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北斗七星

サーカスの象 

ヤンバルクイナ 

象のいない動物園

恋の虫=ホタル 

軍の論理

母乳の偉力 

少欲知足 

ホピの予言

ぼけない人 

地球は鼓動を持つ生命体 

サイの角 

本物の科学者はどこ? 

過ぎたるは及ばざるが如し 

不老不死の薬 

サスティナビリティ(持続可能性) 

冬に備えた小鳥たち 

世界先住民国際年 

自然の神様の怒り

 

 サーカスの象

 

 「雪国」や「伊豆の踊子」で知られる作家の故川端康成氏の成績表が最近、見つかったそうだ。数々の名作を生み、ノーベル文学賞を受賞した文豪だから、さぞ作文などは良い成績だろうと思いきや、それがさにあらず。

 旧制中学時代の作文の点数は、53点で最低、学年でも「下」の部類だったというから驚く。この意外な結果は、川端文学の研究に画期的な資料になると、関係者はワクワクとか。テレビばかり観て育った作文の苦手な現代っ子に「あの川端さんだって作文は……」と励ます家庭が続出するかもしれぬ。

 だが、人間の多様な才能を否定し、記憶力を中心とした「受験秀才」をつくる現在の教育環境では、「五無主義」の子供は増えても、幼児期の隠れた才能を発揮する「偉人」は出にくいのだという。アメリカの「巨人経営者」といわれるポール・マイヤーは、人間は本来、誰でもすばらしい可能性をもって生まれているのに、それを発揮できずにいるのは「サーカスの象」だと指摘したことがある。

 象は普通、一トンぐらいの積み荷を鼻で楽々持ち上げることができるが、サーカスの象は、小さな杭につながれたまま、おとなしい。それは、象がまだ幼く、力が弱いころから鉄の杭に重い鎖でつながれ、どんなに引っぱっても幼い象は鎖を切ることも、杭を動かすこともできない。

 そのうち身体が大きくなり、力が強くなっても、象は杭がそばにあるかぎり、どうにもならないと信じ込む。人間も、このサーカスの象のように、小さい時から、「ダメな子ね」「どうしてこんなに頭が悪いんでしょう」などと、母親からしょっちゅう言われれば、自分はダメなんだと思い込み、すばらしい才能も眠ってしまうのだという。

 考えさせられる話だ。「あの川端さんでも…」という前に、打ち込んだ_杭_はないかを点検する必要がありそうだ。  1978.02.21

 

 ヤンバルクイナ

 

 近ごろうれしいニュースは沖縄で百年ぶりに発見された鳥の新種「ヤンバルクイナ」だ。「トリも飛ばずば撃たれまい」というべきか、二万年以上も前から沖縄に生息しながら、沖縄戦でも生き残った理由は、どうやら空を飛べない可能性が強いからという。

 新種が見つかった沖縄本島国頭村付近には、原生林が生い繁り、特別天然記念物のノグチゲラ約百羽も生息している鳥類の宝庫。クイナ類は一般に警戒心がきわめて強く、人影などに気付くと、素早くアシの間や水中に身を隠してしまう。体は左右に扁平で、アシなどの茂みの中をくぐりぬけるのにつごうよくできている鳥。

 発見されたヤンバルクイナも同様で「ヤマドイ」(山に住むニワトリの意味)として、地元の猟師や炭焼きの人たちが「チラリ姿を見たことがある」程度だったという。飛べない理由は(1)採食に空を飛ぶ必要がない(2)地上に天敵がいない(3)生息地が一年中暖かく、渡りの必要がない、などの条件が整うと鳥は飛ばなくなる、という説もある。

 鳥だって空を飛ぶのは重労働だというわけ。発見されたきっかけは、同島で進められている「開発」。五月に林道で車にぶつかって死んだクイナのメスを猟師が拾ったことから世紀の大発見につながった。

 「さっそく保護大作戦を」と環境庁も興奮ぎみだが、最近、ハブ退治のマングースやネコなどクイナの天敵がふえ、加えて電源開発も沖縄北部に進められているから心配だ。「すべて夜なくものはかなしきに、水鶏(クイナ)は隠逸の風情を得たり」と、江戸の俳人・支考が書いたクイナ。

 二万年のベールをぬいで人間の前にその姿を現した珍鳥だが、佐渡のトキのように「開発」の犠牲にならねばよいが、と祈るのみである。  1981.11.17.

 

 象のいない動物園

 

 若いころ山手線を一周すると上野へ着き、上野へ行くと、なんだか田舎へ一歩でも近づいたような気がして、よく動物園に入り、ゴリラを日なが見て芸を学んだ、と俳優の西田敏行さんが書いている。

 西田さんならずとも、上野からふるさとに向かう列車に乗る人なら、上野動物園と聞いただけで、ある種の感慨をおぼえる。あす百周年を迎える上野動物園は、敗戦時のゼロから出発して現在はジャイアントパンダなど珍獣猛獣を含め千八十五種、文字通り日本一の動物園に発展した。

 しかし、ここに至るまでには悲喜こもごもの思い出も多いと聞く。とりわけ戦争中は猛獣たちにとっても受難の時代だった。上野動物園には昭和十八年八月十六日、空襲などで猛獣が逃げた場合は市民に危険との理由から、猛獣に対する悲しい殺害命令が出された。

 熊やライオンには毒入りのエサで、毒殺を察知した三頭の象には仕方なく絶食で餓死の方法がとられた。なかでも芸達者なドンキーは前足を折り、鼻を高く上げてみせ、飼育係の同情をさそった。それは芸をすれば食物をもらえたからである。こっそり水やエサを与えられたが三十日目に餓死。

 この悲話は映画「象のいない動物園」に詳しい。当時の飼育係の一人は「年をとるたびに自責の念にかられ夢にさえ出る。本当に戦争はいやだ」と述懐する。戦争といえば、先ごろ動物王国アフリカを訪れた友人のカメラマンは、動物の激減にがく然としたと語る。聞けば内戦などで難民が食べてしまったのだそうだ。

 やはり人も動物も平和でなくては生きられぬ。近ごろ上野のパンダ嬢は心身症ぎみというし、ゴリラも都会生活に疲れ、鬱ぎみという。「平和な動物園」はいま、人間社会を投影してか、社会勉強の宝庫でもある。  1982.03.20.

 

 恋の虫=ホタル

 

 初夏を告げる夏の風物詩・ホタルが都心の皇居のお堀端に現われたと聞いて出かけてみた。周りのネオンや車の灯火を横目に、月の光のシズクのように時に青白く、時に黄緑に点滅を繰り返すヘイケボタルのようだ。

 クリの花やホタルブクロが咲く頃、ホタルは幼虫から羽化し、エサをとらず露だけで暮らし、恋の炎を燃やす。そこからホタルの語源を「星垂る」説より「火垂る」説の方が有力とみるそうだ。いそがしく飛び回りながら光るのは雄で、草むらなどであまり動かず待つのが雌。

 「鳴かぬ(ほたる)が身をこがす」ということわざもあるし、後拾遺集には「音もせで思に燃ゆる蛍こそ鳴く虫よりもあはれなりけり」(源重之)とうたわれた恋の虫だ。日本の代表的蛍には三種あり、よく光るは源氏、小型のを平家、また山地には姫蛍がいる。

 蛍には名所があり、その名をとって宇治蛍、石山蛍、守山蛍などが知られている。蛍狩・蛍見・蛍舟・蛍採・蛍籠、夜店に蛍売りが出ると夏らしくなるが、今は養殖の蛍がほとんど。宅地開発や河川の埋め立て、農薬や河川の汚染が蛍のすみかを消したからだ。

 蛍の美しさは何といっても群舞。「蛍火は数条の波のようにゆるやかに動いていた。震えるように発光したかと思うと、力尽きるように萎えていく。そのいつ果てるともない点滅の繰り返しが何万何十万と身を寄せ合って、いま切なく侘びしい一塊の生命を形づくっていた」と書いたのは「蛍川」で芥川賞をとった宮本輝氏だ。

 幼虫時代にたくわえたエネルギーで食べるものも食べず、ひたすら種の保存に命をこがす蛍。小さな島の奪い合いで若い命を散らす人間は、蛍火を笑えないと思う。「隠亡の家路を照らす蛍かな」(麦南)。  1982.06.01.

 

 軍の論理

 

 明暗を分けて中国残留孤児は帰国したが、忘れてならないのは逃避行の中で親から少女をもぎとりノドを銃剣で切り裂いたのも、難民列車もろとも駅爆破のスイッチを押したのも日本の軍人だったことである。

 ソ連軍侵入で異常事態であったにせよ、大きな悲劇を招いた裏には事実上の「開拓民棄民作戦」が敷かれ、軍はいち早く後退、開拓民は置き去りにされたまま。そこには冷酷な「軍の論理」が働いていた。「軍の論理」に関して作家の司馬遼太郎氏が、戦中の苦い体験を述べている。

 昭和二十年の初夏、関東平野を守るべく栃木県の佐野の戦車隊にいた司馬氏。ある日、大本営の少佐参謀に連隊の将校が質問した。「われわれの連隊は敵が上陸すると同時に南下する。東京都の避難民が荷車に家財を積んで北上する。戦車隊と荷車で街道は混雑する。どうすればよいか」。

 聞かれた参謀はごく当たり前の表情で「ひき殺して進め」と答えたそうだ。日本人のために戦っているはずの軍隊が、味方を礫き殺すという論理はどこから生まれるのか、と書いている。

 時は下り、戦後三十七年たって、またまた現れたる亡霊。国民を守るべき自衛隊が、複数の野党を武器や弾薬奪取の恐れあるゲリラ集団と同一視して、制圧すべき警備対象に加えていた。「軍の論理」ここにもである。国会の爆弾男・黒柳明氏の鋭い追及に、事実関係の調査を約束はした。

 しかし、知られて困る密議の正体を調べると思いきや、どこで漏れたかをまず調査と官房長官はのたまう。「軍や国家の論理」を崩すには、「民の論理」(選挙)に()かずだ。  1983.03.13.

 

 母乳の偉力

 

 子供のころヤギの出産をしばしば手伝ったことがある。母ヤギは産まれ落ちた子ヤギの全身を舌でくまなくなめ、粘膜を取り除いてやる。子ヤギはヨロヨロと立ち上がり、母ヤギの張り詰めたオッパイに吸い付く。

 一見、自然界に見られる授乳という当たり前の行為だが、実はこの行為を通じて母は子を自らの子とし、子は母を母として生物学的に認知する。これまで本能とされてきた「母性愛」も、授乳によって赤ちゃんから点火されるのが産後二週間ほどの「成母期」だという(山本高治郎著「母乳」岩波新書)。

 人間以外の動物ではこの時期を逃すと母性愛が点火不可能となる。先のヤギは分娩後数分間、ヒツジは数時間、ネズミは三日間という短さだという。これを逃すと新生児の運命は悲惨をきわめる。

 パンダの「成長記録」でも、生後二週間ごろまで母親は赤ちゃんをほとんど手放すことなく乳を与える。両手で赤ちゃんをしっかりかかえながら授乳する母親の姿は感動的だという。

 分娩後、初めてのオッパイを初乳というそうだ。この初乳は免疫体の濃縮ジュースみたいで、最初の「予防注射」に相当する。例えば人工栄養では、母乳の三倍カゼをひくし、二倍下痢をする。中耳炎には十倍かかり、死亡率は三倍にも四倍にも上るそうだ。

 人類は長い歴史の中で、ここ数十年ほどの間に、栄養がある、頭もよくなる、胸の形が崩れないなどの声に乗せられ(?)て、子供をウシのオッパイに託してきた。その結果が増え続ける「親子の断絶」だとしたら、そのツケは大きい。母乳復権運動に拍手。  1983.07.11.

 

 少欲知足

 

 世界にイタリアほど楽しい国はないという。ただしそれにはいくつかの条件があるそうだ。もしドロボーがいなければ、もし、つり銭をごまかさなければ、もし美人が顔に似合わぬウソつきでなければ……。

 そしてジョークも盛ん。南イタリアの寒村で、貧しい農民が革命を待っていた。年月は流れても革命は起きず、農民は村の共産党員に革命はいつかと尋ねた。党員は「革命はいつになるか分からない。しばらくはなさそうだ。私も来月は借家契約を更新しなければならぬので、悩んでいるところだ」。

 当のイタリアでは、進まぬ革命に業をにやしたか、政治家や実業家、裁判官などを誘拐して暗殺するプロのテロ集団「赤い旅団」が暗躍中だ。多発する誘拐事件に対応して保険制度を設けたのはアメリカだ。

 いよいよ日本も欧米並みの乾いた社会到来かと思わせたのが、グリコ社長の誘拐事件である。幸い殺害されず「一粒三百メートル」ならぬ百メートルを自力で脱出とは、まずはめでたい。しかし、犯罪は社会を映す鏡というから、日本も欧米型社会に近づいたということか。

 東洋思想を色濃く反映した日本は、長く「少欲知足」「求不得苦」と、欲を少なくして足ることを知り、求めても得られぬものがあることを知ってきた。ところが欧米流の消費生活の導入で、便利さを追い求めた結果、欲望は限りなく肥大し「満足すること」を忘れてしまった。

 地球上で一日数万人が餓死するなか、物はあふれ、企業は金もうけのためタレ流し、権力維持は金こそすべてになり下がった。「日本は素晴らしい国だ。ただし……」の条件があちこちで進んでいる。  1984.03.24.

 

 ホピの予言

 

 アメリカのアリゾナ砂漠に住むインディアン「ホピ族」には古くからの言い伝え「ホピの予言」なるものがあるそうだ。それは「人間が他の命と共生してゆくことを学ぶまでは決して母なる大地の心臓をえぐり出してはならない」というもの。

 もし掘り出したなら、地球規模の災害を招くだろうと、予言されているという。この教えを忠実に守り、自然と調和し、質素で、平和な生活を守ってきた。

 ところがアメリカ合衆国をはじめ〈白い兄弟〉と呼ぶ先進諸国が、便利さと効率のみを追い求める生活によって、地中深くウラニウムを掘り出し、地球を汚染してきた。この夏、アメリカインディアンが広島から幌延にかけて日本縦断マラソンを行ったのは、母なる大地を汚す原発に対して警告をしたのだという。

 言われてみれば、もっと豊かに、もっと生活の向上を、の掛け声のもと、突っ走ってきた結果かどうか、このところ地球のバランスがどうもおかしい。日本の異常さもさることながら、中国や北米は干ばつ、南極は暖冬異変でオゾンも増え、地球規模の温室効果の危険が迫っているという。

 国土の四分の三が水浸しというバングラデシュも、ヒマラヤ山ろくの乱伐が原因で、世界有数の木材輸入国・日本も、対岸の洪水とはいえぬ。古代ローマの思想家セネカの言葉に「多忙な人に限って、生きること、すなわち、良く生きることが最も(まれ)である」と。

 経済大国・日本の行き着く先が大量のボケ、寝たきり老人社会では、何のための人生か、老人福祉週間の今、自然と共生を求める「ホピの予言」と、セネカの言葉をかみしめたい。  1988.09.16.

 

 ぼけない人

 

 「ひとさまの事を一生懸命考えて何とかしてあげたいと東に西に走り回っておいでの方、ボランティアをなさっている方たちは、ほんま、呆けにくいですなー」。医師の早川一光さんは“ボケ”の予防法はここがポイントだと語る。

 「二度童子(わらし)」とか「赤子帰り」と呼ばれる老人性痴呆、いわゆるボケは、まだ決定的な原因の究明はできていないが、いくつかの予防法、歯止めはあるそうだ。その第一は、ものごとに感動すること。月が出る。「ああ!美しい」と感ずれば心配ないが、「あしたも出るわいな」は危ない。

 次は感謝。「いつまでもお元気ですね—」と言われて、ムッとして、「生きていて悪いか!」という返事をする時、「寒くなりましたねえ、おじいさん」と呼びかけられて「冬ですからね」という答えが出た時、歯止めがはずれているそうだ。

 人間は誰かの世話にならないと死ねない。息をひきとってから自分で寝間着を替えた人はいないのだから、「ありがとう」「お陰さまで」の感謝の心が大切と説く。それに読み書きソロバンも。本を読む。日記、手紙、新聞への投稿もボケ防止の一つ。

 ソロバンは儲け勘定のためでなく将来に眼を向け、何かのお役にと勘案する。アメリカでは九十歳の高齢でも他人の車イスを押したり、自然保護のボランティアも増えているそうだ。極めつけは手足を動かして働くこと。

 他人のことを一生懸命考え、楽しみを与える、これを「他楽」とは早川さんの弁だ。ヌレ手に粟の利狂人(リクルート)もいれば、汗水たらして働いても家一軒もてないサラリーマンも急増中。人は何のために働くか。きょうは「勤労感謝の日」。  1988.11.23.

 

 地球は鼓動を持つ生命体

 

 冬から春に季節が移る今ごろ吹く春一番を“地球のクシャミ”だと言った人がいる。冬は気温が低く、空気が澄んでいるように見えるが、実は逆で、炭酸ガスの濃度は春から初秋より、ずっと高い。

 冬に炭酸ガスや排気ガスで汚れた大気や海面を春一番の強風で払いのけ、浄化させる。春、森の活動が盛んになると炭酸ガスは森に吸い取られ、酸素を放出して浄化する。この繰り返しが毎年行われていることをハワイ島のアメリカ気象観測所のデータは示しているという。

 地球は大気圏と生命圏が岩石圏と“結婚”した太陽系最大の生命体であると主張したのはガイア理論で知られる英国の科学者J・ラブロック博士だ。「生物学のシュリーマン」と呼ばれる生命科学者ライアル・ワトソン氏は、地球は鼓動を持つ生命体であるとまで言い切る。

 ワトソン氏によれば、地球は自転による昼と夜のリズム、月の影響により潮の干満が毎日五十分ずつずれるリズム、さらに太陽黒点の十一年周期の活動によるリズムなど、さまざまなリズムが重なり、六十七秒ごとに脈も打つという。

 人類はそのリズムに共鳴する形で生きる、宇宙の申し子。従って地球はどこを汚染してもその影響は全体に及び、環境汚染は人類にとって自殺行為だと警告する。朝日新聞の石弘之さんの報告によれば、地球上で最も清浄と信じられてきた南極でも、ペンギンやアザラシがすでにPCBなどに汚染されているという。

 森林の破壊や酸性雨で病む地球。黒い疑惑のウズ巻く政界をも浄化する春一番が、今年は日本列島に吹くのだろうか!?  1989.03.01.

 

 サイの角

 

 「二十四時間戦えますか」などとCMのたびに売り上げを伸ばすドリンク剤。深海ザメやスッポンに至るまで、ヒトは「薬効」「強精」を求め、強く元気になりたいと願ってきた。その極めつけがサイの(つの)

 あの「そそり立つ」角が男たちの幻想をいざない、回春剤として、また解熱剤としても広く珍重されてきた。その陰でアフリカの黒サイの九〇%がこの十年間で狩られ、絶滅寸前。ケニア政府はゾウゲに次いで密猟取り締まりで押収した七億円分のサイの角を焼却した。

 ナミビアでは、黒サイを密猟者から守るため、あらかじめ麻酔銃でサイを眠らせ、角をすっぽり切り落とす作戦がとられているという。アフリカの草原に角のない、ブタのようなサイがウロウロでは、絵にもなるまい。

 一方、角の薬効に疑問をもった世界自然保護基金(WWF)が多国籍製薬会社として名高いホフマン・ラロシュ社に黒サイの薬効調べを依頼。その結果は「まあ、あなた自身の指でもしゃぶっていた方がキキメはあるでしょうよ」(アーネ・シオツWWF保護部長)というもの。

 つまりサイの角は一見したところ爪の塊のような感じがするが、実体はニカワ状に固まった「毛」の塊。とことん分析しても強精効果はもとより、解熱や鎮痛、利尿などの薬効がゼロであることが分かったそうだ。遅かったとはいえ、ヤレヤレだ。

 ドリンク剤を飲み、二十四時間働く日本の企業マンのエネルギーが、地球環境を壊し、過労死を増やす。何のために働き、何のために生きるかを忘れた行為は、薬効なきサイの角を追うに似ていて悲しい。  1990.01.30.

 

 本物の科学者はどこ?

 

 北欧・スウェーデンで「日本は医者が異変を見つけるが、わが国は科学者が見つけます」——こんな言葉に出合った。なるほど、言われてみれば業病とか風土病と言われ、イタイイタイと苦しみながら死んでいったイタイイタイ病の原因が、カドミウムであることを突き止めたのは、先ごろ亡くなった萩野昇医師であった。

 有機水銀中毒による水俣病の場合も原因究明は熊本大学医学部の原田正純先生らによる。ところがスウェーデンでは、まず科学者が自然の異変をウオッチングし、「おかしい」となれば警告を発し、次に技術屋さんが出て予防の手を打つ。お医者さんの出る幕はほとんどないそうだ。

 スウェーデンで水銀やPCBによる環境問題を警告したのは博物学者。博物館にある鳥の剥製(はくせい)の中から、食物連鎖の上位にある鷲の羽根を分析、捕獲場所と年代順に調べた結果、水銀の量と産業の発展の相関関係が見事に合致したという。

 「病人が出てから対策をとるより、出さないよう政府も企業も化学者も一生懸命。その方が社会的コストはずっと安いのです」と胸を張ったものだ。スウェーデンが地球環境問題で世界をリードする理由が何となく分かる。

 日本はどうか。本年度の環境庁予算四百九十一億円。ここには、水俣病やイタイイタイ病などの公害病患者約十万人の健康被害補償費二百二十七億円が含まれる。五割近い予算が治療費などに使われ、モニタリングなど本格的な調査はまだまだだ。

 列島には雨のたびに食酢やレモン汁のような酸性雨が降り、難病やがん患者は年ごとに増える。「本物の科学者はどこへ行ったのだろうか!?」  1990.07.03.

 

 過ぎたるは及ばざるが如し

 

 言うまいと思えど今日の暑さかな——うだるような暑さの続く日本列島だが、それもそのはず、東京はタイのバンコクと、大阪はサウジアラビアと同じ平均気温(昨年八月)を記録し、東京では二十四カ月もプラス気温が続いている。

 大阪では先月二十六日、朝の最低気温が三〇・二度を記録し、日本の観測史上初めての記録というから、寝苦しいのも無理はない。さらに南九州・宮崎の七月平均気温は二八・八度で1886年以来の記録。各地で異常気象の記録を更新中だ。

 異常気象とは、三十年以上に一回の(まれ)な気象と定義されるが、最近の異常気象は、何百年、何千年、ものによっては何万年に一度の稀現象が含まれているので、これは「超異常気象」と呼ぶべきだと、気象研究家の根本順吉さんは述べている。

 言われてみればその通り。中国やインドを襲う大洪水は超異常だし、先ごろ香港で開かれた国際消費者機構世界大会では、南太平洋の代表が、温暖化で海面が上昇、「このままでは島が沈んでしまう!」と、先進国の過剰消費をやめるよう涙ながらに訴えていた。

 心配されていた地球温暖化が現実のものとなってきたのか。根本さんは、冷房にひたり、文明生活を営む人間が「自然の変化に対して最も鈍感。四六時中、自然にさらされた動植物の生態の変化に注目し、『自然歳時記』は、気候の変化を反映して大改訂すべき時期ではないか」と書いている。

 いわゆる「超異常気象」も、その原因は「人間活動」にあるという。働き過ぎ、つくり過ぎ、使い過ぎ、捨て過ぎ、もうけ過ぎ。何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」である。  1991.08.04.

 

 不老不死の薬

 

 人工衛星から肉眼で見える建造物といえば、中国の万里の長城。この建造主は今から二千二百年前、中国を統一した秦の始皇帝である。始皇帝は地上の万物を自分の意志で動かすことができたが、最も恐れていたものは「死」だった。

 水利をおこし、農業を発展させ、全国の文字を統一、貨幣と度量衡を統一し、時に猛り、りきみ、動き回っていた始皇帝も、人間の「死」の話を聞くと「黙り込んでしまった」という。そして、決して死ぬことのない「不老不死」の薬を山東省の仙人「徐福」に探させた。

 司馬遷の「史記」によれば、東海上に浮かぶ蓬莱(ほうらい)山には不老不死の薬があり、それをとるために徐福は青年男女数千人を伴って船出したとある。その蓬莱山なる山が実は日本であり、徐福にゆかりの地が佐賀や和歌山から青森、東京では八丈島など全国約二十カ所にあるという。

 先ごろ東京では作家や文化人、ゆかりの地代表が集まり「日本徐福会」が発足。「徐福の墓があるのはうちだけ」(和歌山・新宮市)とか、「徐福が求めていた神薬の菖蒲(しょうぶ)と黒茎の(よもぎ)をここで手に入れた」(京都・伊根町)、さらに子孫を名乗る人もいた。

 なるほど、日本は今、不老不死の薬はなくとも、世界一の長寿国。食卓は昔の殿様や王侯貴族のそれを上回り、経済も繁栄し、世界一のお大尽だ。しかし、寝たきり老人は百万人に迫り、若いサラリーマンにも働き過ぎによる「過労死」が増えている。

 お金やモノ、地位だけが人間を幸福にしないことが、次第に明らかになった今、「何のために生きるか」が、改めて問われているようである……。  1991.09.10.

 

 サスティナビリティ(持続可能性)

 

 哲学者の梅原猛さんは、先ごろギリシャとトルコを旅して、青春時代以来愛読の書であったホメロスやプラトンの書に出てくる遺跡を見て、深い感動とともに、「自然」が全く失われていることに驚きと悲しみを味わったと書いている。

 梅原さんによれば北のマケドニアやペロポネソス半島の西岸以外には山に全く木がない。従って川には水もなく、森のないせいか、海には貝も魚も少なく、エーゲ海は紺碧(こんぺき)の美しい色をしていたが、それは死の海に近かったという。

 世界文明の発進地帯であるチグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア、ナイル川流域のエジプト、インダス川流域のインドなどを見ても、ギリシャと同じように今、森が全くない。それは農業牧畜や巨大な神殿の建設、船の建造などで森を破壊した結果、輝かしい文明が滅んだのだと梅原さんは仮説する。

 そして今、デカルトやベーコンの指導した自然を征服する近代文明によって、人間は自然から考えられないような豊かな富を生産。その代償に、地球環境の破壊という、自分たちの生きている土台を根本から崩壊させるような危機に遭う。

 この危機から人類を救い出すためには、当面の対策も必要だが、「まず、その哲学を変えねばならない」と梅原さんは説く。その哲学とは、ヨーロッパやソ連にあるのでなく、自然と人間の一体を説き、生命と自然の循環を説いた東洋の大乗仏教ではないかと梅原さんはいう。

 病める地球を救うキーワードとして「サスティナビリティ」(持続可能性)という概念が論議されている今、生命の哲学が注目されるのは歴史の必然といえようか。  1991.11.13.

 

 冬に備えた小鳥たち

 

 「鳥飛んで夕日に動く冬木かな」漱石。子供たちの歓声が消えた冬の公園も趣があっていい。都心に近い東大植物園を冬の一日訪れた。黄金色のじゅうたんでも敷き詰めたような銀杏落葉の上を見ると、サンゴの枝のような先に早くも堅い芽が見える。

 コブシは銀のビロードのような蕾をつけ、シナマンサクの花芽は今にもはじけそうに膨らむ。何より楽しいのは、落葉し、裸木となったため、小鳥たちの姿がよく見えることだ。「追いすがり追いすがり来て四十雀(しじゅうから)」(波郷)。

 胸にネクタイを結んだような四十雀は、じっと動かず息を殺していると目の前まできて、宙返りをしながら餌をあさる。群れているため驚くとゴムマリのように跳ねながら移動する。実に可愛い。地上をピョンピョン跡ねるようにして動き回るところから「鳥馬(ちょうま)」の別名もある冬の渡りのツグミも見た。

 ツグミは肉がおいしいため、大量に捕獲されて数が激減したが、ツグミ全体では年平均二千億匹の害虫駆除をするという推計もある。大切にしたい遠来の客だ。「双翼に茜抱きて冬の鷺」(奇龍子)。湧水のある池に一羽、日本画のような白鷺を見つけた。

 遠くから眺めたことはあったが、近くで見ると餌の取り方が実にうまい。そーっと片足を出す。その足で人間の「ドジョウすくい」のように川底を足でかき回す。飛び出してきた小魚や川エビを素早くついばむ。お見事!と声をかけたくなるような技だ。

 「夕暮の篠のそよぎやみそさざい」(蓼太)。ヤブの中からは茶褐色のミソサザイが忙しく動いて餌をあさる。

 厳しい冬に備えた生命の営みがそこに息づいていた。  1992.12.18.

 

 世界先住民国際年

 

 世界には七十カ国以上に三億人と推定される先住民族がいる。国連は今年を「世界先住民国際年」と名付け、虐げられた先住民の権利回復運動を展開するという。喜ばしいことだ。

 日本のアイヌ民族も明治初年までは、この大地を人間の所有物と考えず、地球はモシリカラカムイ(国造りの神)が創造しイカッカラカムイ(造化の神)がその上にクマや魚、人間、そして草木など、あらゆる生き物を造った。互いに育て合う世界、アイヌモシリ(人間の静かな大地)だったという。

 ところが明治三十二年、時の政府による「旧土人保護法」という侮辱的な名の法律によって、農耕に適しない土地を下付、十五年以内に開墾しない土地は次々と没収された。言葉を奪われ、生活も破壊され、ある大学教授からは「アイヌはイヌと人間から生まれた」などと数々の差別を受けたという。

 南北アメリカの先住民の悲劇は、コロンブスに始まり、今に続く。先住民で初のノーベル平和賞を受けたマヤ族の女性メンチュさんは「受賞は五百年にわたり虐殺、抑圧、差別の犠牲となり、社会的にも分断されてきた先住民が、人権と平和を求める闘いの中で得た偉大な成果の一つ」と、その意義を述べた。

 米美術批評家のクレーマーは、コロンブスについて「南北アメリカの原住民を多数殺したばかりか、その環境を破壊し、この地域にすべての経済システムの中でも極悪のもの、すなわち資本主義をもたらした責任者」とまで酷評する。

 「世界先住民国際年」は、欲望をふくらませすぎて地球まで亡ぼしかねない行き詰まった近代文明を、先住民の生き方に学び、問い直す年でもある。   1993.01.04.

 

 自然の神様の怒り

 

 台風や雷がくると、自然の神様が怒っていると感ずる人がいるそうだ。今年の夏の異常台風や異常低温、異常多雨は何の「たたり」なのだろう?。

 この異常気象は日本に限らない。アメリカでは記録的豪雨ではんらんしたミシシッピ川の大洪水が南部穀倉地帯を襲い、世界の穀物市場に影響を与え出した。南部の人々はこれを神の天罰と恐れ、福音派の教会が競って「ノアの方舟」を建造したというニュースも伝わっている。

 こちらは大洪水、あちらは大干ばつと、地球的規模の異常気象は、専門家によれば赤道付近の海面水温が異常に上がるエルニーニョ(神の子)現象だろうという。このエルニーニョ現象がなぜ起きるのかについては、地球の温暖化と関係ありとする説が有力だ。

 地球が熱くなる温暖化はなぜ起こる!? 哲学者の梅原猛さんによれば、それは思想・哲学にその淵源があるという。つまり欲望を限りなくあおり、自然を征服する現代の資本主義は、化石燃料を燃やし、車を増やし、地球をやがて壊してしまうだろうと。そして社会主義もまた人間による自然征服を無条件に善とした考えを貫いた。

 レーニンは、社会主義とはプロレタリアの独裁と全ソビエトの電化であるとうたい、近代化の道を突っ走った。米ソとも何百回も核実験を繰り返し、地球を傷めつけた。そして日本海は原子力潜水艦の墓場となり、大量の核廃棄物が海に捨てられている。

 たび重なる異常気象も、もとをただせば、人間の生き方に原因があるということか。梅原さんは、異常気象を防ぎ、地球環境を守るには、自然と人間の共生を説く哲学が今こそ求められているという。 1993.08.21.

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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平林 朋紀

ヒラバヤシ トモキ
ひらばやし ともき エッセイスト 1940年 長野県南佐久郡に生まれる。

掲載作は公明新聞に連載より18編を抄出(掲載日は各末尾に記載)

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