元始女性は太陽であつた
元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。今、女性は月である。他に依つて生き、他の光によつて輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である。
現代の日本の女性の頭脳と手によつて始めて出来た「青鞜」は初声を上げた。
女性のなすことは今は只嘲りの笑を招くばかりである。
私はよく知つてゐる、嘲りの笑の下に隠れたる
そして私は少しも恐れない。
女性とは斯くも嘔吐に
否々、真正の人とは――
私共は今日の女性として出来る丈のことをした。心の総てを尽してそして産み上げた子供がこの「青鞜」なのだ。よし、それは低能児だらうが、奇形児だらうが、早生児だらうが仕方がない、暫くこれで満足すべきだ、と。
果して心の総てを尽したらうか。あゝ、誰か、誰か満足しやう。
私はこゝに更により多くの不満足を女性みづからの上に新にした。
女性とは斯くも力なきものだらうか、
否々、真正の人とは――
併し私とて此真夏の
熱誠! 熱誠! 私共は只これによるのだ。
熱誠とは祈祷力である。意志の力である。禅定力である、神道力である。云ひ換へれば精神集注力である。
神秘に通ずる唯一の門を精神集注と云ふ。
今、私は神秘と云つた。併しともすれば云はれるかの現実の上に、或は現実を離れて、手の先で、頭の先で、はた神経によつて描き出された
私は精神集注の只中に天才を求めやうと思ふ。
天才とは神秘そのものである。真正の人である。
天才は男性にあらず、女性にあらず。
男性と云ひ、女性と云ふ性的差別は精神集注の階段に於て中層乃至下層の我、死すべく、滅ぶべき仮現の我に属するもの、最上層の我、不死不滅の真我に於てはありやうもない。
私は
多くの男女は常によく私の心に映じてゐた、併し私は男性として、はた女性として見てゐたことはなかつた。
然るに過剰な精神力の
人格の衰弱! 実にこれが私に女性と云ふものを始めて示した。と同時に男性と云ふものを。
かくて私は死と云ふ言葉をこの世に学んだ。
死! 死の恐怖! 曾て天地をあげて我とし生死の岸頭に遊びしもの、此時、ああ、死の面前に足のよろめくもの、滅ぶべきもの、女性と呼ぶもの。
曾て統一界に住みしもの、此時雑多界にあつて途切れ、途切れの息を胸でするもの、不純なるもの、女性と呼ぶもの。
そして、蓮命は我れ自から造るものなるを知らざるかの腑甲斐なき宿命論者の群にあやふく歩調を合せやうとしたことを、ああ思ふさへ冷たい汗は私の膚へを流れる。
私は泣いた、苦々しくも泣いた、日夜に奏でゝ来た私の竪琴の糸の弛んだことを、調子の低くなつたことを。
性格と云ふものゝ自分に出来たのを知つた時、私は天才に見棄てられた、
私は歎いた、傷々しくも歎いた。私の恍惚を、最後の希望を失つたことを。
とは云へ、苦悶、損失、
私は常に主人であつた自己の権利を以て、我れを支配する自主自由の人なることを満足し、自滅に陥れる我れをも悔ゆることなく、如何なる事件が次ぎ次ぎと起り来る時でも我の我たる道を休みなく歩んで来た。
ああ、我が故郷の暗黒よ、絶対の光明よ。
元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。
今、女性は月である。他に依つて生き、他の光によつて輝く病人のやうな蒼白い顔の月である。
私共は隠されて仕舞つた我が太陽を今や取戻さねばならぬ。
「隠れたる我が太陽を、潜める天才を発現せよ、」こは私共の内に向つての不断の叫声、押へがたく消しがたき渇望、一切の雑多な部分的本能の統一せられたる最終の全人格的の唯一本能である。
此叫声、此渇望、此最終本能こそ熱烈なる精神集注とはなるのだ。
そしてその
青鞜社規則の第一条に他日女性の天才を生むを目的とすると云ふ意味のことが書いてある。
私共女性も亦一人残らず潜める天才だ。天才の可能性だ。可能性はやがて実際の事実と変ずるに相違ない。只精神集注の欠乏の為、偉大なる能力をして、いつまでも空しく潜在せしめ、
「女性の心情は表面なり、浅き水に
家事は注意の分配と不得要領によつて出来る。
注意の集注に、潜める天才を発現するに不適當の境遇なるが故に私は、家事一切の煩瑣を厭ふ。
煩瑣な生活は性格を多方面にし、複難にする、けれども其多方面や、複雑は天才の発現と多くの場合反比例して行く。
潜める天才に就て、疑ひを抱く人はよもあるまい。
今日の精神科学でさへこれを実証してゐるではないか。総ての宗教にも哲学にも何等の接触を
完全な催眠状態とは一切の自発的活動の全く休息して無念無想となりたる精神状態であると学者は云ふ。
然らば私の云ふところの潜める天才の発現せらるべき状態と同一のやうだ。私は催眠術に掛れないので遺憾ながら断言は出来ないが、少くとも類似の境界だとは云へる。
無念無想とは一体何だらう。祈祷の極、精神集注の極に於て到達し得らるゝ自己忘却ではないか。無為、恍惚ではないか。虚無ではないか。真空ではないか。
こゝは過去も未来もない、あるものは只これ現在。
ああ、潜める天才よ。我々の心の底の、奥底の情意の火焔の中なる「自然」の智恵の卵よ。全智全能性の「自然」の子供よ。
「フランスに我がロダンあり。」
ロダンは顕れたる天才だ。彼は偉大なる精神集注力を
其意志の命ずる時、そこに何時でもインスピレーションがある彼こそ天才となるの唯一の鍵を握つてゐる人と云ふベきだらう。
三度の箸の上下にも、夕涼の談笑にも非常時の心で常にありたいと希ふ私は曾て白樺のロダン号を見て多くの暗示を受けたものだ、物知らずの私にはロダンの名さへ初耳であつた。そしてそこに自分の多くを見出した時、共鳴するものあるをいたく感じた時、私はいかに歓喜に堪ヘなかつたか。
以來、戸を閉じたる密室に独座の夜々、小さき燈火が白く、次第に音高く、嵐のやうに、しかもいよいよ単調に、
膨れて安らかに眠る時、私は大海の底に独り醒めてゆく、私の筋は緊張し、渾身に血潮は
私はかの「接吻」を思ふ。あらゆるものを情熱の
日本アルプスの上に灼熱に燃えてくるくると廻転する日没前の太陽よ。孤峯頂上に独り立つ私の静けき慟哭よ。
弱い、そして疲れた、何ものとも正体の知れぬ、把束し難き恐怖と不安に絶えず戦慄する魂。
生も知らない。死も知らない。
敢て云へば、そこに久遠の「生」がある。熱鉄の意志がある。
この時ナポレオンはアルプス何あらむやと叫ぶ。実に何ものの
真の自由、真の解放、私の心身は何等の圧迫も、拘束も、恐怖も、不安も感じない。そして無感覚な右手が筆を執つて何事かをなほ書きつける。
私は潜める天才を信ぜずには居られない。私の混乱した内的生活が僅に統一を保つて行けるのは只これあるが為めだと信ぜずにはゐられない。
自由解放! 女性の自由解放と云ふ声は随分久しい以前から私共の耳辺にざわめいてゐる。併しそれが何だらう。思ふに自由と云ひ、解放と云ふ意味が甚しく誤解されてゐはしなかつたらうか。
とは云へ私は日本の多くの識者のやうな女子高等教育不必要論者では勿論ない。「自然」より同一の本質を受けて生れた男女に一はこれを必要とし、一はこれを不必要とするなどのことは或国、或時代に於て暫くは許せるにせよ、少しく根本的に考へればこんな不合理なことはあるまい。
私は日本に唯一つの私立女子大学があるばかり、男子の大学は容易に女性の前に門戸を開くの寛大を示さない現状を悲しむ。併し一旦にして我々女性の智識の水平線が男性のそれと同一になつたとしたところでそれが何だらう。
釈迦は雪山に入つて端座六年一夜大悟して、「
私共は釈迦に於て、真の現実家は神秘家でなければならぬことを、真の自然主義者は理想家でなければならぬことを見る。
我がロダンも亦さうだ。彼は現実に徹底することによつてそこに現実と全く相合する理想を見出した。
「自然は常に完全なり、彼女は一つの誤謬をも作らず」と云つたではないか。自からの意力によつて自然に従ひ、自然に従ふことによつて自然を我ものとした彼は
日本の自然主義者と云はれる人達の眼は現実其儘の理想を見る迄に未だ徹してゐない。集注力の欠乏した彼等の心には自然は決して其全き姿を現はさないのだ。人間の瞑想の奥底に於てのみ見られる現実即理想の天地は彼等の前に未だ容易に開けさうもない。
彼等のどこに自由解放があらう。あの
私は無暗と男性を羨み、男性に真似て、彼等の歩んだ同じ道を少しく遅れて歩まうとする女性を見るに忍びない。
女性よ、芥の山を心に築かむよりも空虚に充実することによつて自然のいかに全きかを知れ。
然らば私の希ふ真の自由解放とは何だらう。云ふ迄もなく潜める天才を、偉大なる潜在能力を十二分に発揮させることに外ならぬ。それには発展の妨害となるものゝ総てをまづ取除かねばならぬ。それは外的の圧迫だらうか、はたまた智識の不足だらうか、否、それらも全くなくはあるまい、併し其主たるものは矢張り我そのもの、天才の所有者、天才の宿れる宮なる我そのものである。
我れ我を遊離する時、潜める天才は発現する。
私共は我がうちなる潜める天才の為めに我を犠牲にせねばならぬ。所謂無我にならねばならぬ。(無我とは自己拡大の極致である。)
只私共の内なる潜める天才を信ずることによつて、天才に対する不断の叫声と、渇望と、最終の本能とによつて、祈祷に熱中し、精神を集注し以て我を忘れるより
そしてこの道の
私は総ての女性と共に潜める天才を確信したい。只唯一の可能性に信頼し、女性としてこの世に生れ来つて我等の幸を心から喜びたい。
私共の救主は只私共の内なる天才そのものだ。
私共は最早、天啓を待つものではない。我れ自からの努力によつて、我が内なる自然の秘密を曝露し、自から天啓たらむとするものだ。
私共は奇蹟を求め、遠き彼方の神秘に憧れるものではない、我れ自からの努力によつて我が内なる自然の秘密を曝露し、自から奇蹟たり、神秘たらむとするものだ。
私共をして熱烈なる祈祷を、精紳集注を不断に継続せしめよ。かくて飽迄も徹底せしめよ。潜める天才を産む日まで、隠れたる太陽の輝く日まで。
其日私共は全世界を、一切のものを、我ものとするのである。其日私共は唯我独存の王者として我が踵もて自然の心核に自存自立する反省の要なき真正の人となるのである。
そして孤独、寂寥のいかに楽しく、豊かなるかを知るであらう。
其日、女性は矢張り元始の太陽である。真正の人である。
私共は日出づる国の
女性よ、汝の肖像を描くに常に金色の円天井を撰ぶことを忘れてはならぬ。
よし、私は半途にして斃るとも、よし、私は破船の水夫として海底に沈むとも、なほ麻痺せる双手を挙げて「女性よ、進め、進め。」と最後の息は叫ぶであらう。
今私の眼から涙が溢れる。涙が溢れる。
私はもう筆を
併しなほ一言云ひたい。私は「青鞜」の発刊と云ふことを女性のなかの潜める天才を、殊に藝術に志した女性の中なる潜める天才を発現しむるによき機会を与へるものとして、又その為の機関として多くの意味を認めるものだと云ふことを、よしこゝ暫らくの「青鞜」は天才の発現を妨害する私共の心のなかなる塵埃や、
私は又思ふ、私共の怠慢によらずして努カの結果「青鞜」の失はれる日、私共の目的は幾分か達せられるのであらう、と。
最後に今一つ、青鞜社の社員は私と同じやうに若い社員は一人残らず各自の潜める天才を発現し、自己一人に限られたる特性を尊重し、他人の犯すことの出来ない各自の天職を全うせむ為に
烈しく欲求することは事実を産む最も確実な真原因である。――完――
青鞜社概則
第一條 本社は女流文學の發達を計リ、各自天賦の特性を發揮せしめ、他日女流の天才を生まむ事を目的とす。
第二條 本社を青鞜社と稱す。
第三條 本社事務所を本郷區駒込林町九番地 物集方に置く。
第四條 本社は、社員賛助員客員よりなる。
第五條 本社の目的に賛同したる女流文學者、將來女流文學者たらんとする者及び文學愛好の女子は人種を問はず社員とす。本社の目的に賛同せられたる女流文壇の大家を賛助員とす。本社の目的に賛同したる男子にして社員の尊敬するに足ると認めたる人に限り客員とす。
第六條 本社の目的を達する為め左の事業をなす。
一、毎月一回機關雜誌青鞜を發刊すること。青鞜は社員及び賛助員の創作、評論、其他客員の批評等も掲載することあるべし。
二、毎月一回社員の修養及び研究會を開くこと、但し賛助員の出席隨意たるべし。
三、毎年一回大會を開くこと、大會には賛助員客員を招待し、講話を請ふことあるべし。
四、時に旅行を催すこと。
第七條 社員は社費凡三拾錢を毎月納附すべし。社費は毎月會並に大會の費用と社員、賛助員、客員への雜誌「青鞜」寄贈費とに當るものとす。
第八條 雜誌「青鞜」發刊の經費は發起人の支出により、其維持は社員、賛助員、客員其の他の寄附による。
第九條 幹部は編輯係、庶務係、會計係よりなる。
第十條 係員は四人とし、半數づゝ一年毎に交代す。最初は發起人等是に當る。
第十一條 係員は社員の選擧によるものとす。
第十二條 係員は再選することを得。
發起人(いろは順)
中野 初子 保持 研子
木内 錠子 平塚 明子
物集 和子
名簿(いろは順)
賛助員
長谷川時雨 岡田八千代
加藤 籌子 與謝野晶子
國木田治子 小金井喜美子
森 しげ子
社員
岩野清子 戸澤はつ子 茅野雅子 尾島菊子 大村かよ子
大竹雅子 加藤みどり 神崎恒子 田原祐子 田村とし子
上田君子 野上八重子 山本龍子 阿久根俊子 荒木郁子
佐久間時子 水野仙子 杉本正生
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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