紫の記憶
「あなたのオーラは紫、いや、もっと青みがかった、そう、青紫ですね」
突然、隣の席の男にこう言われた。
「えっ?」
「一般的に、よく着る服の色と、その人の持つオーラの色は一致しやすいと言われています。あなたのオーラは、青紫でしょうね」
確かに私はその日、濃いロイヤルブルーのサマーセーターを身に付けていた。しかしだからといって突然、名も知らない男からオーラの色云々などと指摘されようとは、思いもよらぬことだった。
「あの……?」
困惑したまま口ごもると、
「あっ、これは失礼。つい自分の悪い癖で、頼まれもしないのに見たことをそのまま言ってしまうんです」
「見たって……、本当に見えるんですか」
「はい。あっ、誤解のないように言って置きますが、僕は別に、今流行りのテレビ番組の受け売りではないんです。ちょっと特殊な訓練をすれば、誰でも他人のオーラが見えるようになるものなんです」
私は、半信半疑のまま、男の話に少なからず興味を覚えた。
そもそも見知らぬこの男と、隣の席になったのも単なる偶然だった。在京の新聞社の文化面に「古代の仏教文化」をテーマにした講演会の案内を見つけた。週一回、全三回のコースだったが、少し迷った末に申し込んだ。
残暑の厳しい八月末のその日、早く行って冷房の効いた会場で、涼んでいようと目論んだ。開演よりも一時間も前に着いた。
案の定、私のような発想の人間が何人もいた。三人掛けの横並びのテーブル席だったが誰もが一人で座っていた。
私も一番左の列の後ろの方に陣取った。開演時刻が近づくにつれ、前の席から埋まっていった。どうやら熱心な参加者が多いらしい。
私の隣はずっと空席だったが、開演直前に男性が一人滑り込んだ。
その時は、別段男の様子に不審なものは感じなかった。よくいる学者タイプでも少々あか抜けた雰囲気の人だと思った。
しかし私の脳裏には、その男のことよりも「紫色のオーラ」という言葉の方が、鮮明に焼き付いてしまった。
確かに私の身につける服は、紫系が多かった。紫そのものというよりも、赤みの入ったワインカラーや青みの強いバイオレットなどと、その幅はあったが、紫系は一番好きな色だった。そしてそれは、今に始まったことではない。二十年も前に遡る。
私が東京の大学に入ってから二年間ほど、神奈川の伯母の家に間借りしていたことがあった。
伯母の家は、以前から二階の三部屋を貸間にしていたのだが、娘たちも大きくなり、私も世話になることになったので、その時他人は住んでいなかった。二階の六畳間に落ち着いてようやく眠れるようになった頃、私が買ったばかりの紫色のコットンシャツを羽織っているのを見た伯母が、こんなことを言い出した。
「その服を見ると、ある人を思い出すよ。もう、だいぶ前になるけど、あなたの部屋に住んでいた女の人を」
「どうして?」
「そんな紫色ばかり着ていた……」
伯母はそれ以上は、言わなかった。私もさして気にも止めなかった。
それからしばらくして、私が初めて入ったブティックで衝動買いした、黄色と紫の細かいチェック柄のロングスカートをはいていると、再び伯母が口にした。
「どうしても、あの人を思い出してしまう」
さすがの私も気になって、そのわけを尋ねた。そして私は、半ば驚き、半ば呆れた。伯母が私を、からかっているのかと思ったほどだ。しかし、紛れもない事実だという。
数年前、二階の三つの貸間に三人の
姉には、当時の大蔵省のエリートである恋人がいた。しかし、弟妹が学校を卒業するまではと考えて結婚はせずに、いわゆる別居結婚のような交際を続けていた。恋人の名は、「木村」といい、週末毎に姉の部屋に泊まっていた。
きちんとした性格の姉は、そんな事情を伯母に説明していたのだ。「いずれ、正式に籍を入れますので」と。
そんな生活が続いていたある日、突然木村が、姿を見せなくなった。彼女が勤務先の銀行がらみの汚職事件に巻き込まれてしまったからだ。そのニュースは、連日テレビでも報道された。当時、中学生だった私にも、その記憶は残っていた。
「きっと、自分の身が可愛くなったんだよ」
伯母は、通ってこなくなった姉の恋人を、そんなふうに言った。そして
「でも、姉さんの
それから姉は、身の回りの物全てを、黄色か紫色のものに買い換えるようになってしまった。フェイスタオルはもちろん、歯ブラシもスリッパもそして着る服も、全て黄色か紫色になった。特に着る物には紫を好んで、上から下まで紫づくめの格好をする事まであったという。
「いったい、なぜ?」
私の素朴な疑問に、伯母は一瞬口ごもった。
「それは……、相手の名がキムラだったからさ」
意外なほど幼い発想に私は唖然とした。気が変になるほど、好きだった男の名前。その名前にこだわる余りに、のっぴきならない所まで行ってしまったというのか。
「結子さんは、晴れて木村の姓になれる日をずっと夢見ていたんだよ。弟と妹が学校を卒業して就職するまでは、学費を稼いでやるために必死で働いていたんだ。彼と結婚できる日を心の支えにしていたんだろうね。
けれど頑張っていた仕事が原因で、とんだ落とし穴に落ちてしまった。いくら正式な夫婦でないとはいえ、相手の立場上、二人の関係が明るみに出たら、大変なことになる。
それで泣く泣く別れたんだろ。でも、やっぱり心の中では納得できなかった。執着も強かった。そしてとうとう気が変に……。
そのうち、ご近所でも評判になってしまった。上から下まで紫色の人が、同じ紫色の買い物かごを下げて、ふらふら出歩いているってね。私も
結局、弟と妹が、泣きながら姉を連れて、田舎に帰って行った。実家には両親もいなかっただろうに……」
一部始終を私に話して、伯母はため息を吐いた。
「本当に、気の毒な人だったよ」
この私が紫色の洋服を着るようになったことが、伯母の封じて置きたかった記憶の蓋をこじ開けることになってしまった。
それにしても、将来を約束した恋人の名前にこだわる余り、その色にまつわるものしか受け付けられなくなった人の追い詰められた精神を、なぜ赤の他人である私が同じ部屋に住んだというだけで、受け継いだようになってしまったのか。自分でも奇妙で仕方なかった。が、気味が悪いとは思わなかった。ただ、彼女が憐れでならなかった。
それから二十年、ずっと私は紫色を好んで着ている。もちろん、他の色の洋服も着る。しかし、圧倒的に紫系が多い。
カラーセラピーによれば、紫は「重いストレスで悩んでいたり、体調がよくない時に綺麗に見える色」だという。そして更には「病を癒す力がある色」ともいうそうだ。
結子さんと私は、まさにそんな状能で、精神的な波長が合ってしまったのだろうか。
その後、結子さんの弟と妹がどうしたのか伯母は知らない。まして、例の恋人がどうしているのかなんて、知る由もなかった。
講演会の二回目、私の隣に例の男はいなかった。実はその日、私はダークグリーンのジャケットと同系色のスカートを身に付けていた。わざと紫系を避けたのだ。男の目にはどう見えるだろうかという、ちょっとした好奇心と照れ臭さの混じった処置だった。
翌週、三回日の最終日、私は素直にパープル系のブラウスを身に付けて、講演会に出かけた。すると、入り口の所に、例の男が立っていた。
「やっぱり、今日は紫色ですね」
男は当り前のように声をかけてきた。そして私の隣に腰を下すと、
「いつも、一方的にお話して申しわけありません」と、意外なほど素直に謝った。
「実は、あなたの紫色を目にしますと、どうしても思い出してしまう人がいるんです。かつて僕が……。いや、なぜだか僕は近頃、自分の名字にこだわるようになりまして、特に紫色が気になって仕方がないんです」
私は、ハッとした。そして高鳴る動悸を押さえながら、恐る恐る尋ねた。
「もしかして、あなたのお名前は……」
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2008/02/13
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