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初戀

 嗚呼(あゝ)思ひ(いだ)せばもウ五十年の昔となツた。見なさる通り今こそ(かしら)に雪を戴き、額に(この)様な波を寄せ、(かほ)光沢(つや)も失せ、肉も落ち、力も抜け、声もしはがれた梅干老爺(おやじ)であるが、是でも一度は若い時もあツたので、人生行路の踏始(ふみはじめ)若盛の時分には種々(いろいろ)面白い事もあツたので、其中で初めて慕はしいと思ふ人の出来たのは、左様(さう)さ、丁度十四の春であツたが、あれが多分初恋とでも謂ふのであらうか、まア其事を話すとしよう。

 丁度時は四月の(なかば)、ある夜母が自分と姉に向ツて言ふには、今度清水(しみづ)の叔父様がお雪さんを連れて(うち)へ泊りに()らツしやるが、お雪さんは江戸(そだち)で、此処等辺(あたり)の田舎者とは違ひ、起居(たちゐ)もしとやかで、挨拶も沈着(おちつ)いた様子の()い子だから、其方(そなた)たちも無作法な事をして不束者(ふつゝかもの)、田舎者と笑はれぬ様によく気を着けるがよいと言はれた。(それ)から又其お雪といふ娘が如何様(どんな)心立(こゝろだて)がやさしく、気立がすなほで、如何様に姿が風流(みやび)眉目容(みめかたち)が美しからうと賞めちぎツて話された。幼少のうちは何事も物珍らしく思はれるが、殊に草深い田舎に住んで居ると、見る物も聞く物も少ない故一寸した事も大層面白く思はれる者で、母が彼様(あのやう)に賞めちぎる娘、たをやかな江戸の人、其人と話をする時には言葉使ひに気を着けねばならぬといふ、(その)大した江戸の人はまア如何(どん)な人なのであらうか? 早く遇ひたい者、見たい者、定めし面白い話もあらう、と自分の小さな胸の中に先づ物珍らしい心が起ツて、毎日此事をのみ姉と言ひかはして、珍客の来る日を待ツて居た。其中(そのうち)(いよいよ)前の日となると数ならぬ下女(げぢよ)はしたまでが、「江戸のお客さま、お客さま。」と何となく浮立ツて居た。()して祖母や姉なぞは、まして自分は一日を千秋と思ツて居た。

 当日は自分は手習が済むと八つ半から槍の稽古に()ツたが、妙な者で、気も魂も弓には入らず唯心の中で、「もウ来たらうか?」を繰返して居た。稽古が済むと、脱兎何のそのといふ勢ひでいきなり稽古場を飛び出したが、途中で父の組下(くみした)の烏山勘左衛門に出遇ツた。

 勘左衛門は至ツてへうきんな男故、自分は甚だ好きであツて、何時も途中などで出遇ふ時には好い同行者(みちづれ)だと喜んで、冗談を言ひながら一所に歩くのが常であツた。今日も勘左衛門は自分を見ると何時もの伝で、「お坊様今お歸りですか?」と莞爾(につこり)したが、自分は「うむ」と言ツた許り、ふり向きもせず突ツこくる様に通り披けたが、勘左衛門は吃驚(びつくり)して口を()いて、自分の(うしろ)を見送ツて居たかと思ふと、今でも其貌(かほ)が見えるやうで。

 自分は(なか)の口から奥へ這入ツて四辺(あたり)の様子に気を着けて見たが来客の様子はまだなかツた、(さて)はまだなのかと稽古着の儘で姉の(へや)へ往ツて如何(どう)したのだらうと噂をして居た。暫くするとばたばたばたといふ足音がして部屋の外から下女の声で、

「お嬢さま、お嬢さま! お客さまが、江戸の。

 自分はいきなり飛び出さうとした、「静に!」姉に言はれて左様(さう)だツけと、静に玄関の方へ往ツて()してお雪といふ娘を見た。

 此時娘は、叔父の(あと)に続いて(とも)の女中をつれてしとやかに玄関を上ツて来た。娘は、成程、母の賞めた通り誠に美しい娘だ、脊はすらりと高く、色はくツきりと白く、目はぱツちりと(すゞ)しく、真当(ほんたう)の美人だ。(まゆずみ)を施し、紅粉を用ひ、盛んに(よそほひ)を凝らして後、始めて美人と見られるのは(それ)真成(ほんたう)の美人ではない、飾らず装はず天真の儘で、其で美しいのが真の美人だ。此時の娘の身装(みなり)は旅姿の儘で、清楚(さつぱり)とした(なり)で飾気の()もなかツたが、天然の麗質は四辺(あたり)を払ツて自然と人を照す(ばか)りであつた。其に如何様(どんな)容貌(かほかたち)が美しくても、気象が無下(むげ)に卑しい時は、如何(どう)も風采のない者であるが、娘は見るからが其風采の中に温良貞淑の風を存して居て、何処となく気高く、如何なる高貴の姫君といふとも恥かしからぬ風であツた。

 其に田舎者は如何(どれ)程容貌が美しくても、如何程身装が立派であツても、(かの)一種言ひ難き意気といふか、しなやかといふか、風流といふか? (かの)一種たをやかな風を缺くものであるが、娘は其風をも備へて居た。清水の叔父は自分の父の弟で、祖母には第二番目の子だ、其故(それゆゑ)娘は自分と同じやうに祖母の孫で、加之(しか)も最愛の孫であツたさうな。其夜一同客座敷へ集まツて四方山(よもやま)の話を始めたが、何れも肉身の寄合であるから誰に遠慮といふ事もなく其話と言ツては藩中の有様、江戸の話、親類知己の身の上話、又は各自(てんでん)小児(こども)の噂などで、()のみ面白い話でもないが、然し其中には肉身(しんみ)の情と骨肉(ちすぢ)の愛とが現はれて居て、歎息する事もあれば、口を開いて大笑をする事もあツて近頃珍らしい楽しみであツた。祖母はお雪や此処へといふ様な風に、目附で娘を傍へ招いて、種々(いろいろ)な事を尋ねたり語ツたりして居たが、其声の中には最愛(いとをし)可愛(かはい)といふ意味の声が絶えず響いて居た様に思はれた。而して祖母は娘が(ちひ)さかツた時の様に今も尚抱いたり、撫でたり、さすツたりしたいといふ風で、始終娘の(かほ)莞爾々々(にこにこ)とさも楽しさうに見て居たが、娘も今は十八の立派な娘故、流石(さすが)にさうもなり兼ねたか、唯肩に手を掛けて、「ほんに立派な娘におなりだの、」と言ツたのみであツた。自分は祖母が自分を愛する様に此娘を愛して居る様子、と自分が祖母を慕ふ様に娘が祖母を慕ツて居る様子、とを見て何となく心嬉しく思ツた。

 其翌日の事で自分は手習から帰るや否や、「娘は如何したかな?」と見ると姉の室で召伴(めしつ)れて来た女中と姉と三人で何やら本を見て居たが、自分を見て莞爾(にツこり)したので自分も其笑ひ(がほ)に誘出されて何故ともなく莞爾した。自分は是から剣術の稽吉があるから、(すぐ)に稽古着を着て、稽古袴を穿いて、竹刀(しなひ)の先へ面小手(めんこて)を挟んで、肩に担いで部屋を出たが、心で思ツた、此勇しい姿、活溌といはうか雄壮といはうか、其活溌な雄壮な風と自分が稽古に精を出すのとを娘に見せてやらうと思ツた。(それ)から武者修行に出る宮本無三四(むさし)の事を思ひ出しながら、姉の部屋へ這入ツたが、此小さな無三四は狡滑にも姉に向ツて、何食はぬ貌で、「叔父さんは?」と(たづ)ねた。姉は何とか(こた)へて居たが自分は其様な事は聞きもせず、見ぬふりで娘の方をちらりと見て、其なり室を出て仕舞ふと後から笑ひ声が聞えた。自分の噂だなと嬉しく思ツたが、今更考へると、なんの左様(さう)でもなかツたのであらう。晩方から親類、縁者、叔父の朋友、大勢集まツて来たが、中には女客もあツた故母を初め娘も、姉も自分も其席に連ツた。其中(そのうち)に燭台の花を飾ツて酒宴が始まると、客の求めで娘は筑紫琴(つくしごと)を調べたが如何(どう)して、中々絲竹の道にもすぐれた者で、其爪音の面白さ、自分は無論()くは分らなかツたが、調(しらべ)が済むと竝居(なみゐ)る人達が口を極めて賞めそやした。娘は賞められて恥かしがり、此席に連ツて居るのを寧ろ(つら)い事と思ツて居るらしく、話もせず、人から物を言ひかけられると、言葉少(ずくな)に答をする許り、始終下を向いて居た。が其風(そのふう)は如何にも柔和でしとやかで、微塵非難をする(かど)も無く、何となく奥床しいので、自分は余念もなく其風に見とれて居た。

 自分の父は武辺(ぶへん)にも賢こく又至ツて厳格な人で、夏冬共に朝はお城の六つの鐘がボーンと一つ響くと、其二つ目を聞かぬ間にもウ起上ツて朝飯までは、兵書に(まなこ)をさらすと謂ふ人であツた。其故(それゆゑ)自分にも晨寝(あさね)はさせず、常に武藝を励む様にと教訓された。

 自分は有難い事には父のお蔭で弓馬槍剣は勿論、武士の表道具といふ藝道は何一つ稽古に往かぬ者はなかツたが、其中で自分の最も好いた者はといふと弓で、百歩を隔てて柳葉(りうえふ)を射たといふ養由基(やういうき)、又大炊殿(おほゐでん)()合戦に兄の兜の星を射削ツて、敵軍の(きも)を冷させたといふ鎮西(ちんぜい)八郎の技倆、其技倆に達しようと、自分は毎日朝飯までは裏庭へ出て捲藁(まきわら)を射て励んで居た。

 今日も今日とて裏庭へ出て、目指す的と捲藁を狙ツて矢数幾十本かを試したので、少し疲れを覚えて来た故、暫時(しばし)一息を入れて居ると冷々(ひやひや)として心地よい朝風が汗ばんで来た貌や、体や、力の張ツて来た右の(かひな)へひやりひやりと当るのが実に心持のよい事であツた。誰でも飢ゑた時渇いた時には食物や水が(うま)い者であらうが、其時の朝風は実に其食物や水よりも遥に心持よく、自分は気が清々(せいせい)として来た。自分は弓杖(ゆんづゑ)を突いて……といふのも凄じいが所謂(いはゆる)弓杖を突いて、四辺に敵も居ないのに、立木を敵と見廻して儼然(きツ)として威張ツて居た。突然二つの影法師が自分の頭上を越えて目の前に現はれた、自分はふり返ツて娘と姉とを見た。

 娘は足を止めて、感心に御精(ごせい)が出ますこと、と賞めさうな風で莞爾(にツこり)して(すゞ)しい目を自分に注いで居た。自分は目礼をして、弓を投棄てて姉の傍へ往ツた。

「大層御精が出ますことねエ。」果して娘が賞めた。

「どうしてあなた。叱られて(ばか)り居ます、精を出しませんから。

 娘が折角賞めたものを、姉が余計な口をさし入れた、自分は不平に思ツた、然し姉は流右に姉で、情のあツた者で、弟の賞められたのが嬉しかツたと見えて、莞爾して、「それでもあなた、出来ない癖に大変に好きで。」といふのを枕に置いて自分を賞め始めた。前の言葉とは矛盾したが、其処が女の癖で、頓着は無かツた。自分が幾歳(いくつ)の時四書をあげて、幾歳の時五経をあげて、馬を能く乗ツて、剣術が好きで、槍が如何(どう)で、弓が()うでと、姉が自分の事を賞めたてるのを、娘は笑ひながら自分の方を見詰めて、其話を聴いて居たが、聴終ツてから、

真成(ほんたう)に感心ですねエ、お(ちひ)さいのに。

 此一言は心から出たので、自分は賞められて嬉しく思ツた。的の黒星を射抜いて、えらいと人に賞められたよりは、此人に賞められたのを嬉しいと思ツた。

「庭の方へ往ツて見ませう。秀さんもお出で。

 姉と娘との間に立ツて、自分は外庭の方へ廻ツて往ツたが、見附けた。向うの垣根の外に露を含んで、さも美しく、旭光(あさひ)に映じて咲いて居た卯の花を見附けた。

「お姉さま、お姉さま、江戸のお姉さま! 御覧なさい。此花はね、私が植ゑたのですぜ、植ゑたてには枯れかゝツたけれど、やツと骨折ツて育てたのです、綺麗でせう?

「おやまア綺麗! 花もお好きなの? 武藝もお好き? 

 ト言ツて白い手を(かろ)く自分の肩へ掛けて、一寸揺ツてそして頭を撫でたが、不思議にも、其手が触ると自分の胸はさわぎ出した。が其を見られまいと急いで、

「花は白い方が綺麗ですねエ、赤ツぽいのよりか。

「さうですね、淡白(あツさり)して居て。赤いのは何故おきらひ?

「何故ツて? 赤いなア平家の旗色で、白いなア源氏ですもの、源氏の方が強いから、だから……

 愚にも附かぬ事を言ひながら、内庭と外庭の間の枝折戸の辺まで近附いた。と見ると花壇に五六本の白牡丹が今を盛りと咲いて居た。其花の下に飼猫の「コロ」が朝日を一杯背中に受けて、つくねんとうづくまツて居た。日向ぼこりをして居るのか、居睡をして居るのか? 「牡丹花下の睡猫(すいべう)は心舞蝶(ぶてふ)(あり)」、といふ油断のならぬ猫の空睡(そらね)。此処へ花の露を慕ツて翩々(へんぺん)と蝶が飛んで来たが、やがて(はがひ)を花に休めて、露に心を奪はれて余念もない様子であツた。油断を見すました大敵、然し憎気のないへうきん者め、前足を縮めて身構をしたが、そら、飛びかゝツた。蝶は飛退いたが、周章(あわ)てて、狼狽(まごつ)いて、地下(ぢびた)をひらひらと飛び廻ツて居た。が、あはや「コロ」の爪にかゝりさうになツた。

「あらまア! 彼様(あん)ないたづらを。」と娘は()せよツて、

「およし可哀さうに。

 娘はしなやかに身を(かゞ)めて、「コロ」を押へながら蝶を逃がした。其から「コロ」を抱きあげてそしてやさしい手でくるくると「コロ」の頭を撫でまはした。「コロ」は叱られたと思ツたか、目を閉ぢ、身を縮め、首をすぼめて小さくなツた其風の可愛らしさ。娘は其身の(かほ)を「コロ」の貌から二三寸離して、しげしげと見て居たが、其清(すゞ)しい目の中には如何様(どんな)に優しい情が籠ツて居たらう。「もう蟲なんかを捕るのではないよ、」と言ツて、其美しい薔薇色の頬を猫の額へ押当て、真珠の様な美しい歯を現してゆツたりと微笑(わら)ツたが、其莞爾(にツこり)した風は如何様(どんな)にあどけなく、如何様に可愛らしい風であツたらう! 自分は猫を羨しく思ツて余念なく見とれて居た。娘は頬の辺にまだ微笑(わらひ)のほのめいて居る貌を一寸(ちよいと)ふり上げて自分の顔を見たが、其笑貌(わらひがほ)の中には、「何故其様(そんな)に人の貌を見て」と尋ぬる様な風が有ツたので、あるひはなかツたかも知れぬが、自分はあツた様に思ツたので、はツと貌を赤らめて、周章(あわ)てて裏庭へ逃出して仕舞ツた。が恥しい様な、嬉しい様な、妙な感情(かんじ)が心に起ツて何となく胸が騷がれた。

 其日の七つ下りに自分は馬の稽古から帰ツて来て、又何時もの様に娘の居る座敷へ往ツて見ようと思ツたが、はてまア不思議! 恥しい様な怖い様な気がして、往きたくもあるが往きたくもなく、如何(どう)した者かと迷ひ出して、男らしくないと癇癪を起して、其処で往くまいと決心して誓まで立てたが、(さて)人情は妙な者で、とんと誰か来て引張る様で、自然と自分の体が動き出して、知らぬ間に娘の居る座敷の前まで来た。唐紙(からかみ)は開いて居た。自分は座敷の方を向きもしなかツたが、(それ)で居て、もウ娘が自分を見たなと知ツて居たので、態と用ありさうに早足で前を通り過ぎ、其癖隣座敷の縁側で立止まツて、柱へつかまツて庭を見て居た。すると娘の居る座敷で誰か立上る様な音がしたが、(すぐ)其音が近附いて来た。自分の胸はときめいた、注意はもウ其音一つに集ツて仕舞ツて心は目の前に其人の(かたち)を描いて居た、其人の像はありありと目の前に見えるのに、其人は自分の(うしろ)へ立ツて、いたづらな、自分の頚毛(ちりげ)を引張ツて、

「秀さん、好い物をあげるから入らツしやい。

「好い物?」好い物とは嬉しい、と思ひながら、嬉しさに殆んど夢中になり、後に続いて座敷へ這入ると紙へくるんだ物をくれた。開けて見るとあたり前の菓子が嬉しい人から貰ツた物、馬鹿な事さ、何となく尊く思はれた、(こは)さない様に、丁寧に、(そツ)と撫でる様に紙へくるんで(たもと)へ仕舞ふのを、娘はぢツと見て居たが莞爾(にツこり)して、

「秀さん好い物を拵えて上げませう。

「どうぞ。

 娘は幾枚となく半紙をとり出して、

「そら()うございますか、是が何になるとお思ひなさる、是がね」ゆツたりした調子で話し始めた。「––是は、そらね、是を斯う折ツて、此処を斯うすると、そうら、一つの鶴が出来ますよ、そら今出来ますよ、そうら出来た。

 娘は鶴を折ると其から舟、香箱、菊皿、三方(さんばう)などを折ツてくれた。自分は娘が下を向いて折物に気を取られて居る間、其雪の様な白い(えり)、其艶々とした緑の黒髪、其細い、愛らしい綺麗な指、其美しい花の様な姿に見とれて、其袖のうつり香に()たれて、何も彼も忘れて仕舞ひ、唯もウうツとりとして、嬉しさの余り手を叩きたい程であツた。

「お姉さま。折方を教へて下さいな。

 其から自分は折方を習ツて、二三度試して見たが出来なかツたので、娘は「真当(ほんたう)に此子は不器用な人だ。」と笑ひながら、いやという程自分の手を打ツた、痛かツた、痛さが手の筋へ()み渡ツた、が痛さと一所に嬉しさも身に染み渡ツた、嬉しいから痛いのか、痛いから嬉しいのか? 恐らく痛いから嬉しいので……まア如何(どう)でも()いとして、痛さが消えぬ様に打たれた処を(そツ)と撫でた。

 此処へ姉が這入ツで来て、

「秀さん何をしてお()でだ。

 娘は莞爾して姉に向ひ、

「如何も此子は不器用で不可(いけ)ません。

此様(こん)な者は出来なくツてもいゝや。

「出来なくツてよければ、何故教へてくれと言ひました? 我儘子(わがまゝツこ)め!

 娘は口元で笑ひながら額越に睨む真似をした。自分は我儘子と言はれるのよりは、何とか外の名を附けて貰ひたかツた。

 其夜の事で、まだ暮れてから間もない頃自分は何の気もなしに、祖母の室へ遊びに往ツた。すると祖母を初めとして両親も居れば叔父も娘も居て何か話して居たが、自分を見ると父が眉に皺を寄せて、「彼方(あちら)へ往ツてお()で。子供の聞く様な話ではない。」と儼然(きツ)として言ツた。が自分は此場の様子を怪んで、物珍らしい心から出るのを少し躊躇して居ると、娘が貌をふり上げて(すゞ)しい目で自分を見た、其の目の中には、「早く出て往ツて……」といふ様な風があツた。一寸見た娘の一目は儼然として言はれた父の厳命より剛勢だ、自分は娘の意に従ひ(すぐ)に室を出たが、其でも今室へ這入ツた時ちらりと皆の風が目に止ツた。父は叔父に向ツて「左様さ、若年にしては中々感心な人で。」などと話して居た。又娘は下を向いて膝を撫でて居ると、祖母と母とが左右から其貌を覗き込んで、何をか小声でたづねて居た。自分は室を出てから、何を皆は話して居るのか、何故又自分が居てはわるいのか? と思ツたが、なアに、思込んだのではない、ほんの目の前を横ぎる煙草の煙、(めばたき)を一つしたら直ぐ消えて仕舞ツた。

 元来此日は、自分は何となく嬉しくいそいそとして居た。然し何故嬉しかツたのか其(わけ)は知らなかツた、が何がなしに嬉しかツたので臥床(ふしど)へ這入ツてからも何となく()るのが厭で、何となく待たるゝ者がある様な気がするので、其癖其待たるゝ者はと(たゞ)されるとなに、何もないので、何も無いと知ツて居るが、其処が妙な訳で、夢現(ゆめうつゝ)の間で(たしか)有る様に思ツて居るので、如何(どう)()るのが厭であツた。其故(それゆゑ)床の上に坐ツて居ると、そら、娘の姿がちらちら目の前に現はれて来た。莞爾(にツこり)と笑ひながら自分の手を打ツた時の貌、其目元、口元で笑ひながら額越に睨んだ貌、其りきんだ目付、まア何よりも其美しい姿容(すがたかたち)が目の前にちらちらし始めた。自分は思ひ出し笑ひをしながら、息も静にして、其姿が逃げて往かぬ様と、荒く身動きもせず、そろそろ夜具の中へもぐり込んで、昼間打たれた手の処を(そツ)と頬の下へ当がツて、其儘横になツたが、何時眠ツたか其も知らず心地よく眠入(ねい)ツて仕舞ツた。

 自分は此時からといふ者は娘の貌を見て居る間、其声を聞いて居る間、誠に嬉しく又楽しく、ついうからうからと夢の間に時を過して居た。斯うは謂ふものの娘が居ないとて、夢聊(いさゝ)かふさぐなぞと謂ふ事はなかツた。何を言ツても自分はまだ十四の少年、自分と娘とは年が如何(どれ)程違ツて居て、娘は自分より幾歳(いくつ)の姉で、自分は娘の前では小児(こども)であるといふ事、又娘は只一時の逗留客で日ならず此土地を去る人といふ事、自分は娘を愛して居るのか、(はた)亦娘は自分を愛して居ないのかといふ事、総て是等の事は露程も考へず、唯現在の喜びに気を取られて、其を楽しい事に思ツて居た、が其喜びは煙の如く、霧の如く、霞の如くに思はれたので、如何(どう)かすると悲しくなツて来て、時々泣出した事もあツたが、なに、(それ)だとて暫時の間で、直又飛んだり()ねたりして、夜も相変らずよく眠ツた。

 叔父は僅に一週(ひとめぐり)の休暇を(たま)はツて来たので、一週の時日はほんの夢の間の様であツた。もウ明日一日となツて、自分は娘にも別れなければならぬかと、何となく名残惜しく思ツたが、幸ひ叔父が三日の追願(おひねが)ひをしたので、尚二三日は此方に滞留して居る事となツた。然るに其夜の事で母と祖母との間に誠に嬉しい話が始まツた、其を何かといふと斯うで、もウ二三日過ぎると叔父も江戸へ帰るに因り、何か江戸土産になりさうな、珍らしい面白い遊戯(あそび)を娘にさせて帰したい、が何が宜からうと二人が相談を始めた。然し面白い遊と言ツた所が(この)草深い田舎では、五節句、七夕、天王祭でなくば茸狩(たけがり)蕨採(わらびとり)、まア此様(こん)な者で、其を除いては別段是ぞといふ遊もない、けれども今は四月二十日、節句でもなければ祭でもない、遊戯と言ツては蕨採のみだ、蕨採と言ツた所が()のみ面白い遊戯でもない、が摺鉢の様な小天地で育ツて居る見聞の狭い田舎の小児(こども)には、其が大した遊戯なので、又江戸の様な繁華な都に住んで居て野山を珍らしく思ふ人には矢張面白い遊戯なので、其故愈(それゆゑいよいよ)蕨採に往くことに極り、其事を知せた時には一同歓喜(よろこび)の声を上げた。

 (さて)其夜は明日を楽みに(おのおの)臥床(ねどこ)に這入ツたが、夏の初とて夜の短さ、間もなく東が(しら)んで夜が明けた。

 其日の四つ頃やうやうに支度(したく)が出来て、城下を去ること半里(はんみち)許りの長井戸の森をさして出掛けた。同勢は母と、姉と、娘と、自分と、女中二人に下部(しもべ)一人、都合七人であツた所ヘ、例の勘左衛門が来合せて、私もお伴をと加はツたので、合せて八人となり、賑やかになツて出掛けた。

 家敷(やしき)(くるわ)を出て城下の町を離れると、俗に千間土堤(せんげんどて)といふ堤へ出たが、此堤は夏刀根(とね)川の水が溢れ出る時、其をくひ止めて萬頃(ばんけい)田圃(たはた)の防ぎとなり、幾千軒の農家の命と頼む堤であるから、随分大きな者である、堤の上(ばか)りでも広い処は其幅十間から有る、上から下へ下りるには一町余も歩かねば平地にはならぬ、まア随分大きな堤だ。堤の両側は平一面の草原で、其草の青々とした間からすみれ、蒲公英(たんぽゝ)蓮華草(れんげさう)などの花が春風にほらほらと首をふツて居ると、其を面白がツてやら、蝶が翩々(へんぺん)と飛んで居る。右手は唯もウ田畑(ばか)り、此方(こツち)の方には小豆(さゝげ)の葉の青い間から白い花が、ちらちら人を招いて居ると、彼方(あちら)には麦畑の蒼海が風に波立ツて居る処で、鳴子(なるこ)を馬鹿にした群雀(むらすゞめ)案山子(かゝし)周囲(まはり)を飛び廻ツて、辛苦の粒々を(ほじ)つて居る。遠くには森がちらほら散ツて見えるが、其蔭から農家の屋根が静に野良を眺めて居る。蛇の様なる畑中の小径、里人の往来、小車(をぐるま)のつづくの、田草を採る村の娘、(ひえ)を蒔く男、釣をする老翁、犬を打つ童、左に流れる刀根川の水、前に聳える筑波山、北に盆石の如く見える妙義山、隣に重ツて見える榛名(はるな)、日光、是等は総て画中の景色だ。(ゐなか)の珍らしい娘の目には流石に此景色が面白いと見えて、度々あゝ好い景色と賞めた。

 途中で出遇ツた人も稀であツた。初め出遇ツたのが百姓で、重さうな荷をえツちらおツちら背負ツて居たが、態々(わざわざ)頬冠を取ツて会釈して往過ぎた。次に出遇ツたのが村の娘で、土堤の桑の葉を摘みに来たのか、桑の葉の充満(つま)ツた目籠を各自(てんでん)小脇に抱へて居たが、我々を見るとこそこそ、土堤の端の方へ寄ツて、立止まツて、「(あれ)は何処様の嬢様だが、何処さアヘ往かツせるか、」などと噂をして居た。其次に見掛けたのが農家の小児で、土堤で余念なく何やら摘んで居たが、其中一人が何か一言言ツたのを合図に、真暗三宝(まツくらさんぼう)駆出した、其れから土手の半腹(まんなか)まで往き、遥に此方をふり向いたが、上から勘左衛門が手招をしたら、又わイわイと言ツて一目散に駆下りて仕舞ツた。

 勘左衛門の来たのは我々の興を増す種であツた。此男が歩きながら始終滑稽を言ツて居たので、途中は少しも退屈せず何時の間にか境駅の此方(こちら)渡場(わたしば)まで来た。渡守(せんどう)は我々の姿を見るといきなり小屋から飛び出して、二つ三つ叩頭(じぎ)をしてそして舟を出した。

 此処は川幅は六七町もあらうか、是から上になると十四五町もあらう、大刀根、小刀根、と分れる処で其幅最も広い処だ。娘は姉に向ツて言ふには、「此頃江戸で名の高い馬琴といふ作者の書いた八犬伝といふ本を読みましたが、其本に出る人で……」と(かの)犬飼犬塚の両犬士が芳流閣上より(まろ)び落ちて、つひ行徳(ぎやうとく)へ流れついた事を話して、其犬士の流された処も此処等であらうかなどと話して居る(うち)、船は向うの岸へ着いた。其から上陸して境駅の入際(いりぎは)から(すぐ)横へ切れると、森の中の小径へ掛ツた。両側には杉、(ひのき)(なら)などの(たぐひ)が行列を作ツて生えて居るが、上から枝が(かぶ)さツて居て下に木下闇(こしたやみ)が出来て居る、其小径へ掛ツた。

「もウ(じき)其処から這入るのです。さア皆さん採りッこをしませう。」と勘左衛門が勇み立ツた。尤も(わざ)と、

「秀さん()うございますか、」娘は笑ひながら––「まけませんよ。

「えゝ、宜うございますとも。負けるもンか女なんぞに。

 長井戸の森は何里位続いて居たか、自分はよく覚えて居らぬが、随分大きな森であツた。(さて)森の中の小径を凡そ二三町も這入ツて往くと、葉守の神だか山の神だかえたいの分らぬ小さな神の祠の前へ出た、是が森の入口なので。森の中へ這入ツて見ると、小草(をぐさ)の二三寸延びた蔭又は蚊帳草(かやつりぐさ)の間などから、たをやめの書いた仮名文字ののしといふ恰好で、(わらび)が半身を現はして居た。我々は是を見ると、そら其処にも! おゝ大層に! ほら此処にも! なんとまア! などと頻りに叫びながら小躍りをして採始めた。初の(うち)は皆一処(ひととこ)で採ツて居たが、忽ち四五間七八間と離れ離れになツて採始めた。()して一本の蕨を二人が一度に見附けた時などは、騒ぎであツた。

「あれ私が見附けたのだワ!

「あらまア! お嬢様。おずるい。是は私が見附けました。

「お雪さま、(きよ)にお負けなさいますな。

 左様(さう)かと思ふと彼方(あちら)の方では「おや何処へ往ツたらう?」「此方(こちら)此方(こちら)!」などと手を叩いて居た。又蕨に気をとられて夢中で居ると、突然足下(あしもと)から雉子(きじ)が飛出したのに驚かされたり、其驚かされたのが興となツて、一同笑壷(えつぼ)()ツたりして時のうつツたのも知らず、(いよいよ)奥深く這入ツて往ツた。不意に人声が聞え出した。何処から聞えるのだか? 方々を見廻すと、遥か向うの木の間から煙が細く、とんと蛇の様に立昇ツて居た。

 我々は行くともなく、進むともなく、煙の立つ方へ近づいた。すると木の間から三人の人影が見えた。二人の男は紺の脚絆(きやはん)に切緒の草鞋(わらんぢ)といふ厳重な足ごしらへで、白襟花色地の法被(はツぴ)を着て居た、向う向きの男は後からでよく分らなかツたが、打割(ぶツさき)羽織を着て居て、加之(しかも)其下から大刀の鞘と小刀の小尻(こじり)とが見えて居た様子といひ、一壇高き切株へどツかと腰を打掛けて、屋台店の蟹と跋扈(ふみはだ)かツて居た為体(ていたらく)といひ、如何様(いかさま)此中の頭領(かしら)と見えた。

 我々の近づくのに気が着いたか、(くだん)の男は此方をふり向いた。見覚えの(かほ)だ、よく見れば山奉行の森といふ人で、(あと)の二人は山方中間(やまかたちゆうげん)であツた。

 山奉行といふのは、年中腰弁当で山林へ出張して、山林一切の事を管督する役で、身柄のよい人の勤むる役ではない、其故自分等に対しても、自然丁寧なので。

 森は自分を見ると、満面に(えみ)傾けて()して立上ツて、

「おや、秀さん、蕨採ですかな? 大層大勢で。採れますかな? どらどらお見せなさい。

 其中(そのうち)に一同も近づいて来た。森は二歩(ふたあし)三歩前へ進み、母を初め姉や娘に向ツて、慇懃に挨拶をして、其から平蜘蛛の如く叩頭(じぎ)をして居る勘左衛門に向ひ、

「今日はお伴かな、御苦労だの、」と言ツて、其から又下女の方ヘ向いた、が物は言はず、唯挨拶に笑貌を見せて、直又母の方へ向き、

如何(いかゞ)でござりまする、ちと小屋へ()らしツて御休息をなすツては。はいはいいや誠に汚穢(むさ)くるしい処で……が……渋茶でも献じませう。こりや八助、何かを取揃へて持ツて参れ、身共は小屋へ参るから。さ御案内致しませう。

 時刻は八つ頃でもあツたか、此辺は一面の杉林で、梢の枝は繁りに繁ツて日の目を(かく)(ばか)り、時々気まぐれな鳩が膨声(ふくれごゑ)で啼いて居るが、其声が木精(こだま)に響いて、と言ふのも(すさま)じいが、四辺(あたり)の樹木に響き渡る様子、とんと山奥へでも往ツた様で、なんとなく物寂しい。林中の立木を柱に取ツて、板屋根をさしかけたほツたて小屋、是は山方(やまがた)の人達が俄雨に出遇ツた時、身をかくす遁場所(のがればしよ)で、正面には畳が四五畳、但したゝといふもみのないほどの汚らしい(やつ)、其から前が土間になツて居て、真中に炉が切ツてあらうといふ書割。

 母と、森と、勘左衛門の三人が三鉄輪(みつがなわ)に座を構へて、浮世雑談の序を開くと、其向うでは類は友の中間(ちゆうげん)同志が一塊(ひとかたまり)となツて話を始めた。其処で自分は少し離れて、女中連の中へ這入込み、此方の一方へ陣取ツた。

「秀さん。」娘は笑ひながら、「和子(あなた)如何(どの)位採りました、お見せなさい。おや(たツた)其切(それきり)、少ないことねエ、私の方が多うございますよ、そウら御覧なさい、勝ちましたよ私の方が。

 自分は此時姉が其身(じぶん)の採ツたのを娘のと一所にした所を見た。

「あゝ、ずるいずるい、(うち)の姉さんのを()ぜたのだもの。

「あら、あんなこと。ほゝゝゝ、混ぜはしませんよ。

「いゝえ、混ぜました、混ぜましたよ、見て居ましたからね。

「あら。まア、卑怯な、男らしくもない、負けたものだから其様(そん)な事を。

 其中(そのうち)に渋茶が這入ると、兼て中間(ちゆうげん)に持たせて来た(すし)を今日の昼食として、(なほ)四方山(よもやま)の話をして居た。

 其時勘左衛門の話に、此へうきん者が検見(けんみ)(とも)をして、村々を廻ツて、或村で休んだ時、脚絆(きやはん)の紐を締直すとて、馬鹿な事さ、縁台の足ぐるみ其紐を結び付けて、()して知らずにすましきツて、茶を飲んで居たが、其中(そのうち)上役の者が、いざ、お立ちとなツたので、勘左衛門も急いで立上ツて足を挙げると、不可(いけない)、挙げる拍子に縁台が傾いたので、盆を転覆(ひツくりかへ)して茶碗を(こは)したが、未だに其が一つ話でと、自身を物語ツたのを、我々一同話を止めて、可笑しな話と聞いて居たが、実に此男は滑稽家でもあツたが、又そゝくさした男でも有ツた。

 (さて)暫く此処に休んで居たが、自分達の組が大人を催促して、山奉行に別れて、再び蕨採に出掛けた。今度は出掛けるや否や、(すぐ)ちりぢりになツて採始めた。自分は娘の傍を離れず、娘が採る度に自分の採ツたのと比較して見て、負けまいと思ツて励んで居たが、此時はもウ蕨に気を採られて、娘の事は思ツては居なかツた、ト言ツて忘れても居なかツたので、娘の傍に居るといふ事は、暗に知ツて居たので、所謂(いはゆる)蟲が知ツて居たので、––其(ひるがへ)るふりの袂、其蹴返す衣の(つま)、其たをやかな姿、其美しい貌、其やさしい声が目に入り耳に聞えるので、––其人の傍に居ると何処か(かすか)に感じて居たので、其故(それゆゑ)一層楽しかツた。不意に自分は向うの薄暗い木の下に非常に生えて居る処を見つけた。嬉しさの余り、声を上げながら駆け寄ツて、手ばしこく採らうとすると、娘も()けて来て採らうとするから、採ツては不可(いけない)と娘をさゝヘて、自分一人で採らうとした、が不可(いけな)かツた、自分は今まで採溜めたのを風呂敷へ入れて提げて居たが、其を今すツかり忘れて、其風呂敷を手離して、娘と手柄を争ツたので、風呂敷の中から採ツたのが(こぼ)れて、四方(あたり)に散るといふ大失敗、周章(あわ)てて拾集める(うち)に、娘は笑ひながら、一つも残さず採ツて仕舞ツた。自分が見附けたのを横取するのは非道(ひど)い、返して下さい、と争ツて見たが、娘は情強(ぢやうこは)く笑ツて居て、返しさうもないから、自分は口惜くなり、やツきとなり、目を皿の様にして、沢山ある処をと見廻した、運よく又見つけた、向うの叢蔭(むらかげ)に、が運わるく娘も見つけた。や負けた、娘が先へ走り寄ツた。唐突(だしぬけ)に娘があれエと叫んだ、自分は思はず吃驚(びツくり)した、見れば、もウ自分の傍に居た、真青になツて、胸を波立たせて、向うの(くさむら)を一心に見て。自分は娘の見て居る処、其叢を見ると、草がざわざわと波立ツて、大きな青大将がのそのそと這ツて往ツた、暫くして娘はほツと溜息を()いて、あゝ怖かツた、と莞爾(にツこり)して()して四辺(あたり)を見廻して、又おやと言ツた。先の驚きがまだ(かほ)から消えぬ中に新しい驚きが其心を騒がしたので、以心伝心娘の驚きが(すぐ)自分の胸にも移ツた。見れば四方(あたり)に誰も居ない。母を呼び又姉を呼んで見たが、答ふる者は木精(こだま)の響き、梢の鳥、唯寂然(しん)として音もしない。

「何処へ皆さんは往きましたらう。」心配さうな声で、「ついうツかりして居て、

「さうですねエ……

「立ツて居ても仕方がありませんから、まア向うの方を尋ねて見ませう。

 蕨はもウ其方除(そツちのけ)、自分は娘の先へ立ツて駆けながら、幾度も人を呼んで見たが、何の答へもなかツた。

此方(こちら)の方では無かツたかしらん。」娘は少し考へて居て、「彼方(あツち)かも知れません、秀さん、彼方へ往ツて見ませう。

 (かけ)出して見た、が見当らぬ、向うかも知れぬ、と又其方へ走出して見たが見当らぬ、困ツた。娘はさも心配さうに頻りと何か考へて居たが、心配さうな小さな声で、

「秀さん、貴君(あなた)、道を知ツて居ますか?

 自分とて此辺はめツたに来た事のない処、道を知らう筈はない、が方角丈は漸々(やうやう)と考へついた。

「いゝえ、よくは知らない、けれど此方(こツち)の方が境だから右の方へずんずん往きやア、あの、屹度(きつと)境へ出るから、さうすりやア、もう訳はない。()しか見つからなきやア、なんの、先へ歸ツてしまひませう。

 娘は暫く考へて居たが、少しは安心した様子であツた。

「若し先へ歸ツたら、きツと皆さんが心配しませう。其に折角一所に参ツたものを」……少し考へて居たが、「まア此方の方へ往ツて見ませう、もう一度、今度は何処までも往ツて見ませう。よウ、何を茫然(ぼんやり)して……秀さん。

 又歩き出した。

 少年の頃は人里離れた森へなど往くのは、兎角凄い様に思ふものだが、まして不知案内の森の中で、加之(しか)も大勢で騷いで居た後、急に一人か二人になツて、道に迷ひでもすると、何となく心細くなる者で。自分も今日の様な事に若し平常(ふだん)の日に出遇ツたならば、定めて心細く思ツたのであらう、が然し愛といふ者は奇異な者で、(たと)ひ此時自分は娘を慕ツて居たと知ツて居なかツたにしろ、}隠然と愛が存して居たので心細いとは思はなかツた、(むし)ろ此娘と(たツた)二人、人里を立離れた深林の中に手を携へて居ると思ふと、何となく嬉しい心持がして、寧ろ(つれ)の者に見附からなければ宜いといふ様な、不思議な心持が何処にかあッて、而して二人して(たす)けあツて、木の根を踏こえて()けて往くのを、実に嬉しいと思ツて居た、自分は二町程といふ者は、何の余念もなく唯うかうかと、殆んど夢中で走ツて往ツた。すると突然目の前に大きな湖水が現はれた。

 遥に向うを見渡すと、森や林が幾里ともなく続いて居るが、霞に籠ツて限りもなく遠さうだ、近い処の木は梢を水鏡に写して(さかさ)に水底から生えて居るが、其水の青さ、如何にも深さうだ、薪を積上げた船や筏が湖上を彼地此地(あちこち)と往来して居るが、如何様(いかさま)林から切出したのを、諸方に運送する者らしい。日はもう七つ下り、斜に水を照らし森を照らして、(まこと)に佳い景色である、がもう見る気はない、娘が(かほ)に失望の意を現はして、物をも言はず、悄然として景色を眺めつめて居るのを見ては。

「おや、此様(こん)な大きな沼がある(やう)では……此方(こちら)でもなかツたと見えますねエ、為方(しかた)がない、後へ戻りませう。

 娘は歎息したが如何(どう)も仕方がない、再び(きびす)を廻らして、林の中ヘ這入り、凡そ二町余も往ツたらうか、向うに小さな道があツて、其突当りに小さな白屋(くさのや)があツた。娘は此家を見ると、少し歩くのを遅くして、考へて居る様子であツたが、

「秀さん、丁度宜い。彼処の家へ往ツて頼んで、皆さんを尋ねて貰ひませう。(それ)に皆さんも私達を尋ねて、萬一(ひよつと)彼家(あすこ)へでも尋ねて往ツて、若し私達が来たら止めて置く様にと頼んであるかも知れません、まア彼家へ往ツて見ませう。

 自分は異議なく同意して、いきなり其家へ飛込んだ。家では老夫婦が絲を取り、草鞋(わらじ)を作ツて居たが、我々を見て吃驚(びツくり)した様子。自分は老婆に向ひ、

「おイ(ばあ)やア、誰か尋ねて来なかツたかい、予達(おいらたち)を。

「はアい、誰もござらツさらねエでしたよ。」老婆は不審さうに答へた、「誰か尋ねさツしやるかナ、お坊様。

「蕨採に来たのだが、はぐれて仕舞ツたの、連の者に。おイ、老爺(ぢい)や、探して来てくれないか、一寸往ツて。

 自分が唐突(だしぬけ)に前後不揃の言葉で頼んだのを、娘が継足(つぎた)して、始終を話して、「お気の毒だが見て来て、」と丁寧に頼んだ。

「それエ定めし心配して居さツしやろう、これエ爺様(とツさま)よう、ちよツくら往ツて見て来て上げさツせいな。」

 最前から手を休めて、老爺は不審さうに見て居たが、

「むゝ見て来て上げべい。一走(ひとツぱし)り往ツて、

 ト言ツたが、中々おちついた者で、其から悠然と、ダロク張の煙管(きせる)へ煙草を詰込み、二三(ぷく)といふ者は吸ツては吹き出し、吸ツては吹き出し、其から徐々(そろそろ)立上ツて、どツかと上端(あがりばな)へ腰を掛けて、ゆツくりと草鞋(わらじ)を穿き出した、穿いて仕舞ふと丁寧に尻を端折ツて、扨其処で(やツ)と自分に向ツて、

「坊様、何地等(どツちら)の方でさアはぐれさしツただアの?

 自分は方角を指示(さししめ)した。老婆は老爺(ぢい)の出て往くのを見送り、其から花筵(はなござ)を引出して来て、

「さア嬢様。お掛けなせいまし、其処はえらく汚ねエだがら。さお坊様掛けさツさろ。

「婆やア湯をおくれ、気の毒だが。

「湯かなう? 今上げますで、少し待たツせい、一ツくべ()ツたけるから。

 老婆が鑵子(くわんす)の下を()ツたける間、自分は家の内を見廻した。此家は煤だらけに(くす)ぶり返ツて、見る影もないアバラス堂で、稗史(よみほん)などによく出て居る山中(やまなか)の一軒家といふ書割であツた。其中(そのうち)に鑵子の湯は沸返ツたが、老婆は、ヒビだらけな汚い茶碗へ湯を汲んで、其を縁の缺けた丸盆へ載せて出した。自分は喉が渇いて居たから、(うつは)のきたないのも何も知らず、ぐツと一息に飲み、尚三四杯立付(たてつけ)に飲んだ、娘は口の傍へ持ツて往ツて見て少し躊躇(ためら)ツて居たが、其でも(なかば)飲干した。此時自分は、「(さて)鑵子(くわんす)の湯は(うま)い者だ、」と思ツた。

 此老婆は誠に人のよささうな老婆で、いろいろな事を話掛けるので、娘は其相手をして居た。自分は又(かゝ)山家(やまが)へ娘と二人で来て、世話になるといふのは、余程不思議な事で何かの縁であらうと思ツた。其が考への(いとぐち)で、種々(いろいろ)の事を思ひ出した。即ち、斯様な山中で、竹の柱萱(かや)の屋根といふ、此様(こん)な家でも宜いに因ツて、娘と二人して居たいと思ツた。すると其連感で、自分は娘と二人で此家の隣家に住んで居る者で、今一寸遊びにでも来た者の様な気がした。すると又娘の姿が自分の目には、洗晒(あらひざらし)針目衣(はりめぎぬ)を着て、茜木綿(あかねもめん)(たすき)を掛けて、絲を採ツたり(きぬ)を織ツたり、(すゝぎ)洗濯、きぬた打、(しづ)手業(てわざ)(いとま)のない、画にある様な山家の娘に見え出した、いや何となく其様に思はれたので。其故自分は連にはぐれて、今此処へ来て居る者だなどといふ事は、殆んど忘れた様になツて居た。不意に表の方が騒がしくなツた。

 自分は覚えず貌を上げて()して姉を見た。

「おゝ秀坊が!

 第一に姉が叫んだ。

 誰しも苦痛心配は(きら)ひであるが楽になツてから後、過去ツた苦痛を顧みて心に思ひ出した程、又楽(たのしみ)の事はない、其と大小の差はあるが、心持は一つだ、昼間自分達のはぐれたのは、一時は一同の苦痛であツたが、其夜家へ帰ツてから、何かに付けて其事を言ひ出しては、其が笑ひの種となり、話の種となツた時には、却て一同の楽となツた。自分は娘が嬉しさうな貌をして、此話をして居る様子を見て、何となく喜ばしく、而して娘も苦痛を分けた人であると思ふと、一層喜ばしく、其日の蕨採は自分が十四歳になるまでに絶えて覚えない程の楽であツた、と思ツた。然し悲喜哀歓は実に此手の裏表も同じ事、歓喜(よろこび)の後には必ず(かなしみ)が控へて居るのが世の中の習はし。平常は自分は何時も稽古に往ツて居て、夜でなくては、家には居ない、其故(それゆゑ)何事も知らずに居たが、今宵初めて聞いた、娘は今度逗留中兼て世話をする人があツて、其頃我郷里に滞在して居た当国古河(こが)の城主土井大炊頭(おほゐのかみ)の藩士(なにがし)と年頃といひ、家柄といひ、丁度似つこらしい夫婦故、互に滞留して居るこそ幸ひ、見合をしてはと申込まれたので、元より嫁入前の娘の事故(ことゆゑ)、叔父も忽ち承諾して見合をさせた所、当人同志の意にも叶ひ、殊に婿になる人が大層叔父の気に叶ツたとやらで、江戸へ歸ツたらば、更に支度をさせて、娘を嫁入らせるといふ事を聞いた。

 之を聞いた自分の驚きは如何様(どんな)で有ツたらう、五分も経たぬ中、自分はもウ我部屋で貌を両手へ埋めて、意気地もなく泣いて居た。

 其夜()てから奇妙な夢を見た。()見れば、自分は娘と二人で何処かの山路を、道を失ツて、迷ツて居る。すると突然傍の熊笹の中から、立派な武士(さむらひ)が現はれて、物をも言はず娘を引さらツて往かうとした。娘は叫ぶ、自分は夢中、刀へ手を掛ける、夢中で男へ切付ける、肩口ヘ極深(のぶか)に、彼奴(かやつ)倒れながら抜打に胴を……自分は四五寸切込まれる、ばツたり倒れる、息は絶える、娘はベツたり其処へ坐ツて、自分の(えり)をかゝヘ抱き起して一声自分の名を呼ぶ、はツと気がついて目を覚す……覚めて見ると南柯(なんか)の夢………(そツ)と目を開いて室を見廻して、夢だなと確信はしたが、然し其愛らしい優しい手が自分の(えり)を抱へて、自分が血に汚れるのも厭はず、血みどりの体を抱き起して、蕾の様な口元を耳の傍へ付けて、自分の名を呼んだ時の貌、其貌はありありと目に見える、其に(えり)は、如何しても、(たツた)今まで抱へられて居た様な気がする、(そツ)と領へ手をやツて見ると、温い、静々(しづしづ)室の内を見廻して見たが、如何も娘が居た様で、移香(うつりが)がして居る様な気がする、さアさう思ふと、気が休まらぬ。床の上へ起直ツて耳を(すま)して見ると、家内は寂然(しーん)として居て、鼠の音が聞える許り……自分は暫く身動かしもせず、黙然として居たが、ふと甲(よひ)に聞いた事を思ひ出して、又何となく悲しくなツて来た。

 扨翌日となツた、明日の晩は叔父も娘も船路で江戸へ帰るから、今宵一夜(こよひひとよ)が名残であると、僅か十里か十五里の江戸へ往くのを天の一方へでも別れる様に思ツて、名残を惜む一同が夜と共に今宵を話し明さうと、客座敷へ寄集まツた。自分は悲しさやる方なく、席ヘ連るのも気が進まぬ故、心持がわるいと名を付けて、孤燈の下に吾影を友として、一人(へや)の中ですねて居た、が暫時は斯うして居た様な者の其中(そのうち)に、娘は如何したか、といふ考へが心の中でむずついた。もウ棄てては置かれぬ、そツと隣座敷まで往ツて這入らうか、這入るまいか、と躊躇(ためら)ひながら客座敷の様子を伺ふと、娘は面白さうに頻りに何か話して居た。自分の事などは夢にも思ツて居ない様で。斯う思ふと気がもしやくしやとして来た、直に(きびす)(めぐ)らして室へ戻り、机の上へ突伏して只訳もなく泣いて居た。暫く経つと、唐紙の開く様な音がして、誰だか室へ這入ツて来た、見れば姉で、祖母(ばゞ)さまが彼方(あちら)へ来いと言ふからお出で、と言ツて種々(いろいろ)勧めた。自分の本心は往きたかツたので(わたり)に舟といふ姉の言葉、(すぐ)往けば宜かツたが、其処が我儘子(わがまゝツこ)の癖で、––お泣きでないよ、と優しく言はれると、(いよいよ)泣出したがる様な者で––勧められる程愈すねて、

「厭だと言ツたら厭だい。馬鹿め。

 姉はあきれて往ツて仕舞ツた、もう往く機会は絶えた、一層我身を悔んで吾と吾身に怒ツて居ると、次の間へ人の足音がして(へだて)の襖が開いた。姉だと思ツてふり向きもせず、知らぬ貌をして居ると、近付いた人は叱る様な調子で、

「何をしてお()でなさるの、」と言ツて自分の手を押さへて、「其様な悪戯(わるいたづら)をする者ではありませんよ。

 自分は此時癇癪を起して、小刀で机を削ツて居たので……又削らうとした。

「よすものですよ。」と言ツて自分の泣貌を見て、「おや、如何なすツたの。何を泣いて居なさるの。え。え。

 自分は是を聞くと、訳も道理もなく悲しくなツて来て、唯さめざめと泣出した、すると娘は自分の肩へ手を掛けて、机に身を寄せかけて、(すゞ)しい目を充分(いツぱい)に開いて、横から自分の貌を覗き込んで、

「何故お泣きなさるの、何か悲しい事があるの。え。お(なか)でも痛いの。え、え、気分でもわるいの。

 自分は(かぶり)をふツた。

左様(さう)ではないの。其では如何(どう)しなすツたの、泣く者ではありませんよ。よ。よ。

 自分は袖でいきなり泣貌をこすツて、

「お姉さま……貴嬢(あなた)は……あの明日(あした)もウ帰るんですか……如何(どう)しても。

 娘はしげしげと自分の貌を見て居たが、物和(ものやはら)かに、

「秀さん、其で和子(あなた)泣いて居たの。

 首をかしげて(たづ)ねたが、自分が黙ツて居たのを見て、自分の(かしら)を撫でようとした、自分は其手をふり払ひ、何か言ツてやらうと思ツたが、思想がまとまらなかツた。

「お姉さま、貴嬢(あなた)は……、あの、あの悲しくも何ともないの……皆に別れるのが。

 娘は眉を(ひそ)めて、不審さうに自分の貌を見て居たが、

「おや何故? 悲しくない事はありませんが、もウ父上(おとツさん)も帰らなければなりませんし……其に種々(いろいろ)」言はうとして止め、少し考へて居て、「秀さん、私ももウ今夜ぎりで帰るのですから、仲よく遊びませう。ね。さア。もウ泣く者ではありません、さア泣き()んで。

 あゝ何として泣かれよう、自分の耳には娘のいふ一言(ひとこと)一言が、小草(をぐさ)の上を柔かに撫でて往く春風の如く、聞ゆるものを、其優しい姿が前に坐ツて、其美しい目が自分を見て、()して自分を慰めて居るものを、あゝ何として泣かれよう。五分も()たぬ内、自分はもウ客座敷で、姉や娘と一所になツて笑ひ興じて遊んで居た。

 翌日の晩方自分は父と諸共(もろとも)に、叔父と娘とを舟に乗込むまで見送ツたが、(わかれ)(きは)に娘は自分に細々(こまごま)告別(いとまごひ)をして再会を約した。自分は父と竝んで岸辺に立ツて、二人が船へ乗込むのを見て居たが、其時の心持は如何様(どんな)であツたらう、親兄弟にでも別れる様に思ツた、而して其別れる人の心は何人(なんぴと)の事を思ツて居るのかと思ふと、尚悲しさも深かツた。娘が桟橋を渡ツて、(いよいよ)船へ乗込まうとして、此方(こちら)をふり向いて、

「叔父様、御機嫌よろしう。左様なら秀さん。

 ト言ツた声、名残に残した其声がまだ四方に消えぬ内、姿は船の中へ隠れてしまツた。

 無情の船頭、船のもやひを解いて(さを)を岸の石に突立てる、船は岸を離れる、もう是が(わかれ)。父も悄然として次第に遠くなる船を見詰めて居る様子……すると船の窓から(かほ)を出した、誰であらうか、此方を眺めて居る、娘ではないか。(なさけ)を知らぬ夕霧め、川面(かはづら)一面に立籠めて其人の姿をよく見せない、(あれ)が貌かといふ程に、只ぼんやりと白い者が、ほんの(かすか)に見える(ばか)り。あゝ其さへ(またゝき)をする間、娘の姿も、娘の影も、それを乗せて往く大きな船も櫓拍子(ろびやうし)のする(たび)に狭霧の中に蔽はれて仕舞ふ、あゝ船は遠ざかるか、櫓の音ももウ消え消え、もウ影も形も……櫓の音も聞えない、目に()る者は刀根川の水が只洋々と流れるばかり……

 

         *       *       *

 

娘は江戸へ帰ツてから、程なく古河(こが)へ嫁入したが、間もなく身重(みおも)になり、其翌年の秋蟲気(むしけ)附いて、玉の様な男子を産落したが、無残や、産後の日だちが悪く、十九歳を一()として、自分に向ツて別れる時に再会を約した其言葉を、意味もない者にして仕舞ツた。然し(かつ)て娘が折ツてくれた鶴、香箱、三方の(たぐひ)は、いまだに遺身(かたみ)として秘蔵して居る。

 嗚呼(あゝ)皆さん、自分は老年の今日(こんにち)までも其美しい容貌(かほかたち)、其優美な(すゞ)しい目、其光沢(つや)のある緑の(びんづら)就中(なかんづく)おとなしやかな、奥ゆかしい、其たをやかな花の姿を、ありありと心に覚えて居る……が……悲しいかな、其月と眺められ花も及ばずと眺められた、其人は今何処(いづこ)にあるか。其なつかしい名を刻んだ苔蒸す石は依然として、寂莫たる処に立ツて居るが、其下に眠る彼人(かのひと)の声は、また此世では聞かれない、(しか)し斯くいふ白頭の(おきな)が同じく石の下に眠るのも、あゝもウ間のない事であらう。(まこと)に人間の一生は春の花、秋の楓葉(もみぢ)朝露(てうろ)夕電(せきでん)、古人(すで)にいツたが、今になツて益々さとる。初めて人をなつかしいと思ツた、其蕾の頃は勿論、やうやう成人して、男になツて、初めて世の中へ出た時分は、扨々(さてさて)無心なもの気楽なもの、見るもの聞く物皆頼母(たのも)しい、腕はうなる、肉はふるへる、英気勃々(ぼつぼつ)として我ながら禁ずる事が出来ない、何処へ如何(どう)此気力を(ため)さうか、如何して勇気を漏さうかと、腕を(さす)ツて、放歌する、高吟する、眼中に恐ろしいものはない、出来なささうな物もない、何か事あれかし、腕を見せようと、若い時が千萬年も続く様に思ツて、是もする、あれもしたいと、行末の註文が山の様であツたが、嗚呼其若い時といふは、実に、夏の夜の夢も同然、光陰矢の如く空しく過ぎ、秋風淅々(せきせき)として落葉の時節となり、半死の老翁となツた今日、遥に昔日を思ひ(いだ)せば、恥づべき事、悲しむべき事、殆んど数ふるに(いとま)がない。嗚呼少年の時に期望した事の中で、まア何を一つ仕出かしたか、少壮の頃にさへ何一つ(なし)遂げなかツた者が、今(おい)の坂に杖突く身となツて、果して何事が出来ようぞ、最早(もう)無益(だめ)だ、最早光沢(つや)も消え、色も衰ヘ、只風を待つ(しを)れた花、其風が吹く時は……

 

(明治二十二年一月「都の花」)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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矢崎 嵯峨の舎(嵯峨の屋御室)

ヤザキ サガノヤ(サガノヤミムロ)
やざき さがのや 嵯峨の屋御室とも。小説家 1863・1・13~1947・10・25 江戸日本橋に生まれる。ロシア語を学んで二葉亭四迷と相識り、露文学の紹介に業績をのこした。坪内逍遙宅に寄寓の1887(明治20)年すでに2冊の本を出版、職歴は多彩で、日露戦時は大本営幕僚事務取扱に任じ、晩年は書店を経営。

掲載作は不動の代表作として知られ、1889(明治22)年1月「都の花」初出。文体の新しさ、日本語のみずみずしさ、やさしさは、僚友四迷同時期の「浮雲」や「あひびき」や若松賤子等の翻訳をしのぐ美しさを示し、作柄ではのちの伊藤左千夫「野菊の墓」等に遙かに先行の、弱冠27歳、瞠目の記念作である。

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