上
例は威勢よき黒ぬり車の、それ門に音が止まつた娘ではないかと両親に出迎はれつる物を、今宵は辻より飛のりの車さへ帰して悄然と格子戸の外に立てば、家内には父親が相かはらずの高声、いはゞ私も福人の一人、いづれも柔順しい子供を持つて育てるに手は懸らず人には褒められる、分外の慾さへ渇かねば此上に望みもなし、やれやれ有難い事と物がたられる、あの相手は定めし母様、あゝ 何も御存じなしに彼のやうに喜んでお出遊ばす物を、何の顔さげて離縁状もらふて下されと言はれた物か、叱かられるは必定、太郎といふ子もある身にて置いて駆け出して来るまでには種々思案もし尽くしての後なれど、今更にお老人を驚かして是れまでの喜びを水の泡にさせまする事つらや、寧そ話さずに戻ろうか、戻れば太郎の母と言はれて何時いつまでも原田の奥様、御両親に奏任の聟がある身と自慢させ、私さへ身を節倹れば時たまはお口に合ふ者お小遣ひも差あげられるに、思ふまゝを通して離縁とならば太郎には継母の憂き目を見せ、御両親には今までの自慢の鼻にはかに低くさせまして、人の思はく、弟の行末、あゝ 此身一つの心から出世の真も止めずはならず、戻らうか、戻らうか、あの鬼のやうな我良人のもとに戻らうか、彼の鬼の、鬼の良人のもとへ、ゑゝ 厭や厭やと身をふるはす途端、よろよろとして思はず格子にがたりと音さすれば、誰れだと大きく父親の声、道ゆく悪太郎の悪戯とまがへてなるべし。
外なるはおほゝと笑ふて、お父様私で御座んすといかにも可愛き声、や、誰れだ、誰れであつたと障子を引明て、ほうお関か、何だな其様な処に立つて居て、何うして又此おそくに出かけて来た、車もなし、女中も連れずか、やれやれま早く中へ這入れ、さあ這入れ、何うも不意に驚かされたやうでまごまごするわな、格子は閉めずとも宜い、私しが閉める、兎も角も奥が好い、ずつとお月様のさす方へ、さ、蒲団へ乗れ、蒲団へ、何うも畳が汚ないので大屋に言つては置いたが職人の都合があると言ふてな、遠慮も何も入らない着物がたまらぬから夫れを敷ひて呉れ、やれやれ何うして此遅くに出て来たお宅では皆お変りもなしかと例に替らずもてはやさるれば、針の席にのる様にて奥さま扱かひ情なくじつと涕を呑込で、はい誰れも時候の障りも御座りませぬ、私は申訳のない御無沙汰して居りましたが貴君もお母様も御機嫌よくいらつしやりますかと問へば、いや最う私は嚔一つせぬ位、お袋は時たま例の血の道と言ふ奴を始めるがの、夫れも蒲団かぶつて半日も居ればけろけろとする病だから子細はなしさと元気よく呵々と笑ふに、亥之さんが見えませぬが今晩は何処へか参りましたか、彼の子も替らず勉強で御座んすかと問へば、母親はほたほたとして茶を進めながら、亥之は今しがた夜学に出て行ました、あれもお前お蔭さまで此間は昇給させて頂いたし、課長様が可愛がつて下さるので何れ位心丈夫であらう、是れと言ふも矢張原田さんの縁引が有るからだとて宅では毎日いひ暮して居ます、お前に如才は有るまいけれど此後とも原田さんの御機嫌の好いやうに、亥之は彼の通り口の重い質だし何れお目に懸つてもあつけない御挨拶よりほか出来まいと思はれるから、何分ともお前が中に立つて私どもの心が通じるやう、亥之が行末をもお頼み申て置てお呉れ、ほんに替り目で陽気が悪いけれど太郎さんは何時も悪戯をして居ますか、何故に今夜は連れてお出でない、お祖父さんも恋しがつてお出なされた物をと言はれて、又今更にうら悲しく、連れて来やうと思ひましたけれど彼の子は宵まどひで最う疾うに寐ましたから其まゝ置いて参りました、本当に悪戯ばかりつのりまして聞わけとては少しもなく、外へ出れば跡を追ひまするし、家内に居れば私の傍ばつかり覘ふて、ほんにほんに手が懸つて成ませぬ、何故彼様で御座りませうと言ひかけて思ひ出しの涙むねの中に漲るやうに、思ひ切つて置いては来たれど今頃は目を覚して母さん母さんと婢女どもを迷惑がらせ、煎餅やおこしの哆しも利かで、皆々手を引いて鬼に喰はすと威かしてゞも居やう、あゝ 可愛さうな事をと声たてゝも泣きたきを、さしも両親の機嫌よげなるに言ひ出かねて、烟にまぎらす烟草二三服、空咳こんこんとして涙を襦袢の袖にかくしぬ。
今宵は旧暦の十三夜、旧弊なれどお月見の真似事に団子をこしらへてお月様にお備へ申せし、これはお前も好物なれば少々なりとも亥之助に持たせて上やうと思ふたけれど、亥之助も何か極りを悪がつて其様な物はお止なされと言ふし、十五夜にあげなんだから片月見に成つても悪るし、喰べさせたいと思ひながら思ふばかりで上る事が出来なんだに、今夜来て呉れるとは夢の様な、ほんに心が届いたのであらう、自宅で甘い物はいくらも喰べやうけれど親のこしらいたは又別物、奥様気を取すてゝ今夜は昔しのお関になつて、外見を構はず豆なり栗なり気に入つたを喰べて見せてお呉れ、いつでも父様と噂すること、出世は出世に相違なく、人の見る目も立派なほど、お位の宜い方々や御身分のある奥様がたとの御交際もして、兎も角も原田の妻と名告て通るには気骨の折れる事もあらう、女子どもの使ひやう出入りの者の行渡り、人の上に立つものは夫れ丈に苦労が多く、里方が此様な身柄では猶更のこと人に侮られぬやうの心懸けもしなければ成るまじ、夫れを種々に思ふて見ると父さんだとて私だとて孫なり子なりの顔の見たいは当然なれど、余りうるさく出入りをしてはと控へられて、ほんに御門の前を通る事はありとも木綿着物に毛繻子の洋傘さした時には見すみすお二階の簾を見ながら、吁お関は何をして居る事かと思ひやるばかり行過ぎて仕舞まする、実家でも少し何とか成つて居たならばお前の肩身も広からうし、同じくでも少しは息のつけやう物を、何を云ふにも此通り、お月見の団子をあげやうにも重箱からしてお恥かしいでは無からうか、ほんにお前の心遣ひが思はれると嬉しき中にも思ふまゝの通路が叶はねば、愚痴の一トつかみ賎しき身分を情なげに言はれて、本当に私は親不孝だと思ひまする、それは成程和らかひ衣服きて手車に乗りあるく時は立派らしくも見えませうけれど、父さんや母さんに斯うして上やうと思ふ事も出来ず、いはゞ自分の皮一重、寧そ賃仕事してもお傍で暮した方が余つぽど快よう御座いますと言ひ出すに、馬鹿、馬鹿、其様な事を仮にも言ふてはならぬ、嫁に行つた身が実家の親の貢をするなどゝ思ひも寄らぬこと、家に居る時は斎藤の娘、嫁入つては原田の奥方ではないか、勇さんの気に入る様にして家の内を納めてさへ行けば何の子細は無い、骨が折れるからとて夫れ丈の運のある身ならば堪へられぬ事は無い筈、女などゝ言ふ者は何うも愚痴で、お袋などが詰らぬ事を言ひ出すから困り切る、いや何うも団子を喰べさせる事が出来ぬとて一日大立腹であつた、大分熱心で調製たものと見えるから十分に喰べて安心させて遣つて呉れ、余程甘からうぞと父親の滑稽を入れるに、再び言ひそびれて御馳走の栗枝豆ありがたく頂戴をなしぬ。
嫁入りてより七年の間、いまだに夜に入りて客に来しこともなく、土産もなしに一人歩行して来るなど悉皆ためしのなき事なるに、思ひなしか衣類も例ほど燦かならず、稀に逢ひたる嬉しさに左のみは心も付かざりしが、聟よりの言伝とて何一言の口上もなく、無理に笑顔は作りながら底に萎れし処のあるは何か子細のなくては叶はず、父親は机の上の置時計を眺めて、こりやモウ程なく十時になるが関は泊つて行つて宜いのかの、帰るならば最う帰らねば成るまいぞと気を引いて見る親の顔、娘は今更のやうに見上げて御父様私は御願ひがあつて出たので御座ります、何うぞ御聞遊ばしてと屹となつて畳に手を突く時、はじめて一トしづく幾層の憂きを洩らしそめぬ。
父は穏かならぬ色を動かして、改まつて何かのと膝を進めれば、私は今宵限り原田へ帰らぬ決心で出て参つたので御座ります、勇が許しで参つたのではなく、彼の子を寐かして、太郎を寐かしつけて、最早あの顔を見ぬ決心で出て参りました、まだ私の手より外誰れの守りでも承諾せぬほどの彼の子を、欺して寐かして夢の中に、私は鬼に成つて出て参りました、御父様、御母様、察して下さりませ私は今日まで遂ひに原田の身に就いて御耳に入れました事もなく、勇と私との中を人に言ふた事は御座りませぬけれど、千度も百度も考へ直して、二年も三年も泣尽して今日といふ今日どうでも離縁を貰ふて頂かうと決心の臍をかためました、何うぞ御願ひで御座ります離縁の状を取つて下され、私はこれから内職なり何なりして亥之助が片腕にもなられるやう心がけますほどに、一生一人で置いて下さりませとわつと声たてるを噛しめる襦袢の袖、墨絵の竹も紫竹の色にや出ると哀れなり。
夫れは何ういふ子細でと父も母も詰寄つて問かゝるに今までは黙つて居ましたれど私の家の夫婦さし向ひを半日見て下さつたら大底御解りに成ませう、物言ふは用事のある時慳貪に申つけられるばかり、朝起まして機嫌をきけば不図脇を向ひて庭の草花を態とらしき褒め詞、是にも腹はたてども良人の遊ばす事なればと我慢して私は何も言葉あらそひした事も御座んせぬけれど、朝飯あがる時から小言は絶えず、召使の前にて散々と私が身の不器用不作法を御並べなされ、夫れはまだまだ辛棒もしませうけれど、二言目には教育のない身、教育のない身と御蔑みなさる、それは素より華族女学校の椅子にかゝつて育つた物ではないに相違なく、御同僚の奥様がたの様にお花のお茶の、歌の画のと習ひ立てた事もなければ其御話しの御相手は出来ませぬけれど、出来ずは人知れず習はせて下さつても済むべき筈、何も表向き実家の悪るいを風聴なされて、召使ひの婢女どもに顔の見られるやうな事なさらずとも宜かりさうなもの、嫁入つて丁度半年ばかりの間は関や関やと下へも置かぬやうにして下さつたけれど、あの子が出来てからと言ふ物は丸で御人が変りまして、思ひ出しても恐ろしう御座ります、私はくら闇の谷へ突落されたやうに暖かい日の影といふを見た事が御座りませぬ、はじめの中は何か串談に態とらしく邪慳に遊ばすのと思ふて居りましたけれど、全くは私に御飽きなされたので此様もしたら出てゆくか、彼様もしたら離縁をと言ひ出すかと苦めて苦めて苦め抜くので御座りましよ、御父様も御母様も私の性分は御存じ、よしや良人が芸者狂ひなさらうとも、囲い者して御置きなさらうとも其様な事に悋気する私でもなく、侍婢どもから其様な噂も聞えまするけれど彼れほど働きのある御方なり、男の身のそれ位はありうちと他処行には衣類にも気をつけて気に逆らはぬやう心がけて居りまするに、唯もう私の為る事とては一から十まで面白くなく覚しめし、箸の上げ下しに家の内の楽しくないは妻が仕方が悪いからだと仰しやる、夫れも何ういふ事が悪い、此処が面白くないと言ひ聞かして下さる様ならば宜けれど、一筋に詰らぬくだらぬ、解らぬ奴、とても相談の相手にはならぬの、いはゞ太郎の乳母として置いて遣はすのと嘲つて仰しやる斗、ほんに良人といふではなく彼の御方は鬼で御座りまする、御自分の口から出てゆけとは仰しやりませぬけれど私が此様な意久地なしで太郎の可愛さに気が引かれ、何うでも御詞に異背せず唯々と御小言を聞いて居りますれば、張も意気地もない愚うたらの奴、それからして気に入らぬと仰しやりまする、左うかと言つて少しなりとも私の言条を立てて負けぬ気に御返事をしましたら夫を取こに出てゆけと言はれるは必定、私は御母様出て来るのは何でも御座んせぬ、名のみ立派の原田勇に離縁されたからとて夢さら残りをしいとは思ひませぬけれど、何にも知らぬ彼の太郎が、片親に成るかと思ひますると意地もなく我慢もなく、詫て機嫌を取つて、何でも無い事に恐れ入つて、今日までも物言はず辛棒して居りました、御父様、御母様、私は不運で御座りますとて口惜しさ悲しさ打出し、思ひも寄らぬ事を談れば両親は顔を見合せて、さては其様の憂き中かと呆れて暫時いふ言もなし。
母様は子に甘きならひ、聞く毎々に身にしみて口惜しく、父様は何と思し召すか知らぬが元来此方から貰ふて下されと願ふて遣つた子ではなし、身分が悪いの学校が何うしたのと宜くも宜くも勝手な事が言はれた物、先方は忘れたかも知らぬが此方はたしかに日まで覚えて居る、阿関が十七の御正月、まだ門松を取もせぬ七日の朝の事であつた、旧の猿楽町の彼の家の前で、御隣の小娘と追羽根して、彼の娘の突いた白い羽根が通り掛つた原田さんの車の中へ落たとつて、夫れをば阿関が貰ひに行きしに其時はじめて見たとか言つて人橋かけてやいやいと貰ひたがる、御身分がらにも釣合ひませぬし、此方はまだ根つからの子供で何も稽古事も仕込んでは置ませず、支度とても唯今の有様で御座いますからとて幾度断つたか知れはせぬけれど、何も舅姑のやかましいが有るでは無し、我が欲しくて我が貰ふに身分も何も言ふ事はない、稽古は引取つてからでも充分させられるから其心配も要らぬ事、兎角くれさへすれば大事にして置かうからと夫は夫は火のつく様に催促して、此方から強請た訳ではなけれど支度まで先方で調へて謂はゞ御前は恋女房、私や父様が遠慮して左のみは出入りをせぬといふも勇さんの身分を恐れてゞは無い、これが妾手かけに出したのではなし正当にも正当にも百まんだら頼みによこして貰つて行つた嫁の親、大威張に出這入しても差つかへは無けれど、彼方が立派にやつて居るに、此方が此通りつまらぬ活計をして居れば、お前の縁にすがつて聟の助力を受けもするかと他人様の処思が口惜しく、痩せ我慢では無けれど交際だけは御身分相応に尽して、平常は逢いたい娘の顔も見ずに居まする、夫れをば何の馬鹿々々しい親なし子でも拾つて行つたやうに大層らしい、物が出来るの出来ぬのと宜く其様な口が利けた物、黙つて居ては際限もなく募つて夫れは夫れは癖に成つて仕舞ひます、第一は婢女どもの手前奥様の威光が削げて、末には御前の言ふ事を聞く者もなく、太郎を仕立るにも母様を馬鹿にする気になられたら何としまする、言ふだけの事は吃度言ふて、それが悪るいと小言をいふたら何の私にも家が有ますとて出て来るが宜からうでは無いか、実に馬鹿々々しいとつては夫れほどの事を今日が日まで黙つて居るといふ事が有ります物か、余り御前が温順し過るから我儘がつのられたのであろ、聞いた計でも腹が立つ、もうもう退けて居るには及びません、身分が何であらうが父もある母もある、年はゆかねど亥之助といふ弟もあればその様な火の中にじつとして居るには及ばぬこと、なあ父様一遍勇さんに逢ふて十分油を取つたら宜う御座りましよと母は猛つて前後もかへり見ず。
父親は先刻より腕ぐみして目を閉ぢて有けるが、あゝ御袋、無茶の事を言ふてはならぬ、我しさへ初めて聞いて何うした物かと思案にくれる、阿関の事なれば並大底で此様な事を言ひ出しさうにもなく、よくよく愁らさに出て来たと見えるが、して今夜は聟どのは不在か、何か改たまつての事件でもあつてか、いよいよ離縁するとでも言はれて来たのかと落ついて問ふに、良人は一昨日より家へとては帰られませぬ、五日六日と家を明けるは平常の事、左のみ珍らしいとは思ひませぬけれど出際に召物の揃へかたが悪いとて如何ほど詫びても聞入れがなく、其品をば脱いで擲きつけて、御自身洋服にめしかへて、吁、私位不仕合の人間はあるまい、御前のやうな妻を持つたのはと言ひ捨てに出て御出で遊ばしました、何といふ事で御座りませう一年三百六十五日物いふ事も無く、稀々言はれるは此様な情ない詞をかけられて、夫れでも原田の妻と言はれたいか、太郎の母で候と顔おし拭つて居る心か、我身ながら我身の辛棒がわかりませぬ、もうもうもう私は良人も子も御座んせぬ嫁入せぬ昔しと思へば夫れまで、あの頑是ない太郎の寝顔を眺めながら置いて来るほどの心になりましたからは、最う何うでも勇の傍に居る事は出来ませぬ、親はなくとも子は育つと言ひまするし、私の様な不運の母の手で育つより継母御なり御手かけなり気に適ふた人に育てゝ 貰ふたら、少しは父御も可愛がつて後々あの子の為にも成ませう、私はもう今宵かぎり何うしても帰る事は致しませぬとて、断つても断てぬ子の可憐さに、奇麗に言へども詞はふるへぬ。
父は歎息して、無理は無い、居愁らくもあらう、困つた中に成つたものよと暫時阿関の顔を眺めしが、大丸髷に金輪の根を巻きて黒縮緬の羽織何の惜しげもなく、我が娘ながらもいつしか調ふ奥様風、これをば結び髪に結ひかへさせて綿銘仙の半天に襷がけの水仕業さする事いかにして忍ばるべき、太郎といふ子もあるものなり、一端の怒りに百年の運を取はづして、人には笑はれものとなり、身はいにしへの斎藤主計が娘に戻らば、泣くとも笑ふとも再度原田太郎が母とは呼ばるゝ事成るべきにもあらず、良人に未練は残さずとも我が子の愛の断ちがたくば離れていよいよ物をも思ふべく、今の苦労を恋しがる心も出づべし、斯く形よく生れたる身の不幸、不相応の縁につながれて幾らの苦労をさする事と哀れさの増れども、いや阿関こう言ふと父が無慈悲で汲取つて呉れぬのと思ふか知らぬが決して御前を叱るではない、身分が釣合はねば思ふ事も自然違ふて、此方は真から尽す気でも取りやうに寄つては面白くなく見える事もあらう、勇さんだからとて彼の通り物の道理を心得た、利発の人ではあり随分学者でもある、無茶苦茶にいぢめ立る訳ではあるまいが、得て世間に褒め物の敏腕家などと言はれるは極めて恐ろしい我まゝ物、外では知らぬ顔に切つて廻せど勤め向きの不平などまで家内へ帰つて当りちらされる、的に成つては随分つらい事もあらう、なれども彼れほどの良人を持つ身のつとめ、区役所がよひの腰弁当が釜の下を焚きつけて呉るのとは格が違ふ、随つてやかましくもあらう六づかしくもあらう夫を機嫌の好い様にととのへて行くが妻の役、表面には見えねど世間の奥様といふ人達の何れも面白くをかしき中ばかりは有るまじ、身一つと思へば恨みも出る、何の是れが世の勤めなり、殊には是れほど身がらの相違もある事なれば人一倍の苦もある道理、お袋などが口広い事は言へど亥之が昨今の月給に有ついたも必竟は原田さんの口入れではなからうか、七光どころか十光もして間接ながらの恩を着ぬとは言はれぬに愁らからうとも一つは親の為弟の為、太郎といふ子もあるものを今日までの辛棒がなるほどならば、是れから後とて出来ぬ事はあるまじ、離縁を取つて出たが宜いか、太郎は原田のもの、其方は斎藤の娘、一度縁が切れては二度と顔見にゆく事もなるまじ、同じく不運に泣くほどならば原田の妻で大泣きに泣け、なあ関さうでは無いか、合点がいつたら何事も胸に納めて知らぬ顔に今夜は帰つて、今まで通りつつしんで世を送つて呉れ、お前が口に出さんとても親も察しる弟も察しる、涙は各自に分て泣かうぞと因果を含めてこれも目を拭ふに、阿関はわつと泣いて夫れでは離縁をといふたも我まゝで御座りました、成程太郎に別れて顔も見られぬ様にならば此世に居たとて甲斐もないものを、 唯目の前の苦をのがれたとて何うなる物で御座んせう、ほんに私さへ死んだ気にならば三方四方波風たゝず、兎もあれ彼の子も両親の手で育てられまするに、つまらぬ事を思ひ寄まして、貴君にまで嫌やな事をお聞かせ申しました、今宵限り関はなくなつて魂一つが彼の子の身を守るのと思ひますれば良人のつらく当る位百年も辛棒出来さうな事、よく御言葉も合点が行きました、もう此様な事は御聞かせ申しませぬほどに心配をして下さりますなとて拭ふあとから又涙、母親は声たてゝ何といふ此娘は不仕合と又一しきり大泣きの雨、くもらぬ月も折から淋しくて、うしろの土手の自然生を弟の亥之が折て来て、瓶にさしたる薄の穂の招く手振りも哀れなる夜なり。
実家は上野の新坂下、駿河台への路なれば茂れる森の木の下暗侘しけれど、今宵は月もさやかなり、広小路へ出づれば昼も同様、雇ひつけの車宿とて無き家なれば路ゆく車を窓から呼んで、合点が行つたら兎も角も帰れ、主人の留守に断なしの外出、これを咎められるとも申訳の詞は有るまじ、少し時刻は遅れたれど車ならばつひ一ト飛、話しは重ねて聞きに行かう、先づ今夜は帰つて呉れとて手を取つて引出すやうなるも事あら立てじの親の慈悲、阿関はこれまでの身と覚悟してお父様、お母様、今夜の事はこれ限り、帰りまするからは私は原田の妻なり、良人を誹るは済みませぬほどに最う何も言ひませぬ、関は立派な良人を持つたので弟の為にも好い片腕、あゝ安心なと喜んで居て下されば私は何も思ふ事は御座んせぬ、決して決して不了簡など出すやうな事はしませぬほどに夫れも案じて下さりますな、私の身体は今夜をはじめに勇のものだと思ひまして、彼の人の思ふまゝに何となりして貰ひましよ、夫では最う私は戻ります、亥之さんが帰つたらば宜しくいふて置いて下され、お父様もお母様も御機嫌よう、此次には笑ふて参りまするとて是非なさゝうに立あがれば、母親は無けなしの巾着さげて出て駿河台まで何程でゆくと門なる車夫に声をかくるを、あ、お母様それは私がやりまする、有がたう御座んしたと温順しく挨拶して、格子戸くゞれば顔に袖、涙をかくして乗り移る哀れさ、家には父が咳払ひの是れもうるめる声成し。
下
さやけき月に風のおと添ひて、虫の音たえだえに物がなしき上野へ入りてよりまだ一町もやうやうと思ふに、いかにしたるか車夫はぴつたりと轅を止めて、誠に申しかねましたが私はこれで御免を願ひます、代は入りませぬからお下りなすつてと突然にいはれて、思ひもかけぬ事なれば阿関は胸をどつきりとさせて、あれお前そんな事を言つては困るではないか、少し急ぎの事でもあり増しは上げやうほどに骨を折つてお呉れ、こんな淋しい処では代りの車も有るまいではないか、それはお前人困らせといふ物、愚図らずに行つてお呉れと少しふるへて頼むやうに言へば、増しが欲しいと言ふのでは有ませぬ、私からお願ひです何うぞお下りなすつて、最う引くのが厭やに成つたので御座りますと言ふに、夫ではお前加減でも悪るいか、まあ何うしたといふ訳、此処まで挽いて来て厭やに成つたでは済むまいがねと声に力を入れて車夫を叱れば、御免なさいまし、もう何うでも厭やに成つたのですからとて提燈を持しまゝ不図脇へのかれて、お前は我まゝの車夫さんだね、夫ならば約定の処までとは言ひませぬ、代りのある処まで行つて呉れゝば夫でよし、代はやるほどに何処かそこらまで、切めて広小路までは行つてお呉れと優しい声にすかす様にいへば、成るほど若いお方ではあり此淋しい処へおろされては定めしお困りなさりませう、これは私が悪う御座りました、ではお乗せ申ませう、お供を致しませう、嘸お驚きなさりましたろうとて悪者らしくもなく提燈を持かゆるに、お関もはじめて胸をなで、心丈夫に車夫の顔を見れば二十五六の色黒く、小男の痩せぎす、あ、月に背けたあの顔が誰れやらで有つた、誰れやらに似て居ると人の名も咽元まで転がりながら、もしやお前さんはと我知らず声をかけるに、ゑ、と驚いて振あふぐ男、あれお前さんは彼のお方では無いか、私をよもやお忘れはなさるまいと車より濘るやうに下りてつくづくと打まもれば、貴嬢は斎藤の阿関さん、面目も無い此様な姿で、背後に目が無ければ何の気もつかずに居ました、夫れでも音声にも心づくべき筈なるに、私は余程の鈍に成りましたと下を向いて身を恥れば、阿関は頭の先より爪先まで眺めていゑいゑ私だとて往来で行逢ふた位ではよもや貴君と気は付きますまい、唯た今の先まで知らぬ他人の車夫さんとのみ思ふて居ましたに御存じないは当然、勿体ない事であつたれど知らぬ事なればゆるして下され、まあ何時から此様な業して、よく其か弱い身に障りもしませぬか、伯母さんが田舎へ引取られてお出なされて、小川町のお店をお廃めなされたといふ噂は他処ながら聞いても居ましたれど、私も昔しの身でなければ種々と障る事があつてな、お尋ね申すは更なること手紙あげる事も成ませんかつた、今は何処に家を持つて、お内儀さんも御健勝か、小児のも出来てか、今も私は折ふし小川町の勧工場見物に行まする度々、旧のお店がそつくり其儘同じ烟草店の能登やといふに成つて居まするを、何時通つても覗かれて、あゝ高坂の録さんが子供であつたころ、学校の行返りに寄つては巻烟草のこぼれを貰ふて、生意気らしう吸立てた物なれど今は何処に何をして、気の優しい方なれば此様な六づかしい世に何のやうの世渡りをしてお出ならうか、夫れも心にかかりまして、実家へ行く度に御様子を、もし知つても居るかと聞いては見まするけれど、猿楽町を離れたのは今で五年の前、根つからお便りを聞く縁がなく、何んなにお懐しう御座んしたらうと我身のほどをも忘れて問ひかくれば、男は流れる汗を手拭にぬぐふて、お恥かしい身に落まして今は家と言ふ物も御座りませぬ、寝処は浅草町の安宿、村田といふが二階に転がつて、気に向ひた時は今夜のやうに遅くまで挽く事もありまするし、厭やと思へば日がな一日ごろごろとして烟のやうに暮して居まする、貴嬢は相変らずの美くしさ、奥様にお成りなされたと聞いた時から夫でも一度は拝む事が出来るか、一生の内に又お言葉を交はす事が出来るかと夢のやうに願ふて居ました、今日までは入用のない命と捨て物に取あつかふて居ましたけれど命があればこその御対面、あゝ宜く私を高坂の録之助と覚えて居て下さりました、辱なう御座りますと下を向くに、阿関はさめざめとして誰れも憂き世に一人と思ふて下さるな。
してお内儀さんはと阿関の問へば、御存じで御座りましよ筋向ふの杉田やが娘、色が白いとか恰好が何うだとか言ふて世間の人は暗雲に褒めたてた女で御座ります、私が如何にも放蕩をつくして家へとては寄りつかぬやうに成つたを、貰ふべき頃に貰はぬからだと親類の中の解らずやが勘違ひして、彼れならばと母親が眼鏡にかけ、是非もらへ、やれ貰へと無茶苦茶に進めたてる五月蝿さ、何うなりと成れ、成れ、勝手に成れとて彼れを家へ迎へたは丁度貴嬢が御懐妊だと聞ました時分の事、一年目には私が処にもお目出たうを他人からは言はれて、犬張子や風車を並べたてる様に成りましたれど、何のそんな事で私が放蕩のやむ事か、人は顔の好い女房を持たせたら足が止まるか、子が生れたら気が改まるかとも思ふて居たのであらうなれど、たとへ小町と西施と手を引いて来て、衣通姫が舞を舞つて見せて呉れても私の放蕩は直らぬ事に極めて置いたを、何で乳くさい子供の顔見て発心が出来ませう、遊んで遊んで遊び抜いて、呑んで呑んで呑み尽して、家も稼業もそつち除けに箸一本もたぬやうに成つたは一昨々年、お袋は田舎へ嫁入つた姉の処に引取つて貰ひまするし、女房は子をつけて実家へ戻したまゝ音信不通、女の子ではあり惜しいとも何とも思ひはしませぬけれど、其子も昨年の暮チプスに懸つて死んださうに聞ました、女はませな物ではあり、死ぬ際には定めし父様とか何とか言ふたので御座りましよう、今年居れば五つになるので御座りました、何のつまらぬ身の上、お話しにも成りませぬ。
男はうす淋しき顔に笑みを浮べて貴嬢といふ事も知りませぬので、飛んだ我まゝの不調法、さ、お乗りなされ、お供しまする、嘸不意でお驚きなさりましたろう、車を挽くと言ふも名ばかり、何が楽しみに轅棒をにぎつて、何が望みに牛馬の真似をする、銭が貰へたら嬉しいか、酒が呑まれたら愉快なか、考へれば何も彼も悉皆厭やで、お客様を乗せやうが空車の時だらうが嫌やとなると用捨なく嫌やに成まする、呆れはてる我まゝ男、愛想が尽きるでは有りませぬか、さ、お乗りなされ、お供をしますと進められて、あれ知らぬ中は仕方もなし、知つて其車に乗れます物か、夫れでも此様な淋しい処を一人ゆくは心細いほどに、広小路へ出るまで唯道づれに成つて下され、話しながら行きませうとてお関は小褄少し引あげて、ぬり下駄のおと是れも淋しげなり。
昔の友といふ中にもこれは忘られぬ由縁のある人、小川町の高坂とて小奇麗な烟草屋の一人息子、今は此様に色も黒く見られぬ男になつては居れども、世にある頃の唐桟ぞろひに小気の利いた前だれがけ、お世辞も上手、愛敬もありて、年の行かぬやうにも無い、父親の居た時よりは却つて店が賑やかなと評判された利口らしい人の、さてもさてもの替り様、我身が嫁入りの噂聞え初た頃から、やけ遊びの底ぬけ騒ぎ、高坂の息子は丸で人間が変つたやうな、魔でもさしたか、崇りでもあるか、よもや只事では無いと其頃に聞きしが、今宵見れば如何にも浅ましい身の有様、木賃泊りに居なさんすやうに成らうとは思ひも寄らぬ、私は此人に思はれて、十二の年より十七まで明暮れ顔を合せる毎に行々は彼の店の彼処へ座つて新聞見ながら商ひするのと思ふても居たれど、量らぬ人に縁の定まり、親々の言ふ事なれば何の異存を入れられやう、烟草やの録さんにはと思へどそれはほんの子供ごゝろ、先方からも口へ出して言ふた事はなし、此方は猶さら、これは取とまらぬ夢の様な恋なるを、思ひ切つて仕舞へ、思ひ切つて仕舞へ、あきらめて仕舞うと心を定めて、今の原田へ嫁入りの事には成つたれど、其際までも涙がこぼれて忘れかねた人、私が思ふほどは此人も思ふて、夫れ故の身の破滅かも知れぬ物を、我が此様な丸髷などに、取済したる様な姿をいかばかり面にくゝ思はれるであらう、夢さらさうした楽しらしい身ではなけれどもと阿関は振かへつて録之助を見やるに、何を思ふか茫然とせし顔つき、時たま逢ひし阿関に向つて左のみは嬉しき様子も見えざりき。
広小路に出れば車もあり、阿関は紙入れより紙幣いくらか取出して小菊の紙にしほらしく包みて、録さんこれは誠に失礼なれど鼻紙なりとも買つて下され、久し振でお目にかゝつて何か申たい事は沢山あるやうなれど口へ出ませぬは察して下され、では私は御別れに致します、随分からだを厭ふて煩らはぬ様に、伯母さんをも早く安心させておあげなさりまし、蔭ながら私も祈ります、何うぞ以前の録さんにお成りなされて、お立派にお店をお開きに成ります処を見せて下され、左様ならばと挨拶すれば録之助は紙づゝみを頂いて、お辞儀申す筈なれど貴嬢のお手より下されたのなれば、あり難く頂戴して思ひ出にしまする、お別れ申すが惜しいと言つても是れが夢ならば仕方のない事、さ、お出なされ、私も帰ります、更けては路が淋しう御座りますぞとて空車引いてうしろ向く、其人は東へ、此人は南へ、大路の柳月のかげに靡いて力なささうの塗り下駄のおと、村田の二階も原田の奥も憂きはお互ひの世におもふ事多し。
──明治二十八年十二月──
台東区立一葉記念館