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学校は飯を喰うところ

「さなぎ」の時代

中学生時代は「さなぎ」の時代である

どうして「さなぎ」が蝶になるのか

本当のところ今でもよくわかってはいない

生長の休止期と呼ばれているが

黙って休んでいるわけではない

「さなぎ」は、様々な葛藤の中で

もだえ苦しみ、壮絶な戦いを行っているのである

「さなぎ」の体内では、

イモムシの表皮の細胞はどんどん死に絶え

蝶への命を育む細胞は、どんどん分裂を繰り返していく

そうして、最後の壮絶な戦いに勝ちえたものだけが

「さなぎ」の殻を破り大空に飛び立っていくのである

「さなぎ」はイモムシではない

イモムシは自由に動き回り青葉を食いちぎる

小学生は、イモムシである

授業中の歩き周りや勝手なおしゃべりは

中学校では許されない

茶髪の選手が格好いいといっても我慢してもらう

口紅もタバコもお酒も我慢してもらう

蝶の模様が美しい、と言っても中学生は蝶ではない

「さなぎ」だからだ

中学校は、みんなには、

ちょっと窮屈(きゅうくつ)かもしれないが

じっくり骨を作り、血を作り

何ものにも負けない精神力を作り、

三年後、あなたたちの飛び立つ日

卒業式、

すばらしい蝶となり

高く高く、大空に舞い上がってほしい


悩 み

悩みには三つある


一つ目は、自分で解決しなければならない悩み

忘れ物 遅刻 私語

成績が下がった

自分でやればよい やるしかない


二つ目は、一人では解決できない悩み

いじめ、怪我や病気、お金、家庭のこと

親に言う 誰かに相談する

人の手を借りないと、問題は解決しない


三つ目は、誰にも解決できない悩み

人間どうあるべきか 人生とはなにか

私もわからない

それでもみんな生きている


悩み悩んで

ヴェートーベンは「運命」を作った

シェークスピアは「ハムレット」を書いた

ピカソは戦争の悲惨さを「ゲルニカ」の絵で表した


この世の中に

悩みがない人はいるのだろうか

悩みがあるから、考える

考えているから、生きている


さて、あなたの悩みはどんな悩み・・・


いじめを見ている君へ

君が、いじめをしている訳ではありません

君が、いじめられている訳でもありません


でも、君はいじめを見ています

知らないふりをしています


いじめている人は、あまりいじめとは自覚していません

いじめられている人は、一人で深く悩んでいます


君は、いじめをしている人にやめるようにいうことはできませんか

君は、いじめられている人の悩みを聞くことはできませんか


いじめは、いじめている人といじめられている人と

大多数の見ている人の間で起こります


大多数の人の無関心と沈黙と同意が

さらなるいじめを生んでいくのです


君一人に責任を押しつけるつもりはありません

一人で難しい場合は、友だちに、先生に、親に相談して下さい


周りのいじめを無くすように考え、行動することが

君が、これから生きていく上での大切な勉強なのです


早ければ早いほど解決は早いです

あなたのできることから始めて下さい


いじめられている君へ

いじめている本人に

「やめてください」と言いなさい


それがうまくいかないようなら

親しい友だちに「どうしたらいいか」と相談しなさい


それがうまくいかないようなら

「助けてください」と先生のところに行きなさい


それがうまくいかないようなら

「いじめられています」と親に言いなさい


それがうまくいかないようなら

警察に行きなさい


それがうまくいかないようなら

0570―0―78310(なやみ言おう)に電話しなさい


もし

この中の一つでもできたなら、もう昨日の弱い君ではない

いじめている人以上に、強いあなたです


            (この番号は全国統一の24時間いじめ相談電話

             原則として所在地の教育機関に接続が可能)


四月

そよ風に吹かれて

その椅子と机は

廊下側の一番後ろにあった


七月

強力な太陽の光を浴びて

その椅子と机は

窓側の前から二番目にあった


十月

落ち葉が木枯らしに舞う頃

その椅子と机は

中央の列の後ろから三番目にあった


一月

珍しい雪景色を見ながら

その椅子と机は

窓側から二列目の前から四番目にあった


ただの一度も

座られることもなく

ただの一度も

本もノートも置かれることはなかったけれど・・・


春がきた

少年の心にも

ちょっぴり

春がきた


劣等感

オレは頭が悪い

だからあいつに勉強はかなわない


あいつはオレより走るのは速い

なぜって運動神経が違うから


オレは歌うのはてんでダメだ

あいつのセンスにはかなわない


そう言いながら

実は自分の身を守っている


後で困らないように

始めにいい訳をしているのだ


人間には二種類しかない

本気にやる人間と、半端にやる人間


本当にだめかどうかは

本気になってやってみればよい


たとえあいつに勝てなくても

昨日の自分には勝てるはずだ


学校は飯を喰うところ

卒業間近の四時間目

ブーニャンはゆっくり入ってくる

「何で遅れたんだ」

「関係ねえだろ」

「学校、何しに来てるんだ」

「飯食いによ」

「何言ってるんだ。学校は勉強するところだぞ」


そんなブーニャンを卒業させてはや二年

ブーニャンの言葉の意味を今にして気づく


ブーニャンには

母はない

兄弟もいない

いるのは寝たきりの父と

夏の縁日に買った

金魚三匹だけ・・・

夜はカップラーメン

朝はパンをかじったりかじらなかったり・・・


一年生の動物の授業

「君たち 生きているものと

死んでいるものの違いはなんだろう」

ブーニャンが答えた

「飯を食うか、食わないか」


父の心臓病が思わしくなくなった二年生

家族みんなで電気をつけて

飯を食っている奴らがうらやましい

ブーニャンは静かに泣いた


ブーニャンは中学を出て

すぐに中華料理店に就職したが

もしかしたら

勉強も飯を喰うためということを

はじめから知っていたのかもしれない


私は生徒にいうようにしている

「学校は飯を喰うところ

一人残らずうまい飯を喰いたまえ」

と。


日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2015/05/23

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曽我 貢誠

ソガ コウセイ
1953年秋田市生まれ。元都内中学校理科教諭。詩集に『学校は飯を喰うところ』、『都会の時代』がある。

掲載作は『学校は飯を喰うところ』(文治堂書店、2014年)よりの抄録である。

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