満願
これは、いまから、四年まへの話である。私が伊豆の三島の知合ひのうちの二階で一夏を暮し、ロマネスクといふ小説を書いてゐたころの話である。或る夜、酔ひながら自転車に乗り、まちを走つて、怪我をした。右足のくるぶしの上のはうを裂いた。
その夜から私たちは仲良くなつた。お医者は、文学よりも哲学を好んだ。私もそのはうを語るのが、気が楽で、話がはずんだ。お医者の世界観は、原始二元論ともいふべきもので、世の中の有様をすべて善玉悪玉の合戦と見て、なかなか歯切れがよかつた。私は愛といふ単一神を信じたく内心つとめてゐたのであるが、それでもお医者の善玉悪玉の説を聞くと、うつたうしい胸のうちが、一味爽涼を覚えるのだ。たとへば、宵の私の訪問をもてなすのに、ただちに奥さんにビイルを命ずるお医者自身は善玉であり、今宵はビイルでなくブリッヂ(トランプ遊戯の一種)いたしませう、と笑ひながら提議する奥さんこそは悪玉である、といふお医者の例証には、私も素直に賛成した。奥さんは、小がらの、おたふくがほであつたが、色が白く上品であつた。子供はなかつたが、奥さんの弟で沼津の商業学校にかよつてゐるおとなしい少年がひとり、二階にゐた。
お医者の家では、五種類の新聞をとつてゐたので、私はそれを読ませてもらひにほとんど毎朝、散歩の途中に立ち寄つて、三十分か一時間お邪魔した。裏口からまはつて、座敷の縁側に腰をかけ、奥さんの持つて来る冷い麦茶を飲みながら、風に吹かれてぱらぱら騒ぐ新聞を片手でしつかり押へつけて読むのであるが、縁側から
「奥さま、もうすこしのご辛抱ですよ。」と大声で
お医者の奥さんが、或るとき私に、そのわけを語つて聞かせた。小学校の先生の奥さまで、先生は、三年まへに肺をわるくし、このごろずんずんよくなつた。お医者は一所懸命で、その若い奥さまに、いまがだいじのところと、固く禁じた。奥さまは言ひつけを守つた。それでも、ときどき、なんだか、ふびんに伺ふことがある。お医者は、その
八月のをはり、私は美しいものを見た。朝、お医者の家の縁側で新聞を読んでゐると、私の傍に横坐りに坐つてゐた奥さんが、
「ああ、うれしさうね。」と小声でそつと囁いた。
ふと顔をあげると、すぐ眼のまへの小道を、簡単服を着た清潔な姿が、さつさつと飛ぶやうにして歩いていつた。白いパラソルをくるくるつとまはした。
「けさ、おゆるしが出たのよ。」奥さんは、また、囁く。
三年、と一口にいつても、──胸が一ぱいになつた。年つき経つほど、私には、あの女性の姿が美しく思はれる。あれは、お医者の奥さんのさしがねかも知れない。
──昭和十三年九月──
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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