らし になって下さいませ。

  もしお願いできれば、会社へ電話を掛けて、真佐子は身体の具合が悪いので、しばらく休ませていただきたいと、言っておいて下さいますか。面倒でしたら掛けなくてもいいですが、もし向こうから訊いてきた時は、そのようにお願いします。

  では、かえすがえすも、勝手な振舞いをし、ご心配をお掛けする不孝を心からお詫び申し上げます。

 

 奈保子さん

  奈保ちゃんの病気が一日も早くなおることを祈っています。山梨へ行って、そして元気になったら、私に替わってお母さんに孝行をして下さいね。

  いままでも何ひとつ姉らしいことをしてこなかったのに、今またこんな勝手なこと を言う私をどうか許して下さい。

  昭和十八年十月一日

 

 真佐子

 母上様

 奈保子さん

 

 書きながら、母明子に与えるショックを思う。ずっと苦労のし通しで、あげく連太郎が獄舎に繋がれるという衝撃を受け、それ以後の言葉に尽くしがたい辛さに堪えてきた母。今またさらなる打撃を与える苦しさに、さっきとは別な涙を流しながらも、真佐子は気持を変えることはしなかった。

 置き手紙を封筒に入れ、今はまだボストンバッグの衣類の中に匿した。

 すべて支度が終わった時は、もう夕暮になっていた。

 

 

   18 道のない旅

 

 三十日の給料日、給料を貰って退社すると、その足で品川駅へ行き、静岡までの切符を買おうとした。しかし切符には枚数制限があって、その時間に行っても買えないのだった。「朝早く来て下さい」と駅員は言った。品川や東京駅でなくても、目黒でも私鉄の駅でも切符は買うことができるとのこと。そういえば、疎開の相談に明子が山梨に行った時も、朝早く行列して買ったのであった。

 切符は明朝早くに買わなければならないが、自宅の近くの私鉄の駅で行列などしていて、もし母に追って来られたりすると具合が悪い。

一番電車で目黒駅へ行って買おうと思う。真佐子は帰宅して、もう母と妹は夕飯の終わってしまっている卓袱台の前に坐り、一人で粗末な夕食を食べおわると、また自室に閉じこもった。昨日退社後に神田へ寄って、地図の専門店へ行き、静岡県や静岡市、山梨県などの地図を買ってきた。

 前に弘から貰った年賀状に記されている自宅の住所を地図で探して、おおよその見当をつける。

 山の中に隠れるとすれば、静岡県も山梨県も山は多く、どのあたりがよいかを地図を見ながら考える。

 弘には、入営の師団に向かう列車を途中で秘かに降りてもらい、打ち合わせた駅に真佐子が先に行っている。

 列車の切符はすぐには買えないので、明朝買う切符も往復切符を買っておく。

 給料はそのまま持っていく。いつも家に入れるお金も渡していない。申し訳ないけれど許して欲しい。

 あれこれ考え続け、夜はすっかり更けていた。

 明日は、行動の日。朝早いので寝なければならない。シューベルトのレコードともお別れなので、最後に『冬の旅』を聴きたいと思う。

 奈保子たちの眠りを覚まさないように、ハンドルを回してレコードに針を置くと、蓄音機の蓋をし、その上から座布団をかぶせた。

 男性バリトンのささやき掛けるような歌声が、低く流れる。

 弘が書いてくれた歌詞を心に浮かべながら耳を傾ける。哀愁漂うやさしい旋律と思いながら聴いていたこれまでとはまるで違う感じがする。

 何だか胸がしめつけられるように苦しい。

その苦しさは、歌曲が進むに従ってますます強くなってきて、命が絶えてしまうかと思うほどになってきた。

 今、命が絶えるわけにはいかない。真佐子は、蓄音機の針をあげた。

 電気を消し、夜具の中で眼を閉じる。けれど脳裏に記録された旋律が、繰返し繰返し聞こえてき、同時に弘の面影が浮かんでくる。

 多摩川堤に行った時、真佐子を抱きしめ口づけをしたあの時のこと。手紙の中にあった嵐の中、風雨に打たれてたたずむ弘の姿。帰国する彼を見送った時の、あの痛苦ともいえる悲哀にみちた顔。

 心が昂ぶっていてとても眠れそうもない。何度も輾転反側して、うつぶせになった時、ふと自分の心臓の音を聞いた。

 どっと どっと どっと どっと、規則正しく秒を刻む時計のような搏動の合間に、ど ど ど ど ど、と急を知らせる太鼓の早打ちのような音が入るのである。まるで真佐子の決意と行動に賛辞を贈るように。

 ずっと以前、山梨の田舎に行った時、屋敷の前に大きく枝を広げ高く佇む欅の大木に、従妹に教えられて奈保子とともに、幹に耳をつけて樹木の音を聞いたことがあった。

 木が生きて呼吸している。血液が流れている。その時の驚きと感動が甦ってきた。

 あんなにも枝を広げ、葉をしげらせる力。樹木にもある、真佐子にも一層あるこの生命の意志の搏動。

 ――明日、行きます。必ず成功させましょうね。

 真佐子はそう弘に呼び掛けていた。

 

 昂ぶる心に加えて、寝過ごしてはいけないと思う緊張から、とうとう一睡もしないうちに午前四時がきてしまった。

 そっと起きだして布団を畳み、着替えをする。顔を洗いに台所へ行くのは物音がするのでやめ、化粧水で拭いてクリームだけをぬった。ボストンバッグから、前に書いた置き手紙を出して、畳んだ布団の上に置く。

 足音を忍ばせて玄関のたたきに下り、音のしないように気をつけながら、鍵をあけてガラスの格子戸を開けて出る。

 門を出て、二十メートルほど歩き、角を曲がって坂道に出ると、そこからは坂を小走りに駆け下りた。

 あたりはまだ暁闇の中に静まっていて、コンクリートの坂道に靴音が響くのが気になり、心は逸るが、途中で走るのをやめ、大股にそっと足を運ぶようにした。

 この町、この坂、この家並みをもう二度と見ることはないだろうとの思いが、ちらと脳裏をかすめたが、それはほとんど心に掛からず、むしろ母に気付かれはしなかったかが気になり、時々後を振り返ってみた。でも追ってくる母の姿はなかった。

 駅に着くと、列車の切符を買う人の行列がすでにできていたが、真佐子は昨日考えた通り、目黒駅で買うことにする。

 一番電車には、座席の三分の二ほどの人が乗っており、こんなに早い時間から、会社や場に行く人の多いのに驚かされた。

 目黒では、三十分ほどの行列で静岡までの往復切符が買えた。

 東京駅からの東海道線には順調に乗れた。といっても座席に腰掛けられた人は、もっと早くに来た人たちで、真佐子は通路に立って座席の脇に身体をもたせかけるようにしていた。後からもどんどん人が詰め込んできて、通路もびっしりになってやっと列車は発車した。

 二宮を過ぎた頃から窓外に青々とした海が見え、午前の光を映してさざ波がきらきらきらめいている。海が遠退くと田圃が広がり、色づきはじめた稲が畳を敷いたように見える。こんなに困窮した食糧不足の時勢でも、稲は育っていた。でもよく見ると、見渡す限りの稲穂の波ではなく、ある面積に区切られていて、部分部分荒地や、申し訳のように野菜が植えられている所が多いのは、やはり人手不足のせいかもしれない。

 真佐子は、自分の決意に迷いを感じることは少しもなかったが、さすがに静岡に近づくにしたがって、不安が増し、突発的に胸の鼓動が高まるのがはっきり分かった。

 初めて会う弘の両親にどう思われるだろうか。何と挨拶したらいいだろう。弘と二人だけになる時間が持てるだろうか。なにしろこの計画は、急に真佐子が一方的に決めたこと。その計画を秘かに弘に伝え、彼の同意を得、待ち合わせの場所など、必要なことを打ち合わせることができるだろうか。

 思えば、この計画は実に大それたもの。国家に対する反逆の、国賊の計画であって、命を賭した行為なのだ。

 逃亡の途中を見つかって追われ、なお止まらずに逃走したら、拳銃で撃たれるであろう。殺されるか、深傷を負って捕まり、弘は憲兵隊に連行され、軍法会議にかけられ、重営倉か銃殺になるだろう。真佐子もまた特高警察に送られて、父連太郎と同じ扱いを受けることになるだろう。

 でも真佐子は、そのような最悪の結果を比重として大きく考えてはいない。

「真佐子は、楽天的なところがいい」

 父も母からも言われたことがあるが、悲観的な考えは、あまりしない方なのだ。

 網の目のように張られた官憲の眼から逃れるためには、人里離れた山の中に入ろう。平安時代の人々の旅寝のように、木の枝を組み合わせ、茅や蔓草で上部を覆った仮屋を作ろう。

 弘と一緒ならどんなことでもできるし、堪えられる。とにかく弘とは、一時も早く、早く会いたい。列車の走りがひどく遅く感じられた。

 やっと昼頃に静岡に着いた。

 まったくはじめての駅であり、街であった。前もって地図で見当はつけていたが、今また地図を取り出して見る。弘の家の所番地のあるところは、南東の方向へ約一粁ほど行ったあたりのはず。

 歩いていく道路の両側は、店を閉めた商店が多く、街全体が埃っぽく沈んでいて、東京の場末の町とあまり変わらない。辻々には、「撃ちてしやまん」とか「そうだ一億火の玉だ」とか「鬼畜米英を撃て」などの標語を書いた立て看板が立っているのも同じである。

 真佐子は、商店や家々の軒先の所番地を、しきりに読みながら道を急いだ。

 目指す家の在り場所を人に訊くのは、後で噂になって松浦家に迷惑をかけてはいけないので、訊かずに探す。

 垣を回らした住宅の並ぶ一画へ来た。このあたりと思われるが、なかなか松浦の表札を見つけることができず、行きつ戻りつしばらく迷い歩く。

 とうとう見つけた。板塀に屋根のついた門構えのある古いがかなり立派な家。門柱に色あせた木の表札。墨文字で「松浦」とある。

 以前弘から、お祖父さんは、海軍の軍人だったと聞いたことがある。そのため弘の父親は、昭和初期プロレタリア文学運動に入り、軍人の父との間に、苦しい軋轢があったのだと。今はもうその祖父は亡くなったとのことだが。

 門の前に佇んだ真佐子は、しばしの気後れにためらった。

 家の内はしんと静まっていて、一両日中に出征していく若人を送るざわめきなど少しもない。奇妙なほどの静謐が支配している。

 またしても胸の鼓動が急激に高まり、息苦しい。

 思い切って、脇門の潜り戸を押して門の内へ入った。玄関までの敷石を5メートルくらい進んで、ガラス格子の前に立つ。

「ごめん下さい」

 声を掛けたが応えがない。

「ごめん下さい」

 声を高め、耳をすましてみるが家の内に気配はない。三度、四度繰返したが同じであった。

 見回すと、敷石脇の潅木の植込の向こうに、小さい枝折り戸があって、そこから庭へ回れるようになっているが、そちらへ入っていくのはとてもできかねて、玄関のガラス戸にそっと手を掛けてみた。すると鍵は掛かっておらず、少し開いた。

 たたきには一足の男物の下駄が置いてあるだけで、他の履物は片付けられており、きれいに掃除されている。

 そこからまた声を掛けた。少しの間があったが、人の出てくる気配があり、現われたのは、真佐子の母明子より少し年配に見える女の人。弘の母親だろうと直感する。細面の顔立ちも似ているように思う。

 和服のもんぺ姿で、ひっつめの髪の後れ毛を気にしながら、玄関部屋に立ったまま真佐子をいぶかし気にみつめた。

「どなたでしょうか」

 真佐子は何故かいま自分が、迷子の子犬のような眼で、その人を見上げていると意識しながら、

「一ノ瀬真佐子と申します。松浦弘さんのお母さまですか? 弘さんはいらっしゃいますでしょうか」

 最後は息切れで声が続かないほど一気に言った。

 はっとした様子が顔色に走って、その人はその場に膝をついた。

「一ノ瀬……さん? 東京の……」

「はい」

 真佐子はその人が、自分をどの程度知っているかを、すばやく思い回らした。一ノ瀬という姓が、松浦和介の昔の友人ということは知っているだろう。弘がその家を時たま訪ねているということも。けれど娘がいて、弘がその娘をどう思っているかということまでは……。

 でも母親の直感が、何かを感じとっていることは、真佐子に分かった。

「東京からわざわざ……」

 その人は、ちょっと遠くを見るような眼差しになった。すると淋しさの滲み出たうつろな表情になった。

「弘に会いにきて下さったの?……そうなのね」

「はい」

「そうですか」

 その人はかすかな溜息をついて、ほんの少し間を置いた。

「せっかくでしたけれど、もう弘は出発してしまいました」

「出発? いつ? いつ行かれたのですか」

 真佐子は急き込んで訊いた。

「今朝、早くに」

「どうして……どうしてそんなに早く……なぜ……」

 目の前が急に真っ暗になり、くらくらとした。

「ほんとにどうしてそんなに早く、なんでしょうね。あの子は家に帰ってきて、たったの三日しかいなかった。そのうちの一日は徴兵検査に行きましたから、丸一日いたのは、昨日だけなんですよ」

「……」

「以前は出征兵士を送る時は、町内中が集まって、飲んだり歌ったり、楽隊入りで送ったものでした。いえ、そんなことはしてもらわなくていいんですけど、とにかく今は行き先も秘密、見送りさえ肉親一人だけということで……。わたしは心臓が悪くて、お医者さんから注意されているものですから、父親一人が送って行ったのです」

 真佐子が会いに来る前に、入隊してしまうことがあるかもしれない。ちらとよぎる不安がなかったわけではないが、やはり、こんなに早くとは思わなかった。

 その人の話は、もう半分くらいしか耳に入らず、血の気がどんどん下がっていき、地面に吸い込まれていく感覚に堪えていた。

 ――どうしよう……どうしよう……。

 意味もない呟きを胸の内に繰返しながら。

「まあ、ちょっとお上がり下さい。わざわざ東京からいらっしゃって、お疲れでしょう。さあ、どうぞ」

 しかし真佐子は、その気になれなかった。

「いえ……でも……私……帰ります」

 やっとのことで言い、さらにも勧める言葉を振り払うようにして、外へ出てしまった。強情過ぎ、相手を傷つけたようにも思えたが、そもそもこの人をも苦しめる計画を抱いて訪れた真佐子には、自分の気持を偽って淋しさを慰め合うような会話は、とてもできない気がした。

 外に出ると、脚がふらついた。朝起きてから何も食べていなかったが、空腹の意識などなかった。茫然として、力も意志も失われた足をひきずり、どこをどう通ったか分からないながら、駅前通りに来ていた。

 ふと、はっきりと思い浮かんできたひとことがあった。弘が手紙の中に書いてくれたこと。

「故郷の近くに美しい三保の松原という海辺がある。命さえあれば、二人で一緒にそこへ行きましょう」

 ――そうだ。三保の松原。

 駅へ行き、駅員に三保の松原へ行く方法を訊くと、バスがあるからと、駅前のバス停を教えてくれた。

 一時間に一本のバスを三十分以上待ち、満員のバスに乗った。しばらく街の中を走ってから、海とは少し離れていいるようだが、海沿いと思われる道に出た。右手の方に海があるらしいが、道沿いにひなびた家が建ち並んでいて直接は見えない。道は埃っぽく、次第に人家もまばらになって、時折海が見えたりした。満員だった乗客は次々と降りて、車内はがらすきになってきた。五、六十分も乗ったかと思う頃やっと目的のバス停に着いた。降りた人は真佐子一人。

 江戸時代の昔から名所として知られていたらしい美保の松原だが、緊迫した時局ゆえ、物見遊山に訪れる人などいないのだろう。

 その停留所からは見えないが、真佐子は一人、海と思われる方向へ歩いていった。

 松林が見えてきた。太い幹をくねらせた大きな松の木が幾本も幾本も続く砂丘を登っていく。

 ごつごつした鱗を持つ大蛇ののたうつ胴さながらの松の幹は、海風を受けたためか、砂丘の地面に平行に伸びて、人が手を掛けたり、乗ったりすることが容易な形になっている。天から降りてきた天女が衣を掛けたくなるのも当然のように。

 これらの松は、何百年も経っているのだろう。いかにも歴史を感じさせる古さびた風格がある。

 松の間から海が見える。なだらかな斜面の砂丘を海辺に向かって下っていく。松林は途切れて、広々と果てしなく続く砂浜と、茫洋とした紺碧の海原が広がる。

 何とまあ、気の遠くなるような広がりだろう。海水に洗われた汚れない砂浜は、左右にどこまでも続いていて、人影一つなく、海は白波を立て、潮鳴りを響かせながら規則正しく永遠の営みのように寄せ、水平線と空とは融けあって、地球と宇宙を繋いでいる。

 ふと左手に視線を移すと、はるか彼方の高い天空に、誇らかに孤高の富士が、蒼く清らかに浮かんでいる。

 海際に近づいて振り返って見ると、背後の松林は遠くなっていて、砂地には真佐子一人の足跡が残った。

「弘さん、あなたが二人で来ようと言ったこの美しい浜辺に、いま私は一人で来ました。あなたがおっしゃった通り、何とすばらしい海辺でしょうか」

 真佐子は弘に向かって話しかけていた。

「こんなにも雄大で、こんなにも清らかな自然を見ていると、人間の小ささ、醜さ、戦争の愚かさをつくづくと感じます。……でも弘さん、あなたはあんなにも憎んでいた醜い戦争のただ中へ行ってしまわれた!」

 眸から涙がほとばしり出てきて、全身の力が抜け落ち、真佐子は、崩折れるように膝を折った。両手を砂地について、やっと倒れそうになるのを支えたが、眸からは限りなく涙がしたたって砂地を黒く濡らした。

「あなたは、私をあんなにも愛して下さるとおっしゃりながら、私一人を置き去りにして行ってしまった。もっと早くに打明けてくださったら、こんなことにはならなかったでしょう。おそらく弘さんあなたは、戦争を忌避するための方法として、私が計画したと同じようなこともお考えになったことがあったのではないでしょうか。あなたは、克己の精神がとても強くて、私を巻き込んだりはしまいとお考えになったのでしょう。でもそれは、本当の愛ではありません」

 取り残された絶望感に打ちひしがれて、真佐子はとめどなく泣き続けていたが、弘が最後に引用して書いてくれたミューラーの詩の一節が、また浮かんできた。

 その弘の手紙は、傍らに持っているボストンバッグの底に大切にしまってあるが、それを取り出さなくてもすでに暗記していた。

  ぼくは旅に出るのにも

  時を選ぶことはできない

  この真っ暗闇の中で

  道を自ら探さねばならない

  …………

 彼の自ら選んだ道のことは、昨夜もずっと思い回らしていた。

 軍隊に入り、戦争という地獄の中で自己を貫くという彼の道――。

 けれど今、真佐子は突然、さっき会った弘の母親のことに、考えが及んだのである。

 彼女は心臓が悪いと言っていた。真佐子の母も最近心臓の発作を起こして苦しむことがあるが、弘の母はそれ以前からかもしれない。

 真佐子の計画を弘に伝えることができたとしても、弘は、その計画を実行に移すことはしなかったのではないだろうか。

 徴兵忌避が、本人のことはあえて度外視しても、その家族に及ぼす徹底的な迫害、官憲はもとよりのこと、社会・世間全体でする有形無形の苛酷な糾弾は、家族の心を打ち砕き、健康な人をも病気にしてしまうほどのものだ。

 心臓の悪い母を持つ弘に、それはできないに違いない。

 弘は表面従属をよそおいつつ入隊し、反抗の生き方を貫く覚悟だったのだ。その挙句が死であろうとも――。

 ――あなたの苦しみに比べたら、私のこの涙など、なんと安っぽいものでしょうか。

 真佐子は顔をあげた。熱をもって脹れあがった瞼に、暮れ方近い海風が冷たく触れた。

 見上げると、空はだんだら模様に金色に染まっていて、刻一刻とその形を変え、色合を変え、濃い紅色を加えていく。

 かつて多摩川の岸辺で弘と逢った時の夕焼けは美しかった。だが今日の夕空はそれどころではない。激しく変化していく蒼黒い空に、すさまじく血を流したような幾条もの真紅の川。川は流れを変えながら地上へ海へ血を注ぎ込むかのようだ。

 夕日はどこなのかと見回すと、背後に巨大な屏風絵のように続く松林が、西の方角であるらしく、いままで気がつかなかった太陽が真っ赤な火の玉となってそこにあった。松林は金屏風さながらに輝いているが、太陽は沈むに従って、ますます溶鉱炉のように燃え、自ら製作した金屏風さえ、焼き尽くそうとするかにみえた。

 前方の海は逆に暗色を帯びてきて、さっきまでの茫洋とした雄渾さを、底知れぬ恐ろしい魔物の相貌に変えた。魔物の海は、おどろおどろしくうねりながら、どどう どどうと唸り声をあげる。

 この海の彼方に、愚かしくもさかしらな人間によって、繰り広げられている地獄がある。その地獄の果てへ、あの人は連れ去られていく。

 ――ああ海よ。恐ろしいうねりの魔物よ。あなたの力を貸して下さい。あなたを畏れる心をもっと人の心の中に――。

 ――ああ太陽。激しくも壮絶に燃える落日よ。あなたはあたりを焼き尽くそうとするのですか。それとも明日の再生を約束しようというのでしょうか――。

 なすすべもなくそこにいて、ますます自らを小さな存在と意識する真佐子は、いまはただ祈るしかない気持であった。

 祈るということをこれまで真佐子はしたことがない。無神論者の父連太郎は、家に神棚を作らなかった。神社の前で祈ったこともない。

 日本の国の神ではない。どこかの国の神でもない。人が造った神ではない。神という名が似合わなければ別の名前をつけたらいい。

 真佐子はただ、この大自然の中に正座して、いつまでもじっと祈っていた。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2006/09/25

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森本 房子

モリモト フサコ
もりもと ふさこ 作家 1929年 東京都に生まれる。世阿弥を描いた『幽鬼の舞』で埼玉文芸賞受賞(1980年)。

掲載作は「創樹社」(1999年8月1日)刊。

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