続・寓話
鳩は翔んだか
「事物と言葉は同じ傷口から血を流す」と
語った詩人は詩の祭壇に祀られて苦笑しているだろう
大鳥居の中だけが白昼の闇に輝くその日
神道の細道に人形祓いの神官は小走り
神殿に柏手を打つモーニングの紳士ら
菊の紋章の神殿に
舞台は戦中に暗転する
境内にヒョットコとオカメが群れて集まり
日の丸の小旗を振り
“ウミユカバミズクカバネ……” を歌い軍服が行進している
この旗に送られ 運命を託して
戦地に征った若者たち
そして多くが空しく死んだ
兵士らは死後も魂を剽窃され 粉飾され 美化され
国家の祭壇へ毎年召集される
国家の欲望の祭壇に生贄として捧げられた多くの兵士らに
平和を誓って翔ばす鳩の大群
臆面もない美しい矛盾と錯誤
空は一斉に白く泡立つ
鳩はどこへ翔んだのか
―果たして鳩だったのか―
生贄であった多くの戦争の死者たちに
もう決して国家の祭壇に生贄を捧げることはしません
と ひたすら許しを請い鎮魂を祈るだけだ
葉書一枚で〈大君に召され〉死者になった兵士らの
かつてジャングルで白骨になった兵隊の一足の軍靴に出会った
一切の粉飾を拒絶する一足の軍靴
今も血を流し続け
多くの言葉を刻み続けている軍靴
靴底は敗走の日々の虚無に抉られ
絶望の足どりの果てに擦り切れた靴の爪先と踵の閲歴
苦悩で歪み傷ついた惨憺たる軍靴の表情
凝視めると息が詰まった
ジャングルの闇に瀕死の戦友の追い縋る手を
その悲痛な声を払いのけ
己の沈黙の闇に封じ込め
今も纏わりついて離れない死者の叫びを
静かに反芻している一足の 無数の 軍靴
国の神殿から遠く
歴史の紛れもない告発者
八月十五日 敗戦の日の
大きな傷口は今も血を流し続けている
白い包帯に血を滲ませた言葉でしか語れない歴史
そこは不毛の荒れ地
徒花だけが乱れ咲いていて
時代の蛇の裂けた赤い舌が鳥籠の鳩を狙う
―翔んだのは鳩だったか―
人形になった娘
IT革命の現場で 娘は
次第に生身のコトバを喪っていく
仕事は新しい保険ソフトの開発
キーボードを叩く指先から無機質な
渇いたモノフォニーは単調な時間を刻み続け
脳を緩慢に弛緩させていき
娘は次第に人形になっていく
茫漠とした疲労感を引きずって
マンションの部屋に帰ってくる深夜
娘は呪縛を解かれたように
闇の向こうから見えないコトバの
糸をケイタイで手繰り寄せる
生のコトバがナンセンスとなって甦る
仕事のことなど一切言わない
明日はどんなファッションにしようか
お昼は何を食べる?
マニキュアはあれがいいよ
玄米食まだ続いている? とか……
肉体のコトバは潤い
表皮まで濡れてくる
次第に流動していくコトバと声
ときには波長の高みに押し上げられて
漏らす笑いは闇を小走る小波となり
鬱屈した心の岸辺の砂の砦を崩し
硬く閉ざした心がゆっくり 開かれていく
しかし 明日は不明だ
パソコン ケイタイ に操られ
フランス人がオルディナトゥールと比喩した神の祭壇に
現代の巫女になって
娘の指先は 日々
IT回路のキーボードの上を跳ぶように舞う
ある日 突然IT革命の回路から弾き出され
終日ベッドに転がったまま虚脱し
キーボートを叩く音が幻聴となつて襲いかかる
女は美しく狂った
遠い昔 アフリカの荒野で女は美しく狂い
五人の赤ん坊を産んだ
二人は芳醇な黒葡萄の…
一人は豊かに稔ったライ麦の…
一人は芳しく匂うレモンの…
一人は高山の頂きに輝く雪の…
……肌を持っていた
やがてアルビノたちは北方へ追われた
形は冷たく異質の色を拒否したのだ
アルビノたちの末裔に刻印された恨み
継承する劣性遺伝を嫌悪し 恐怖し
自我を狂おしく発酵させ 神を呼び寄せ
一神教のパルテノンで帝国の王は吼えるように祈った
聖なる力よ
聖なる刃よ と
十字を切り ウサギの毛を剥ぎ
ニワトリを捻り 豚を殺した
神はとっくに盲いていてなにも見えないから
教徒たちは夕食にパンをちぎり 赤ワインのグラスを傾け 肉を切り分け
抽象の祈りを捧げ 自淫し ときに姦淫し 自戒し
深々とベッドに眠る
太陽の火を独り占めにして
現代の巨人プロメテウスよ
お前の行くところ すべて
賢者の葦は苅られ 荒野は広がり
水は涸れ 泥は乾き
人は大地の奥深く解体され
制度は悲鳴を上げる
死んだ子供は
枯れ色に乾いた身体を風に痙攣させ
炎天の岩肌に寝かされ
巨大な鳥の嘴で葬送される
やがて白く乾いた骨はカラコロと岩を転がり
子供の戯れる声となる
一瞬に消えていく幻聴
女は記憶の底の闇を探り続ける
遠く沈殿していく幻の都市まで
抱いていく子供の小さなまっ白な骨片
魂の形象と信じて
もう匂いもなく記憶だけが漂い
女の遠い瞳の奥で赤ん坊が這い這いをしている
辿り着いた都市は物質の悲鳴で満ちていた
人々は泥と水に還っていて
時間も空間も分離し
瓦礫に限りなく崩落する神の黙示
仮面を剥がれた不発弾が転がり
都市の幻影のパサージュで
女は再び美しく狂い
笑いながら走り寄り
瓦礫の間を這っている赤ん坊を激しく抱き上げる
夏「もの」語り
庭のトマトの葉が焦げている酷暑の白昼夢に
T・S・エリオットの「荒地」の一節が出てくる
Summer suprised us,
comming over the Starnbergersee with a shower of rain.
夏は驟雨を伴って非人称の「物」になって現れる
〈夏は私たちを驚かせた〉と読むと
夏は人称の「者」になって現れてくる これは驚いたと
若い田村隆一はエリオットの世界を彷徨った
一角獣に乗って荒地を駆ける詩人が背後を過ぎっていく
紙に大きく「もの」と書いてみる
「もの」という文字の下から
日常が「個物」になってぞろぞろ出てくる
妻が置いていった買いものメモの食材がずらりと並ぶ
バラ肉 ピーマン キュウリ トマト アユ イチゴ
キクラゲ 茹筍 鶉の卵 蒲鉾 焼きそばメン
夕飯は八宝菜とアユの塩焼き 下拵えをお願い
と見えてくる メモにマグロ大トロと書き足す
メモをポケットに街に買いものに出る
街角では国会議員候補の誰もが改革景気改革景気と叫び
コトバは「もの」の幻想を追って飛び交っている
日常品の「もの」を店先にまで積み重ね欲望を刺激する
獲物を狙う貪欲な「けもの」の群になって
安売り広告の「もの」に群がり 買い漁っている
その凄まじいエネルギーに街は燃え 痙攣し 興奮する
キュウリ ナス トマト どれも詰め放題一袋二百円
冷凍のアユ 詰め放題一袋五百円
主婦がアユを袋に二十匹も詰め込みヤッターと叫んだ
何人家族なんだろう? ちらっと視線をやる
その血走った目が一瞬ためらい 照れ笑う
欲望の鏡に映った限りなく満たされない過剰の滑稽さ
周りの女たちがどっと太陽のように笑う
今日もthe Tamaを渉って驟雨は来そうもない
雨あがりの夕に自前のトマトも添えて冷たいビールをと
庭に三本植えたトマトの苗が人の背丈ほどに伸び
空に羽状の葉を飛翔の形に展げ
数十個の大小の青い実を付けている
そのいくつかが赤く色を染めている
トマトの身体は熱帯原産特有の鋭く青臭い匂いを放射し
私の全身を強い香水になって刺激してくる
裸身になった異種の求愛にたじろぐと
サンバを激しく踊る肌の黒い女の幻影が過ぎった
熱帯となった酷暑の庭に サンバのリズム
心も身体も乱打されサディスティックな快感に興奮し
一角獣の背中で激しく腰を振る太陽の女を引きずり下ろし
赤く熟れ始めた乳房をもぎとる
バベルの塔
ある日突然すべての存在と時間を通り抜けて
翼を持った異質の他者が
繁栄する明るい輝きの中に突入した
瞬時にして二十一世紀のバベルの塔は破壊され崩落した
何千人もの人々の大量の血の流れに染まったというのに
まるで映画の特殊撮影のように
ハイパーリアリティになって映像化されたテロル
映画館を出た途端に物語の中に消え去っていくように
恐怖と怒りの感情は直ぐには来なかった
遠い空間を超えてはリアルタイムの映像も
どんな恐怖も悲しみも怒りも
皮膚を少し緊張させ小波を立てるだけ
やがて様々な言葉と映像がリアルを引き寄せ
私の皮膚は寒々と粟だったのだ
驚愕と悲しみから立ち上がって
人々は狂気のように口々に叫んだ
悪魔が挑戦し破壊した
悪魔に復讐を
神よ 我々を護り給え
我々の復讐にご加護をと
神と悪魔を中世から呼び出し
目には目を 歯には歯を と
現代の十字軍は鉾を高々と上げた
復讐を誓う神への言葉に悪魔は微笑む
かつても今も正義とは異質への憎悪であり
殺戮の力であるのか
神と悪魔は両面の鏡
一面は神を映し 他面は悪魔を映し
人は永らくその両面の無限の距離を往還し
その深い闇を彷徨っていた
人は再び言葉を喪うのだろうか
世界には叫びが飛び交っている
不毛の荒地に黒い罌粟の花が咲いている
美徳ではなく悪徳の力が社会の均衡を保ち
人類に対する本能的背徳性によって
社会の平和と進歩と人類の幸福は獲得される と
マンデヴイルの「蜜蜂の寓話」は語っている
このアイロニカルな逆説の寓意
生きている現代の人間の不毛
愛の不条理は復讐の毒蛇を飼わねばならないのか
家族の寓話
都市は日々欲望を吸収し 肥満し
嘔吐し続け 腐敗していく
過食で厚くなった長い舌を持った多くの
男や女たちが幸福そうに話す
豊かさを追う日々の物語
ベッドで子供に聞かせる童話が唯一の真実で
優しい妻に 素直で頭のいい子供たち
住み心地のよい住宅にマイカーとアウト・ドア用具そしてゴルフバッグ
しかし彼らは誰も気付かない
新しい神の指先で計算され操られている日々
オルディナトゥルとフランス人に名付けられたコンピューター
神に仕える者たちにオルディナシオン(叙階)を授ける者
それはまさに神の復活だった
神と合わせ鏡の悪魔も目を覚ました
悪魔との契約に取って代わった豊かさの約束
を信じこませる消費という神話
IT革命で益々肥大化する巨大な消費社会の
二つの乳房になった消費と政治
偽装に過ぎない自由と主権への幻想の中で
ある日突然のように
妻が一人の女になる
子供が反乱する
閉じ籠もり、暴れ、一匹の野獣になる
繁栄と豊かさは差別や憎悪や暴力をなくす と
そんな幻想で膨らんでいた日常が崩壊する
家族を失った男に
インターネットが闇の中から誘ってくる
〈幸福な家族を作りませんか〉
〈あなたのニーズに合わせた家族を作ります〉
早速申し込んだ男
優しい妻と頭のいい男の子と妹の可愛い女の子
男が失った家族だった
男は自分勝手で威張っていて横暴だ
出ていった妻が言い残した言葉だったが
男は良かった日々の家族の幻想が捨てられない
やがて奇妙な家族ごっこが始まった
夫らしい夫、妻らしい妻、親らしい親、子供らしい子供たち、
らしい家族の らしい日々の らしい幸福
ある日男は街の雑踏を通り過ぎようとしていた
そこにはノンシャランな日常が浮遊していた
目的があるわけじゃない ただなんとなく人混みにいると安心するのだ
〈お父さん、一人でさびしくない?〉
〈もう少しのがまんよあなた、借金を返せるまでよ〉
すれ違いの声に男ははっとして目を遣った
幸福そうに歩いている
らしい家族の妻と見知らぬ男に
あの子供たちが手を引かれている
うさぎになりたかった少女
この国では 死は剥き出しの実体のまま
日常の「もの」になっている
死に関わるすべての寓意は存在しない
あるとすれば 怨念の寓意であり
復讐を誓う部族の憎悪の呪文である
死自体が日常の至る所で実体を露わにしていて
死の意味は言葉の観念を突き破っている
村でも 街でも 人の死は何気なく転がっている
犬や猫…の死骸のように
それでも人々は敬虔な祈りを捧げ
黙々と葬送の列に加わる
そんな国に少女は生まれた
物心のついた日々から
死は常に生の背中に在り
気がついたら表裏が入れ替わっていて
生者は死の顔になっている
少女の父親も市街戦の流れ弾で死んだ
予告されない死 防ぎようもない死
文明のない文化を拒否した死
まさにそれはクラインの瓶の世界だ
ハイパーリアルへと生は一瞬のうちに死へ超越する
だから 少女は父親はいつかきつと還ってくると信じている
それが本当の神の意志だと
美しい少女は白いうさぎになりたかった
跳んで 跳ねて 月光のシャワーを浴びて
月面をオリンピック選手のように跳躍したかった
バレーダンサーのように華麗に踊りたかった
でも住んでいる国は荒廃していた
突然の死者は岩肌に晒され鳥の餌にもなった
白いうさぎはどこにもいなかった
少女は可憐なアネモネの花を壊れた窓辺に活けた
荒廃した村や街にも季節はめぐり
春には小さな生き物たちが生命を紡いだ
破壊された村や町の小さな空き地に虫が這い花が咲いた
それでも白いうさぎはどこからも現れなかった
幻想は次々に破壊されていった
少女は次第に幻滅していった
幻滅の深さだけ 現実は残酷な闇に輝いた
現実が幻滅の私生児だと気づいたのは高校を卒業した後
恋人もでき 新しい希望の光を点した後だった
ある日 少女は突然誰にも告げず自爆テロを決行した
思い詰めた肉体と精神は飛散し
しろいうさぎの幻影となって地上の闇を奔った
デパ地下でワインを…
巧みに操る政治家たちの比喩のことば
それでも面白い一億総翼賛化政治ショウ
(お祭り大好き 踊る阿呆に 踊らぬ阿呆 踊らなあそんそん)
(外野席の観衆は手を振りかざし 足踏みならし やんやの喝采)
しかしどこにも思想がない
肉体のないことばが浮遊している
紙芝居のようなワイドショウにもいささか飽きて
チャンネルを切り
明るい音域に誘われ街の賑わいに出ていく
そこは多様な音の渦巻く位相空間で
ことばはばらばらな音になってすれ違い
得体の知れない異物のように
ケイタイのレトリックが飛び交い
語り合う主体も他者も
亡霊になって隣り合っているが
嗅ぎあう体臭がない
そんな空間の岸辺を歩いていくと
突然 ポケットのケイタイが曲を鳴らした
ねえ うなぎよ……
辛うじて意味を伝えてくる短縮文
限りなく合図になっていくことばに指示され
岸辺の洞窟からデパ地下に降りていく
騒然とことばが肉体になって飛び交っている
うなぎの蒲焼き 中国産太身二串六百円
静岡産細身小型一匹八百円
ためらわず中国産を……味は言うほどには違わない
ねぎ 中国産三本百円
日本産一本百円
これも迷わずセーフガードの嫌みを拒む
現実の比喩であることばや
映像で語られるイメージも
ときには欲望の鏡に揺れているイリュゥジョンになる
可愛いお嬢さんがワインの試飲を勧める
いかがですか どうぞ
率直な笑みを寄せてくる
笑顔に誘われ 続けて二杯 辛口のボルドーの赤
おばさんの無理強いする隘路はなく
爽やかな罠に他愛もなく捕らえられる
(料理は鰹のフランス風たたきそれにブルーチーズと決めて……)
デパ地下から白昼の岸辺へ這い上がっていく
肉体を乖離し空っぽになったことばが
意味のない音になり白い光に散乱している街の
人通りの多い交差点
選挙間近い政治家が拳を振り上げ絶叫している
大衆の前で巧妙に比喩のことばを叩き付けているが
大道芸人の芸にもとても及ばず
ことばから比喩の衣が剥がされていく
彼 ら
思い思いにケイタイを耳に当て周りと話し合っている彼ら
ぶつぶつに千切れた言葉
浮遊している言葉
彼らは街角にたむろしている若者たちだ
彼らに聞いてみた
「ケイタイ掛けながら話するんだ」
「それでよく意味が通じ合うね」
「意味?」
「何 それ?」
「言葉の意味だよ」
「意味なんか必要ねえよ」
「言葉なんかすぐ消えちゃって」
「舌にざらつかない」
「耳にざらつかない」
「すぐ通り過ぎていくやつがいいんだ」
「意味って言葉の触感さ」
言葉より彼らには親しげな濃密な触感
皮膚が感応しあう刺激の快さ
肉体が感応しあう交信の心地よさ
言葉は刺激を誘因する物に過ぎないのだ
お互いを亡霊化するケイタイは現代の魔術
彼らはいつでもどこでも
鳥のように 自由に飛び回り
亡霊になってケイタイの周りに集まる
虚構と事実の混じり合う空間が彼らの現実なんだ
決して外部に出ていかない彼らの言葉
仲間内で自足している言葉
とすれば彼らは詩人かもしれない
彼らはニヒルストではない
アナキストではない
単にパラサイトでもない
自由という観念の鏡面に溺れ
亡霊化するナルシシストなのだ
刺激と触感で反応する鳥なのだ
鳥語を交信している亡霊達
鳥語を思い思いに喋っている彼ら
あるとき仲間のひとりが
バイク事故で高速道路から時のゲートを超えていった
喪われた湖底の幻郷に彼はひっそりと影を置いた
こうして彼はもう一つの現実に還った
そこではもう言葉は浮遊しない
言葉から自由になった彼
やはり詩人だったのだ
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2002/12/25
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