おもい旅
――—郵便。
と言って、背の低い中年の郵便夫が、いつものように玄関先に郵便物を置いた気配を見せたかと思うと、さっと翻すように、玄関先に立った僕に背を向けるように門の外へと出ていった。
僕は、いつものように、三鷹・下連雀のアパートにいる、旧制の高校を一年間を共にし、今はそれぞれの新制の大学に移っている友達からの便りだろうと思った。
この頃、その三鷹の友達から、毎日、日記の延長をこちらに伝えるように、思いつきのままに、ときには、これはという詩人や作家の紹介やら書評を、また作詩したものや旅行の模様やら日常生活の状態や哲学的なものなどあれこれ、なにが気に入っているのか、小田原の僕のところへと書き送ってきていた。僕は、その便りの内容はともかく、その奇異とも思える様々な形態の文体や発想に手をやき、うんざりさせられながらも、いつか、毎日、それが届けられてくるのを楽しみに待つような心地になって待っていた。
しかし、その日は、その友達の葉書はいうまでもなく、それと共に、一つの白い封書が僕あてに重なるように玄関の踏み板の上に、無造作に投げこまれてあった。僕は、一瞬、だれからのものだろう、と思った。いや、僕は、そう思うより先、字体から、これはユカからきたものだと思った。と同時に、僕は、その手紙を急ぎばやに昂ぶりと胸さわぎを覚えながら、友達の葉書とともに取り上げたが、身も心もそわそわと落ちつかなかった。僕は、よかったと思った。ユカから手紙がきた。ユカからは、もはや手紙などくるはずがないと、すっかり諦めていたのに手紙がきたかと思うと、僕は、たまらなく嬉しく、生返った心地になり、友の葉書をよそに、そわそわと彼女の封書を切り開いていた。僕は、一ヶ月ほど前、彼女に宛てた手紙が、思いがけずも彼女をひどく
祐介さん
ながい間、返事もせずに放置しておいたことは、ごめんなさい。
でも、あまりにも、あなたがおっしゃることが唐突で、その痛手があまりにも大きすぎますので、このお便りをするのにも相当な努力がいったものです。
どうして、あなたは、私に、あのような荒々しいことをおっしゃるのでしょうか。なぜ、私に書き送っていただいた凡ての書簡を破棄するか焼却するかしてくれとおっしゃるのでしょうか。
これには、なにか深い事情やわけが背後にあろうかと思われますが、その事情やわけもおっしゃらずに、いきなり、過ぎ去ったすべてを綺麗にしたいからといい、私がいただいた書簡のすべてを破棄せよとは、なにごとです。これは、言葉を煎じつめますと、私との交際を断つ、ということと同じではありませんか。
あなたは、本気で、私にそのようなことをおっしゃるのでしょうか。
私は、そのことがとても悲しいのです。涙がでて、涙がでてしようがないのです。だまされた思いでつらいのです。私は、あなたの無神経ぶりを恨めしく思っています。黙ったまま、心の中で、私を無視してくださったら、どれほどか私も傷つかずに幸せにおれたかと思うと、あなたのこのたびのお便りが残念でなりません。
もう、私にも覚悟ができました。
祐介さん
幼い頃からの二十年にわたる長い間の私たちでしたが、この便りを最後にサヨーナラをします。無念で、こころ惜しいのですが、あなたが一方的にそれをお望みなら仕方がないのです。はじめ、あなたのお手紙を手にしたとき、腹がたって腹がたって致し方がありませんでしたが、いまは、気もしずまっております。思い出すのも、思うことも、これでおしまいです。
恨みません。そのかわり、決して、今後思い出させるようなことは、なさらないでください。
僕は、これは大変なことになってしまったと思った。ひどく誤解されている、やはり、あの手紙を出さなければよかった。僕は、拙いことを病身の彼女に書き送ってしまったものだ。あの手紙を彼女に送る寸前まで、僕は、彼女にこんなことを書き送っては拙いのではないかと心配したが、そのまま、ひっこめておけばよかった。僕は、あのとき、自分で書いておきながら、もしやと、その手紙の内容に誤解の危険性を思ったが、なにか悪いものに魅せられるように、ままよと、二年前の親しい友達の自殺から受けている打撃が尾を引いている自分の精神的とりみだしを整理したく、彼女にそのような事情や僕の動揺と混乱を知らせずに、唐突に――僕がこれまであなたに書いたすべての手紙を破棄するか焼却するかし、すべてをないものにしてください、あなたのことも新しい立場で考え、新しく出発したいのです。――と不用意に、ひとりよがりに、僕のこれからに対する心構えを書き送ってしまったことが拙かったのだ。僕は、あのとき、僕の気持ちとしては、彼女を心の糧に、心の支えにというニュアンスを含ませているつもりでいたが、しかし、そんなことを少しも言い表さずに、いきなり、自分の書いた手紙のすべてを破棄するか焼却するかし、しかも新しい気持ちで出発したいと書けば、彼女に、絶交状とごかいされるのも無理はないことだ。僕は、ちょっと彼女に気取ったつもりでいたのが、それが思いがけずも亀裂のもとになってしまったのだ。これでは、僕の真意をユカに理解してもらえるどころか、彼女をさんざんに傷めつけてしまったも同じではないか。一刻もほうっておけぬ、いますぐにでも彼女のもとに走り、誤解をときほぐさなければ……。
そして、僕は、すぐにでも大阪に向かって旅立つことを思い、読み開いたままの彼女の手紙を手にしたまま、気持ちはすでに彼女のもとへと、とぶばかりになっていた。
ユカは幼友達で、しかも僕にとっては大切な存在で、思春期の対象となる異性と思いながらもそれ以上に、僕の生まれ故郷や幼少期を結びつける唯一無二の媒体となっていた。というのは、僕は、彼女が今も住んでいる大阪の吹田で育ち、そこで幼少期の一時期を過ごし、それから同じ土地にある鉄道官舎に移り、次第に父の仕事の都合で転勤、転勤と、生まれ故郷から遠ざかるように、奈良に近い古代の息づきが漂っている、大阪湾への落日の大きく美しい中河内の龍華(八尾)から東京へと離れていき、二十歳になるまで、戦争やその後の敗戦の混乱期をはさんで彼女に会う機会を持たなかったが、どうしたものか、吹田の地を離れたときから彼女のことが気にかかり、気まぐれに、小学二年の春に、龍華の官舎から、裏庭つづきに隣り合わせて住んでいた彼女に手紙を下手な字だと笑われながら書き送っているうちに、いつか彼女が故郷のようになり、故郷を思うたびごとに、また彼女を思うようになっていた。だが、十四、五の思春期になる頃には、お互いに中学生や女学生になり、変に異性の意識をお互いに持つようになる時期なのか、それともまた、戦争が次第に深刻化し、学業を捨て、学徒動員で軍需工場などにかりだされたりして、お互いに手紙を出すのに都合が悪い条件が重なったせいか、いつのまにか、お互いに手紙が遠のくようになり、僕は、昭和十九年から二十年にかけて、彼女に一通の手紙を書いた記憶もなく、また彼女から一通の手紙を受け取った記憶もなかった。が、僕は、いつも彼女のことを忘れたこともなく、遠い故郷のことを思っては、幼い頃遊びまわったかの地を、吹田を、河内の地までも含めて懐かしく思い、今頃ユカはどうしているのかと、彼女のことを淡い恋心をこめて思うようになっていた。そうした気持ちが僕の中に働き、彼女への思いをつのらせたのだろう。僕が関西の高等学校を受験したとき、彼女に矢も楯もなく逢いたくなり、同行した仲間たちと大阪駅で不意に別れ、彼女の家へと、懐かしい生まれ故郷へと十年ぶりに足を踏み入れたのだが――その頃は、戦後間もない混乱の時期で、交通事情も食糧事情も飢えるほどにきわめて悪く、よそ様の家を訪ねるのもどうかと思われたが――連絡なしの不意の訪問がわざわいして、友達の家に外泊中だというユカに会うことができず、無念な思いでそこを離れたが、彼女の家の温かい歓迎ぶりは十年ぶりに訪れた生まれ故郷と共に僕の心を満足させ僕の心を酔わすのに充分なぬくもりをもっていた。ためにというか、ユカに会えぬ無念さもあって、僕は家に戻るとすぐに、彼女の家のもてなしに謝意をこめた手紙を彼女あてに書き送り、また彼女からの返事に、――お会いしたかったのに……。立ち寄るなら立ち寄るで、先に連絡でもしていただけたら、なんとしてでも家に居りましたのに……。――といかにも残念そうな文面を受け取ったのを端緒に、僕たちの手紙のやりとりが復活し、僕たちは、手紙の中でしきりに再会を願うようになっていた。けれども、僕たちはいつまでも続く戦後の飢えるほどの食糧事情の悪さやら、切符が容易に買えないほどの交通事情の悪さやら、互いの都合の悪さやらで、なかなか再会の機会がつかめず、僕たちがようやく再会できるようになったのは、十いく年ぶりの昭和二十六年一月のことで、僕は大学の学生になっていた。そのとき、僕は、彼女と胸ときめく再会であったが、精神的背景には、この悦びとは別に、身近な友達の自殺による動揺とその不安感からの逃避と、それに二ヶ月前に初めて不本意な性体験を持ったやましさ、心苦しさが僕の気持ちにのしかかり、彼女と対面しながら、こんな心の負担がなければどれほどよかったことかと、彼女により近しい距離感を覚えれば覚えるほど、僕は純粋な気持ちで彼女に再会したかったと、彼女の純粋にもみえる気持ちを思い計って、後悔に似た気持ちになるのを覚えていた。けれども、それとは別に、僕は彼女と再会したことを契機として、彼女に頻りに手紙を書くようになり、彼女もまた、僕にこたえるように頻りに手紙を書いて来るようになり、僕たちの間は、より近しいものへとすすんでいった。が、いろいろな互いの事情が重なり、僕たちは、この日まで、その時以来一度も会ったことがなかった。
僕は、こうしたユカを愚にもつかぬ手紙の件で失いたくはなかった。そうした気持ちがあせりにもなっていたのだろう。小田原駅での僕は、大阪行きの深夜の夜行列車を待つ間も落ちつかなかった。気持ちは、なにか、ユカのもとへともどかしいまでにとび、一刻も早く誤解をときほぐさなければと思い、また一方では、彼女の手紙の内容では、もう心地よく僕を受け入れてくれることはないだろうと、暗い沈んだ思いになっている自分を覚えていた。その気持ちが僕を強く支配してか、ひっそりと静まりかえった深夜のホームが無味乾燥のように味気なく、闇夜の中にうす明るく浮き上がっているホームやその建物や、そしてまた点々と広い構内に灯る電柱の灯りがもの淋しく、すべてのものから除外されて、ひっそりと息づいているように僕には映ってきた。その上、ホームで下りの夜行列車を待つ客が二、三と数えるほどしか見当たらないことも手伝ってか、僕は、なにか僕たちが闇夜にのみ込まれたまま永遠にここから脱出できなくなってしまうのではないかと思うくらい、なにか心細くなるのを覚えていた。
僕は、と、そのとき思った。二年前の一月七日にユカに十いく年かぶりに再会しようと、この時刻にこのホームに立ったとき、こんな侘しい気持ちは全然なかった。あの時、僕は、以前に彼女の母から貰い受けていた写真でしか想像できない、成長した未知数のユカに再会するというだけで凡てが活気に充ち、すべてがバラ色であるかのように興奮していた。駅の構内の闇に浮く点々とした目玉のような灯りも、鈍く自らの光で浮き上がったホームとその
しかし、いまは、そんなことを甘く考えていられる余裕はない。僕たちは、もうこれっきりになると思うと、なにか淋しくやりきれなかった。僕は、なんとかしなければ、なんとかしなければ、と思った。このままほうっておけば、僕たちの間は、無縁どころか、深い傷を互いに負ったまま別れることになってしまう。いや、僕はいいとしても、ユカが、誤解のままに末ながく傷つくことが、なによりもたまらないことだ。このことだけは、なんとしてでも始末しておかなければ、と思った。それに僕は、誤解のまま、心に残るような情けない別れ方をすることは、故郷にそのような別れをするも同じだ。ユカがいなければ、僕にとって故郷とはなんだろうと考えるほど、ユカが僕にとっては大切なものになっているのだ。そんなユカを、たった一片の不用意な手紙で失おうとしている自分が情けない。僕は、ユカを失ってはいけない、ユカを失ってはならぬ。なんとしてでもユカに誤解をといてもらわなければいけないのだと、遠く闇の中から次第に近づいてくる夜行列車の小さな灯りを見ながら、僕は、しきりに時間のたつもどかしさを思っていた。
夜行列車から降りた僕は、早朝、時間を梅田の人の気配のまだ殆んどない地下街で長い間つぶして、大阪駅から京都行きの電車に乗りかえ、淀川を渡り吹田の駅に着いた時には、すでに通勤時間帯をすぎているせいか、いつも下車するガード側の駅口は閑散としていた。僕は、軽い傾斜のあるコンクリートで囲まれたガードの登り道をユカの家の方へと歩きながら、まだ、こんな朝の気配がすっきり抜けきっていないうちに、ユカを、気まずい件で訪ねるのには、なにか余計にこちらが不利になり、拙いのではないかという気になり、それでは、もう二時間でも三時間でもかけて、昔、幼い自分が遊びまわった土地をあちこちと訪ねまわってこよう、そうすれば、なんとかユカを訪ねていく頃には、程よい時間になるだろう。それに、ユカを訪れるのに、このまま、心配と不安を一杯にした気持ちでいくより、少しは落ち着くことだろう。しかし、もしかしたら、僕とユカの間の完全なもつれにより、この地を訪れる最後になるかもしれないと思うと、なにかもの淋しく、なんとしてでも、次への望みを、ユカに会って作っておかなければと、僕はユカの家を遠巻きに近づくように、最後にこの地にいた鉄道官舎の団地の方へと、ビール会社の工場の長くつづく塀に沿うように広い舗装のされていない道を歩いていった。
官舎の団地は、幼少の頃から抱きつづけていた感じとは異なって、うすぎたなく灰白色の形で昔のまま存在していた。しかし、どこか心に刻まれていたものとはほど遠く、いく棟もいく棟も横に長く並び、低い丘を上に伸びるように列をなして出来上がっている団地の一画は、なにか思っていたよりも広くもなく、しかも、こじんまりとして、僕は、なんだこんな所だったのかと思いながら、幼い頃この地で遊んだことの世界の広く楽しかったことを思った。僕は、この官舎の脇の広いポプラの高い木の立ち並んだ通りで、自転車に紙芝居を積んで、毎日、三時か四時頃になるとやってきた紙芝居の小柄なオジさんのことを思った。あの頃、黄金バットや地雷也などをやっていた。また、この通りで、夕暮れどき、夕涼みをしながら、通りゃんせ通りゃんせの遊びをしながら、同じ官舎のたくさんの子供たちと遊んだことを思った。そのとき、赤トンボが道いっぱいに飛んでいた。冬には、また、この通りに焼きいも屋がリヤカーを引いてやってきて、「ホッコーリ、ホッコリ、ぬくいでけたてのホッコリやで!」と大きな声を張りあげ、官舎にむけて声をかけ、客を求めていたことを思った。そしてまた、僕は、自分たち家族が住んでいた、広い通りに面している官舎の建物を見ながら、ここに住んでいたのだと、妙な感慨にひたり、ここにユカの家の近くから引越してこなければ、数え年四つになったばかりの弟を疫痢で失うようなこともなかったかもしれないなあ……と魔の家を見る思いで眺めながら、僕は、小高くなっている方へと――よく関西大学と鉄道クラブの人たちがラグビーの試合をやっていたグランドの方へと――昔の幼少の日々の思い出をたぐるように向かっていった。僕たちは、しかし、この官舎にいるときには、よく、弟の死後も病気をしたと思った。母は肩の筋炎をおこして手術をし、僕は、よく熱病におかされ、また歩けないほどのハレものが股にでき、ウバ車に乗せられて官舎から遠く離れた駅にほど近いところにある鉄道の診療所に運ばれ手術したことを思った。そしてまた、この官舎にいたとき、近くの神社の小さな池に、よく鮒を釣りにでかけたことを思い出し、あの池はどうなっているのか、また、母が親しくしていた、豚を何十頭も飼育していたもと中学の先生がやっている官舎のはずれの方にあった山あいの養豚所はどうなっているのかと思い、また、女の屑屋が、リヤカーを引きながら、あかるく呼びかける「おシメの古いのや、おコシの古いのや、おべべの古いのおまへんか」という妙なかけ声を思い出しながら、なにか時間に追われるような気持ちで、僕は、足を自分が通っていた小学校や、よくトンボ取りやボテン釣りをして遊んだ蛇池や
と、僕は、あるとき書いた「思い出の記」の一節を思い浮かべた。
「大の池の上に小さな杉林があった。比較的幅の広い通りに面し、その通りの反対側にもまた向き合うように林があった。大の池は低い山の中腹にあり、私たち幼い子供たちが銀ヤンマをとるのに恰好の場所であった。銀ヤンマは、幼い子供の目でみれば、あまりにも広すぎる池のまわりを一周してきては、子供たちが細いメス竹の先端にトリモチをつけた竿をかいくぐっては、また一周してくるふうに――実は短い距離を右に左にいったりきたりしているのだが――次から次へと現れ飛んでいた。私たちは、それでも楽しく、毎日のように細い竹竿をかついで、山のふもとの片山から大の池へと出かけていった。大の池は、昔、灌漑用に溜池として掘られたものらしく、鮒や鯉のほかに台湾ドジョウと私たちが呼んでいたナマズによく似た大きな魚がいて、池の淵の草むらにいるところを、投げつけるモリで、よくとられていた。人の家は数えるほどしかなく、親たちは、小学校へいくかいかぬかの私たちに、危ないから大の池の方へは行くな、というのが口癖のようであった。けれども、子供たちにとっては、大の池は、ヤンマをとったり、魚を釣ったり、ほかの遊びをするのに好適な場所で、私たちは、よく親の目をかすめては、そこへ出かけていった。私たちは、トンボ取りや魚釣がなによりも楽しみで、近くの蛇池とよばれる溜池や小川のほとりや丘陵地の田圃へと、大の池ばかりではなく、あちこちへとかけずり荒らしまわるようにでかけていった。と、こうしたある日のことだった。仲間の一人が、電気トンボが大の池の上の林の中にいると言った。私は、これまでに一度もこんな名前のトンボを聞いたり見たりしたことがないので、半信半疑であった。けれども、その仲間がもっともらしく、腹のあたりに黄いろいあかりを光らせ、うす暗い林の中を、ごく短い距離をいったりきたりして飛んでいるのを見たというので、私は、それを見たくて、その教えてくれた場所へとひとり出かけていった。(これから先は、夢想が私の中で大きく育ったのかもしれない。)と、その言われた場所の林に行ってみると、半信半疑だったものが、事実となって、聞いた通りの林の中で展開されていた。私は、本当だったのだと事実を疑り、しばらくの間、その珍しい蛍のように腹部にあかりを灯したトンボをじっと見ていた。けれども、たった一匹しかいないし、取るにはおしいと、トンボを追い、取るのをやめ、秘密を楽しむように、いく日かその場所へ通いつづけたが、その日以外は、どうしたことか、私を落胆させるように、そのトンボが林の中から姿を消してしまっていた。私は子供心に、ほかの者に取られるなら自分が先に取ってしまえばよかったものを、と自分がそのトンボを捕らえないことを痛く後悔した。そして、私は、それからというものは、たえずあの電気トンボが欲しいと思い、いつかの機会に捕らえてみたいと思いつづけ、そこへなんどとなく足を運んでいった。けれども、そのような機会には一向にめぐりあえず、私は、そのトンボに思いを残すままに、後年、事あるごとに、あらゆる図鑑を身近な範囲で調べてみたが、それに該当するものが見当たらず、私は、あれは夢まぼろしだったのかと、いまだに狐につままれたような思いがしてならない。あれは幻のトンボだったのだろうか。とにかく、心にやきついて離れることのない思い出の一つである。」
僕は、その場所を訪ねてみよう、そして、ここを最後に思い切ってユカのところへ出かけていこうと思った。大の池は、落ち着いた雰囲気の中に、いまだに昔の面影を残して広い面積を展げていたが、やはり此処も、かつて僕が住んでいた官舎のあたりと同じように、思っていたよりも大きくなく、そのうえ水量も少なく、遠いはずれの一部分が埋めたてられ、僕が心にいつまでも画きつづけてきた満面に水を一杯たたえた雄大な池の姿はすっかり失われ萎えきっていた。僕は、ああ、これが大の池の末路かと思うと、なにか淋しいものをみせつけられているようで、いま立っている広い通りも、あちこちにと点々と建ち並ぶ家も、なにか僕には縁遠いもののように思えてきた。けれども、僕は、大の池の上の通りに面した林がそのままあるのを見たとき、ほっと救われたような気になり、昔、電気トンボを見たところは、たしかにあの辺りだったのだと、その近くまで、だらだら坂をのぼっていった。が、そこは、なんの変哲もない、ただの杉林がうっそうとしているだけで、これといったものがなかったが、僕は、なんともえいず心をひかれ、林の中に少し足を踏み入れ、ここがそうだったのだ、ここにあのトンボが行ったり来たりして飛んでいたのだと思いながら、しばらくの間、その中にとどまり昔日のことを思いおこしていた。しかし、そのトンボが図鑑にもなく、現実にあったと思っているにもかかわらず、現実にないもののように思われるのがどうにも腑に落ちず、僕は、またユカのことがもしや、このようなことになったら大変だと思いながら、林を出て、だらだら坂を降ってユカの家のほうへと歩きだしていた。
ユカの家は、僕が歩いている、昔、小学一年生になったばかりの頃、いたずらだった僕が、学校の帰りに箱にいれて並べてある商品の米をさわって、小僧に顔面をいきなり叩かれ鼻血をだした思い出の米屋のある通りを右に折れ、高い板塀や白い土塀が右手に長くつづく古い屋敷の、自動車一台しか通れそうもない狭い通りの反対側の並びの古びた二階建の家々の中の四軒目に建っていた。僕は、その狭い通りにさしかかると、さあ、これからだという気持ちとは別に、自分でも滑稽に思うくらい気持ちがはげしく動揺していることを覚えた。落着きもなく、心配と不安ばかりが先走り、ユカに久しぶりに会えるという喜びなど全くなく、もし、彼女が全面的に受けつけてくれなければどうしようと思ったり、また、そのときはそのときで、僕は、友達の自殺によるショックを告白し、その後も、自分が長いあいだ全く精神的に疲れきっていることを告白しなければならないだろう。僕は、そんな弱みを少しも見せたくない。けれどもラチがあかなければ、それも致し方がないではないかと、僕は、被告人と弁護人を一つにした複雑な気持ちで、彼女の家の北向きの玄関の戸の前に、自分をひきずりだすように立っていた。
玄関は、かつては、僕を快く迎えいれるようにしてあったが、今は、まるで僕を拒否しているように冷ややかさを漂わせている。心とは妙なものだ。心にわだかまりがあれば、相手もそれに呼応して映る。いくら北向きの日陰とはいえ、あまりにも冷ややかで、素気ない感じがするとさえ心細く思った。しかも、ひっそりとしてひとの気配がないのは、一日の時間帯からして、そうした時の流れのせいだろうか。しかし、それにしても心細すぎると思いながら、僕は、自分を奮いたたせるように、玄関のベルを押し、
――—ごめんください。
と、中に向かって声をかけ、玄関の戸を開けた。が、中からは、返事がすぐには戻ってこなかった。僕は、どうしたのだろう、留守かなと思った。玄関の内側は、北側に面しているためにうす暗く、そのうえ、次の間の六畳の部屋も、その次の部屋に通じる正面と左側の境の襖が閉ざされていて、なにか湿った感じが、一見、留守のようにも思えた。が、玄関の鍵は掛っていないし、だれか居るはずだと思いかえし、僕は、再び中に向かって、一段と声を大きくし、
――—ごめんください。
と声をかけた。が、僕は、ユカとの思いもかけないもめごとが切羽つまっているだけに、この短い返事を待つ時間ももどかしく、なにか不安な心地に追われていた。と、そのとき、玄関の間の左側にある奥座敷に隣り合わせた南側に面した居間のあたりから、ユカの母の声が、「はあい」と聞こえ、その場に立ちあがる気配がし、僕の方へと、「どなたさんかいな」と、ひとりごとを言いながら近づいてくる気配がしてきた。僕は、ユカの母に、なんと挨拶してよいかわからないと思った。もし、あのことを誤解のままに、ユカが母親に話をしていたとしたら、僕は、なんと顔向けができようか。ユカの苦悩をそのままに母親が受けてしまっていたら、僕は、どう弁明したらよいのか。困ったことになってしまった。事実を話すのには、問題が大きく展開しているだけに、そしてまた、ユカとのことを目前にしているだけに、あまりにも時間がなさすぎると思った。
と、そのとき、玄関の間の左側の奥座敷の襖が開き、ユカの母が顔をだした。僕は、視線と視線が合った瞬間、ぐっと呼吸がつまる思いになったが、
――—こんにちは。
と、わるびれずに頭をさげた。ユカの母も、僕と知ると満面に微笑をうかべ、
――—おや、祐介さんやないの。こんにちは。ようこそな。
と言い、僕を快く迎えてくれたが、僕はなにか勝手がちがうなと思った。僕は、前に訪ねてきたときも、その前に訪ねてきたときも、全身で心の底から迎えいれてくれたのに、いまのそれには全身から溢れてくるものがない。きっと、ユカと僕との事情をユカから聞き知り、苦悩を共にし、僕たちの険悪になってしまった仲を心配してのことだろう。僕は、この家では、遂に招かれざる客になってしまったのかと、寂しく、つらく思った。
――—手紙のことでやってきたのです。なにかユカちゃんに誤解されているみたいで……。それで、僕、ユカちゃんに謝りにきたのです。ユカちゃん居ますか。
僕は、挨拶もそこそこに、玄関に立ったままで、精一杯の気持ちで言った。
――—ええ、おるけど……。なんやしらんが、二人で、ごちゃごちゃしてるんやて。仲ようしてや。ユカ、悲しい思いをしてたんやで……。
と、すべてを承知のように言い、玄関から右脇の階段口へとすすみ、
――—ユカ、祐介さんやで……。ユカ……。
と、ユカの僕への気持ちを無視するような大きな声でいい、少しの間、二階からの返事を待つようにし、その場に立っていた。が、二階からの返事が返ってこないと分かると、ユカの母は、僕の方へと向きを変え、
――—ちょっと、あの子、祐介さんのことで気むずかしゅうしているさかい、ちょっと待っててや。祐介さんのこと、おばちゃん、上手に話をしてくるさかいに、な。それに、いまあの子、安静時間やよって、布団に入って横になって休んでいるとこやの。
と、僕を、ユカの病気にことよせて、とりなすように言いながら、二階の階段をせわしげに昇っていった。僕は、ユカの母が頼りになる人のように思え、是非、ユカからのよい返事を持って戻ってきてくれるようにと、玄関に立ったままで、祈る心地になっていた。
まもなくして、ユカの母は、力なく階段を降りてきた。僕は、もう、これは結果が拙くでたのではないかと不安を一杯にしていた。やはり案の定、結果は好ましくなく、二階からのユカの返事は頑なに僕を拒み、絶対に僕に今日は会いたくないという構えをみせているとのことで、彼女の母ですら辟易し困惑しきっているようにもみえた。が、僕は、このまま、はい、そうですかと簡単に引き下がるわけにはいかなかった。いや、それどころか、僕はここで簡単にひきさがってしまえば、僕たちの間は、それっきり断たれてしまい、後日、悔いが残ると思うと、是が非でも彼女に会って帰らなければならないという気持が働き、僕は、彼女の母に許しを乞うて、彼女のもとへと強引に二階の階段を昇っていった。僕は、あとはないと思った。矢も楯もなかった。ただ夢中で、僕たちの間にできたよりをなんとしてでも戻そうと、ただそれだけで懸命であった。瞬間、深い謝罪を考え、長い事情の説明も考えた。けれども、六畳ほどの二階の狭い部屋で、直射日光を避けるように頭を反対側の向こうにし、寝床の上に寝衣姿で横になっている彼女を見たとたん、僕は、ぐっと言葉につまり、どう切り出してよいのかと、一瞬、眩暈のような戸惑いを覚えた。けれども、僕は、再び気を取り直し、ままよと、開き直った気持ちで、
――—ユカちゃん、すみません。誤解されてもしようのない手紙など書いてしまって……。
と、深い謝罪の感じをこめて、畳に深々と頭をさげた。僕は、最初から降参の形をとっていた。しかし、ユカは、僕の呼びかけにも、謝罪にも全く応じるふうもなく、なにか心の底から激昂してくるのか、白い整った顔を紅潮させ、なにかにじっと耐えているのか、無言のままで、僕を、じっとみつめていた。僕は、その目は冷たい、さめきっている、僕を軽蔑さえしていると思った。きっと、ユカは、怒りと憤りに言葉を失っているのだろう。僕は、ユカの腹立つ気持がよく理解ができる。あれだけの、僕の中途半端な手紙の内容なら、だれでも誤解しかねないし、それをもとにして激怒するのは当り前のことだ。しかし、僕が、ここに、こうして許しを乞いに謝りにきているのだから、その雰囲気を与えてくれたっていいじゃないか。これでは
――—ユカちゃん、僕の話を聞いてほしいんだけど……
と、重い沈黙を割るように声をかけた。
が、ユカは、僕の言葉を受け入れるどころか、全身で、知らない、とすべてを拒否するように、整った顔に涙をうかべながら、僕にくるりと背を向けてしまった。僕は、彼女はとりつく島がない、このままでは、取り返しがつかなくなると思った。しかし、今し方のあの白い顔を激昂で紅潮させた美しさは、なんという美しさだろう。この魅力あるユカを失っては生涯悔いが残ると思った。
しかし、僕は、これ以上言葉のやりとりが望めぬと思うと、その場に立ち上がり、彼女の背に、
――—ユカちゃん、また来ます。体をお大事に。お母さんに詳しく事情を話しておきますので、あとで聞いてください。もし、機嫌がなおるようでしたら、またお手紙をください。今日は、これで失礼します。お元気で。
と声をかけ、彼女に後髪をひかれる思いで二階の階段を一つ二つかみしめるように降りていった。が、こんな窮地に、こうした彼女にまだ魅せられているなんて、僕は、なんと滑稽な間の抜けた奴だろうと、自分にあきれながら、自分に苦笑を覚えずにはいられなかった。
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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