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シーソーがゆれて

  ポホン

 

ポホン(木) は、ボホン(嘘) をつかない

テレポン(電話) してと、モホン(要求) もしない

  或る日の風景

 

猫が クチン(猫) とくしゃみして

豚が バビ(豚) と鳴き

小鳥は ブン(小鳥) と羽ばたきました

 

動物のクスクスは クスクス笑い

とんぼは チャプン(とんぼ) としっぽを水につけ

烏賊は チュミチュミ(烏賊) と墨を吐き

魚は イカン(魚) と水にもぐりました

  もの想いの時

 

指輪たたくと チンチン(指輪) 鳴って

壁をたたくと ディンディン(壁土) 鳴った

 

ろうそく灯すと |リリン(ろうそく) と灯り

炎は赤く メ(まっ赤) 揺れた

 

はっと リハットゥ(見る) 瞳あげれば

空は キ(おおかた) 満天の星

 

悩みはみんな ブアン(捨てる) サジャ(だけ)

      以上 詩集『インドネシア語と 遊んでみま詩た』より

 

  忘れられていた物たち

 

壁の隙間から差し込む朝日の中で

きらめいていた 埃

 

勝手口から流れ込んできた

お隣りの 夕食の匂い

 

うす暗い部屋の中に

電気の傘でできた円錐形

 

叱られて飛び出して

外から覗いた 雨戸の節穴

 

ほんの偶然に存在していた物たちが

今 きっちりと囲まれた家の中にいる私にささやく

 

戻る事のない 「時」 が

私の中で 重みを増してくる

  影

 

「お母さん 雪って灰色なの?」

不思議そうに 娘は空を見上げる

 

雲の上には 確かに太陽が輝いていて

その光は 厚い雲を通り抜け

なお 地上に降り注いでいるのだ

雪も空からの光で照らされていて

地上の私たちは 雪を下から仰ぎ見るので

雪が灰色に見えるらしい

 

雪が抱えている影は 仄かな灰色だけれど

私の中に積もる時間の影は

生きてきた歳月の長さに比例して

濃さを増している

 

春とともに 影を消すことができる雪と

季節が過ぎ去っても

影を消すことができない私の差は

開く一方だ

 

雪は

今日も迷う事なく 地上を指して落ち

私は

今日も迷いながら 闇の中へ一歩を踏みだす

  生きる

植物は 太陽と水があれば光合成をして

自分で育つ力を持っている

 

動物も 食物と水があれば

自分で生きる力を持っている

 

どちらも太古の昔から

その遺伝子を忠実に伝え

自らの生を まっとうする

 

けれども 動物の中で人類だけは

猿から分かれた時点で

生きるという遺伝子に

別のファクターが 組み込まれた

 

「心」を持つ人類は

食物を取り 水を飲むだけでは生きられない

自分を愛してくれる者がいないと

そして なにより自分自身を愛せないと

生きていけないようだ

 

人間たちが 愛を語りながら

己の能力を自画自賛しているうちに

遺伝子は 脳細胞を増加させた代償に

生命力を弱めるという

もくろみを企てたのではあるまいか

他人を愛することはできても

自分を愛することは難しいと

しみじみ思う今日を 生きる

  インタビュー

 

3人の候補者の中からお選びだそうですが

お相手は 名門のお家柄なんですね?

 

―いいえ

では 資本家でいらっしゃるとか?

―いいえ

 

容姿端麗 頭脳明晰な方なんでしょう?

 

―頭は 良いと思うんです

 よくご馳走してくれますから

 

とおっしゃると

どこが一番お気に召したのでしょう?

 

―はい、喧嘩に強い所でございます

 子どもにも きっとノウハウを

 教えてくれると思いますので

 世の中に出ても 肩身の狭い思いは

 しなくて済むと思います

 そして

 何よりも気に入ったのは

 彼の体臭でございます

 溢れるばかりの 生命力を感じます

 

そう言って

白と灰色の きれいな縞模様の猫の娘は

薄汚れた茶色と白の斑猫に

そっと 鼻を摺り寄せた

  烏の言い分

 

俺が黒く不格好なのは 俺のせいではない

俺の声が耳障りなのも 俺のせいではない

 

何の苦労もなく餌を手に入れられる

ゴミ出しの日に

朝早くから張りきって 何が悪い

 

俺だって 子育てをしなくちゃならないから

ほかの鳥の巣を襲うと 極悪非道と罵られる

無防備に巣を作ったのも

子どもを鳴かせているのも 棚に上げて

俺を 責める

この辺りが田圃や畑で

あの丘が森だった頃は

 

   「カラスが鳴くから かーえろ」

なんて 子どもが歌ってくれたのに

最近は 俺を恐れて上目遣いに見上げ

避けて通ろうとする

 

みんな なんて勝手なんだ

本を調べてみたまえ

 

  〈 頭が良く力持ちで、好き嫌いなくなんでも食べる、

  都会生活向きの野鳥。記憶力に優れ、物事の前後

  関係も解り,クリエイティブな事を思いつく。〉

 

この記憶力をかわれ 先祖の八咫烏は

神武天皇 東征の時

熊野から大和へ道を先導したのだ

 

そして

今や 子育ても順調で一族も増えた

俺たちこそ 時代が生んだ一族だと

そろそろ 認めてくれてもいいんじゃないか

  化学反応考

 

物体が混じり合う時には

融合と 見せかけの混合がある

 

融合とは

化学反応が起きて 元の物質とは

全く違う物質ができあがる状態

見せかけの混合とは

一見混じり合っているように見えるが

それぞれのままで 存在している状態

 

融合を促進させるためには

加熱したり かき混ぜたり 触媒を用いる

見せかけの混合は

どうやってみても 時間がたつと分離する

 

人と人が交じり合うには

個体同士なので 融合しにくいが

恋をして熱を上げたり

第三者が邪魔にはいって 引っ掻き回したり

仲人を立てて 互いの間を調整したりする

うまくいけば

結婚したり 友情が芽生えるが

この結果が

融合か 見せかけの混合なのかは

長い年月をかけないと 結論しにくい

 

さて

夫婦と言う結合体にいたっては

はたからいくら観察してみても

自分の胸にきいてみても

融合しているのか 混合しただけなのか

未だに答えは 導き出せない

 

         以上 詩集『降りしきる常識たち』

  シーソーがゆれて

 

シーソーが揺れている昼下がり

空から紙幣が降る

 

一枚拾いあげ眺めているうち

降りしきる紙幣は

小川を堰きとめ

見る見る大きな

水溜まりをつくる

 

水溜まりに

煌く邑が映る

 

小さなひと

小さな家

小さな畑

小さなしあわせが

シーソーといっしょに揺れる

 

しばらく見ていると

邑は紙幣に埋もれてしまった

 

シーソーはまだ揺れているけれど

いまはもう誰も

邑のことを覚えてはいない

 

水溜まりは湖水になり

邑を底に沈めて溢れ

下流の畑もジャングルも飲み込んで

とうとう流れは

シーソーに向かって

押し寄せてくるようだ

 

         詩誌「交野が原」55号 2003・10・1

  蚯 蚓

 

大きな蚯蚓たちが

東北の大地に潜り込んでからⅨ月

東国の試掘も終え

こんどは蝦夷の国を調べている

 

壊れ始めた列島を

耕しなおす時が きている

 

大地は

水脈も鉱脈も

山脈さえも 削りとられていて

 

ささくれだった大地に

暮らすヒトの血脈も濁り

もはや 言霊を聞く《み・み》も失った

 

《み・み》を持たないヒトには

大地の哀しむ声は 聞こえない

届かない声を

それでも発しながら

散っていく 命たち

 

密かに染み込みつづける

埋められた放射能 化学物質 

そして 武器

 

指令をうけた蚯蚓は

何匹 放たれたのだろう

飲み込んだものを

豊かな大地に浄化するという 蚯蚓は

 

量られるたびに

島は

激しく身震いする

 

この島の 存在価値が

 

         詩誌「交野が原」56号 2004・5・1

 

  赤い星

突然に起きた逆転劇

 

太陽にコロナがかかり

赤い星が近づくとき

狩るものが

狩られ始める

 

気づかれずに侵入したものに

狩るはずの命が 刈り取られていく

侵入したものに野望はなく

大量の食料を前に

ただひたすらの

飽食があるばかり

 

一週間で

ひとつの命を食べ尽し

命の隙間に「種族」はめざましく増殖する

捉まるか

逃げ切るか

 

ゲームは始まってしまった

 

それでも

はるかな眼差しは

いつものように

億万光年のまばたきを

短く長く

静かに繰りかえす

 

大きな命の海でうまれた

ひとつの「種」の命として

侵入者をも見守りつづける 赤い瞳

 

狩られるものは

狩るものと戦うのではない

共に生きる ま・こ・と の知恵に

辿り着くことができるだろうか

 

冬を待つ命がある

 

         「詩と思想」2003年12月号 2003・12・1

 

  闇のなかで

 

錯覚の魅せた闇は

暖かかった

 

あの頃

闇は怖くなかった

 

出たり入ったりする暗がりは

透明にも思われ

わずかに光などもさしこみ

そっと 未来を手探りしていた

 

          それぞれのやみに

        おなじこころをかかえ

          ゆめをみてきたと

            しんじていた

 

このごろ闇は影を抱えて

濁ってしまった

 

記号化した《言葉》たちは

いつしか言霊を征服し

硬いココロを載せて 飛び交う

 

遠くの戦場のだまし絵に

ひとりひとりの戦場は 隠されたまま

記号は通過できない こ・こ・ろ

が ふるえる

 

       きごうをのせたでんぱは

   わたしのしんぞうを とめるから

          どうぞ わたしに

           ちかづかないで

 

手探りしても何もつかめない

真っ暗闇のなかを

巨大化した記号が

前を後ろを右を左を

切り裂いていく

 

         「ERA」3号 2004・9・30

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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田中 眞由美

タナカ マユミ
たなか まゆみ 詩人・植物病理学者 1949年 長野県松本市に生まれる。

掲載作は、「ペン電子文藝館」のために、1991(平成3)年6月花神社刊『インドネシア語と 遊んでみま詩た』、2001(平成13)年11月花神社刊『降りしきる常識たち』及び近作より編成。

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