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濁流

  1

 炊事場の椅子に腰掛けて、クァンはぼんやり水を見ていた。家の裏が湖になった。向こう岸もかすんで見えない水のひろがりだ。水は同じ場所にたゆたっているようで、浮かんだ塵芥は少しずつ移動しているからやはり川だ。こんなに水が出たのは何十年振りか、いやここに住み出してから初めてのような気もする。

 二日前、「ばあちゃん、大変だ!」という孫娘のティエンの声に起こされて下に来てみると、炊事場まで川の水が押し寄せていた。雨季は終わりかけていたのに、十日も雨が続いていて川は増水していた。

「気をつけないと危ないぞ」

「水に流されるな」

 と言い合いながらも、なにも具体的な手立てはない。早く雨が上がってくれるか、上流の堤防がしっかり流れを守ってくれるかを祈るしかない。

 水が裏庭をも浸しそうで、丹精した植木や花のことを心配しながら寝所に入った。鉢植えだけは取りあえず台所まで上げておいた。

 夜中に雨が大降りになった。どおっという地響きを聞いたような気もする。ティエンの叫びで階段を下りた時には炊事場の板戸を倒して水が寄せていた。長男夫婦や同居している三男がなにかを喚いている。

「あれぇ」と声を上げてふらつくクァンをティエンが抱き止めた。

「家の中までくるかな」

「あんた、家具を二階に上げなければ」

 息子たちに嫁も手を貸して目ぼしい道具を運び始めた。

「ばあちゃん、そっちに座っとれ」

 長男に叱咤されて、ティエンが祖母を表の部屋の椅子に座らせた。

 ベトナム国中部の町ホイアンのチャンフー通りあたりは、最近古い町並みとして世界遺産に登録されたので、管理する者は気を遣う。この家の一階には値打のある家具が置いてある。中国製の机や椅子、箪笥、小物など、年代物の螺鈿製品が多い。水に浸けるわけにはいかないのである。若い者が苦労して家具を運ぶ度に階段がきしんで苦しそうな悲鳴を上げる。いたんでいる家屋に行政が保存のために手を入れてくれた。フランスや日本の援助が大きかったと聞いている。

 十六世紀から十七世紀にかけてこの地は貿易港として栄え、日本からも朱印船と言われた貿易船がよくやってきた。日本人町も作られ最盛期には千人以上の日本人が住んでいた。鎖国政策が取られるようになって日本人町は衰退し、代わりに中国の華僑が住み出したので、町並みには中国南部の名残りがある。しかし古いままの日本形態も残され、日本風に中国風が混じった家屋が何軒か散在している。

 クァンの家の階段はまさしく日本家屋のものだと、訪れて来る日本人が言う。上り口から手すりの具合、踊り場など、日本の古い家そのままだそうである。

 幸い雨はそれ以上激しくならず、水は居間の方には浸水せずにすんだ。雨が上がって川の水量も減り始め二日経つと炊事場からも水が引いた。置いてあった物はすべて流されている。クァンが庭から上げた花の鉢は一つだけ柱に引っかかって残っていたがあとは全滅だった。姿を見せた床は板張りなのでたっぷり水を吸って変色している。陽に当たって乾くまでは物も置けない。若い者たちは流された炊事道具を揃えなければ、と外へ出て行った。晴天が続くことを祈りながらクァンは椅子をそっと置いて空の具合を眺め、膨大な流れに見入っていたのである。

 上流からは色々な物が流れてくる。壊れた家の木片やがらくた、衣類や靴、野菜屑などの生活品、そのあとからは材木が二本ぶつかりながらやってきた。流れは川の真ん中あたりは結構激しそうで、材木は渦に巻き込まれ縦になって水中に沈んだと思うとまた浮き上がり勢いよく走って行った。しばらくしてちぎれたともづなを引き摺った空のボートがゆらゆらと流れてきた。眼の前を行く舟を見つめていると、クァンの身体まで共に揺らいだ。

 何度かの船に揺られた感触がクァンの中に蘇る。恋人のタック・ラムと故郷を捨てた時、そうあれは十七歳の時だった。なにもかも記憶が薄れた大昔だが、不安に怯えながらタックにしがみつき、船室の薄い底板から上ってくる水の揺らぎに身を任せていた感触は覚えている。ブンタウまで貨物船に便乗し、そこから漁師の船に乗せてもらってサイゴンに着いた。サイゴンでは必死に二人で働いた。仕入れた雑貨を地方の町に運ぶために小舟でメコン河を遡ったことがある。海にも見紛う壮大な大河にクァンは眼を見張った。小舟を操るには技量が要った。タックは先輩の船頭にならって懸命に櫂を操った。波に乗って小舟は大きく揺れ、クァンは船べりにしがみつき、片手で商品を覆ったシートの端を握り締めていた。川上の部落に生活用品を下ろして下る時はさらにスリルに満ちていた。空になった船は軽快に川面を滑り、波に乗って上下した。櫂を置いた船頭やタックは奇声を上げ、恐がるクァンを面白がった。クァンの身体に大河の濁流の響きが直かに伝わってきた。

 もうひとつの記憶は強烈なものであった。

 メコン河の広大なうねりの上で船員のフランス人に強姦された。昼の労働に疲れ果てて眠りこけている時、のしかかってくるものの重さに目を覚ますと、上にあるのは男の肉体だった。大男の下でクァンのか細い身体は動きようがなかった。満潮時になって河に波が立っていたのか、船は大きく揺れ、クァンの身体も船の揺れに従ってきしんだ。船底に押し付けられた背中に水の冷たさを感じ、川の声を聞いた。夫のタックが解放軍に参加して戦線に去ってから二年経っていた。水の底に沈んでいくような感覚の中で夫に縋りつこうとしたが、その顔は定かでなかった。故郷ホイアンを捨ててから十五年後、三十歳の時だった。

  2

 1930年代フランス領だったベトナムで、北西にある王宮の町フェと共にホイアンも今ほどではないが観光の町だった。クァンの父はフランス人が経営する小さなホテルでコックをしていた。代々フェ伝統の王宮料理人の血を引いた父親は腕自慢の頑固者だった。母親も同じホテルで土産物の売店を出して働いていた。クァンは小さい時から両親の居るホテルに出入りし、邪魔をするでない、と叱られながら隅っこで一人遊びをしていたものだった。

 たまに日本人の客が泊まると、母親は思い出したように「私にはジャポネの血が流れているんだ」と言い出した。三百年前にはホイアンに日本人が住んでいたから、その血が綿々と続いていても不思議ではない。中国人と交わり、ベトナム人と交配して薄められた血でも日本人の血に間違いはない。その時分ベトナムまでやって来る日本人は役所の高官か一般人なら金持が多かった。羽振りのいい日本人を見ると、母親のジャポネの血はことさら騒ぐようであった。

 ということは、私にも同じ血が流れているのか、とクァンは思うようになった。あの母親から生まれていれば、父親がベトナム人でも何十分の一、何百分の一かは日本人の血であることになる。不思議だった。同じアジアにあるのに、日本という国はベトナム人にとって憧れの国であった。政治的にも規律正しく治められ、文化は発達し教育も行き届いて国民は賢明で行儀がよい。クァンはホテルの経営者の好意で地元のミッションスクールに通うことが出来たから、ある程度の知識を得ていた。ジャポネの血が混じっているということは、純粋のベトナム人よりも中国人との混血よりも、或いは格段いいことなのかもしれないと思うこともあったのである。

 ホテルのキッチンにはクァンの父親に料理を習いたいという若者がよくやって来て、タック・ラムもその中の一人であった。タックの筋の良さと性格を見込んだ父親が気を入れて指導して彼はめきめきと腕を上げていた。利発そうな眼を輝かせ、しまった身体を機敏に動かして働くタックに、クァンは好意を持つようになった。

 学校の初等科を終わったあとは、クァンも売店で母親を手伝って働いた。暇な時クァンはよくキッチンを覗きに行った。父親のもとに三人のコック見習が居たが、タックは彼等を統率して父親を助けていた。クァンは隅っこに蹲って、二人の下働きにてきぱき命令しているタックに見とれていた。タックは時々丸い眼をくるりと動かしてクァンに合図を送るのだった。

 クァンがまだ小さい頃は二人でふざけ合ったり、町のお祭りに出かけるのを気に止めなかった父親は、クァンが十五歳にもなるとキッチンに出入りするのを禁止した。父親が気にするほどクァンはすらりと姿の美しい魅力的な少女に成長していた。小作りな顔にそう大きくないがきらりと光る眼とこじんまりした鼻が愛くるしい。笑うと片頬に笑窪が出来た。

 行動を規制されると却って二人はお互いを意識するようになり、父親に隠れて会うようになった。

 父親は時にフェの王宮料理店に頼まれて手伝いに行くことがあった。フランス本国から来賓が訪れた時など人手不足になるのである。父親が留守になると二人の会う機会が増える。ホテルの客が少ない時はキッチンの仕事も暇になるので、二人はよく来来橋のたもとで待ち合わせた。トゥボン川の支流にかかる來来橋は屋根付きの太鼓橋で、観光客の見所になっている。十六世紀の末に日本人が造ったので「日本橋」とも言われる。この橋を境に日本人町と中国人町に分かれたらしい。

 クァンの母親は泊まり客をよくこの場所に案内して、そのいわくを説明している。客が日本人の時には、

「私も日本人の血を引いています」

 と付け加えるのを忘れない。客は驚いてしげしげと母親を眺め、橋の両側にある犬と猿の像を祀った祠を見て、

「これはいかにも日本的だ」

 と感心するのであった。

 二人は來来橋を渡って町のはずれの方へ歩いた。ベトナム人の貧しい民家が並ぶ町筋には殆ど人通りもなかった。しばらく行くと教会がある。フランス人はキリスト教の布教に熱心で、ホイアンのような小さな町にも教会が二つ建っていた。左に折れる小道を下って川岸に出た二人は木陰を見つけて腰を下ろした。昼下がりは陽差しが厳しく、陽が落ちたあとには蚊が群がったが、二人にとってそんなことはどうでもよかった。

 職場の同僚やホテルの支配人の噂話、覚えたての料理の話などが尽きると、タックは自分の生い立ちを話して聞かせた。タックの実家はダナンの郊外の町で雑貨店を営んでいた。三男だったタックは十五歳で家を出てダナン市のレストランで働いた。下働きのあと、料理を少し覚えたが、本格的に伝統料理を勉強しようと思いクァンの父親の噂を聞いてホイアンへやって来た。

「おれのじいさんの親はフランス人なんだ」

 と言い出したタックにクァンが驚くと、

「そんなこと珍しくないぜ」

 とタックは小石を拾って川面に投げながら言った。そう言えばそうである。今はベトナム国として国境があるが、ひと昔前は東のラオス、カンボジア、タイと一国だったこともあって様々な人種が入り混じっている。その上北に国境を接する中国からは中国人がどんどん入ってきて、中国支配の時代も長かったのである。十八世紀から十九世紀にかけてはフランスが進出してきて植民地とした。原地人は中国人と交わり、時にはフランス人の血も混じって混沌としている。

「その上、母方のばあさんは中国人なんだ、とするとおれはなに人?」

 とタックはクァンのそばに戻ってきて座ると、クァンの顔を覗き込んだ。

「私にも日本人の血が混じっているし、パパの先祖には中国人が居るっていうし—」

 とクァンは困った顔をした。そんなクァンを抱き寄せてタックは接吻した。

「おれ達の子供が出来たら、なに人?」

 と囁くタックにクァンは頬を染めてその胸に顔を埋めた。

 ある夜、同じように川辺で逢引して帰ると、フェでの仕事が早く終わって戻ってきた父親が待ち構えていた。

「おい、仕事をさぼってなにをしていた!」

 タックの襟首を掴まえて引き据えようとする父親にクァンがしがみ付いて止めた。

「おまえはもうここに来なくていい。家に居ろ。帰れ!」

 クァンを突き放してから、父親はタックを殴り付けた。

「まだ半人前のくせして女といちゃいちゃするな。クァンはおまえにはやらんぞ」

 単に男親の嫉妬だったかもしれない。頑固な職人である父親はそう言い出したらきかなかった。母親もホテルの支配人も二人が一緒になったらいい後継ぎが出来るではないかと彼を説得したが無駄だった。

 その日からタックはホイアンを出ることを考え始めたのだが、一年の間は辛抱して働くことにした。シェフの言うままに黙々と仕事をして金を貯めた。クァンと会えなかったわけではなかった。父親が留守になることはあったし、母親の方は二人に同情していたから時に密かに逢引をした。タックの計画を聞いたクァンも家で内職をして資金を作った。この地方では昔からレース編みが盛んで、女性の特技を活かした風景画の壁掛けやベッドカバーや小物が土産物用に作られていた。ホテルに行けなくなったクァンは部屋に籠もってレース編みに励んだ。手間賃はわずかだったがタックとの将来を思い画いていると辛くはなかった。

 雨季が明け、聖誕祭を告げる教会の鐘が出来たての信者を集め、年が明けて少ししてから、タックは計画を実行することをクァンに告げた。クァンは十七歳、タックは二十三歳になっていた。南部の都会、サイゴンに海路で行くことに決めていて、船の手配を進めていた。クァンは母親にだけは家を出ることを話した。

「そうなの。せめて上元節はすませてからにしたら」

 陰暦一月十五日の上元節には近所の寺か神社に参拝する慣わしがあった。

 頑固な夫に手を焼いていた母親はクァンの意志に反対はしなかったが、行く先が余りに遠方なのには悲しそうな顔をした。

「サイゴンではすぐに帰ってこられないね。とうちゃんも淋しいんだ。弱気になったら知らせるからね、戻ってくるんだよ」

 売店の上がりの金をこっそり持たせて母親は涙ぐんだ。

 東海岸の港に寄りながらメコン河の河口ブンタウまで行く貨物船に乗船を頼んでいた。二人は示し合わせて夜明けに船に乗り込んだ。やがて出航してホイアンの町が遠くなる時には二人共さすがに胸が詰まって手を握り合っていた。タックは港に着く度に荷の上げ下ろしを手伝った。それが乗せてもらう条件になっていて、船の中でもなにかと雑用を言いつけられて働いていた。船員たちとだんだん顔なじみになるとクァンは炊事場で洗い物を手伝った。昼間はすることがない。レース編み一式を持ち込んでいたが、手許が揺れてすぐに疲れる。船員の食事作りを手伝っている方が気が晴れた。

「ねえちゃんが居ると助かるなあ」

「女っ気があると明るくていいや」

 船乗りたちはクァンを珍しがってちやほやしてくれた。

 日中は陽射しがきつくて外に出られない。陽が沈んでから甲板に出て外の空気を吸った。回りは眼の届く限り海原で、船尾に白波を残しながら船はゆっくり進んで行く。海鳥が頭をかすめて飛び、海面すれすれまで降りてからまた空に舞い上がる。私はこれからどこに行くのだろう、どうなるのだろう。船の進む方向を見つめても何も見えない。藍色のちりめん波に吸い込まれそうでクァンは思わずタックの名を呼んだ。

 夜は船底の部屋でタックと抱き合って眠った。薄い敷物の下は一枚板で、その下には深い海底がある。水がすぐそばに感じられた。波を感じ、揺れを感じ、うとうとしながら海の底に漂い沈んで行く夢を見た。

 港に寄る度に時間を取るので、ブンタウに着くまで二十日もかかった。ブンタウで小さな荷物船に乗り換えて川を遡った。

 サイゴンは大都会だった。十八世紀末から次第に東南アジアに進出してきたフランスはグェン朝を滅ぼしてベトナム、カンボジアを植民地にした。フランス政府はベトナムの地方支配者階級を起用してベトナム人を分裂させた。農民はひどい搾取を受けて半奴隷の立場に陥った。第一次世界大戦後はホー・チ・ミンが現れてベトナムの解放を目指して蜂起したが弾圧された。そのような情勢の中で南部の都市サイゴンはフランス治世の中心地でもあり、貧しい人々が集ってくる商業都市でもあった。

 タックは当てなしに出てきたわけではなかった。ダナンのレストランに居た頃のコックの一人がサイゴンのホテルの厨房に勤めていたのである。町に入るとすぐタックはそのホテルを訪ねたが、仕事中だということで夜まで待たされた。

 船を下りてホテルの場所を聞き歩く間、クァンは町の賑やかさに驚いていた。どこから出てくるのだろうと思うほどの人が通りを歩いていた。天秤棒を担いだ物売りも多い。野菜や果物、匂いのきつい魚類を籠に載せて売り声を上げている。道の両側にも露店が出来て殆ど半裸の人々がその前に群がっていた。子供が地べたにしゃがんでもっと小さな子の守りをしている。赤子は道端の水たまりを叩き飛沫を上げて遊んでいた。

 商店にはあらゆる品物が並んでいた。衣類や雑貨、農機具、色とりどりの布地が下がっている店の前ではフランス人らしい親子連れが品定めをしていた。西洋人の子供の可愛らしさにクァンは思わず見とれた。

 シクロが人をかき分けて走ってくる。覆いの掛かった座席では身なりのいい西洋人の男が胸を張ってあたりを睥睨していた。ホイアンでもシクロは走っていたが、数では比べ物にならなかった。

 きょろきょろ回りを見回してつい足の止まるクァンの手を引いてタックも未知の土地に緊張している様子であった。ホテルの脇の路地で待たされている間、腹がすいたのでタックが屋台の出ている道まで走って揚げパンを買ってきた。

「フォーが食べたいな」

 さっきの子供たちのように、下水の流れる建物の陰にしゃがんでぱさぱさのパンを齧りながらタックが言った。フォーはたっぷりの汁に小蝦や野菜が入った麺でベトナム人の主食であった。

 友人が出てきたのは日が暮れ、夜も更けてからであった。

「悪かったな。今日来るとは思わなかったので」

 船旅に日数がかかって到着日の予定を過ぎていた。

「上の方がきつくてな、自由がきかないんだ。とにかくどこかへ入ろう」

 繁華街に出てフォーの出る屋台に座ると友人はクァンをじろじろ見て、

「いい嫁さんを貰ったな」

 とタックをからかった。

「しかしどうするんだ。住む所もないんだろ。無茶な奴だ。女連れではおれの部屋に泊めるわけにもいかない。仕事の話はつけておいた。だがダナンの時のように料理をするってわけにはいかないぞ。掃除やゴミ出しっていう下働きだ」

 当座の生活費は僅かだが用意していたから友人に安宿を教えてもらった。仕事にありつけただけありがたかった。なんでもやる覚悟は出来ていた。

「私はまたレース編みをするわ。どこか買ってくれる店を探して」

 煩雑な町には驚いたが、それだけに何にも縛られない自由があって、クァンはタックとの生活の未来に夢を抱いた。

「先ず部屋を探そうな」

 仕事の合間にタックは二人の住む部屋探しを始めた。

  3

 第二次世界大戦の初期、フランスがナチスドイツに破れて国威が落ちた。「大東亜共栄圏」のスローガンを掲げた日本がその隙にベトナムに進駐してきた。1941年には太平洋戦争が始まり、日本軍のベトナム支配が強まる。四年後日本がアメリカに無条件降伏すると、ハノイで共産党が蜂起し八月革命が起こりグェン朝は完全に崩壊した。ポツダム宣言では日本軍の武装解除を、北部では中国が南部ではイギリスが行うことになっていたが、九月になるとイギリスが手を貸してフランスの再侵略が始まった。北部は共産党、南部はフランス支配の南北分裂時代が始まる。

 タックはホテルの近くに安い部屋を見つけてきて二人の新所帯が始まった。丁度太平洋戦争が始まる前、日本軍が進駐してきた時期であった。サイゴンではフランスの支配の方が強かったが、日本の軍人の姿もちらほら見られた。

 クァンは新しい生活の何もかもが珍しく楽しかった。タックが労働に疲れて帰ってくる夜更けまで夕食を待って二人でビールを飲み手料理を食べる。それからたまには共同浴場と言っても水浴びだけが出来る場所に行って汗を流した。貧しい部屋にはシャワーの設備がなかったのである。疲労のために眠たがるタックにしがみ付いて愛を求めるクァンはホイアンに居た時とは別人のように大胆で奔放だった。

 ホテルは交替制で休みがあり、タックはその休みの日を利用して別の仕事をした。ホテル出入りの商人の紹介で、サイゴンで仕入れた雑貨をメコン河上流の町に届ける仕事である。船を持って運送屋のような商売をする男が居たが、川を漕ぎ上らなければならず、一人では手に負えないのであった。大した手間賃にはならなかったが、早くシャワーや広いキッチンのついた部屋に住みたかったので少しでも多く稼ぎたかった。

 船に乗る日にはクァンも付いて行った。荷を小分けしたり村の家に運んだりする時に役立つのであった。クァンが働くと賃金にも少し色をつけてくれた。ミトーという町まで車で行ってメコン河を初めて見た時は海ではないかと驚いた。故郷のトウボン川には比べものにならない。渦巻いて流れる黄土色の河は波立っていて、対岸も見えない。

「ここを漕いで上るのかい?」

 タックが声を上げた。船はと見れば屋根こそ掛かっているが十メートルにも満たない小さなものである。

「大丈夫なの?」

 クァンはタックに擦り寄って囁いた。

「へいちゃらだ」

 四十年配の男は泰然としている。

 荷物を積んで船べり近くまで沈んだ船に二人は恐る恐る乗り込んだ。船頭は器用に櫂を操り、タックも見様見真似で漕いだ。クァンが飛沫を避けて屋根の下に入り荷物にしがみついていると、タックが踏ん張る足元だけが見えた。覗くと河面が目線近くにある。土色の波が次々に押し寄せ今にも船べりを越えて船内に寄せてきそうで、クァンは思わず眼をつむる。だが船はうまく波に乗って遡った。上って沈みまた上る。船に馴れているクァンでも揺れの激しさに酔いそうになり船底に腰を据えて必死に耐えた。波を上る時、河の水がクァンの尻を押し上げ、下がる時は尻から河の中に引き込まれた。水の勢いを肌に感じて河は生きているのだと思った。

 遡るにつれて河幅が狭くなって対岸も見えるのか、

「あっ猿が居る」

「あの大きい鳥はなんだ」

 と船頭とタックが大声で叫んでいるのが聞こえる。クァンはこわごわ覆いから頭を出して周囲を眺めた。

「見ろよ。森がきれいだぞ」

 タックが言った。

 初めの半分ほどの幅になった河の向こうに原生林がひろがり、岸辺には椰子が生えて何があるのか茶色の瓦屋根の楼門が見えた。流れが穏やかになって揺れも少なくなっている。クァンは屋根の下からにじり出て船べりに寄った。行く手には流れが蛇行して続いていた。

「先ずあそこに下ろす」

 船頭が棹の先で示した。そこには砂利が盛り上がって小舟が一艘打ち上げてあり、少し上の岸辺に小屋が建っていた。品物を受け取りに来たのか、人の影が見える。船頭は器用に棹を操ってその岸に船を付けた。

「ほら、おまえの番だ」

 タックに促されてクァンは仕分けしてあった荷の一つを持って岸に上がった。受け取りに下りて来た男と船頭がなにかを交渉した。タックは漕ぐのに疲れたのか、屋根の下に身体を入れて伸びていた。

「あと何ヶ所寄るのか」

 船に戻ってきた船頭に精気のない声で聞いている。

「あと、二ヶ所。ほらもうひと息頑張らんか」

 船頭に叱咤されてタックは再び櫂を持った。五百メートルほど先に一度、さらに上流にもう一回荷を下ろしてその日の仕事は終わった。

 荷がなくなって軽くなった帰りの下りは快適だった。船を流れに乗せて舵を取るだけでいい。舵取りは船頭に任せてタックとクァンは船べりの両側に座って景色を眺めていた。

「あれは何?」

 ジャングルを思わせる森を背に水際にねじれてからみつく木々がある。

「マングローブだ」

 と船頭が答えた。

 ホイアンも水の町だったが、南部のサイゴンは気温も高く中部の町とはかなり違っていた。湿気が多いのは同じだが、なにせ暑い。冷房のない部屋ではいくら扇風機を回しても追いつかない。サイゴンでの暮らしは自由で良かったが、暑さにだけは二人とも参っていた。川風の涼しさはアパート暮らしの二人には何よりだった。

 河べりはまるでジャングルでホイアンでは見られない景色である。水の中から細い幹を伸ばして頭でっかちに葉が茂るマングローブという植物も初めて見た。上流の岸辺には湿地帯も広がっているという。時々板のような小舟とすれ違った。野菜や果物を積み二本の櫂を交差させて漕いでいる。まるで軽業のような手際の漕ぎ方を感心して眺めた。

「ここの岸辺で暮らす人よ。船の上で暮らしている者も居る」

 船頭ものんびり舵を遊ばせながら説明した。

 下流に入るにつれて両岸が遠ざかり水量の増えた河に船は波に乗って漂い始めた。

「しっかり掴まっとれよ」

 船頭が真剣に舵を握って言う。

 二人は船べりに片手を掛け、片方の手を握り合った。黄土色の濁流に身を任せて流されていると、不思議な恍惚感があった。風の具合か、特別大きな波が来て船が浮き上がった。思わずクァンはタックにしがみつき、船が坂を滑り落ちるのを、タックの胸の中で感じていた。河という大きな生き物の手の上で翻弄されている。いつ転覆してもおかしくないのに、ここまでくると恐怖はなかった。波を乗り越えて船が平衡に戻ると二人は顔を見合わせて嘆息をもらしたが、心の中は歓喜に満ちていた。

「危なかったな」

 タックが船頭に言うと、

「わしの腕を見くびるな。これしきの波、どうっていうことないさ。この商売何年やってると思ってる」

 船頭は舵を離して両腕を上げ、振りながら答えた。

 ミトーの港に帰り着き、船頭の車に乗せてもらってサイゴンの部屋に戻っても、夜通し身体は波に揺られていた。

  4

 タックはホテルの厨房で真面目に働き、だんだんに認められて簡単な料理なら任されるようになっていた。クァンの父親が言っていたように料理人としての筋は良かったのである。休みの日には相変わらずクァンと一緒にメコン河の荷物運びをやった。二人共この仕事が気に入っていた。日頃のごみごみした下町暮らしから解放されて爽快な気分になれたのである。

 クァンも刺繍とレース編みの仕事を続けた。さすがにサイゴンには西洋人の客が多く、刺繍やレース編みの製品は土産物として珍重されたし、風景を編み込んだ刺繍画はフランス本国にも輸出されていた。根をつめて数をこなすと結構な副収入になった。

 サイゴンに移ってきて六年が過ぎた。その年明け頃からタックの帰りが不規則になった。客商売のことだから急に仕事が入ることもあるのだが、夜遅くなるのが続いたりした。休みのはずの日にも朝から出掛けて行く。そのためにメコン河の荷運びをあわてて断ることもあった。クァンは変に思いながらも、友人との付き合いとか、他のレストランでの手伝いとか弁解するタックの言葉をそのまま信じていた。彼がベトナム北部から次第に浸透してきた「ベトナム独立同盟会」の運動にのめりこんでいるなど思いもしなかったのである。

 フランスと日本の二重搾取に苦しんでいたベトナム民衆を救おうと、1940年頃から「ベトナム青年革命同志会」を前身とする共産党が地下にもぐって活動していた。第二次世界大戦後、グェン朝が崩壊して南北分裂時代に入ると、北部を統率するホ—・チ・ミンはフランス植民地主義に反対して南部へも働きかけ、南部でもフランス軍への抵抗が強まった。1946年十一月フランス軍と抵抗軍との間に第一次インドシナ戦争が始まる。

 ホテルへの就職を世話してくれた友人が地下にもぐっていた共産党の党員であった。タックは友人に影響されて次第に社会情勢に目覚めていった。長い間の植民地政策によるベトナム民衆の半奴隷生活、フランス総統府がベトナム政府の旧官僚や地方支配者階級を取り込んでベトナム人を分裂させている仕組み、そのために農民や漁民はひどい搾取に苦しんでいる事実などをタックは知り、自身も愛国心に駆り立てられていった。

 仲間と共に抵抗軍の戦闘に参加するという日、タックは初めてクァンに事情を打ち明けた。アパ—トの一室で内職の刺繍に明け暮れていたクァンには理解出来ない話であった。サイゴンはホ—・チ・ミン政府のあるハノイから遠く隔たっていたので、まだフランス統治下のもとで安全だったのである。

「なんであんたがそんな所に行くの」

 他人ごとのように尋ねるクァンにタックの差し迫った気持をわからせることは難しかった。

「ベトナムを救うために行かなければならないんだ。俺たちがもっといい暮らしをするために戦わなければならないんだ」

「あんたが行ってしまったら私はどうするの」

「ここで待っていてくれ。すぐに戻ってくる」

 タックは何枚かの紙幣をクァンの手に握らせた。小遣いを節約して貯めた金と抵抗軍に加わるための資金として友人から渡された金の一部であった。

「おまえの刺繍やレース編みの収入と合わせたらしばらく暮らせるだろう」

 呆然と紙幣を握りしめたクァンは、初めて事態の深刻さを認識したようであった。

「いやだ。行かないで」

 自分の叫び声がさらに悲しみをかきたてた。

「いや、いや。私を置いて行かないで」

 クァンは喚き、泣きながらタックにしがみ付いた。抱き止めたタックの胸もかきむしられる。しかし国家を救おうという正義感に駆り立てられているその時のタックには女の悲しみは小さなものにしか思えなかった。

 タックが出て行ったあとクァンは二、三日ぼんやりと過ごした。テ—ブルの上に刺繍の材料をひろげたまま椅子に座ったきり動けない。クァンにとっては突然襲ってきた出来事だけに自分の中で整理出来ない。ホイアンから出てきて四年経ってどうにか生活も軌道に乗り、タックが一人前のコックになるのを待って、子供も出来て家も買って、とクァンなりに将来を画いていたのであった。それはのちのベトナム共和国が生まれてくる未来とだぶっているのだが、その経緯にタックのような若者の力を必要としていることにクァンは気付けない。

 サイゴンの町にも少しずつ変化が起きていた。日本の降伏後、南部にはイギリス軍も入ってきて西洋人が多くなった。イギリスの支援を受けたフランスが力を回復して北部への再侵略を始め、町筋をフランスの軍人が闊歩した。抵抗軍に走る若者も増えたのか、町の人々の表情も険しくなんとなく浮き足立っている。

 日が経ってクァンの手が機械的に動き始めた。長年やってきた仕事なのでクァンの思考に関係なく手が意志を持ってひとりでに動いた。手元から白いレ—ス編みが流れ出る。時に寸法が合わなくなったり編目を間違ったのにあとで気付いて全部ほどいたりした。外に出ないで部屋に籠もって働くと、製品が机の上に溢れた。

 半月ほど経った頃、クァンが製品を納めていた商店の女店主が訪ねてきた。

「あれまあ、溜まってるじゃないの。ちっとも顔を見せないから来てみたんだけど」

 テーブルに積んである製品を点検したあと、店主はクァンの顔を見て目を丸くした。

「あんた、どうしたの。そんなに痩せて。病気とちがうの」

 どうしても腹がすいた時は手当たり次第に食物を口に入れたものの、食べたくない時には食べなかった。身体を動かす気にもならず殆ど座ったきりで手だけを動かしていたのであった。店主が驚くほど面がわりしていたらしい。

「どうかした?旦那になにかあった?」

 乱雑に汚れっぱなしの部屋の中を見回しながら店主が聞いた。クァンは重い口を開いてタックが革命軍とやらに行ってしまったことを話した。

「そうかい、あんたんとこもねぇ。若いもんは熱に浮かされたように走って行く。フーンのとこの亭主もだ。子供を三人抱えて泣いてたよ」

 店主は土産物店の売り子をしている女の名を上げた。

「戦さに行ってどうなるっていうんだ。死にに行くようなもんさ」

 死という言葉を聞いてクァンの身体がびくっと震えた。戦争というものの現実が身に迫ってくる。

「あんた一人で生きていくとしたら、ちゃんと食べないと駄目だよ。病気にでもなったらどうしようもない。とにかく出来た分は貰っていくけど店にも出ておいでよ。材料もなくってるじゃないか」

 店主は出来上がった製品を袋に詰め、そう言い置いて帰って行った。

 他人に会って喋り、取り残されたのは自分一人ではないと知ったことで、クァンは少し元気付けられた。店主はあんなことを言ったけれどタックが死ぬわけがない。戻るまでここで待っていなければならない。タックなしには生きられないのだから。そう思って規則正しい生活を心がけるようにして、クァンの神経もだんだん正常になっていった。

 店にも出かけて店主や店員と話をし、材料を仕入れ、食糧を買い、また何日か籠もってレースや刺繍の製品を作り、店に納めに行く。そのくり返しで一年、二年と過ぎて行った。タックは帰らず、その消息を知るすべもなかった。

 南北は分裂したまま長い年月が経っていた。ホ—・チ・ミン政権を認めないフランス軍は初めこそ優勢だったが、次第にフランス本国の経済が破綻をきたし、そのために休戦を提案した。北ベトナムがこれを受け入れないのでフランスはベトナム軍の拠点である山岳地区を攻撃し、逆に大損害を被った。

 1950年になると中国とソ連がベトナム民主共和国を承認した。しかしアメリカはフランス側に立ち、バオダイ-ベトナム国を応援する。ベトナム民主共和国を激しく攻撃して打撃を受けたフランス軍はアメリカの力を頼るようになった。

 タックはどこの解放軍に属して祖国のために戦っているのか、同じように夫や恋人の所在がわからない女たちが周りに居たが、バオダイ政権下にあるサイゴンでは大きな声で不幸を話し合うことも許されなかった。

 部屋に籠もることに飽いた時、クァンはミトー方面に行く車に便乗してメコン河を眺めに行った。タックと二人でメコン河を遡り、下った時の爽快感が忘れられなかった。今でも荷運びの船はあったが、クァン一人では仕事にならない。船着場を避けて人の居ない川岸に座りぼんやり流れを見ていた。黄土色の水は変わらず岸に押し寄せ波を立てて戻って行く。波を見つめその行方を追っているとクァンの身体までが揺れてくる。河は北に向かって遡る。上って行ったらタックの居る所に辿り着くだろうか。いや、この河は北上するとすぐにベトナムを出て隣のカンボジアという国を流れてくるのだといつかの船頭が言っていたから、それは駄目だろう。河下の方を見やった。先へ行けば行くほど河幅はひろがり波が荒くなるぞ、と船頭が言っていた。流れつく先は南シナ海だ。ホイアンからの船旅を思い出す。河を下り海に出て北上すればタックの居る所に行き着くかもしれない。船旅を想像してクァンの身体は水の流れを感じた。

 何度目かに川岸に来た時だった。船着場の近くでばったり一緒に仕事をした船頭に会った。

「おう、どうしていた」

 船頭はなつかしそうにクァンに声を掛けた。

「一人か?亭主はどうした。あれっきりお見限りだからどうしたのかと思っていた」

 仕方なくクァンが事情を説明すると、船頭はへぇと溜息をつき、

「この頃よく聞く話さ」

 と言った。

 クァンはこの河が好きなので、もう一度船に乗せてもらえないかと言ってみた。

「乗せてやるぐらいはいいが、わしの船に乗ってもなににもならんだろ。おまえ一人では漕ぎ方にもならんし」

 しばらく哀れむようにクァンに目を当てていた船頭が言った。

「そうだ、いい話がある。おまえ金にも困ってるんだろう。ニャチャンという港からブンタウを通り、メコンを上ってプノンペンまで行く貨物船があるんだが、そこで賄いの女を探していた。なんでも今は男が少なくて、一人滅法船には強い婆さんを雇っているらしいが、手不足でもう一人欲しいそうだ。乗ってみるか。俺が話をつけてやる」

 ニャチャンもブンタウもホイアンからの船旅の途中立ち寄った港だった。

「俺の小舟の時とは違って河も長くて広いぞ」

 いつも荷物を下ろしていた岸から上流はどうなっているんだろう、と眺めたものだった。メコン河ははるかヒマラヤ山脈から流れ出る川がいくつか合流したものだという。プノンペンはそう遠くない上流にあるが、そこまでの河の景色も見てみたかった。

 迷いながらもクァンは頷いていた。

「そうか、やってみるか。そしたら三日後にもう一度ここに来てみろ。話を聞いておく」

 戻り道でクァンは思い惑っていた。大きな船の賄いが勤まるだろうか。未知の人たち、おそらく荒くれ男の船乗りたちの間でやっていけるか、不安が湧きあがったが、サイゴンの部屋での一人暮らしに耐えられなくなっていたクァンには逃げ道が欲しかった。いつタックが戻るのかという焦りは他の場所で身体を動かさなければ治まりそうになかった。一往復の航海だけ試してみよう。出来そうになかったらやめたらいいんだ。タックがサイゴンに戻ってきた時のためにあの部屋はそのままにしておかなければならないし、刺繍の仕事はひと休みさせてもらうように店の主人に頼んでおこう。そう心に決めるとクァンは違う生活を夢想してその夜は久し振りにぐっすり眠った。

 三日後にミトーの船着場に行った。少し待つと船頭が現れて、話はオッケーだと言った。

「その船があさってヴィンロンという所に着く。わしの船でヴィンロンまで送って行くから手荷物だけ持ってあさっての朝ここに来い」

 話がどんどん進んで行く。河に魅せられたクァンにはメコンの流れが意志を持ってクァンを招いているように思えた。

 アパートの部屋を整理して身の回りの品だけを持ちタックに置き手紙を書いた。商店の女店主に事情を話すと、

「あんた、そんな船に乗って大丈夫なの」

 と心配したが、クァンの真剣な表情にそれ以上は追求しなかった。

 なつかしい船頭の船でヴィンロンという港まで漕ぎ上った。そこに碇泊していた船は中位の汽船で、ニャチャンまで来た荷物を途中の港でも積み下ろしをしながらプノンペンまで運ぶのが仕事だという。船頭に連れられて船に乗り船長に会った。目の前に座っているのがフランス人だったのに驚いた。よく考えれば驚くことはないのだった。大きな船の船主は大方フランス人だし、乗組員もフランス人が多い。クァンを見た船長は「おお」と声を上げてフランス語でなにかを言った。それから、

「若い人が来てくれて嬉しいね。何も心配することはないよ」

 と少し訛りのあるべトナム語を発した。

 フェイ婆さんと呼ばれる年寄りが炊事場で船員の食事を作っていて、クァンは皿洗いや掃除を手伝わされた。

「おまえさんが来てくれて助かったよ。この頃は仕事が応えてね」

 どれぐらいの歳になるのだろう、顔中皺だらけにしては足腰が達者そうな婆さんが休憩の茶を飲みながら言った。

「昔はな、船に女は乗せないもんだった。ところが最近は男は皆戦さに行ってしまって船に乗り手がない。殊にフランス人の船は嫌われてる。おかげでわしのような者でも役に立つってわけよ。あんたも男に置いてかれた組かい」

 婆さんはクァンの顔をしげしげと見て、難儀なことやのう、と呟いた。

 手隙になるとクァンは甲板に出て河を眺めた。船はヴィンロンからプノンペン向けて上っていた。小舟に乗っていた時に較べたら川幅はずっと広かった。黄土色の水が滔滔と流れるのに身を任せていると気持が大きくなる。空が晴れていれば尚のことだった。太陽が照りつけるのを物陰に避けて、飽くことなく空を眺め河に見入った。川岸の森が近付き遠ざかって、やがて何も見えなくなる。水鳥が水面をかすめてクァンの眼の前まで来るとまた飛び上がった。その行く手を追うと青い空を背景に仲間の鳥と戯れ合っている。中の一羽が舞い降りてくちばしを水に入れると川魚を啄ばんだ。水面には色々な物が流れてくる。塵芥も野菜屑も岸で折れたのか果実を付けた木の枝も波に揉まれながら通り過ぎて行く。汽船はエンジンの音を立てながら易々と波をかき分けて進んだ。

 クァンは水と空に囲まれて、ホイアンでのいきさつもサイゴンに出てからの苦労も昔のことのように遠のくのを感じていた。

 甲板を通って行く船員が不思議そうに座り込んでいるクァンを見ている。船員は五、六人でフランス人とベトナム人が半々ぐらいのようだった。クァンにはどの顔も区別がつかず同じように見えた。機関室の方からいつもクァンを眺めている男に気付いていたが、一人で悠久の時を持っているクァンは気にしなかった。もうすぐプノンペンに着くという日、その男が近付いてきて声を掛けた。

「河が好きだね」

 見上げると白人で恰幅のいい大男だった。

「俺も好きだ。特にこのメコンはいいね。もうすぐプノンペンに着くが、下る時流れに乗って走るのはもっと気分がいいよ。その気分を味わうために俺は船から足を洗えないでいる」

 男はクァンが返事をしないのも気にならない風で機関室に戻って行った。

 船がプノンペンに着いた。カンボジア王国の首都であったプノンペンはメコン河、トンレサップ河、バサック河の三つが交わって発達したインドシナのオアシスと言われる美しい町だ。ベトナムと共にフランス領だが、第二次大戦後はシアヌーク国王が独立を目指してフランスと交渉していたがなかなか果たせず、サイゴンと同様きな臭い状態にあった。

 荷を下ろしている間、クァンは相変わらず甲板からあたりを見物していた。波止場には大小の船が停泊して活気づいている。荷を担いで運びながらなにか叫んでいる男たちの声が聞こえる。眼に入る限り川筋に整然と建物が並ぶ大都会に見えた。

「ここはいい町だよ」

 いつの間にかフェイ婆さんが隣に立っていた。

「わしはここに住んでいたことがあるんだ」

 クァンは婆さんの顔の深い皺を間近かに目にして、しんみり話し出す婆さんに驚いていた。調理場で一緒に働いていても婆さんはめったに喋らなかった。背中は丸くなっていたが料理の腕は確かで、船員の三度の食事を手際よく作っていた。クァンはもっぱら火の番やあと片付けで、材料の下拵えにも手を出させてもらえなかった。調理場の隣の倉庫のような部屋の壁にベッドが二つ仕切ってあって、夜はそこで眠った。一緒に寝床に入っても婆さんは話をするというわけでもない。クァンにしても別に喋ることはなかった。昼の労働に疲れて横になればすぐに寝入った。夜中に婆さんが起き出して椅子に掛け、きせる煙草を吸っているのを朦朧とした意識の底で見ることはあったが、またすぐに眠りに引き込まれた。

「亭主は船乗りだったがな、わしは波止場のすぐ傍の食堂で働いていた。ほうら、あそこら辺よ。ここからも見えるぐらいだ」

 婆さんが指さしてみせたが、クァンにはどの建物も同じように見えてどこのことかわからない。

「若かったなあ。まだ王様の時代でな、のんびりしたもんだった。今は独立とか、革命とか騒々しいことじゃ。どっちにしても大した違いはないのにの。それにしてもなつかしいわ、この町」

 婆さんは眼を細めて町並みに眺め入った。長い年月の辛苦を越えて彼女には若かった時の思い出だけが蘇っているのかもしれなかった。

「亭主はどこかの港で下りたまま戻ってこなかった。きっと女だ。わしは陸の仕事もなくなってこうして船に拾って貰ったがの、子供もないしいつどうなってもいい身の上じゃ。死んだら川に放ってくれって船長には言うてるのよ」

 クァンに向けられた婆さんの落ち窪んだ眼の底に人生を終わりかけた諦めと悲哀が澱んでいるようだった。

 積荷を下ろし、新しい荷を積んで船は帰りの水路を走り始めた。下りのせいか心持ち速度も加わったような気がする。一日中、船は快調に流れを滑った。

 二日目の夕方から雲行きが悪くなり風が出て河が荒れ始めた。台風かもしれない、とフェイ婆さんが一言呟いた。プノンペンの波止場で身の上話らしきものを洩らしたあとは婆さんはまた黙りこくっている。クァンには短く用事を言いつけるだけだった。ベトナム南部には台風が来ることはめったになかった。珍しいことだとクァンは思った。

 暮れてからは雨も降り出し波が出て船は激しく揺れたが、小船に乗っていたクァンには耐えられないものではなかった。時間が来れば眠くなってクァンはベッドに転がり込んだ。風雨の音が船底にまで聞こえていたが、汽船の大きな揺れは揺り籠のように眠りを誘った。

 クァンは森の中に居る夢を見ていた。ホイアンでの幼い時らしい。父母と一緒だったのに、いつか一人になり木の実を拾い、花を摘みながら遊んでいた。川が流れている所に出た。小川なのにごうごうと濁流のような音がする。流れの途中に石が積んである。何だろうと川に足を踏み入れて近付いた。川底に足が滑って転び石が崩れてきた。身体の上に石が乗って身動き出来なくなった。「ママぁ!」と叫んだようだった。自分の声に眼が醒めると何かに押さえつけられている。石ではない。柔らかな肉の塊だ。もがいても動けない。叫ぼうとすると口がふさがれた。分厚い唇が押し付けられていた。既に上着は剥がされて大きな掌が乳房を握っていた。何だ、これは!怒りが込み上げて片手で必死に上にある顔を持ち上げた。機関室からクァンを見ていた船員の肉厚の顔がにやりと笑っていた。大男の身体がクァンの上で好きなように動き、どうしようもない絶望感の中で、フェイ婆さんが居るはずなのに、と気付いた。婆さんはどうしているんだ、なぜ助けてくれないんだ。頭も動かないので探しようがない。船が持ち上がり、また沈む。波のうねりに乗って男の身体が深くクァンの中に入ってくる。雨風の音とエンジンの響きと船底から背中に突き上げる水の声に翻弄されてクァンは気が遠くなっていった。

 気付くと男はもう居なかった。クァンは床に直かに横たわって上に薄布が駆けてあった。身体に異常な感覚が残っている。男はクァンを床に下ろしてから襲ったらしい。板壁に仕切られたベッドでは大男には狭くて自由に振舞えなかったのだろう。常にぶら下げてあるはずのランプは消えている。戸口から淡く差す明かりを頼りに隣に仕切ってあるフェイ婆さんのベッドを見ると空っぽだった。どこに行っているのだ。気だるい身体を起こして自分のベッドに這い上がりまた少し眠った。次に目覚めると隣の調理室から食器の触れ合う音が聞こえた。あわてて身支度して調理室に入るとフェイ婆さんがちらと見て「遅いね」と言った。朝食は大体出来ているようで、クァンは急いで皿を並べた。

 それからも婆さんは何も言わない。夜中にどこへ行っていたのかとクァンから聞くわけにもいかない。船はヴィンロンを過ぎ海に近い河口に進んだ。川幅はゆったりと広くなっていく。海に出てから二日目の晩同じことが起きた。クァンはベッドから下ろされ床の上でフランス人の大男に犯された。婆さんはその夜も部屋に居なかった。男は事が終わるといとしげにクァンを抱きしめて頬ずりした。大声を上げて逃げることは出来たかもしれない。だが船の中を逃げ回ってもどうにもならないことはクァンにもわかった。なにせ海原の上なのだった。

 翌日ブンタウに、二日後にニャチャンに着いた。積荷を交換して次の日にはまた出航するという。クァンはブンタウに碇泊している間に降りてもいいはずだった。ブンタウからサイゴンまでは車でも小舟でも行ける距離だった。だがせめてヴィンロンでなければ世話をしてくれた船頭にも会えないだろうと考えて降りるのをやめた。婆さんはいいのかい、と言いたげにクァンの顔を窺ったが何も口には出さなかった。

 ブンタウからメコンの河口に向かう海の上で男はまたクァンの寝室にやってきた。海にもまれる船は違った揺れ方をすると、クァンは男の下で波を背中に感じながら考えていた。

 昼間甲板に座っていると、その男が通りかかることがある。夜の出来事は暗闇の中でのことなのではっきり顔がわかるわけではない。でも機関室で働くそのフランス人なのだとクァンは確信していた。男はクァンを一瞥して通り過ぎた。恰幅のいい後姿が機関室に消えるのをクァンも黙って見送った。プノンペンに丸一日碇泊し、またメコン河を下る間男は二度やって来た。仕事を終えて夜を迎えベッドに入る時、今夜はどうなのかとクァンは考える。そして自分の気持に気付いて愕然とした。頭ではあの大男を忌み嫌いながら、身体が男の愛撫を待っている。男の身体に押し付けられて背中に水の動きを感じる時、波にもまれて波と同じリズムで男の身体が動く時、クァンは快感を感じていた。波に乗って身体の奥に喜びが滲み渡った。男が来ると必ず居なくなる婆さんのことは気にならなくなった。どうでもいい。婆さんもこのことに関しては決して触れなかったから。

 船は往復を繰り返し、三ヶ月が過ぎた。ある時から男が現れなくなった。クァンは昼間機関室の前を行ったり来たりしたが、その男の顔は見えなかった。調理室で働きながら婆さんがぽつりと言った。

「フランス人の船員が何人か、ブンタウで降りたらしいよ。このところ反抗運動が激しくなってね、フランス人は身の危険を感じているんだ。本国に帰る人が増えてるって。代わりにベトナム人の船員が乗ったらしい」

 クァンはぼんやり婆さんの顔を見上げたが、その表情は淡々としていて、何も深い意味はないように見えた。

 ブンタウを出てから丸一日が過ぎていて船はメコン河に入ろうとしていた。河口は大きくどこまでが海でどこからが河なのかわからない。見渡す限り青く、時に褐色の水だけが広がっていた。波にもまれる船はいかにも頼りな気で、エンジンをふかせながらも河に入りきれるのかどうか危うかった。クァンは船首に立ってメコンの入り口を見極めようとしていた。男が黙って去ったことはクァンの身体に深い傷痕を残した。しかし初めからわかっていたことだった。向こうはフランス人、こっちはベトナム人、フランス人が主の船の中では婆さんもクァンも奴隷に過ぎなかったのだから。

  5

「気をつけて行っておいでよ」

 クァンは入り口に立って娘と父親を見送った。戦闘が激しくなっていていつどこで何が起こるかわからない。ホイアンはわりと平穏だから家にじっとしていたらいいのに、父親はフェに行ってくると聞かない。歳をとっても王宮料理だけはやめず、呼ばれるとどこにでも出かけた。勤めていたホイアンのホテルはフランス人の経営者が引き上げて閉鎖されていたし、優雅に王宮料理を味わう時代でもなくなっていた。時に町中のレストランやフェで催し物がある時に呼ばれて手伝っていた。今日の王宮での行事はいかにも時勢の流れを思わせるものだった。フェ王宮を占拠しているアメリカ軍のクリスマスを祝っての晩餐会だというのである。腕のいいコックも少なくなっていて父親にお呼びがかかったのだった。初め躊躇っていた父親も、相手が誰であれ豊富な材料を使って料理が出来ればいいと思い直したのだろう、行く気になったらしい。ところが爺ちゃん子の娘のトランが爺ちゃん一人では危ないから付いて行くと言い出した。ホイアンからフェまではダナンを通り、ハイヴァン峠という難所を越えて車で半日の行程だった。一日に一回だけ走るバスに乗らなければならない。フェに着けば昔の仲間が居るのだが、途中は爺ちゃんだけでは危ないとトランが言い出したのである。トランは十歳の少女である。クァンが行けばいいのだが、母親と一緒にレース編みの内職をしていて急ぎの仕事を抱えていた。

「それじゃ、頼むね、トラン」

 手荷物を渡しながらクァンが言うと、歳よりも大人びて見える娘は丸い眼をくりっと動かして頷いた。色白の頬に濃い栗色の髪がかかるのを払い除ける仕草はいっぱしの女だった。父親を抱えて出掛けて行くトランの後姿を見送ってクァンの胸がきりりと痛む。身体つきはクァンに似て細身なのだが、背中の格好がどことなくあの男に似ているのだ。甲板に居るクァンの前をさりげなく通り過ぎて行ったフランス人の男、背中を見せて振り返るでもなく機関室に消えて行った。

 十年前、どこに行きようもなくあのまま汽船に乗ってメコン河を上り下りした。少しして身体の異常に気付いた。というよりフェイ婆さんの方が先に妊娠を言い当てた。不思議な老婆だった。クァンを無視しているようで冷静に観察していた。男との情事の時に姿を消していたのは今だに解せないが、悩んでいるクァンに、

「授かった子は産んだ方がいいよ。どんな子供でも居た方がいい」

 と諭す婆さんを、きっといい人なんだとクァンは思ったのだった。

 親を頼るしかなかったクァンは、サイゴンの部屋に先ず戻った。もしかしてタックから何か知らせが来ていないかという望みも絶たれて部屋を引き上げホイアンに帰ってきた。両親も年老いて気弱になっていて、戻ってきたクァンを何も言わずに迎え入れてくれた。産まれた子を見て初め嘆いていた母親も成長するにつれて可愛さが増すのか、そのうち愚痴も言わなくなった。父親はクァンの腹の中の子はタックの子だと思っていたようで、産まれた赤子を見て仰天したが、やがて孫娘を溺愛するようになった。長い間フランスの植民地だったので、混血児を見るのは珍しくなかったせいもある。皮膚は白く灰色の瞳と高い鼻筋はフランス人だったが全体の面差しはクァンに似て細面だった。髪の毛は黒に近い栗色で目立たなかった。名前は父親が主張してベトナム名をつけた。大きくなるにつれて子供たちの間では苛められることもあるようだったが、そう問題も起こさずに来れたのは住民が西洋人を見慣れていたからだろう。

 しかしクァンがホイアンに戻った頃はフランスは弱体化するばかりでフランス人の数は中部でも激減していた。解放軍に手を焼いたフランス軍はアメリカの軍事力に依存するようになり、アメリカ政府が南北ベトナム問題に介入するようになっていた。ハノイを中心とするベトナム民主共和国を中国とソ連があと押ししていたのに対し、アメリカは南部から攻撃したが、労働者や農民による「南ベトナム解放民族戦線」の奇襲に悩まされて戦争は泥沼化し長引いていた。その年にはアメリカ軍によるハノイ爆撃もあり、北部と言い、中部と言い、住民は安心して住めなくなっていた。

 フェではまだ戦さはなかったものの、アメリカ軍が進駐して来て王宮を占拠したので、怒った解放軍が回りでゲリラ作戦を展開し物騒な状態だった。

「バスはちゃんと走っているのかね」

 母親がレ—ス糸を選りながら言った。二人を送り出したもののフェに行きつけるかどうか不安だった。

「それはちゃんと調べたから大丈夫。パパは料理を作りたい一心で必死だし、トランもあれでしっかりしているから行けるでしょう」

 クァンと母親はレ—スのベッドカバーと取り組んでいた。大きな品だけに一つ間違うと寸法が狂ってくる。気を許せなかった。アメリカ軍の将校が帰国の土産に欲しいという注文だった。

「トランはよく育ってくれたね。賢いし気立てもいい。混血っていうことはすぐわかるのに僻みもしなかった。あれの父親もいい人だったんだろうね」

 母親は上目遣いにクァンの顔を窺いながら言った。父親も母親もクァンの相手のことは話題にしなかった。タックが行方不明であるのは知っていたから、その後の娘の苦労を想像して聞く気にもなれなかったのだろう。母親がちらとでもそれに触れるのはトランが留守だったからか、珍しいことだった。

「さあ、どうだったんだろう。わからない」

 クァンがあっさりとそう答えたので、母親は妙な顔をした。

 実際クァンにはあの男の性格まではわからなかった。覚えているのは逞しい身体の感触と、いつも吸っているらしい煙草の匂いと、最後に頬擦りする時の髭の痛さと、甲板を去って行った背中ぐらいだった。身体よりも心に痛みを感じながら産み、十歳まで育てたトランにあの男の血が混じっていると思うと不思議な気がする。メコン河の黄土色の流れが眼に浮かび、クァンは頭を振って眼の前のレ—スの山に没頭した。

 王宮のクリスマスパ—ティは翌日の夜で、その次の日に二人は帰ってくる予定だった。朝フェを出てもホイアンに着くのは夕方になる。クァンは早目に仕事を打ち切って夕食の支度をし二人を待っていたが日が暮れてもなかなか戻ってこない。

「バスがどうかしたのかね」

 母親も案じている。

「峠でまたパンクかな」

 途中のハイヴァン峠は急坂のカーブが続いて乗客が多い時などよく故障を起こして立ち往生した。直すのにもタイヤを替えるのにも時間が掛かるので半日や一日待たされるということも珍しくなかった。

「お友達のところでもうひと晩ということもあるしね」

 気軽に考えることにして夜を明かした。昼刻になってバス会社の人がダナンからとんで来るまで、レ—スの柄合わせに懸命になっていた。

「まだ帰らないね。もう昼だよ」

 ベッドカバ—から顔を上げた母親が言った時だった。

 一人の男が表戸を開けた。

「コックのチャンさんのお宅はこちらで?」

 中年の男は息をきらしている。

「ああ、おかみさん?」

 母親の顔を見てから、視線をクァンに移した。

「もしかして子供さんのお母さん?」

 ただならぬ男の様子にクァンは嫌な予感がした。

「私はバス会社の者です。昨日フェを発ったバスが解放軍のゲリラに襲われて死人が出ました。ダナンに向かったアメリカ兵が狙われたのだが、巻き添えを食った人が居て。白人の女の子と子供を庇おうとした爺さんが撃たれてしまったのです。爺さんを知った人が居て、こちらだというので知らせに来ました。申しわけないことで」

 男が頭を下げるのをクァンも母親も呆然と見ていた。

「死んだっていうんですか。二人共」

 叫ぶクァンに男は何も言えずにうなだれた。

 母親は一度立ち上がって戸口の方に行きかけたが、ふらりと倒れかけると蹲ってしまった。クァンが走り寄って母親を抱えた。

「それで今どこに」

「アメリカ軍がダナンに運んで基地のそばの教会に安置しています。すぐ来ていただけますか。私の車があるのでなんならご一緒に」

 行かねばならなかった。トランとパパのところに。クァンは母親を寝室のベッドに寝かせ待っているようにと言い聞かせた。急いで身支度し、隣家の主婦にわけを話してあとを頼むと男の車に乗り込んだ。

 ダナンまでは二時間程で着いた。ここには大規模なアメリカ軍の基地があるので、町のどこにも兵隊が溢れていた。小さなキリスト教会の前で車が止まった。扉を開ける男の後ろに付いて暗い礼拝堂に足を踏み入れる。眼が馴れると椅子を片寄せたあとの床に並べてあるのが遺体らしいとわかった。男は片隅に離れて置いてある遺体のそばまでクァンを案内した。クァンはしばらく立ち尽くしていたが、やがて勇気を奮って掛けてある布をめくった。父親とトランはぴったり寄り添って横たわっていた。胸や腹は血にまみれていたが、顔は眠っているように穏やかだった。トランは心持ち祖父の方に顔を向けている。気の合う祖父と孫だった。仲良く一緒に死ななくてもいいのに。クァンの胸に悲しみが込み上げた。身体の上に組まれていた二人の手を抱えるようにしてクァンは号泣した。混血の幼な子を抱いて守りをしてくれた時や、学校の勉強を教えようとして頭を抱える父親の姿がちらついた。泣き疲れてふと気がつくと、そばに一人の男が立っていた。知った顔だったがどこの誰かは思い出せない。

「とんだことだったね。わしは隣の町に住む者です。爺さんとは顔見知りで偶然同じバスに乗り合わせました」

 家をバス会社に知らせたのはこの人なんだと気付いて、クァンは黙って頭を下げた。

「いや、ひどいことだった。峠を上りかけた時、木陰からいきなりゲリラが出てきてバスを止めると乗り込んできた。バスにはダナンに帰るらしいアメリカ将校が五人乗っていた。将校が小銃を構えるとゲリラは余計いきり立って、そう十人ほども乗ってきたか、外にはその倍もの人数がバスを取り囲んでいた。地元の者はわしと爺さんたちを入れて五、六人だったか、ゲリラ兵はちゃんとわし等を除けてアメリカ兵だけを奥に押し込んだんだ。アメリカ兵向けて撃った銃の音はそれはすさまじかったわ。それで終わったと思った。ところがゲリラ兵の一人が娘さんに気付いたんだ。『白人の子だ、アメリカ人か』『いやフランス人だ』その男が娘さんを引き出した。『敵の子供だ』昂奮しているゲリラ兵たちは白人と見ると容赦はなかったんだ。男が銃を構えた。『違う、その子はベトナム人だ』爺さんが叫んで娘さんの前に走り出た。同時に銃が鳴って二人共撃たれてしまった。こうして話せば長いが、あっという間の出来事だった。わし等はバスの隅に固まって震えていたよ」

 話の途中からクァンは耳を覆いたかった。しかし事情は聞かなければならない。必死に耐えて男の話を聞いた。トランは白人と間違えて殺された。ベトナム人に。ベトナムで搾取を続けてきた白人はすべて憎いのだった。新しいベトナム国家を作るためには、白人を追い出さなければならないのだ。タックにしてもそのために妻を捨てて解放軍に加わった。どこで戦っているのか知らないが、新しい国を夢見ているのだけは確かだった。トランは立派なベトナム人なのに同じベトナム人に殺された。クァンの胸がずきんと痛んだ。これはタックの復讐なのか。フランス人の子を産んだ私への彼の復讐なのか。クァンは再び跪いてトランをきつく抱きしめ、すすり泣いた。

 翌年二月、ベトナム解放軍は大々的にフェ王宮に籠もるアメリカ軍を攻め、追い出した。歴史のある帝廟のいくつかは破壊され、石造りの壁には弾痕が残された。

 各地で攻防が繰り返されていて戦争はいつ果てるともなく続いていた。アメリカ軍の巻き返しとそれに反撃するゲリラ軍、ダナン市の近郊ソンミではアメリカ軍による無差別大虐殺で村民504人が犠牲になった。南部に迫った解放軍は地下トンネルを掘ってサイゴン攻撃の本拠地とした。対抗するアメリカ軍や政府軍はトンネルに手榴弾や毒ガスを投げ入れたり、回りのゴム園に枯れ葉剤を撒いたりして解放軍の根絶を図った。

  6

 父と娘を失ったクァンは失意の中でも食べるために働かなければならない。惰性のようにレース編みの手を動かした。母親は働く気力を失っていた。一日の大半をベッドの中で過ごし、起きてきても椅子にぼんやり座ってクァンの手元を眺めていた。ある時外から帰ってきたクァンは、母親が机の上に父親の調理道具を並べ、包丁の一つを手にかざして見つめているのに驚いた。何をする気なのか。静かに近付いてその手から包丁をもぎ取ろうとすると、母親は少し抵抗してクァンの顔を見上げて、「パパの料理はうまかったよね。また食べたいね」と言った。その口調になんとも言えない悲しみが滲んでいて、クァンの胸にあらためて憤りが込み上げた。父親が大事にしていた調理道具は、バスの中に転がっていたのを知り合いの男がそれと気付いて持ち出してくれたのだった。

 フェ王宮を解放軍が取り戻し、ダナン基地に対する攻撃も激しくて、ホイアン近辺も騒々しかった。だが幸いホイアンの町中では今のところ両軍の衝突はなく戦火の影響も少なかった。

 チャンフー通りに住むダン・チャイという男との縁談が持ち込まれたのは、南北の均衡が崩れて、北部のホ—・チ・ミン軍が優勢になりつつあった頃だった。ダンも戦争帰りで、南部戦線で地雷の爆発に会い片足を失った。やむを得ず帰郷して家業についたが、その後妻は三人の子供を残して病死した。ダンの父親は中国人で貿易商を営んでいたので少しは財を蓄えており戦争で商売がしにくくなっても困ることはなかった。しかし三人の子の世話には女手が要るので連れ合いを探しているとのことで人を介して話が持ち込まれた。

 この話にクァンが心を動かされたのは、もう一つの理由からだった。ダンはフランス人経営のホテルで働いていたタックを知っていたという。当然シェフであったクァンの父親とも知り合いだった。中国から輸入する食材をホテルの厨房に納めていたからだった。クァンが母親を抱えて苦労していることと、ダンの窮状を見かねた仲介人が間に立つことを考えたらしかった。

 その人の家で会って話をした。

 ダンがホテルに出入りを始めた頃は、クァンは父親に咎められて厨房には来ていなかったから、クァンのことは余り見ていないとダンは言った。顔馴染みだったタックがシェフの娘を連れてサイゴンに行ったという噂は聞いた。

「その時のシェフの気落ちの様子は普通じゃなくて、機嫌も悪いし使用人たちはびくびくしていましたよ」

 とダンが思い出して言うのにクァンは苦笑した。

「それでこのことをお話したかったのですが、私は戦線でタックと出会ったのです」

 思いがけないダンの言葉だった。サイゴンで別れて以来タックの消息を聞くのは初めてだった。眼を剥いて凝視するクァンから視線をそらし、ダンは下を向いた。クァンより二歳年上だというダンはいかにも中国人の血を引いたという感じの整った顔立ちで身体つきもほっそりしてひ弱な感じだった。左足を腿から失ったそうで、やっと中国製の義足を付けることが出来たということだった。

「どこで会われましたか」

 ダンが黙ったままなのでクァンは待ちかねて口を開いた。ダンはおもむろに顔を上げた。

「驚かないでください。もう十年も前になります。アメリカが手を出してきたので我々解放軍の意気はますます上がり、結束を固めていました。我々はサイゴン北部の丘稜地帯に潜んでゲリラ活動をしていたのですが、北部に向かうアメリカ軍に奇襲をかけようとしていた時、農地に埋められた地雷に触れました。先に歩いていた十人ほどがやられました。タックも吹き飛ばされました。私は片足だけで済みましたが、彼を含めた六人はどうなったかわかりません。あとで遺体を捜したのですがーー」

 ダンは呆然としているクァンをまともに見られない様子だった。

「お父さん達のご不幸は仲介人から聞きました。あなたがシェフの娘さんでタックの奥さんだと聞いて驚きました。縁談についてはともかく彼のことは話さなければならないと思い出てきました」

 十年前にタックは死んでいた。その頃私はどうしていただろう。思い返してみるが余り色々なことがあったので過去は混然としていて整理出来なかった。

「戦地で彼に会ったのは奇遇でした。山の土豪の暗がりではよくわからず、外に出てそばに居る顔がタックなので抱き合って再会を喜んだものでした。皆故国の独立を夢見て理想に燃えていました。若くて元気でした。それから彼とはホイアンの思い出話をして夜ふかしをしたものです。事故のあと私は戦えなくなり戻ってきましたが、しばらくは悶々として家に籠もっていました。妻が父を助けて商売を続けてくれましたが、その妻も五年前に病気で死にました。私はそれ以来気を持ち直して年老いた父に代わって細々と仕事をしています。子供たちを見てくれていた母も昨年亡くなり、家事をしてくれる人が居ないのを見かねた近所の人があなたを紹介してくれました。そのあなたがタックの奥さんだったとは——」

 ダンはつくづくとクァンを見つめている。その眼に浮かぶ哀れみは彼のやさしさでもあるのにクァンは気付いていた。

「私はこのような身体ですから何も言えませんが、あなたに会えたのもタックの引き合わせだと考えたらいけないでしょうか」

 相手は父親と三人の子供を抱えて難儀している。クァンの方は働く気力をなくし呆けたような母親と二人、暮らしに困っていた。いつ戦乱が飛び火して何が起こるかわからない時期に困った者同士身を寄せ合って生活するのがいいのかもしれないとクァンは考えた。ダンの人柄がよさそうなのが何よりだった。母親に相談すると、

「そうかい、嫁に行くのかい。結婚式はするのかい?」

 と相好を崩した。話の半分はわかっていない様子だった。

 ダンの子供は十六歳、七歳の男子と六歳の女の子だった。戦争で学校も休校になっていたので、長男は父親の手助けをしてよく働いていた。下の子供たちはクァンに纏わりついた。母親をなくしてから長かったので祖母とは違う行き届いた女手の世話が嬉しそうだった。

 家事をやってくれる配偶者を得てダンは商売に身を入れることが出来るようになった。年老いても意気盛んな父親を表に立てて控え目なダンを、クァンは好ましく思った。

 寝室でダンは隠れるようにして義足をはずした。妻に見られるのをも恥じているようであった。その様子にクァンの方も臆してしまって、しばらくは用事にことよせてダンが寝入ってから寝室に入るようにした。

 何日かしてクァンは偶然シャワー室から出てくるダンと鉢合わせした。夫はタオルを巻きつけた身体を片足で保ち松葉杖を突いていた。タオルから出ているのは一本の足だけ、クァンは少なからぬ衝撃を受けた。だがダンの顔が悲しげにゆがんでいるのを見た時、クァンは思わず夫に近付いてその肩を支えていた。寝室のベッドに夫を腰かけさせたクァンは衝動的にタオルをめくった。左足は付け根から十センチほどのところで切れて、傷口には皮膚が巻き義足を付けるせいだろうか、断面は固くなっている様子だった。敵が埋めたのか、味方が埋めたのかわからない地雷のせいでこの人はこんな無様な姿になった。同じ地雷で死んだというタックの面影がダンに重なった。クァンは彼の切れた左足に顔を寄せ、理不尽に壊された腿を抱いて何度も何度も口付けした。ダンは声を上げ涙をこぼしながらクァンを抱きしめた。

 翌年男の子が産まれた。もう四十六歳になっていたから子供は出来ないと思っていたのに、トランを産んで以来の出産だった。若い時あれほど愛し合ったタックとの間には子供が出来なかったのにと、授かりものだという傍らの赤子の頬をつつきながら神に感謝した。

 

 ぐずぐすと続いていたベトナム戦争は、1973年の北ベトナム軍反攻以来、次々に南部地区を攻略してサイゴンに迫った。1975年四月、遂にサイゴンが陥落しベトナムは長い分裂状態に終止符を打った。翌年統一国会が開かれ、ベトナム社会主義共和国となり、共産党が実権を握った。

 破壊された国土は容易に回復しなかったが、ホイアンは幸い戦火を免れて、少しずつ古都フェに次ぐ古い町として観光客も訪れるようになっていった。ホイアンの十六世紀に出来たという古い町並みが評価され始めていて、倒壊寸前の旧家も行政によって修復された。

 父親が亡くなったあとダンは商売を整理して土産物屋を始めていた。中国人だった父親が歴史のある家屋を大事にしていたのでその家には中国風、日本風の特色が残されていて、町指定の観光家屋にもなった。

 1998年にダンが七十四歳で世を去ったが、成長していた長男が家業を継いで困ることはなかった。長男はダンには似ず祖父の血を継いだのか、なかなかのやり手で貿易にも手を出すようになっていた。三十歳を過ぎていた次男はフェに出て商売を始めていた。女の子は近くの商家に嫁に行き、クァンが産んだ三男も二十七歳になり兄を助けて土産物屋を手伝っていた。既に妻帯して子供も産まれている。ダンと結婚してからは子育てや家事に懸命の日々で、あっという間に三十年の歳月が過ぎた。それはベトナムが産みの苦しみを経て独立国としての地位を一歩一歩踏みしめてきた刻に重なっていた。平和に向かって歩んできた刻でもあり、国の平和故にクァンの暮らしもどうにか平安を保ってきたと言えた。

 ダンが死んでからさらに五年が経つ。クァンも年老いて八十歳になった。子供と孫に囲まれて幸せな日々と言えた。最近よく母親を思い出す。夫を失ってから痴呆気味になり、クァンが再婚して産んだ子をトラン、トランと呼んで可愛がった。その孫が五歳になった年少しも苦しまずにクァンの手を握ってあの世に行った。七十歳だった。母親が死んだ年令からもう十年も余分に生きたことになる。日本人の血を引いたことを自慢にしていた母、その血はトランに、トランが死んでも三男の子の孫娘ティエンに何分の一かになって受け継がれている。人間の不思議さを、人生の重さをクァンはしみじみと思い知っていた。

 木片の陰になって流れてくる紅いものに眼を凝らすと、それは花だった。どこかの花壇から流されてきたのだろう。一つ、二つ、三つ、五つほどが塊りになって眼の前を過ぎて行った。何もかもが下流向けて、やがて南シナ海に去って行く。

「あれ、すごいことになってる」

 人声がして背後に誰かが立った気配だった。

「水が出たって聞いたけど、床上浸水したんだ」

 三人の中年女性がクァンの後ろから川を覗き込んでいた。中国人か、日本人か。クァンは中国語は少しわかったから、理解出来ない言葉だということは日本人の観光客らしい。顔馴染みのガイドがあとからやってきた。

「おばあさん、お邪魔します。日本からのお客さまです」

 クァンは急に職業意識を呼び戻されて椅子から立ち上がりお辞儀をした。チャンフー通りの観光目玉であるこの家には常に観光客が立ち寄ってガイドの説明を聞く。嫁や孫が接待してお茶を出すこともある。客が日本人の時には、日本人の血を引くというクァンばあさんが必ず紹介されて、話をしたり写真のモデルになったりする。ベトナムへの観光客が増え出した最近では、クァンは重要な観光資源なのであった。

 居間に戻って中国骨董品の椅子に座り、写真を撮られた。

「おばあさんが日本人の子孫なのですか。驚くわぁ」

「そう言えば、どことなく日本人の面影があると思わない?」

「お着物着せて京都の町に立たせたらそのまま日本のおばあさまね」

 ガイドが彼女らの言葉を通訳してくれる。クァンは愛想笑いを浮かべながらカメラのレンズに目線を合わせた。

「おばあさん、どうかお元気で」

 立ち去る時、女たちは次々にクァンに握手を求めた。握られた手に彼女たちの体温が伝わってきて、何十代も前の祖先を同じくする人たちの血の暖かさなのかと、時にクァンは感傷的になるのであった。

「ばあちゃん、今日は日本からの観光客が多いそうよ」

 外から駆け込んできたティエンが言いにきて、クァンは「そうかい」と背筋を伸ばした。

(了)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2008/09/18

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斎藤 史子

サイトウ フミコ
さいとう ふみこ 小説家。仙台市生まれ。『落日』にて第7回大阪女性文芸賞受賞。主な著作は、『清滝川』、『千道安』など。

掲載作は、同人誌『奇蹟』57号(2004年10月刊)に初出。

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