岩佐なを初期詩選
幽冥から
鎮魂のためでもなく
やすらぎのためでもなく
旅嫌いのはずがひどく山奥の温泉に
入り込んでしまった八月雨降りの宵。
二日前、朝の散歩途中
近所を流れる灰色の川っぷちで
まびかれてたどりついた
スポンヂのような仔犬を見た。
さっきはさっきで
誰も乗っていない手づくりのブランコが
ひとりでに揺れていた。
通りすぎてから気になって気になって
もどってみるとブランコに一匹のきりぎりす、
風のせいばかりではなかった。
温泉宿の部屋は天井が背丈程しかなく
畳が格闘のあとみたいに荒れはて
全体に醤油で煮しめた匂いがする。
ざあざあ
雨には槍も混っている。
山の宿屋の傍らにはどこも必ず川が走っていて、
槍もぐわらぐわらと歌って下ってゆく。
いつでも
どこでも
決して一睡もできずに生きてきた私は
暗闇のふとんに膝をかかえて
「今生きていたら自分は
何歳になっているのだろうか」と
指を折っている。
こいびとやともだちが欲しい。
湿気った燐寸を何本も折りながら
ついに炎を煙草にうつしてやると
薄荷煙草のくせに
指の焦げる臭みがある。
けむりを肺から
思いのたけ吐き捨てると、
夜の川の音が
ひたりと止まった。
『狐乃狸草子』(七月堂)一九八七刊より
伽羅蕗
早朝の憂鬱を慰めながら
血が通ってるみたいに活きた髪を梳いてやり
人々の流れに妹を送り出した
雛流す仕草で
いってらっしゃい、
地獄へ。
それから
昨晩飲み残した舌に痛い酒を呷って
蕗のすじをとった
子供の頃母の煮る蕗の匂いに
脳がむくむようなめまいを感じたのに
今は自分で蕗を煮る
母が死んで私は「息子」ではなくなった
兄が去って「弟」を失い
友人が倒れて「友」を外され
しだいしだいに
私は誰でもなくなってゆく
ただ
ひとつの救いは
残された者も
誤配なく死を拝受するということ
不死のおそれからはまぬかれる
安堵のねむり
千年も万年も蕗煮る匂いに悩み
醤油を加減し
味をみ火を止め
火をつけ
いつまでも私ばかりが
残されるなんて
(よしてほしい)
ふりむくと
うしろ手に縛られた咎人が
ひったてられて行く
テレビを
『狐乃狸草子』(七月堂)一九八七刊より
先のこと
ずうっと先の夏に
入院とあいなって
大部屋の午後は面会時間だ
けんこうな声と
やまいの声が混じりあって
さわさわさわさわ
障子を掠める黒髪の音に聞こえる
体が顫えるだの痛みがくりかえし襲うとか
自分のこれからの苦痛が予言めいて寄せてくる
窓の外には
明けそうにない梅雨の
雨脚がやや斜めで
視線だけが外出して
灰色に濡れている
ベッド脇の小机には
孫が忘れていった創作絵本があって
頁をめくると
自分の尻の光で読書する「螢さん」
が描かれていた
力が失せてゆく肉体は
もはや何回か生まれかわるまで輝くこともなく
(但し、来世はゴマダラカミキリ虫になる
らしいからケツも光らない)
尻に火が灯れば
あとは骨になるばかりだ
湯灌だというのに
ゆうゆうと露天の風呂に浮かんでいる
名湯らしくかぐわしく
脚腰も若若しく伸びて
爪先はうす桃色にふやけている
首のまわりに白蓮が湯あたりもせず咲くなんて
極楽くさいな、
先のことはもう考えない。
眼前には老松若松が組み合って立ちならび
透明度の高い空気の底からやはらかそうな
おとめ少女が天女のなりで現われた
おっ舞うわ舞うわ
有難や
わたくしの人生
死んでから
『離宮の海月』(書肆山田)一九九〇年刊より
耳の事情
耳には自信があって
(むしろ過信していて)
穴の穿山甲や壺の蟋蟀の動作だって
耳でなぞれると思っていた
ところが
左内耳の蝸牛がもう直らないけがをして
ずい分哀しい目に遇った
月と日が鈍く過ぎて自分自身が
遠く感じられた
耳が鳴く
何者からの発信音をピイピイとあるいは
バオバオとうけたまわっているのだろう
どこから――
宇宙地底他界海の果て……
つきなみな場所は思いつくのだけれど
耳鳴りが去ってゆくと
神鳴がきた
盛夏の焼けた路に突き刺さる
浮世絵の空そっくりに稲光る
今年の夏は
聴力が減った分樹樹が濃く
視える(紅葉から落葉への伏線までも)
他者とすれちがうと
その心身に隠れた華と沼の匂いを
かぎわけられる
(まけおしみでささえる)
自分の体は
少し冥い方へ傾ぎはじめたようにも思える
『離宮の海月』(書肆山田)一九九〇年刊より
寒さの夏
寒さの夏は
朝寝の快楽で気が遠い
平日の休暇ひとりきりのベッドで
七月には普通とうてい纒えない
蒲団を手足をもそつかせて整える
うらがえって覿面に草臥れてゆく
甲虫のもがきのように
手脚をもそつかせている
自分
きのうは日常を避けて歩いた――
不忍池の露店で
手品師やサーカスの空中ブランコ乗りに
ありがちな化粧の美女から
廉い水石をまんまと買わされた
池には底を隠すふうに
蓮の葉がもくもくと繁っていて
地獄のすさまじさを覗かなくて済んだ
紅蓮華は岸から遠くにばかりあった
どこかのばちあたりが
蓮葉の上の露で
煙草を消したぞ。
水族館に回って
サラマンドラや肺魚に逢う
小学生の頃もきのうも昼間の爬虫類は
無愛想で懐かしがるのは
私の方ばかりだ
ワニガメは亀
アロワナは魚
ワタクシは人(だと思うが)
近くに見物の美少女が通ると
二股に分かれた舌をちろちろ出しかねない
帰りがけ
売店でパンダの消しごむを
買った
自分では使わないし
あげる人もいない
『離宮の海月』(書肆山田)一九九〇年刊より
みたままつり
参道に脇から入りこむと
咎めるように爆竹が鳴った
砂利の処処に小さな赤滑子が生えていて
踏まないように気をつかう
都心のオフィス・ビル街なのに浴衣の少女が多い
これが不気味にここちよい
ヨーヨーやあんず飴薄荷パイプ
つりしのぶヤキソバ風鈴廉い金魚たちに
誘いをかけている
虫屋のくわがたはかたくなに動かず鈴虫は
鳴かずに胡瓜ばかり喰っている
松虫が欲しいのだが、いない
と、「マツムシがホシイ」と隣りの少女が叫んだ
胸の大きさが浴衣の上からでもわかる
薄情そうな子で
買ってもらった小虫なぞうるさがって
爪で一匹一匹潰すにちがいない
あおくさい、店先
みたままつり
見たままのまつりではなく
ここのみたまは英霊で
英霊は規律正しい霊界生活をおくっているのだろうか
盆踊りの音楽はやかましく
誰一人まだ踊っていない
胸ポケットから敵国は駱駝印の煙草をぬき出して
銜えると(恩賜の煙草ではないのか)と聴こえる
咎められたかと思うと
(それでもいいから一本よこせ)と聴こえる
「あげるけど、だれに渡したらいいんだい」
(ふかせばいいんだ貴様が、その煙をもらうから)
「はい」
燻らせながらカルメ焼屋の手捌きをみている
よく煮えて|粗目糖(ざらめ)がとろとろとなり
ぷつぷつぷつ泡が小さくなったら、このとき!
卵白で練った重曹を入れてかきまぜる、混ったところで
落ちつかせいきなり小鍋の底に水ジュッ
ぶわあっとふくれまする――
知識や資料や情報はお湯や粗目糖や重曹で
そんなものいくら並べられても何ともない
カルメ焼屋のおやじの年季や勘が
上手に砂糖を膨らませ、その様子のおもしろさ
口中で融ける舌ざわり、拍手モンだねこれは。
想像力や創造力は御智識様の羅列では
脹んで来はしないのさ。
一ヶ二〇〇円
子供たちはいくら握っておまつりにくるのか
爆竹の鳴るくらがりに
見世物小屋があって眉毛の長い老人が
あれやこれやで見世物はもう滅びてしまいますので
どうか見おさめと思って見ていって下さい
と喋っている
あれやこれやは、むずかしいことどもで
でも一概に無闇な正義感で否定するのは
幼稚で狭い
看板の蛇が鼻孔から出ている女性は実に美しく
あこがれの対象になりうる
いや夢に忍んできそうな
小さな舞台ではやまねこ女が切り紙細工の芸を見せてくれた
隅田川に浮かぶ屋形船ができ「あげますっ」というのに誰もとらないから
有難く戴いてしまった(本棚に飾るつもり)
毛布にくるまれて眠っていた大蛇を
とても色白の爺さんが開いて見せる
テカテカ艶もいいのだが年寄りなので動きも鈍いしおとなしい、と言う
残念なことに
蛇女は大阪興行の際倒れて入院している
蛇たちと離れ離れで心細くはないのだろうか
だから見料一〇〇円安くなっていたが
一〇〇円高くともよいから彼女に逢いたかった
今私には
早く健康になってほしいと願っているひとが
ふたりいる
『離宮の海月』(書肆山田)一九九〇年刊より
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/08/05
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