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汝の母を!

 クズ屋であり、精神修行の初心者である私が、コンクリート建築の裏側、人通りのない細路、空地の樹陰で最近、熱中している研究テーマは「汝の母を!」である。上海語では、ツオ・リ・マアである。どんな漢字か私は知らない。マアだけはわかる。ママ、万国語共通の母親の意味であろう。

 魯迅先生には「他媽的(タアマアデ)! について」という一篇のエッセイがある。岩波版の最新刊の「魯迅選集」を、二十日とたたないのに、もう私に払いさげてくれた「読書人」がいる。学問ずきのクズ屋にとって、東京ほど便利な文化都市はない。「他媽的(タアマアデ)!」という、ものすごい罵倒の名文句は、このまま訳すと「お前さんの母親を!」とか「てめえの御ふくろを!」となるらしい。

 魯迅先生の(げん)によれば、他媽的! は、中国特有の「国罵」とも称すべき、(卑劣ではあるが)偉大なる発明らしい。汝の母を性的に犯してやるぞ! あまり他国に例を見ないが、ロシア文学(帝政時代の)を読みあさったあげく、先生は一箇所だけ、その実例を発見したそうだ。ドイツ語訳でよむと、その珍奇なロシア語は「おれはお前のおふくろを使ってやったぞ」となっているそうだ。日本語訳では「お前のおふくろはおれのメス犬だ」となっているそうだ。「使ってやったぞ」も「メス犬だ」も、誤訳ではなかろうが、何ともまわりくどくて、面と向って血を吐きかけるような苛烈さが失われている。他媽的! はたった三字で、広大無辺な、呪いと怒りを表現し得ているではないか。

 罵りの効果が発揮されるのは、相手を感覚的に不愉快にさせる点にある。どんな鈍い奴でも「たまらねえ!」と叫び出したくなるまで、不愉快にしてやらなくちゃならない。眼も口も、耳の(あな)も鼻の孔も、孔という孔を濡れぞうきんで蓋をされたように、厭で厭でたまらなくさせるのが目的である。

 何回となく異民族に占領され、支配されつづけてきた漢人には、悪口を投げつけるべき相手が無数にあったにちがいない。しかもそれらの相手、つまり敵なるものは、占領し支配する強者であるからして、あたりまえの悪口では、蚊にさされたほどにも感じない。苦心に苦心を重ね、悪口のどろんこの中から、もっとも悪臭をはなち、もっとも悪味と毒気のこもった奴を選りすぐって、結晶させたものである。(悪口は結局のところ、口さきだけの不徹底な行為であって、この戦術だけにたよろうとする被支配者は、支配者に鼻であしらわれる結果になるにせよ、苦しまぎれの当人にとっては、何もしないより、多少とも胸のすく企てであったのだろうと想像される。)

 私自身は、聴くのも言うのも、悪口はきらいである。悪口を吐くのが下手であるためかもしれない。ただし、どんな悪口を言われても平気というわけではない。むしろ敏感すぎるぐらい、悪口に感じ入る方であるから、嫌いというより、むしろ怖れるのである。憎しみをこめて「汝の母を!」と、まっ正面から怒鳴られたら、一週間ぐらい、そのため自分の顔がゆがんで、もとへもどらないような気分におち入るだろう。

 不思議なことに、中国大陸の戦地生活、まる二年のあいだ、ずいぶん方々うろつき歩いたのに、面と向って「タア・マア・デ」や「ツオ・リ・マア」を浴びせかけられた記憶がない。銃を手にした人相のわるい日本兵に、武器なしの中国民衆、(ことに老婆や女子供)が、この国罵を投げつけるのは、危険きわまりない冒険だ。したがって彼らはおそらく、我々日本兵士に聴こえない場所で、ひっきりなしにこの罵言を撒きちらしていたにちがいない。そして侵略者の血統、敵の生存の根源を性的に汚してやりたいほど、はげしい憤怒の念を唾といっしょに、地面や壁に吐きつけたことだろう。

 戦地の七月、麦畑のつらなる田舎町で、一つの奇妙な想い出がある。駅に近い井戸まで、飲料水を汲みに行くのに、白く乾きはてた長い一本路が、熱気でゆらめいていた記憶がある。(わら)ぶきの天井からは、紫色のサソリが落ちてくる。水牛や馬の屍臭が、どこにでもみちているから、風下では食事もとれない。数里四方には、青い野菜が一葉も残っていなかった。住民も家畜も、生物はすべて消え失せて、あるのは暑熱と(ほこり)、それに兵士たちのだらけた殺気ばかりだった。

 泥壁の二階屋が街道の両側に、ひっそりと並ぶだけの、その無人の町に、三回ほど火災が起きた。町はずれにマッチ工揚があった。そのため、兵士たちはマッチだけは、不自由しないですんだ。それも原因の一つだったかもしれぬ。しかし、火薬倉庫と、軍用橋の付近、二つとも重要な地点から、夜間と白昼、つづいて火を発してから、密偵の放火だという予想が生まれた。

 兵士たちは、誰が火つけしようと、どうせ自分たちの損害にならないから、気にとめない。ただ厄介なのは消火作業に、かり出されることだ。発火現場の周囲の民家を、たたきこわして延焼をふせぐのである。これが闇夜、流れてくる煙や焔の下では、一軒ひき倒すのも、なかなかめんどうだった。手順よくやらぬと、屋根からころげおち、柱や壁の下敷になる。ぶ器用な私などは、指の爪のあいだに、一寸五分ほどのトゲを刺し、頬や首の皮をすりむいた。

 だいたいが、敵襲などありそうにない、のっぺりと平たい地帯だった。歩兵のかわりに、我ら輜重兵が守備している。輜重兵も、未教育の補充兵だから、臨時やといの用心棒ほどの実力もない。火災のおかげで、歩哨任務が倍加したから、みんな不平たらたらである。三八式の安全装置も掛けわすれて、仲間どうし暴発にヒヤヒヤする、このような歩哨に、逮捕される密偵など、あるはずがない。

 ところが、まっぴるま男女二人が、つかまった。四十代の婦人と、二十代の青年。二人とも明らかに農民で、色あせた藍衣(らんい)を身につけている。強がった兵士が乱暴に押し倒したらしく、綿衣も頭髪も、鼻のあたまも、キナコをまぶしたように、土埃で白くまみれている。「自分たちは百姓で、村人がマッチ不足で困っているから、マッチを拾いに来た」と申しのべる。隊長も下士官も、まず「百姓だ」という申立を信用できなかった。顔つきが、二人とも上品すぎたのである。百姓だって、上品な容貌の男女はいくらでもいる。ことに、中部や南部の農民には、とても農民とはおもえない(これが、そもそもまちがいのもとなのだが)清楚な眼鼻だちの男女が多い。潜入して来た、大胆なやり口が、ただものでない。これが、隊長の第二の判断だった。だが、もともと自分たちの品物である洋火(マッチ)を、自分たちの故郷に取りにもどるのは、それほど非常手段や、冒険とは思わなかったのかもしれない。隊長に言わせれば、マッチが便衣(べんい)隊の武器に見えるし、彼らにとっては、日常の必需品にすぎなかったかもしれない。 

「どんな殺し方をするだろうか」と、兵士は隊長の英断を待っている。殺さないでおくという、もう一つの予感など、誰ひとりうかべる者はいない。ともかく太陽光線がむやみにギラギラして、あたりは埃くさく、また汗くさい。空気はおそろしく乾燥して、どこの家の屋根や炊事場から、いつ火を噴き出しても、もっともと思われるほどの暑さだった。

 赤ん坊を生んで、まだ三日とたっていない母親を強姦した、後備の上等兵も、ニヤニヤして見物している。若い現役兵や補充兵にくらべ、中年の予後備兵の悪人ぶりは、まことに見事なものなのだ。若い兵士、とくに独身のインテリとなると、いくら好色でも限度がある。「性」を神聖とまで思わないにしろ、どこかに潔癖がのこっている。ところが後備で成績のわるい、士官、下士官となったら、強がり出したら何をしでかすかわからない。腕力や度胸のすぐれた、若い兵士を統御するために、必要以上にわるぶるのが常識だった。

 隊長は、内地の農村で役場の書記をしていた、すこぶる気の小さい男だった。兵站(へいたん)本部や、前線部隊に呼びつけられては、いつもこっぴどく叱りつけられる。とても、うまい殺し方など案出するだけ、気転のきく人物ではなかった。「オ、お前たちは一体、ナ、なにものか!」と隊長はどもりながら叫んだ。あんまり興奮しすぎて、声は咽喉もとでつかえ、口ばかりタコのように突き出していた。

「これは私の母親であり、私は彼女の息子である」と、若者は指を使って説明した。垢ぬけした母親は蒼白になって、下うつむいている。彼女は、息子の答弁を聴いただけで、恐しげに、かつ恥ずかしげに肩をひくつかせた。その捕われの母は、日本兵の眼に、申し分なく(と言うより、むしろあまりにも)女らしく見えたのだった。

「誰かが、彼女を強姦するのだろうか」と、私は思った。「するかな。したがってる奴がいるな。しかし、息子がいるのに、まさかやれないだろう。それに、したがってる奴が多すぎるから、かえってやりにくいかな。ともかく、やらないにしても、ただ鉄砲射って殺すなんて、そんな簡単にはすむまいな。全く、めったにないチャンスなんだから」

 多くの若い兵士は、私と同様、みんな自分自身が血なまぐさい死刑執行人であったり、ありたがったりするとは思いつめていないし、ただ見物人、立会人としてその場にのぞんでいたのだ。

 二人の異国人が、母と子であると知ったとき、例の強姦好きの上等兵は、気味のわるい、よほど悪に熟達した悪魔でも、うっかりすると忘れているような笑いで、健康そのものの赤い頬の肉をゆるめたのだった。

「ダメだよな、隊長の奴、キンタマがちぢかんじまってるじゃないの」と、彼は私にささやきかけた。(彼はどう言うものか、私が好きだったのだ)「厭じゃありませんの。オダオダしちまって。あんた、俺とても面白い考えがあんだけど、相談にのってくんない」

 私が毛虫でも払いおとすように首を振ると「そうか、あんたもダメね。インテリだから」と、軽蔑したように言った。彼は隊長の所へ、すばらしくしっかりした足どりで、隊一ばんの長身をはこんで行った。そして、しかめ面の隊長の耳に、愉快でたまらないようにささやきかけた。隊長は、放心してバカみたいになった、くそまじめな顔つきでうなずいた。

「ダ、誰か。この二人にサイコサイコさせろ。面白いんだぞ。誰か早く、ソ、その二人にサイコさせろ。とても面白いんだぞ」と、彼は、面白いどころでない悲痛な声で命令した。

「よし、おらがサイコやらしてやるべえ」と、隊でもっとも無能な、炭焼出身の兵がすすみ出た。「よし、おらも」と、隊員の品物を平気でぬすむ、人夫出身の兵もすすみ出た。そして、まだ他の五、六人が母子をとりかこんだ。銃剣を突きつけて、褲子(ズボン)をぬげと二人をおびやかした。後の光景を、私は目撃しなかった。全然見なかったわけではないが、ほとんど見なかった。耳には仲間の騒ぎ声が聴こえているから、事態の進行は厭でもわかってくる。「命令にしたがえば、許してくれるのか。釈放してくれるのか」と、若者はたずねたらしい。隊長が「やったら、許してやる。許してやるから、やれと言ってやれ」と、ヒステリックに叫んでいる。

 ぐるりと人垣をつくった兵士たちは、蛙をふみつぶしたり、猫の子を溝へ投げ入れたりする、子供のいたずら気分で、我慢してムリにやる面白味を楽しんでいたにちがいない。どんな乱暴な部隊でも、真に悪魔的な男など、三、四人いるかいないかである。

「ダメだな。男の方は。冷汗たらして、ふるえてやがる。これじゃ、いつまでたっても、ラチがあかない」と、上等兵の声がきこえた。「女の方はあきらめがいいな。寝ころがってるよ」

「うまくいくもんじゃねえ。なあ、おふくろだぜ。ほんとにひどいよう。やれって言う方がムリだべよ」自作農出身の二等兵は、困り切ったようにつぶやいた。

 太陽はあいかわらず、照りつけているが、あたりがうす暗くなるようで、かなり長い時間がゆっくり経過したように思われた。実演させられる母子二人を襲っている、恐怖と屈辱の念が、兵士たちにものりうつってきた。カーキ色の人垣は、妙にしずまりかえっている。「ツオ・リ・マア!」と、うんざりした上等兵がののしった。「だらしねえな。俺がかわりにやってやろうか」この無知な肉屋さんが「ツオ・リ・マア」の真の意味を知っているはずはなかった。一番ひどい悪口だとは、知っていたのだろう。彼はただ「バカヤロウ」を、支那語でしゃべったつもりなのだ。

 ある程度、兵士たちが満足する結果に終ったらしかった。やがて、その親子は、放火犯人として焼きころされた。

 あれからもう十五年、兵士からクズ屋に転身した私は「汝の母を!」の研究者になるまで、この事件をことこまかに想起したことがない。わずかに今日に到って、あの二人の犠牲者の、あのような状態に於ての心理を、推量してみるのみだ。彼ら二人は、なぜ日本兵に向って「ツオ・リ・マア」と、憎悪のののしりを吐きかけなかったのか。彼らが勇敢な遊撃隊のメンバーではなくて、平凡な農民だったからだろうか。かりに彼らが遊撃隊員だったとする。いずれにせよ、母は息子の命を、息子は母の命をたすけたかったにちがいない。何より、あの瞬間、二人はたがいに、そう想いあっていたであろう。任務を遂行するためには、あらゆる障害を突破して生きぬかねばならない。そう判断して、敢てあの行為をやったのであろうか。だが、彼らがもし遊撃隊員だったとすれば、逮捕した者をすぐ殺害する、日本兵のやり口を知悉していたはずだ。もしそうだとしたら、なぜ、決定した死を前にひかえて、あのやりにくい行為をやる必要があったろうか。して見ると、彼らはたんに、途方にくれた哀れな農民だったのかもしれぬ。それにしても彼ら二人は、あの上等兵の口から吐き出された「ツオ・リ・マア!]を、明らかに聴いたはずだ。あのとき、二人して聴いたはずだ。それを聴いた瞬間の二人の胸中を推察すると、冷たいものと熱いものが、私の背すじにもぐりこみ、走りぬける。彼ら母子にこそ、日本兵の祖先代々の母たちを、汚してやる権利があったのではないか。それだのに二人は、その日本兵の一人に「汝の母を!」と罵られ、かつ自分たちが文字どおり、それを敵の眼前で実行せねばならなかったのだ。どうしてこんな、皮肉な逆転が起ったのだろうか。焼けつく烈日の下で、下半身を裸にして、埃にまみれながら、二人の内心にとり交わされた、誰にも(彼ら二人自身にさえ)聴きとれない会話は、果して「天のテープレコーダー」「神のレーダー」に、どのように記録されたのだろうか。

 その母「わが肉の肉、骨の骨なるわが息子よ。今、私たちは、おそろしい闇の中へ、身を沈めようとしている。すべての人の道、人の教え、人の救いが顔をそむけずにいられない、永久に浄められることのない闇の底へ、ころげこもうとしている」

 その子「なぜお前たちは死をえらばなかったのか、と人人は、敵も味方も、私たちに問いかけるだろう。その問いとさげすみに、私たちは答えることができない。もしも私たちが、あなたは私を殺させないために、私はあなたを殺させないために、この身ぶるいするほどなまぐさい闇の方を選んだのだ、と答えたならば、人々は眼を怒らせ、耳をおおい、地だんだをふみ、声をそろえて叫び出すだろう。『お前たちは、お互いに、生かしあったのではないぞ。お互いに殺しあったのだぞ。もっとも醜いやり方で、互いに殺しあったのだぞ。銃や槍や短刀で何百回となく殺しあうより、もっとひどく、互いの肉と心を振りかざして殺しあったのだぞ』と。人々のこの叫びに、はむかうことのできる者など、いるはずはない。あなたの夫、私の父も、人々と共に、そう叫ぶだろう」

 母「ああ、お前の父、私の夫、私たちにとって忘れることのできぬ一人の男の名を想い出させて下さるな」                   

 子「ああ、しかし、今の今ほど、あの男が私の身ぢかにいたことはない。今ほど、父の肉が私を押しつつんだことはない。わが子よ、お前に母があるかぎり、お前には父があるのだぞと『彼』が、私の肉の中で、無数の虫となって叫んでいる」

 母「ああ、すべてが敵の悪、戦争の悪のせいだと言い切れるのだったら、どんなにいいことだろう」

 子「母よ。私は、私たちをとりかこみ、私たちを見おろしている、これらの敵たちを憎む。彼らを生かしておく、地上のおきての、寛大さを憎む。あなたを眺めまわしている彼らの眼が、敵の眼であるばかりでなく、男の眼であることが堪えがたいのだ。早く、あなたの裸を隠して下さい。どこか遠いところ、私の眼がとどかない、どこか遠いところへ」

 母「もう、それができないのだよ。私たちをとりかこんでいる無恥な男たちが、私たちの裸を隠させなくしてしまったからばかりではないよ。私たち自身の無恥が、私たちの裸を隠させなくしたのだよ」

 子「あなたは、無恥ではない。あなたはただ私に、恥ずかしめられただけなのだ」

 母「では、お前が無恥だとでも言うの。私は、お前を無恥な男だと思いたくないよ」

 子「だまって下さい、黙って。あなたの声までが、まるでちがった、別の女の声のようにきこえる。私の汚れが、あなたの声まで汚してしまったのだ」

 母「だまることはできないよ。いや、私たちは、黙ってはいけないのだ」

 子「誰が、私たちのことばなど、聴きたがるだろうか。母でなくなった母の声など、子でなくなった私でさえ、もう聴きたくはないのに」

 母「お待ち。聴きたがらないから、言わなければならないのだよ。あ、誰だろう。今、ツオ・リ・マア! と罵ったのは、お前かい?」

 子「……私が? 私には、もう罵る時間は、すぎ去ってしまっている」

 母「ああ、では、あの顔の赤い、背の高い兵士が、私たちをツオ・リ・マアと罵ったのだね。ツオ・リ・マアと、あの荒々しい男が。他人(ひと)を殺しても殺しても自分だけは無事に生きのこっていそうなあの男が、私たちを罵ったのだ。私たちが生れてからこのかた、いつも使いなれているあの罵言(ののしり)だ。お前、聴いたかい」

 子「あのののしりを、かつて発明した奴は、私たちのために、もう一つ別のののしりを発明するにきまっている」

 母「こんなに爆発するようにとどろいて、あのののしりが、私の耳にきこえたことはない」

 子「あなたの耳にではない。あなたの肉にきこえたのだ」

 母「そうだよ。その通りだよ。ああ、だがもしかしたら、今のののしりは、私の肉よりお前の肉に、もっと手ひどくひびいたかもしれない」

 子「そうだ。あなたは私が嘔吐したくなるほど、私の感覚をよく知ってしまったのだな。息子に汚された女より、マアを犯した息子の方が、あのののしりにふさわしいのだ」

 母[私とお前とを、ひきはなそうとするのは止めにしておくれ。あのののしりが、黒い綱で、私たち二人をしっかりと結びつけてくれているのに」

 子「結びつくという言葉など、今すぐ消えてなくなってくれ!」

 母「ああ、私の眼が見えなくなる」

 子「その方が、あなたのためにいいのだ」

 母「私の耳がきこえなくなる」

 子「これ以上、何かききたいのですか」

 母「私から離れてはいけない。私を放さないで」

 子「あなたは、まだ母であろうとして、女であろうとして、もがくつもりなのか」

 母「私にはもう、お前のほかに何も残ってはいないのだよ」

 子「私は、あなたの肉でありたくない」

 母「お前は今こそ、私の肉の肉、私の骨の骨だよ。今こそ、お前は私から離れ去ることができないのだ」

 子(母にも敵にも、生きとし生ける者すべてに絶対に聴きとれないような奇怪な声で、ツオ・リ・マア! と叫ぶ)「今のののしりは、一体誰が叫んだのだろうか。私の敵がだろうか。それとも私の父がだろうか。誰かが、どこかで、あの罵りを叫んだのだ。私が叫んだのではない。私には、あれを叫ぶことは、もはや許されない。しかし、誰かが、どこかで、あれを叫んでくれたのだ。いや、まだ叫んではくれなかったかもしれない。しかし、いつか、あれを叫んでくれるのだ。いつか誰かが、どこかで叫んでくれる声が、今かすかに、私の肉にきこえてきたのだ……」

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2008/07/31

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武田 泰淳

タケダ タイジュン
たけだ たいじゅん 小説家 1912・2・12~1976・10・5 東京本郷生まれ。 旧制浦和高校に入学するもほとんど授業に出ず、図書館で『紅楼夢』、魯迅、胡適らの著作に親しみ、この頃より左翼運動に加わる。東京帝国大学支那文学科にすすみ、昭和9年、魯迅の弟周作人の来日の際、同級の竹内好らが歓迎会を企画したのを機に、中国文学研究会を作る。この間も検挙拘留が繰り返されるが、運動者としての自己は断念する。昭和12年召集され輜重補充兵として中支に派遣される。上等兵で除隊となり、昭和19年上海に渡り、当地で敗戦をむかえ帰国。敗戦体験をもとに「審判」「蝮のすゑ」を発表、小説評論に健筆を振い、戦後文学の代表的作家として活躍した。『司馬遷』『富士』『ひかりごけ』などがある。

掲載作は「新潮」(昭和31年8月号)初出。「武田泰淳全集第5巻」(筑摩書房刊)より収録。

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