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トライチ

  1

 

 狩に出たトライチの集団は、うまい具合にヤカの大群を発見した。

 ヤカは、ふたつの群に分れて、草を食べている。

 だから、先任リーダーのカサラ30は、みんなを並ばせて二列にし、いった。

「前列は右の群を襲え。指揮はピクル17、おまえだ。後列は私がひきいて、左の群を襲う。全員、指揮に従って勇敢に狩をしよう。それでは行動開始だ!」

左右に分れたトライチたちは、はじめは足音をしのばせ、ヤカに近づいてからは大声をあげながら走りだした。

「ワラブヌー、ヤカ!」

「ワラブヌー、ヤカ!」

みんな、叫んでいる。

 伝統的な、狩の叫びなのだ。ワラブヌーとは、おまえを殺すぞわれわれの食物になれという意味の昔からの呪文で、それを耳にした動物たちは、おそれて力が弱くなるのであった。この呪文のあとに、狩ろうとする動物の名をくっつけるのが定めなのである。

「ワラブヌー、ヤカ! ワラブヌー、ヤカ!」

 仲間の先頭に立ち、先のとがった棒を両手に握りしめ、胴の下の四つの足をせわしなく動かして、カサラ30もわめいた。

 ヤカの群が乱れた。

 大半は逃げ出して行く。が、何頭かの戦闘ヤカは踏みとどまって向き直り、六本の脚を開き巨大な角のある頭を低くして、応戦の構えをとっていた。

「ワラブヌー、ヤカ! ワラブヌー、ヤカ!」

 カサラ30は絶叫し、棒の先端を向けて一頭のヤカに迫った。

 呪文の効きめで、ヤカの動きはたしかに鈍くはなっている。昔は呪文がもっと大きな効果をあげたものだとカサラ30は聞いていた。近頃はなぜかそれ程でもないというが……カサラ30にとっては、それだけでも充分であった。

 彼は突進した。

 棒もろとも、ヤカにぶつかって行くのである。

 だが、その第一撃は、ヤカが頭部を大きく振ることで外された。彼は棒をつかんだまま地面にころがった。

 立ち直ったとき、後続の仲間がそのヤカを刺そうとして走って来るのが見えた。

 しかし……未熟だった。あとから来たふたりの仲間は簡単にはねのけられたばかりか、ひとりはヤカの角にひっかけられて、地に叩きつけられたのだ。

 カサラ30は再び突撃した。

 トライチの大周期の年代にさしかかっていながらカサラ30が依然としてリーダーのひとりでいられるのは、彼のそうした勇敢さが衰えていないからである。

 彼の棒は、ちょうどあっちを向いていたヤカの頸部に、深く突きささった。

 彼はヤカに飛び乗り、棒を引き抜くと、別の個所を刺した。

 さらに別の個所。

 ヤカは倒れた。

 彼はヤカの背中から飛び降りる。

 そのころには何人もの仲間が、滅多やたらにヤカを刺していた。

 ヤカは死んだ。

「次だ!」

 カサラ30は別のヤカを指し示し、みんなはどっとそっちへ走った。

 トライチたちは勇敢であった。カサラ30とその隊は六頭のヤカを仕留め、かちどきをあげた。

 それからカサラ30は、ピクル17らのことを思い出した。

 あの連中は、どの位のヤカを倒したのだろう?

 とても六頭もやっつけられなかったに違いない。

 ピクル17は、たしかにいい戦士である。向う見ずで勢いがいい。そのことは、集落の誰もが知っていた。狩に参加することが認められる中周期入りして以来、ピクル17はつねにそうだったのだ。それだからこそ、あの年でリーダーのひとりになっているのだ。

 けれども、ピクル17が強引過ぎるのもまた事実であった。部下の犠牲など気にもしないのである。もう少し巧くたたかえば、ずっと楽に狩が出来るのに……と、カサラ30は思うことがある。

 いや。

 カサラ30は自分を叱った。、

 そんな……手段とか策とかいうようなものに心を向けてはならないのだ。トライチは純粋で一本気だからこそ、トライチなのである。危険思想には惹かれてはならないのであった。かりに惹かれそうになったとしても……それを他人に気取られてはおしまいなのだ。

 …………。

 彼は顔をあげた。

 ピクル17がこっちへやって来る。

 ひとりではなかった。若い仲間を連れていた。

「おーい」

 カサラ30は手を振って迎えた。

 ピクル17は、しかしどういうわけか、元気がない。いつものように走って来ようとはせず、歩行速度を保っている。

 近づくにつれて、カサラ30は、ピクル17の連れというのが、ついこの間初周期から中周期入りしたキョモヤ2であるのを認めた。

 キョモヤ2。

 カサラ30は、キョモヤ2に関するおだやかでない噂を思い起こした。キョモヤ2はあの若さですでに危険思想を持ちはじめているという噂である。けれども彼はすぐにその想念を押し潰した。面と向ってそうと知ったのでもないのにそんな風に噂で先入観を抱くのは恥ずべきことなのだ。

「どうだった?」

 そばに来たピクル17に彼はたずねた。「おまえの隊は何頭仕留めた?」

 おそらく獲物はすくなかったのだろう。それでピクル17が気落ちしているのなら慰めなければならない――との彼の心配は、相手の返事で吹っ飛んでしまった。

「十四頭だ」

 と、ピクル17は答えたのだ。

「十四頭?」

 彼は目を剥いた。

 とても信じられる数ではない。

「そうなのだ。十四頭」、

 ピクル17は繰返した。「それも、途中で狩をやめて、だ」

「それは……どういうことだ?」

「このキョモヤ2が」

 ピクル17は、かたわらの若者を指した。

「こいつがおかしな方法を使って、ヤカを動けなくした。だから、いくらでもヤカを殺すことが出来た」

「おかしな方法?」

「ぼくはただ、狩をしやすくしただけです」

 いったのは、キョモヤ2である。「ぼくは棒を捨てて……棒を持っているとヤカは警戒しますからね。素手でヤカに近づいて、ヤカの耳のそばでどなっただけです」

「それが正式の呪文じゃないんだ」

 と、ピクル17。「おれたちの知らない呪文なんだ。だから……そんな方法でこれ以上狩をつづけていいものかどうか、おれには分らなくなった。そこで途中でやめた」

「…………」

「おれは、どうしたらいいか知らない」

「…………」

 カサラ30にも分らなかった。そんなことがあり得るとは思えないが……ピクル17がいうのだから、事実であろう。

「ぼくは、みんなのために工夫をしたんです」

 キョモヤ2は抗弁する。「リーダー会に呼び出して下さっても、ちゃんと説明出来るんです」

「そう……。とにかくリーダー会を開くほかはないな」

 カサラ30はそう応じるのがやっとだった。

 

  2

 

 トライチの六名のリーダーは、半円形のテーブルについた。集落のリーダーはこれで全部だった。

 構成は、中周期のなかばに属するピクル17と、同じく後期の年代の四名、それに大周期のカサラ30である。

 これがトライチのリーダーのメンバーとして標準的なのか多少変っているのか、カサラ30には何ともいいようがない。トライチの集落がほかにもあるのはたしかだが、それがどこにあってどんな形態をとっているのか、正確なことは誰も知らないのだ。それはここにも他の集落からまぎれ込んで来た者もいるが……かれらは自分を追放した集落のことを語ろうとしなかったし、みんなもたずねようとはしなかった。大体が集落入りした初代なんて、一人前のメンバーではないのである。二代めからあとになって、ようやく正規のメンバ一の扱いを受けるのだった。

 正規メンバーであっても、初周期の学習・訓練の時代には、まだ何の権利も義務もない。ここのトライチがちゃんとした役目を与えられるのは、中周期に入ってからである。中周期以後は能力しだいで重要な地位にもつける代り、集落に有害な存在と判定されれば〈熱洞〉入りを強制される。〈熱洞〉に送り込まれたトライチは、記憶のすべてを失なったひとりないし数人の小さな後身となって、集落に復帰し、初周期からやり直すことになる。そんな具合に何代もつづいて行き、前身の番号につづく番号をもらうのがつねなのだ。この番号のつけかたはきわめて機械的である。集落の古い成員であるピクル系がまだ17にしかなっていないのも、ピクル系が〈熱洞〉送りされるようなへまをしないわりに、狩でよく命を落とすからであった。

 中周期を過ぎて大周期の年代にさしかかると、原則的には第一線からしりぞいて、集落のこまごまとした作業に従事する。というのも大周期になったトライチたちは、特定の一対となる可能性があり、一対となれば次の超大周期に、ふつうのかたちの後身ではなく、ふたつのトライチの特徴を共有した後身を生み出すからである。そうした例外的後身はあたらしい名を持つのだそうだ。そうだというのは、一対となったトライチは集落から出て行かねばならず、その後のことは当人たちにしか分らないからであった。

 さて。

 リーダー会だ。

 座長は慣行によって先任リーダーがつとめることになっている。

「では、キョモヤ2の問題を処理しよう」

 カサラ30は他のリーダーたちを見廻した。

「すぐにキョモヤ2を呼ぶか、それともキョモヤ2に関する予備知識を得るか……どちらだ?」

「どちらでも構わない」

 ピクル17がいう。

 ほかのリーダーも頷いた。

「分った。私が決める」

 カサラ30は宣言し、ちょっと考えた。キョモヤ2を呼び込む前に論点を整理しておいたほうがいい。そうすれば問答も円滑に行くはずだ。リーダー会なら集落全体のためだから先入観づくりも許されることだし……しかし自分がそんな計算をしたのを他の連中に悟らせてはならない。計算は不純だからである。不純は危険思想であり、〈熱洞〉送りにつながるのだ。彼は自然な口調でいった。「それでは先にキョモヤ2について、知っていることを話し合おう」

「そうしよう」

 他のリーダーたちは、また頷いた。

「私は、キョモヤ2が、キョモヤ1のただひとりの後身であることを知っている」

 と、カサラ30。「キョモヤ1は集落の新入者だった」

「そうだ。そして危険思想の持ち主だった。リーダーのひとりひとりと仲良くして、リーダー会に自分に都合のいい案を通させようとした」

 カサラ30の次にリーダーになったのが発言した。

「キョモヤ1は落とし穴というので狩をしようといった。勇敢さがなくても狩が出来るやりかただ。ほかにもいろいろ、計算やたくらみをした」

 別のリーダーがいう。

「だから〈熱洞〉送りになった」

 また別のリーダーがつけ加える。

「キョモヤ2は、もちろんキョモヤ1の形質を備えている」

 カサラ30が口を開いた。「しかしキョモヤ2はわが集落の正規メンバ一で、きちんと教育され訓練を受けた。キョモヤ1とは違うはずだ」

「キョモヤ1のことはよく知らない」

 いったのはピクル17である。「しかしキョモヤ2が、われわれのやりかたと違うやりかたを、これまでにも何度か工夫したのは知っている」

「才能ではないのか?」

 ひとりが首を傾けた。

「才能の可能性はある」

 別のひとりがいう。「だが危険思想から出た才能であるなら、われわれはそれを抹殺しなければならない」

「そういうことだ」

 カサラ30の次に古いリーダーが受けた。「われわれはキョモヤ2に才能があるかも知れないとは認めるが、それが危険思想の反映かどうかを見きわめる必要がある」

「よし」

 カサラ30は手をあげて制した。予備知識はこの位でいいだろう。「そういうことで……では私は、キョモヤ2をここに呼びたいと思う」

 リーダーたちは同意した。

 キョモヤ2が入って来る。

 リーダーたちの視線の中心部にキョモヤ2は着席した。

「説明してもらおう」

 カサラ30はいいだした。「ピクル17は、おまえがおかしな方法でヤカを動けなくしたといった。そのとき私はおまえの口から簡単なことは聞いた。ここにいるリーダーたちも、ピクル17か私からあらましは聞いている。その件についての、おまえ自身のくわしい説明を求める」

 キョモヤ2は、顔をカサラ30に向けた。

「いくらでも説明しますよ」

 キョモヤ2は快活に答えた。「ぼくは、動物たちがなぜわれわれの呪文にひるむのか、それを考えて、今までよりももっと有効なやりかたを思いつきました。それを実行してみただけです」

「動物がひるむのは、われわれの呪文が力を持っているからだ」

 リーダーのひとりがいった。

「そうです。力があるんです」

 と、キョモヤ2。「でも、それだけでは完全な説明にはなりません。なぜ力があるのか……そこが大切です」

「…………」

「動物たちは、われわれの声におびえるんですよ」

 キョモヤ2はつづけた。「動物たちは声を出しません。動物たちは、われわれには聞えない音で連絡を取り合っているのでしょう。声を出すのは、われわれトライチに限られています。だから……呪文でなくても、大声をあげれば動物たちはおびえて、動けなくなるんです。ぼくはそう考えました」

「…………」

「それからまたぼくは、近頃ではワラブヌーというわれわれの呪文が、昔ほど力を発揮しないとも聞きました。それは、動物たちがワラブヌーという発音に馴れてしまったからだと思います。動物たちは、水の流れや花がはじける音には驚きません。馴れているからです。それと同様に、ワラブヌーという音にも馴れたんです。そうだとすれば、動物たちの聞き馴れない音を使うほうが効果があるはずです。ぼくはそれを実行してみたんです」

「それは……あたらしい呪文だな? そうだな?」

 ピクル17が問うた。

「あたらしい呪文だなんて……そんな」

 キョモヤ2は笑った。「ただの、わけの分らぬ言葉をわめいただけですよ」

「とてもそうとは思えなかった。あたらしい呪文なんだろう? そうだろう?」

「呪文なんかじゃありません」

 キョモヤ2は首を振った。「呪文でなくてもいいんです。動物たちはふだん、われわれには聞えない音で話し合っていても、われわれの声も分るのではないでしょうか? それも、動物たちにとっては、いやな、ぞっとする音として……そのためにおびえ、動けなくなるのだと信じます」

「動物たちは声を出さないし、話し合いもしない。そんな、われわれには聞えない音などというものは……それで動物たちが話し合っているとは……とても考えられん」

 ひとりのリーダーが異議を唱えた。

「それじゃ、なぜ動物たちにも耳があるんです?」

 と、キョモヤ2。「耳がある以上、われわれには聞えなくても、話し合っているんですよ。そこでぼくはその耳のそばでどなってやったんです」

「…………」

 リーダーたちは、しばらく黙っていた。

 ややあって、ひとりが質問した。

「するとおまえは……そういう方法でやれば狩がしやすくなると考えたのだな?」

「そうです」

「なぜ、狩をしやすくしなければならない?」

「なぜって」

 キョモヤ2は当惑の表情になった。「それは楽なほうがたくさん動物を獲れるからです」

「そういえばおまえは、棒を持たずにヤカに近づいたんだったな?」

 別のリーダーがたずねた。「なぜだ? なぜ棒を持たなかった?」

「棒を持っていると、ヤカが警戒するからです」

「つまりおまえは、ヤカにもたたかいの機会を与えず、われわれも勇敢さを示すことなしに済む狩をしたというわけだな?」

「そうですとも。それが――」

「そんなものが、狩といえるか!」

 ピクル17が声をあげた。「狩は、トライチの勇敢さを示すから狩なのだ!」

「おまえがそんなことを考えたのは……おまえが勇敢でなかったからではないのか?」

 カサラ30もいった。そういわなければならない雰囲気だったのだ。

「だって……必要もないのに勇敢になるなんて……無駄でしよう? われわれはもっと要領良く食物を手に入れるべきではないですか?」

 キョモヤ2のその言葉に、リーダーたちはしんと静まり返った。

 カサラ30も口をきけなかった。

 これは……まぎれもなく危険思想であった。ここまではっきりいわれては、どうにもならない。

 カサラ30はふと、これが自分であったなら、こんなに率直におのれの意見を表明したであろうか、と、考えた。自分なら決してそんな真似をしないだろう。そんなことをすれば危険思想の持ち主と判断されるに決まっているからだ。それをキョモヤ2は、あえてやってしまった。もう救いようがない。それだけキョモヤ2が自分よりもより純粋なのだとも思った。

 だが、妙なものだ。より純粋であれば危険思想の持ち主とされ、喋らなければ安泰であるというのは、矛盾してやしないか? そんなことをこれまで考えてもみなかった彼は、頭の中がおかしくなるような気がした。

 そして……むろん、こんな今の思考はおもてに出してはならないのである。大周期入りして以来、しばしば心の中に生れて来るそんな思考が、実は計算や策略の一種であり、表面に出すのはおろか、考えるだけでもいけないことであるのを、彼は自覚していた。

 あるいは……あるいはこんな不純な思考というのは……トライチが中周期から大周期入りする頃から必然的に形成されてくるのであろうか? だから大周期に達したトライチは、原則として集落の第一線からしりぞくと定められているのであろうか?

 分らない。

 いずれにせよ――彼は気持ちを引き緊めた。そんなことを考えてはならない。そんな思考はトライチには似つかわしくない。それよりも大切なのは、キョモヤ2の処置であった。

「われわれはこれから、おまえをどうするかの決定を行なう」

 カサラ30は若者にいい渡した。「おまえは規則通り待機室にさがって、そこでもう一度われわれに呼び出されるのを待つ義務がある。いいな?」

「分っております」

 キョモヤ2は立ちあがり一礼すると、部屋の隅に控えていた二名の中周期メンバーに連れられて出て行った。

「結論は?」

 カサラ30はリーダーたちを見廻した。

 結論はひとつだった。

 キョモヤ2が危険思想の持ち主であるのは疑いがなかった。

 それにもかかわらず決定に時間がかかったのは、そのキョモヤ2を〈熱洞〉送りにするか、それとも死刑にするかで論議になったからである。〈熱洞〉送りになれば、当然後身が出来る。その後身はキョモヤ2と同じ形質を備えているわけなのだ。あたらしいキョモヤがまたもや危険思想の持ち主になるか教育・訓練でそうなるのを防げるか……リーダーたちの意見は分れた。

 が、結局、ピクル17を筆頭とする悲観派が勝利をおさめた。集落にとって危険な形質を消すために、キョモヤ2は死刑に処せられることに決定した。

 

  3

 

 宣告を与えるために呼ばれたキョモヤ2は、しかし、姿を現わさなかった。

 呼びに行った者が、信じられないという顔つきで戻って来て、報告したのだ。

「キョモヤ2はいません」

「いない? いないとはどういうことだ?」

 リーダーたちは腰を浮かした。

「いないのです」

 報告者は繰り返した。「キョモヤ2は待機室におらず、待機室の監視者はなぐり倒されていました」

「逃亡か?」

 リーダーのひとりがわめいた。

 逃亡などという事態は、過去にほとんどおこったためしがなかった。そのまれな例でさえ、伝説に属していた。トライチは集落のきまりを守り、集落のために生きて死ぬ。逃亡を企てるという意識そのものがタブーであり、危険思想の極致なのだ。トライチが集落のきまりに従わなければ、集落の存在があやうくなるのである。

 リーダーたちは、待機室へ走った。

 待機室の監視を命じられていたメンバ一は、すでに手当てを受け、何がおこったのかを話せるところまで回復していた。

「キョモヤ2は、私の手から棒を奪い取って、それで私の顔をなぐったのです」

 と、監視者は話した。「なぐられた私は失神し、他のメンバーに助け起こされるまで何も分りませんでした」

 けれども、それ以上の詳細になると、監視者の陳述はあいまいであった。なぜ棒を奪い取られたのかもはっきりしなかったし、どこからどういう具合になぐられたのかも、さっぱり要領を得ないのである。監視者はキョモヤ2が義務に忠実だと信じていたというばかりなのだ。

 リーダーたちは、キョモヤ2が監視者を倒して逃亡したのだと認めざるを得なかった。この驚くべき所業に対して、かれらは集落のあらゆる記録からキョモヤという名を削ることを決議した。また、監視者にはこれが予期されなかった事件であるとしても職務不履行はまぬがれないとのかどで、十五回の鞭打ちが行なわれることになった。

 鞭打ちは、いうまでもなく公開である。

 リーダーたちは所定の席につき、群衆の中を監視者が引き出されて来て、柱にくくりつけられるのを見守った。

 鞭の音が鳴るたびに、監視者は悲鳴をあげた。わあわあ、おうおうと泣き叫ぶのである。

 しかし…カサラ30にはどうもそれが、あまりに大仰なような気がして、仕方がないのであった。こんな事情で鞭打たれれば、ふつうはおのれの過ちを噛みしめ、耐えようとしてうめくものである。こんなに派手に叫ぶものではない。

 ひょっとしたら……と、カサラ30は考えはじめていた。ひょっとしたら、あの監視者はこうなるのをはじめから覚悟していたのではないか? つまり……監視者はキョモヤ2に狩のときに使ったあの未知の呪文を教えてもらったのではあるまいか? キョモヤ2はあれは呪文ではないといった。ただ単にわめいただけだと述べたが……そのわめきかたにしても、一定のきまりなり法則というものがあるに違いない。とすれば、それは効力という点から見て、やはり呪文に相違ないのである。キョモヤ2はそれを監視者に伝授してやる代りに棒を受け取り、監視者をなぐり倒して逃亡したのではあるまいか? 監視者にしてみれば、自分がキョモヤ2に不意に襲われたのだといえば、鞭打ち位の刑で済むのは分っていた。鞭打ちさえ終れば、あとはあたらしい狩の呪文をひそかに独占出来るのである。取り引きとしては有利といえるのであった。また、鞭打たれるとなれば、そんな取り引きがあったのを他人に悟らせないように大声で泣き叫ぶのが安全である。そして……それらいっさいのことを、キョモヤ2が監視者に教えたのかも知れないのであった。

 こんな臆測をするということ……こんなことを考えるというのが、それ自体危険思想であるのを、カサラ30は充分自覚していた。こんな、裏の裏を推量しようとの思考形態は許されないのである。

 だが、それにもかかわらず、今の臆測が事実である可能性は、間違いなく残っているのだ。それが事実であるとすれば……キョモヤ2は純粋どころか、計算と策略に長けた怪物だということになる。中周期入りしたばかりのあの若さで、大周期の自分をもしのぐ計算をすでにしているとすれば……キョモヤ2が自分の年になったとき、どんなトライチになっているだろう。いやもうそれはトライチではなく、別の存在なのかも知れない。

「どうなのだろう」

 横の席のリーダーが問いかけたので、彼は顔をそちらに向けた。

「何が?」

「キョモヤ2のことだ」

 そのリーダーはいう。「あいつはどこへ行ったのだろう?」

「…………」

 カサラ30が答えかねている間に、反対側の席のピクル17が代って返事をした。

「どこへも行けまい。あんな危険思想の持ち主を受け入れるトライチの集落があるわけがない。あれは危険過ぎるのだ」

「そうだ。その通りだ」

 はじめのリーダーが頷いた。

 そうかも知れない、と、カサラ30は考え、いや、そうでないかも知れないと思い直した。

 かりに、である。

 かりに、あんなキョモヤ2のような者を受け入れる集落があるとすれば……そしてキョモヤ2がもしもそこで集落の主導権を握れば……というより、もう一歩進めて、キョモヤ2のような発想が当り前になっている集落があるとすれば……どうなるのだ? そんな、危険思想ばかりの集団、計算や策略が当然のこととして認められている集落があるとすれば……どうなる?

 そして、だ。

 いつの日か、自分たちがそうした集落の連中と相まみえ、交渉したりたたかったりしなければならないときが来るとしたら……自分たちには到底勝ちめがないのではないか?

 自分たちは、トライチの純粋性を守ろうとして、実はとんでもない誤りをおかしたのかも知れない。昔からのモラルを守ろうとしてわざわざ弱体化し、滅亡を求めているのかも知れない。

 彼はそんなことも考えた。

 考えたが……それを顔にあらわしはしなかった。まして口に出すような真似はしなかった。

 彼は鞭打ちの光景に視線を戻した。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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眉村 卓

マユムラ タク
まゆむら たく 小説家 1934年 大阪府に生まれる。『消滅の光輪』により泉鏡花文学賞。

掲載作は「SFアドベンチャー」1979(昭和54)年春季創刊号に初出。1981(昭和56)年、『遙かに照らせ』徳間書店刊に収録。

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