最初へ

趣味の遺伝

   一

 陽気の所為(せい)で神も気違になる。「人を(ほふ)りて餓えたる犬を救へ」と雲の(うち)より叫ぶ声が、(さか)しまに日本海を(うご)かして満洲の果迄響き渡つた時、日人(にちじん)露人(ろじん)ははつと応へて百里に余る一大屠場を朔北(さくほく)の野に開いた。すると渺々(びようびよう)たる平原の尽くる下より、眼にあまる獒狗(ごうく)の群が、(なまぐさ)き風を横に()り縦に裂いて、四つ足の銃丸を一度に打ち出した様に飛んで来た。狂へる神が小躍りして「血を(すす)れ」と云ふを合図に、ぺら/\と吐く焔の舌は暗き大地を照らして咽喉を越す血潮の湧き返る音が聞えた。今度は黒雲の端を踏み鳴らして「肉を(くら)へ」と神が(さけ)ぶと「肉を食へ! 肉を食へ!」と犬共も一度に()え立てる。やがてめり/\と腕を食ひ切る、深い口をあけて耳の根迄胴にかぶり付く、一つの(すね)(くわ)へて左右から引き合ふ。(ようや)くの事肉は大半平げたと思ふと、又羃々(べきべき)たる雲を貫ぬいて恐しい神の声がした。「肉の後には骨をしやぶれ」と云ふ。すはこそ骨だ。犬の歯は肉よりも骨を噛むに適して居る。狂ふ神の作つた犬には狂つた道具が具はつて居る。今日の振舞を予期して工夫して呉れた歯ぢや。鳴らせ鳴らせと牙を鳴らして骨にかゝる。ある者は(くじ)いて髄を吸ひ、ある者は砕いて地に塗る。歯の立たぬ者は横にこいで牙を磨ぐ。……

 怖い事だと例の通り空想に耽りながらいつしか新橋へ来た。見ると停車場前の広場は一杯の人で凱旋門を通して二間許りの路を開いた儘、左右には割り込む事も出来ない程行列して居る。何だらう?

 行列の中には怪し気な絹帽(シルクハツト)阿弥陀(あみだ)(かぶ)つて、耳の御蔭で目隠しの難を喰ひ止めて居るのもある。仙台平(せんだいひら)を窮屈さうに穿()いて七子(ななこ)の紋付を人の着物の様にじろ/\眺めて居るのもある。フロツク、コートは承知したがズツクの白い運動靴をはいて同じく白の手袋を一寸見給へと云はぬ許りに振り廻して居るのは奇観だ。さうして二十人に一本(ずつ)位の割合で手頃な旗を押し立てゝ居る。大抵は紫に字を白く染め抜いたものだが、中には白地に黒々と達筆を振つたのも見える。此旗さへ見たら此群集の意味も大概分るだらうと思つて一番近いのを注意して読むと木村六之助君の凱旋を祝す連雀(れんじゃく)町有志者とあつた。はゝあ歓迎だと始めて気が付いて見ると、先刻(さつき)異装(いそう)紳士も何となく立派に見える様な気がする。のみならず戦争を狂神の所為(せい)の様に考へたり、軍人を犬に食はれに戦地へ行く様に想像したのが急に気の毒になつて来た。実は待ち合す人があつて停車場迄行くのであるが、停車場へ達するには是非共此群集を左右に見て誰も通らない真中を只一人歩かなくつてはならん。よもやこの人々が余の詩想を洞見(どうけん)はしまいが、只さへ人の注視をひき己一人に集めて往来を練つて行くのは極りが悪るい者であるのに、犬に喰ひ残された者の家族と聞いたら定めし怒る事であらうと思ふと、一層調子が狂ふ所を何でもない顔をして、急ぎ足に停車場の石段の上迄漕ぎ付けたのは少し苦しかつた。

 場内へ這入つて見るとこゝも歓迎の諸君で容易に思ふ所へ行けぬ。(ようや)くの事一等の待合へ来て見ると約束をした人は未だ来て居らぬらしい。暖炉の横に赤い帽子を被つた士官が何か(しき)りに話しながら折々佩剣(はいけん)をがちやつかせて居る。其傍に絹帽(シルクハツト)が二つ並んで、其一つには葉巻の烟りが輪になつてたなびいて居る。向ふの隅に白襟の細君が品のよい五十恰好(かつこう)の婦人と、()きの人には聞えぬ程な低い声で何事か耳語(ささや)いで居る。所へ唐桟(とうざん)の羽織を着て鳥打帽を斜めに戴いた男が来て、入場券は貰へません改札場の中はもう一杯ですと注進する。大方出入の者であらう。室の中央に備へ付けたテーブルの周囲には待ち草臥(くたび)れの連中が寄つてたかつて新聞や雑誌をひねくつて居る。真面目に読んでるものは極めて少ないのだから、ひねくつて居ると云ふのが適当だらう。

 約束をした人は中々来ん。少々退屈になつたから、少し外へ出て見様かと室の戸口をまたぐ途端に、脊広を着た髯のある男が擦れ違ひながら「もう(じき)です二時四十五分ですから」と云つた。時計を見ると二時三十分だ、もう十五分すれば凱旋の将士が見られる。こんな機会は容易にない、(ついで)だからと云つては失礼かも知れんが実際余の様に図書館以外の空気をあまり吸つた事のない人間は態々(わざわざ)歓迎の為めに新橋迄くる折もあるまい、丁度幸だ見て行かうと了見(りようけん)を定めた。

 室を出て見ると場内も(また)往来の様に行列を作つて、中には態々見物に来た西洋人も交つて居る。西洋人ですらくる位なら帝国臣民たる吾輩は無論歓迎しなくてはならん、万歳の一つ位は義務にも申して行かうと漸くの事で行列の中へ割り込んだ。

「あなたも御親戚を御迎ひに御出になつたので……」

「えゝ。どうも気が()くものですから、つい昼飯(ひるめし)を食はずに来て、……もう二時間半許り待ちます」と腹は減つても中々元気である。所へ三十前後の婦人が来て

「凱旋の兵士はみんな、こゝを通りませうか」と心配さうに聞く。大切の人を見はぐつては一大事ですと云はぬ許りの決心を示して居る。腹の減つた男はすぐ引き受けて

「えゝ、みんな通るんです、一人残らず通るんだから、二時間でも三時間でもこゝにさへ立つて居れば間違ひつこありません」と答へたのは中々自信家と見える。然し昼飯も食はずに待つて居ろと迄は云はなかつた。

 汽車の笛の音を形容して喘息(ぜんそく)()みの鯨の様だと云つた仏蘭西(フランス)の小説家があるが、成程(うま)い言葉と思ふ間もなく、長蛇の如く蜿蜒(のた)くつて来た列車は、五百人余の健児を一度にプラツトフオームの上に吐き出した。

「ついた様ですぜ」と一人が(くび)を延すと

「なあに、こゝに立つてさへ居れば大丈夫」と腹の減つた男は泰然として動ずる景色もない。此男から云ふと着いても着かなくても大丈夫なのだらう。夫にしても腹の減つた割には落ち付いたものである。

 やがて一二丁向ふのプラツトフォームの上で万歳! と云ふ声が聞える。其声が波動の様に順送りに近付いてくる。例の男が「なあに、まだ大丈……」と云ひ懸けた尻尾(しつぽ)を埋めて余の左右に並んだ同勢は一度に万―歳! と叫んだ。其声の切れるか切れぬうちに一人の将軍が挙手の礼を施しながら余の前を通り過ぎた。色の()けた、胡麻塩髯の小作りな人である。左右の人は将軍の後を見送りながら又万歳を唱へる。余も――妙な話しだが実は万歳を唱へた事は生れてから今日に至る迄一度もないのである。万歳を唱へてはならんと誰からも申し付けられた覚は毛頭ない。又万歳を唱へては悪るいと云ふ主義でも無論ない。(しか)し其場に臨んでいざ大声を発し様とすると、いけない。小石で気管を塞がれた様でどうしても万歳が咽喉(のど)(ぶえ)へこびり付いたぎり動かない。どんなに奮発しても出て()れない。――然し今日は出してやらうと先刻(さつき)から決心をして居た。実は早く其機がくればよいがと待ち構へた位である。隣りの先生ぢやないが、なあに大丈夫と安心して居たのである。喘息病みの鯨が吼えた当時からそら来たなと迄覚悟をして居た位だから周囲のものがワーと云ふや否や尻馬についてすぐやらうと実は舌の根迄出しかけたのである。出しかけた途端に将軍が通つた。将軍の日に()げた色が見えた。将軍の髯の胡麻塩なのが見えた。其瞬間に出しかけた万歳がぴたりと中止して仕舞つた。何故?

 何故か分るものか。何故とか此故(このゆえ)とか云ふのは事件が過ぎてから冷静な頭脳に復したとき当時を回想して始めて分解し得た智識に過ぎん。何故が分る位なら始めから用心をして万歳の逆戻りを防いだ筈である。予期出来ん咄瑳(とつさ)の働きに分別が出るものなら人間の歴史は無事なものである。余の万歳は余の支配権以外に超然として止まつたと云はねばならぬ。万歳がとまると共に胸の中に名状しがたい波動が込み上げて来て、両眼から二雫(ふたしずく)ばかり涙が落ちた。

 将軍は生れ落ちてから色の黒い男かも知れぬ。然し遼東(りようとう)の風に吹かれ、奉天(ほうてん)の雨に打たれ、沙河(しやか)の日に()り付けられゝば大抵なものは黒くなる。地体黒いものは(なお)黒くなる。髯も其通りである。出征してから白銀(しろがね)の筋は幾本殖えたであらう。今日始めて見る我等の眼には、昔の将軍と今の将軍を比較する材料がない。然し指を折つて日夜に待詫びた夫人令嬢が見たならば定めし驚くだらう。(いくさ)は人を殺すか左なくば人を老いしむるものである。将軍は(すこぶ)る瘠せて居た。是も苦労の為めかも知れん。して見ると将軍の身体中で出征前と変らぬのは身の(たけ)位なものであらう。余の如きは黄巻青帙(こうかんせいちつ)の間に起臥して書斎以外に如何なる出来事が起るか知らんでも済む天下の逸民(いつみん)である。平生戦争の事は新聞で読まんでもない、又其状況は詩的に想像せんでもない。然し想像はどこ迄も想像で新聞は横から見ても縦から見ても紙片に過ぎぬ。だからいくら戦争が続いても戦争らしい感じがしない。其気楽な人間が不図(ふと)停車場に紛れ込んで第一に眼に映じたのが日に()けた顔と霜に染つた髯である。戦争はまのあたりに見えぬけれど戦争の結果――(たし)かに結果の一片、然も活動する結果の一片が眸底(ぼうてい)を掠めて去つた時は、此一片に誘はれて満洲の大野(たいや)を蔽ふ大戦争の光景があり/\と脳裏に描出せられた。

 然も此戦争の影とも見るべき一片の周囲を(めぐ)る者は万歳と云ふ歓呼の声である。此声が即ち満洲の野に起つた咄喊(とつかん)の反響である。万歳の意義は字の如く読んで万歳に過ぎんが咄喊となると大分趣が違ふ。咄喊はワーと云ふ丈で万歳の様に意味も何もない。然し其意味のない所に大変な深い情が籠つて居る。人間の音声には黄色いのも濁つたのも澄んだのも太いのも色々あつて、其言語調子も(また)分類の出来ん位区々(まちまち)であるが一日二十四時間の二十三時間五十分迄は皆意味のある言葉を使つて居る。着衣の件、喫飯(きつぱん)の件、談判の件、懸引(かけひき)の件、挨拶の件、雑話の件、凡て件と名のつくものは皆口から出る。仕舞には件がなければ口から出るものは無いと迄思ふ。そこへもつて来て、件のないのに意味の分らぬ音声を出すのは尋常ではない。出しても用の足りぬ声を使ふのは経済主義から云ふても功利主義から云つても割に合はぬに極つて居る。其割に合はぬ声を不作法に他人様の御聞(おきき)に入れて何等の理由もないのに罪もない鼓膜に迷惑を懸けるのはよくせき(ヽヽヽヽ)の事でなければならぬ。咄喊は此よくせき(ヽヽヽヽ)を煎じ詰めて、煮詰めて缶詰めにした声である。死ぬか、生きるか娑婆か地獄かと云ふ際どい針線(はりがね)の上に立つて身震ひをするとき自然と横隔膜の底から湧き上がる至誠の声である。助けて呉れ(ヽヽヽヽヽ)と云ふうちに誠はあらう、殺すぞ(ヽヽヽ)と叫ぶうちにも誠はない事もあるまい。然し意味の通ずる丈其丈(それだけ)誠の度は少ない。意味の通ずる言葉を使ふ丈の余裕分別のあるうちは一心不乱の至境に達したとは申されぬ。咄喊にはこんな人間的な分子は交つて居らん。ワーと云ふのである。此ワーには厭味もなければ思慮もない。理もなければ非もない。(いつわ)りもなければ懸引もない。徹頭徹尾ワーである。結晶した精神が一度に破裂して上下四囲の空気を震盪(しんとう)さしてワーと鳴る。万歳(ヽヽ)助けて呉れ(ヽヽヽヽヽ)殺すぞ(ヽヽヽ)のとそんなけちな意味を有しては居らぬ。ワー其物が直ちに精神である。霊である。人間である。誠である。(しか)して人界崇高の感は耳を傾けて此誠を聴き得たる時に始めて享受し得ると思ふ。耳を傾けて数十人、数百人、数千数万人の誠を一度に聴き得たる時に此崇高の感は始めて無上絶大の玄境(げんきよう)()る。――余が将軍を見て流した涼しい涙は此玄境の反応だらう。

 将軍のあとに続いてオリーヴ色の新式の軍服を着けた士官が二三人通る。是は出迎と見えて其表情が将軍とは大分違ふ。(きよ)は気を移すと云ふ孟子の語は小供の時分から聞いて居たが戦争から帰つた者と内地に暮らした人とは斯程(かほど)に顔付が変つて見えるかと思ふと一層感慨が深い。どうかもう一遍将軍の顔が見たいものだと延び上つたが駄目だ。只場外に群がる数万の市民が有らん限りの(とき)を作つて停車場の硝子(ガラス)窓が破れる程に響くのみである。余の左右前後の人々は漸くに列を乱して入口の方へなだれかゝる。見たいのは余と同感と見える。余も黒い波に押されて一二間石段の方へ流れたが、それぎり先へは進めぬ。こんな時には余の性分としていつでも損をする。寄席がはねて木戸を出る時、待ち合せて電車に乗る時、人込みに切符を買ふ時、何でも多人数競争の折には大抵最後に取り残される、此場合にも先例に洩れず首尾よく人後に落ちた。(しか)も普通の落ち方ではない。遥かこなたの人後だから心細い。葬式の赤飯に手を出し損つた時なら何とも思はないが、帝国の運命を決する活動力の断片を見損ふのは残念である。どうにかして見てやりたい。広場を包む万歳の声は此時四方から大濤(おおなみ)の岸に崩れる様な勢で余の鼓膜に響き渡つた。もうたまらない。どうしても見なければならん。不図(ふと)思ひついた事がある。去年の春麻布のさる町を通行したら高い練塀(ねりべい)のある広い屋敷のうちで何か多人数打ち寄つて遊んでゞも居るのか面白さうに笑ふ声が聞えた。余は此時どう云ふ腹工合か一寸此邸内を覗いて見たくなつた。全く腹工合の所為(せい)に相違ない。腹工合でなければ、そんな馬鹿気た了見の起る訳がない。源因はとにかく見たいものは見たいので源因の如何(いかん)()つて変化出没する訳には行かぬ。然し今云ふ通り高い土塀の向ふ側で笑つて居るのだから壁に穴のあいて居らぬ限りは到底思ひ通り志望を満足する事は何人の手際でも出来かねる。到底見る事が叶はないと四囲の状況から宣告を下されると(なお)見てやり(たく)なる。愚な話だが余は一目でも邸内を見なければ誓つて此町を去らずと決心した。然し案内も乞はずに人の屋敷内に這入り込むのは盗賊の仕業だ。と云つて案内を乞ふて這入るのは猶いやだ。此邸内の者共の御世話にならず、しかもわが人格を傷けず正々堂々と見なくては心持ちがわるい。さうするには高い山から見下すか、風船の上から眺めるより外に名案もない。然し双方共当座の間に合ふ様な手軽なものとは云へぬ。よし、その儀なら此方(こつち)にも覚悟がある。高等学校時代で練習した高飛(たかとび)の術を応用して、飛び上がつた時に一寸見てやらう。是は妙策だ、幸い人通りもなし、あつた所が自分で自分が飛び上るに文句をつけられる因縁はない。やるべしと云ふので突然双脚(そうきやく)に精一杯の力を込めて飛び上がつた。すると熟練の結果は恐ろしい者で、かの土塀の上へ首が――首所ではない肩迄が思ふ様に出た。此機をはづすと到底目的は達せられぬと、ちらつく両眼を無理に据ゑて、こゝぞと思ふあたりを瞥見(べつけん)すると女が四人でテニスをして居た。余が飛び上がるのを相図(あいず)に四人が申し合せた様にホヽヽと(かん)の高い声で笑つた。おやと思ふうちにどたりと元の如く地面の上に立つた。

 これは誰が聞いても滑稽である。冒険の主人公たる当人ですらあまり馬鹿気て居るので今日迄何人にも話さなかつた位自ら滑稽と心得て居る。然し滑稽とか真面目とか云ふのは相手と場合によつて変化する事で、高飛び其物が滑稽とは理由のない言草(いいぐさ)である。女がテニスをして居る所へ此方(こつち)が飛び上がつたから滑稽にもなるが、ロメオがジユリエツトを見る為に飛び上つたつて滑稽にはならない。ロメオ位な所では未だ滑稽を脱せぬと云ふなら余は(なお)一歩を進める。此凱旋の将軍、英名赫々(かくかく)たる偉人を拝見する為めに飛び上がるのは滑稽ではあるまい。それでも滑稽か知らん? 滑稽だつて構ふものか。見たいものは、誰が何と云つても見たいのだ飛び上がらう、夫がいゝ、飛び上がるに()くなしだと、とう/\又先例によつて一蹴を試むる事に決着した。先づ帽子をとつて小脇に()い込む。此前は経験が足りなかつたので足が引力作用で地面へ引き着けられた勢に、買ひたての中折帽が挨拶もなく宙返りをして、一間許り向へ転がつた。夫をから車を引いて通り掛つた車夫が拾つて笑ひながらえへゝと差し出した事を記臆して居る。此度(こんど)は其手は喰はぬ。是なら大丈夫と帽子を(しか)と抑へながら爪先で敷石を(はじ)く心持で暗に姿勢を整へる。人後に落ちた仕合せには邪魔になる程近くに人も居らぬ。しばし衰へた、歓声は盛り返す潮の岩に砕けた様にあたり一面に湧き上がる。こゝだと思ひ切つて、両足が胴のなかに飛び込みはしまひかと疑ふ程脚力をふるつて跳ね上つた。

 幌を開いたランドウが横向に凱旋門を通り抜け様とする中に――居た――居た。例の黒い顔が湧き返る声に囲まれて過去の紀念の如く華やかなる群衆の中に点じ出されて居た。将軍を迎へた儀仗兵(ぎじようへい)の馬が万歳の声に驚ろいて前足を高くあげて人込の中に()れ様とするのが見えた。将軍の馬車の上に紫の旗が一流れ(さつ)となびくのが見えた。新橋へ曲る角の三階の宿屋の窓から藤鼠(ふじねずみ)の着物をきた女が白いハンケチを振るのが見えた。

 見えたと思ふより早く余が足は又停車場の床の上に着いた。凡てが一瞬間の作用である。ぱつと射る稲妻の飽く迄明るく物を照らした後が常よりは暗く見える様に余は茫然として地に下りた。

 将軍の去つたあとは群衆も自から乱れて今迄の様に静粛ではない。列を作つた同勢の一角が崩れると、堅い黒山が一度に動き出して濃い所が漸々(だんだん)薄くなる。気早(きばや)な連中はもう引き揚げると見える。所へ将軍と共に汽車を下りた兵士が三々五々隊を組んで場内から出てくる。服地の色は()めて、ゲートルの代りには黄な羅紗(らしや)を畳んでぐる/\と脛へ巻き付けて居る。いづれもあらん限りの髯を生やして、出来る丈色を黒くして居る。是等も戦争の片破(かたわ)れである。大和魂を鋳固(いかた)めた製作品である。実業家も()らぬ、新聞屋も入らぬ、芸妓(げいしや)も入らぬ、余の如く書物と(にら)めくらをして居るものは無論入らぬ。只(この)髯茫々として、むさくるしき事乞食を去る遠からざる紀念物のみはなくて叶はぬ。彼等は日本の精神を代表するのみならず、広く人類一般の精神を代表して居る。

 人類の精神は算盤(そろばん)で弾けず、三味線に乗らず、三頁にも書けず、百科全書中にも見当らぬ。只此兵士等の色の黒い、みすぼらしい所に髣髴(ほうふつ)として揺曳(ようえい)して居る。出山(しゆつせん)の釈迦はコスメチツクを塗つては居らん。金の指輪も穿()めて居らん。芥溜(ごみだめ)から拾ひ上げた雑巾をつぎ合せた様なもの一枚を羽織つて居る許りぢや。(それ)すら全身を(おお)ふには足らん。胸のあたりは北風の吹き抜けで、肋骨の枚数は自由に読める位だ。此釈迦が尊ければ此兵士も尊といと云はねばならぬ。昔し元冠(げんこう)(えき)時宗(ときむね)仏光国師(ぶつこうこくし)(えつ)した時、国師は何と云ふた。威を振つて驀地(ばくち)に進めと()えたのみである。このむさくろしき兵士等は仏光国師の熱喝(ねつかつ)を喫した訳でもなからうがに驀地に進むと云ふ禅機に於て時宗と古今其()を一にして居る。彼等は驀地に進み(りよう)して曠如(こうじよ)と吾家に帰り来りたる英霊漢である。天上を行き天下を行き、行き尽してやまざる(てい)の気魄が吾人(ごじん)の尊敬に(あたい)せざる以上は八荒の中に尊敬すべきものは微塵程もない。黒い顔! 中には日本に籍があるのかと怪まれる位黒いのが居る。――刈り込まざる髯! ――棕櫚箒(しゆろぼうき)(きぬた)で打つた様な髯――此気魄は這裏(しやり)磅礴(ほうはく)として(わだか)まり沆瀁(こうよう)として(みなぎ)つて居る。

 兵士の一隊が出てくる(たび)に公衆は万歳を唱へてやる。彼等のあるものは例の黒い顔に(えみ)を湛へて嬉し気に通り過ぎる。あるものは傍目(わきめ)をふらずのそ/\と行く。歓迎とは如何なる者ぞと不審気に見える顔もたまには見える。又ある者は自己の歓迎旗の下に立つて揚々と後れて出る同輩を眺めて居る。あるひは石段を下るや否や迎のものに(よう)せられて、余りの不意撃に挨拶さへも忘れて誰彼(だれかれ)の容赦なく握手の礼を施こして居る。出征中に満洲で覚えたのであらう。

 其中に――是がはからずも此話をかく動機になつたのであるが――年の頃二十八九の軍曹が一人居た。顔は他の先生方と異なる所なく黒い、髯も延びる丈延ばして恐らくは去年から持ち越したものと思はれるが眼鼻立ちは外の連中とは比較にならぬ程立派である。のみならず亡友(こう)さんと兄弟と見違へる迄よく似て居る。実は此男が只一人石段を下りて出た時ははつと思つて馳け寄らうとした位であつた。然し浩さんは下士官ではない。志願兵から出身した歩兵中尉である。しかも()歩兵中尉で今では白山(はくさん)の御寺に一年余も厄介になつて居る。だからいくら浩さんだと思ひたくつても思へる筈がない。但人情は妙なもので此軍曹が浩さんの代りに旅順で戦死して浩さんが此軍曹の代りに無事で還つて来たら(さぞ)結構であらう。御母(おつか)さんも定めし喜ばれるであらうと、露見する気支(きづかい)がないものだから勝手な事を考へながら眺めて居た。軍曹も何か物足らぬと見えて(しき)りにあたりを見廻して居る。外のものゝ様に足早に新橋の方へ立ち去る景色もない。何を探がして居るのだらう、もしや東京のものでなくて様子が分らんのなら教へて遣りたいと思つて(なお)目を放さずに打ち守つて居ると、どこをどう潜り抜けたものやら六十許りの婆さんが飛んで出て、いきなり軍曹の袖にぶら下がつた。軍曹は中肉ではあるが脊は普通より(たし)かに二寸は高い。(これ)に反して婆さんは人並外れて(たけ)が低い上に年のせいで腰が少々曲つて居るから、抱き着いたとも寄り添ふたとも形容は出来ぬ。もし余が脳中にある和漢の字句を傾けて、其中から此有様を叙するに最も適当なる(ことば)を探したなら必ずぶら下がる(ヽヽヽヽヽ)が当選するにきまつて居る。此時軍曹は紛失物が見当つたと云ふ風で上から婆さんを見下す。婆さんはやつと迷児(まいご)を見付けたと云ふ(てい)で下から軍曹を見上げる。やがて軍曹はあるき出す。婆さんもあるき出す。矢張りぶらさがつた儘である。近辺に立つ見物人は万歳々々と両人を(はや)し立てる。婆さんは万歳(など)には毫も耳を()す景色はない。ぶらさがつたぎり軍曹の顔を下から見上げた(まま)吾が子に引き摺られて行く。冷飯(ひやめし)草履(ぞうり)(びよう)を打つた兵隊靴が入り乱れもつれ合つて、うねりくれつて新橋の方へ(とおざ)かつて行く。余は浩さんの事を思ひ出して(ちよう)(ぜん)と草履と靴の影を見送つた。

   二

 浩さん! 浩さんは去年の十一月旅順で戦死した。二十六日は風の強く吹く日であつたさうだ。遼東(りようとう)大野(たいや)を吹きめぐつて、黒い日を海に吹き落さうとする野分(のわき)の中に、松樹山(しようじゆざん)の突撃は予定の如く行はれた。時は午後一時である。掩護(えんご)の為めに味方の打ち出した大砲が敵塁(てきるい)の左突角(とつかく)(あた)つて五丈程の砂烟りを捲き上げたのを相図に、散兵壕(さんぺいごう)から飛び出した兵士の数は幾百か知らぬ。蟻の穴を蹴返した如くに散り/\に乱れて前面の傾斜を()ぢ登る。見渡す山腹は敵の敷いた鉄条網で足を()るゝ余地もない。所を梯子(はしご)を担ひ土嚢(どのう)脊負(しよ)つて区々(まちまち)に通り抜ける。工兵の切り開いた二間に足らぬ路は、先を争ふ者の為めに奪はれて、後より詰めかくる人の勢に波を打つ。こちらから眺めると只一筋の黒い河が山を裂いて流れる様に見える。其黒い中に敵の弾丸は容赦なく落ちかゝつて凡てが消え失せたと思ふ位濃い烟が立ち揚る。怒る野分は横さまに烟りを千切(ちぎ)つて遥かの空に(さら)つて行く。あとには依然として黒い者が簇然(そうぜん)(うご)めいて居る。此蠢めいて居るものゝうちに浩さんが居る。火桶(ひおけ)を中に浩さんと話をするときには浩さんは大きな男である。色の浅黒い髯の濃い立派な男である。浩さんが口を開いて興に乗つた話をするときは相手の頭の中には浩さんの外何もない。今日の事も忘れ明日の事も忘れ聴き惚れて居る自分の事も忘れて浩さん丈になつて仕舞ふ。浩さんは斯様(かよう)に偉大な男である。どこへ出しても浩さんなら大丈夫、人の目に着くに極つて居ると思つて居た。だから(うご)めいて居る(など)と云ふ下等な動詞は浩さんに対して用ひたくない。ないが仕方がない。現に蠢いて居る。(くわ)の先に掘り崩された蟻群(ぎぐん)の一匹の如く蠢めいて居る。(ひしゃく)の水を(くら)つた蜘蛛の子の如く蠢めいて居る。如何なる人間もかうなると駄目だ。大いなる山、大いなる空、千里を馳け抜ける野分、八方を包む烟り、鋳鉄の咽喉から()えて飛ぶ(たま)――(これ)()の前には如何なる偉人も偉人としては認められぬ。俵に詰めた大豆の一粒の如く無意味に見える。鳴呼(ああ)浩さん! 一体どこで何をして居るのだ? 早く平生の浩さんになつて一番露助(ろすけ)を驚かしたらよからう。黒くむらがる者は(たま)を浴びる(たび)にぱつと消える。消えたかと思ふと吹き散る烟の中に動いて居る。消えたり動いたりして居るうちに蛇の塀をわたる様に頭から尾迄波を打つて然も全体が全体として漸々(だんだん)上へ上へと登つて行く、もう敵塁(てきるい)だ。浩さん真先に乗り込まなければいけない。烟の絶間から見ると黒い頭の上に旗らしいものが(なび)いて居る。風の強い為めか、押し返される所為(せい)か真直ぐに立つたと思ふと寝る。落ちたのかと驚ろくと又高くあがる。すると又斜めに(たお)れかゝる。浩さんだ、浩さんだ。浩さんに相違ない。多人数集まつて()みに揉んで騒いで居る中にもし一人でも人の目につくものがあれば浩さんに違ない。自分の妻は天下の美人である。此天下の美人が晴れの席へ出て隣りの奥様と撰ぶ所なく一向目立たぬのは不平な者だ。己れの子が己れの家庭にのさばつて居る間は天にも地にも懸易(かけがえ)のない若旦那である。此若旦那が制服を着けて学校へ出ると、向ふの小間物屋のせがれと席を(なら)べて、しかも其間に少しも懸隔(けんかく)のない様に見えるのは一寸物足らぬ感じがするだらう。余の浩さんに(おけ)るも其通り。浩さんはどこへ出しても平生の浩さんらしくなければ気が済まん。擂鉢(すりばち)の中に()き廻される里芋の如く紛然雑然とゴロ/\して居てはどうしても浩さんらしくない。だから、何でも構はん旗を振らうが、剣を(かざ)さうが、とにかく此混乱のうちに少しなりとも人の注意を()くに足る働をするものを浩さんにしたい。したい段ではない。必ず浩さんに極つて居る。どう間違つたつて浩さんが碌々(ろくろく)として頭角をあらはさない(など)と云ふ不見識な事は予期出来んのである。――夫だからあの旗持(はたもち)は浩さんだ。

 黒い塊りが敵塁の下迄来たから、もう塁壁を攀ぢ(のぼ)るだらうと思ふうち、(たちま)ち長い蛇の頭はぽつりと二三寸切れてなくなつた。是は不思議だ。(たま)を喰つて(たお)れたとも見えない。狙撃を避ける為め地に寐たとも見えない。どうしたのだらう。すると頭の切れた蛇が又二三寸ぷつりと消えてなくなつた。是は妙だと眺めて居ると順繰(じゆんぐり)に下から押し上る同勢が同じ所へ来るや否や忽ちなくなる。しかも砦の壁には誰一人としてとり付いたものがない。塹壕(ざんごう)だ。敵塁と我兵の間には此邪魔物があつて、此邪魔物を越さぬ間は一人も敵に(ちかづ)く事は出来んのである。彼等はえい/\と鉄条網を切り開いた急坂を登りつめた揚句、此(ほり)(はた)迄来て一も二もなく此深い溝の中に飛び込んだのである。担つて居る梯子(はしご)は壁に懸ける為め、脊負(しよ)つて居る土嚢は濠を埋める為めと見えた。濠はどの位埋つたか分らないが、先の方から順々に飛び込んではなくなり、飛び込んではなくなつてとう/\浩さんの番に来た。(いよいよ)浩さんだ。(しつ)かりしなくてはいけない。高く差し上げた旗が横に靡いて寸断々々(ずたずた)に散るかと思ふ程強く風を受けた後旗竿が急に傾いて折れたなと疑ふ途端に浩さんの影は忽ち見えなくなつた。愈飛び込んだ! 折から二龍山(にりゆうざん)の方面より打ち出した大砲が五六発、大空に鳴る烈風を(つんざ)いて一度に山腹に(あた)つて山の根を吹き切る許り(とどろ)き渡る。(ほとば)しる砂烟(すなけむり)は淋しき初冬の日蔭を()めつくして、見渡す限りに有りとある物を封じ(おわ)る。浩さんはどうなつたか分らない。気が気でない。あの烟の吹いて居る底だと見当をつけて一心に見守る。夕立を遠くから望む様に密に蔽ひ重なる濃き者は、烈しき風の捲返してすくひ去らうと(あせ)る中に依然として凝り固つて動かぬ。約二分間は眼をいくら(こす)つても盲目同然どうする事も出来ない。然し此烟りが晴れたら――()し此烟りが散り尽したら、屹度(きつと)見えるに違ない。浩さんの旗が壕の向側に日を射返して耀き渡つて見えるに違ない。否向側を登りつくしてあの高く見える(ひめがき)の上に翩々(へんぺん)(ひるがえ)つて居るに違ない。外の人なら兎に角浩さんだから、その位の事は必ずあるに極つて居る。早く烟が晴れゝばいい。何故晴れんだらう。()めた、敵塁の右の端の突角(とつかく)の所が朧気(おぼろげ)に見え出した。中央の厚く築き上げた石壁も見え出した。然し人影はない。はてな、もうあすこ等に旗が動いて居る筈だが、どうしたのだらう。それでは壁の下の土手の中頃に居るに相違ない。烟は(ぬぐ)ふが如く一掃(ひとはき)に上から下迄漸次(ぜんじ)に晴れ渡る。浩さんはどこにも見えない。是はいけない。田螺(たにし)の様に(うご)めいて居たほかの連中もどこにも出現せぬ様子だ。(いよいよ)いけない。もう出るか知らん、五秒過ぎた。まだか知らん、十秒立つた。五秒は十秒と変じ、十秒は二十、三十と重なつても誰一人(たれいちにん)の塹壕から向ふへ這ひ上る者はない。ない筈である。塹壕(ざんごう)に飛び込んだ者は向へ渡す為めに飛び込んだのではない。死ぬ為めに飛び込んだのである。彼等の足が壕底に着くや否や穹窖(きゆうこう)より(ねらい)を定めて打ち出す機関砲は、杖を引いて竹垣の側面を走らす時の音がして瞬く間に彼等を射殺した。殺されたものが這ひ上がれる筈がない。石を置いた沢庵の如く積み重なつて、人の眼に触れぬ坑内に横はる者に、向へ上がれと望むのは、望むものゝ無理である。横はる者だつて上がりたいだらう、上りたければこそ飛び込んだのである。いくら上がり(たく)ても、手足が利かなくては上がれぬ。眼が暗んでは上がれぬ。胴に穴が開いては上がれぬ。血が通はなくなつても、脳味噌が(つぶ)れても、肩が(とん)でも身体(からだ)が棒の様に鯱張(しやちこば)つても上がる事は出来ん。二龍山(にりゆうざん)から打出した砲烟が散じ尽した時に上がれぬ許りではない。寒い日が旅順の海に落ちて、寒い霜が旅順の山に降つても上がる事は出来ん。ステツセルが開城して二十の砲砦(ほうさい)(ことごと)く日本の手に帰しても上る事は出来ん。日露の講和が成就して乃木将軍が目出度(めでたく)凱旋しても上がる事は出来ん。百年三万六千日乾坤(けんこん)()げて迎に来ても上がる事は遂に出来ぬ。是が此塹壕に飛び込んだものゝ運命である。(しか)して(また)浩さんの運命である。蠢々(しゆんしゆん)として御玉杓子(おたまじやくし)の如く動いて居たものは突然と此底のない(あな)のうちに落ちて、浮世の表面から闇の(うち)に消えて仕舞つた。旗を振らうが振るまいが人の目につかうがつくまいが()うなつて見ると変りはない。浩さんがしきりに旗を振つた所はよかつたが、(ほり)の底では、ほかの兵士と同じ様に冷たくなつて死んで居たさうだ。

 ステツセルは(くだ)つた。講和は成立した。将軍は凱旋した。兵隊も歓迎された。然し浩さんはまだ(あな)から上つて来ない。図らず新橋へ行つて色の黒い将軍を見、色の黒い軍曹を見、脊の低い軍曹の御母さんを見て涙迄流して愉快に感じた。同時に浩さんは何故壕から上がつて来んのだらうと思つた。 浩さんにも御母さんがある。此軍曹のそれの様に脊は低くない、又冷飯(ひやめし)草履(ぞうり)穿()いた事はあるまいが、もし浩さんが無事に戦地から帰つてきて御母さんが新橋へ出迎へに来られたとすれば矢張りあの婆さんの様にぶら下がるかも知れない。浩さんもプラツトフオームの上で物足らぬ顔をして御母さんの群集の中から出てくるのを待つだらう。それを思ふと可哀さうなのは坑を出て来ない浩さんよりも、浮世の風にあたつて居る御母さんだ。塹壕に飛び込む迄は兎に角、飛び込んで仕舞へば夫迄である。裟婆の天気は晴であらうとも曇であらうとも頓着はなからう。然し取り残された御母さんはさうは行かぬ。そら雨が降る、()()めて浩さんの事を思ひ出す。そら晴れた、表へ出て浩さんの友達に逢ふ。歓迎で国旗を出す、あれが生きて居たらと愚痴つぽくなる。洗湯で年頃の娘が湯を汲んで呉れる、あんな嫁が居たらと昔を偲ぶ。是では生きて居るのが苦痛である。それも子福者(こぶくしゃ)であるなら一人なくなつても、あとに慰めてくれるものもある。然し親一人子一人の家族が半分欠けたら、瓢箪(ひようたん)の中から折れたと同じ様なものでしめ(くく)りがつかぬ。軍曹の婆さんではないが年寄りのぶら下がるものがない。御母さんは今に浩一が帰つて来たらばと、皺だらけの指を日夜に折り尽してぶら下がる日を待ち()がれたのである。其ぶら下がる当人は旗を持つて思ひ切りよく塹壕の中へ飛び込んで、今に至る迄上がつて来ない。白髪は増したかも知れぬが将軍は歓呼の(うち)に帰来した。色は黒くなつても軍曹は得意にプラツトフオームの上に飛び下りた。白髪にならうと日に焼け様と帰りさへすればぶら下がるに差し支へはない。右の腕を繃帯で釣るして左の足が義足と変化しても帰りさへすれば構はん。構はんと云ふのに浩さんは依然として坑から上がつて来ない、上がつて来ないと、あとを追ひかけて仕舞には御母(おつか)さんも坑の中へ飛び込むかも知れない。

 幸ひ今日は(ひま)だから浩さんのうちへ行つて久し振りに御母さんを慰めてやらう? 慰めに行くのはいゝがあすこへ行くと、行く(たび)に泣かれるので困る。先達(せんだつ)(など)は一時間半許り泣き続けに泣かれて、仕舞には大抵な挨拶はし尽して、大に応対に窮した位だ。其時御母さんはせめて気立ての優しい嫁でも居りましたら、こんな時には力になりますのにと(しき)りに嫁々と繰り返して大に余を困らせた。それも一段落告げたからもう善からうと御免蒙りかけると、あなたに是非見て頂くものがあると云ふから、何ですと聴いたら浩一の日記ですと云ふ。成程亡友の日記は面白からう。元来日記と云ふものは其日/\の出来事を書き記るすのみならず、又時々刻々の心ゆきを遠慮なく吐き出すものだから、如何に親友の手帳でも断りなしに目を通す訳には行かぬが、御母さんが承諾する――否先方から依頼する以上は無論興味のある仕事に相違ない。だから御母さんに読んでくれと云はれたときは大に乗気になつて夫は是非見せて頂戴と迄云はうと思つたが、(この)(うえ)又日記で泣かれる様な事があつては大変だ。到底余の手際(てぎわ)では切り抜ける訳には行かぬ。ことに時刻を限つてある人と面会の約束をした刻限も(せま)つて居るから、是は追つて改めて上がつて緩々(ゆるゆる)拝見を致す事に願ひませうと逃げ出した位である。以上の理由で訪問はちと避易(へきえき)(てい)である。(もつと)も日記は読みたくない事もない。泣かれるのも少しなら厭とは云はない。元々木や石で出来上つたと云ふ訳ではないから人の不幸に対して一滴の同情位は優に表し得る男であるが如何せん性来(しようらい)余り口の製造に念が入つて居らんので応対に窮する。御母さんがまああなた聞いて下さいましと(すす)り上げてくると、何と受けていゝか分らない。夫を無理矢理に体裁を(つく)ろつて半間(はんま)に調子を合せ様とすると切角の慰藉的好意が水泡と変化するのみならず、時には思ひも寄らぬ結果を呈出して熱湯と迄沸騰する事がある。是では慰めに行つたのか怒らせに行つたのか先方でも了解に苦しむだらう。行きさへしなければ薬も盛らん代りに毒も進めぬ訳だから危険はない。訪問は(いず)れ其内として、まづ今日は見合せ様。

 訪問は見合せる事にしたが、昨日の新橋事件を思ひ出すと、どうも浩さんの事が気に掛つてならない。何等かの手段で親友を弔つてやらねばならん。悼亡(とうぼう)の句(など)は出来る柄でない。文才があれば平生の交際を其儘(そのまま)記述して雑誌にでも投書するが此筆では夫も駄目と。何かないかな? うむある/\寺参りだ。浩さんは松樹山の塹壕からまだ上つて来ないが其紀念の遺髪は遥かの海を渡つて駒込の寂光院に埋葬された。こゝヘ行つて御参りをしてきやうと西片町の吾家を出る。

 冬の取つ付きである。小春と云へば名前を聞いてさへ熟柿の様ないゝ心持になる。ことに今年はいつになく暖かなので袷羽織(あわせばおり)に綿入一枚の()で立ちさへ軽々とした快い感じを添へる。先の斜めに減つた杖を振り廻しながら寂光院と大師流(だいしりゆう)に古い紺青で彫りつけた(がく)を眺めて門を這入ると、精舎(しようじや)は格別なもので門内は蕭条(しようじよう)として一塵の痕も留めぬ程掃除が行き届いて居る。是はうれしい。肌の細かな赤土が泥濘(ぬか)りもせず干乾(ひから)びもせず、ねつとりとして日の色を含んだ景色程難有(ありがた)いものはない。西片町は学者町か知らないが雅な家は無論の事、落ちついた土の色さへ見られない位近頃は住宅が多くなつた。学者がそれ丈()えたのか、或は学者がそれ丈不風流なのか、まだ研究して見ないから分らないが、かうやつて広々とした境内へ来ると、平生は学者町で満足を表して居た眼にも何となく坊主の生活が羨しくなる。門の左右には周囲二尺程な赤松が泰然として控へて居る。大方百年位前から(かく)の如く控へて居るのだらう。鷹揚な所が頼母しい。神無月の松の落葉とか昔は称へたものださうだが葉を振つた景色は少しも見えない。只(わだかま)つた根が奇麗な土の中から(こぶ)だらけの骨を一二寸露はして居る許りだ。老僧か、小坊主か納所(なつしよ)かあるひは門番が凝性(こりしよう)で大方日に三度位掃くのだらう。松を左右に見て半町程行くとつき当りが本堂で、其右が庫裏(くり)である。本堂の正面にも金泥(きんでい)の額が懸つて、鳥の糞か、紙を噛んで叩きつけたのか点々と筆者の神聖を汚がして居る。八寸角の欅柱(けやきばしら)には、のたくつた草書の聯が読めるなら読んで見ろと澄してかゝつて居る。成程読めない。読めない所を以て見ると余程名家の書いたものに違ひない。ことによると(おう)羲之(ぎし)かも知れない。えらさうで読めない字を見ると余は必ず王羲之にしたくなる。王羲之にしないと古い妙な感じが起らない。本堂を右手に左へ廻ると墓場である。墓場の入口には化銀杏(ばけいちよう)がある。但し化の字は余のつけたのではない。聞く所によると此界隈で寂光院のばけ銀杏と云へば誰も知らぬ者はないさうだ。然し何が化けたつて、こんなに高くはなりさうもない。三抱(みかかえ)もあらうと云ふ大木だ。例年なら今頃はとくに葉を振つて、から坊主になつて、野分のなかに(うな)つて居るのだが、今年は全く破格な時候なので、高い枝が(ことごと)く美しい葉をつけて居る。下から仰ぐと、目に余る黄金の雲が、穏かな日光を浴びて、所々鼈甲(べつこう)の様に輝くからまぼしい位見事である。其雲の塊りが風もないのにはら/\と落ちてくる。無論薄い葉の事だから落ちても音はしない、落ちる間も(また)(すこぶ)る長い。枝を離れて地に着く迄の間に(あるい)は日に向ひ或は日に背いて色々な光を放つ。色々に変りはするものゝ急ぐ景色もなく、至つて豊かに、至つてしとやかに降つて来る。だから見て居ると落つるのではない、空中を揺曳(ようえい)して遊んで居る様に思はれる。閑静である。――凡てのものゝ動かぬのが一番閑静だと思ふのは間違つて居る。動かない大面積の中に一点が動くから一点以外の静さが理解出来る。しかも其一点が動くと云ふ感じを加重(かちよう)ならしめぬ位、否其一点の動く事其れ自らが定寂(じようじやく)の姿を帯びて、しかも他の部分の静粛な有様を反思(はんし)せしむるに足る程に靡いたなら――其時が一番閑寂の感を与へる者だ。銀杏の葉の一陣の風なきに散る風情は正に是である。限りもない葉が朝、夕を厭はず降つてくるのだから、木の下は、黒い地の見えぬ程扇形(おうぎがた)の小さい葉で敷きつめられて居る。さすがの寺僧もこゝ迄は手が届かぬと見えて、当座は掃除の(はん)を避けたものか、又は(うずた)かき落葉を興ある者と眺めて、打ち棄てゝ置くのか。兎に角美しい。

 しばらく化銀杏の下に立つて、上を見たり下を見たり(たたず)んで居たが、漸くの事幹のもとを離れて(いよいよ)墓地の中へ這入り込んだ。此寺は由緒のある寺ださうで所々に大きな蓮台(れんだい)の上に据ゑつけられた石塔が見える。右手の方に柵を控へたのには梅花院殿瘠鶴(せきかく)大居士とあるから大方大名か旗本の墓だらう。中には至極簡略で尺たらずのもある。慈雲童子と楷書で彫つてある。小供だから小さい訳だ。此外石塔も沢山ある、戒名も飽きる程彫り付けてあるが、申し合せた様に古いの許りである。近頃になつて人間が死なゝくなつた訳でもあるまい、矢張り従前の如く相応の亡者(もうじや)は、年々御客様となつて、あの剥げかゝつた額の下を潜るに違ない。然し彼等が一度(ひとた)び化銀杏の下を通り越すや否や急に古る仏となつて仕舞ふ。何も銀杏の所為(せい)と云ふ訳でもなからうが、大方の檀家は寺僧の懇情で、余り広くない墓地の空所を狭めずに、先祖代々の墓の中に新仏(しんぼとけ)を祭り込むからであらう。浩さんも祭り込まれた一人である。

 浩さんの墓は古いと云ふ点に於て此古い卵塔場(らんとうば)内で大分幅の利く方である。墓はいつ頃出来たものか(しか)とは知らぬが、何でも浩さんの御父さんが這入り、御爺(おじい)さんも這入り、其又御爺さんも這入つたとあるから決して新らしい墓とは申されない。古い代りには形勝の地を占めて居る。隣り寺を境に一段高くなつた土手の上に三坪程な平地があつて石段を二つ踏んで行き当りの真中にあるのが御爺さんも御父さんも浩さんも同居して眠つて居る河上家代々之墓である。極めて分り易ひ。化銀杏を通り越して一筋道を北へ二十間歩けばよい。余は馴れた所だから例の如く例の路をたどつて半分程来て、ふと何の気なしに眼をあげて自分の(まい)るべき墓の方を見た。見るともう来て居る。誰だか分らないが後ろ向になつて(しき)りに合掌して居る様子だ。はてな。誰だらう。誰だか分り様はないが、遠くから見ても男でない丈は分る。恰好(かつこう)から云つても(たし)かに女だ。女なら御母さんか知らん。余は無頓着の性質で女の服装(など)は一向不案内だが、御母さんは大抵黒繻子(くろじゆす)の帯をしめて居る。所が此女の帯は――後から見ると最も人の注意を()く、女の背中一杯に広がつて居る帯は決して黒つぽいものでもない。光彩陸離たる矢鱈(やたら)に奇麗なものだ。若い女だ! と余は覚えず口の中で叫んだ。かうなると余は少々ばつがわるい。進むべきものか退くべきものか一寸留つて考へて見た。女は(それ)とも知らないから、しやがんだ儘熱心に河上家代々の墓を礼拝して居る。どうも近寄りにくい。去ればと云つて逃げる程悪事を働いた覚はない。どうしやうと迷つて居ると女はすつくら立ち上がつた。後ろは隣りの寺の孟宗藪で寒い程緑りの色が茂つて居る。其(した)たる許り深い竹の前にすつくりと立つた。背景が北側の日影で、黒い中に女の顔が浮き出した様に白く映る。眼の大きな頬の(しま)つた(えり)の長い女である。右の手をぶらりと垂れて、指の先でハンケチの端をつかんで居る。其ハンケチの雪の様に白いのが、暗い竹の中に鮮かに見える。顔とハンケチの清く染め抜かれた外は、あつと思つた瞬間に余の眼には何物も映らなかつた。余が此年になる迄に見た女の数は(おびただ)しいものである。往来の中、電車の上、公園の内、音楽会、劇場、縁日、随分見たと云つて(よろ)しい。然し此時程驚ろいた事はない。此時程美しいと思つた事はない。余は浩さんの事も忘れ、墓詣りに来た事も忘れ、極りが悪るいと云ふ事さへ忘れて白い顔と白いハンケチ許り眺めて居た。今迄は人が後ろに居やうとは夢にも知らなかつた女も、帰らうとして歩き出す途端に、茫然として佇ずんでおる余の姿が眼に入つたものと見えて、石段の上に一寸立ち留まつた。下から眺めた余の眼と上から見下す女の視線が五間を隔てゝ互に行き当つた時、女はすぐ下を向いた。すると飽く迄白い頬に裏から朱を溶いて流した様な濃い色がむら/\ と煮染(にじ)み出した。見るうちに夫が顔一面に広がつて耳の付根(つけね)迄真赤に見えた。是は気の毒な事をした。化銀杏の方ヘ逆戻りを仕様。いやさうすれば(かえ)つて忍び足に後でもつけて来た様に思はれる。と云つて茫然と見とれて居ては(なお)失礼だ。死地に活を求むと云ふ兵法もあると云ふ話しだから是は勢よく前進するに()くはない。墓場へ墓詣(はかまい)りをしに来たのだから別に不思議はあるまい。只躊躇するから怪しまれるのだ。と決心して例のステツキを取り直して、つか/\と女の方へ歩き出した。すると女も俯向(うつむ)いた儘()を移して石段の下で逃げる様に余の袖の傍を擦りぬける。ヘリオトロープらしい香りがぷんとする。香が高いので、小春日に照りつけられた袷羽織(あわせばおり)の脊中からしみ込んだ様な気がした。女が通り過ぎたあとは、やつと安心して何だか我に帰つた風に落ち付いたので、元来何者だらうと又振り向いて見る。すると運悪く又眼と眼が行き合つた。此度(こんど)は余は石段の上に立つてステツキを突いて居る。女は化銀杏の下で、行きかけた体を斜めに(ねじ)つて此方(こつち)を見上げて居る。銀杏は風なきに猶ひら/\と女の髪の上、袖の上、帯の上ヘ舞ひさがる。時刻は一時か一時半頃である。丁度去年の冬浩さんが大風の中を旗を持つて散兵壕(さんぺいごう)から飛び出した時である。空は研ぎ上げた剣を懸けつらねた如く澄んで居る。秋の空の冬に変る間際程高く見える事はない。(うすもの)に似た雲の、微かに飛ぶ影も(ひとみ)(うち)には落ちぬ。羽根があつて飛び登ればどこ迄も飛び登れるに相違ない。然しどこ迄昇つても昇り尽せはしまいと思はれるのが此空である。無限と云ふ感じはこんな空を望んだ時に最もよく起る。此無限に遠く、無限に(はる)かに、無限に静かな空を会釈もなく裂いて、化銀杏が黄金の雲を凝らして居る。其隣には寂光院の屋根瓦が同じく此の蒼穹(そうきゆう)の一部を横に劃して、何十万枚重なつたものか黒々と鱗の如く、暖かき日影を射返して居る。――古き空、古き銀杏、古き伽藍と古き墳墓が寂寞(じやくまく)として存在する間に、美くしい若い女が立つて居る。非常な対照である。竹藪を後ろに脊負(しよ)つて立つた時は只顔の白いのとハンケチの白いの許り目に着いたが、今度はずらりと着こなした衣の色と、其衣を真中から輪に()つた帯の色がいちゞるしく目立つ。縞柄(しまがら)だの品物抔は余の様な無風流漢には残念ながら記述出来んが、色合丈は(たし)かに華やかな者だ。こんな物()びた境内に一分たりとも居るべき性質のものでない。居るとすればどこからか戸迷(とまどい)をして紛れ込んで来たに相違ない。三越陳列場の断片を切り抜いて落柿舎(らくししや)物干竿(ものほしざお)へかけた様なものだ。対照の極とは是であらう。――女は化銀杏の下から斜めに振り返つて余が(まい)る墓のありかを確かめて行きたいと云ふ風に見えたが、生憎(あいにく)余の方でも女に不審があるので石段の上から眺め返したから、思ひ切つて本堂の方へ曲つた。銀杏はひら/\と降つて、黒い地を隠す。

 余は女の後姿を見送つて不思議な対照だと考へた。昔し住吉の(やしろ)で芸者を見た事がある。其時は時雨(しぐれ)の中に立ち尽す島田姿が常よりは(あで)やかに余が瞳を照した。箱根の大地獄で二八余りの西洋人に遇つた事がある。其折は十丈も煮え(あが)る湯煙りの凄じき光景が、しばらくは和らいで安慰の念を余が頭に与へた。凡ての対照は大抵此二つの結果より外には何も生ぜぬ者である。在来の鋭どき感じを削つて鈍くするか、又は新たに視界に現はるゝ物象を平時よりは明瞭に脳裏に印し去るか、是が普通吾人の予期する対照である。所が今()た対象は毫もそんな感じを引き起さなかつた。相除(そうじよ)の対照でもなければ相乗の対照でもない。古い、淋しい消極的な心の状態が減じた景色は更にない、と云つて此美くしい綺羅を飾つた女の容姿が、音楽会や、園遊会で逢ふよりは()と際目立つて見えたと云ふ訳でもない。余が寂光院の門を潜つて得た情緒は、浮世を歩む年齢が逆行して父母(ふも)未生(みしよう)以前(いぜん)に溯つたと思ふ位、古い、物寂びた、憐れの多い、捕へる程(しか)とした痕迹もなき迄、淡く消極的な情緒である。此情緒は藪を後ろにすつくりと立つた女の上に、余の眼が注がれた時に毫も矛盾の感を与へなかつたのみならず、落葉の中に振り返る姿を眺めた瞬間に於て、(かえ)つて一層の深きを加へた。古伽藍と剥げた(がく)、化銀杏と動かぬ松、錯落(さくらく)(なら)ぶ石塔――死したる人の名を(きざ)む死したる石塔と、花の様な佳人とが融和して一団の気と流れて円熟無礙(むげ)の一種の感動を余の神経に伝へたのである。

 ()んな無理を聞かせられる読者は定めて承知すまい。それは文士の嘘言だと笑ふ者さへあらう。然し事実はうそでも事実である。文士だらうが不文士だらうが書いた事は書いた通り懸価(かけね)のない所をかいたのである。もし文士がわるければ断つて置く。余は文士ではない、西片町に住む学者だ。()し疑ふなら此問題をとつて学者的に説明してやらう。読者は沙翁(さおう)の悲劇マクベスを知つて居るだらう。マクベス夫婦が共謀して主君のダンカンを寝室の中で殺す。殺して仕舞ふや否や門の戸を続け様に(たた)くものがある。すると門番が敲くは/\と云ひながら出て来て酔漢の(くだ)を捲く様なたわいもない事を呂律(ろれつ)の廻らぬ調子で述べ立てる。是が対照だ。対照も対照も一通りの対照ではない。人殺しの(わき)都々(どど)(いつ)を歌ふ位の対照だ。所が妙な事は此滑稽を挿んだ為めに今迄の凄槍(せいそう)たる光景が多少和らげられて、此に至つて一段とくつろぎが付いた感じもなければ、又滑稽が事件の排列の具合から平生より一倍の可笑味(おかしみ)を与へると云ふ訳でもない。それでは何等の功果もないかと云ふと大変ある。劇全体を通じての物凄さ、怖しさは此一段の諧謔の為めに白熱度に引き上げらるゝのである。(なお)拡大して云へば此場合に於ては諧謔其物が畏怖である、恐懼(きようく)である、悚然(しようぜん)として(あわ)を肌に吹く要素になる。其訳を云へば先づかうだ。

 吾人(ごじん)が事物に対する観察点が従来の経験で支配せらるゝのは言を待たずして明瞭な事実である。経験の勢力は度数と、単独な場合に受けた感動の量に()つて高下増減するのも争はれぬ事実であらう。絹布団に生れ落ちて御意(ぎよい)(おお)せだと持ち上げられる経験が度重(たびかさ)なると人間は余に頭を下げる為めに生れたのぢゃなと御意遊ばす様になる。金で酒を買ひ、金で(めかけ)を買ひ、金で邸宅、朋友、従五位(じゆごい)迄買つた連中は金さへあれば何でも出来るさと金庫を横目に睨んで(たか)(くく)つた鼻先を虚空遥かに()り返へす。一度の経験でも御多分には洩れん。箔屋町(はくやちよう)の大火事に身代(しんだい)(つぶ)した旦那は板橋の一つ番でも蒼くなるかも知れない。濃尾の震災に瓦の中から掘り出された生き仏はドンが鳴つても念仏を唱へるだらう。正直な者が生涯に一返万引を働いても疑を掛ける知人もないし、冗談を商買にする男が十年に半日真面目な事件を担ぎ込んでも誰も相手にするものはない。つまる所吾々の観察点と云ふものは従来の惰性で解決せられるのである。吾々の生活は千差万別であるから、吾々の惰性も商買により職業により、年齢により、気質により、両性によりて(おのおの)異なるであらう。が其通り劇を見るときにも小説を読むときにも全篇を通じた調子があつて、此調子が読者、観客の心に反応すると矢張り一種の惰性になる。もし此惰性を構成する分子が猛烈であればある程、惰性其物も(ろう)として動かすべからず抜くべからざる傾向を生ずるに極つて居る。マクベスは妖婆、毒婦、兇漢の行為動作を刻意(こくい)に描写した悲劇である。読んで冒頭より門番の滑稽に至つて冥々の際読者の心に生ずる唯一の惰性は()と云ふ一字に帰着して仕舞ふ。過去が既に怖である、未来も(また)怖なるべしとの予期は、自然と己れを放射して次に出現すべき如何なる出来事をも此()に関連して解釈しやうと試みるのは当然の事と云はねばならぬ。船に酔つたものが陸に上つた後迄も大地を動くものと思ひ、臆病に生れ付いた雀が案山子(かがし)を例の爺さんかと疑ふ如く、マクベスを読む者も亦()の一字をどこ迄も引張つて、()を冠すべからざる辺に迄持つて行かうと(つと)むるは怪しむに足らぬ。何事をも()化せんとあせる矢先に現はるゝ門番の狂言は、普通の狂言諧謔とは受け取れまい。

 世間には諷語(ふうご)と云ふがある。諷語は皆表裏二面の意義を有して居る。先生を馬鹿の別号に用ひ、大将を匹夫(ひつぷ)渾名(あだな)に使ふのは誰も心得て居やう。此筆法で行くと人に謙遜するのは(ますます)人を愚にした待遇法で、他を称揚するのは(さかん)に他を罵倒した事になる。表面の意味が強ければ強い程、裏側の含蓄も(ようや)く深くなる。御辞儀一つで人を愚弄するよりは、履物を揃へて人を揶揄する方が深刻ではないか。此心理を一歩開拓して考へて見る。吾々が使用する大抵の命題は反対の意味に解釈が出来る事とならう。さあどつちの意味にしたものだらうと云ふときに例の惰性が出て苦もなく判断して呉れる。滑稽の解釈に於ても其通りと思ふ。滑稽の裏には真面目がくつ付いて居る。大笑の奥には熱涙(ねつるい)が潜んで居る。雑談(じようだん)の底には啾々(しゆうしゆう)たる鬼哭(きこく)が聞える。とすれば()と云ふ惰性を養成した眼を以て門番の諧謔を読む者は、其諧謔を正面から解釈したものであらうか、裏側から観察したものであらうか。裏面から観察するとすれば酔漢の妄語(もうご)のうちに身の毛もよだつ程の畏懼(いく)の念はある筈だ。元来諷語は正語(せいご)よりも皮肉なる(だけ)正語よりも深刻で猛烈なものである。虫さへ厭ふ美人の根性を透見(とうけん)して、毒蛇の化身即ち此天女なりと判断し得たる刹那に、其罪悪は同程度の他の罪悪よりも一層怖るべき感じを引き起す。全く人間の諷語であるからだ。白昼の化物の方が定石の幽霊よりも或る場合には恐ろしい。諷語であるからだ。廃寺に一夜をあかした時、庭前の一本杉の下でカツポレを躍るものがあつたら此カツポレは非常に物凄からう。是も一種の諷語であるからだ。マクベスの門番は山寺のカツポレと全然同格である。マクベスの門番が解けたら寂光院の美人も解ける筈だ。

 百花の玉を以て許す牡丹さへ崩れるときは、富貴の色も只好事家の憐れを買ふに足らぬ程(もろ)いものだ。美人薄命と云ふ諺もある位だから此女の寿命も容易に保険はつけられない。然し妙齢の娘は概して活気に()ちて居る。前途の希望に照されて、見るからに陽気な心持のするものだ。のみならず友染(ゆうぜん)とか、繻珍(しゆちん)とか、ぱつとした色気のものに包まつて居るから、横から見ても縦から見ても派出である、立派である、春景色である。其一人が――最も美くしき其一人が寂光院の墓場の中に立つた。浮かない、古臭い、沈静な四顧(しこ)の景物の中に立つた。すると其愛らしき眼、其はなやかな袖が忽然と本来の面白を変じて蕭条(しようじよう)たる周囲に流れ込んで、境内(けいだい)寂寞(じやくまく)の感を一層深からしめた。天下に墓程落付いたものはない。然し此女が墓の前に延び上がつた時は墓よりも落ちついて居た。銀杏の黄葉(こうよう)は淋しい。()して化けるとあるから(なお)淋しい。然し此女が化銀杏の下に横顔を向けて佇んだときは、銀杏の精が幹から抜け出したと思はれる位淋しかつた。上野の音楽会でなければ釣り合はぬ服装をして、帝国ホテルの夜会にでも招待されさうな此女がなぜかくの如く四辺の光景と映帯(えいたい)して索寞(さくばく)の観を添へるのか。是も諷語だからだ。マクベスの門番が怖しければ寂光院の此女も淋しくなくてはならん。

 御墓を見ると花筒に菊がさしてある。垣根に咲く豆菊(まめぎく)の色は白いもの許りである。是も今の女の所為(しよい)に相違ない。家から折つて来たものか、途中で買つて来たものか分らん。()しや名刺でも(くく)りつけてはないかと葉裏迄(のぞ)いて見たが何もない。全体何物だらう? 余は高等学校時代から浩さんとは親しい付き合ひの一人であつた。うちへはよく宿(とま)りに行つて浩さんの親類は大抵知つて居る。然し指を折つてあれこれと順々に勘定して見ても、こんな女は思ひ出せない。すると他人か知らん。浩さんは人好きのする性質で、交際も大分広かつたが、女に朋友がある事はついに聞いた事がない。(もつと)も交際をしたからと云つて、必らず余に告げるとは限つて居らん。が浩さんはそんな事を隠す様な性質ではないし、よし外の人に隠したからと云つて余に隠す事はない筈だ。かう云ふと可笑(おか)しいが余は河上家の内情は相続人たる浩さんに劣らん位(くわ)しく知つて居る。さうして夫は皆浩さんが余に話したのである。だから女との交際だつて、もし実際あつたとすればとくに余に告げるに相違ない。告げぬ所を以て見ると知らぬ女だ。然し知らぬ女が花迄()げて浩さんの墓参りにくる訳がない。是は怪しい。少し変だが追懸けて名前丈でも聞いて見様か、夫も妙だ。いつその事黙つて後を付けて行く先を見届け様か、それでは丸で探偵だ。そんな下等な事はしたくない。どうしたら善からうと墓の前で考へた。浩さんは去年の十一月塹壕に飛び込んだぎり、今日迄上がつて来ない。河上家代々の墓を杖で(たた)いても、手で揺り動かしても浩さんは矢張塹壕の底に寐て居るだらう。こんな美人が、こんな美しい花を()げて御詣りに来るのも知らずに寐て居るだらう。だから浩さんはあの女の素性も名前も聞く必要もあるまい。浩さんが聞く必要もないものを余が探究する必要は猶更(なおさら)ない。いや是はいかぬ。かう云ふ論理ではあの女の身元を調べてはならんと云ふ事になる。然し其は間違つて居る。何故? 何故は追つて考へてから説明するとして、只今の場合是非共聞き(ただ)さなくてはならん。何でも()でも聞かないと気が済まん。いきなり石段を一股に飛び下りて化銀杏の落葉を蹴散らして寂光院の門を出で先づ左の方を見た。居ない。右を向いた。右にも見えない。足早に四つ角迄来て目の届く限り東西南北を見渡した。矢張り見えない。とう/\取り逃がした。仕方がない、御母(おつか)さんに逢つて話をして見様、ことによつたら容子が分るかも知れない。

  三

 六畳の座敷は南向で拭き込んだ橡側の端に神代杉(じんだいすぎ)手拭懸(てぬぐいかけ)が置いてある。軒下から丸い手水桶(ちようずおけ)を鉄の鎖で釣るしたのは酒落(しやれ)れて居るが、其下に一叢(ひとむら)木賊(とくさ)をあしらつた所が一段の趣を添へる。四つ目垣の向ふは二三十坪の茶畠で其間に梅の木が三四本見える。垣に()ふた竹の先に洗濯した白足袋が裏返しに乾してあつて其隣りには如露(じよろ)が逆さまに被せてある。其根元に豆菊が塊まつて咲いて累々と白玉(はくぎよく)(つづ)つてゐるのを見て「奇麗ですな」と御母さんに話しかけた。

「今年は暖たかだもんですから、よく持ちます。あれもあなた、浩一の大好きな菊で……」

「へえ、白いのが好きでしたかな」

「白い、小いさい豆の様なのが一番面白いと申して自分で根を貰つて来て、わざわざ植えたので御座います」

「成程そんな事がありましたな」と云つたが、内心は少々気味が悪かつた。寂光院の花筒に(はさ)んであるのは正に此種の此色の菊である。

御叔母(おば)さん近頃は御寺参りをなさいますか」

「いえ、先達て中から風邪の気味で五六日伏せつて居りましたものですから、つい/\仏へ無沙汰を致しまして。――うちに居つても忘れる間はないのですけれども――年をとりますと、御湯に行くのも退儀になりましてね」

「時々は少し表をあるく方が薬ですよ。近頃はいゝ、時候ですから……」

「御親切に難有(ありがと)う存じます。親戚のもの(など)も心配して色々云つて呉れますが、どうもあなた何分元気がないものですから。それにこんな婆さんを態々(わざわざ)連れてあるいて呉れるものもありませず」

 かうなると余はいつでも言句に窮する。どう云つて切り抜けていゝか見当がつかない。仕方がないから「はああ」と長く引つ張つたが、御母さんは少々不平の気味である。さあしまつたと思つたが別に片付け様もないから、梅の木をあちらこちら飛び歩るいて居る四十雀(しじゆうから)を眺めて居た。御母さんも話の腰を折られて無言である。

「御親類に若い御嬢さんでもあると、こんな時には御相手にいゝですがね」と云ひながら不調法なる余にしては天晴(あつぱれ)な出来だと自分で感心して見せた。

生憎(あいにく)そんな娘も居りませず。それに人の子には矢張り遠慮勝ちで‥‥‥せがれに(よめ)でも貰つて置いたら、こんな時には(さぞ)心丈夫だらうと思ひます。ほんに残念な事をしました」

 そら娵が出た。くる度によめ(ヽヽ)が出ない事はない。年頃の息子に娵を持たせたいと云ふのは親の情として左もあるべき事だが、死んだ子に娵を迎へて置かなかつたのを残念がるのは少々平仄(ひようそく)が合はない。人情はこんなものか知らん。まだ年寄になつて見ないから分らないがどうも一般の常識から云ふと少し間違つて居る様だ。それは一人で詫しく暮らすより気に入つた嫁の世話になる方が誰だつて頼りが多からう。然し嫁の身になつても見るがいゝ。結婚して半年も立たないうちに夫は出征する。漸く戦争が済んだと思ふと、いつの間にか戦死して居る。二十(はたち)を越すか越さないのに、姑と二人暮しで一生を終る。こんな残酷な事があるものか。御母さんの云ふ所は老人の立場から云へば無理もない訴だが、然し随分我儘な願だ。年寄は是だからいかぬと、内心は(すこぶ)る不平であつたが、滅多な抗議を申し込むと又気色を悪るくさせる危険がある。切角(せつかく)慰めに来ていつも失策をやるのは余り器量のない話だ。まあ/\だまつて居るに()くはなしと覚悟を極めて、(かえ)つて反対の方角へと(かじ)をとつた。余は正直に生れた男である。然し社会に存在して怨まれずに世の中を渡らうとすると、どうも嘘がつきたくなる。正直と社会生活が両立するに至れば嘘は直ちにやめる積りで居る。

「実際残念な事をしましたね。全体浩さんは何故嫁をもらはなかつたんですか」

「いえ、あなた色々探して居りますうちに、旅順へ参る様になつたもので御座んすから」

「それぢや当人も貰ふ積りで居たんでせう」

「それは‥‥‥」と云つたが、其ぎり黙つて居る。少々様子が変だ。(あるい)は寂光院事件の手懸りが潜伏して居さうだ。白状して云ふと、余は此時浩さんの事も、御母さんの事も考へて居なかつた。只あの不思議な女の素性と浩さんとの関係が知りたいので頭の中は一杯になつて居る。此日に於ける余は平生の様な同情的動物ではない、全く冷静な好奇獣とも称すべき代物に化して居た。人間も其日/\で色々になる。悪人になつた翌日は善男に変じ、小人の昼の後に君子の夜がくる。あの男の性格は(など)と手にとつた様に吹聴する先生があるがあれは利口の馬鹿と云ふもので其日/\の自己を研究する能力さへないから、こんな傍若無人の囈語(げいご)を吐いて、独りで恐悦がるのである。探偵程劣等な家業は又とあるまいと自分にも思ひ、人にも宣言して憚らなかつた自分が、純然たる探偵的態度を以て事物に対するに至つたのは、頗るあきれ返つた現象である。一寸言ひ淀んだ御母さんは、思ひ切つた口調で

「其事に就て浩一は何かあなたに御話をした事は御座いませんか」

「嫁の事ですか」

「えゝ、誰か自分の好いたものがある様な事を」

「いゝえ」と答へたが、実は此問こそ、こつちから御母さんに向つて聞いて見なければならん問題であつた。

御叔母(おば)さんには何か話しましたらう」

「いゝえ」

 望の綱は是限(これぎ)り切れた。仕方がないから又眼を庭の方へ転ずると、四十雀は既にどこかへ飛び去つて、例の白菊の色が、水気を含んだ黒土に映じて見事に見える。其時不図(ふと)思ひ出したのは先日の日記の事である。御母さんも知らず、余も知らぬ、あの女の事があるひは書いてあるかも知れぬ。よしあからさまに記してなくても一応目を通したら何か手懸りがあらう。御母さんは女の事だから理解出来んかも知れんが、余が見ればかうだらう位の見当はつくだらう。是は催促して日記を見るに()くはない。

「あの先日御話しの日記ですね。あの中に何かかいてはありませんか」

「えゝ、あれを見ないうちは何とも思はなかつたのですが、つい見たものですから……」と御母さんは急に涙声になる。又泣かした。是だから困る。困りはしたものゝ、何か書いてある事は(たし)かだ。かうなつては泣かうが泣くまいがそんな事は構つて居られん。

「日記に何か書いてありますか? それは是非拝見しませう」と勢よく云つたのは今から考ヘて赤面の次第である。御母さんは()つて奥へ這入る。

 やがて襖をあけてポツケツト入れの手帳を持つて出てくる。表紙は茶の皮で一寸見ると紙入の様な体裁である。朝夕内がくしに入れたものと見えて茶色の所が黒ずんで、手垢でぴか/\光つて居る。無言の儘日記を受取つて中を見様とすると表の戸がから/\と開いて、頼みますと云ふ声がする。生憎来客だ。御母さんは手真似(てまね)で早く隠せと云ふから、余は手帳を内懐(うちぶところ)に入れて「宅へ帰つて見てもいゝですか」と聞いた。御母さんは玄関の方を見ながら「どうぞ」と答へる。やがて下女が何とか様が入らつしやいましたいましたと注進にくる。何とか様に用はない。日記さへあれば大丈夫早く帰つて読まなくつてはならない。其ではと挨拶をして久竪町(ひさかたまち)の往来へ出る。

 伝通院の裏を抜けて表町の坂を下りながら路々考へた。どうしても小説だ。然し小説に近い丈何だか不自然である。然し是から事件の真相を究めて、全体の成行が明瞭になりさへすれば此不自然も自づと消滅する訳だ。兎に角面白い。是非探索――探索と云ふと何だか不愉快だ――探究として置かう。是非探究して見なければならん。其にしても昨日あの女のあとを付けなかつたのは残念だ。もし向後(こうご)あの女に逢ふ事が出来ないとすると此事件は判然と分りさうにもない。()らぬ遠慮をして流星(りゆうせい)光底(こうてい)ぢやないが逃がしたのは惜い事だ。元来品位を重んじ過ぎたり、あまり高尚にすると、()てこんな事になるものだ。人間はどこかに泥棒的分子がないと成功はしない。紳士も結構には相違ないが、紳士の体面を(きずつ)けざる範囲内に於て泥棒根性を発揮せんと折角の紳土が紳士として通用しなくなる。泥棒気のない純粋の紳士は大抵行き倒れになるさうだ。よし是からはもう少し下品になつてやらう。とくだらぬ事を考へながら柳町の橋の上迄来ると、水道橋の方から一輛の人力車が勇ましく白山の方へ馳け抜ける。車が自分の前を通り過ぎる時間は何秒と云ふ(わず)かの間であるから、余が冥想の眼をふとあげて車の上を見た時は、乗つて居る客は既に眼界から消えかゝつて居た。が其人の顔は? あゝ寂光院だと気が着いた頃はもう五六間先へ行つて居る。こゝだ下品になるのはこゝだ。何でも構はんから追ひ懸けろと、下駄の歯をそちらに向けたが、徒歩で車のあとを追ひ懸けるのは余り下品すぎる。気狂でなくつてはそんな馬鹿な事をするものはない。車、車、車は居らんかなと四方を見廻したが生憎(あいにく)一輛も居らん。其うちに寂光院は姿も見えない位遥かあなたに馳け抜ける。もう駄目だ。気狂と思はれる迄下品にならなければ世の中は成功せんものかなと惘然(ぼうぜん)として西片町へ帰つて来た。

 取り()えず、書斎に立て籠つて懐中から例の手帳を出したが、何分夕景ではつきりせん。実は途上でもあちこちと拾ひ読みに読んで来たのだが、鉛筆でなぐりがきに書いたものだから明るい所でも容易に分らない。ランプを()ける。下女が御飯はと云つて来たから、めしは後で食ふと追ひ返す。(さて)一頁から順々に見て行くと皆陣中の出来事のみである。しかも倥惚(こうそう)の際に分陰(ふんいん)(ぬす)んで記しつけたものと見えて大概の事は一句二句で弁じて居る。「風、坑道内にて食事。握り飯二個、泥まぶれ」と云ふのがある。「夜来風邪の気味、発熱。診察を受けず、例の如く勤務」と云ふのがある。「テント外の歩哨(ほしよう)散弾に(あた)る。テントに(たお)れかゝる。血痕を印す」「五時大突撃。中隊全滅、不成功に終る。残念!!!」残念の下に!が三本引いてある。無論記憶を助ける為めの手控であるから、毫も文章らしい所はない。字句を修飾したり、彫琢したりした痕跡は薬にしたくも見当らぬ。然しそれが非常に面白い。只有の儘を有の儘に写して居る所が大に気に入つた。ことに俗人の使用する壮士的口吻がないのが嬉しい。怒気天を()くだの、暴慢なる露人だの、醜虜(しゆうりよ)(たん)を寒からしむだの、凡てえらさうで安つぽい辞句はどこにも使つてない。文体は甚だ気に入つた、流石(さすが)に浩さんだと感心したが、肝心の寂光院事件はまだ出て来ない。段々読んで行くうちに四行ばかり書いて上から棒を引いて消した所が出て来た。こんな所が怪しいものだ。(これ)を読みこなさなければ気が済まん。手帳をランプのホヤに押し付けて透かして見る。二行目の棒の下からある字が三分の二ばかり()み出して居る。()の字らしい。それから骨を折つてやう/\郵便局の三字丈け片づけた。郵便局の上の字は●(大の縦棒なし)●(郷の中が空白)(だけ)見えて居る。是は何だらうと三分程ランプと相談をしてやつと分つた。本郷郵便局である。こゝ迄はやつと漕ぎつけたが其外は裏から見ても逆さに見てもどうしても読めない。とう/\断念する。夫から二三頁進むと突然一大発見に遭遇した。「二三日一睡もせんので勤務中坑内で仮寝。郵便局で逢つた女の夢を見る」

 余は覚えずどきりとした。「只二三分の間、顔を見た許りの女を、程経(ほどへ)て夢に見るのは不思議である」此句から急に言文一致になつて居る。「余程衰弱して居る証拠であらう、然し衰弱せんでもあの女の夢なら見るかも知れん。旅順へ来てから是で三度見た」

 余は日記をぴしゃりと(たた)いて(これ)だ! と叫んだ。御母さんが嫁々と口癖の様に云ふのは無理はない。是を読んで居るからだ。夫を知らずに我儘だの残酷だのと心中で評したのは、こつちが悪るいのだ。成程こんな女が居るなら、親の身として一日でも添はしてやりたいだらう。御母さんが嫁が居たら/\と云ふのを今迄誤解して全く自分の淋しいのをまぎらす為と許り解釈して居たのは余の眼識の足らなかつた所だ。あれは自分の我儘で云ふ言葉ではない。可愛い息子を戦死する前に、半月でも思ひ通りにさせてやりたかつたと云ふ謎なのだ。成程男は呑気なものだ。然し知らん事なら仕方がない。それは先づよしとして元来寂光院が此女なのか、(あるい)はあれは全く別物で、浩さんの郵便局で逢つたと云ふのは外の女なのか、是が疑問である。此疑問はまだ断定は出来ない。是丈の材料でさう早く結論に高飛びはやりかねる。やりかねるが少しは想像を()れる余地もなくては、凡ての判断はやれるものではない。浩さんが郵便局であの女に逢つたとする。郵便局へ遊びに行く訳はないから、切手を買ふか、為替(かわせ)を出すか取るかしたに相違ない。浩さんが切手を手紙へ貼る時に傍に居たあの女が、どう云ふ拍子かで差出人の宿所姓名を見ないとは限らない。あの女が浩さんの宿所姓名を其時に覚え込んだとして、(これ)に小説的分子を五分(ごぶ)許り加味すれば寂光院事件は全く起らんとも云へぬ。女の方は夫で解せたとして浩さんの方が不思議だ。どうして一寸逢つたものをさう何度も夢に見るかしらん。どうも今少し(たし)かな土台が欲しいがと(なお)読んで行くと、こんな事が書いてある。「近世の軍略に於て、攻城は至難なるものゝ一として数へらる。我が攻囲軍の死傷多きは怪しむに足らず。此二三ケ月間に余が知れる将校の城下に(たお)れたる者は枚挙に(いとま)あらず。死は早晩余を襲ひ来らん。余は日夜に両軍の砲声を聞きて、今か/\と順番の至るを待つ」成程死を決して居たものと見える。十一月二十五日の条にはかうある。「余の運命も(いよいよ)明日に(せま)つた」今度は言文一致である。「軍人が(いく)さで死ぬのは当然の事である。死ぬのは名誉である。ある点から云へば生きて本国に帰るのは死ぬべき所を死に損なつた様なものだ」戦死の当日の所を見ると「今日限りの命だ。二龍山(にりゆうざん)を崩す大砲の声がしきりに響く。死んだらあの音も聞えぬだらう。耳は聞えなくなつても、誰か来て墓参りをして呉れるだらう。さうして白い小さい菊でもあげてくれるだらう。寂光院は閑静な所だ」とある。其次に「強い風だ。(いよいよ)是から死にゝ行く。(たま)(あた)つて(たお)れる迄旗を振つて進む積りだ。御母さんは寒いだらう」日記はこゝでぷつりと切れて居る。切れて居る筈だ。

 余はぞつとして日記を閉ぢたが、愈あの女の事が気に懸つて堪らない。あの車は白山の方へ向いて馳けて行つたから、何でも白山方面のものに相違ない。白山方面とすれば本郷の郵便局へ来んとも限らん。然し白山だつて広い、名前も分らんものを探ねて歩いたつて、さう急に知れる訳がない。兎に角今夜の間に合ふ様な簡略な問題ではない。仕方がないから晩食(ばんめし)を済まして其晩はそれぎり寐る事にした。実は書物を読んでも何が書いてあるか茫々として海に対する様な感があるから、(やむ)を得ず床へ這入つたのだが、(さて)夜具の中でも思ふ通りにはならんもので、終夜安眠が出来なかつた。

 翌日学校へ出て平常の通り講義はしたが、例の事件が気になつていつもの様に授業に身が入らない。控所へ来ても他の職員と話しをする気にならん。学校の退()けるのを待ちかねて、其足で寂光院へ来て見たが、女の姿は見えない。昨日の菊が鮮やかに竹藪の緑に映じて雪の団子の様に見える許りだ。夫から白山から原町、林町の辺をぐる/\廻つて歩いたが矢張り何等の手懸りもない。其晩は疲労の為め寐る事丈はよく寐た。然し朝になつて授業が面白く出来ないのは昨日と変る事はなかつた。三日目に教員の一人を捕まへて君白山方面に美人が居るかなと尋ねて見たら、うむ沢山居る、あつちへ引き越し玉へと云つた。帰りがけに学生の一人に追ひ付いて君は白山の方に居るかと聞いたら、いゝえ森川町ですと答へた。こんな馬鹿な騒ぎ方をして居たつて始まる訳のものではない。矢張り平生の如く落ち付いて、()るりと探究するに()くなしと決心を定めた。それで其晩は煩悶(はんもん)焦慮(しようりよ)もせず、例の通り静かに書斎に入つて、先達中(せんだつてじゆう)からの取調物を引き続いてやる事にした。

 近頃余の調べて居る事項は遺伝と云ふ大問題である。元来余は医者でもない、生物学者でもない。だから遺伝と云ふ問題に関して専門上の智識は無論有して居らぬ。有して居らぬ所が余の好奇心を挑発する所で、近頃ふとした事から此問題に関して其起原発達の歴史やら最近の新説やらを一通り承知したいと云ふ希望を起してそれから此研究を始めたのである。遺伝と一口に云ふと(すこぶ)る単純な様であるが段々調べて見ると複雑な問題で、是丈研究して居ても充分生涯の仕事はある。メンデリズムだの、ワイスマンの理論だの、ヘツケルの議論だの、其弟子のヘルトウイツヒの研究だの、スペンサーの進化心理説だのと色々の人が色々の事を云ふて居る。そこで今夜は例の如く書斎の(うち)で近頃出版になつた英吉利(イギリス)のリードと云ふ人の著述を読む積りで、二三枚丈は何気なくはぐつて仕舞つた。するとどう云ふ拍子か、かの日記の中の事柄が、書物を読ませまいと頭の中へ割り込んでくる。さうはさせぬと又一枚程開けると、今度は寂光院が襲つて来る。漸くそれを追払つて五六枚無難に通過したかと思ふと、御母さんの切り下げの被布姿(ひふすがた)がぺージの上にあらはれる。読む積りで決心して懸つた仕事だから読めん事はない。読めん事はないがぺージとぺージの間に狂言が這入る。夫でも構はずどし/\進んで行くと、此狂言と本文の間が次第々々に接近して来る。仕舞にはどこからが狂言でどこ迄が本文か分らない様にぼうつとして来た。此夢の様な有様で五六分続けたと思ふうち、(たちま)ち頭の中に電流を通じた感じがしてはつと我に帰つた。「さうだ、此問題は遺伝で解ける問題だ。遺伝で解けば屹度(きつと)解ける」とは同時に吾口(わがくち)を突いて飛び出した言語である。今迄は但不思議である小説的である、何となく落ちつかない、何か疑惑を晴らす工夫はあるまいか、夫には当人を捕へて聞き(ただ)すより外に方法はあるまいとのみ速断して、其結果は朋友に冷かされたり、屑屋(くずや)流に駒込近傍を徘徊したのである。然しこんな問題は当人の支配権以外に立つ問題だから、よし当人を尋ねあてゝ事実を明らかにした所で不思議は解けるものでない。当人から聞き得る事実其物が不思議である以上は余の疑惑は落ち付き様がない。昔はこんな現象を因果と称へて居た。因果は諦らめる者、泣く子と地頭には勝たれぬ者と相場が極つて居た。成程因果と言ひ放てば因果で済むかも知れない。然し二十世紀の文明は(この)因を極めなければ承知しない。しかもこんな芝居的夢幻的現象の因を極めるのは遺伝によるより外に仕様はなからうと思ふ。本来ならあの女を捕まへて日記中の女と同人か別物かを明にした上に遺伝の研究を始めるのが順当であるが、本人の居所さへ(たし)かならぬ只今では、此順序を逆にして、彼等の血統から吟味して、下から上へ溯る代りに、昔から今に繰りさげて来るより外に道はあるまい。何れにしても同じ結果に帰着する訳だから構はない。

 そんならどうして両人の血統を調べたものだらう。女の方は何者だか分らないから、先づ男の方から調べてかゝる。浩さんは東京で生れたから東京つ子である。聞く所によれば浩さんの御父さんも江戸で生れて江戸で死んださうだ。すると是も江戸つ子である。御爺さんも御爺さんの御父さんも江戸つ子である。すると浩さんの一家は代々東京で暮らした様であるが其実町人でもなければ幕臣でもない。聞く所によると浩さんの家は紀州の藩士であつたが江戸(づめ)で代々こちらで暮らしたのださうだ。紀州の家来と云ふ事丈分れば夫で充分手懸りはある。紀州の藩士は何百人あるか知らないが現今東京に出て居る者はそんなに沢山ある筈がない。ことにあの女の様に立派な服装をして居る身分なら藩主の家へ出入りをするに極つて居る。藩主の家に出入するとすれば其姓名はすぐに分る。是が余の仮定である。もしあの女が浩さんと同藩でないとすると此事件は当分(らち)があかない。放つて置いて自然天然寂光院に往来で邂逅するのを待つより外に仕方がない。然し余の仮定が(あた)るとすると、あとは大抵余の考へ通りに発展して来るに相違ない。余の考によると何でも浩さんの先祖と、あの女の先祖の間に何事かあつて、其因果でこんな現象を生じたに違ひない。是が第二の仮定である。かうこしらへてくると段々面白くなつてくる。単に自分の好奇心を満足させる(ばかり)ではない。目下研究の学問に対し(もつと)も興味ある材料を給与する貢献的事業になる。こう態度が変化すると、精神が急に爽快になる。今迄は犬だか、探偵だか余程下等なものに零落した様な感じで、夫が為め脳中不愉快の度を大分高めて居たが、此仮定から出立すれば正々堂々たる者だ。学問上の研究の領分に属すべき事柄である。少しも()ましい事はないと思ひ返した。どんな事でも思ひ返すと相当のジヤスチフヒケーシヨンはある者だ。悪るかつたと気が付いたら黙座して思ひ返すに限る。

 あくる日学校で和歌山県出の同僚(ぼう)に向つて、君の国に老人で藩の歴史に詳しい人は居ないかと尋ねたら、此同僚首をひねつてあるさと云ふ。()つて其人物を(うけたま)はると、もとは家老だつたが今では家令と改名して依然として生きて居ると何だか妙な事を答へる。家令なら(なお)都合がいゝ平常藩邸に出入する人物の姓名職業は無論承知して居るに違ない。

「其老人は色々昔の事を記憶して居るだらうな」

「うん何でも知つて居る。維新の時なぞは大分働いたさうだ。槍の名人でね」

 槍(など)は下手でも構はん。昔し藩中に起つた異聞奇譚(いぶんきたん)を、老耄(ろうもう)せずに覚えて居てくれゝばいゝのである。だまつて聞いて居ると話が横道へそれさうだ。

「まだ家令を務めて居る位なら記憶は(たし)かだらうな」

「たしか過ぎて困るね。屋敷のものがみんな弱つて居る。もう八十近いのだが、人間も随分丈夫に製造する事が出来るもんだね。当人に聞くと全く槍術(そうじゆつ)の御蔭だと云つてる。夫で毎朝起きるが早いか槍をしごくんだ……」

「槍はいゝが、其老人に紹介して貰へまいか」

「いつでもして上げる」と云ふと傍に聞いて居た同僚が、君は白山の美人を探がしたり、記憶のいゝ爺さんを探したり、随分多忙だねと笑つた。こつちは夫れ所ではない。此老人に逢ひさへすれば、自分の鑑定が(あた)るか外れるか大抵の見当がつく。一刻も早く面会しなければならん。同僚から手紙で先方の都合を聞き合せてもらふ事にする。

 二三日は何の音沙汰もなく過ぎたが、御面会をするから明日三時頃来て貰ひたいと云ふ返事が漸くの事来たよと同僚が告げてくれた時は大に嬉しかつた。其晩は勝手次第に色々と事件の発展を予想して見て、先づ七分迄は思ひ通りの事実が暗中から白日の下に引き出されるだらうと考へた。さう考へるにつけて、余の此事件に対する行動が――行動と云はんより(むし)ろ思ひ付きが、中々巧みである、無学なものなら到底こんな点に考への及ぶ気遣はない、学問のあるものでも才気のない人には此様な働きのある応用が出来る訳がないと、寐ながら大得意であつた。ダーヰンが進化論を公けにした時も、ハミルトンがクオーターニオンを発明した時も大方こんなものだらうと独りでいゝ加減に極めて見る。自宅の渋柿は八百屋から買つた林檎より旨いものだ。

 翌日は学校が(ひる)ぎりだから例刻を待ちかねて麻布迄車代二十五銭を奮発して老人に逢つて見る。老人の名前はわざと云はない。見るからに頑丈な爺さんだ。白い髯を細長く垂れて、黒紋付に八王子平(はちおうじひら)で控えて居る。「やあ、あなたが、何の御友達で」と同僚の名を云ふ。丸で小供扱だ。是から大発明をして学界に貢献しやうと云ふ余に対してはやゝ横柄である。今から考へて見ると先方が横柄なのではない、こつちの気位が高過ぎたから普通の応接ぶりが横柄に見えたのかも知れない。

 夫から二三件世間なみの応答を済まして、(いよいよ)本題に入つた。

「妙な事を伺ひますが、もと御藩(ごはん)に河上と云ふのが御座いましたらう」余は学問はするが応対の辞にはなれて居らん。藩といふのが普通だが先方の事だから尊敬して御藩(ごはん)と云つて見た。こんな場合に何と云ふものか未だに分らない。老人は一寸笑つたやうだ。

「河上――河上と云ふのはあります。河上才三と云ふて留守居を務めて居つた。其子が貢五郎と云ふて矢張り江戸詰で――先達て旅順で戦死した浩一の親ぢやて。――あなた浩一の御つき合ひか、(それ)は/\。いや気の毒な事で――母はまだある筈ぢやが‥‥‥」と一人で弁ずる。

 河上一家の事を聞く積りなら、態々(わざわざ)麻布(くんだ)り迄出張する必要はない。河上を持ち出したのは河上対某との関係が知りたいからである。然し此某なるものゝ姓名が分らんから話しの切り出し様がない。

「其河上に就いて何か面白い御話はないでせうか」

 老人は妙な顔をして余を見詰めて居たが、やがて重苦しく口を切つた。

「河上? 河上にも今御話しする通り何人もある。どの河上の事を御尋ねか」

「どの河上でも構はんです」

「面白い事と云ふて、どんな事を?」

「どんな事でも構ひません。ちと材料が欲しいので」

「材料? 何になさる」厄介な爺さんだ。

「ちと取調べたい事がありまして」

「なある。貢五郎と云ふのは大分慷慨家(こうがいか)で、維新の時(など)は大分暴ばれたものだ――或る時あなた長い刀を()げてわしの所ヘ議論に来て、……」

「いゝえ、さう云ふ方面でなく。もう少し家庭内に起つた事柄で、面白いと今でも人が記憶して居る様な事件はないでせうか」老人は黙然と考へて居る。

「貢五郎といふ人の親はどんな性質でしたらう」

「才三かな。是は又至つて優しい、――あなたの知つて居らるゝ浩一に生き写しぢや。よく似て居る」

「似て居ますか?」と余は思はず大きな声を出した。

「あゝ、実によく似て居る。それで其頃は維新には間もある事で、世の中も穏かであつたのみならず、役が御留守居だから、大分金を使つて風流をやつたさうだ」

「其人の事に就いて何か艶聞か――艶聞と云ふと妙ですが、――何かないでせうか」

「いや才三に就ては憐れな話がある。其頃家中(かちゆう)に小野田帯刀(たてわき)と云ふて、二百石取りの侍が居て、了度河上と向ひ合つて屋敷を持つて居つた。此帯刀(たてわき)に一人の娘があつて、それが又藩中第一の美人であつたがな、あなた」

「成程」うまい段々手懸りが出来る。

「夫で両家は向ふ同志だから、朝夕往来をする。往来をするうちに其娘が才三に懸想(けそう)をする。何でも才三方へ嫁に行かねば死んでしまふと騒いだのだて――いや女と云ふものは始末に行かぬもので――是非行かして下されと泣くぢや」

「ふん、それで思ふ通り行きましたか」成蹟は良好だ。

「で帯刀から人を以て才三の親に懸合ふと、才三も実は大変貰ひたかつたのだから其旨を返事する。結婚の日取り迄極める位に事が(はか)どつたて」

「結構な事で」と申したが是で結婚をしてくれては少々困ると内心ではひや/\して聞いて居る

「そこ迄は結構だつたが、――飛んだ故障が出来たぢや」

「へえゝ」さう来なくつてはと思ふ。

「其頃国家老に矢張才三位な(とし)恰好なせがれが有つて、此せがれが又帯刀の娘に恋慕して、是非貰ひたいと聞き合せて見るともう才三方へ約束が出来たあとだ。いかに家老の勢でも是許りはどうもならん。所が此せがれが幼少の頃から殿様の御相手をして成長したもので、非常に御上(おかみ)の御気に入りでの、あなた。――どこをどう運動したものか殿様の御意(ぎよい)其方(そのほう)の娘をあれに遣はせと云ふ御意が帯刀に下りたのだて」

「気の毒ですな」と云つたが自分の見込が着々(あた)るので実に愉快で堪らん。是で見ると朋友の死ぬ様な兇事でも、自分の予言が的中するのは嬉しいかも知れない。着物を重ねないと風邪を引くぞと忠告をした時に、忠告をされた当人が吾が言を用ひないでしかもぴん/\して居ると心持ちが悪るい。どうか風邪が引かしてやりたくなる。人間は斯様(かよう)に我儘なものだから、余一人を責めてはいかん。「実に気の毒な事だて、御上の仰せだから内約があるの何のと申し上げても仕方がない。それで帯刀が娘に因果を含めて、とう/\河上方を破談にしたな。両家が従来の通り向ふ合せでは、何かにつけて(みよう)でないと云ふので、帯刀は国詰になる、河上は江戸に残ると取り(はからい)をわしのおやぢがやつたのぢや。河上が江戸で金を使つたのも全くそんなこんなで残念を晴らす為だらう。それで此事がな、今だから御話しする様なものゝ、当時はぱつとすると両家の面目に関はると云ふので、内々にして置いたから、割合に人が知らずに居る」

「その美人の顔は覚えて御出でゞすか」と余に取つては(すこぶ)る重大な質問をかけて見た。

「覚えて居るとも、わしも其頃は若かつたからな。若い者には美人が一番よく眼につく様だて」と皺だらけの顔を皺許りにしてから/\と笑つた。

「どんな顔ですか」

「どんなと云ふて別に形容しやうもない。然し血統と云ふは争はれんもので、今の小野田の妹がよく似て居る。――御存知はないかな、矢張り大学出だが――工学博士の小野田を」

「白山の方に居るでせう」ともう大丈夫と思つたから言ひ放つて、老人の気色を伺ふと

「矢張り御承知か。原町に居る。あの娘もまだ嫁に行かん様だが。――御屋敷の御姫様の御相手に時々来ます」

占めた/\これ丈聞けば充分だ。一から十迄余が鑑定の通りだ。こんな愉快な事はない。寂光院は此小野田の令嬢に違ない。自分ながらかく迄機敏な才子とは今迄思はなかつた。余が平生主張する趣味の遺伝(ヽヽヽヽヽ)と云ふ理論を証拠立てるに完全な例が出て来た。ロメオがジユリエツトを一目見る、さうして此女に相違ないと先祖の経験を数十年の後に認識する。エレーンがランスロツトに始めて逢ふ此男だぞと思ひ詰める、矢張り父母(ふも)未生(みしよう)以前(いぜん)に受けた記憶と情緒が、長い時間を隔てゝ脳中に再現する。二十世紀の人間は散文的である。一寸見てすぐ惚れる様な男女を捕へて軽薄と云ふ、小説だと云ふ、そんな馬鹿があるものかと云ふ。馬鹿でも何でも事実は曲げる訳には行かぬ、()かさにする訳にもならん。不思議な現象に逢はぬ前なら兎に角、逢ふた後にも、そんな事があるものかと冷淡に看過するのは、看過するものゝ方が馬鹿だ。斯様(かよう)に学問的に研究的に調べて見れば、ある程度迄は二十世紀を満足せしむるに足る位の説明はつくのである。とこゝ迄は調子づいて考へて来たが、不図思ひ付いて見ると少し困る事がある。此老人の話しによると、此男は小野田の令嬢も知つて居る、浩さんの戦死した事も覚えて居る。すると此両人は同藩の縁故で此屋敷へ平生出入して互に顔位は見合つて居るかも知れん。ことによると話をした事があるかも分らん。さうすると余の標榜する趣味の遺伝と云ふ新説も其論拠が少々薄弱になる。これは両人が只一度本郷の郵便局で出合つた事にして置かんと不都合だ。浩さんは徳川家へ出入する話をついにした事がないから大丈夫だらう、ことに日記にあゝ書いてあるから間違はない筈だ。然し念の為め不用心だから尋ねて置かうと心を定めた。

「さつき浩一の名前を(おつし)やつた様ですが、浩一は存生中(ぞんじようちゆう)御屋敷へよく上がりましたか」

「いゝえ、只名前丈聞いて居る許りで、――おやぢは先刻御話をした通り、わしと終夜激論をした位な間柄ぢやが、せがれは五六歳のときに見たぎりで―― 実は貢五郎が早く死んだものだから、屋敷ヘ出入する機会もそれぎり絶えて仕舞ふて、――其後は(とん)と逢ふた事がありません」

 さうだらう、さう来なくつては辻褄(つじつま)が合はん。第一余の理論の証明に関係してくる。先づ是なら安心。御蔭様でと挨拶をして帰りかけると、老人はこんな妙な客は生れて始めてだとでも思つたものか、余を送り出して玄関に立つたまゝ余が門を出て振り返る迄見送つて居た。

 是からの話は端折(はしよ)つて簡略に述べる。余は前にも断はつた通り文士ではない。文士なら是からが大に腕前を見せる所だが、余は学問読書を専一にする身分だから、こんな小説めいた事を長々しくかいて居るひまがない。新橋で軍隊の歓迎を見て、其感慨から浩さんの事を追想して、夫から寂光院の不可思議な現象に逢つて其現象が学問上から考へて相当の説明がつくと云ふ道行きが読者の心に合点出来れば此一篇の主意は済んだのである。実は書き出す時は、あまりの嬉しさに勢ひ込んで出来る丈精密に叙述して来たが、慣れぬ事とて、余計な叙述をしたり、不用な感想を挿入したり、読み返して見ると自分でも可笑(おか)しいと思ふ位(くわ)しい。其代りこゝ迄書いて来たらもういやになつた。今迄の筆法でこれから先を描写すると又五六十枚もかゝねばならん。追々学期試験も近づくし、夫に例の遺伝説を研究しなくてはならんから、そんな筆を舞はす時日は無論ない。のみならず、元来が寂光院事件の説明が此篇の骨子だから、漸くの事こゝ迄筆が運んで来て、もういゝと安心したら、急にがつかりして書き続ける元気がなくなつた。

 老人と面会をした後には事件の順序として小野田と云ふ工学博士に逢はなければならん。是は困難な事でもない。例の同僚からの紹介を持つて行つたら快よく談話をしてくれた。二三度訪問するうちに、何かの機会で博士の妹に逢はせてもらつた。妹は余の推量に違はず例の寂光院であつた。妹に逢つた時顔でも赤らめるかと思つたら存外淡泊で毫も平生と異なる様子のなかつたのは(いささ)か妙な感じがした。こゝ迄はすら/\事が運んで来たが、只一つ困難なのは、どうして浩さんの事を言ひ出したものか、其方法である。無論デリケートな問題であるから滅多に聞けるものではない。と去つて聞かなければ何だか物足らない。余一人(よいちにん)から云へば既に学問上の好奇心を満足せしめたる今日、これ以上立ち入つてくだらぬ詮議をする必要は認めて居らん。けれども御母さんは女丈に底の底迄知りたいのである。日本は西洋と違つて男女の交際が発達して居らんから、独身の余と未婚の此妹と対座して話す機会はとてもない。よし有つたとした所で、無暗に切り出せば(いたず)らに処女を赤面させるか、或は知りませぬと跳ね付けられる迄の事である。と云つて兄の居る前では(なお)(さら)言ひにくい。言ひにくいと申すより言ふを敢てすべからざる事かも知れない。墓参り事件を博士が知つて居るならばだけれど、若し知らんとすれば、余は好んで人の秘事を曝露する不作法を働いた事になる。かうなるといくら遺伝学を振り廻しても(らち)はあかん。自ら才子だと飛び回つて得意がつた余も(ここ)に至つて大に進退に窮した。とゞのつまり事情を逐一打ち明けて御母さんに相談した。所が女は中々智慧がある。

 御母さんの仰せには「近頃一人の息子を旅順で亡くして朝、夕淋しがつて暮らして居る女が居る。慰めてやらうと思つても男ではうまく行かんから、おひまな時に御嬢さんを時々遊びにやつて上げて下さいとあなたから博士に頼んで見て頂きたい」とある。早速博士方へまかり出て鸚鵡(おうむ)口吻(こうふん)を弄して旨を伝へると博士は一も二もなく承諾してくれた。これが元で御母さんと御嬢さんとは時々会見をする。会見をする度に仲がよくなる。一所に散歩をする、御饌(ごぜん)をたべる、丸で御嫁さんの様になつた。とう/\御母さんが浩さんの日記を出して見せた。其時に御嬢さんが何と云つたかと思つたらそれだから私はお寺(まいり)をして居りましたと答へたそうだ。何故白菊を御墓へ手向(たむ)けたのかと問ひ返したら、白菊が一番好きだからと云ふ挨拶であつた。

 余は色の黒い将軍を見た。婆さんがぶら下がる軍曹を見た。ワーと云ふ歓迎の声を聞いた。さうして涙を流した。浩さんは塹壕へ飛び込んだきり上つて来ない。誰も浩さんを迎に出たものはない。天下に浩さんの事を思つて居るものは此御母さんと此御嬢さん許りであらう。余は此両人の睦まじき様を目撃する度に、将軍を見た時よりも、軍曹を見た時よりも、清き涼しき涙を流す。博士は何も知らぬらしい。

 

 

新宿区立漱石山房記念館

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2015/04/18

背景色の色

フォントの変更

  • 目に優しいモード
  • 標準モード

ePubダウンロード

夏目 漱石

ナツメ ソウセキ
なつめ そうせき 小説家 1867・1・5~1916・12・9 江戸(東京都)牛込馬場下横町に生まれる。現代に最も多く大きく感化を与えて文豪と呼ぶに値する一人である。

掲載作は、漱石全集第二巻(1994年1月10日、岩波書店)より収録。

著者のその他の作品