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鏡ノ場

  「ぬけ」

 

球根を水だけで育てる術を知っていた

陽を浴びて若い緑色をトンガラせてゆく

植物の先端を剣にみたてて

次のしごとに悩む女であった

 

くのいち、くノ一、苦の位置。

ことば遊びでは逃れられない

悲壮になろうと思えば

意に反して悲愴だけが尾をひいた

 

女の御庭番というのはいかにも邪ノ道

ヘンチクリンでござる––と言われてしまい

心が乱れた

不動心でありたい

 

平常心を保つこと

死に顔は他者にけっして見せぬこと

大小便は極力怺え一定の場所にて放つこと

巨きな爬虫類の野太い精神力を()

鷹のように素早く

とことんしぶとい

使命や掟は鵜呑みにして自らの解釈を加えない

理想はいつの世もあくまで理想である

 

燻銀の半月が出た翌日

庭木の枝を落とす

葉をあつめ「木の葉隠れ」用に袋へ蓄える

草を刈るあるいは

草の丈を長く活かしてそろえない

ああばうばうの八重葎(やえむぐら)

池の鯉魚に餌を与えてから旅立つさ

「さらば、

亀鳴くな」

キウ。

 

手裏剣はなく

大小もない まきびしもなく

目潰しも 含み針も 吹き矢もない

ないないづくし

あるのは胸の谷間の匕首(あいくち)

愛くるしい濡れた唇

 

これから向かう西方城下(さいほうじょうか)への途中

この世とは思えぬ美しい海があるらしい

まほろばの景色に魅入られて命を落とす

しのびのものも多いと聞く、

が。(しってる?)

本当はそこで自刃するのではなく

断崖絶壁から飛び込むのでもなく

舌も噛まぬ

ここで消える者たちは裸身になり

磯の満ち潮に入ってウミウシに変身するのである

 

そしてあたたかい入江で

透きとおった空気や潮を感じながら

やわらかいからだをぬくぬくさせ

(きもちいいんだからあ)

もう再びひとにはもどらず

(アメフラシましょう)と

天を指すふうに触覚を揺らし

 

ゆうゆうと天寿を全うできるんですって。

そうするがええ。

そのほうがええ。と

恵比寿さんもおっしゃっている

おたんちんでいい。

ちゃらんぽらんでいいもん。と

あたいも掟は破り捨てちゃうんだ。

しのびがうらの

ぬけ(にん)のふぬけ

の立て札の裏に

ふぬけでけっこうけつまがり

の落書あり

 

 

  「シオヒカリ」

燐寸のひ

日吉のひ

煙草のひ

しおひのひ

蛍のひ

かなたのひ

ひとりのひ

青白い火が

しおれた線を描いて落ちていった

三階からそれを見ていて

ありきたりの飛び降りかと思ったが

コンクリートに荷物を投げ捨てたような音はない

(捨てる、なにを)

隣からバイオリーン

血があふれ出すくらいのいきおいで

音と音と音と音がつながって流れてくる

ぬぐっていると

次第に夜空から雨がくる

暗闇ラジオから

明日の最高気温は今日より10度も

高くなるでしょう。という声がする

わたしの明日の体温は今日より10度も

低くなるでしょう。と呟いてみる

なりはしないのだ

明日の最高気温が今日より10度も

高くなど

窓から下をのぞくと

青白い火の粉をまとった人が去ってゆく

体中に光る虫をたからせているのか

それが自慢なのか

背筋をしゃんと伸ばして

おいっちにおいっちにと遠ざかってゆく

あはは軍人さんみたい。

細かい水の粒が舞っている路上で

青白いはずのヒトデの星が

鈍色に光っている

「正体みたり」とわたしの中の隣人は

バイオリンをほっぽりだして

熊手投げ込んだバケツを持って

階下へふっとんでおりてゆくのだった

 

  「夜気みちて」

  (ああねむ)

  (眠ると死ぬよ)

!机上を見よ。

あか、あお、みどり、き、だいだい色の

包み紙を輝かせながら

キャンディーたちが漆黒の盆の上で

めまぐるしく旋回舞踏している

それぞれの色が呼びおこすくだものの

匂いが混り合って

空気が反時計まわりに動きだす

 

何がいるのだろう、この部屋

長距離を走る少女の鼓動と

息づかいが聴こえ

時どきカキッコキッと関節が鳴る音

(消灯のあと闇に強い性質を有つのは

男か女か)

 

生まれた場所から長時間かけて

随分遠い所へ来てしまった

雪が地面から吹き上げることも

あるという冬の街だ

自分のかたわらにいたひとはすでに皆去り

わきを見れば

大きな四角い空欄になっていて

寄りかかりようがない

その四角の中にも雪は降りしきるという

 

薄氷の夢を剥がし裏返すような不安

徐々に凍結してゆく、ひとり

しじまをくずすために

声をひとりごとでくりだす夜半の部屋

メキメキッと首の関節を鳴らす音が

また響き

鏡に白い指がばらばらとよぎっていった

 

もし浅葱色の<うらめしや>が

この空間にまよっていたとしても

それはいやではなく怖いことでもなく

むしろ親しげなにおいと気配だから

どうぞ、

「遠慮せずにその窓側の椅子で

やすらいで下さい」

夜中のとぼしい街のあかりを濡れた窓ガラス越しにながめて

 

うやむや

この世をどう離れてゆくかを(うやむや)

闇にまぎれて(うやむや)考えないようにする

むにむに。

シゴノコトハシゴニカンガエルヨウニ

 

  「鏡ノ場」

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現在の厭なこと

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ベニヤ板

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そこで

打ち水

 

悪くて情けない男は

ささげの儀に(えら)ばれた者でもあり

死のおどりのあと

重ねたベニヤ板にのせられて運ばれる

現場では子どもたちが手に手に

鏡をもって男の図体へ太陽光を反射させている

血の輝く肉体の表面に

光の束を当てる

かわきますようにかわきますようにと

誰もが念じてはいない

仰のけに倒れて石塊の夥しい地面に

後頭部をしたたか打ったね。

左様。

もうかえってこないね。

左様なら。

 

あとで

血の付着した小石を丁寧に摘み集めて

小さい山を作った

浜辺の砂山のように崩れやすい

その上に黒い赤子の頭大の石を載せ

子どもたちはまた

鏡を用いて陽光を

塚に当てはじめる

ここでコーラスが入るはずなのだが

前奏は。

ん、まだです。

ウン・タタ

打ち水で

其ノ場が浄められる

塩は。

ん、まだです。

 

雨季の晴れ間の強い太陽を自らにあつめて

身もこころも焦がしている次の男

恋愛や性愛に心身を燃やし尽くすよりは

とても理想的とあの世の母も

笑顔で許している

まったく思想や表現のためではない

「生贄の誉れ」ということを念じているらしい

だれのために

なんのために

裸身で

はだしのひふから傷つき

さいごは昏倒するだろう

その時

はいっ。

手鏡を胸の高さにたもって

子どもたち登場

「コロスッ」

いやいやあ

いやいやあ

 

  「お茶碗」

お手やわらかにと挨拶をして

茶室に入ると

じんかん人間いたるところぢ地ごく獄あり

と書かれた(ふりがなつきで)軸がかけられている

主人に地獄とはつとめですかと訊くと

まぁ、そう、あと かていとかさ。

とこたえる

茶がでる

実はこいつにゃ銘がねぇんだよ、

気楽な愛称でいいから

あんたよびなをつけてやってくんねぇか。

と言われる

すがすがしい茶の湯だ

緑に目が洗われる

ずずずーいっと啜ると底から

あっしの名まえ何とかなりませんか、

と陽気な声がする

そうさなぁ、

すぐは無理だな、次逢うまでに。

と告げると

あるじも笑ってうなずいている

 

礼を述べて

通称蛇のみちをくねくね帰ってゆくとき

蛇行する道の、ちょうど川なら

三ヵ月湖のできているあたりで

ごろんとシンノスケが寝ころがっていた

(大儀そうであるな)

<カホーハネテマテサ>

シンさんは本気を出せば

箱根八里もひとっとびさ

前脚のつけ根の上あたりから大翼が生えて

ぴかぴかの大空へねバサバサアッ

 

薄暮には少し早い空を仰いだ

古い風景画にあらわれる形の

雲の隙から

おっさんの髭面がぬっと出て

ニカッと笑って消えてしまったことがあった

少年の日の初夏のできごと――

皐月の暮れ方は

天空はまだ青いのに

地上のものは全て黒い影に包まれているふうだ

じきに雲間の髭男についても

忘れてしまっていたのだった

蛇のみちを歩きながら思い出された

雲割ってぬっと出現した男の破顔

それは少年の

四十年後の

笑顔だったとも

(自分の子供時代は心配または興味に値するだろ)

 

浮雲の上より

下界を覗くと

くねくねした道を少年がゆく

その子はいずれ

ある名器の名づけ親となるべきひとだ

 

 

  「はてな」

 

いましがた

火あぶりにあったひとが

泣きながら路地を去っていった

後ろ姿に水色の炎を背負って

おもいだしてみるがいいさ。

今朝の空は朱色に染まり

水ぜめにあったひとが

水をのんでのまされてげげっ

かえるのようにはいつくばって

目をむいていた

昨晩おそくになって狐の声

ぞろぞろと路にあふれる

花嫁の群れと化粧の匂い

女の頭の上には小さな雲や

かぼそい音の渦巻がのっかっていて

賑やかな夜中の光景となっていた

ゆめみちゃんかすかちゃんきわみちゃん

とひとりひとり名を呼んで

別れを惜しむべきだったかもしれない

芝居ならそうしたにちがいない

科白(せりふ)

暗闇の中からあらわれるものは、

魔手ばかりではない。

クロベエも出たわね。

それは猫だろ。

とか、路地風は時の背を押し

いま鳴いた鴉が

もう笑いながら

ひとをつつく

五月末日晴れない

朔日未だ晴れない

 

 

  初出

   「ぬけ」・・・「ポイエーシス・2000」(銅林社)2000.8

   「シオヒカリ」・・・「孔雀船」60号 2002.7

   「夜気みちて」・・・「詩学」2002年3月号

   「鏡ノ場」・・・「00」12号 2001.10

   「お茶碗」・・・「イリプス」2号 2000.7

   「はてな」・・・「erection」創刊号 2001.10

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2003/11/10

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岩佐 なを

イワサ ナヲ
いわさ なを 詩人 1954年 東京都に生まれる。詩集『霊岸』(思潮社)により第45回H氏賞。

掲載作は、2002(平成14)年11月、「ペン電子文藝館」のために2000(平成12)年以降の作より自撰。

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