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初夢

   下向きの花

 

 地元、五行川(ごぎょうがわ)の堤にホタルブクロが群れています。其処(そこ)は、私の早朝散歩の終点、つまり長瀬橋の少し手前の堤の中腹です。ちなみに雨の日以外は、休まず続けるようにしています。かれこれ、六、七年になるでしょうか。

 紫の薄くかかったピンクの花は、蕾も含めてすべて下向きです。長い卵形の葉が互生して、茎や葉にも毛が多いようです。身を守っているのかもしれません。

 どうして稀少な山草がこのような川端に、しかも(あらわ)に……と、私はガードレールに、両指を立て、しばし陶然としておりました。

 萌え茂る雑草よりも草丈を低目に抑え、控え目でありながら、花は凛としています。

 ――種を(ついば)んだ小鳥たちが、飛びながらこぼした痕跡なのでしょうか。はたまた川上から流れ流され、偶然、私の目に止まる恰好の場に()みついたのでありましょうか。嬉しさのあまり、表情が崩れてしまいました。

 いずれにせよ、彼女たちは自然の恩恵によって、初夏の青草の(したた)る中に花開いたのです。私の早朝散歩の道すがらでありながら、今朝、初めて気づいたのは何故でしょう。

 行き交う散歩族、また道行く人にしましても、尋常な手段では採取しにくいと思われます。さらには根っ子からとの衝動に駆られても、シャベルの用意がなければ、無理でありましょう。

 

 その翌々日の日曜日のことでした。私はとうとう嫁にその(こと)を告げました。何と中一の孫娘は私の気持ちを察知してか、父親と連れ立ち、母親と三人で周到な用意のもとに、川べりに出たようです。

 やがて、彼女は十本ほどのホタルブクロを手折ってくるや、靴もぬがずに這うようにして、私の粗末な炬燵板の上へ、その枝葉を載せるのでした。嫁は根から失敬して来た数本を、プランターへ丁寧に植え込んでいるようです。

 そして切り花の方は、ふさわしい瓶に活け、私の目の前に飾ってくれました。私は花に向かい、心の、微かに音立てひらいて行くのを覚えるのでした。

 いずれにしても、この「ホタルブクロ」のドラマのヒロインは、中一の孫娘と思われてなりません。水面に垂直な方向で堤にしがみつく姿が、まなうらを()ぎります。

 花は、しおらしく横下を向いたまま開いていますが、内面には恥じらうかのように、紫の斑点をちりばめていました。

 ――遠い遠い日の宵、ホタルを捕らえては、袋のような花の奥に人れ、家に持ち帰ったものでした。今や、全国的に稀少なホタルを偲んで、花も、身の無聊(ぶりょう)をかこっているのでありましょう。

 

 私は、八十路を超えた今にして、かの花が蕾まで「下向き」であることを知りました。

 そして、残り少ないこれからの日々を花にあやかり、首を垂れ、いいえ()を低うして、生きていきたいと思うのでした――。

 

   オハグロトンボ

 

 南向きのガラス戸に、オハグロトンボが体当たりしています。狭苦しい私の部屋に人りたいのでしょうか。七月も終わりの暑い日、午前十時ごろでした。

 私は、その一枚ガラスを開けるには、少々抵抗がありました。病む膝を立ち上げて、窓際にそおっと近づくと、オハグロトンボは、西側の窓辺に向かって、また体当たりをしています。其処は屋根つきの外階段の中です。窓越しの陽光を受け、比較的明るい場であります。

 

 しかし、私の心は「昨日の今日」のことであり、その、不可思議に惑わされています。

 なぜなら、昨日の早朝散歩の折に、長瀬橋付近で見かけたオハグロトンボと、目前のそれとが、酷似しているからです。金緑色の胴体が、両者とも同じように輝いています。もしや、このオハグロトンボはなのでしょうか。胴体の金緑色のものは雄と、ものの本で読んだように記憶しています。

 私の早朝散歩の終点は、ふるさとの川、五行(ごぎょう)に架かる、長瀬橋の手前です。(いか)めしい(せき)の音に身を鎮め、そこで引き返すのを常としています。

 ――そのオハグロトンボは、五行の流れと同じ方向に、堤の裾を舞いながら(くだ)っていました。帰途につく私も方向を(いつ)にしています。

 ところが、残念なことに、よくお会いする散歩族と挨拶を交わしている(うち)に見失ってしまいました。

 近ごろ極めて稀少なオハグロトンボがなぜ我が家へ? 私を、つまり老婆を追って来てくれたのでしょうか。しかも翌日になってから。

 我が家には池も立ち木も皆無です。狭い駐車場の片隅のプランターに野菊が、そして五行の堤から前に失敬してきたホタルブクロが、今を盛りと咲き競っておりますが……。

 それとも全く別のオハグロトンボなのでしょうか。私は、同じものであることを疑いたくありません。

 

 やがて彼は、外階段の一段目の端に、羽を畳んで静止しました。その容姿たるや、美しく優雅で、見惚(みと)れてしまうほどです。

 私は、遠い昔のお歯黒の色と重ねてみたりしています。

 二十分ほど過ぎて彼は、黒い羽に支脈を映し、花のように開いてみせてくれました。それはほんの瞬時のことであり、再び羽を畳んで休んでいます。かようにして彼は、十一時二十分まで我が家の外階段の端に在り、同じ仕草を繰り返していたのです。

 私は、いつしかその藝術の世界にとっぷりと浸り、幸せいっぱいでありました。

 

 翌朝早く、彼のふるさと五行の川()りで、彼は、オハグロトンボ君は私を待っていてくれるでしょうか――。

 

   ひとえ結び

 

 九月下旬の日曜日の午後でした。

 市内在住の次男の嫁が、散歩がてらに自分の孫の「ムー君」をだっこして来ました。私には曾孫(ひこ)です、正式の名は「歩夢(あゆむ)」と謂います。ちなみに私は、曾孫なる文字を辞書を引いて知りました。

 呼び名の「ムー君」は私のつけた愛称でして、なかなか好評でありました。生後十か月の彼は、つかまり歩きがとても上手、そして、いつもにこにこしています。

 

 時に、我が家の嫁がIさん宅へ届け物をし、あべこべに何か頂戴してきたようです。彼女も「ムー君」のいる台所の様を逸早(いちはや)く察して、中廊下を足早に抜けて来ました。

 戴き物は、名物「城山観光さつま揚げ」でした。私は、さっそく仏壇にお供えし、すぐまた台所へもちこみ、紫がかった蒼い包装紙を(ほど)きはじめました。

 三人の視線は、私の指を震わせそうです。「さつま揚げ」の引力は、がさつく

包装紙の音をさらに際だてました。包装紙と同じ紫がかった蒼い丸打ち細紐が、巻きすをそおっと結わえています。私はそれを解き、一回二回と折り畳み、「ひとえ結び」にして、机上に斜めに置きました。

 鎮座する揚げ物たちの照ったかがやきは、云うもおろかでありましょう。

 口重(くちおも)な次男の嫁が突然言いました、

「淑寛さん、こういうの好きなんですよね」<お母さんに似てるんですよね…>

 心の声が聞こえてきます。「ひとえ結び」の組紐は、机上に斜めにもの静かです。

 瞬くほどの間もなしに、次男の幼い日の「あれやこれや」が走馬燈のように脳裡をよぎり、胸が熱くなりました。

 

 来客の多い我が家(学習塾経営)では、日々の買い物に事欠くことが多いのです。次男はそれを知り、週のうち少なくも二回は沢山な買い物をして来てくれます。我が家はおかげで経済的にも助かっています。

「おばちゃんは?」

 次男は必ず私の部屋をいちど覗いてから、台所へと抜けて行きます。私も嬉しくて、

「ヨッコイショ」

と立ち上がりあとを追うのです。

「この前の秋刀魚(さんま)、美味しかったですよ」

 もう忘れていたような私の挨拶をだいじに覚えていて、次男は同じ美味のものを又買い求めてきてくれます。

 

 次男は、我が身から()うに嫁の懐に活かされ続けている筈…ですが、毎日のように我が家に来ます。

 曾孫(ひこ)の「ムー君」も、にこやいで中廊下をつかまり歩きしてはご機嫌です。まだ「おばちゃんち…」とは分かってないようですが、帰り際は、それは名残り惜しげにしています――。

 

   初 夢

 

 八十路(やそじ)にして、私は「初夢」と称えるほどの夢を見た記憶が、無い…ように思います。

 遠い日……黒塗りの箱枕に(となり)して、母の寝息をかすかに聴いたりしたものでした。寝付かれないで寝返りしていた枕の、懐かしくきしむ音も、今に蘇ってきます。

 

  なかきよのとおのねふりのみなめざめなみのりふねのおとのよきかな

    (長き夜の遠の眠りのみな目覚め波乗り舟の音のよき哉)

 

 かような回文歌(かいぶんか)を母は毛筆で和紙に(したた)め、私の枕の下にいつとなく入れて、佳い初夢に期待をかけてくれたのでした。

 母は若くして夫をなくし、永らくお針の師匠(せんせい)をしておりました。

 私は、何と無く漠然とした「初夢」の二字を広辞苑で調べてみました。

「元日の夜に見る夢、また正月二日の夜に見る夢」だそうです。「初夢によって吉凶を占い判ずる」とも記されていました。いとも簡明です。

 私は久しく、「一富士、二鷹、三なすび」などと縁起の方へこだわって来ましたが、要はお正月に見る夢のことで、縁起云々とばかりでもない…と理解しました。

 しかし広辞苑の辞義どおりに初夢で吉凶を占うという気持ちにも捨てがたい不思議は感じます。

 

 ゆえに私は今宵……秘め事として、そおっとしまっておきたい初夢をと願いも想いもしながら、ひそやかに、温かに床に就きましょう。――中一、中三のいとおしいこの家の孫娘たちはもとより、優しい家族の気持ちに包まれて、今、私は幸せにしています。そして、さあ、平成十七年の我が初夢は、如何な嬉しい正夢になるのでしょうか。

 久しく久しい一家の嘉例、食卓の御節料理のいろいろが、もう、長男、次男達の訪れを、今や遅しと待ち受けています。私と嫁とで手作りの、そしてふるさとの味です、みなの元気な顔が目に浮かんでいます。

 ああ、それが、何故でしょう、あの母の、むかしむかしの美味しかった御節のいろいろと重なりあってしまいます。――毎年見たい、初夢…です。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/12/27

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渡辺 通枝

ワタナベ ミチエ
わたなべ みちえ 随筆家 1923年 栃木県真岡に生まれる。日本随筆家協会賞。

掲載作は、平成16年「ずいひつ」9月号、12月号等に初出。