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親父が死んだその夜は

親父が死んだその夜は

親父が死んだその夜は

銀河が流れる 星灯かり 

あなたに空似の 満月が

澄ましてこちらを覗いてる

 

親父が死んだその夜は

カミナリ今は 懐かしい

建てた自慢の 鯉のぼり

今でも 大空泳いでる

 

親父が死んだその夜は

南の島に 舞い戻る

ヘビとトカゲと 戦友と

辿り着かない 迷い道 

 

親父が死んだその夜は

花も名誉も いらないよ

まあそこそこの 人生よ

あの日の呟き 思い出す

 

親父が死んだその夜は

微笑む顔が 遠ざかる

枝豆つまみに 三杯目

酔いが寂しさ 連れてくる

 

親父が死んだその夜は

街も世界も 変わらない

いつものように 夜が明けて

いつものように 風が吹く

     
※南の島:父が従軍したニューギニア西部地方。

 

 

おかあさん

病室の面会室で

「あと三ヶ月のいのちです」

ここまではテレビドラマと同じだ

 

さてどうしよう

肩たたきだ

すると痛い痛いと泣いた

 

次に、そうだ

大好物だった筋子を食べさせよう

母は首を横にふった

 

一度も行っていない

温泉に連れて行こうと思った

「やめておきなさい」医師が止めた

 

いつかやろうと思っていたのに

いつもやっていなかった

ただそっと手をにぎるだけ・・・

 

 

どこへいった

六月のある日、友は

いつものように会社から帰って

いつものように晩酌でお酒を二合

いつものように十時前には寝た

 

翌日の朝、

いつものように妻が起こしたが

いつものような微笑みをたたえて

いつの間にか、死んでいた

 

涙にくれる妻に弔問客はいう

「誰にも迷惑かけなかったんですね」

「カメさんらしい亡くなり方ですね」

「わたしもぽっくり逝きたいです」

 

あまりの思いがけない言葉に

涙が涸れた妻は告別式でそっと呟く

「夫らしい別れ方かもしれない」

半ば諦めと、半ば悔しさと・・・

 

ところでカメよ

七月の約束の飲み会どうなった

いくら待っても君が来ないので

ホッピー飲み過ぎてしまったよ

 

どこへいっちゃったのかね

 

 

ベランダにて

ベランダに出ると

蝉が仰向けに死んでいた

そういえば今年は

何人かの知人と別れた

 

なぜ誰にも死が用意されているのか

そして思うのだ

死が待っているからこそ

人は頑張れるし、喜びもあるのだと

 

死とは

風が吹いたり

川が流れたり

人が咳をするようなものだ

 

そして、人は

誰も気付いていない

死があるからこそ

しあわせも用意されていたことに

 

ベランダの隅に黄色い薔薇が咲いた

夕焼け空を雲がゆっくり流れていく

あれだけ騒がしかった蝉の鳴き声はない

もうすっかり秋だ

 

 

こころ

私が笑うと

あなたも笑う

 

私が怒ると

あなたも怒る

 

私がアッカンベーすると

あなたもアッカンベー

 

私のこころの移ろいは

あなたのこころに沁みていく

 

鏡の前の私のように

変わっていたのはこの私

 

 

いのち

ゾウを見ていた

スイカを三個ペロンと食べた

そしてお尻からでっかい爆弾

生きているんだな、お前も

 

と、右手に蚊が止った

思わず左手で叩いた

血のご飯、食べ損なった

生きていたんだな、お前も

 

大きないのち

小さないのち

生きているいのち

生きていたいのち

 

みんな生と死との境界線を

綱渡りのように生きている

みんな日も光や風を(いただ)いて

この一瞬一時に生きている

 

 

なみだ

かなしみがあの雲であるなら

あふれるなみだは雨となり

地上をやさしく濡らすだろう

やがて日に光に照らされて

なみだは虹の姿に変わり

西の空を鮮やかに彩るだろう

 

さあ、あの虹の彼方へ!

 

 

その壁をぶち破るか

それともくたばるか

 

それとも壊れるまで待つか

 

 

「生」きる

生きるって何だろう

この字をじっと見ていたら

なんとなくわかったような気がする

「土」の上に「人」がいるだろう

大地の上にしっかり立つってことかな

 

 

かくれんぼ

もういいかい

まあだだよ

 

もういいかい

まあだだよ

 

もういいかい

もういいよ

 

振り返ってよく捜すのだが

だれも見つからない

 

シロもユウヤもカアサンも

どこに隠れているのだろう

 

あれから随分捜したのだが

足跡も影すら見つからないのだ

 

そして、ぼくの夢や青春は

どこへいってしまったのだろう

 

みんなどこかに隠れたまま

そっとぼくを手招きしている

 

もういいかい

もういいよ

 

 

海のかなしみ

ぼくはアカウミガメ

ある日クラゲと間違えて

ビニールを飲み込んでしまった

息ができなくて 苦しんだ

そしてぼくは死んだよ

 

わたしはアホウドリ

エサだと思って食べたのは

糸のついた釣り針だった

喉の奥に突き刺さったまま

アラスカの海までなんとか飛んだわ

でも命はそこまでだった

 

おれはフクシマの沖合を泳ぐ

男前のマコガレイだ

気がついたら築地の水槽の中

トラックの上に乗せられたところまで

覚えているけど、その後の記憶はない

 

海を昇る朝日がまぶしいのは

生命(いのち)を育んだふるさとだからだ

海に沈む夕日が美しいのは

生命が還るゆりかごだからだ

 

最近、海は不安を感じている

お腹に入っているアカウミガメも

アホウドリもマコガレイも

みんな涙の味がする と

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2019/10/14

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曽我 貢誠

ソガ コウセイ
1953年秋田市生まれ。元都内中学校理科教諭。詩集に『学校は飯を喰うところ』、『都会の時代』がある。

掲載作は文芸誌『トンボ』1号~8号(2016年1月~2019年6月、文治堂書店発行)から著者による編である。総タイトルとして「親父が死んだその夜は」を付した。

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